逮捕と不正の関係

10日、国の新型コロナウイルス対策の補助金約4千万円をだまし取ったとして、岩手県警は雫石町鶯宿の温泉ホテル、長栄館の社長とその他を逮捕したニュースがあった。

昨年の暮れ、12月20日には、ダイハツの不正に関する「調査報告書」が公表され、親会社のトヨタ自動車は、16日に国交省よりの是正命令が出たことに1ヶ月を目処に再発防止策を含めて公表を約束した。

なんだか、トヨタグループの日野自動車のときと似たようなパターンなので、トヨタから派遣されている役員の経営(ガバナンス)方法に、なんらかのマニュアル的な存在があるのではないかと疑うのはわたしだけか?

もしや、トヨタは、テイラーの科学的管理を、致命的に誤解しているかもしれない。
テイラーは、単に技術的な管理をいったのではなくて、哲学的な接近法もあわせているのだ。

そうこうしていたら、17日、こんどは、国立の奈良教育大付属小学校で授業が学習指導要領に沿って行われていなかったことが発覚して、大学の学長と校長が謝罪会見をした。

校長は赴任して1年未満なので、どうやら校長による内部告発の様相がある。
歴代校長はどうしているのだろうか?せっかく、無事に定年をまっとうしたと思っていたら、退職金の返還問題にまでなるかもしれないし、職員会議が「最高意志決定機関」だったとのことから、教職員への事情聴取もあるのだろう。

これを伝えた、関西のテレビ局(YouTubeで配信されていた)は、誰だかしらないがコメンテーターに意見を求めたら、「全国の小学校で監査を行うべき」という、これまたテキトーなことを言い放ったので、こうした発言を「BAN」しないYouTubeには、妙な敬意を感じるのである。

サラリーマンをやっていたとき、不正行為で懲戒免職になった先輩が何人かいた。

それで、事件とは直接の関係はないが、当時の経理部長から、「不正方法を考案して、それが納得できるもの(抜け穴の発見)だったら、御馳走してくれる」という。
それから、どんな方法があるのかをかんがえて、数日後に報告したら、昼食を御馳走してもらったことがある。

そのとき、「管理職になれるぞ」と太鼓判をおされたが、わたしの部署の上司にどのように伝わったのかは関知していない。

ひとりの先輩は、釣り銭元金のごまかしによる不正がばれて、クビになった。
当時の人事部は、あたかも検察官のように「犯人逮捕」を喜んだが、この経理部長は顔をしかめるばかりだった。

おそらく、「現金過不足伝票」を当該の職場が習慣化していなかったことに気づいたからだとおもう。
もちろん、社内ルールでは「ゼロ円伝票」でいいから、レジにさわれる者が交代する都度に現金収納箱とセットで出納部署に引き渡すことになっていた。

つまり、管理職たる職場長も、それを面倒がっていたことが、「不正のスキ」を作ったのである。

だから、当人が処分されるなら、上司たる管理職には、もっと重い責任を負わせるべきところ、それをしないのがなんだかなぁ、だったのである。

すると、温泉宿で補助金の不正受給をうけた社長は、どこまでの重い罪なのか?を問うと、騙された役所側に瑕疵はなかったのか?となるのだろうけど、もっとそもそもをたどれば、パンデミックの定義もない(いまもない)ままに、ただの風邪対策を超大袈裟にやった、非科学にある。

ダイハツの不正は、経営者の不正だが、あたかも現場の不正だけにするのは、日本の道徳も地に落ちたのである。

国立の小学校が、その道徳を授業でやっていなかった。

あたかも、「学習指導要領に従っていない」ことが問題視されて、文部科学省に忖度しているようだけど、この学校は奈良市や奈良県の教育委員会の管轄なのか?といえば、文部科学省なのである。

つまり、文部科学省は、直営校の管理もできないことを、国民にしられてしまった。

そんなグダグダな組織がつくる、「学習指導要領」をなにがなんでも遵守しろとは、信教の自由を謳う、憲法違反ではないか?

あくまで、ガイドラインだろう。

ただ、面倒くさいのが、大学受験の出題範囲が、一応、「学習指導要領の範囲内」という建前になっていて、難関校はこのルールをやんわりとだが確実に破っていることだ。
おかげで、予備校が繁盛することになっている。

あゝ江戸時代の寺子屋の方が、よほどの自由がある。

毛筆の習字の授業を軽視する投稿をコメント欄にするのも呆れるが、残念ながら「書」については、倶楽部活動の方が適しているだろう。
下手な教師に習うより、教え方もしっている上手い人に習うべきだ。

ただ気になるのは、問題の対象が、「教育大学付属」の小学校であることだ。

教員養成校の実験場だという意味が本来の「建学の精神」だから、この学校の生徒は、大学病院に通う患者のごとく、「モルモット」なのである。

その意味で、学習指導要領からどこまで外れていけるのか?も、実験テーマにあったなら、文句はいえないのである。
強度の精神病だったルソーの『エミール』を礼賛しているのは、なぜか世界で日本の教育者だけという非常識も内包しているはずの学校にちがいない。

それを、幼稚園からの「お受験」の対象にするから、阿呆な親が自分の子供を、モルモットにされることにも気づかないのである。

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