民間でよくある「サクラ(詐欺)」のことである。
この言葉の語源は、歌舞伎関連の逸話からだという。
タダで入館・観劇できるかわりに、掛け声をしたり場を客席から盛り上げるのだが、桜の花見は「タダ」だということと、その場かぎりのパフォーマンスが桜の短い散り際とに掛け合わせた言葉だという。
舞台での演技がイマイチであっても、「客」の一部でも盛り上がっているのを通じて、会場の雰囲気を意図的に変えることができるから、主宰者はコストをかける意味がある。
ただし、あんまり「サクラ」が頑張りすぎるとかえって「やらせ」だとバレてシラケるリスクはある、
「タダ」といえば、むかしのひとは「薩摩守」と言っていた。
これは、『平家物語』の一ノ谷の合戦で散った、平忠度(たいらの「ただのり」=無賃乗車)の官職が、薩摩守だったことにちなんでいる。
「掛詞(かけことば)」とは、和歌の伝統でもあるから、なんだか優美な感じがするけど、いわば言葉遊びでもある。
こうしたことが、庶民にも理解できたし、江戸の庶民なら「連歌」だって楽しんでいる。
弥次さん喜多さんの珍道中で大ヒットした、『東海道中膝栗毛』でも、事あるごとに連歌趣味からの狂歌を捻り出しては笑っている文章を、読者は笑いながら読んでいたのだろう。
また、『平家物語』にしても、一般庶民がしっていたのだから、むかしの日本人の教養は、学校がなかったのにいまよりもずっと高い。
それもこれもラジオやテレビがなかったことのおかげであろう。
しかし、いまの10代から20代の若者たちは、ほとんどテレビを観ていない、という調査結果がある。
「Z世代」があんがいと優秀である,という評価は、テレビを観ていないことが要因になっているのかもしれない。
とはいえ、テレビを観ない時間を勉強にあてているということでもなさそうで、SNSのためにスマホを手放すことがないのである。
それで、短い文章による「会話」を楽しんでいる。
これはこれで「狂歌」の伝統回帰、といえなくもないが、コミュニケーション力が高まっているというほどでもなく、かえって誤解が誤解を生んで、対面するのが鬱陶しいらしい。
こんなトレンドに目をつけた、自治体が、観光宣伝のために補助金予算をあてて、ひとり1本の投稿で、2000円の宿泊補助をくれるところがある。
「サクラ」を引き受ける客はひとりあたり2000円も安くなるが、宿側は客に「サクラ」を依頼する手間がかかるので、役所からの補助金の実態は、2000円だけなのかどうかは客にはわからない。
宿の経営として、自店の「サクラ記事」をSNSにカキコしたらお土産がもらえるとか、ネット通販で、高い評価点をつけてくれたらキャッシュバックがあるとか、業者と客との間での「サクラ」は、企業倫理の問題であってもそこまでのことだ、と割り切ることもできるが、本当の評価ではなくウソの強要なら、これはこれで「詐欺の教唆」となる。
だが、自治体が予算(公費)をつけてこれをやるのは、言論の自由を阻害する「憲法違反」が疑われないか?
ちなみに、客は「投稿」だけでなく、役所への「補助金申請署」の提出もさせられるのである。
これは赤の他人を騙す罪なことだと、客も思わない社会は、弥次さん喜多さんの時代より、やっぱり退化しているとかんがえていい。