10月になって、やっと涼しくなってきた。
地球の自転と地軸の23度もの傾きに、太平洋高気圧も逆らえない。
半年前の春、新学年のシーズンに国語辞典をいくつか「おとな買い」した。
とはいえ、『物書堂』というipadでの電子辞書をまとめているストアから購入した。
串刺しやらの紙の辞書にはない便利機能がつかえるだけでなく、春は年に一度の割引セールがあるからだった。
それで購入したのは、『明鏡国語辞典』(大修館書店)、『新明解国語辞典8版』(三省堂)、『三省堂国語辞典8版』(三省堂)、『三省堂国語辞典7版』(三省堂)、『日本語コロケーション辞典』(研究社)、『類語新辞典』(角川)、『品格語辞典』(大修館書店)、『無礼語辞典』(大修館書店)である。
おなじ三省堂でも『新明解』と『三省堂国語辞典』とは微妙にことなる編集方針なので、この「ちがい」を簡単にチェックできる。
さらに、版のちがいで、新規採用されたことばと消えたことばがどれかがわかる。
ちなみに、日本で一番売れている国語辞典は、『新明解』である。
この辞書にまつわる、赤瀬川原平の名著『明解さんの謎』は、抱腹絶倒となること必至なので、『元禄御畳奉行の日記』と共に電車の中で読んではいけない一冊である。
ほとんど趣味のようなはなしに見えるだろうが、相手が「ことば」だからあんがいと奥が深い。
とくに『三省堂国語辞典』の編集方針は、最新の「流行」に敏感な選択が実施されているのだが、それだけだと紙数の一方的な拡大となるので、泣いて馬謖を斬るがごとくの「廃り」にも敏感にならざるをえない。
わからぬように入れ替わっているので、旧版が欲しくなるのは神奈川県人ならしらぬ者はいない『有隣堂しか知らない世界』での超人気話題なのである。
それでみつけた「変化」の理由をかんがえるのが、これまた想像力を膨らませる。
たんに「廃れたことば」が、古いのか?というとそうでもなく、編集者も思いがけない社会変化が理由になることもあるだろう。
だから、意味を知るだけのために辞書があるのではない。
電子辞書も、専用機が廃れ、スマホ検索が主流なのだとおもっていたが、やっぱり電子版とはいえ「ホンモノ」の辞書は役に立つ。
このことの強調が、『辞書から消えたことわざ』という本である。
「単語」ではなく、「ことわざ」だという点で、一層の社会変化を感じることができる一冊なのである。
毎日歩いている場所なのに、ある日店舗に空きができて、改装がはじまるとなおさらに元の店がなんだったのか思い出せないことがある。
人間の記憶とは、本人の都合によって変わるし、意思とは別に脳が勝手に記憶も変えることがある。
だから、写真とか地図とかの記録がないといけないのとおなじで、ことばもゆらゆらとしらないうちに変化するのである。
しかし、もっと大袈裟に、いや、深く追求すると、世界にはびこる「ニヒリズム」によって、伝統的な価値観が壊されていることの裏返しなのである。
それが、「ことわざ」が消えていく、という現象になるのは、「ことわざ」が特定の価値観を端的に示すことばだからである。
いま三省堂の2大辞典とも「第8版」が最新だが、いつ「第9版」がでても自分の人生に関係はないとおもって生きてきたが、意外な関係を見出すと「記録」としての価値が高まる。
この意味で、赤ちゃんが産まれたら一冊最新の辞書を購入しておくと、この子が爺・婆になるころには、おもしろい「記念品」となるであろう。
こういうものを親が揃えてくれたことの重みも伝われば、より結構なことである。
こうやって、ニヒリズムによる家族の崩壊を救えれば安いものなのである。