負け犬の自民党総裁選に意味はあるのか?

どうやら岸田氏は衆議院の解散総選挙を「やらない」と決めたから、先に9月に任期切れとなる「自民党総裁選挙」の方が先に行われるようである。

岸田氏が無風のまま再選されればいいものを、あたかも岸田内閣に楯突くふりをしてみせて、国民に妙に日和るのも今更無駄だといいたいところだ。
挙党一致で、かつ、閣内一致の政党・政権で、せいぜい反旗らしき発言をふだんから言うのは、参議院議員の青山繁晴氏ぐらいしかみあたらないからである。

世界潮流として、「極右:反グローバリズム=ナショナリスト」が伸びているのは、グローバル全体主義の弊害とその奥にある狂気に多くの国の国民が気がついて嫌気を感じているからである。

グローバル全体主義とは、「酸」のようなものなので、それぞれの国家の「国体」を溶解・破壊する。
ここでいう「国体」とは、各国家が持っている歴史や民族の文化に基づく「国のありよう」のことだから、なにも日本のことだけではない。

すると、勘のいいひとは、こうした「酸」の働きをする思想の本質が、共産主義であることに気づくのである。

この人為しかない思想の毒は、人類を支配者と被支配者とに分類し、被支配者には人権すら認めない。
そこにあるのは、物質として生きている動物としての人間であって、「唯物史観」とは、一個の人間すら物質とみなすことで成立している。

ようは、支配者だけに人権が認められるが、その支配者は常に「ひとり」しか存在しないのが理論的にも結論となる。

その「ひとり」が神と同格になるので、共産主義は宗教を禁止する。

自ら、「共産主義という宗教」であることを知っているからで、あらゆる宗教の中でも最も排他的なのが共産主義となるのは、こうした理由からの結論なのである。

さてそれで、共産化した自民党の総裁選挙に河野太郎氏が立候補に意欲を出しているという。

この方の「本籍」が、北京にあると知られるようになっているなか、1日、自民党総裁で総理になれなかった父の洋平(87歳)が、その本籍地に財界人というカネの亡者90人を引き連れて里帰りした。

すると、一家でこうした人物たちが、果たして衆議院議員であることも、公職選挙法に触れないか?
それは蓮舫の国籍問題どころの話ではない。

4日の総選挙で英国保守党が、どこまで議席を減らすのか?がとっくに世界の話題になっていて、フランスではいまやマクロン氏の政党が話題にも登らなくなっているし、カナダのトルドー政権も風前の灯火状態にある。

これらの現象の共通に、それぞれ大統領職や首相職にある人物が、世界経済フォーラムのシュワブ氏「肝入り」があって、河野太郎もその中にあるひとりなのだ。

すなわち、これらの人物が信じる情報源は、世界経済フォーラムというコップの中にある。
日本人で、この組織のトップ階層にいるのが、竹中平蔵だ。

河野太郎も岸田文雄も、竹中を通じてシュワブ氏を見ているが、国民を見ることはない。

支配者にとって、被支配者に気を取られるのはムダだとシュワブ氏に仕込まれたのだろう。

しかし、その国民たちが投票しないという行動をとって、選挙不正が間に合わない状況を作っている。

次の衆議院議員選挙では、自民党はどれほど議席を減らすのか?が、世界の目線になる中で、今更の河野太郎の立候補は、もはやピエロの足掻きにしか見えないのだがいかに?

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