1日、臨時国会が召集されて、あたらしい参議院がはじまった。
参政党の代表、神谷宗幣参議院議員と、この夏の参議院通常選挙で初当選した山中泉参議院議員とが、今月訪米しトランプ政権2.0の要人と面談すると伝えられている。
面談相手の名前が分かっているのは、9月に来日が予定されているチャーリー・カーク氏であるけれど、山中氏は長い在米経験とその人脈(空手の師範としてもウォール街の元トレーダーとしても)を活かして、立候補前の民間人のときにすでにトランプ政権1.0の高官ふたりと面談済みの実績がある。
チャーリー・カーク氏とは、いま31歳の年齢ながら、10代のころから保守運動を起こし、全米4000校の大学・高校の保守学生・生徒を組織化し、若者たちの支持によるトランプ大統領二度目の当選に大きく貢献したことでしられる共和党内でも重要人物なのである。
ちなみに、アメリカにおける「保守」と、日本における「保守」は、意味がちがうので注意がいる。
もちろん、共産国家における「保守」なら、極左のことでもある。
さてカーク氏との会談の名目は、9月の初来日に備えたアメリカ現地打ち合わせであろう。
とはいえチャーリー・カーク氏はトランプ政権2.0に加入しているわけではないので、外務省が嫌う国会議員による独自外交(二重外交)ではないといえるよう先手を打っている。
それゆえに、現地で予定外のサプライズな面談があるのではないか?と期待がふくらむのである。
こちらから働きかけてもいないのに、先方から呼ばれた、となればふつうは断れない。
文書による合意がない状況で、日本政府による「関税交渉」はどうなるのか?を評価しにくいのは、あくまでもトランプ大統領の胸先で決まるという建て付けになっているからだ。
つまり、内容の評価よりも先に、外形的に屈辱的なのは否めない。
だが、日本政府(=外務、財務、経産などの官僚)は、とてつもない勘違いをしている。
それは、トランプ関税を、過去の「経済摩擦(たとえば日米構造協議)」の再来だとかんがえる、「有職故実」の発想のことである。
トランプ政権の「世界戦略」どころか、「思想」としての理解を欠く、たんなる実務協議とか関税だけの交渉だとする発想では、とうてい妥結しないからである。
わが国の勉強エリートたちがかくも情弱なのは、そこにエセ・エリート意識たる傲慢があるからで、結果的に相手の真の意向にぜんぜん気づかないばかりか、そこには相手(トランプ政権2.0)をバカにする本性が見え隠れするのである。
なぜならば、大学で学ぶ経済学のなかの自由貿易論からしたら、トランプ政権2.0の「高関税政策」ほど間違ったものはない、という「理論」しか「正義」だと思わないからでもある。
だから、当初、官僚出身の赤沢大臣が豪語した、「まちがいを正す」という発言も、まんざらウソではなく、むしろ本気で言ったのだとかんがえられるのである。
だが、トランプ政権2.0は、経済学音痴ではない。
この政権のレゾンデートル(存在意義)に立ち返れば、過去からの延長で「改善」する帰納法的な発想なのではなくて、演繹的にあるべき姿(常識)に立ち戻る、常識革命政権であることを完全に忘却している。
これも、わが国官僚が育った左翼教育の強力な成果であって、トランプ政権2.0の常識革命こそ、日本の官僚が嫌悪・唾棄する絶対悪のために、考慮すら拒否することからでてきた結果であろう。
マルクス → ケインズ → サムエルソン(新古典派総合) と続く、主流派経済学の流れは、社会主義経済体制の容認どころか、推進なのである。
だから、まったくの異端、オーストリア(ウィーン)学派の自由主義を、文科省が仕切る日本の大学で無視を決め込むから、アルゼンチンのミレイ政権のことも沈黙したままでいる。
こんな状況で、外務省を通さない対米外交をどうするか?の方策=方便としてのアポを入れ、日本の状況をしる相手からの同意をはじめから得ているとかんがえるのが妥当なのである。
しかし、そんな方法論よりも重要なのは、トランプ政権2.0の常識革命を正面から理解した上での関税交渉を現段階で白紙化し、「プレ」でもいいから積み上げるのは、将来の「撤廃シナリオ」に直結するのは当然だろう。
参政党がトランプ関税撤廃に成功した!とみせるのは、トランプ政権2.0にとっても都合がいいばかりか、そうした絵図がもうできているとみる。
おそらくトランプ政権2.0がやっているマインドマップとスケジュール管理における、日本の総選挙をどこに置いて、参政党にはどのような勝利を予定し、その結果としての貿易条件の変更をするのか?に議論は集中するだろう。
その前段としての「面談=面接試験」が、此度の訪米であることはまちがいない、と思料する。
それには、7月31日までの6倍になる関税の痛みをしることで、ようやく気づく鈍感さがそもそも痛いが、その緩和ケアを実行できるのが参政党だけだという刷りこみが用意されているのである。