書籍出版企画の原稿「仕込み」に、参考図書を読みながらiPadにメモをとることに集中して数時間も過ごしてしまったら、おそるべき「コリ」がやってきて、目はしょぼついて頭痛まではじまった。
それと肩から二の腕までの筋がつる。
運動嫌いはむかしからなので、たぶん、全身がコっていてふだん気づかない「慢性のコリ」があるだろうとはうっすら思っていたが、症状がでるとキツい。
数日経っても一向に改善しないので、どこかでマッサージしてもらいに行こうと重い腰をあげることにした。
当然だが、スマホやらで検索をした。
GPSとの連動で、「中のひと」に自分の居場所をしられているから、自動的に近所の店舗候補が地図にでる。
これが、「MEO(Map Engine Optimization)」というグーグルマップの提供機能なのだと、共著でも解説した。
よければご覧頂けたら幸いである。
それで、「採点」までされている。
だれだって「点数の高い=良い店」とおもうから、自然とその店に足が向くようになっている。
わたしのばあい、めったにマッサージを受けたことがなく、受ければ受けたで「揉み返し」が辛い経験を何度かしている。
ただでさえ経験値が少ないので、「揉み返し」はほぼすべての場合にあてはまる。
これが、マッサージを敬遠する理由なのだが、それでも人生で「数回」の経験があるのは、拷問のようなコリのつらさを取ることに優先順位があるからである。
かかった病気を治すためのリスク選択そのものなのである。
そうはいっても、どの店にするかの事前確信があるわけではない。
それで、徒歩圏で近い店から覗くことにした。
ちなみに、点数が高いけど日曜祭日が休みの店はパスをするしかない。
一店目、こちらは「表示エリア」でもっとも点数が低い店である。
なぜだかの理由は、知る由もない。
しかしながら、「受付」でその理由を知ることができた。
施術の技術差のことではない。
接客技術の差であった。
まったくの白紙状態のひとを、なんとなく不快にする接客は、ある意味「見事」である。
それで、予約も断ってパンフレットをもらうことも断った。
二店目。気分をリスタートして、受付に向かった。
こちらは、エリア内で日曜休みの店と同点の最高得点評価である。
「受付」の対応は合格で、ほぼ3時間後に予約をいれることになった。
ちなみに、断った一店目は、2時間待ちだった。
この意味も再考すると、いろいろかんがえが涌くけれど、すでに比較検討することもわたしには無意味になったのである。
げに恐ろしきは、「真実の瞬間」なのだと再確認する。
いったん自宅に帰って、ふたたび入店した。
すると、数々のチェックシートに名前と住所の記入をさせられた。
このあたりは、改善の余地がじゅうぶんにある。
また、婦人病とのかねあいもあったから、男女別のシートがあっていい。
ずいぶんな数の従業員が、ずいぶんなベッド数とともに目にはいった。
なるほど、混雑している。
わたしの担当になったひとは、どうやら「偶然」のようである。
当日の必要時間数とベッドの一覧が一枚の予約シートになっていて、そこに客の名前がある。
なので、このシートブックがスタッフ同士で取り合いになる。
これが「予約台帳」なのだった。
デジタルでない理由はなにか?
おそらく、いまどきだから過去に導入失敗の経験があったはずだ。
端末の問題か?それとも店内通信上の複数端末への同期反映速度か、あるいは予約記入の手間よりも、キャンセルや時間変更などの処理が面倒だったからか?
理由を想像すると興味深い。
施術士は担当制になっている。
なので、利用経験者は予約で「指名」ができて、さらに単発予約なら「指名料」が加算される「システム」だった。
わたしはマッサージ店の初心者であるから、こんなのは業界の常識なのかもしれないけれど、一種、キャバクラのような仕組みである。
コントローラーの「黒服」に匹敵する「白服」がだれだか不明だけれど、もしや「予約台帳」がすべてで、フラット型の組織かもしれないのは、その奪い合いの状況からの想像である。
しかして、「単発」ではなくて、「回数券」を購入すると、指名料もかからないという。
これは、回数券料金内でのブレークダウンになったことを意味する。
でなければ、従業員は回数券販売に積極的にはなれないからだ。
わたしは、「初回お試しコース」中の「肩重点タイプ」だった。
ほかに、「腰重点タイプ」があった。
施術前、鏡の前に立ってみたら、とくに痛みがある側に身体が傾いていた。
横になって、両足をあげると、左右の脚の長さがぜんぜんちがう。
骨盤のゆがみだと、動画の「整体」で観ていたからすぐにわかった。
それでもって、さっそくに骨盤矯正をしたけれど、期待した「クリック音」はしなかった。
それでも、これだけで二の腕の違和感がとれた。
「全身強烈なコリですね」と予想どおり指摘された。
これは通うしかないか。
そう思ったのは、回数券を購入したときよりも、店外に出て帰路についたときだった。
なんだか、歩いていて「軽い」のである。
これも還暦を超えた身の素直な実感なのであった。
さらに、嫌な揉み返しもないのだ。
担当者に「当たった」と思えて、「縁」まで感じる不思議がある。
はたしてこれは、偶然なのか?
それとも、「仕組み」になっているのか?
通わないとわからない。