IQ(知能指数:Intelligence Quotient)が高いと「頭がいい」というのは本当なのか?という議論はいったん忘れて、とにかく「頭がいいか?悪いか?」ということだと仮定する。
念のため、IQを測る方法と結果の計算式は決まっていて、「100」を平均値に、「15」を標準偏差に設計しており、正規分布することでの位置取りが「目安」になるものである。
詳しくは、ネットにいくらでも解説があるのでみておくとよい。
ちなみに、わが国における受験で一般化している「偏差値」も、テストの点数を並べてみたときの「平均」を「50」にしただけの指標であることに気づくと、その回のテストの標準偏差がどうなのか?によって、評価が変わることもしっておきたい基本知識である。
なのに、試験主宰者がその回の標準偏差を同時公表しないなら、怪しいと気づくべきなのだ。
この点でも、知能を使わせない工夫がある、と観てよい。
なお、日本の学校教育におけるテストの「出題範囲」は、教育指導要領という土俵上のことで、空間把握能力を問うIQとはまったくことなるものである。
「頭がいい」とはどういうことか?を問えば、テスト結果だけで評価するのは困難だが、ならどうすればいいのか?をかんがえないでやってきた成果が「教育の荒廃」になった。
そこで、本稿でいう、IQは選挙における投票行動=候補者選択における理解度のことをいうとするので、政治の分野(土俵)での「知能テスト」なのだという意味になるのである。
さて、一口に「政治」とはを問えば、近代国家の政府を運営すること。
これが「政治」ということになるのだが、政府ができることとは突きつめれば「予算配分」でしかないことに気づくと、ここに「集めて配る」というメカニズムがあるのだとまずは認識できるものだ。
しかし、もう一ひねり知能を用いると、「最初から集めない」という方法もあることに気づく。
集める対象が、漏らさず全国民で、配る相手も全国民なら、手間だけが余分だ。
全国民から集めて、一部に配るなら、そこに利権が発生することになる。
一般に、何を集めるのか?は、すぐさま「税」ということになるのだが、またここで一ひねり知能を用いると、「国債購入」とか、「人的なボランティア活動」とかも思いつくのである。
これが、むかしの「租・庸・調」からあまり変化していないのだ。
つまり、むかしのひとの発想がすごかったのである。
しかし、輸入した律令制自体は日本では根づかずになし崩しになって、その後の武士の世界を生み出した。
これも既得権益からの構造変化である。
政府は必ず「膨張する」のは、『パーキンソンの法則』にあるとおりだが、そこに「利権構造」があるからである。
それで、この利権にまとわりつくひとたちは、これを手放そうとしないし、より強固なものにしようと努力するのは、そのひとたちにとって、それが合理的な行動だからである。
ところが、利権は一部のひとたちの利益の根源なので、その他大勢のひとたちには害をなす。
だから、民主主義における多数決の原則が機能すれば、多数の反対で利権構造そのものが成り立たない「はず」なのにそうはいかない現状は、ようは、民主主義の多数決が機能していないことを示しているともいえる。
ここが、有権者の知能をつかう場面になるはずだが、それをさせない努力が強力に行われている。
利権構造をまもりたいひとたちが得た「濡れ手に粟」のカネから一部を割いて、マスコミが担うプロパガンダの必要がこれなのである。
「商業」として、新聞やラジオ、テレビが利用されてきたゆえんであり、「非営利団体」のはずのNHKがとくに非難される理由になっている。
たまに飲食店で観るテレビの「ニュース」が妙に新鮮なのは、とにかく本質とはことなることを放送して、視聴者の脳をなるたけ使わせない=IQを落とす方策がこれ見よがしに実行されていることがわかるからなのである。
よって、票が欲しいだけの政治家は、テレビのいう巧言令色に与して、脳を活動的に使うことに慣れないひとたちを「多数派」としている。
このひとたちは、学校から社会に出ても自分の脳を活動的に使うことをしなかったために、いざ「自分でかんがえろ」といわれても、どうかんがえてよいのかさえもわからないのである。
そして、いわれたとおり、しばらくかんがえようとすると、脳が反発して、気持ち悪くなったり、頭痛がしたりする症状がほんとうに出るのである。
それで、かんがえるのをやめて、平常の状態=思考停止に戻ることで、脳の機能低下による安寧を得るのである。
繰り返しこれを経験すると、もったくかんがえない人間ができあがる。
まさに、『マグマ大使』に出てきた「人間もどき」なので、見た目にはわからない。
さらにわが国の「国民皆保険」による保険点数表の支配によって、人間もどきの高齢者が「睡眠誘導剤」の処方を受けて、見事な痴呆症を発症させることで「廃人化」もやっている。
これは、しっかりとした「奴隷化」なのだが、奴隷は自分が奴隷であることに気づかないようにされた歴史を振り返れば、現代の奴隷化はもっと巧妙にしかも「制度」として実行されているのである。
まったくもって、『マトリックス』の世界が現実化している。
さては、赤いカプセルか青いカプセルを選択させられることもないままに、選挙は日程通り実施され、有権者の半数も投票行動をしないのである。
これが利権構造にまとわりつくひとたちに、どんなに有利なことかもかんがえることができないから、やっぱり国民のIQは選挙にあらわれるのである。