8月15日の盂蘭盆会

わが家が檀家の天台宗寺院では、この新暦8月15日の午後が盂蘭盆会施餓鬼法要の定番行事となっている。

ために、年4回のお布施を差し出すのがしきたりだ。
元旦は新年祝賀、春・秋のお彼岸、そして施餓鬼法要のことである。

いわゆる「お盆」は、この時期という慣習で、そのまま世間には「お盆休み」が普及した。

だが、本来なら旧暦の7月15日(道教では「中元」という)を指すために、宗派によっては新暦の7月15日だったり、8月15日だったりするが、今年なら新暦9月6日が旧暦のその日にあたる。

ちなみに、今年の新暦8月15日は、旧暦で閏6月22日である。

しかして、80年前の8月15日が「停戦日 ➡︎ 終戦」となったことから、本来いつでもいいとされる「施餓鬼法要」と、中元の時期がきまっている「盂蘭盆会」が結合したのである。
ために、わが家では東京九段の靖国神社への参拝をせずに、「仏式」の「施餓鬼」をもって広く先祖・先達を供養しているのである。

ときに、わが国には「靖国問題」という分断がある。

この問題の根源は、明治新政府とは何者か?というあんがいと厄介な疑問へとさかのぼるのである。
なぜなら、戊辰戦争の犠牲者を祀ることからはじまるために、新政府から「賊軍=朝敵」とされた人びとの霊は除外されている。

そこで、2013年にはこれらを「合祀」する案が浮上したものの、いまだに実現されていない。

これは、今年、明治158年になるに及んでいまだに、明治政府とは何者だったのか?が決着していないことの証拠にもなっている。
つまるところ、「賊軍=朝敵」という概念の整理のことであり、ときの政府に与しない者への差別が残っている現実があるのだ。

あくまでも「国内問題」として「靖国問題」を解決しようとするなら、第一の壁がこれである。

いま、ヨーロッパで神社神道への興味と普及が過去になく著しいというが、その根拠に神道の他宗教に対する「寛容さ」が第一と挙げられているそうな。
しかしながら、明治新政府が推進した国家神道は、「廃仏毀釈」の不寛容さをもってあたかもフランス革命のごとく伝統破壊を実行したのである。

なんだかヨーロッパの左翼が、DEI(Diversity、Equity、Inclusion:多様性、公平性、包括性)といった、 ポリコレの材料に神道を持ち上げて利用しているようにしかみえない残念がある。

しかし、わが国の左翼・現政権が続く限り、靖国問題の解決が困難だとおもうのは、明治政府の国民に隠蔽された本来の性格たる、英国の傀儡、という位置づけを、アメリカ民主党(DS)の傀儡たる現政権が正せるはずもないからである。

15日、参政党は党を挙げての集団昇殿参拝を実施した。
国会議員全員と、地方議員のあわせて88人だった。

党代表の神谷宗幣参議院議員は、上で指摘した問題の所在を認識している。

今後、戊辰戦争以前からの「賊軍の合祀問題」をどうするのか?も、あらためて注目されることとなると予想するのは、同党が掲げる「日本人ファースト」との整合性にかかわるからである。

そして、もうひとつ「靖国問題」に横たわるのは、「開戦理由」すなわち「戦争目的」の曖昧さという一大問題の存在である。

いま注目されている資料に、アメリカ人によって告発された『オレンジ計画』がある。
また、出版されては絶版を繰り返した、マッカーサーによる発禁本、『アメリカの鏡・日本』もある。

これらの書籍と、どう向き合うのか?さえも、現代日本人が自ら問うべきものなのである。

すると、「歴史修正主義」とはなにか?に行きあたる。
いわゆる「戦後論壇」の常識を覆す批判としての悪名であるが、そもそも「戦後論壇」こそが歴史修正主義ではなかったか?という逆転にもなるはなしなのである。

その原材料が、トランプ政権2.0によるアメリカ機密文書公開でにじみ出てきている。

日本時間の16日、アラスカでは15日の「対日終戦記念日」に計画的にあわせて実施されたのは、前回からおなじ顔合わせで4年ぶりとなる米・露首脳会談であった。
例によってマスコミが「合意に至らず」とこればかりを宣伝しているが、トランプ氏は「ほんのわずかな違い」と言ったのであって、その違いがなにかまで言っていない。

及川幸久氏が会見の模様をカットなしで全訳をつけてくれている。

なぜに米・露首脳は「対日終戦記念日」をわざと選んだのか?に、ハッキリしたメッセージをみるのは、戦争を仕掛けた側と、仕掛けられた側との軋轢パターンが、現代のウクライナとソックリおなじだからである。

しかもトランプ氏は仕掛けた英・米の戦争屋たち(具体的には、チャーチルとルーズベルト政権のこと)を暗黙の内に非難し、仕掛けられた日本は敗戦の憂き目をみたが、ロシアはなぜに勝利したのか?の奥深い政治的デモンストレーションなのだと、とくに日本人は気づかないといけない。

すなわち、ウクライナの戦後処理問題はすっかり合意済みで、「その先」についてのごくわずかな違いがあったという意味にしかとれないのである。
しかも、プーチン氏から英語で、「次回はモスクワで」と呼びかけたことの意味は、戦争屋たちへの痛烈なパンチとなることを承知の演出であろう。

こうやってみると、日本人の戦後80年の無反省は、まさにポリコレの結果なのだと両首脳が教えてくれているのであって、ここから察するに、「わずかな違い」とは、日本がからむ東アジア戦略のことではないか?ともおもわれるのだった。

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