夏休み 城崎まで その1

どこもかしこも寂れた街がつづく.
このところ,なるべく高速道路はつかわないで,一般道路で移動している.
高速道路は,街を点として,点と点をつなぐ機能にすぐれているが,その地域に住むひとたちの暮らしをかんじることはほとんどできないという欠点がある.

一般道路は,通過するだけでも変化をかんじる.
国道ならば,全国チェーンの店もあるが,地元ローカルも点在するし,県道や市道になると,住人の息吹を街並みから垣間見ることができるような気になるから楽しい.
もちろん目的地まで時間はかかるが,それが旅というものだとおもえば,時間の節約はかえって野暮になる.

今回は,初めてずくしである.
長野県の伊那から中央道に乗ったものの,東小牧で一般道にはいった.ここからが「初めて」になる.
向かうのは,琵琶湖沿岸の長浜城近くの宿である.

夕食は宿ではとらずに外に出た.
夕方といえども,日中の灼熱が続いているから,とにかく暑い.
秀吉最初の居城としてしられる長浜城は,市民有志によって「再建」されたというが,残念なことに鉄筋コンクリート造りである.

市をあげて,秀吉の自慢はわかるのだが,長浜城のかつての姿はいかなるもので,それが城下として,現在の街のひろがりにたいしてどう比較できるのかかが,さっぱりわからない.
街を歩いていると,突然,「大手門跡」がでてきたりする.かつての城の大きさが忍ばれるとはいえ,例によって,他地域のひとにやさしくない.

朝,城のある公園をひとまわり散歩してみた.
すると,琵琶湖に沈んだ位置に,「秀吉の井戸」の遺構があった.
看板には,それを矢印でしめすだけで,なぜいま琵琶湖に沈んでいるのかわからない.
ここに井戸を掘るとき,そして完成したとき,秀吉本人がそれを直接みて大喜びしたにちがいない.
そんなことをより具体的に想像させる,材料がどこにもない.

しばらく歩くと湖畔に,ビニール袋が膨らんで落ちているのかと見間違えるものがある.草を踏んで近づくと,ガラスでできたボート型のオブジェで,「琵琶湖周航の唄」の記念碑であった.
これにも,なんの説明がない.
悲惨なボート事故に唄われる「地名」に長浜があるからなのか?
不明である.

そこから30mほどの場所には,長浜城の巨石の遺構がある.これには,発掘にかんする説明があった.
この公園の「埋め立て工事」によって発見されたとあり,その配置が刻んであるが,なぜか縮尺がない.それで,どのくらいの大きさだったかが,わからない.

わかったのは,公園を管理する市役所の看板がバイリンガルで,日本語とスペイン語だったから,この周辺にはスペイン語を話すひとが英語を話すひとより多そうだということだ.
いまはヤンマーの城下町だから,その影響なのか?

それに,ボランティアによる「ゴミ箱の(必要)ない豊公園に向かって進んでいます.」という不思議な看板と,花壇にあった市役所の「花を持ち帰らないでください」という看板が,妙に印象にのこった.
ゴミとともに,花も持ち帰るひとがいるのだろうか?
そういえば大阪のホテルが開業したときも,周辺に飾った花を近所のひとが鉢ごと持ち帰っていたのを思いだす.
係員が注意すると,「えっ!あかんのか?」という報告があったから,花の愛で方が関東とちがっていた.

琵琶湖が見渡せる場所から,沖合に「林」のようなものがみえた.あれはなにか?
ここからなにが見えるのか?
案内表示はどこにもない.
さっぱりした公園だったが,ドイツのディーゼル博士とヤンマー創業者の胸像がならんでいて,そのいわれと姉妹都市の説明は詳しかった.

出世に邁進した秀吉の,サービス精神が微塵も後世に伝わっていないことだけがわかった,という収穫があった.
ときに,長浜市は市議会選挙のまっただ中でもあった.
おそらく,何も変わらないのではなくて,何も変えたくない,ということを確認することになるのだろう.

わたしの人生で,あと何回この地を訪れることになるのかわからないが,個人的理由で積極的に訪問することはないだろう.

たまげる映画「原子力戦争」

40年前の1978年(昭和53年)の作品である.

だから,監督も出演者のほとんどがすでに鬼籍にある.健在なのは風吹ジュンひとりか.
原作者は,こちらも健在の田原総一郎氏.これは,もしかしたら氏の生涯における傑作かもしれない.残念ながら,わたしは氏の作品の読者ではないが.

舞台はあの,「福島第一原発」とその城下街である.
この映画には,わが国の世の中の構造が,みごとに圧縮して描かれている.
税収と街の行政,国家の意思としての警察,町民の暮らしと漁協,そして体制内の新聞社.
突撃撮影した原発入口での映像部分は,アポなし「ドキュメンタリー」であるという.
そこにいる,本物の警備員の対応のなんと「現代的」なことか.

DVD映像特典の田原氏によれば,このとき,監督は主演の原田芳雄が「逮捕されればよかった」と思っていたのではといい,本物のパトカーが何台も来たら迫力があったろう,と回想している.
物語は,連続殺人事件と原発事故の隠蔽工作が重なりながら進行する.
ラストにおける「犯人」の種明かしの衝撃.
なんとも盛りだくさんな映画である.

1973年(昭和48年)の石油危機は,翌年の74年になって日本に波及した.
このブログにも書いたが,「オイルショック」が高度経済成長を止めてはいない.本当は,田中角栄内閣による,無用のバラマキというムダが日本経済の成長を阻害したのである.

そして,イラン革命による「第二次石油ショック」は,1979年(昭和54年)におきるから,この映画はその直前にできた.
ちなみに,日本は優秀な経済官僚たちのおかげで,世界で唯一この危機を乗り切って,80年代の絶頂へと向かったことになっている.
しかし,実態はホンダ・シビックが象徴するように,経済官僚からのさまざまな嫌がらせを克服して開発し大成功したのだから,嫌がらせがなかったらもっとよかったろう.

岡田英次演じるところの「原子力の大権威」の台詞は,まさに電気事業連合会と経産省の主張そのもので,通産官僚だった堺屋太一の出世作「油断」は,すでに1975年に発表されていた.

2011年3月11日の地震の前と後とで,この映画の鑑賞における条件がかわるのはいうまでもない.
「前」なら,さもありなんの「反原発」を描いた社会派サスペンスになるのだろう.
ところが,現実が突きつきた「悪夢」以上の,人類史上「最悪」を目撃し,その始末がどうなるのか「わからない」まま,生きているわれわれに,この映画が突きつけるものは,「まだ甘い」のである.

専門家によると,後始末の時間単位は,「千年」から「万年」.
期待できる新技術に「百年」という単位がつかわれている.
費用は,計算できない.
しかし,もっとも深刻なのは技術者の育成で,「廃炉」の専門家のなり手がいないことだ.「百年」から「千年」単位で,どうやって技術者を引き継いでいくのか?
にもかかわらず,政府は「原子力の安全性は確認された」というからおそれいる.

福島第一原発は白くそびえ,それは科学技術という権威の象徴でもある.
対比される街は貧しい漁村だが,原発からの税収と,なんだかわからないけど,「事故」のたびにでてくる「漁業補償」という金づるは,工事関係者というよそ者の流入もくわえて,他に産業がない街の夜までも賑やかにする.

漁業をしなくても漁業でたべていけるようになれば,麻薬中毒より快適な暮らしである.
しかし,映像の街は,もうない.
だから,この映画の映像は,「かつて」の街の様子を撮影した「資料」にもなっているはずだ.

完全なる「依存」.
それは,戦前・戦中の「英米撃つべし」という民衆の大合唱に迎合した政府が決断し,敗れれば,政府の無責任をして,責任を転嫁するパターンのごとくでもある.
それで政府は,いかに「依存」させるかが,政策の成否の決め手であることを熟知している.
これを,古来「アメとムチ」といった.

忘れるのはいつも民衆のほうである.
「アメ」しかみない.
「アメ」しかみせないやり方に,まんまとはまるのである.
これを「利益誘導」というけれど,えさにつられて罠にはまる獣のような扱いをうけているのに,あとから「ムチ」で打たれてはじめて気がつくから,これらの人びとを「愚民」という.
それに,なんどもおなじやり方(政府はこの方法しかしらない)で,痛いめにあいつづけているから,ぜんぜん学習しないのである.

つまり,問われているのは「社会システム」そのものである.
この映画は「警告」にすぎなかった.
しかし,現実が物語をいとも簡単にこえたいま,「警告」として済ますことはできない.

大権威の岡田英次の博士はいう.
「(確率論から「メルトダウン」なんて)隕石にぶつかるようなものだ」
われわれは,隕石にぶつかってしまったのか?

そうではない.
「隠蔽体質」という習慣が,非常時にマニュアルの存在を忘れさせた.
われわれには,巨大な原発を製造できても,原発という巨大システムを運転することができない.
「ものづくり」の限界がここにある.

それにしても,登場人物がそろいもそろってよくたばこを吸うから煙たい映画でもある.
これも,現代の「禁煙ファシズム」を予感したのだろうか?

たまには,こうした重い映画で「たまげる」のもいいだろう.

種明かしをするマジシャン

マジシャン,むかしなら「手品師」が,いちど演じて拍手を得てから種明かしをして,もういちど拍手を得ることがある.
その見事な手さばきは,種が明かされたといっても,決して見劣りしないし,その場でやってみろといわれても,にわかに自分の手がいうことをきかない.

もちろん,一流で有名になったマジシャンがする,種明かしをしたマジックは二度とつかえないから,あらためてかんがえれば,すさまじい「自信」である.
こんなの「朝飯前」という余裕と,種はいくらでもあるという余裕なのだろう.
その発想の柔軟性に,驚くばかりである.

むかし勤めていたホテルで,顧客を対象にしたマジック企画をやったことがある.
少人数限定で,会場は個室をもちいた.
演目は二部構成で,第一部はプロマジシャンのテーブルマジックショーである.
第二部は,プロが市販の手品グッズの模範演技をしてから,二種類をお客様が選んで,これをマスターしてもらうための指導をする,という内容だった.

フリードリンクにしたが,だれもおかわりをしない,珍しい事象が起きた.
皆様それどころか,マジシャンの手許に「集中」していた.
第二部は,事前におもちゃの手品グッズでこれからどれかをマスターしていただく,と案内したのに,ショーの延長だと勘違いするひとがたくさんいた.

いよいよ,自分が選んだおもちゃでやってみるのだが,なんとも無様なのである.
それを,プロが丁寧にアドバイスすると,終了の頃には皆さん様になっていた.
その満足度は高く,スタッフにまで厚い礼を頂戴した.

おもちゃといえども,ちゃんと練習すると,すばらしい演技ができるものだ.
その種は,わかってしまえば実に他愛もなく,子供だましのようであるが,自信たっぷりの手さばきと組み合わさると,おとなが口を開けてしまうものに変身する.
これが,趣味としてマジックを愛好するひとたちのやめられない理由だろう.

すばらしい旅館も,これに似ている.
ほんのわずか,お客様の要望を先回りしてやってくれることが,いわゆる「気遣い」であって,それがたいへん心地よい.
その心地よさにうっとりする姿をみることが,サービス提供側のやめられない理由だから,マジックとおなじなのだ.

だから,すばらしい旅館には,種も仕掛けもたくさんある.
お客様に,「種も仕掛けもありません」ということまでマジックとおなじだ.
その種や仕掛けは,どうなっているのか?
じつは他愛もないことであることがおおい.

しかし,サービス手順のいたるところに種と仕掛けがあって,そのうちのいくつかを,地雷のようにお客が踏むと,この地雷は心地よさを爆発させる.
いい宿は,これらの種や仕掛けを,ドンドン仕込んでいる.

ちょっと前までは,アナログで仕込むしかなかったから大変だった.
秋になってリスが餌を地面に隠す行動をするが,そのおおくが忘れられて,春に発芽する.
木の実というリスへのご褒美で,いくつかを地面の適度な深さに埋めさせる木々の戦略は,おそろしくよくできている.
しかし,人間がやる仕込みは,忘れてしまうと結果が出ない.

いまはデジタルの時代だ.
おかげさまで,デジタルだと検索が簡単にできる.
それで,せっかくの仕込みを忘れないですむし,思いださせてもくれる.
これは便利な時代になった.

ところが,アナログだろうがデジタルだろうが,お客様のちょっと先をいく種と仕掛けをあらかじめ仕込んでおこうという「意志」がなければ話にならない.
つまり,この「意志」の有無こそが,その後の明暗をわけるのである.

マジシャンから,すごいことが学べるものだ.

先進国ビリなのに一流だと疑わない傲慢

「謙虚」だけが取り柄だったはずの日本人から,謙虚を取り除いたら「傲慢」しかのこらなかった.
これが「バブル期」の有頂天で入れ替わった精神の軌跡ではないかとおもうことがある.
「バブルが崩壊」しても,傲慢さだけがのこったのではないか?
そうでなければ,30年も費やして,ほとんど学びがないことの理由がみつからない.

「永遠なるもの」を信じるという宗教感覚に,疑いを持つものは皆無である.
自分の会社も,家族も,はたまた自らの存在も,永遠につづくものとして疑わない.

ちょっとまえに,中国や韓国から「歴史を学ばないものに未来はない」とイヤミをいわれて,ムッとしたことがある.あんたたちから言われたくない,という論調が大勢を占めた.
しかし,言ったひとではなく,言われたことの中身はその通りである.

経営不振の企業の特徴は,みごとに自社の歴史を無視しているか気にしていない,あるいは気にとめたこともない,ということが指摘できる.
むかしの「お店(おたな)」は,この逆である.
世界でもっともおおく社歴が古い会社があるのが日本である.ところが,さいきん,古い会社の倒産がめだつようになった.

「歴史を学ぶ」ことと,「昔からのやり方を単純につづける」こととは別である.
伝統企業の歴史の中には,かならず「アバンギャルド」なときがある.
創業時しかり,中興期しかりである.
時代の最先端を切り開くことで,おおくの伝統的な「お店(おたな)」は生きのびてきた.

秋田県の国指定伝統的工芸品である「樺細工」の相談をうけたとき,あらためて「樺細工」そのものと「作り手」・「買い手」の関係を歴史的に整理した.
おおくの伝統的工芸品がそうであるように,じつはこれらは「日用品」あるいは,その分野で突出した「技量」の品々である.けれども,つきつめれば,「使ってこその価値」であって,美術館に収蔵される目的で製造されてはいない.

すると,伝統的工芸品が「売れない」理由は,現代生活の中で「日用品」としてのつかい勝手がズレたことにあるとかんがえられる.
だから,現代の生活シーンにあわせた改良が求められることになる.
また,材料の材質などの特性が,現代人に忘れられたこともあるから,「機能性」の説明はなくてはならない.
しかし,もっとも重要なのは,そのものを「所有する喜び」を買い手に持ってもらうことである.

これが,サービス業になると,さらにハードルはあがる.
その「お店(おたな)」を,「利用する喜び」の提供をどうするかになるからだ.
さらにこれは,伝統的なお店も,新しいお店もおなじ土俵のうえでの競争だ.
じつは,昔から街にある食堂も,この競争から逃れることはできない.

夫婦で営むような小規模店を開業させるとき,ここに注目して店舗設計するひとはあんがい少ない.
自分のやりたいことが前面にたつのである.
しかし,人口が減りはじめた状況で,ながく商売をするには,もはや欠かせない検討ポイントになっている.
だから,外国に出店するようなつもりで計画をつくると,気がつく点がある.

生産性の議論が,「働きかた改革法案」の国会通過で一段落がついたようにみえる.
しかし,現場感覚ゼロのこの法律が,生産性を向上させることになると本気で期待するひとはいないだろう.
単価 × 数量 = 売上
という公式が,日本政府の政策にはほとんど考慮されていない.

オリンピックのはなしも,民泊のはなしも,あわせて訪日外国人のはなしも,日本政府は,すべて「数量目標」しか掲げないのだ.
「単価」のはなしが決定的に欠落しているのは,政府の役人が「売上」をしらないからか,「売上」なぞという卑しい「商人」の感覚にふれると,卑しさが感染するとでもおもっているかである.

これには,「学会」もからむ.
政府の政策の諮問には,かならず学者が呼ばれて,審議する仕組みになっている.
優秀な学者ほど,難関大学 → 難関大学の大学院 → そのまま講師 → そのまま助教授・准教授 → そのまま教授,という順路になるから,ビジネス経験が皆無なのは役人とおなじである.

結局のところ,「官」と「学」という優秀なひとたちに,優秀でない「産(業界)」と「労(働界)」が言い負けた,という構図だろう.
この国の「官」と「学」に巣くう「傲慢」が,先進国ビリの生産性を改善できないばかりか,足を引っぱる元凶であることが,「法律」からみえてくる景色となった.

「国家資本主義」をやりたいなら,「官」と「学」が中心ではなくて,「産(業界)」と「労(働界)」を中心にして,これを「官」と「学」が支えるという構造転換が必要だ.
つまり,この国は「国家資本主義」などという大仰な体制などではなく,単なる「官僚制社会主義」にすぎない.

世界史から社会主義が沈没して30年弱.
まだ本気で社会主義をやっているのは,とうとうわが国だけになった.
「歴史を学ばないものに未来はない」
先進国で唯一のデフレ経済,先進国ビリのサービス業生産性,これらの元凶は,社会主義国だからである.

おそるべし,社会主義の非効率.
おそるべし,傲慢なる精神.
日本の沈没をよろこぶ国はおおい.
現体制に甘言を言う外国人・外国政府は,ゴットファーザーのラストのように,「裏切り者」である.
EUは,日米の二極体制に対抗して生まれたことも,「歴史」である.

現体制を維持するには,鎖国しかないだろう.
世界がうらやむ貧乏に,みんなでなる.
上野千鶴子の夢が現実になる.

日本はEUから離脱できない

英国で,EU離脱相につづいて外相までが,メイ政権のEUとの穏健路線を批判して辞任したというニュースがやってきた.これぞ、「政権を揺るがす」大ニュースだ.
以前,「日本はEUに加盟できない」ことを書いた.だから,離脱もできないのだが,もしも,EUに加盟していて,それに不満があったとしたら,果たして英国のような選択はわれわれにできるのだろうか?
おそらく,できないだろう.

無意味な議論ではあるが,これをシミュレートすることで,わたしたちの国としての姿と,わたしたちの国家観がみえてくるはずだから,ムダではなかろう.

そもそも,英国がEUから離脱するとした予想は,わが国ではほとんど冗談扱いだった.
しかし,英国人の友人は,EUに対してどう思っているのかをわかりやすく以下のように説明してくれた.

「首都が北京で,最高裁判所がソウルにあるようなもの」.
それで,「東京の『国会』で決まったことが,北京の官僚に否定される」ような状態で,最高裁まで訴えても,「反日世論」でつぶされるのを受け入れるしかないのだけど,これ,日本人は耐えられるか?と.
実際の首都はベルギーのブリュッセルで,裁判所はルクセンブルクにある.

今年の7月2日だから,8日前になるが,EUはポーランドの最高裁判所の判事の任期に関する国内法について,「EU憲法」と「EU条約」に「違反」しているとして「違反手続き」にはいった.つまり,これから「EU官僚」によって是正処置が「命令」されることになるはずだ.
英国人の友人のいうとおりのことが現実なのだ.

「国家の独立とはなにか?」という,抽象的できわめて政治哲学的な議論が,いまこの時間に,わが国の裏側にある英国という地域で激論がかわされている.ついでに,陳腐ではあるが「民主主義」下における決定についても議論されているのは当然である.
なにしろ,国会で決まったことが,「首都の官僚」から否定されたら,審議のやり直しをしなければならないから,「国会」も,「議員の選挙」も,なんだったのか?になってしまう.

歴史的に,「名誉革命」を経てつくりあげてきた「民主主義の本家本元」として,英国人の気質にまったく合致しないのがEUなのである.
それで,今回辞任した外相が,「英国はEUの植民地になる」と警告したという.
大英帝国として,植民地とはなにかを知り尽くしている経験があるから,これは言葉遊びではない.

さて,おそらく日本という国にあてはめたら,こうした英国での議論とはまったく裏腹に,「経済価値」だけの視点で議論されることだろう.
昭和40年代に,「エコノミック・アニマル」と諸外国からいわれたことが思いだされる.
パキスタンのブット首相による「褒め言葉」という説もあるが,そのニュアンスで広まってはいない.

ちなみに,「平成の米騒動」(1993年:平成5年)として記憶にのこるタイ米との抱き合わせ販売が常態化したとき,タイ米の不味さがとにかく話題になって,とうとう白米しか食べずにタイ米を廃棄するという事態が出現した.
このとき,パキスタンをはじめとした途上国は国連で「日本は不道徳な国だ」といって日本を名指しで批難したが,日本での報道は皆無だったから,おおくの国民はしらないだろう.
ついでに,タイ米の調理法もしらなかった.

不足トン数を埋め合わせるだけの目的で,札束切ってタイ米を買いあさったため,米の国際価格が一気に高騰して,途上国では深刻な食糧不足どころか栄養不足になっていた.その米を不味いといって廃棄する国は,たしかに不道徳である.

まったく同じことを昭和14年にも日本はやったが,これを記憶しているひとはもういない.もしかしたら,ブット氏は覚えていたかもしれない.加害者は忘れ,被害者は記憶する.
この件で,日本は一時東南アジア諸国の信用を失ったが,平成の米騒動は日本という国の野蛮性を再確認することになった.

EUから離脱したら,「損」か「得」か?
この議論には,「独立国家」という概念がみじんもない.
金勘定しかできない国は,世界から尊敬を得ることはできない.
そして,「寄らば大樹の陰」とばかりに,盲目的にEUに依存するなら,それは「事大主義」にすぎず,まさに「植民地になってしまう」おそれがあるが,だれも気にしないだろう.

日本はやっぱりEUから離脱できない.
EUに加盟できなくてよかった,ということだ.
しかし,あらためて書くが,日本がEUに加盟できないのは,地域要件を満たさないことだけではなくて,経済要件も満たさないのだ.

あんのんとはしていられない.
これが現実である.

幻想の「魚食い」日本人

以前,日本人はコメを食べてこなかった,という話に触れた.
これに加えてじつは,日本人は魚をそんなに食べてこなかった.
たくさん食べてきたのは,漁村周辺であり,それ以外の地域や山間部では,めったに口にできなかった.

1960年からの数字がある,農水省の「食料需給表」によれば,最大値は2001年である.
百年前の1911年から25年の1人あたり消費量は年間3.7㎏で,2012年では30㎏弱だから,いまは8倍ほども魚を食べている.逆にいえば,むかしはそんなに魚を食べていないのだ.
なぜか?

冷凍・冷蔵技術の発達がささえる流通網と,家庭の冷蔵庫がこたえである.
わたしが中学生のころ,群馬のいなかにマグロの刺身をもって親戚各家を訪ねたことがある.健在なうちにと,祖父の兄弟たちを巡る旅であった.
父が運転する自動車のトランクに,たっぷりの氷を詰めたアイスボックスで運んだ.
関越道は前橋ICまでで,まだ全線開通してはいなかった.

行く先々で,祖父のそっくりさんたち(すぐしたの妹のおばあさんが一番似ていた)が出てきて,かならず歓迎の宴会となった.そこで,持参のマグロの刺身を一口つまむと,たいがいの兄弟たちが涙を浮かべてよろこんでいた.
子どものわたしには,大袈裟におもえたが,全員がそれぞれに「こんなに新鮮なマグロの刺身を生まれてはじめて食べた」と言っていたのを珍しく聞いていたから覚えている.

その当時はもう,横浜あたりではふつうの食べ物だし,どこにも珍しさはなかったが,関東地方の群馬あたりでも,内陸部ゆえに魚を刺身で食べることは,そうとうに珍しかったらしい.
だからか,憧れとしてのマグロは,いまではあの草津温泉でも出てくるし,同じく海のない山梨県は日本一のマグロの刺身の消費量を誇っている.静岡から運ばれたマグロが,反対側の富士山の景色をめでながら食されているの図である.

テレビやマスコミの功罪のうちの罪として,旅番組恒例の「地元で水揚げされた豊富な魚介類」という紹介は,絶望的な現実に幻想をあたえるだけの「魔語」である.
日本でとれる魚は,ほとんどなくなったというのが現実だけど,ふつうの生活ではみえてこない.

小田原の駅前には,むかしから有名な干物屋がある.いまでも盛況で,混雑時には店内にすらなかなか入れないほどだが,まじめな経営者がしっかり産地を表示してくれていて,そこには地元小田原漁港も相模湾の神奈川県の漁港も,はたまた日本の地名も皆無である.
あたかも,世界旅行をしているような様相で,できれば世界地図で確認したくなるしらない国もあったりする.

ウィキペディアによると,2016年4月1日現在で,国内には2886の漁港がある.
どれほどが採算に適しているのか,かんがえるだけで気が遠くなりそうだが,戦後の食糧難を支えるために,貴重な動物性タンパク質をいかに確保するのか?という「国策」が,途中でブレーキをうしなった結果だろう.
暴走列車ならぬ,暴走建設になってしまった.わが国の海岸線は立派な漁港ばかりになっている.

そんな漁業者を「救う」ために,こんどは獲るだけ取れるという制度の暴走で,肝心の資源そのものがなくなった.
産卵エリアに大挙して網を張れば,そのうちどうなるかはだれでもわかるが,かつての山本リンダのヒット曲のように,「もうどうにもとまらない」で,廃業を余儀無くされるまで獲りつくしたのは,「強欲」で智恵がなさすぎた.
しかし,この「強欲」の一端は,われわれにも責任がある.

「産地表示」は,販売者への義務となってのしかかるが,加工者にはまだ甘い.
だから,海沿いの旅館は「地物」といってごまかせる.
瀬戸内の静かな旅館で,すばらしい中トロの刺身がでたので「瀬戸内でマグロが獲れるのか?」とイヤミを言ったら,「まさかお客さん,ご冗談がうまい」と仲居さんにかわされた.しかし,その後の一言には重みがあった.
「この辺も,不漁つづきだから,マグロでごまかしとります」

そのマグロ,とくに太平洋クロマグロが絶滅危惧種になっている.
大西洋のマグロは,乱獲防止策がきいて,近年急速なる資源復元が達成された.マグロにかぎらず,世界標準は資源維持を中心価値においている.それで,どちらさまも「漁業が好調」だという.
少なければ,価格が高くなるからだ.

何であろうと安くたくさん食べたい日本人の強欲が,世界で唯一「獲りつくす」という略奪の伝統を維持している.
国連海洋法条約に,沿岸国は水産資源の維持ができる漁獲枠設定を義務としているが,わが国がこれを守っているというひとはいないだろう.守っていれば,かくも沿岸で魚が獲れなくならない.

もし,産地表示が旅館やホテルにも義務づけられたら,料理説明は世界の地名ばかりになるだろう.
「地物」は,養殖が9割の海藻類,刺身のつまにあたる「わかめ」だけ,ということも笑えない冗談ではない.

沿岸の旅館の苦悩はつづく.

町の豆腐屋

自営業だが,飲食業ではない家内制食品工業としての豆腐屋がなくなってきている.
こんにゃく製造業もしかり.

ひろい横浜には,その中心部だけに親しまれた「花こんにゃく」という超ローカルな食べ物がある.中心部限定だから,横浜市民でもしらないひとはおおいだろう.
これは,ふつうのこんにゃくとちがって,デンプンが添加されているので,白濁しており,食感はぐにゃぐにゃしたものではなくて,もぐもぐしていて簡単に歯がはいる.

長い型の断面のかたちが,あけぼののように半円形でギザギザがあったから,「花」のようで,それで「花こんにゃく」と呼んでいた.
ずいぶんしてから,製造方法由来の「かまぼここんにゃく」という別称があることをしったが,わたしにとってはいまでも「花こんにゃく」に変わりがない.

どうやって食べるのか?といえば,圧倒的に「おでん」の種としてである.ふつうのこんにゃくと花こんにゃくの混在こそが,横浜中心部ローカルのソウルフードなのであった.
だから,商店街の練り物製造販売のお店で,あるいは豆腐屋さんには白滝のとなりに花こんにゃくはふつうにあったのだ.

おとなになって,世間がひろくなってくると,この花こんにゃくが,横浜ローカルであることに気がついた.
いつか製造元を訪ねたいとおもっていたが,やっときたチャンスに訪問したら,一週間後に廃業するという.専用の機械が更新を要して,その費用に耐えられない,と説明をうけた.

このお店の初代が,大正時代に「発明」したというはなしを聞いた.
どうしたら味がしっかり染み込むのか?子どもでも食べやすい食感はどんなものか?
上述のとおり,デンプンをくわえるのだが,その分量比は苦労して得たという.そもそも,どうしてデンプンを選んだのかは孫娘をして不明だった.また,型にヘラで詰めるとき,空気を抜くのが難しく,加熱方法も最後は勘だよりというから,そのぼんやりとした見た目とは裏腹に,大層な手間と技がかかる食べ物だった.

誕生して100年あまり.さてはこれで絶滅かと覚悟したが,しばらくして市内に数軒が製造を継続していることがわかった.貴重な「型」も廃棄ではなく譲渡されたのではないかとおもう.
しかし,いつものおでんの種の煉物屋さんからは消えて,商店街の豆腐屋の廃業もあるから,もはや入手困難な逸品になっている.

それで,散歩のついでに豆腐屋をのぞくと,たまに花こんにゃくを発見する.もう,桶に無造作にいれてあるのではなく,パックになっているから,ちゃんと商品陳列を確認しないといけない.
もちろん,見つければ必ず購入するから,この時点で今晩は「おでん」に決定となる.
そして,あと何年食べられるものなのか?と自問しながら,もぐもぐやるのである.

豆腐はスーパーで買う物,となってしまった感があるが,神奈川県央の,県外のひとにはあまり有名でない,温泉地の宿に泊まったときに,堂々と近隣のうまいものとして,朝夕とも献立に製造販売している店名を表記していた.
断って献立を頂戴して,これらのお店巡りという予定外の観光をしたことがある.

お茶農家だけ遠距離のため避けたものの,都合4時間を要した意外性があった.
その中に,驚愕の豆腐を製造販売するちいさなお店があった.
一週間後にリピートしていろいろ聞いたら,とにかく「豆」がちがう,という.
神奈川県内産の特別な品種で,北海道産丸大豆の二倍以上するお値段らしく,県内にはあと二軒(白楽と逗子)の豆腐屋がこの豆で製造しているとも聞いた.

一丁300円超えする豆腐をどう感じるかはそれぞれちがうだろうが,スーパーの一丁40円とは話がちがうのは当然である.
毎日,一回だけの仕込みだから,製造数は限定である.ところが,150円の豆腐より先に売り切れる.それはそうだろう,横浜から片道1時間以上かけて買いに行く豆腐が,150円ではおさまらない.
地元の知り合いに土産として差し上げたら,「どこの豆腐だ?」と驚かれて,こちらが驚く痛快がある.

直木賞をとった「あかね空」は,豆腐屋のはなしだった.
作者の山本一力氏は,工業高校の電子科卒業である.

家族経営のお店はどちらさまも,家族の崩壊とともに絶滅危惧種になっている.
こんにゃくや豆腐といえばたわいもないもの,とおもいがちであるが,原始人にはつくれないからあんがい文明的な食べ物である.

三年物のこんにゃく芋は,収穫後冬場にストーブをたいて保存し春に植えかえす,を二回くり返す手間ができる農家が激減しているし,県内産の特別な品種の大豆も,だれが育てているのかを想像すれば,製品ではなく原材料が入手困難になっている.

ガラスとコンクリートの街が文明だとおもっていたら,ちゃんとしたこんにゃくも豆腐も食べられない日がくるかもしれない.
足下の文明がこわれはじめていないか?

有名でない温泉宿は,たいへんなことを教えてくれた.

なんでも解決病の泥沼

問題に気がつけば,なんでも解決しなければならない,とかんがえることを「なんでも解決病」という.
気持はわかるが,アプローチがわるい.
それで,いっこうに問題が解決しないから,極端に拘泥する.
そして、まさに,泥沼化するのである.

この病気のメカニズムは,目的合理性の欠如,からの,最適化アプローチの検討を無視した解決策の実行,による.
つまり,ちゃんとかんえずに行動してしまう,ということにある.
だから,本来は解決策にならない解決策を実行して,ズルズルのドロドロになるのである.

「やったからには後には引けぬ」という論理である.
日本人の失敗の典型的な思考・行動パターンである.
しかしながら,むかしから「押してもダメなら引いてみな」という言葉があるし,「岡目八目」といって第三者的な目線だとよく見えるという比喩もある.

家庭の台所によくある,レバー式水栓は左右に振れば水の温度が変えられて,上下に動かせば水が出たり止水することができるから,温水専用のコックと水専用のコックをまわして水量を調節しながら温度も調節する方法とは雲泥の差の便利さがある.
ところが,この水栓にも大問題があった.

上で止水するか,下で止水するかという問題である.
毎日のことだから,「なーんだ」という問題ではない.
それに,他人の家に行って,これが逆だとおもわぬところで水浸しにしかねない.
一方の方法に慣れているから,無意識に操作してしまうのだ.

決着は,阪神・淡路大震災の後についた.
「下で止水」がJIS規格になったのだ.
台所の棚からものが落ちて,レバーにあたっても「下で止水」なら問題ない,という「安全性」が勝った.
国内最大手が採用していた「上で止水」方式をいまでも使用していたなら,阪神・淡路大震災の前の製品だと断定できるようになった.

いまだに解決しない事例では,国産車のウィンカーとワイパーのスイッチ位置と外国車の位置が逆であることがあげられる.
国産車のウィンカーは,右側.外国車は左側.
国産車のワイパーは,左側.外国車は右側である.
外国車のハンドル位置が右だろうが左だろうがこれは変わらない.それで,国産車の運転に慣れたひとが外国でレンタカーを借りると,ここ一番の交差点でワイパーが動き出すことがある.

国産車の位置は,JIS規格で決まっていて,外国車はISO規格で決まっている.
だから,この問題は「規格」の決定要素が根源にある.
大手自動車メーカーによる,完成検査の不正も,国内規格に合致しない,ということだから,最初から完成検査をもとめない外国の規格では,なんの問題もなかった.問題メーカーの自動車輸出は好調をキープしている.

ちなみに,国産車の輸出車は,当然ながら相手にあわせてISO規格になっているから,ウィンカーとワイパースイッチは外国車とおなじである.
日本車を買った外国人が,ここ一番の交差点でワイパーを動かすことはない.
「鉄板規制」にじつはJISも含まれている.

物の世界では,目で見えることがおおいから,わかりやすい,とはいうものの,だからといって簡単に解決できないこともある.
このあたりで,産業デザインの専門家は,驚くほど頭脳をつかっている.
そして,このあたりのことに,人的サービス業なかんずく伝統的な宿泊業者や観光業者は,驚くほど無関心である.

それでいて,プロを自認していることにどれほども疑問をもたない.
他業界のひとには不思議にみえるかもしれない.
しかし,これは、なんでも解決病がおこす症状にすぎない.

冒頭に書いたように,なんでも解決しようとして,結局はなにも解決できなかったから,振り返りすらできない.
こんがらがった問題のストーリーの糸が,ぐちゃぐちゃで丸まっているのを,放置するという「解決策」にたどり着くのである.

中小零細企業だから人材が不足してできないのだ,というもっともらしい理由をいうひともいる.
そんなはずはない.
中小零細企業だから,問題解決には論理が必要だとかんがえる経営者はたくさんいる.
むしろ,大企業だから人材が豊富なはずなのに,経営者がなんでも解決病に罹患した患者だと,肝心の人材が流出してしまう.

そうなると,経営計画がつくれない.
つくっても,株主に見せられない.
「こんな薄っぺらでは恥ずかしい」と,恥の文化だけはもっている.
それが単なる見栄だとしても,原因が自分にあるとは思えないのが患者の患者たるゆえんである.

泥沼はつづく.

映画「フジコ・ヘミングの時間」

1999年の2月だったというから,もう19年前.

すでにテレビの凋落は始まっていた.
時間つぶしにしても観たい番組がなくて,なにげなく教育テレビにしたら,老婆が電車を背景に歩いているシーンが流れてきた.
それが,伝説のドキュメンタリーになる「フジコ ~あるピアニストの軌跡~」の冒頭だった.

しばらくすると自然に口が開いた.
「なんだこれ!」
家内と目が合った.
すさまじい個性が産む感性の音楽に衝撃を受けた.

それから,テレビの音楽放送でたまげたのは,2002年のN響の年末恒例第九演奏会だった.
こちらは若き大野和士の指揮.
まだわが家のテレビは,ブラウン管でモノラルスピーカーだった.
たまに会場へ足を運んだが,NHKホールの音響の悪さにたいがいはガッカリしたものだ.

ところが,そんな機材をものともせずに,圧倒的な演奏がやってきた.
「こんな第九があったのか」「今年は『生』で聴くべきだった」とおもった.
そして,これを『生』で聴いているひとたちが羨ましくもあった.
「大野和士」覚えておこう,と.ビデオに録画もせずにいたのは,いまだに残念だ.

フジコのリサイタルには二度ほど行った.
どちらも,演奏は期待通りだった.
しかし,どちらも聴衆の拍手が早い.早すぎるのだ.
「余韻」を聴きたいのにそれがかなわなかったのは,フジコのせいではないと思いたい.

「自分の拍手」をいち早くフジコに聴かせたいとかんがえる,自己主張のかたまりが何人か会場にいるようだ.
このひとたちが本当に,フジコの演奏から「感性」を受けとめているのか疑問である.
それができるなら,拍手を忘れるぐらい陶酔感にひたるはずだ.

残音二秒.
これが,理想的な音楽ホールだといわれている.だから,二秒後の拍手こそが演奏を完璧にする.
横浜には,神奈川県立音楽堂がある.
建て替えばなしが何回もあるが,建て替わらないのは,いまが完璧な残音二秒だからだという.

ハイテクを駆使して,残音二秒を達成したのは東京のサントリーホールだ.
ローテクの時代にこれをやってのけた神奈川県立音楽堂は,その意味で名建築なのだ.
しかも,「音楽堂」という目的合理性において,最高傑作のひとつだ.

取り壊したところで,ハイテクを駆使しても,いまの響きよりいいものができるとはかぎらない.
それで,建て替えでなく補修がおこなわれている.
役人仕事のなかで,数少ない評価にあたいする判断だ.

フジコという演奏家も,ローテク時代の申し子なのではないかとおもった.
彼女は,演奏家として致命的な聴力がうしなわれている.
それが原因で,カラヤンやバーンスタインから直接の推薦をうけながら,演奏家として埋没したのだ.
この間,演奏の世界の価値観は,「テクニック」こそが最高の価値観になっていた.

機械のように完璧な演奏.
それは,作曲者たちが追求したものだったのか?と問えば,じつはあやしい.
もう三十年以上も前に,「ゆらぎ」の研究がさまざまな結論を導いていた.
目でみる絵画も,音を聞く音楽も,「1/F」という関数で最高を示すことができる.

人間は,つねに「ゆらいでいる」から,「ゆらぎ」のあるものごとを好むのだという.
だから,幾何学的に正確な直線の連続では,けっして心地よさを感じることはできない.むしろ,違和感すら感じるのが人間なのだ.

映画中,フジコの父のはなしがある.スエーデン人の父は,画家でもありデザイナーでもあった.
フジコが有名になって,父が描いたポスターが発見されたというから,それを観に行くシーンである.
じつは,演奏家として売れない時代,フジコは絵を描いていた.父のDNAがそうさせたのだろう.フジコの絵は,少女が描くようなメルヘンにあふれている.

記憶もあいまいなまま独りスエーデンに帰国し,一家を見捨てた父の作品は,斬新でいまでも通じるものがあるが,それはなんと「直線」で構成されていた.
ジッと見つめるフジコ.そして、唐突に「もう帰ろう」と言う.
おそらく,自分とはまるでちがうものを観,とうとう父との決別ができたのだろう.

フジコの演奏には,絶妙な「ゆらぎ」がある.
10本の指が鍵盤を押す.
その押す力とタイミングに,機械ではできないゆらぎが産まれるから,これにひとは感動する.
テクニックの有無よりも,そちらを重視する聴衆の勝利で,あろうことか専門家の敗北をうんだ.

専門家が専門的にフジコを批判すればするほど,聴衆である大衆はこれに反発する.
オルテガ健在なり.
専門家に大衆は尊敬も物怖じもしなくなった.
その象徴が「フジコ」なのだろう.だから,フジコ本人と「フジコ」は別人なのである.

映画では,ワールドツアーの様子がある.
愛用のピアノを持ち歩けないピアニストは,会場ごとに別のピアノに向き合うことになる.
そのピアノの状態が,演奏に影響するのはいわれてみれば当然である.
さらに,オーケストラとの共演ともなれば,聴力がないフジコには絶対不利な状況がやってくる.

ベートーベンが「皇帝」の初演に失敗し,それから生前に一度も演奏しなかったのは,おなじ理由だ.
ただ,彼は作曲家で,フジコは演奏家なのだ.それで,かつてフジコがオーケストラとの共演したCDは,素晴らしいとは言いがたい出来になっている.
フジコがどうやっていま,これを解決しているのか.指揮者の合図がそれを支えていた.

最後に,十八番の「カンパネッラ」が演奏された.
それは,19年前よりも確実に,ミスタッチまでもが腕を上げた演奏に聞こえた.
80歳をこえるフジコは進化していた.

フジコの演奏会だけのライブ映画があっていい.
これを,いい旅館のロビーでウィスキーでも舐めながら鑑賞したいとおもった.

きれいなゴミの展示場

中央集権国家の首都東京には,一極集中と文句をいわれようが,なんでも集まるようになっている.
その首都の「中央区」は日本橋に,全国の地方自治体がつくったパンフレットが一堂に会される特別な場所がある.
「ふるさと情報コーナー」という.

都道府県別にきちんと並んだ棚に,ぎっしりと約2,600種類ものパンフレットがあるそうだ.
これを維持するのは,たいへんな努力と労力がいるにちがいない.
一般財団法人が,その手間を引き受けているから,利用者は感謝しなければならないだろう.

2,600種類のパンフレット全部に目を通すことはできないが,ランダムに拾ってみて驚くのは,その内容の乏しさをこえた「無さ」である.
これらのパンフレットの製作意図は,単に「予算消化」ではないかとうたがうのだ.
どうしたらこうなるのか?

「資源ゴミ」と称して,住民に回収の手間をかけさせて,じつは中国に輸出してお金を得ることを「環境政策」というらしいが,これらのパンフレットおよび製作の手間が,すべて「ゴミ」ではないのか?
すなわち,「きれいなゴミの展示場」になっているのである.

「ゴミ」としてみれば,全国の自治体がお金をかけて,ほとんど「内容がない」という同一のクオリティをもってつくることに,おおいに驚かざるをえない.
つまり,突出した品質=利用者が便利におもう内容,の物をみつけることが,まるで宝探しのようになっていて,それがめったに見つからないのだ.

この見事なまでの「横並び」を目の当たりにすると,はたして「予算消化」というレベルで済ますことができるのか不安になる.
それはそうである,全国の自治体が,揃いも揃って「ゴミ」をつくっているのだ.
それは,まるで,役に立つものを作ってはいけないという統一ルールがどこかにあるのではないか?とかんがえることの方が合理的だからだ.

すると,やはり都心を中心にした,都道府県のアンテナショップが,より一層に注目の対象になる.
「アンテナ『ショップ』」だから,ものを販売している.
このお店の運営は,道府県単位の自治体であろうから,店員には地方公務員がいるはずだ.

千代田区の平河町には,公益財団法人になっている「都道府県会館」がある.
ここには,広島,高知,大分の三県を除く「東京事務所」が入居している.だから,アンテナショップの職員も,おそらく「東京事務所」の配属で,勤務先が『ショップ』なのだろうと想像できる.

つまるところ,東京事務所が「上屋敷」で,ショップが「下屋敷」なのだろう.どちらも,「屋敷」の維持が最優先だから,なにか仕事をしている振りをしていればいい.
「本国」の県庁が,なにを売るのかを決めるから,上・下の屋敷ともに,なにをするではないという状況になるのである.

簡単にいえば,どの商品がどう売れて,どの商品がなかなか売れなくても,直接の担当者には,どうでもいいことになる.だから,サンプルが欠品状態になってもお構いなしでいられる.
ましてや,店内におかれた観光パンフも,適当に補充すればよく,もっとも面倒な客は地元出身者という,情報知識が豊富なひとになるだろう.

地元の詳しい情報を問われても,もともとそんなものに興味もない役人が,しっている知識などほとんどないのだ.
だって,たまたま東京に転勤になったにすぎないからだ.むしろ,いまのうちに東京人になりたいとかんがえている.

それで,元をたどれば,本国の県庁では,アンテナショップでの販売をしたいひとを「公募」する.このときの,選定基準は県内での販売「実績」になるから,かならず「定番」がえらばれる.
それで「アンテナ」というから,はなしが厄介になる.

有名どころが立候補しなければ,地元商工会をつうじて出品を要請したりするから,「公募」すらあやしい.
いまどきの気の利いた経営者は,これにつき合うことは時間と手間の無駄としっているから,力をいれるのは自社HPで,県庁のアンテナショップではない.

かくして,消費者は適度に珍しがるが,だからといって「ファン」になるわけでもない.
それは,発信する情報の焦点がボケていることにほかならない.
しかして,消費者はそのボケた点をいちいち指摘はしない.
面倒くさいし,どうせ言ったところで相手は地方の役人だからどうでもいい.言われる役人も面倒だとおもうから,ここでバランスがとれることになる.

こうして,今年もゴミのパンフレットが全国で量産される.
資源ゴミを率先してつくっているのは役所なのである.