日本では、右派、すなわち保守を表明するのに、「道義国家」を口にする政治家がいた。
その典型は、安倍晋三氏であったし、かつての稲田朋美氏もそうだった。
稲田氏はその後、しっかりカミングアウトして、共産党議員と間違えるほどの言動が、落選運動につながっているようだ。
安倍氏は、暗殺という手段をもって世を去った。
不可思議なのは、犯人として逮捕された容疑者のいまだに裁判がはじまらないことで、国民の関心が薄れてからこっそり始めようという魂胆ではないか?と疑うのである。
あの手製の「銃」が、はたして殺傷力があるのか?もあるし、週刊誌が伝えたように、安倍氏の銃創は別の角度から飛んできているとしか説明できない。
このブログでは、一貫してアベノミクスを批判してきた。
なにせ、強烈な社会主義経済政策のセットだったからである。
そして、この政策をやればやるほど、日本経済は萎縮・衰退したのも、社会主義による衰退の絵に描いたような姿であった。
日本の大学には、たいがい「経済学部」があるけれど、アベノミクスの本質がなにかを教えないので、経済学部を卒業してもアベノミクスの批判すらできない卒業生を輩出している無惨がある。
このことは、たいへん重要で、官僚上がりの政治家のほとんどが法学部出なので、安倍氏自身も、アベノミクスを理解していなかったのではないか?とやっぱり疑うのである。
もちろん、大学の数年間で「エコノミスト」になれるほど甘い学問ではないが、かといって、はなから辛い学問である。
日本経済の分析をアメリカ・ヨーロッパ由来の手法でできるのか?という問題があるからである。
さてそれで、ロシアである。
共産主義政権の時代が70年ほど続いて、国民は生命の危険にさらされて生きのびてきた。
なにせ、スターリン時代の「粛正」は、ソルジェニーツィンが書いたとおりだったし、だからといって、その後の指導者がこうした手法を用いなかった、ということでもない。
批判者は、ロシアが資本主義を経験していないのに共産化したことの失敗、といって、真の共産主義ではないといっていたものだ。
そのソ連の崩壊が意味したものは、西側の貪欲なハイエナたちの餌食になったことだった。
生きたまま、自身の体を食わせたのはエリツィン政権で、このアル中指導者は、「自由放任主義」が「経済立て直しの切る札」だと盲信していたのである。
なぜなら、共産主義しかしらなかったからである。
ところが、汚職にまみれていた旧共産党幹部たちが、国家資産を私物化して「新興財閥(オルガルヒ)」に変身し、カネで今度は政治家を操ろうとしたのである。
エリツィンに信頼されたプーチン氏が、ここで登場し、一気に「民主化」をはかるのは、よく勉強したからだといわれている。
とにかく政治的な報道で、ことごとく逆神のマスコミを信じてはいけないが、プーチン氏を貶める報道も、その多くが真逆こそ真実なのである、
なにせ、彼がやった「国有化」は、社会主義・共産主義によるものではなく、盗人のオルガルヒたち(=西側投資家たちからの投資・支援)から国家資産を取り戻し、その利益を国民に還元させるためのものだった。
エリツィン政権を含め、ソ連崩壊後のたった10年で、ロシア人の平均寿命は10歳も縮んだ悲惨があったからである。
そのまた奪い返しを狙ったのが、ウクライナを利用したロシア弱対策なのである。
さらに、アフリカにおける大航海時代からの伝統的西ヨーロッパ利権を、現地の国々に返そう!というのが、プーチン氏の戦略で、これがまた西ヨーロッパ各国の利権をうばうものだから、ウクライナ支援をかこつけてロシアと対峙している理由なのである。
こんな連中に、なぜに日本がつき合わないといけないのか?
敗戦によって征服された属国の奴隷国家だからである。
「道議」ならずっとロシアにあって、そのロシアと連携する中国に道議も移った。
これが、世界から「気の毒な国」といま日本がいわれる理由で、大東亜戦争の意義をしっている各国から、憐愍の目でみられるようになってしまったのである。