1987年にアサヒビールから新発売された、『スーパードライ』は、ながく鉄壁の独り勝ち体制を築いてきたキリンビールのシェアをあっさりと奪って、業界に「ドライ・ブーム」を巻きおこしたことは、その後、あのハーバード大学ビジネススクールの「ケーススタディ」の教科書にもなった画期があった。
この一撃で、各社がパニックとなり、なんでもかんでも「ドライ」を売り出したが、オリジナルを倒すような商品はいまだに登場していない。
個人的には、旨み感のある、サッポロ「黒ラベル」が好みだが、そのサッポロビールも、主力の「黒ラベル」を「ドライ」のエリアに置くまちがいを、エビスガーデンプレイスで展示していたことがあって、みごとな勘違いが抜けきれずとうとうビール市場で最後尾にいたサントリーにも抜かれる事態となった。
じっさいにベルギーの「オルバル修道院」まで出かけて、ここで製造されている「ドライビール」の世界的ブランド『オルバル』を院内レストランで飲んだが、その味わいは「スーパードライ」の薄っぺらさとはほど遠いものなのである。
日本にも輸入されているので、ぜひドライビール好きにはお薦めしたい。
スーパードライが巻きおこした、大メーカーを混乱におとしめたショックは、若いひとには分からないかもしれないが、その「横並び感」こそが、やってはいけないマーケティングなのである。
それが、マスコミ業界に見られるから書いておく。
ようは、「左翼」がかっこいい、ということの「横並び」のことである。
この中心に、英国国営放送のBBCがある。
それから、アメリカ3大ネットワークしかり、CNNなどのケーブルテレビしかりとなって、そのまま日本に輸入されている。
USAIDからの邪悪な資金が途絶えても、放送内容が変わらないのはなぜか?
BBCの場合は、極左スターマー政権が「やれやれ」と煽っているにちがいない。
だが、肝心なのは情報流通の要である「通信社」を抑えている何者かが、ここから発信される情報の世界流通をさせているのだとかんがえられる。
ために、「旧ツイッター」を追放されたトランプ氏は、自身の財力で新規のSNSを立ち上げることで対抗したのである。
こうしたことをかんがえると、言論空間のスーパードライ化は、ビールならまだ選択できるのとちがって、やっかいな存在である。
それに、わが国のばあいは、「歴史」が言論空間のスーパードライ化に貢献している。
いわゆる「東京裁判史観」というものではあるが、これよりもっとはやい「鉄砲伝来」からの国際関係を学ぶ機会が10代では与えられていないことにその問題の根源がある。
そもそも(キリスト教)宣教師ザビエルは、なぜに鉄砲を持ち込んだのか?を子供にかんがさせることをしないで、「1543年」を暗記させるだけで済ますのである。
世界史ならば、「プランテーション農業」という言葉を暗記させるが、それがどんな形式の農業経営なのか?をおしえない。
国語辞典にでているけれど、国語の時間であろうがなかろうが、生徒に辞書をめくらせる教師もいない。
いま、わが国を「葦原の瑞穂の国」と古称したことも薄っぺらな教育でわすれされて、とうとう米作りのプランテーション化が画策されてはいまいか?
これは、日本人家畜化のリアルなのである。
すると、言語空間のスーパードライ化とは、世界的レベルでの人類家畜化に通じ、これに抗うことの重要さが増していることの反意語なのである。