8年前の反省文が役に立たない

ずいぶん前に「官庁文学」(2018年2月10日)について書いた。

本稿は上に書いた時期よりも前の、2017年(平成29年)5月18日に「産業構造審議会総会」の配布資料として公開された、『不安な個人、立ちすくむ国家-モデルなき時代をどう前向きに生き抜くか』をベースにした同名の文藝春秋から出版された書籍を基にしている。

ちなみに、PDFで公開されたオリジナル資料は、たちまち150万ダウンロードを記録した。

まず、肝心の内容は「よくできている」のである。

それは、さまざまなわが国の現状(プロジェクトは2016年8月に発足)調査における、かつてからの常識に対して正直に「誤解」を認めていることにある。

本プロジェクトが、異例なのは、経産省に入省したばかりの「若手」だけによるものだったことがもっとも注目されるポイントである。
むろん、このプロジェクトは、「正規」のものなので、経産省の事務次官肝入りのものであったことも注意したい。

わたしが注目したいのは、この中に、国民の「漠然とした不安」なる記述があることだ。

この言葉は、芥川龍之介の久米正雄へ送った遺書で、全集にも収録されている『或旧友へ送る手記』(昭和2年4月16日)で、実際に生害した7月24日から3ヶ月ほど早い。
けれども、この言葉は当時でも世間とくに若者世代に衝撃を与えたことが記録されている。
この時点で20歳だとしたら、それは明治40年生まれ前後の世代をさすのである。

物心がついたら、大正期だった世代であるし、自分から35歳でこの世を去った芥川に対して、この世代が昭和16年前後に入営しているとすると、ほぼ芥川と同年代になっているのである。

日本人は、いつから「文学は役に立たない」と決めつけたのか?わたしには不明だが、「実学」を重視して「漢学」を棄てた福沢諭吉の影響かとおもっている。
この意味では、わたしは明治初期の焦りだとして捉えるべきで、21世紀になっても実学をして「学問」というのには、文句をつけたくなるのである。

一般に、科学を三つに分類している。

自然科学:物理学、化学、生物学。。。
人文科学:文学、歴史学、哲学。。。
社会科学:経済学、心理学、社会学。。。

古代ギリシアの時代から中世までの長期間は、哲学を最高に据えてなお、その上に人智の計り知れない領域として神学をおいていた。
この学問秩序に大変革をもたらしたのが、デカルトである。

我思う、故に我あり。

とは、現代の「証拠がなければ証明できない」に通じている。

だから、文学が役に立たないとなったのだから、浅はか、としかいえないのである。
この世を人類社会と位置づければ、幸福の追求という命題すら、「幸福論」を必要とし、その存在を証明しなければならないし、個々人の幸福をそれぞれに定義して証明することは不可能だ。

つまり、これこそが不幸のはじまりなのである。

しかし、進歩派なる独断主義者たち(大方がグローバル全体主義者である)は、「多様性」なる政治用語を用いて、証明できそうなことを他人に一方的に押しつける。
これは、「単一性」であって、けっして「多様性」とはいえないが、ダブルスタンダードがふつうの思考なので、なんの矛盾もないと信じている。

これは、キリスト教に取って代わる新しい宗教なのである。

その宗教の社会に蔓延する邪教性を嗅ぎとった一般人が、「漠然とした不安」を抱くのだろう。

このことをピシャリといいあてた芥川の感性こそ、文学者の「文学」たるゆえんである。

100年経っても、人間の感性に変化がないので、いまにも通じるのであって、これを浅はかな「科学」で解決しようとすること自体に、進化を認めることができない。

いつまで経っても、「漠然とした不安」があり、ついには破局へ向かうのは、人間社会の中に潜む「物理学」の法則があるからであろう。

さすれば、答は、文学にある。



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