有名な「世界経済フォーラムのアジェンダ」によって、意図的な「人口削減」が叫ばれて久しい。
これを、「陰謀論」だと嗤う者がいるけれど、世界経済フォーラムのHPに堂々と書かれているものさえも信じないのだから、どちらが「陰謀論者」なのか?
この「アジェンダ:行動計画」に賛同する、ビル・ゲイツは、正直に「いま70から80億人の世界人口は、10億人程度に削減することが望ましい」とも発言し、その具体的方法を実行していることも公表している。
つまり、彼は、60~70億人を意図的に「減らす」といっているのである。
その方策のひとつが、「牛のゲップ」が温暖化の元凶だとする「論」で、まずは酪農王国オランダから牛の飼育をやめさせるように政府が強行したので、「農民一揆」になって、政権が転覆した。
この政策をやったときの首相が、いまNATO事務総長になっているマルク・ルッテだ。
EUとNATOは、とんでもない人事をやっている。
それがまた、デンマークに波及して、「家畜のおならとゲップ課税」になって、農家を苦しめる話になっている。
これも含めて、トランプ政権2.0がデンマーク領たるグリーンランド購入をいうのだと理解した方がいいだろう。
つまり、トランプ政権2.0は、あからさまに世界経済フォーラムへ敵意を剥き出しにする、世界で三番目の「政権」なのである。
一番目はロシア、二番目がアルゼンチン、そしてアメリカという順になっている。
もちろん、「自・公・立憲」政権は、このアジェンダに賛同している側である。
これが、反トランプ政権となって、戦後初の「親中・反米」政権としての石破政権があるが、戦後の「55年体制」すら、アメリカ民主党の意向通りだったから、変化したのはあくまでもアメリカ側なのではある。
そのトランプ政権2.0は、当然だが「農業重視」だ。
これも、「MAGA」の一環である。
よって、反トランプ政権である、「自・公・立憲」政権では、ヨーロッパと同じく「農業破壊」政策に熱心となり、とうとうカロリーベースの食料自給率が1割を切る成果となった。
それでもって、「コオロギを食え」というキャンペーンを、世界経済フォーラムの若きリーダーのひとり、河野太郎が率先垂範してみせたのである。
そうして、今年の4月1日から、「食糧供給困難事態対策法」が施行され、政府の気分で「配給制」とすることができるようにもなっている。
一方で、「巷」では、農業高校が大人気で、就職率は100%が当たり前になっている。
さいきんの農業高校は、むかしからしたらかなり洗煉されていて、単に作物や家畜の「育て方」を学ぶ場所ではないようだ。
この様子は、全国農業高等学校校長会監修の『農業高校へ行こう!』(家の光協会)に詳しい。
なんだか、「三重県立相可(おうか)高校」の「調理クラブ」を彷彿とさせる。
じつは、料理も化学なのである。
その解説は、『キッチンサイエンス』に詳しいが、この本の本文解説を理解するために用意された、「付録」こそが、「化学」の基礎講座になっていると6年前に書いた。
この点からしたら、「農業」は、農薬や肥料の知識に「化学」ばかりか、「分子生物学」を求められるようになったし、「売れる」ためにどうするのか?という「経営学」や「マーケティング」をしらなければ成立しない、「プロフェッショナル」しか成功できない分野なのである。
これは、あたかも「植物工場」が流行ったのと似てはいるが、単に人工的な環境で化学物質によってしかも経営合理的に生産されるだけでは、消費者の購買意欲が涌かないのとおなじで、「土の匂い」がするものでないと信用されなくなっていること、すなわち「品質」に行き着くのである。
これらをひっくるめて「経営品質」というならば、現代農業とは、高度な産業というには簡単すぎるほどの難易度だとわかる。
家庭菜園の延長線上に農業は位置しない。
たとえば、羽田空港を世界一評価にした「清掃業」を、家庭の主婦の仕事の延長だとかんがえることの間違いと同じなのである。
自国民を千万人単位で粛正したソ連・スターリン時代、もう一方では、エセ遺伝学者のルイセンコがソ連科学アカデミーのトップとして、科学者を政治的に育てることに集中して、これまたおおくの科学に従う研究者たちをシベリアに送った悲惨もあった。
けれども、一方で「食料安全保障」に気がついて、約5割もの一般人に「ダーチャ:農地付き別荘」を保有させることにしたのである。
ソ連の農業は、「コルフォーズ」や「ソフォーズ」の大失敗で、生産能力も流通管理もできないでいたが、ダーチャのおかげで国民は食えたのである。
ときに、日本で家庭菜園をやろうとしても、農業指導員がいないと野菜の作り方すらしらないのが、ふつうの日本人になった。
8割以上のひとたちが農民だった、農業国としての日本は、その微塵ものこしておらず、また、日本政府もスターリン時代のようなソ連化を急いでいるのが現代なのだ。
その意味で、最後の砦が農業高校になっている。