30円で電車に乗れた時代

ゴールデンウィークがはじまって、旅にでるひともおおかろう。

日本最古の現役の「駅」は、いまの「JR桜木町」(最初の「横浜」駅)で、この駅の構内には戦後の古い写真がギャラリーとして貼ってある。
あたかも、青函連絡船時代の写真が展示されている「青森駅」のようではあるが、「現役」というアドバンテージはおおきい。

その写真のなかに、都市圏の国鉄駅にはふつうだった、ボタンなしで「30円」をいれるだけの自動乗車券売機が並んでいた光景がある。

100円玉を入れようが50円玉を入れようが、ちゃんとおつりが出てくる当時としてはすぐれものだった。

なのでお札しかないと、有人の窓口で切符を買ったものだ。

これで1969年5月10日から、1974年9月30日までなら、区間5Kmまで乗れた。

1974年10月1日から、1976年11月5日までは、3Kmまで乗れた。
なお、5Kmまでなら10円値上げ(33%増)で40円になった。

これを「安い!」というのはかんたんだが、当時の所得と比較しないと、負担感の比較にはならない。
それに、第一次石油ショックは、1974年の1月から怒濤のようにやってきて、ときの大蔵大臣だった、経済の福田(赳夫)をして、「狂乱物価」といわしめたのである。

しかして「石油ショック」とは、典型的な「コストプッシュ型インフレ」であった。

ときに「インフレ」とは、通貨価値がモノやサービスの価値よりも低くなる、逆に、モノやサービスの価値が通貨価値よりも高くなる現象をいう。
だから結果的に、物価が上がるのである。
直接的に物価が上がる現象をもって、インフレとはいわないので注意したい。

それから、トイレットペーパーが商店から消えた、あの混乱は、子供心に滑稽だった。

けれども、コロナ禍でティッシュペーパーが消えたので、日本人は世代を超えてなんら学習なんかしていない。

いまは、自動改札も「タッチ・アンド・ゴー」だし、デポジットを入金しておけば改札で自動精算されるから、いくらかかったのかの金額表示を見のがすと引かれた運賃がわからないようになった。
旅先の駅の料金表示路線図で、自宅最寄り駅までの運賃がわかるとゾッとする。

しかしながら、これは都会に暮らしているからで、人口密度が薄くなる地方では、完全に自家用車が主たる移動手段になっている。

また、地方ほどガソリン代も高いので、地方は都会と比べて物価が安いはずという神話はとっくに崩壊している。
地方のガソリン代が高いのは、製油所からタンクローリーでチマチマ運ばれることの「運賃」も負担しないといけないからである。

アメリカはトランプ政権2.0になって脱炭素なる狂気から「降りた」が、わが国の「自・公・立憲維新れいわ」政権は、その気はなく、売れればなんでもいい自動車会社は、電池を先に買わせる「ハイブリッド車」の燃費がいいと宣伝して、「元」がとれないうちに新車を売ってもっと儲けようとしている。

載せていた電池の処理を考えるのは、産廃業者の役目で、一般人は考えないように仕向けられている。

タクシーなどの営業車ならまだしも、一般人が年に1万㎞程度を走行するなら、乗り潰さないと元は取れっこないから、これに気づいたひとを黙らせるのに「走行税」なる罰金を取ろうと画策している。

日本の政党がほとんど左翼になったのに、どういうわけかJRを、労組の天国だった「国営」に戻そうという話がない。
もちろん三公社五現業ぜんぶにいえるが、林業の国営だけは残存している。

コストがバカ高い、水素自動車なんかに投資しないで、三菱電機が完成させた「超小型原子炉」をどうやってつかうのか?をかんがえたくなる。

情報がすくなすぎて、国鉄は悪の権化のように国民から憎まれたけど、「分割民営化」はほんとうに成功だったのか?をだれも評価していない。
JR東と、JR東海とJR西だけが成功していて、JR北海道、JR四国、JR九州のはなしは中途半端なのである。

そもそも、鉄道は人口密度に依存した事業だ。

電気で走る電車はエコだ、というのは、もはや崩壊したEVがエコだというエセとおなじだ。
新幹線の料金体系でロンドンまで計算したら、いったいいくらになるか?
圧倒的に飛行機の方が安いのは、かかるおカネが機体と燃料と空港維持費しかないからだ。

鉄道は、「鉄の道」を土木と電気配線を中心に、全区間を人力で維持しないと安全走行ができない。
それには、発電所から変電所の維持も含まれる。
ならば、いまの変電所に超小型原子炉を設置したらどうなるのか?

となると、やっぱり国営が有利ではないか?

都市部のJRが儲かっているようにみえるのは、不動産の有効利用も事業範囲に含まれたからで、なんのことはない、付随事業ができなかった「鉄道法」がネックだっただけではないか?

ただし、接客サービスがどうなるのか?は悪化するはずだから、これは民のままにするとか。

さすれば、「30円」で5Km乗れるようにするにはどうしたらいいのか?をシミュレートする価値はある。
ただし、ヨーロッパ式に変えて、近郊区間なら30分料金とかの時間制で乗り替え自由ではいけないのか?

こういうのを、民間の「総合研究所」なるシンクタンクがやるべきだが、どうせならクラウドファンディングでもしたらいい。

役人からもらえる「研究」に依存していると、信用もなくすだろうに、と余計なことをおもう昨今である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.