いつから「食券」ができたのか?について調べると、『白木屋三百年史』にあることが、国会図書館の記事でわかった。
だが、記事によると本当の「発祥」は、日本でいう大正時代の半ばに「海外のデリカテッセンを参考にした」とあって、見本(食品サンプル)を見せて食券を販売したところ、回転率が上がったという。
その「海外」とはどこか?が、残念ながらハッキリしない。
おおむね、パリかロンドンだと推測するばかりだが、質問サイトにおいて、現在これらの都市で「食券」があるとの報告はない。
ただし、パリでは、「クーポン」があるというし、東南アジアのショッピングセンターにおけるフードコートでも「クーポン」は一般的だという。
これも、フランス支配の歴史の流れからなのか?
わたしの少ない海外旅行経験でも、たとえば朝食付きの予約をしたホテルのチェックインで、食券をもらったことはない。
朝食会場には、部屋の鍵をみせればそのまま入場できるからである。
しかし、日本のホテルでは、とにかく食券をもらう。
これは、「戦時経済体制」がいまも続いていることからなのだろうか?と疑いたくなる事例なのだが、野口悠紀雄『1940年体制』(1995年、以降いくつかの版がある)をみれば、けっして冗談ではないことがわかる。
つまり「配給切符」としての「食券」なのである。
もっといえば、「外食券食堂」のことで、「米穀配給通帳」制度共にでき、1951年に国の制度としては廃止されたものの、東京都では「民生食堂」の制度をはじめて(約500軒あったという)「抵抗」をしていたのである。
つまりなんであれ、日本人は、「食券がないと食堂で食べることができない」という訓練をされて、それがいまでも抜けきらない、ということなのだとかんがえられるのである。
そこで、大手外食店チェーンでも、まだまだ「食券」を販売する営業形態が残っている。
「白木屋」ならぬ、横浜育ちのわたしには、「横浜高島屋」の「お好み食堂」で、駅の切符のような「硬券」の食券を、あまたある券種からすごいスピードで取りだして、日付スタンプをつけて売っていたのが記憶にある。
これを、いまでは「自動券売機」でやっているし、決済方法にも電子マネーが加わったのだが、本質的な進化をしているのかどうかは微妙である。
たとえば、マクドナルド方式では、購入した整理番号で自動注文がされるので、客は表示版をみて出来上がったら「証明」として発行された食券と交換する。
これは、「駅そば」のチェーン店でも採用されている。
一方で、単純に「食券販売機」で購入した食券をもって係に渡すと、半券を証明として返してくれながら、そこでの発注となる「むかしながら」も残っている。
ただし、「自動券売機」がデジタル進化をしていて、豊富なメニューの整理が「機械的」なために融通がきかなく面倒くさいのである。
こうした方式の開発に、経営陣がどれほどの興味と利用者の便利さ提供へのこだわりがあるのか?が、見え隠れする。
逆に、自社の管理優先という思想も見え隠れするのである。
白木屋は「回転率が上がった」つまり、売上が数倍になったという効果を実感したろうが、いまの企業は、新規券売機の導入でいかほどの効果を実感しているのか?と問いたくなる。
それは、「売上だけ」をみているのではないか?という疑問につながる。
なぜならば、上に書いたように、「融通がきかなく面倒くさい」と感じたら、もうそのチェーンには寄りつかなくなるという客側の心理を把握していないだろうという疑念なのである。
すると、100年前の白木屋に劣ることを、現代の経営者はなんの疑念もなくおこなっていることとなって、その愚かさに呆れるのだけれども、自分の愚かさに気づかないことの愚かさに、まったくもってサービス業経営としの資質のなさを指摘せざるをえないのである。
この意味で、「工業化に成功した」というマクドナルドの開発方針にブレがない。
とはいえ、わたしがマクドナルドを利用するのは、「コーヒーだけ」であって、「工業的」な食品類は口にしないことにしている。