「足の健康」の重要性は以前からいわれている、全身の骨格の歪みに影響するからである。
二足歩行する人間は、全体重を「左右の足の裏の接地面積」で支えているから、じつは足の骨格は指も含めて複雑な構造になっている。
しかも、「土踏まず」のアーチ構造によって、クッションの機能もあるから、「扁平足」のように、ベッタリとした面積すらないのがふつうなのである。
パンツを履いてこなかった日本人が、パンツを履くようになって、じつはまだ100年あまりしか経っていない。
おなじように、「靴」を履いてこなかった日本人は、基本的に「草履」で暮らしていた。
草鞋(わらじ)も、草履も、下駄も、みな「鼻緒」がある履物で、鼻緒がくいこんで足の股が痛くならいように歩くのは、「洋式」ではなく「和式」でないといけない。
つまり、靴の普及は、和式の歩き方の廃絶をも意味している。
靴では、かかとで着地し、指先で地面を蹴って歩くのが理想とされているけれど、和式では逆で、足の裏全体で着地させるために跳ねる土は前に飛ぶような形になる。
これは、腰を据えた姿勢でないとできないので、洋式の「腰が伸びた姿勢の良さ」ではなく、やや屈んだ格好になる。
かんたんにいえば、鍬で土を耕す姿勢の延長にある。
これぞ「農耕民族」なのだ。
その日本人が、「足袋」を発明した。
文献に登場するのは奈良時代らしいが、その起源はわかっていない。
鼻緒がしっかりする工夫が目立つけれども、じつは小指から筒状に包み込む構造になっていて、本来の材質は綿だから「伸びない」という特徴をもつ。
これが、足袋の足の骨格に対する保護機能を担保する。
逆に、おなじ「文数:センチ」の長さであっても、靴のように「幅」のバリエーションが雑なのとちがって、足袋は驚くほどのバリエーションが「既製品」でも用意されている。
それは、それぞれの足に「ピッシリ」と皺なく履くことが「美しい」とされているからで、さまざまな「足の形状」に合わせるための統計的な工夫の結果なのである。
わたしは、これを「用の美」のひとつだと解釈する。
ピッタリとあう足袋でないと痛い、ということはもちろんだが、それぞれにピッタリだからこそ足全体の骨格の歪みを許さない。
これが、日本人の全身骨格の健康を守ってきたからである。
ときに、進取の気風に溢れたかつての大阪人は、洋装の普及が著しい世の中をみて、「足袋」の衰退を感じとり、そこに機能性を付加する研究をはじめ、いまでいう「人間工学」にいきついた。
それで完成をみたのが、立体裁断による足袋、である。
これを履くと、自分の体重によって土踏まずが裏面から持ち上げられるのである。
しかも、綿製なので伸びることなく小指から固定されるので、履いて立ち上がった瞬間に、背骨が伸びるだけでなく、胸が開くのである。
歩いてみれば、太ももから脚がかんたんに上がる。
数年も歩けずに車椅子できたひとが、この足袋を履いた瞬間に立ち上がって歩けた、というエピソードは、ばかにできないほど感動的でもある。
そんな大阪の老舗が、小田原で「お見立て会」があるというから、さっそく予約した。
プロが計測してくれて、既製品から個々にピッタリの足袋を選んでくれる「見立て」サービスなのである。
おなじセンチ単位の長さのサンプル足袋が、ざっと10種類以上あるなかから、一発で選んだそれは、履いてみて驚きがある。
江戸の老舗で購入した伝統的な足袋を履いていったが、まったくちがうのは、やはり立体裁断による効果である。
しかしてわたしの場合、歪みがひどく、外反母趾の家内より深刻度が高いために、靴でも足袋を履いて矯正すべしとのご指導であった。
和装だから足袋という需要が半分、健康のためという需要が半分だという。
全国行脚しているけれど、神奈川県で「お見立て会」をするのは今回が初めてという。
会場の呉服屋さんも驚く盛況ぶりで、3日間の枠はすべて埋まっていた。
そんなわけで、何年かぶりとなる電車で小田原まで行ってきた。
次回はおそらく来年以降だという。
ちなみに、納品は4ヶ月後であった。
いまどき生産が注文に追いつかない痛快がある。