スイス国民投票の否決

投票数で賛成多数でも否決されたのは、州の数で3分の2以上の賛成がなかったためだという。
これは、スイス国民投票の歴史で2度目の「珍事」だという。
「州」という制度では、連邦を維持するための重要な知恵でありルールであろう。

同じことが、アメリカ大統領選挙でも決まっていて、「州」で選挙人が決まらない場合は、連邦下院の議決で大統領を、連邦上院の議決で副大統領を選出するルールがある。

連邦上院は、各州から2名の議員を選ぶから、全部で100人。
上院議員ではないのに、副大統領は上院議長になるので、上院が副大統領を選出するのはわかる。

ユニークなのは、下院だ。
こちらも、大統領の選出ということになったとき「だけ」、各州1票として、全部で50票から決める。
だから、今回の選挙で選ばれて、来年の任期はじめにもし、大統領選出のための投票が実施されると、議員数に劣るけど、勝ち取った州の数で過半を占める共和党が、トランプ氏を選出するというシナリオになっている。

ちなみに、マスコミが「当選」とした、民主党のバイデン氏にばかり話題がいくけど、現職上院議員のカマラ・ハリス氏は、まだ上院議員を辞職していない。
副大統領になるなら辞職は必須だから、まだ二股をかけていて、バイデン氏当選を信じていない証拠だし、国家反逆罪に連座しないための虫のいい逃げかもしれない。

今回のアメリカ大統領選挙があっさりトランプ氏再選で決着していれば、スイスの国民投票でも、「可決」されたか?といえば、微妙ではある。
議案はふたつ。

ひとつは、スイス国立銀行(中央銀行:SNB)や年金基金に軍需品の製造企業への投資を禁じる件。
ひとつは、スイス企業が外国で行う活動による人権侵害や環境被害に対する法的責任を企業に問うことができるようにする件。

一点目は連邦議会下院が、事前に「否決勧奨」を出していた。
問題なのは、二点目の「責任ある企業」の件であった。
これは、わが国の隣の大国を支配する一部のひとたちとその家族が持っている、スイス銀行の口座をどうするのか?に直結していたからである。

この意味で、アメリカ共和党保守派がもとめる、「デカップリング」についての、スイスにおける第1ラウンドは失敗したといえる。
しかしながら、再選後どうなるのかはわからない。

それに、今回のアメリカ大統領選挙で用いられた投票システムが、「不正システム」であったことが判明してきて、今週には「決定的証拠」が、裁判所に提出される予定になっている。
このシステムは、スイスでも使用されているので、証拠と事件化された後の展開次第では、どんな火の粉がヨーロッパ・アルプスまで飛ぶかわからない。

「フェイク」との情報が飛び交った、このシステムの「サーバー」が、ドイツのフランクフルト米領事館で米軍特殊部隊によって押収されたとする情報は、アメリカ空軍中将によって、「事実確認」された。
そして、その際、銃撃戦となって、部隊の兵士5人と相手側1名が死亡したともいう。相手側とは、CIA職員である。

つまり、場所が外国といえども領事館なら領土内同然であるから、すでに政府内で、本物の「相打ちの内戦」が起きていて、戦死者まででたとなると隠しようがない。

この件で、誰の目にも明確になったのは、トランプ政権は、米軍のうち、空軍と特殊部隊、それに宇宙軍とサイバー軍は確実にグリップしているけど、CIA、FBIといった政府組織は、いわゆる、「ディープステート」の側にあるという区別である。

「国家反逆罪」を軍法会議に訴追できる唯一の資格、軍事弁護士になったシドニー・パウエル弁護士がいう、「クラーケンを解き放つ」の「クラーケン」とは、「米軍サイバー戦争プログラム」の名称だとわかった。

うっかりしていたけれど、そもそも、「インターネット」自体が、アメリカ軍の開発したネットワーク・システムだ。
つまり、われわれが使っている、「インターネット」とは、アメリカ軍のいう「インターネット」の一部、つまり、民間に開放された部分でしかないのだ。

このサーバーの解析は、押収した軍の専門家によって行われている。
すくなくとも、選挙システムが4ヵ国の外国からの侵入を許していたことも判明しているから、どんなふうに世界に衝撃を与えるかわからない。

つまり、スイスだけではない。

むしろ、著しい人権侵害を考慮すれば、「企業の責任」としての「モラル」と「インモラル」の戦いになることは間違いない。

トランプ氏による、「浄化」は、アメリカ政界にとどまらないばかりか、世界の企業・経済の「浄化」も意味するのである。

この責務に、日本経済界・企業は、耐えられるのか?

栗と薩摩芋とデシベル

この時期の洋菓子といえば、栗のクリームがたっぷりの「モンブラン」がだいすきだ。
それと、栗といえば、栗むし羊羹で、浅草の芋羊羹で有名な名店のそれが、たまらない。

子どものころ、いつか一本まるごとひとりで食べてみたいと思っていたけど、還暦を間近にして、いまだに実現したことがなく、たぶん、一生実現しない。
やっぱり、一本は無理だと思うからである。

練り羊羹は、どういうわけか端っこの砂糖がジャリジャリしたところがだいすきであったが、あっさりした栗羊羹の方が口にあった。
これを叔母さんに告白したら、安い方がいいなら幸せね、といわれたことがある。
でも、好みなのだから仕方がない。

横浜駅から東横線に乗って、ほぼ毎月のように通ったのが、父の実家と墓がある日吉駅だ。
だけど、数えるばかりの記憶しかないものの、コーヒー好きだった父に連れられていった、自由が丘の喫茶店に思い出がある。

それが、「モンブラン」の『モンブラン』という店である。
いつからか、注文するケーキが、「モンブラン」から「サバラン」になって、お土産に買ったサバランに、自分でブランデーをかけ増しして食べていたら母にばれてしかられた。おそらく、酔っ払っていたのだろう。

これが、幼稚園の頃である。

栗に薩摩芋という組合せは、たいへん相性がいい。
ホテルに入社して、とっくに総料理長だった村上信夫専務(当時)の社内講演で、モンブランのクリームに、薩摩芋をいかほどまで混ぜてもわからないものかという話があった。

誤解されると困るから説明すれば、戦時中とか戦後の食糧不足時代の話だと本人が説明していた。
もちろん、ホテルでは混入などもってのほかだと。

でも、ひとの味覚にあやふやさがあることは、プロとしてちゃんとしっていていい知識だとしっかりつけ加えていた。
そのためには、実験が必要だ。
それで、限界まで芋を加えてもわからない比率はいかほどか?

へぇー!
という比率だが、芋にもしっかり裏ごしをして、その独特の繊維質を取り除くことをすれば、という条件があってのことだ。
すなわち、栗100%の方が手間がない。

人間の手間を加えて材料費を安くするのと、人間の手間の費用とをかんがえると、職人の手間がタダ同然だった時代ならともかく、いまはそうはいかないという「オチ」だった。
これは、「ABC(Activity-Based Costing:活動原価基準)」の発想だ。

一方で、むかしの男子がこぞってはまったのが、オーディオである。
ときに、日本製品が絶好調の時代だったから、おそるべき「こだわり」の製品が新製品パンフレットを賑わした。

まだ、CDというものがなかったので、基本は「LP」、それと、「カセットテープ」だった。
LPレコードは、ターンテーブルの回転ムラの正確さ、それと、「針」の性能が競われていた。

カセットテープは、磁気体のちがいで値段がぜんぜん違うし、テープレコーダーのヘッドの性能が比較検討の対象だった。
もちろん、マニアは、オープン・リール派だったので、カセット?というだけで相手にされない。

これに、アンプの性能とスピーカーが加われば、おカネがいくらあっても足りない世界が、すぐにやってくる。
しかも、アンプにつかわれるのが、真空管ともなれば、いかなるトランジスタでも、子どもあつかいされたものだ。

それでもって、なんやかやで指標になったのが、デシベルだった。
じっさいに、可聴域をはるかに超えた再現性が競われたのである。
つまり、「聞こえない」音域のことだから、別にいえば、「超音波」である。

低周波だろうが、高周波だろうが、人間の耳で聞こえないのは、みんな超音波なのである。
これが、ヘッドホンの世界でも語られたから、本当なのか?になった。
「聞こえない」音を再現できる性能を、本当に高性能というものか?と。

「ゆらぎ」の研究で有名だった、東京工大の教授が、ラジオで「聞こえないものを」と笑い飛ばしていたのを聴いた。
いわゆる、過剰だと。

そもそも、録音されたオーディオは、録音時にミキサーがミキシングしてつくった音である。
だから、もし完璧に再現できたとしても、それはミキサーの聴力の再現になって、音源そのものの再現ではない。

栗と薩摩芋の関係になんだか似ているのである。

ならば、どんな混ぜ合わせの組合せがいいのか?
ひとの好みも無限大なので、組合せも無限大である。
それを個別に調合すれば、すぐにオリジナルとなるのである。
すなわち、データベース同士の組合せで可能になることだ。

これからのパーソナル・サービスは、ここに向かうこと必定なのである。

影がうすい「特派員」

「電信・電報」の世界に、衛星通信ができて、海底ケーブルもつながった。
ひとの移動は、徒歩から飛行機になったけど、超音速旅客機が廃止され、亜音速機が主流になったので、速度という面ではすこし退化した。
それで、ひとが住む都市レベルなら、数日もあれば地球のほとんどの場所に到着できる。

そんなわけで、「タイムマシン」とは、飛行機のことだとおもっている。
どうかんがえても、たった一世代か二世代前なら、かんがえもしない「外国旅行」が手軽になったし、座席に座ったままでドアが開けば、ぜんぜんちがう国にいる。

それでも、「特派員」がいまでもいるのは、現地の情報網にくい込んで、「取材」という行為をするには、相手との信頼関係を築かないと肝心の情報が降ってくるわけではないからである。

インフォメーション(information)を、「情報」と訳した明治人のセンスが光るのは、このためだ。
「情」に「報いる」ことをしないと、情報にはならない。

世界の出来事をしるのは、当たり前だと思い込んでいるけれど、ほんとうにしっているのか?とあらためて問われたら、じつはぜんぜんしらないものだ。
それだから、いろんな出来事を報じてくれるものに、おカネを払って買っているのである。

新聞には、読者である消費者が購入する収入と、広告収入がある。
広告をだす企業は、広告費を販売効果で回収するので、やっぱり消費者が負担して支払っている。
これは、「民放」だって同じなので、視聴にあたって直接的料金は発生しないようにみえる。

違うのが、公共放送で、こちらの堕落は、「改革」ということでは済まない「腐敗」なので、一度棄てた方がいい。
だから、わたしのかんがえは、「廃棄論」である。

それでもって、「三権分立」の放送局をつくるのがいいとおもう。
政府=行政の放送局
議会=衆議院と参議院の放送局
裁判所=最高裁の放送局

視聴率がないけど、価値がある、という不思議な議論がされているのは、教育テレビだけれど、価値があるなら視聴率は高くないと辻褄が合わない。
だから、教育テレビは電波オークションで、どこかの予備校やカルチャーセンターがやってもいい。

電波帯は有限だから、三権分立放送は、いまの総合テレビをシェアすればよく、教育テレビは学習放送になってシェアすればいい。
希望をいえば、行政の放送には軍事放送も加えてほしい。
娯楽番組は、既存民放のオークションに出してスタッフごと販売すればいい。

そうなれば、渋谷の放送センターもいらないし、巨大なホールもいらない。
あとは、外国語放送だけど、これは、三権分立放送の中に組みこめばいい。
ならば、報道=ニュースはどうする?

「自由主義放送」として、立場を明らかにした民間財団がこれをやればいいとおもう。
いまの民放が「社会主義放送」だから、それでも多勢に無勢かもしれない。
そうすれば、コソコソ偏向を誤魔化さなくてよく、視聴率で競争すればいい。

視聴率だけで競争させてもいい、というのは、とっくにインターネットの時代だからである。
だから、経営が行き詰まった放送局は、ちゃんと「退場」してもらわないといけないから、事前に辞めるルールをつくるのが必須なのだ。

今回のアメリカ大統領選挙では、検索サイトやSNSが「情報プラットフォーム」なのか「出版社」なのか?という議論が沸き起こった。
「出版社」というのは、投稿記事を編集する権限をもつからである。
これに、既存メディアの「偏向」のすさまじさを見せつけられた。

これは、ちゃんと「世界的流行」になって、わが国だけに波及した問題でもない。
現地の特派員がなにをやっているのか?
今月14日のワシントンD.C.での大規模デモを、現地から「数千人以上」とか「1万人以上」とレポートしたひとは、報道陣ではなく「俳優」だった。

画像と言葉の説明がぜんぜん一致しない。
誰が観ても、「数十万人」だろう。
「以上」をつければ、数学的に正しい、といいたいのだろうが、それは小学生向け教育番組でやればいい。

日本のマスコミが報道しないと確信的におもうのは、本日29日に実施の、スイス国民投票だ。
この結果は、アメリカ大統領選挙に匹敵かそれ以上の破壊力がある。
詳しくは、以下のサイトをご覧いただきたい。

https://www.swissinfo.ch/jpn/2020年11月のスイス国民投票/46149732

スイス公共放送協会・国際部のサイトだ。
賛成派・反対派について、ちゃんと「現況」つきで報じている。

わが国の放送協会ができない技である。

日本人が不幸な理由が、こんなところにもあるのだ。

【速報】ペンシルベニア州で判決

トランプ氏を徹底的にディスっている、日米のマスコミとSNSがあるけれど、このひとたちにはきっと「衝撃」、のニュースを『カナダ人ニュース』が動画配信している。

「激戦州」のひとつ、ペンシルベニア州の連邦控訴裁判所で、大統領選挙に間しての重大な判決があった。
原告は、トランプ法務チームではなく、同州の上下両院議員たちである。

すでにある州政府の選挙認証作業を停止した裁判所命令はそのままにして、大統領選挙人の選出は、州議会とする。

この判決によって、一般投票ではなく、そもそも合衆国憲法が規定する、州議会が決めるという「原則」に戻ったことになる。
そして、なによりも、ペンシルベニア州の上下両院ともに、多数派は共和党なのだ。

よって、トランプ氏に、20票の選挙人が増えることが「確実」になった。

さらに、未確認だが、自称当選者が、連邦議会上院院内総務の共和党議員に、泣きついて「恩赦」を打診した、という情報もある。
すなわち、このブログで予想した、候補者辞退ということでの決着を取引しているということだろうけど、真偽のほどは定かではない。

それでか、あの反トランプ急先鋒のCNNも、「トランプ当選の可能性」というニュースを出した。
いよいよ、アリバイ作りを始めたのかもしれないが、とっくに「アリバイ」なんてないから、虫のいい話である。

議会の公聴会が予定されているのは、激戦州ばかり(アリゾナ州、ネバダ州、ミシガン州)なので、来週にはスパートがかかるはずである。
ネバダ州は民主党が多数なのだけれど、裁判所が公聴会を開くように命じている。

連邦最高裁の判事9人のうち6人が共和党大統領が選んでいる、「保守派」だ。
全土を9人で分割して担当する「地区担当」では、すべからく「保守派」が激戦州の担当になっていることも、影響しているのだろう。

なお、単独行動の、シドニー・パウエル弁護士の方は、25日、着実に「モアブ(MOAB:Massive Ordnance Air Blast:大規模爆風爆弾兵器:すべての爆弾の母)」を、ジョージア州とミシガン州で炸裂させた。
こちらの相手は、州知事や州務長官、その他の官僚たちだ。

これを、激戦州だけでなく、すべての州と、連邦政府高官も見つめている。
なぜなら、彼女は、「手始めに」、と発言したからである。

日本のマスコミは、CNNのように白旗をあげずに頑張って、コロナの放送に全力投球するだろう。

来週は、歴史的に慌ただしい「師走」になること、確実である。

効果が高いコロナの政治利用

コロナの政治利用とは、コロナの恐怖をあおることで、いろんな不都合を隠せることをいう。

「とっても、お手軽で便利なんですよ、奥様!」

無症状のひとを、感染者だと決めつけて病人にする、というのは、今回のコロナが最初だとは言い切れない。
その前には、タバコの害を言い張って、癌の原因を何年も前の喫煙のせいにしていた。

タバコをやめてから20年で癌になるなら、タバコをやめなければいいのではないか?
すると、それなら80歳で癌になる可能性が高いという。
ならば、60歳でやめてもおなじだから、すきなタバコをやめる意味はどこにあるのか?

煙くて臭いがつくという理由で、タバコを嫌うひとがいるのは承知している。
だから、愛煙家は、たばこをたしなむ場所に苦労している。
ところが、受動喫煙という、きわめて曖昧な「エビデンス」を持ちだして、結局ほとんどの喫煙場所を奪ってしまった。

学校や病院の敷地内が、絶対禁煙のエリアになった。
面白いのは病院で、あんがい医師や看護師に喫煙者がいる。
ところが、院内の従業員食堂やラウンジも禁煙になったので、とうとう従業員食堂やラウンジの利用者がいなくなった。

医師や看護師が、勤務時間を終えた飲酒をともなう歓談の場が禁煙になったから、病院外のレストランや居酒屋がたまり場になったのである。
それで、コロナ初期のころ、「飲み会」における医療従事者たちが集団感染するという不祥事になった。

それでもって、火を付けるタバコではなくて、電子タバコとか水蒸気のタバコがでてきて、どういうわけか、こちらは「害が薄い」ということになっている。
これは一体「どういうわけか?」を、とっくに禁煙している身だけれど聞いてみたい。

厳密に、どういうわけかなんて、「ない」とおもっているのは、本物のタバコがそんなに身体に悪いとはおもえないからだし、さいきんの新製品の方が怪しいと思うからである。
電子タバコを半世紀吸い続けた人間は存在しないのだ。

そんなことをいいだしたら、「ph調整剤」という名の防腐剤がかけてある弁当を食べ続けると健康にどうなるかも、わかっていない。
それでも、「安全基準内」なら大丈夫、ということにしないと、弁当が成り立たない。

ただし、孤独死の事件から、人間も腐らないことはわかっている。
古代エジプト人たちが、大喜びすることは間違いない。
ミイラ作りのための、防腐剤の研究開発が、現代化学や薬学の源流になっている。

こういう世界に生きているのに、どういうわけかコロナだけは絶対安全でないといけないことになっている。
それで、症状がないひとでも、PCR検査という、感度抜群の方法で病気持ちにして隔離する。

症状がなくて、検査で病気になるのなら、防腐剤の体内濃度を調べてみれば、どのくらい臓器がいかれているかがわかるだろう。
でも、この腐らないという「病気」は、防腐剤の弁当をたくさん食べないといけないから、すぐさま「感染症」にならないだけだ。

ほんとうは、おおくのひとが防腐剤を食べている「感染者」なのに、である。

そんなわけで、なんだかしらない病気だけど、感染者が増えている。
数ヶ月前、都知事は、検査が増えたから感染者が増えているという、当然をあたかも自分の知識のひけらかしと、もっともらしく発言したが、今度は驚くほどの健忘症を発症して、「レッドゾーン」だといいだした。

もっと面白いのは、政府の担当大臣で、厚生労働大臣でも医者でもないひとがもっともらしいことをいいつづけている。
まぁ、厚生労働大臣だったいまの官房長官が、しどろもどろだったので、立場を乗っ取られた、といえばそれまでだ。

担当大臣は経産官僚、厚労大臣から官房長官になったひとは、大蔵官僚だった。
素人なら素人らしく、もっと謙虚になれないものか。

でも、彼らのお手本が、隣の大陸のスポークスマンたちだろうから、ああなるだけだ。
国民生活を優先させる気持なんて微塵もなく、為政者の都合を優先させる姿が見事に一致する。

選挙で選ばれることがどういうことかを感じないのは、やっぱり選挙に問題があるからだ。
世界でいちばん厳密という、わが国の選挙法は、厳密だからといって素直に自慢できる内容ではない。

たとえば、立候補にあたっての、「供託金制度」。
泡沫候補だと、全額没収の憂き目をみるから、めったやたらに立候補をする輩を阻止できるけど、被選挙権を事実上狭き門にしてしまっている。
それどころか、勝てる根拠があるひとしか立候補しないし、できなくしている。

政府と報道機関が結託すれば、世界の出来事をしるチャンスを国民が失う。
これも、重要な欠点だとわかってきた。
アメリカで、SNS等のIT企業がやった事実上の検閲を経て、いま、動画なら、「ランブル」、つぶやきなら、「パーラー」、にシフトがはじまっている。「検閲」を嫌うひとたちが一気に引っ越しを開始した。

まさに、自由主義における、栄枯盛衰が実証されつつあるのだ。

社会の重要な動きを、コロナ報道で目隠しするなら、立派な「政治利用」なのである。
そして、この半年あまりの間に、効果が高いことで味をしめているひとたちがいることを忘れてはならない。

国連さまに褒められてうれしい

世界的なコロナ禍が、どういうことかよくわからない。

日本国内だと、データがそろってきて、もう「ふつうの風邪」だとわかりだした。
いわゆる、重篤化して死亡するのは、おおむね持病があるひとが「風邪でこじらせた」のである。

その「こじれかた」だけをとりだして、「障がいが残る」とあおるマスコミ報道をどう信じたらいいのかは、もはや一般人には不可能である。
「専門家が大衆化」して、一般大衆を扇動するとおカネになる世の中にするのは、卑怯な堕落である。

個々それぞれの「持病」を説明してからの、「後遺症」ならまだしも、原因をぜんぶコロナにするから、あたかも健常者が感染するとどうなるかに聞こえるのだ。
しかし、個々人の持病の説明などぜったいにしないし、解説する医師や学者たちもこれを指摘しないから、堕落というのである。

医師は、「死因」を診断書にどう書くか?
WHOは、死の間際でもコロナウィルスがみつかったら、「死因」に加えるように全世界の加盟国に指示したので、持病が「癌」でもみつかれば、「死因」にコロナが加わる。

だから、医師が書いた死亡診断書を、どう読むか?という問題が発生する。
これを読むのは、遺族であって本人ではない。
でも、これを集めて資料にすれば、コロナでの死者数となる。
ならば、たとえば、元の持病はどうやってカウントされるのか?

先の例でいえば、癌でコロナに感染した場合である。
癌の病状と進行状態によっては、一般人の遺族だって、主たる死因は癌でコロナはオマケと思う例だってあるだろうに。

すると、死因に、癌とコロナが併記されたら、「集計」では、「癌」と「コロナ」が別々にカウントされて、気がついたら死者の数より死因の数の方が多くなる。
このへんは、どうなっているのか?

やっぱり、素人にはわからないから、ちゃんとした報道機関ならこれを報じるのが筋であろうに、国民から料金を取る放送局も、これをしないのは「詐欺」だといえるのである。

そんなわけで、体調を崩したひとがするものだった、マスク着用のエチケットが、あたかも社会全体に強要されるようになったのも、マスコミ報道の詐欺に集団が見事に引っかかったからである。
すなわち、マスコミの威力があまねく通じる、社会実験となった。

それで、政治家の心が完全に折れて、いかにマスコミに迎合するか?が、つぎの選挙に当選する基礎的条件になったのだ。
つまり、「マスコミ報道を制するものは、世間を制する」ことになって、これが世界各国に「感染」していたことも判明したのである。

その一例が、アメリカ大統領選挙だ。
すでに、マスコミが報じなかった出来事について、事前にしっていたら投票行動を変えたか?という調査が実施されていて、2割のひとが「変えた」との回答を得たと発表されている。

すると、トランプ氏の得票は、史上空前の9000万票を超えるレベルだったと「試算」できるのである。
ただし、こうしたひとたちを裏切ったことの社会的報復を、しでかしたマスコミに与えるのも「道理」というものだから、いろんな意味でこの選挙は注目に値する。

こんな事例は、いっぱいあって、国連のいう、「SDGs」推進もその典型である。
相変わらず、国連の基本理念である、『国連憲章』において、わが国とドイツは、「敵国」扱いを「条項」として明記されている。

それなのに、あたかもわが国が安全保障理事会の、「常任理事国になる」という論理矛盾もはなはだしい活動を行ってきた。
安全保障理事会こそが、わが国にはかつての敵国たちの、談合会議体である。

はたして、この「活動」に、いくらの国費を投じたのか?
これぞ、会計検査院が指摘すべき「ムダ」である。
外務省は、おそるべき金額を、実質的「遊興費」に散じたはずだ。
歴代、国連大使以下関係者は、私費で返還すべきものである。

しかし、なんといってもマスコミが、国連のことを大好きなのだ。
ここに、どのような「邪心」があるのか?
それは、国連こそが、グローバリズムの権化だからである。
かつてからの、彼らの憧れは、「世界連邦」なのだ。

世界各地の民族やその伝統文化を、口先でいうのとは裏腹に、ぜんぜん尊重も尊敬もしない本音のみならず、ほんとうは、これ以上ない侮蔑の目でみているのが、グローバリストのグローバリストたるゆえんである。
そこにあるのは、統一的で薄っぺらな、「ヒューマニズム」なのであって、利益優先の儲け至上主義がある。

これは、本来の資本主義ではない。
儲けるのは、一部の特権階級でしかない。

「多様性」とかいいながら、「統一」を最優先させる。
そして、反対者たちを、「正義」のもとに弾圧することに躊躇しない。
すなわち、共産主義なのだ。

国連事務総長が、わが国の「温暖化対策」を褒めてくださいました、と嬉しくて仕方がない。
まさに、喜びを全身で、シッポがあれば思いきりシッポを振るだろう態度で歓迎しているのは、「犬」とおなじだからである。

もはや、一般国民には、完全なる「アンチ・テーゼ」となり果てたのが、マスコミだから、かれらがいう「甘言」こそ、やってはいけない「正答」なのだと理解しよう。

アメリカが日本を制裁する

日米関係の軋轢や葛藤は、かつてはたいがい、相手が民主党政権のときに厳しく、共和党政権のときにこれを、「緩め」てくれていた。
だから、日米の蜜月と同盟関係の強化は、共和党政権のときにやっていて、民主党政権になると離れるという往復運動をやってきたといえる。

わが方が、ほぼ一貫して自民党政権だから、ブレ幅は多少あっても、あちらのようなドラスティックなことはなかった。
むしろ、自民党の「保守色」がだんだん失せて、気がついたらアメリカ民主党を追い越すほどの左傾化をしたのだけれど、あまりにその変化の加速度が緩いので、当の日本人がこれに気づかないでいる。

加速度を感じない、丁寧な運転手が操作する新幹線に乗っていて、車両全部の窓にブラインドが降ろされているようなものだから、たまに聞こえる鉄橋やトンネル通過の音で、なんとなくスピードを感じとることができるぐらいで、どの方向に向かっているのか皆目見当がつかないのとおなじである。

まさに、「窓」からの風景が見えない状態とは、いまのようにマスコミ情報が意図的に操作されたら、もうどうにもならないのである。
これが、「言論の自由」の重要性だ。
ふだん、言論の自由をいうマスコミが、言論統制をやっている。

そのむかし、長崎の出島しか「窓」がなかった時代の日本人が掴んでいた、ちゃんとした世界情勢に比べて、なんという貧弱か。
「欲しい」という意志の欠如がそうさせている。

おもしろいことに、マスコミに正しく報道されないでいる指導者を、マスコミは「独裁者」と呼ぶことである。
そんな独裁者が、世界の歴史でいるものか。
ちゃんとした独裁者とは、みずから情報統制を強制させる者をいう。

つまり、現代の独裁者とは、マスコミ内で報道内容を決める権限を持つ者を指すのだ。
すると、大手マスコミ各社(オールドメディア)に、世界的IT企業も加わるので、「独裁の連合」が世界で初めてできたのを、いまわれわれは目撃しているのである。

その連合をかなえた思想が、「共産主義への支持」である。

骨の髄まで「反共産主義」であった、ソルジェニーツィン氏のいう、社会主義は共産主義に圧倒される、という法則は、わが政界でも適用されて、社会党をルーツとする社民党が消滅し、共産党と協調した立憲への吸収となった。
その立憲民主党の近未来は、こんどは共産党に吸収される運命にあるのだ。

しかし、これは与党もおなじである。
ヒトラーとスターリンが支持者層が似ていることを理由に憎み合ったように、公明と共産党は最後まで戦うので、ここでいう「与党」とは、自民党のことである。

いまやっているアメリカ大統領選挙は、共産主義と自由主義の死闘へと発展した、事実上の「内戦」が行われている。
武闘派の組織はいまのところ民主党を強力に支持していて、さっそくに「見返り」をバイデン氏とハリス氏に要求している。

対する共和党支持者は、個人防衛のために、こぞって「銃器」を自分で購入しているので、街の銃砲店はものすごい売れ行きになっている。
成り行き次第では、市街戦の勃発もあり得るのだ。

ちなみに、銃がたくさん売れることが目立つけど、弾がたくさん売れるのを忘れてはならない。
弾切れしたら、銃はなんの役にも立たないのだ。
アクション映画だと、無尽蔵に弾が発射されるけど、大口径ほど一発あたりの弾は重いから、これを持って運ぶのは重労働になるのだ。

さてそれで、用意周到のはずのトランプ政権側は、どうしたことか、CIAとFBIの長官をいまだ更迭していない。
国防総省でやった、長官更迭と同時の高級幹部多数の解任を狙っているのだろうけど、もしや激しい攻防戦になっているのかもしれない。

菅政権の短命は、アメリカ共和党を裏切った歴史的決断が理由となろう。
過去に、田中角栄がいたけど、もうロッキード事件のような細工はせずに、あからさまな退陣要求になるにちがいない、と勝手に想像している。

表向きは「コロナ禍」として、東京オリンピックを中止させるだろうけど、オリンピックの時期に、退陣・総選挙になる可能性が高いとみる。
つまり、日本政府をしてオリンピックにうつつをぬかしている余裕などどこにもないほどの圧力がやってくると予想するのである。

もちろん、狙いは北京オリンピックの中止だし、なにがなんでもデカップリングの実行だ。
アメリカ経済界だって、デカップリングは痛いけど、不正選挙への怒りで強固に結束した国民の支持がこれを可能にするのが、アメリカという国なのだ。

すると、わが国経済界は、アメリカの動きをどうみているのか?
自分たちの都合がいいような、部下には決してやってはいけないと命じることを、自らの戒めとせずに、「みなかったことにする」ことで、経営判断を決め込んでいるとしかおもえない。

アメリカのアジア太平洋戦略として、日本を失うことがどういうことになるか?は、歴代共和党政権ほど痛感していることである。
だから、いろいろ日本の都合を聞いてくれたのだ。
しかし、今回はちがう。

その重要性のゆえに、政権党を分裂させてでも、修正を図るにちがいない。

逆にいえば、民主党政権になれば、わが国はレッドチームへと追いやられて、気がつけば香港あるいはチベット、ウィグルのようになるのである。
そのための「甘言」をいいに、あちらの外務大臣がやってきている。
領土と安全保障を一方的に揺るがす国の外相に、どうして、わが国首相もニコニコと会わないといけないのか?

やっぱり、日本の政治家たちはバカなのか?
彼らを動かす、日本版ディープステート=官僚体制も、一緒になって仕向けているにちがいない。
だとすれば、学術会議の人事の件は、たんなる「目くらまし」だ。

はたして、揺るぎなく今日もしっかり機能している、大秀才のポンペオ率いる国務省は、今日の東京をモニターしながら、対日戦略としていかなる制裁を含む作戦を考案しているのか?

驚くことに、この作戦が日本国民を魔の手から救うのである。

【緊急訂正】軍法会議に起訴される

シドニー・パウエル弁護士とは何者なのか?
このブログでも彼女のことは触れてはきたが、わたしの勘違いもあるから、あらためて書いておく。

これまでの認識は、元連邦検察官でいまは弁護士ということだった。
彼女をしるきっかけは、トランプ政権発足時の国家安全保障担当大統領補佐官だったマイケル・フリン元陸軍中将の、ロシア疑惑裁判で罪を認める声明を本人がしている最中に、彼女が弁護を申し出たことによる。
そして、今年の5月には、司法省が起訴を取り下げたのだ。

それで、すっかり「刑事に強い弁護士」なのだと思っていた。

ところが、これが、「勘違い」だったのだ。
彼女は、1950年に制定された、アメリカ統一軍事裁判法における、「戦時弁護士」の資格という、ものすごい権限を有するひとだった。

アメリカでは、「軍法会議」とはいえ、対象者は軍人に限られないことになっていて、たとえ民間人でも国防省と司法省とで協議して合意すれば、あんがい「柔軟に」軍事裁判の被告人になり得るのである。

それで、彼女が有するこの資格は、公務員が職権濫用、宣誓偽証、贈収賄、陵辱、反逆罪、抗命罪といった罪で、「起訴する権限を持つ」のである。
だから、日本的な発想では、弁護士ではなくて、やっぱり検察官なのである。
しかも、「軍法会議」の。

ついては、読者の皆さまには、あらためて間違いを謝罪したい。

さんざんに、アメリカ合衆国とわが国の「違い」について書いてきたけど、肝心の司法制度もぜんぜん違う。
それは、わが国にもかつてあった、「軍法会議」がすっかり抜け落ちていたことである。

自分自身が平和ボケしていたことを、恥じるのみである。

さて、それで、気分一新。
「国家反逆罪」という、「重刑」を想定する罪の起訴は、戦時弁護士にしか出来ない権限なのだった。
つまり、彼女はひとりで、反逆者たちに立ち向かうことへの、身分を明らかにしたのである。

これが、トランプ弁護団が発表した、彼女は「トランプ弁護団とは無関係」の意味だ。
そして、彼女自身、今回の対象者である「敵」の認定にあたって、民主党も共和党も問わない、と明言している。

状況から憶測すれば、共和党知事、共和党州務長官、共和党多数の議会だから「楽勝」のはずだったジョージア州トップの裏切りも、ターゲットにあるということだろう。
すると、共和党側にも、あんがい「不正」がもっとたくさんあるのかもしれない。

ブッシュ(息子)元大統領が、早々にバイデン氏に祝意を表したのだって、いまさらに「変」であった。

4年前の選挙で掲げた、トランプ氏の「公約」は、ことごとく達成されていることは、トランプ嫌いも認める、近年稀にみる「業績」である。
しかし、彼はその「公約」で、まだ果たせていないものをしっている。
それが、「政界の『沼』の水を抜く」ことなのであった。

つまり、彼は、自分の再選のための選挙自体を、この「公約実現」の舞台に使っているのである。
こんな根性のある政治家は、残念ながらわが国ではとっくに「絶滅」した。

レッドチームの外務大臣に、主張らしい主張を一切せずに、ただ媚びを売るのは、単なる「売国」である。
わが国に、国家反逆罪も、これで起訴する人物を用意する「制度」もない。

茂木氏は、すすんで外務大臣ポストを求めたひとで、経産大臣からの横滑りをはたしたけれど、かくも「成果」がないのはどういうわけか。
しかも、彼は、「日本を多様性のある多民族社会に変える。定住外国人に地方参政権を与える」とつぶやいている。

いったい、何党の政治家なのか?
共産主義者に乗っ取られた、アメリカ民主党の党員ではなかろうか?

外務大臣来日のタイミングで、香港の民主派リーダーたちを逮捕させてもいるから、わが国には「踏み絵」にもなっていない。
またいで通ったのではなく、「しらなかったことにした」のだ。
まさに、見殺しである。

こうなったからには、シドニー・パウエル氏には、わが国の指導者たちを身柄拘束はしないでも、「名指しして起訴」してほしい。
一方でポンペオ国務長官には、「茂木敏充外務大臣」のアメリカにおける資産凍結(有無はどうでもよい)と、家族もふくめた入国禁止が望ましい。

たとえ、わが国側の公務でも、入国したら即座に逮捕で結構だ。
さすれば、内閣がもつかはしらないが、即座に辞任してもらえる。

経済制裁として、商務長官には、茂木氏の選挙区である栃木県産品の輸入禁止措置を実行し、次の選挙における選挙区ならびに比例での当選を阻止すべきだ。
ついでに、氏が卒業したというハーバード大学には、卒業名簿からの削除を求めたい。

さて次の制裁対象者は誰なのか?
わが国政界に、疑心暗鬼が生まれることが、日本国民を救うのである。

同盟国とはいえ、外国に依存するのはまことに、情けなく、残念の極みである。
しかしながら、レッドチームだけは依存してはいけないのである。

小説より面白い「選挙」

事実は小説よりも奇なり。

まさか、現代のローマ帝国といわれて久しい、世界の覇者アメリカ合衆国で、どんな小説や映画よりも面白いことが、「現実」になっている。
これを、どうやって「小説」やら「映画」にするのかしらないが、ドキュメンタリーなのに世界中で大ヒット間違いなしであろう。

しかし、作りばなしと違って、とてつもなく「複雑」にみえる。
けれども、たぶん、終わってみればあんがと単純な話に集約するのではないか?とおもわれるのは、現実にシナリオを書いているひとたちがいるからである。

もちろん、ひとりではなく、アメリカ民主党の大幹部たちのことを指す。
おそらく、「元」や「前」がつく、大統領や国務長官経験者も含んでいて、さらに日本人がしらない「重鎮たち」が共同執筆しているとかんがえられる。

対するは、共和党側の面々だけど、このひとたちは、元のシナリオを暴くことからはじめないといけない。
この「謎解き」が、将来の小説や映画の題材になる。
結果がわかっているミステリーなので、手法的には、「刑事コロンボ」とおなじか?

事件を暴くのは、法務「三銃士」だ。
ジュリアーニ元ニューヨーク市長、リン・ウッド、シドニー・パウエル各弁護士の登場で、民主党という「大阪城」を攻めたてる徳川方のような様相になっている。

  

トランプ氏の経営者としての用意周到は、いわゆる既存政界での常識的な権謀術数とはちがって、目的合理性と実行プロセスとの間にゆらぎがない。
最短で急所を突いてくるのである。
これが、民主党がいまになって慌てふためき、「籠城」状態となった理由だろう。

しかし、オバマが8年間で作り上げた政府内の「ディープステート」が、CIAとFBIをコントロールしていて、トランプ政権が「内輪」に向かっても攻撃を仕掛けないと一掃できない。
その意味で、彼が投票日の後に軍を掌握したのは大きい。

現地で22日、そのトランプ陣営が意外な発表をした。
「シドニー・パウエル弁護士は弁護団ではない」
さては、三銃士の仲間割れか?
気のはやいひとたちが、浮き足だってしまった。

しかし、2年前から仕込んでいたように、「用意周到」だということを忘れてはならない。

これは、「適材適所」における「担当分け」と、「政治会計(政治資金)」のためではないのか?
彼女の専門は、経歴にある連邦検事であったように、「刑事事件」なのだ。
一方、ジュリアーニ氏とリン・ウッド氏は、「民事」を得意とする。

「ドミニオン・システム」を追求している彼女は、刑事事件としての犯人を捜している。
つまりこれは、「捜査」しているのだけれど、もう彼女は検事ではない、一介の弁護士なのだ。

すると、弁護士費用に含まれる実費すら、どうやって捻出するのか?
本来の「捜査」なら、FBI=司法省の管轄だ。
そんなわけで、支援団体「We The People財団」の側に回って、捜査活動を続け、トランプ氏弁護団(民事)と「政治会計」を別にした。

見事な、「リスク回避」である。

ちなみに、ホワイトハウスのHPにある、請願システム「We The People」は、オバマ政権がつくったものだから、上記財団はさりげなく「当てつける」という周到なこともやっている。

あろうことか、彼女の「つぶやき」を、例によってつぶやき企業側が「規制」したので、あたかも彼女の発言が「止まった」かに見えた。
それで、彼女側にも都合がいい「解任」という話が広まって、あらためて民主党のひとびとを安心させてしまったろう。

味方の支援が、じつは足を引っ張るのだから、トランプ陣営には笑いが止まらないはずだ。
気を良くしたのか、「新政権の重要人事」が発表されている。
それならトランプ側の、「政権移行の容認」とは、ポストという餌に食らいつくキツネたちをおびき寄せる「罠」ではないのか?

でもいまや、真っ先に「大統領顧問」に指名されたドミニオン社の偉い人は、「行方不明」なのである。

さて、民事裁判の方は、順調に「負け」ている。
しかし、「州レベル」における裁判が、順調に消化されることが重要なのであって、勝ち負けはあまり重要ではない。
なぜなら、本命が「連邦最高裁」だからである。

アメリカには「巡回裁判」の制度があって、連邦最高裁判事も「地区担当」をしている。
それで、今月、選挙投票日前に欠員補充されたことからも、地区担当の割換えが行われている。

それで、いわゆる、多数派の保守系判事が、ことごとく「激戦州」となっている「地区担当」になったのだ。
つまり、州最高裁で負けても、地区担当連邦最高裁判事がどのように判断するか?ということになっている。

もし、判事が全員集まって協議することになっても、多数は保守派なのだ。

そんなわけで、民主党バイデン政権の発足こそ、風前の灯火だし、別働隊となったパウエル弁護士の「捜査」次第では、「国家反逆罪」が適用される可能性が高い。

パウエル弁護士は、とっくに記者会見(といっても報道しない)で、「自首」を強く呼びかけているのだ。
アメリカにおいて、選挙法に違反した罪は、「重罪」だ。
すると、また、偏向したマスコミが仲間の自首を妨げて、協力した一般人を重罪にさせる努力をしていることになる。

12月8日が、選挙人認定の期限だから、あと2週間。

なにが起きても、驚かない精神的準備をしておこう。
これは、日本国政府もおなじなのである。

天使なのか?なんなのか?

「ドミニオン」という選挙の投票集計機に不正があるとの疑いが、大統領選挙の突破口にして決め手にもなりそうな勢いである。
ただし、集計機そのものよりも、この機器を制御するソフトウェアの方が、もっと怪しい。

「ドミニオン(Dominion)」とは、キリスト教でいう、数ある「天使」のなかの「中位階」のなかの「主天使」というややこしい位置づけにおわします天使をいう。

使徒パウロが書いたという、「コロサイの信徒への手紙」1章13節(『新約聖書(新共同訳)』)には、

「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」とある。

トランプ氏の、「法務三銃士」のひとり、シドニー・パウエル弁護士が、この節を引いてツイートしていたことを、大紀元エポックタイムズ・ジャパンが22日伝えた。

上述の英語版として、彼女が引用したのは以下のとおり。

”For he has rescued us from the dominion of darkness and brought us into the kingdom of the Son he loves”

ちなみに、日本における聖書の英語版には、”dominion” はない。
お詳しい方に、是非教えを請いたいばかりである。
なお、コロサイとは、いまのトルコの西側でアナトリア半島のエーゲ海に近い内陸部を指すらしい。別のいい方だと、「小アジア」だ。つまり、イスタンブールのボスポラス海峡の東側だから、まさに「アジア」の領域になる。

けれども、「闇」に「dominion」が関係していることを示唆することはあるのだろう。
建国以来初となる「アーミッシュの政治参加」のことでも書いたが、今回のアメリカ総選挙では、なんだか聖書が関係している。

これも、やっぱりアメリカ合衆国という国の成り立ちが、キリスト教(プロテスタント)を中心にしたひとびとによることの証左なのだ。

しかしながら、「天使」というのは難しい概念で、「堕天使」といえば、「サタン」になってしまう。

それに、イスラム教だって「天使」が存在する。
神の啓示『コーラン』をムハンマドに伝えた、「大天使ガブリエル」がそれだ。
アラビア語的には、「ジブリール」。コーランは、『クルアーン』と発声する。

キリスト教で、天使ガブリエルといえば、なんといっても、「受胎告知」だし、『ヨハネの黙示録』による、「最後の審判」でラッパを鳴らして死者を復活させるのもガブリエルなのだ。

あぁ、「ラッパ」がでてくる。

アーミッシュが、トランプ氏を「救世主」と認定したのが、「trump」が「trumpet」の意味だからであった。
日本でいう、「ラッパ(喇叭)」の語源は諸説あって、オランダ語からとも、サンスクリット語からともいわれている。

それにしても厄介なのは、世界の報道機関で、もはや、トランプ共和党陣営が「外堀を埋めつつある」のに、相変わらずバイデン政権の準備を報道していることだ。
この閣僚名簿に載る名前は、ぜんぶ怪しい人物だという、変なメッセージになっていることに、載せられた本人も気づかない不思議がある。

不幸なのは、地上波しか観ない情弱の日本国民が、すっかりトランプ=悪、バイデン=善に洗脳されてしまったことだ。
しかも、アメリカも日本の選挙と「おなじ仕組み」だと思わせているから、負けを認めないトランプ氏が、なっちゃない、という評価に国論を誘導していることも疑問におもわなくなっている。

これは、放送詐欺である。

印刷物の新聞に適応される直接の「法」はないけど、少なくとも、「放送法」には、しっかり抵触するはずだ。
天から降ってくる「電波」とは、帯域が有限なので、まちがいなく「国民資産」である。

アメリカ本国での本選挙「不正」に、おおくのアメリカ人が怒りの声をあげはじめ、その矛先は、ちゃんと大手マスコミにも向かっている。
党派を超えて、「事実を報道しろ!」という運動になっていて、CNNの経営が急速に悪化している。
親会社のAT&Tはどうするのか?

わが国には、隣国の大国から、外務大臣がやってくる。
「戦狼」なのか、「柔軟」なのかはしらないけれど、見事な「すき間」を狙った外交であることは間違いない。

「何回も欺されてくれる」

わが国の「白痴ぶり」に、おもわず漏らした彼の国高官の本音があった。
『収容所群島』でノーベル文学賞のソルジェニーツィン氏は、各国からの批判に耐えかねた当局が、「国外追放」という処分をしてアメリカに落ち着いた。

アメリカ側は居宅周辺の警備を怠らなかったから、なんだか行動は不自由だった。「暗殺の危険」とは、実質軟禁されてしまうのだ。
そんななか、初めての外遊先に彼が選んだのは、日本だった。
1982年(昭和57年)に来日し、記念講演やらテレビ出演(「NTV座談会」)をした。

『日本よ何処へ行く』(1982年、原書房)は、このときの「全記録」である。
本書冒頭の「寄稿論文」は、読売新聞朝刊に同年10月23日に掲載された転載で、テーマは「国が変わっても、共産主義の本質は変わらない」だ。

続く「記念講演」(「現代日本の選択」同年10月9日、於東商ホール)と併せて読めば、ソルジェニーツィン氏のいう「警告」が、いま、そのまま「現実」になっていることをハッキリと認識できるから、本書は、「タイムカプセル」だ。

当時はまだ、こういう情報を新聞は掲載し、テレビも討論会を放送していたのだ。
天から降ってくる「天使」は、いたのである。

あらためて、いまは「なんなのか?」と痛感する。