「選べない」ことがある

そんなこと、あたりまえじゃないか!
しかし,この「あたりまえ」が問題なのだ。

だれでも個人は、親を「選べない」。
日本に産まれたら、いつしか日本語をはなして日本語で思考するが、その日本語をじぶんで選んだわけじゃない。
じぶんは何語を話すかすら、ふつうは「選べない」。

じぶんの両親の話す言葉でじぶんの言語もきまる。
これが、宗教にもいえる。

しかし、日本人がかんがえる宗教には、選択の自由がある。
つまり、信教の自由のことである。

だから、宗教はじぶんで「選んでいる」ことになっている。
わが家はむかしから「◯◯宗」で、「△△寺の檀家」であるから、じぶんで選んでいるわけではない、というひとがおおいだろうが、そのことではない。
いつでも乗り換えられるのに、面倒だから乗り換えない。
遠目からみれば、選んでいるのである。

世界のおおくのひとたちは、ちがう。
「信仰」じたいが神から与えられたものだから、じぶんで「選べない」とかんがえている。
もし、そのひとが別の宗派に乗り換えたら、それはじぶんの意志ではなく、神からの導きだとかんがえる。
これが、「信仰」である。

そんなわけで、「信仰」というものは、神の存在あってのことだから、じぶんの信仰と他人の信仰がちがうとき、それは、「真理」のちがいを意味したから、必然的に議論ではなく強制になる。
どちらかが、どちらかを屈服させる必要がでてくる。

こうして、ちがう信仰となれば、おなじ宗教内であろうが容赦しない。
血で血を洗う凄惨な戦いがおきたのは、お互いにじぶんの信仰が正しいという「あたりまえ」からであった。

あんまりひどい戦いがつづいたので、「寛容」という智恵がうまれる。
じぶんと他人はちがう、これを認める精神だ。
これが、個人主義に組みこまれたのである。

ところが、他人といっしょ(おなじ)でいたい、という精神がわが国に蔓延してしまっている。
初等教育では、個性を育てるはずだったのに、だ。

こうした精神をもったひとたちを、「大衆」と呼んだのはオルテガだった。
よくつかわれる階級的用語「ではない」ので注意がいる。

「個性を失って群衆化した大量のひとたち」が「大衆」である。

じつは、この「大衆」は、たんなる愚昧ではない。
いまの世の中、識字ができるのはとうぜんだし、電子計算機(パソコン)や、スマホを使いこなせる。
おおくが「高等学校」をでているし、つぎの「大学」もでている「知識人」なのだ。

ところが、専門化がすすんで、狭い範囲での「専門」が、高度な仕事に要求されるようになったから、いわゆる「専門バカ」がふつうになって、「専門バカ」どうしで世の中ぜんぶを知っているふりをしている。
そんな「ふり」をしていたら、いつのまにかそれが「じぶん」になってしまった。

知ったかぶりをしても、通用するのだ。
しかし、その「知ったかぶり」は、他人といっしょでなければならない。
もしもちがうことをいったなら、たちまちもっと詳しい「専門家」のひとから攻撃されるからである。

だから、いったん社会が大衆ばかりとなる(大衆化する)と、いきつくところまでいくしかないのである。
ずいぶん前からわが国は「高度大衆社会」といわれていた。
その破壊力が、だんだんみえるようになってきている。

朱に交われば赤くなる。
この「朱」とは、自身を取り巻く環境のことで、ふつうはこれを「選べない」。
選ぼうとしても、見えないことがままあるものだ。

たとえば、田舎暮らしの悲劇である。
都会から、「自然が豊富な」田舎に引っ越すことが憧れとなった。
けれども、地域になじめないどころか「村八分」にされて、とうとう裁判沙汰にもなっている。

町内会のボスに気に入ってもらえなければ、町内会に入会できない。
町内会の入会を拒否できる都会と真逆なのである。
入会しなくても都会ではあんまり被害はないけれど、田舎では暮らしていけない。

ゴミ出しすらできなくなるし、地域の情報が遮断されるから、災害時は危険が増す。
いわゆる「しかと」がふつうなので、外出ができない。

原因はたくさんあって、引っ越しの挨拶(贈答品)が「足りない」とか、いただいた野菜の返礼を怠ったとか、会合で意見を言った(しきたりを無視した)とか、地元有力者の本家と分家のヒエラルキーにしたがわないで分家と親密になるとかである。

選んだはずの住居地域が、とんでもないところだったとしても、これらを事前に知ることは困難である。

じつは、会社もこれと似ている。
「社風」というローカル文化が支配する場所であるからだ。
東京、大手町の大地主をやっている会社のCMが、自由な「ダイバーシティ」を強調するのは、これに起因しているのだろう。

新人をさそった先輩が、飲食店で上司を拒否するのも「ダイバーシティ」だというのは、まさに「大衆」の論理そのものである。
大衆で構成されている組織が大衆をもとめる、なかなか「進歩的」かつ現代日本の病理をえぐり出した「作品」であったが、なぜこれが「CM」なのかは理解できない。

「選べない」こととは、個人を超越し、さらに過去があっての現在で、それが将来につながるから、時間も超越している。

そういうこともあるさ、と「寛容」なこころをお互いにもたないと成り立たないが、「大衆」にはこれがない。
いまここにいる、じぶんが絶対の存在だからである。
全員がこうなると、社会はギスギスとしてきて、けっきょく自由がうしなわれる。

そんなわけで、漱石がいうとおり、「兎角この世は住みにくい」のは、いつになっても人間社会の真実なのだ。
それは、人間が不完全だからだ。

選べないことは、理不尽ではなく、全員の条件になっている。

理由がちがう電子決済

日本は世界から遅れている、というと「いけないこと」だと思い込む「いけない癖」がある。
この癖がいけないのは、つねに「世界のトップ」にいないと気がすまないという「傲慢さ」がベースにあるからだ。

かつての謙虚だった日本人はもういない。
そんな日本人たちが住む日本を愛したドナルド・キーン氏も、もういない。
キーン氏こそが、日本人以上の日本人だった。

勲二等や文化勲章をもらったひとだから偉い、のではなくて、偉いから勲章をもらったのである。
順番をまちがえることが、たまに起きることがあるのは、政治家と役人のお手盛りで、偉くないひとがもらうことがあるからだ。

「電子決済」をしたくてしたくて、おねだりしている役人たちがいる。
それで、しかたがないからその要望をかなえようと、大金をかけて準備する銀行がでてきた。
これを、おねだりした役人たちが絶賛する、という順番になっている。

役人たちのおねだりは、無い物ねだり、だから幼児の要求とおなじである。
ヨーロッパであたりまえでも気に入らないのに、中国で普及して、来訪する中国人観光客がいう「日本は遅れている」が気に入らないのだ。

これは、一種の人種差別ではないのか?
横目でみて、アメリカでもそこそこ普及しているから、いよいよ「まずい」と思いこむのである。
ここに、日本の立ち位置が相対化されて、たいそうな「不安」になるという病理である。

前にも書いたが、ヨーロッパの銀行制度では、当座預金が資産管理口座になっているのが「ふつう」なのだ。
それに、小切手がさかんに流通していた歴史があるから、クレジットカードが発明されたのは、小切手の延長であった。

小切手は当座預金をつかう方法なので、ヨーロッパ人にとってのクレジットカードは、いまでも当座預金をつかう方法になっている。
だから、クレジットカードの「色」が、「ステイタス」を語るのである。

それで、ヨーロッパ人は、小切手やクレジットカードを利用すると、自身の「与信が減る」とかんがえる。
取引先銀行は、与信をポイント化して管理しているから、これまでに問題をおこしていなければ高いポイントを付与してある。

もしも、残高よりも使いんでも、自動的に貸し越ししてくれるので、不渡にならない。
もちろん、貸し越した金額がすぐに補充されれば、本人への与信ポイントにボーナスポイントも加算されるのである。

とはいえ、一般人にとって、当座預金に余裕があるわけではない。
自宅を所有していれば、それも与信に加算されるが、都心部のサラリーマンなら賃貸暮らしのほうがたくさんいる。
だから、日本と同様に、給与の振込口座である普通口座が、生活口座になる。

ところが、生活口座を原資とする、クレジットカードが存在しない。
それで、普通口座から引き落とすデビッドカードが普及した。
くわえて、ユーロを導入していない国では自国通貨とユーロという二本立て通貨になったから、自動的に計算できるデビッドカードの電子版がいよいよ普及したのである。
これに外国からの観光客も、その便利さを享受している。

日本では、とうぜん明治期に銀行制度も輸入したが、江戸時代からとっくに飛脚による「為替」が普及していた。
経済の中心地大阪は「金貨」、江戸は「銀貨」が普及していたから、これを通用させる「両替商」が「銀行」の看板をかかげる。

そんなわけで、わが国では小切手はふつうにならず、いまでも「郵便為替」があるようなことになっている。
一般人で当座預金をもつひとなんていないから、普通預金でクレジットカードがつかえるようになって、年会費で「色」がかわる。

後発のデビッドカードが、ぜんぜん普及しないのも、CDで現金をおろしてつかう方が便利だからである。
カードなら、クレジットカードをつかった方がポイントがつく、という発想になるのは当然だろう。

中国での普及は、紙幣がよごれて残念な状態であるのと、偽札問題だ。
信用できない汚い「紙」をもつより、電子決済が便利なのはいうまでもない。

ただし、すでに運転資金なら「与信システム」と連動して、その場で融資がきまるようにもなっている。
これは、不動産担保をかならず要求せよという金融庁がないからで、中国が優れているというよりも、日本がたしかに劣っていることになる。

つまり、国家依存していたら、金融の中心である「与信システム」まで、中国の後塵を拝すことになったというお粗末である。

昨夜、NHKの「100分de名著」という本来の娯楽番組で、「オルテガ『大衆の反逆』」が最終回だったようだ。
わたしはテレビをみないので、書店でテキストを購入した。

 

どうやら、このあたりに起点をおいて、電子決済をおねだりする役人が存在する社会をかんがえた方がよさそうだ。

昨年、自裁した西部邁氏は、東大時代に全学連の中央執行委員をもって60年安保闘争に邁進するが、その後「転向」し、保守論客となった。
その西部氏を師と仰ぐ、番組解説者の中島岳志氏の推薦書が『大衆への反逆』である。

なるほど、日本人なら、オルテガとの併読がのぞましいだろう。

結局、社会はわたしたち多数がつくっているからである。

憲法違反?土砂災害防止法

「土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律」という長い名前で、略して「土砂災害防止法」に基づく警戒区域図案の公表とその説明会を神奈川県がするから出席するよう案内されたので出席してきた。

こんな法律をつくった国家公務員のセンスの悪さを県の役人にいったところでせんないが、「法律」をたてにした上から目線は、いったいなんなのかといいたくなる。

もちろん、この法律を多数決でとおした国会の無能はいうまでもない。
平成12年にできた法律だから、自民党政権時代である。
また、改正は平成29年なので、現政権の仕事である。

例によってこの法律は、国民の生命をまもるため、という名目がうたわれているが、その根拠となる背景を、あらたな宅地開発で危険な箇所が増加していることをあげている。

それで、ご丁寧に「急傾斜地崩壊危険箇所数と整備箇所数の推移」という昭和57年から平成14年までを五年刻みでつくった「棒グラフ」をもって説明してくれた。
危険箇所が41,000箇所も増加して、整備工事がぜんぜんまにあわないから、この法律がひつようなのだという。

これには、説明会最後の質問コーナーで、「どうして危険箇所数が増加しているのか?かってに崖がふえるのか?」というもっともな質問があった。
あたらしい宅地開発が原因という回答に、「その開発認可はだれがだしているのか?」とつっこまれ、「どこに住まいを建てようが個人の自由」ときたもんだから、もはや寄席演芸の一種である。

神奈川県内のがけ崩れ発生件数の説明でも、44年間(昭和49年~平成29年度)というレンジ「合計」で、県内の1/4が横浜市で発生している!という。面積で小さい横須賀がトップだが、がけ崩れの回数が問題だったのか?

「とおとい人命」ではないか?
であれば、死者や負傷者数も表記すべきだし、どうして経年のグラフではないのか?

統計の適確なつかいかたができていないのは、きわめて意図的な感情表現か、もしくはただの無能である。
霞ヶ関のお役人の統計不備は、底知れないことがよくわかった。

最初にみせられた15分もののビデオでは、全国の事例であって、神奈川県の事例ではなく、まして横浜市のものでもない。
おそろしい土石流や地滑りの映像をみせてから、土石流は金沢区の3区域のみ、地滑りは市内に対象箇所はない。
すなわち、印象操作ではないのか?

こんなにすごい被害がでた、というのは昨年の西日本豪雨での「広島県」の写真で説明されている。
このブログでも書いたが、日本列島の地質は、中央構造線でことなり、神奈川県は太平洋・フィリピンプレート、広島県は大陸側になることも無視されている。

工事には膨大な予算がひつようで、そんなカネがないから住民に危険だという認識をもたせて、危なかったら逃げるように仕向けるのがほんとうの主旨である。
もっとも危ない場所をレッドゾーン、そのしたにイエローゾーンを設けたという。

レッドゾーンは「算定式に基づき指定」というから、どんな「計算式」なのだろうかとおもったが、説明はなかった。
おそらく、バカな住民に説明してもわからないから知らんぷりしたのだろう。

どちらのゾーンでも指定されると「土地利用の制限等」があるという。
この「等」が、いつものように「くせ者」なのだが、イエローゾーンでは「警戒避難態勢の整備/横浜市」とあるだけだ。
レッド-ゾーンには、より具体的な「制限」がある。

イエローゾーンの説明図では、放送設備しか目立たないが、横浜市には地方によくある役場放送スピーカーの設置がないから、これをつけるのだろうか?
徘徊のお年寄り発見のやくにたちそうだ。

それで、質問時間のさいごに「ゾーン指定されたら個人財産の減価」にならないか?というものがあったが、県の職員は「横浜市が検討中」といって時間切れ終了となった。
ちなみに、横浜市職員も6人ほど開会時に司会者が紹介して立礼していたが、終始無言であったは、市税関係者ではなかったからだ。

法律は国土交通省の管轄だが、固定資産税は総務省、相続税は財務省になるから、「減価」についてはバラバラなのか、無視なのかもわからない。
しかし、「生命をまもる」と同時に「財産をまもる」と憲法十三条には明記されているのだから、説明がないのは不親切ではすまされない。

当該不動産の価値が減価すれば、金融庁が指示する金融機関の借入担保も減価するから、貸し渋り発生源になるだろう。
景気はおのずと悪化する可能性がある。
もっとも、景気がよくなると金利が上がって、日銀がつぎこんだ国債が大爆発するかもしれない。

目的と方法が雑だからこうなる。

日本国は、役人依存したあげく、その役人の劣化という危機に直面している。
そもそも、役人に憲法を遵守する義務感がない。
好況は日銀の破たん原因になりかねない。
とんでもない地獄の一丁目、すなわちわが国がレッドゾーンにいるのである。

地域住民を数百人集めてこれなのだ。
司会のフリーアナウンサーだけが得しただけであった。

きっと不都合な歴史修正主義

渡辺惣樹著『誰が第二次世界大戦を起こしたのか-フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く-』(草思社、2017年)は、副題の大著の訳者による解説本である。

 

ハーバート・フーバー第三十一代大統領(1929年~33年)は、「大恐慌」時のアメリカ大統領(共和党)で、政府は経済に関与しないという伝統的政策をとって二期目をフランクリン・ルーズヴェルト(民主党)に奪われた。
すなわち、ふつう「経済無策」でしられるひとである。

これをもって、「無能」のレッテルが貼られているから、はたしてどんな人物であったのかを詳しくしる日本人はすくないだろう。
しかし、当選時は「圧勝」であったし、前職の商務長官時代(ハーディング大統領・クーリッジ大統領)には、工業に「標準規格」を導入した功績がある。

それで、上述の大著『裏切られた自由』は、フーバー自身、大統領職をおえて30年後、執筆開始から20年あまり後に完成したが、64年に90歳をむかえてまもなく、この世を去る。

そして、遺族や関係者が議論して、とうとう「出版しない」ことがきまったという。
それは、第二次世界大戦の一般にしられているストーリーをくつがえす、おぞましくも愚かな「真実」があまりに露骨に暴露されることで、行き場のないアメリカ国民の怒りがフーバーの評判をおとしめると心配されたからであった。

完成後、約半世紀後の2011年に出版されたのは、ソ連の崩壊によって、米国政府の機密文書であった「ヴェノナ文書」が1995年に公開され、フーバーの著作が「真実」であるという政府からの「証拠」がでたからでもあった。

 

フーバーは親日家ではなかったが、戦後、トルーマン大統領からの占領国の食糧事情視察要請で来日し、マッカーサーに日本への食糧援助を要請しているが、これは、第一次大戦の海上封鎖によるドイツ、ベルギーでおきた人工的飢餓での「60万人餓死」を救う活動で有名だったからだ。

つまり、フーバー氏は、わたしたちの先代世代が戦後の食糧難を生き残れた「大恩人」なのであるから、彼なくしていまの日本人は産まれていないかもしれない。
ルーズベルトに敵対的対抗した元大統領は、トルーマン、アイゼンハワー両大統領にみずから仕える立場をとったのだ。

戦後、アメリカではマッカーシー上院議員による「赤狩り」=いわゆる「マッカーシズム」がたちおこるが、盗聴記録であった「ヴェノナ文書」は裁判で証拠採用されないために、マッカーシー本人が失脚してしまう。

つまり、かぎりなく黒に近い灰色のまま、一連の登場人物による作為は時の経過の中に埋もれて、一般的な物語(都合のよいはなし)だけが語りつがれる「真実」となっていった。

それは、もちろんドイツと日本が極悪であるというストーリーなのだが、ソ連がなぜに、どのような経緯で「連合国側」に組みこまれたのか(という不都合なはなし)は、だれにもしらされておらず、わからなかったのである。

わが国をとりまく「国境線」や朝鮮半島と中国の「反日」の理由も、この本が明らかにしている。
なるほど、「歴史解釈」とはこういうものか。

反日の根拠は「カイロ会談」にあり、北方領土問題のはじまりは「ヤルタ会談」にある。
これは日本にとって、唖然とするほど重要なことなのに、日本の教育プログラムにいまだにない。
つまり、当時の日本政府同様、しらないことにしているのである。

著者は従来の歴史記述を「釈明史観」として、フーバーの記述を「歴史修正主義」としている。
都合よく歴史を修正するのが「歴史修正主義」という強い批判が存在するのは、本書をみただけでもどちらが「都合いい」のか疑問におもう。

きっと都合がわるいひとたちが、その著作を「読まず」に批判しているのだろう。
これは、ハイエクの『隷従への道』(日経クラッシクス)序にある解説と同様である。

中華歴代王朝の「正史」は、先の王朝を滅亡させた側の記述になるから、だいたい100年ほどたたないと冷静な歴史は書けないものだ、というはなしがある。

現代アメリカにおいてさえも出版に50年を必要としたといえども、これがいまだに一般論になっているわけではない。
つまり、およそ100年を要する、というのはじつは他民族国家の「中華の知恵」であるにちがいない。

人間の精神変更には、「世代」という単位の時間が必要なのだ。

それにしても、こうした著作から気づくのは、わたしたちは「アメリカ史」をしらないことである。
もちろん、近現代のヨーロッパ史もしらない。

これでは、いつまでも日本側からの目線しかないことになる。
たとえば、フーバーは鉱山技師になりたくて、当時、鉱山学で世界最高峰といわれたスタンフォード大学に入学希望するが、不合格だったのに、三ヶ月間個人教授をやとって猛勉強し、入学を許可されている。

日本の「制度」ではかんがえられないことがまだある。
それは、スタンフォードの有名教授は、鉱脈の探査技術を厳しくおしえただけでなく、鉱山経営で「いかに利益をだすか」についても厳しくおしえたことである。
ここに、日米の決定的「差」をみる。

そしてこれが、のちの商務長官時代の「標準規格」制定にむすびつくのだろう。
彼はコロンビア大学から、トーマス・エジソンと並んで「アメリカ史上2人の偉大な技術者」として表彰されていて、彼の葬儀は「国葬」であった。

著者の渡辺惣樹氏は、著者略歴によると北米在住のビジネスマンであるから、いわゆる「専門の歴史家」ではない。
ゆえに、学術のタコツボの都合を気にしなくてよかったのだろう。

このような人物の努力で、日本語をもって読めることに深く感謝したい。

バスで河津桜を観てきた

何年ぶりかわからないが、バスツアーに申し込んで「河津桜」をはじめて観てきた。
季節ものの観光地には、いきたい気持を萎えさせる「混雑」がつきもので、マイカーがあっても躊躇してきた。

たまたまのタイミングで、地元ローカル旅行社のバスツアーがあったので申し込んだという経緯である。

「観桜」ということでいえば、死ぬまでに奈良県の吉野の桜は観てみたいとおもいつづけてはや何年。日帰りできる距離でなし、ましてや、宿もふくめ、その混雑ぶりを想像するだに気が引けて、とうとういまだに実現していない。

河津桜にかんしては、ちょっとむかしに旅番組で特集されていて、そのときの旅人は、加藤茶と左とん平、そして若手の女優の三人という設定だった。

みごと満開の桜並木を愛でながら歩いていると、加藤茶が「あと何回この光景をみられるのかなぁ」とポツリと言った。
若い女優は吹き出してわらったが、左とん平の目は真剣だった。
その左とん平も、もういない。
あらためて、御大二人のきもちがわかる歳になったと実感した。

沼津から天城をこえて河津にでて、それからは相模湾沿いを小田原に向かうコースだ。
「半島」の「半分は島」という略語をかんがえなくても、道路事情がいいことはない。

平日で順調にみえた道路が、河津の手前で渋滞になったのは、なんと道路工事による片側車線規制のおかげだった。
よほどの緊急工事なのだろう。そうでなければ妨害行為かともおもえるが、他県ナンバーがおおいから、個人客もかなりの数になるはずだ。

「駐車場」は、町をあげての盛況で、「シルバーセンター」紹介のみなさんが誘導係としてはたらいていた。
おびただしい数の「係」が配置されているから、乗用車なら一日700円、大型バス3000円の駐車料金も、人件費でおおかた消えていくかとおもえた。

これが、世に言う「イベント疲れ」なのだろう。

同乗した女性客が、「ここに住んでいる一般人には迷惑千万な『桜祭り』でしょうね」といったのは、言い得て妙ではあるが、その迷惑の原因に自分もなっている。

河津桜は、オオシマザクラ(大島桜)とカンヒザクラ(寒緋桜)の自然交配種として命名されたいわれどおり、緋桜のDNAがあるので、うすいピンクのソメイヨシノにくらべてずいぶんと赤みがつよい。
それに、ゆっくりと開花するので、葉もいっしょにでる特徴がある。

赤と緑のバランスが、なかなかにきれいなのである。
この「派手さ」が、好みなのか、中国系の観光客がたくさんいた。
さいきんはどこにいってもみかけるとはいえ、なかなか熱心に写真撮影していて、おもわず「牡丹好き」ゆえの共通点をかんじた。

河津川の堤防土手に植樹されている。
なので、土手にさまざまな露天がならび、まるで夏場の縁日のさきどり状態なのだが、ゆっくり休める場所はすくない。
そんなわけで、立ち食いや、歩きながらの「ながら食い」になる。

こんなところに日本の貧しさがあるといえばそのとおりなのだ。
それは、投資をしない、という意味である。
一方、観桜客も、それでよしとする無頓着がある。

だから、提供者・消費者双方の合意で成り立っている。
みごとな調和的貧しさ、になっている。

たまたまかもしれないが、白人客よりも犬連れがめだった。
べつに白人がすばらしいと言いたいのではないが、かれらの貪欲は、景観と飲食とに、快適性をもとめる。
こうした場所に、かならず「ちゃんとした」オープンエアーの店舗をつくるのは、そうした欲求がつよいからだ。

犬についても、犬を着飾ってやるのではなく、人間社会に適応した「しつけ」が完了していることが「自慢」であり「常識」なのだ。
それは、けっして虐待ではなく、落ち着いた気分でいられる犬に育てることが、人間の義務だとするかんがえによる。
だからこそ、公共交通機関に犬と乗れたり、公共施設に一緒にいけるのだ。

しかし、日本人のペット・オーナーには、そうしたかんがえが浸透しているとはいえない。
「観桜」の場で、犬どおしのうなり声があちこちでするのは、歩行者にとっても迷惑なのだ。

すでに昨日で「満開」におもわれたから、今週末の混雑は今シーズンのピークになるだろう。
運転手の立場からすれば、バスツアーで行くべき場所だ。

参加者たちはおおむね高齢者だったが、その慣れた行動に感心もした。
狭い車内での手荷物を、シートにかけられるフックの普及率は8割ほどであった。
立ち寄るポイントの売店に、こうしたグッズがないのは、こうしたお店の店主たちがバスツアーの客になったことがないからだろう。

車内で配布されたツアー案内は、おもに4月催行のものばかりだが、年金の受給月にあわせているのだろう。
この場での申込みには、ポイント特典が追加される仕組みにもなっていた。

なるほどが満載の現場がわかる。

先進的でなければならないことはない

コンピューターが普及していなかったむかし、先進的であろうとした企業が導入を急いで、大失敗したことがある。

たとえば、パンナム(Pan American Airways)。
商業航空航路の総距離で、ソ連のアエロフロートには及ばなかったが、いわゆる「西側」世界では、圧倒的な航空会社であったし、サービス水準の高さは、「東側」と比べることこそはばかれるから、名実ともに世界一だった。

そのパンナムが、座席予約システムにコンピューターを導入した。
今でこそあたりまえではあるけど、この失敗が、現在パンナムという航空会社が存在しないおおきな理由になったのだからおそろしい。

先だって亡くなった、兼高かおるさんの「世界の旅」は、まったくもって当時の日本での生活からかけ離れた番組だった。
円の持ち出し規制ではなく、そもそも、外国に個人が旅行できるなんてかんがえられない時代であった。

その遠い世界の番組のスポンサーが、パンナムだった。
それに、大相撲の幕内優勝での表彰式では、極東地区広報支配人のデビッド・ジョーンズ氏が土俵にあがって読み上げる「ひょーしょーじょー」が毎回のおたのしみでもあった。

当時のコンピューターは、100人ほどが机をならべられるようなスペースに鎮座していたが、メモリーはたったの2メガか4メガだった。
データを保存するためのフロッピーディスクとはちがうが、すでに入手困難なフロッピーディスク2枚か4枚分しかないメモリーで、よくも全世界の座席予約業務をやろうと決断したものだ。

メモリー不足は、パンチカードという、カード型のボール紙に穴をあけることでデータを保存し、これを読み込んで「処理」させた。
だから、コンピューターがうごくために、人間がパンチカードの穴をあけてやらなければならない。

それで、キーパンチャーという職業がうまれた。
きめられたデータを、キーボードから入力すると、穴があいたカードがでてくる。
そんなわけで、キーパンチャーがやたら必要になったから、会社はぜんぜん効率化しなかったどころか、かえって人件費がふえてしまった。

当時の先進的な企業は、「宇宙時代」に夢をはせて、こぞってコンピューターの万能性を信じてキーパンチャーを雇用し、そして、まもなく「損」に気がついてコンピューターを「廃棄」したのである。
同時に、キーパンチャーという職業人も、職場だけでなく職そのものの転換を余儀なくされた。

あの名作、『2001年宇宙の旅』では、「HAL9000」という人工頭脳よって宇宙飛行士が排除される。
パンナムの経営陣は、自社のコンピューターがそのうち「HAL」になると、一字違いの「IBM」に説明されたのだろうか?

ちなみに、アーサー・C・クラークの原作はシリーズ4冊あって、後半2作は映画化されていない。
最後の作品は、さいきんの量子論における「意識」と「生命」をほうふつとさせるから、クラークの先見性におどろくのである。

 
   

この「失敗の記憶」こそが、経営者に「コンピューターは使い物にならない」という信念に変換された。
これが、第一世代といわれる実用コンピューターのはかなくも悲しい物語であった。
すなわち、あんまり「実用」的ではなかった。

ところが,技術革新はとまらない。
しばらくして、第二世代コンピューターが登場する。
すでに、大きさも価格も第一世代の何分の一になった。しかし、メモリーは格段におおきくなっていた。
この世代のコンピューターが、業界地図をかえる起爆剤になったのだ。

第一世代で失敗した企業は、第二世代導入に慎重になったのはいうまでもないが、「使い物にならない」という「信念」になった「記憶」が、他社の様子をみる、という結論をみちびいてしまった。
この「他社」とは、ライバル企業のことを指す。

簡単にいえば、導入をきめたライバルが、過去の自社のようにコケることを「見たかった」のである。

残念だが、この「希望」はかなわなかった。
それどころか、あれよあれよと、自社の有利性が失われていく。
あわてて自社もコンピューターの導入をきめたが、おもうようにうごかない。

こうして、貧すれば鈍する、のとおり、資金が枯渇して、とうとう切り売りがはじまって、最後をむかえるのに、時間はそんなにかからない。

なにをしたいのか?という目的と、手段の選択を間違えたのが最初の失敗の原因だったが、これをコンピューターのせいにしたのだ。
だから、次世代のとき、他社がなにをしたいのか?という目的と手段の吟味の結果からコンピューターを導入したのに、このことにすら気づかずに、自社の業務の単純なる自動化をはかったからいけなかったのだ。

いまは、コンピューターの能力が人間を凌駕しつつあるから、コンピューターをつかうことが「先進的」とかんがえられがちなのは、じつは第一次世代の時代感覚である「宇宙時代」だからに、似ている。

なにをしたいのか?という目的と、手段の吟味ということの重要性が増しているだけなのだが、なんだか「先進的」なマシンをいれたら自社が先進企業になったような気がしてしまう。

ほんとうの先進企業は、そんな先進性に興味はない。
むしろ、愚直に自社の製品やサービスの価値を高める方法を吟味しつづけているものだ。

パンナムは、重要な教訓をおしえてくれた。

もっとうまくなりたいのに

オペラをしらないひとでも、「マリア・カラス」の名前だけはしっているということもあるだろう。
20世紀最大のソプラノ歌手のひとりであって、名声と栄光をてにしながらも悲劇的な生涯を送ったひとであった。

ドキュメンタリー映画『私は、マリア・カラス』(2017年、フランス)を観てきた。

彼女の私生活における葛藤が悲劇的なのだが、それを、本人が認識していて告白する映像が冒頭にある。
『わたしは「マリア」なのか「カラス」なのか?』
素顔と職業人としての人格がぶつかり合う。
その両方の人格でなりたっているのが、「マリア・カラス」なのだと。

マリア・カラスにおける数々の「事件」は、その突出したスター性の裏にある「素顔」があってのはなしだから、この映画は表面的な「事件」の詳細ではなく、「素顔」のほうに重きをおく。
これは、当然としても、彼女の表面的な事件をよくしらないひとには、やさしい映画ではない。

観客は、「しっている」ということを前提にしているのだ。
それでも「映画」としてあらたにつくられたのは、プライベート映像の発掘など、新資料がでてきたからである。

「しっている」ひとたちが「納得する」内容だから、「しっている」ひとたちが生きているうちにつくる意義があったのだろう。
彼女が53歳という若さで亡くなったのは、1977年のことである。

映画ではたんに、「パリの自宅で」「心臓発作」というが、その原因がなんだったのかを「しっている」ひとはしっているから、余計なことはいわない。

本編中にも、スキャンダルにまみれたとき、街を散歩できるパリを『余計なことには関心がないフランス人は「マナーの心得」がある。』として親和性を述べているが、これがラストの表現にも掛けてあるのだろう。
いまは、パパラッチの天下であろうが。

美空ひばりは享年52歳、アラブの歌姫ダリダは54歳にして世を去っている。
一世を風靡するような女性歌手は、なぜか50代前半があぶない。

もっともダリダは、エジプトからフランスに国籍をかえてしまってずっとパリ在住だったけれど、和平後の80年代にはパリのスタジオからカイロ放送に出演しても、圧倒的人気と存在感であった。

神経が繊細なマリア・カラスは、家庭への憧れがあって、これが世紀の大歌手にして最大の悩みとなる。
他人からすれば、「ないものねだり」だったのだろうが、本人にはあきらめきれないものだった。
そこに、「人間」をみるのだ。

だからこそ、オペラという非現実のなかに、現実をみたのだろう。
歌唱力だけではなく、役になりきる圧倒的演技は、本人にとって演技をこえた現実の自分だったにちがいない。

かくも、芸術とはおそろしいちからがある。
それはときに「破滅的」なのだ。
どういうわけか、山本周五郎の『虚空遍歴』をおもいだしてしまった。

 

齢をかさねて、若いころの歌い方ではつづかないと、歌唱法の変更をともなう訓練をうける。
長く現役でいたいのと、もっとうまくなりたい、という気持が突き動かしたが、これが困難をきわめたようだ。

「これ以上できない。もっとうまくなりたいのに、なれない。」
それが、一般人に理解できないレベルであっても、本人にとてつもない挫折感をあたえたと想像できる。
「極み」とは、こういうものなのだろう。

あのメトロポリタン歌劇場でさえも、体調によってキャンセルをするマリア・カラスとの契約を打ち切るということをした。
7年後、メトロポリタンオペラ復活公演は大成功をおさめるが、そのチケットを手に入れるために徹夜して並ぶひとたちへのインタビューが、まったくもって「日本的ではない」おどろきがあった。

まずは年齢である。
若い。十代か二十代の若者たちが、他人のためではなく自分のために並んでいる。
そして、公演の目当ては彼女だと明言し、「30分のスタンディングオベーションをやる」と意気込んでいるのだ。
じっさいは、10分間だった。

このワールドツアーは、日本での公演が最後だった。
東京NHKホールで、舞台に寄って握手をもとめるひとびとの熱狂もあった。
70年代までの日本人は、国際的な反応と態度とをしていたのだ。

映画での説明はないが、このあと、札幌公演が途中キャンセルになって、これをもって「引退」したのだった。

逝去後40年以上が経過しても、あたらしいドキュメンタリーがつくられるのは、「個人情報」のかんがえ方がちがうからでもある。

キリスト教社会は、旧約聖書をおなじくするユダヤ教もイスラム教も、いつからいつまで、という区切りの概念がある。
だから、婚礼でも、「死が二人を分かつ『まで』」という「誓い」をたてる。

この「誓い」こそが、結婚契約なのである。
配偶者のどちらかが亡くなった時点で、結婚契約も解消されるというかんがえかたである。
「あの世をふくめた未来永劫」という「誓い」をするわが国とは、ぜんぜんちがう。

婚礼ビジネスは、これを説明しない。
主導権をにぎる新婦も、衣装に興味があって「誓い」の内容には無頓着なのは、子どもの国ならではである。

さいきん、外国人が神前式をもとめて日本での挙式をするのは、ちゃんとそこをしっていての確信犯である。
「犯」というのは,「反キリスト教」という意味である。

それで、守るべき個人情報も、本人が亡くなれば「公開」の対象になる。
生きていてこその個人情報保護であって、亡くなれば制約が解けるのだ。

「偉人」のはなしがなくなった日本に、偉人がでないのは、偉人であっても「もっとうまくなりたい」とおもっていたことをしらないからである。

失敗はゆるされない

失敗をゆるさない土壌がある。
「失敗はゆるされない」ということを気楽に口にするトップがいるから、そうなる。
そして、残念ながらこういうトップは「まじめ一筋」であることがおおい。

だから、ほんとうに「失敗する」と、その失敗をした本人を責め立てる。
これが、「部下のせい」にしていることを、このひとは気がつかない。
それに、「失敗したこと」を責め立てるから、失敗の「原因」追求をしているわけでもない。

なんのことはない、自分の責任にならないように演じているだけなのだ。
これを、「無責任」というが、こうしたひとをさらに上の立場のひとが、「ごもっとも」といって納得して、「失敗はいけない」といいだすことがある。

部下からすれば、「絶望の連鎖」である。
それは、個人の資質が責められるからだが、ことが「原因」に向かないから、その部下も、「表面をつくろう」ことがよいことだと学ぶのである。
だから、本人が「絶望」を感じなくてもいい。

感じようが感じまいが、その組織は「絶望の連鎖」をうむようになる。
こうして、やがて組織全体が「腐る」のである。
「腐った組織」には、「腐臭」を感じないひとがトップに君臨する。
そして、「失敗はゆるされない」をあいかわらず、「まじめ」にかつ「気軽に」口にするのである.

ところで、そんな腐った組織でも、「原因追及」にはなしが向かうことがある。
ようやく目が覚めたのか思いきや、けっしてそんなことはなく、「悪夢のループ」におちこんでいく。

原因の「評価」と、「改善方法」が、非合理の方向へと邁進するからである。
すなわち、「過剰」な「心配」が、「過剰」な「対策」を要求するようになるのである。

そこには、「科学」がない。
畑村洋太郎著『失敗学のすすめ』をみれば、その深さもわかろうというもの。

理系組織なら心得があるだろうと思いきや、じつはそんなこともないから、組織とはおそろしい。

しかし、それをするのは、えらい文系であることがおおいとこのブログでも何度か指摘した。

なぜそうなるのか?
「余計な」ことまで「原因」とするからである。
これに、組織の「管轄」もからみつくと、もうにっちもさっちもいかない。

たとえば、「津波観測」の技術で、水面の波の高さをはかるレーダー開発は、「電波法」における「免許」が取得できずにお蔵入りしたというし、海底に沈めた重力センサーで、水面の重さを測って津波の動きをとらえることも完成していた。

ところが,津波警報を発するための「観測網」の取り決めのなかに、この重力センサーをくわえることをしていなかったから、「予報」にもちいることができない。

それでも、このセンサーからのデータはモニターしていて、あきらかに大津波が発生して、海岸に向かっていることがわかっていても、他の「観測網」の反応がないから結果的に放置された。

すなわち、「法治国家」とは、法によってひとが殺されることを許容する国家のことをいうようだ。
けれども、日本国憲法第十三条には、

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

とあるから、これらの技術をはねのける「法」こそが、憲法違反である。

結局のところ、「優先順位」の問題なのだ。
行政官に、この判断ができない。
くわえて、この国の司法も、おそろしく「憲法判断をしない」最高裁判所が君臨している。

立法における最終チェックは、内閣法制局になってしまった。
この部局にいるひとたちは、法学部をでた上級職の行政官たちで、各省庁から「出向」して勤務している。

法律をつくるときに、過去からある法律との「整合性」をチェックする部署ということになっているから、内閣法制局を通過しないと、国会に提出されない。

そんなわけで、各省庁のえらいお役人が、内閣法制局参事官以上の役職を「五年間以上連続」で務めると、定年退官後、弁護士資格があたえられる特権をゆうしている。
だから、みなさま5年以上の勤務を「希望」することになっている。

司法試験を受けなくても、弁護士になれるのは、「老後」を保障するから、そのへんの「天下り」よりえらいのだ。
だからこそ、失敗はゆるされない。

こうして、つくるときのチェックがきびしいから、つくった後の矛盾を「最高裁判所」が指摘しすることはむずかしい。
それで、最高裁判所は居眠りできるようになっていて、おかしな法律があっても見て見ぬ振りをすれば丸くおさまるようになっている。

どちらにしても、国民は命がけだが、そんなことはどうでもよいようにできている。

官民そろって、失敗はゆるされない、という組織文化土壌には、本末転倒という倒錯があるものだ。

こうして時代は変化する

自動車はどちらさまにも、ふつうの乗り物である。
運転ができるひとも、とっくにふつうになっている。
だから、どうということもないのだが、そこに時代の変化がかくれている。

たとえば、夜間の信号待ちのときにヘッドライトは点灯したままにするか、それとも消灯するかということがある。
たとえ消灯しても、車幅灯は点灯のままにするのがふつうだ。
あんがい、どちらかが「習慣」になっている。

点灯のままのひとは、なにか気になることがなければ消灯しないし、消灯するひとは、なにかに気をとられて消し忘れるくらいだろう。
だから、両派はそれぞれが「習慣」なのだ。

消灯派のひとは、高齢者におおいという。
むかしの自動車は、当然だがいまよりも性能におとる。
とくに、バッテリーの性能がわるかったことから、停車時のアイドリング中にヘッドライトをつけたままだと、バッテリーが劣化して寿命が縮むといわれていた。

それに、点灯したままだと対向車の運転手がまぶしかろうという「思いやり」がくわわって、信号待ちで消灯するのが「習慣」になったとかんがえられている。
まぶしいのはむかしのヘッドランプではなくて、さいきんのLEDランプの方がよほどまぶしい。

しかし、いまでも主流のHIDランプは、黄色みがあるハロゲンランプに取って代わったものだが、つけたり消したりすると寿命が縮むということから、点灯したままということが推奨された。
もちろん、すでにバッテリー性能は気にしなくてよい状態だ。

こうして、バッテリー性能から「消灯」していたものが、ランプの寿命による「点灯」に変化したが、バッテリーの問題とランプのはなしがいれかわっていることがポイントになっている。
まさに、ここに「変化の潮目」があるのだが、どちらも「寿命」をながくしたいという共通点で、この変化をかくしている。

こうして、LEDランプが登場して、圧倒的な寿命のながさがうたわれるようになった。
LEDは、消費電力もすくなくてすむから、いよいよバッテリーの劣化を気にしなくてよい。

だからといって、対向車にまぶしいだろうから「消してあげよう」になっていない。
むしろ、さいきんの機能は、光源をシェードで自動的にかくして、相手がまぶしくないように調整するようになっている。

つまり、運転手がする「思いやり」を、自動車の機能としてするようになったという大変化がおきている。
それで、わが国には2020年の新車から、ヘッドライトの自動点灯機能「義務化」がきまっている。

「義務化」なので、こんどは「点灯」も「消灯」も、運転手がえらべないという意味に変化する。
これも、自動運転化の一部になるのだろう。

だから、2020年をさかいに、すくなくても「消灯派」は駆逐されることがきまった。
運転手の意志とは関係なくなるのだが、それは、スイッチがなくなるということでもあるから、消したくてもできない。

ここから想像できるのは、相手がまぶしかろう、という意識も消えることだ。
だって、自分じゃなにもできないからしょうがない。
そういうことで、まぶしくこちらを照らす相手に「敵意」をおぼえるようになるだろう。

おなじような変化が、かつて、ペットボトル普及時にもおきている。
たった一回の飲み物のために、プラスチックをこんなにつかっていいものか?という「おもい」がじゃまして、ペットボトルの購入には「ためらい」があったのだが、「リサイクルする」ということで爆発的に利用がふえたのだ。

ほんとうに「リサイクル」しているのか?
どうやって「リサイクル」するのか?
ということは、専門家にまかせて、だれも不思議におもわなかった。
じっさいは、中国に輸出したのにだ。

しかし、いちど破れた傘をだれも修理しなくなったように、もどることはできない。
それは、物質的に、物理的なことではなく、ひとの精神がもどれないのである。

たかが、自動車のヘッドライトのはなしだが、価値感はこうやって変化して、それがやがて「時代」をつくる。

それにしても、なぜ「ライトの自動化」が「義務化」されるのだろうか?
またまた、国家による命令である。

車好きから反対の声がきこえない。
たかが、自動車のヘッドライトのはなしだが、自分でライトのスイッチぐらい操作させろというひとはいないのか?

選択の自由がうしなわれる。
これは、けっして大げさなはなしではない。

信じる「理論」があるなら

子どもは自分が好きなはなしを、何度でもききたがる。
物語の読み手である親が飽きてしまうが、そこは親心でグッとがまんして何度もおなじはなしをしてあげるものだ。

おとなになると、いろんな本や情報をえて、それぞれに好みができあがる。
それで、自分が好きなかんがえ方がだんだんと自覚できるようになる。
だからこそ、若いうちにいろいろな方向のものをそれこそランダムに経験することが重要になる。

ただし、これには「育ち」という基盤があって、両親や親戚、ご近所などとの生活のなかで、価値感というものが埋めこまれていくのが最初の経験になる。
英国では「保守」の思想、米国では「自由」の思想がそれだ。

わが国ではどうなのか?
「他人に迷惑をかけない」思想になったとおもう。

これは、英国の「保守」でもなく、米国の「自由」でもない。
「他人に迷惑をかけなければなにをしてもいい」という思想は、けっして米国の「自由」思想ではない。
米国の「自由」には、他人から命令されない、つまり、自分のことは自分できめる、という意味があるからだ。

いま、職場での不適切な動画が問題になっているが、不適切なことをしでかした彼らは、とうとうなにが「他人の迷惑になるのか?」という基準まで喪失してしまった。

彼らの「育ち」が、どうやらまちがっていたのだろう。
つまり、彼らの周辺にいたおとなたちの「育て方」のまちがいがあらわれたのである。

だから、本人たちには刑事罰が、周囲のおとな、端的には両親に損害賠償請求がされるのは、しごく当然ということになる。

ところが、これらの事象には、わが国の価値感がとっくに溶け出したことが「育ち」の問題になったのだとかんがえられるから、けっして特異な事件ではない。

つまり、職場にスマホなどの持ち込みを禁止する規則をつくったところで、防止策にはならないのである。
べつに、影像をネットにアップしなくてもよい。

もちろん、しかけた影像をアップすることが目的だともいえるのだが、価値感が溶け出したのだから、愉快なおもいはそこで終了してもよい。
行為自体の発散か収束かのちがいだけになる。

とうとう、会社が従業員の仕事ぶりを撮影して監視しないと、なにをしでかすかわからない状況になった。

これを、「サボタージュ」といわずしてなんというのか?
日本語の「サボる」ではなく、原義の「Sabotage」のことである。
むかしは、労働争議での戦術だった。
いまこの国では、価値感の崩壊から自然発生しているのだ。

一時代を区切るとき、だいたい30年を単位とする。
ちょうどよいことに、平成時代が一時代にあたる。
その30年前は、昭和34年で、さらにその30年前は昭和4年。

不適切なことをしでかしているのが、だいたいいま18歳くらいだから、この子たちがうまれたのは平成12年(2000年)だ。
そのとき親が30歳なら、昭和45年(1970年)うまれ。
そのまた親も30歳で親になったなら、昭和15年(1940年)うまれである。

典型的「戦後」がみえてくる。
この祖父・祖母が30歳のときまでが高度成長期で、40歳から50歳という時期が、バブル経済の絶頂だ。
その子の世代は、バブル入社期にあたる。

なんという時代の移り変わりだろうか。
そして、いま、平成がおわるとき、私たちは平成という時代をきちんと説明できるのか?
そうしたなか、野口悠紀夫『平成はなぜ失敗したのか』(幻冬舎)がでた。

野口先生は政権の御用学者ではなく、むしろ正反対の批判をしているが、しごくまっとうな説明を展開しているこの国では数少ない論客のひとりだ。

平成が終わってしまう前に、なにが問題なのか?という根本に気づけなければ、つぎの時代を生き抜けやしない。

世界も、周辺各国も、じつにドラスティックな変化をとげているのに、わが国だけが、30年以上前の「戦後昭和の栄光」にすがりついて、かたくなに変化を拒否している。
しかも、政府に依存して、という条件までもくっついた。

なにをもって根幹の価値とするのか?
という、おそろしく深い問いのこたえが求められているのに、目先の「利益」ばかりを気にするのはどうかしている。

「価値」がきまらなければ、実務はうごかない。
「価値」をきめないで、実務をうごかすから生産性があがらない。

ソ連末期、投入より産出される価値の方がすくなくなった。
ありえないことが起きたのである。
信じる理論がまちがっていた。

しかし、平成時代をつうじてわが国は、とうとう信じる理論すらみつけられずにおわろうとしている。
これが、個別企業にまで、もとめられることになっている。

今日は、建国記念の日。
あらためて、厳しい現実をしる。