株式の所有権改革で資本主義を矯正する

タイトルでは、あたかも「資本主義」が存在しているかのような誤解を読者に与えてしまうかもしれない。

こと「資本主義」に関していえば、わたしは何度か書いたように、アイン・ランドの論に与している。
彼女は、「資本主義は未来のシステムだ」と呼んだ。
つまり、人類社会はいまだに資本主義を経験していない、と。

自由主義の碩学、ハイエクは、「マルクスが『資本主義』なる用語を考案した」と書いた通り、マルクスが多用する弁証法ではなくて、ゴールである「ありき」の共産主義からの演繹として、ありもしない空想の資本主義が通過点だと勝手にきめて、あたかも現実に存在しているとした。

人類の長い生活から、原始社会でも経済活動があって、物々交換からはじまったとされている。
それから、「貨幣」が発明された。
しかし、貨幣経済はなかなか発展せずに、金銀財宝の所有量が富の蓄積の象徴だったのである。

そんななかで、金細工職人が顧客から加工依頼で預かった現物の金を仲間内で使い回しして、とうとうその証拠書類が取引の対象になると、「銀行業」になったのである。

けれども、顧客から預かった現物の金を、じっさいに細工するにはいま預かっている別の金細工を完成させないと着手できないことのタイムラグをもって、仲間の細工師に自分が預かった現物をとりあえず横流しするという「不道徳」が、バレなければいいということでの「証券化」となったから、銀行業にははじめからインチキが埋めこまれている。

ところが、この不道徳が、金という貴重品の眠った状態からの解放となって、その証拠書類が「証券」となると、存在しない金でも、あたかもあったことにすれば、その間の時間に富が増えた。
これが図らずも、信用取引となって、貨幣にあてはめれば「信用創造」の大発明となったのだった。

よくみれば、「偶然」のできごとで、最初から「信用創造を意図した」者はだれもいない。
それだから、ひとびとの発想のどこにも「資本主義」にあたるものもない。
あるのは、ただ儲けたい、という欲望だけなのである。

だから、いま「強欲資本主義」と呼ぶことも、恣意的で正しくなく、ただ「強欲」だといえば済む。
なのに、資本主義をつけて、あたかも資本主義が悪いもののように扱うのは、マルクスの意図通りなのである。

さてそれで、事業をはじめるときの「元手」のことを、「資本」と呼んだことから、なんだか「資本主義」になったという勘違いがある。
だったら、貨幣経済ができた時代にいた商売人は、資本主義社会にいたのか?となるからである。

中世のヨーロッパや、アラビアン・ナイトのような中東世界の大富豪、あるいは中国の歴史や日本にも存在した大豪商だって、資本主義になる。

これといまの資本主義の区別をちゃんといわないで、なんだかよくわからない「産業革命」をもって、資本主義の勃興といっている。
順番は、資本主義が発生したから産業革命が起きた、とならないといけないはずが、そうなっていない。

つまり、蒸気機関ができたことと、資本主義の発生が一緒くたになっているのである。

すると、人間の主義としての資本主義はどこにもない幻で、あるのは、蒸気機関の工場と株式会社と銀行だった、というだけになる。
「主義」というなら、人間の思想としてなにか中世時代から、あたらしいかんがえ方が生まれたのか?を問えば、それは「堕落の一途」ではないのか?

工場労働者の誕生によって、労働者階級が生まれたのは確かである。
彼らを管理するための、ホワイトカラーもできた。
そして、どちらも「給料取り」になったのである。

しかし、工作機械がまだ細かいことを自動化できない初期には、工場労働者にも「熟練工」と「(不)非熟練工」とに分かれて、熟練工が工場や会社を選んでいた。
気に入らない職場環境があれば、サッサと別の会社や工場に転職を繰り返した。

会社や工場には痛手となるために、ホワイトカラーによる管理手法が開発された。
それでもって、工作機械がだんだんと自動化できるようになると、我が儘な熟練工を必要としなくなったのである。

その一大変化の変わり目を、吉永小百合が主演した『キューポラのある街』(日活、1962年)だった。

しかしながら、ずっと前に生まれた「労働者」が、ホワイトカラーの「サラリーマン」と一緒になって、「大衆」となったのである。

それゆえに、この「大衆」をいかにして支配するのか?の方便としても、民主主義が採用された。
かならず、ポピュリズム(大衆迎合政治)に変換するからである。

ポピュリズムをよしとするのは、大衆ではないのは、ポピュリズムで大衆が幸福にはならないからだ。

では誰が幸福になるのか?

それは、大衆の「群集心理」を利用することができる、少数の者共である。
しかし、愚民化された大衆は、ポピュリズムが「群集心理」としてあがなえないものとなって、とうとう自分たちを支配することに気づかない。

 

このように、大衆の大衆による大衆支配の構図の外に、大衆の習性を熟知して利用する少数がいる。

これこそが、グローバル全体主義者たちなのである。

そして、彼らが支配しているのは、巨万の富であって、「通貨(おカネ)」を仕組み上で支配しているために、あたかも何びとも抵抗できないかのようにみえるのである。

何をするのにも、ここまで「選挙」が重要な時代になったのは初めてだ。

欺瞞の民主主義を一新させないといけないし、この半世紀以上にわたる彼らが仕込んだ「仕組み」を変えないと、窒息させられる時代になったのである。

「イタリア人」は覚醒したのか?

逆神のマスコミが、「極右」と書いたら、どんなに割り引いても、「保守」が最適の表現になることがわかってきた。
逆に、「民主的な勢力」と書いたら、それは「極左」を指す。

最初に極右とされたのが、フランスの、マリオン・アンヌ・ペリーヌ・ル・ペン(Marion Anne Perrine Le Pen)で、通称「マリーヌ・ルペン」であった。

たしかに、このひとの実父、ジャン=マリー・ル・ペン(Jean-Marie Le Pen)は、これもマスコミが極右という、「国民戦線」の創設者で初代党首であった。

しかして、その「国民戦線」は、イタリアの「イタリア社会運動・国民右翼(MSI)」に影響をうけているから、本家は、イタリアにある。

3女にあたる、マリーヌ・ルペンが二代目党首になると、賢明にも「中道右派」へと転じて、党名も『国民連合』に変更し、さらに、過去からの過激主張をやめない父を除名処分にしたのである。

ちょっとだけ大塚家具の、父娘の確執を彷彿とさせるが、レベルがぜんぜんちがうし、なによりフランスの娘は優秀だ。

「国民戦線」であろうが、その後の「国民連合」であろうが、「極右」のレッテルが貼られているのには、フランス革命の、「自由・平等・博愛」(=グローバル全体主義)に公然と反逆するからである。

ここが、ねじれ、のはじまりで、そもそもフランス革命を肯定していいのか?という問題に行きつくのである。
もちろん、英国の保守主義の父と評される、エドマンド・バークの名著、『フランス革命の省察』におけるフランス革命の評価は、サイテーなのである。

すると、バークの立場からしたら、「国民戦線」とか、「国民連合」の主張が、正統になるのである。
昨今、これに気づいたフランス人が、「パリ祭:フランス革命記念日」の祭典を盛り上げないで静かにしていることの変化を、「ポピュリズム」だと批判している。

その批判者は、当然に、フランス革命賛美派であるマスコミなのだ。

そこで、面倒なのが、イタリアだ。
この国の歴史は、複雑で、日本人にはわかりにくい。

なにしろ、いまのイタリアになったのは、ローマ教皇領も併合して、首都をローマとした1870年(明治12年)なのである。

1776年7月4日を独立記念日とする、アメリカ合衆国と比べても、ざっと100年あたらしい。

それだけ、グダグダなのがイタリアだけど、フランス革命以降ずっと立ち位置が定まらないフランスと比べても、イタリアがフラフラ・グズグズしているのは、あまりにも異なる地域(かつての貴族領、いまの州)別の国民性にある。

はたして、「イタリア人」という一括りで語れるひとはあの国に存在するのか?と問えば、「いない」のが正答ではないか。

しかも、面倒なのが、「ファシズム」を掲げたムッソリーニの「ファシスト党」が、ドイツの「ナチズム」を掲げたヒトラーの「ナチス:国家社会主義ドイツ労働者党」とのちがいも曖昧になって、ただ、「極右」と評価されていることにある。

けれども残念ながら、ムッソリーニは、その過激さゆえに、「イタリア社会党」からも除名された、「極左」思想の持ち主だったのである。
ムッソリーニを評価していたレーニンは、この除名をした社会党を批判している。

「ファッショ=結束」をもって、全体主義に走るのではあるけれど、なんと、政治思想としての「ファシズムの定義」は、いまだに「学問的に」定まっていないのだ。

世の中とは、かくもテキトーなのである。

そんなわけで、統一イタリア初の女性首相、ジョルジャ・メローニ(Giorgia Meloni)氏は、日本ではかんがえられないキャリアから首相にまでなった人物である。
彼女自身が書いた自伝、『Io sono Giorgia(私はジョルジャです)』には、イタリア共産党支持者の父から棄てられた少女時代、保守派の母の影響と父への反動から右派になった旨の告白がある。

イタリア社会運動(MSI)を支持し、15歳の時にはMSIの党青年団「青年戦線」(Fronte della Gioventù)に入会したという。
それから、観光業・ホテル業の職業高校を主席で卒業し、ウェイトレスやベビーシッター、あるいは、バーテンダーをしながら、「党人」として活動してきたのであった。

まったく、わが国の社会が、いかに硬直的かがよくわかるのである。

それでフランスに再び目を向ければ、政党としても関係が深い、マリーヌ・ルペン氏からしたら、「同志」である、メローニ氏に先を越されたことになっているのである。

おそらく、イタリア人もフランス人も、上に書いたこの両者の事情はよくしっていることだろう。

このところの大変化は、得体のしれないふたりのグローバル全体主義の奴隷となっている女性、EU委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエンと、ヨーロッパ中央銀行(ECB)のラガルド総裁がしかけた、イタリア・イジメであったはずの、いうことをきかないとイタリア国債を買ってあげない、に、どういうわけかイタリア国民が反発して、なんと、自国の国債をイタリア人が購入するという「異変」がおきていることだ。

それでもって、ヨーロッパで超優良な、ドイツ国債との金利差が、わずか1.67%にまで縮小している(イタリア国債が低金利になって高騰している)ばかりか、今月、個人向けに発行予定だった新規4年もの国債の170億ユーロ分が、受付からすぐに完売したのである。

イタリア人が自国の国債を買うのに殺到した!のであるけれど、さっそくラガルド総裁は、ECBは過去から保有するイタリア国債の償還分にたいして、これまで同様買い換えをすることは「ない」、と発表した。

これにまた、イタリア人は、おおいに結構です、自分たちで買うから、と反応したという。

得体がしれないひとたちからの脅迫に、イタリア国民が「結束」して、いま「イタリア人」になろうとしているのを、メローニは「ファッショ」だといいたければいわせておけばいいのである。
それがまた、覚悟を決めた女性ならではの、一途になっているから、ここに登場した4人の女性が2対2で取っ組み合いをしているわけではない。

まともな政治をすると、イタリア人も目覚める「痛快」が起きたのである。

保守のベルルスコーニ氏も、これで安眠したのだろうとおもわれる。(合掌)

「二対一ルール」の恨み

トランプ氏を起訴した司法省の言い分を支持して、「起訴を免れたいなら検察と取引して、24年大統領選挙から降りればいい」といったのは、MSNBCで左派の輝ける論客でもあったキャスター、レイチェル・マドー(Rachel Maddow)氏の発言である。

対する、トランプ起訴に反対する大物ひとりが、あのハーバード大学で合衆国憲法を半世紀にわたって教えていた、アラン・ダーショウィッツ(Alan Dershowitz)教授だ。
このひとは、みずから民主党支持者と断りながらも、トランプ氏への一回目の弾劾裁判で弁護を引き受けた実績がある。

それは、憲法学者としての矜持でもあった。

しかしいま、教え子たちのおおくさえ、憲法を無視してでも、なにがなんでもトランプ氏を逮捕せよというアメリカ法曹会の趨勢があると憤慨しながら指摘している。
その怒りの著作、『Get Trump』は、なんと一般書店での取り扱いが拒否されて、アマゾンで入手できるだけの貴重品になっている。

ただし、創業者にして会長の、グローバル全体主義者、ジェフ・ベゾス氏からしたら、取り扱いたくないかもしれないけど、A.I.が引き受けたのだろう。
なので、残念ながら、アイン・ランドの著作同様に、邦訳もないのは、日本側のグローバル全体主義者たちが「ださない」と決め込むからだ。

今回の起訴について、自身が黒人で、民主党から共和党に転向した作家、キャンディー・オーエンズが語っているのを、山中泉チャンネルが邦訳をつけている。

そこまでしてトランプ氏が、エスタブリッシュメントたちに嫌われるのはなぜか?
逆に、そこまでして、黒人やエスニックらからも支持されるのはなぜか?
にもかかわらず、2020年選挙で(民主党の不正以外で)勝てなかったのはなぜか?

これを、参政党創立メンバーのひとりだった、渡瀬裕哉氏がその著作『税金を下げろ規制をなくせ』(光文社、2020年)で書いている。
それは、トランプ政権が「まじめに(政治を)やったら、2年で(全部を)達成してしまった」からだと。

なにを達成したかといえば、当初の「公約」のことである。

なんと、トランプ政権は、たった2年で、選挙公約をぜんぶ達成してしまった。
それで次のやることリストが不明確になって、抽象的な「MAGA(Make America Great Again)」しかいわなくなったので、選挙に負けたのだと分析している。

この指摘は、図星だ。

だが、トランプ氏の最大の功績を、日米とも、あるいは、欧も含めた全世界が認識できていないという。
もちろん、認識できない理由は、マスコミがこれを決して書かないからだ。

それが、「二対一ルール」の設定と実行だった。

トランプ氏の優れた経営者としての知恵は、彼自身を大富豪にしたが、彼はこれを、「国家運営」にあてはめたのである。

「新しく規制をつくりたいなら、古い規制をふたつ廃止しろ」が、それだ。
わが国の、「立法爆発=規制強化」の真逆なのである。

レーガン時代の減税よりも強力な「減税策」を実施しただけでなく、この強烈な「規制緩和」で、アメリカ経済を絶好調に導いたのである。
しかしながら、それをたった2年でやり遂げたから、中間選挙で民主党に連邦下院を奪還されて、後半の2年はがんじがらめにされたのだった。

この民主党のがんじがらめ政策が、あたかもトランプ氏の無能と関連づけることに成功して、つまりは、アメリカ国民を欺くことに成功して、民主党のバイデン政権がなったということだ。

絶好調の経済にしたのに、中間選挙で民主党が勝ったのは、予算削減と規制緩和のダブルパンチで、補助金を削られて、公金チューチューができなくなったひとたちからの恨みを買ったからである。
それでもって、バラマキの民主党バイデン政権がなったのである。

しかし、公金チューチューに縁のない一般人に、コロナ不景気と資源インフレがダブルでやってきて、生活の痛みで目覚めたひとたちが共和党に投票したのが、昨年の中間選挙の結果だった。
それで、トランプ政権後半の2年とあわせた4年間の民主党の「不正」とその前のクリントン時代からの巨大な「不正」が、いまあからさまになってきたから、とうとう「憲法を無視した起訴」という状況にまでなったのである。

つまるところ、破れかぶれなのは、民主党バイデン政権の方なのである。

しかしながら、どの国でも公金チューチューはおいしいから、この利権を守る意味での「保守派」は、文字どおりの「必死の抵抗」をするのである。

なんでもかんでもスケールが大きいのがアメリカだから、公金チューチューのスケールも日本のようなチマチマではない。
なにせ兆円単位なのだから、この攻防戦は激しくなるのが当然となる。

敢えて厳しくいえば、トランプ氏は善意の紳士にすぎたから、公金チューチューのネズミ退治が中途半端だったのである。
広島・長崎ばかりか、ジェノサイドを平然とやる、民主党の悪魔的行動を真似できなかった痛恨がある。

しかし、トランプ氏はやっぱりそんな根絶やしまではできないひとなのだろう。

いまさらだが、トランプ氏の大統領就任演説と、リバティ大学(バージニア州リンチバーグにあるキリスト教福音主義の私立大学)卒業式での演説をいましみじみ観れば、その有言実行ぶりがよくわかるし、「憤怒の鬼神」にはなれないのだとおもうのである。

これが、ドナルド・トランプ氏の最大の弱点なのである。

英・日への厳しいお仕置き

「DS:ディープステート」は、すっかりこのブログではおなじみになった。

最初に「DS」に言及したアメリカ合衆国大統領は、退任演説における第34代のアイゼンハワー(1953年~61年:共和党)だった。
ちなみに、副大統領はニクソンだ。

いまでは、DSが初めてコントロールした大統領は、戦後日本では「平和主義者」として教えこむようになっている、第28代トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(1913年~1921年:民主党)だったことは、明白な事実だ。

「国際連盟」の設立を提案しながら、彼のアメリカは加盟しなかったし、第一次大戦後のヴェルサイユ会議での日本の提案、「人種差別撤廃」を、議長だった彼が、いきなりルール変更して「全会一致」にしたために、過半数の賛成があったのに葬ったのであった。

ちなみに、わが幕末の大秀才にして、わずか25歳にして安政の大獄で処刑された、橋本左内は、欧米人の腹黒さから、向こう50年のうちに、「(ほんとうは大ウソだが)国際平和をうたった国家組合をつくるであろう」と予言し、まったくその通りとなったのだった。

日本のこの生意気な提案の「お仕置き」が、第二大戦の遠因となるのに、いまのウクライナ戦争の「代理戦争の構図」も理解できない日本人多数には、あいかわらず「DS:ディープステート」といったら、「陰謀論」だと決めつけて言論封殺するのが、「効く」のである。

DSの実態は、グローバル全体主義にある。

むかしなら、「国際共産主義運動」とかともいっていたが、「共産主義」という用語をつかうと、反発されるので、「グローバル」という用語に換えただけであるけど、予想外に「受けた」のだった。

何度も書くが、「資本主義」という言葉も、マルクスが共産主義のアンチテーゼとして考案した架空の概念なので、この世に資本主義が存在するのか?といえば、じつは存在していない。
しかし、徹底的に宣伝したので、地球人のほぼ全員が、資本主義の体制下か、そうでない体制下に二分されて生活していると信じている。

なんだか、ローマ教会が完全支配した、中世ヨーロッパの信仰生活のようなのである。
だから、外れたことをいうと、「異端(=陰謀論)」とされて、魔女狩りのごとく言論空間から抹殺されるのである。

そんなわけで、世界で最初に資本主義が発生したのは、英国、ということにして、たんなる蒸気機関の発明をもっていう「産業革命」を、むき出しの欲望に駆られた企業オーナーたちにより、一般人が苛酷な労働を強いられたことを、資本主義の矛盾、ということにした。

中世の価値観となんら変わっていないのに、である。

それに、たまたまこの時期にオランダ東インド会社がインドネシア支配のための資金を募集するのに発明した、「株式」の発行・販売による、「株式会社の誕生」をもって、資本主義なのだとこじつけたのも、通貨発行権を握った国際金融資本家の影響を、さもなかったかのように過小評価してみせるための偽装なのである。

とにかく、ワーテルローでのナポレオンの敗戦情報の独占をもって、イングランド銀行の経営権を手中におさめることに成功した、初代ロスチャイルドが、英国の真の支配者になっていまがあるばかりか、この一族の末裔が世界の金融経済を支配している。

ちなみに、イングランド銀行をウィキペディアで調べれば、「第二次世界大戦後は財務省法官(Treasury solicitor)が政府のために100%保有するところとなった」とあるけれど、ロスチャイルドの支配下にあることに変わりはない。
なお、アメリカFRBを支配する「JPモルガン」も、ロスチャイルド一族のひとりだった。

その彼らの思想こそ、国際共産主義=グローバル全体主義なのである。
革命家が革命国家を支配するのではなくて、革命家を支配するのが国際金融資本家なのである。

だから、驚くには値しないのは、革命家(さいきんでは「活動家」)こそ、利権を我が物にしようと暗躍するから、利権争奪の争いをもって、与野党が対立することになったのである。
そのエサを撒いているのが、飼い主たる国際金融資本家なのである。

しかし、たまに、上手の手から水が漏るごとく、「外れ」の、国民のための政権が誕生したりする。
それが、英国のトラス政権だった。
この政権が、どのように崩壊したかをたどれば、DSのやったことがみえてくる。

彼女は、「減税と積極財政」を看板にして、保守党党首選挙に勝ったのである。
にもかかわらず、通貨ポンドと英国国債の暴落、という目にあった。
これを、財源なき無謀に市場が反応したと宣伝し、なお、英国民には減税の対象が富裕層だけだともプロパガンダしたのは、BBCなのである。

わたしは、「ブレグジット・EU離脱」のお仕置きだとかんがえている。
なので、現スナク政権の、なんと(DSに)従順なことか。

もちろん、アメリカでのトランプ氏への迫害は、ほとんどヨーロッパ中世の魔女狩りに似ている。
ただし、トランプ氏は、これ見よがしの迫害をされるたびに、支持率を上げて、いまや、民主党支持層からも支持される様相を呈してきた。

ぜったいにDSに屈しない、ときっちり発言しているからである。

さてそれで、日本は、戦後DSによって経済発展が許され、とっくにシャブリ尽くされた英国とちがってDSのためのATMになっていたけど、巨大になりすぎて生意気になってきたから、そのDSが育てた中共との対立構造のなかに置かれることになった。

それで、「台湾有事」というありもしないシナリオだけがひとり歩きしている。

先月の広島サミットに、台湾を呼ばないのは、確かに中共に配慮したにちがいない。
けれどそれは、台湾だからではなくて、「生け贄」が日本になったからではないのか?

DSは、悪趣味なのだ。
生け贄に踊らすことまでさせるのである。

彼らが仕掛ける、新たな戦争は、日本分割、にちがいなく、それはかならず財政・金融危機から仕掛けるはずだ。

カネが尽きた日本から、米軍が撤退するとき、平和だった戦後秩序が終わるのではなく、自国防衛をまともにかんがえもしなかった日本が終わるのである。

設計主義の立法爆発

地球の歴史で有名な、「カンブリア爆発」とは、カンブリア紀に生命の分類構成における「門」が爆発的に増えたことをいう。
分類学では、生物ードメイン-界-門-綱-目-科-属ー種、と分けられていて、その中の「門」で多様性の爆発的発生があった。

これをもじって、「立法爆発」という現象が、わが国の1998年(平成10年)あたりから顕著になっていて、平成時代の30年間を通じてならすと、それまでの「倍」の法律ができているのだ。

よくぞ国会議員は頑張った!とはならないのは、わが国の立法は、原則、「内閣提出法案(=略して「閣法」あるいは、「政府立法」という)」がおよそ85%にもなっていて、諸外国とくにアメリカでは、議員立法「しかない」のと、みごとな対照となっている。

すなわち、わが国の国会は、「国権の最高機関」ではなくて、ただの「承認機関」に成り果てているのである。
逆にいえば、内閣提出法案とは、全部が内閣法制局を通過した時点で、ほぼほぼ法律になる、ということでもある。

その内閣法制局とは、各省庁の高級官僚が「出向」してくる機関だ。

ややこしいのが、わが国のばあい、東京大学法学部が、「三権」全部に卒業生を送り込むから、その卒業成績序列が、「同期」のなかで認識されていることだ。
なので、国家公務員の「総合職試験」に合格したひとと、「司法試験」に合格して、裁判官になるひとと、検察官になるひとと、弁護士になるひとたちの間で、同期卒の序列ができて、このなかからまた、国会議員になる構造なのだ。

裁判官が常に「首席卒業」でトップなら、司法から行政府を監視できるというものだが、この序列が、国家総合職にいくと、ほぼ一生の序列になる習性から、行政府の独走がとまらないのである。
これは軍人もおなじで、士官学校やら防衛大学やらの卒業序列が一生ものとなることと似ている。

採用後だと評価基準が複雑になってしまうから、学校の卒業成績の序列がもっとも「公平」というわけだ。
もちろん、東京大学法学部卒業以外は、さいしょから論外なのが、公務員の世界なのである。

しかし、ごくたまに、「以外」でも次官になることもあるから、全員がぶら下がったニンジンを目指して走らされることになっている。
役人の人事は、基本的に事務次官という役人がやる。
裁判所は、最高裁事務総局長という役人で、最高裁判事ではないのだ。

ただし、内閣法制局長官やら、官房副長官(旧自治省の事務次官だけ)の席は序列で決まることになっている。

その東大卒が、国家総合職で「半減」しているのは、国民にはよいことではないのか?
願わくば、東大卒は採用しない、という「区別(差別ではない)」が日本を救うことになるのではないのか?とおもう。

国家予算をたんまりかけて高等教育をほどこした人材は、防衛大学とは裏腹に、「(民間へ)任官せよ」といいたい。

ただ、肥大化する行政の典型に、「首相官邸」という役所があって、すでにここに3000人(役人と民間からの出向が半々)が勤務しているのである。

わが国の「戦後史」とは、じつは「被征服の歴史」でもある。
だから、高度経済成長も、その後の衰退も、ぜんぶが「征服者:DS」の意向で決まっている。

ついこの前までなら、「陰謀論」としてお笑い種になったろうけど、事ここに至っては、ただの「陰謀」であったことがはっきりしてきた。
その辺にある、「戦後史」とは、ほとんどがこれらの「陰謀」を隠匿するための、プロパガンダである。

さて、平成10年といえば、ちょうど小渕恵三内閣(7月30日)が発足した年である。
その前は、第二次橋本龍太郎改造内閣だった。

このハニトラ疑惑の首相は、なんといっても驚きの「村山富市内閣」の次なのだ。
「55年体制」が、本物の茶番、自民・社会両党の談合だったことが露わになったのである。
その前が、細川・羽田内閣という、初の非自民政権だった。

日本国民をして、日本新党・日本社会党・新生党・公明党・新党さきがけ・民社党・社会民主連合・民主改革連合というグダグダを選択せしめたのが、その前の、宮沢喜一内閣で、あたかもバブルが完全崩壊したからだった。

要は、宏池会のなかでもハト派の、元大蔵官僚、宮澤喜一とは、いまの岸田氏同様に、DSのいいなり、をみごとにやって、シナリオ通りわが国経済を破壊した。
当時のDSは、彼らが作った毛沢東の中国をしばし眠らせてはいたけれど、江沢民・朱鎔基と日本の財界に日本からの「経済移行」を命じたのである。

そのために、日本を自ら縛るための方策が、「立法爆発」なのである。

これで、世界における経済活動の自由度を下げることに成功し、わが国の凋落がはじまったのである。
つまり、わが国が30年間も衰退しているのは、わが国政府によるものだけど、そんなバカなことができるのは、DSからの指示・命令によるからである。

一方で、積極的にDSに従うことが「お利口さん」たる受験エリートなので、東大では、彼らにはたっぷりと「最高の知性」とたかが二十歳前後の子供をおだて上げて、「設計主義」をたたき込むのである。

あたかも政府は、万能である、という思想である。

優秀な官僚が制度設計すれば、愚かな国民を指導できる。
この「設計」に、「計画」が内包されていて、それがまた、「計画経済」という思想なのである。
けっして、「経済計画」ではなく、計画経済とは、共産主義・全体主義の本質である。

そうやって、わが国は、戦後GHQに種まきされた共産主義・全体主義が、バブルとバブル崩壊で芽吹いて、平成時代に花が咲いた、というわけだ。
令和のいまは、その花の実が落ちて、共産主義・全体主義が隅々まで蔓延しはじめたのである。

これを根本的に枯らせるための農薬とは、残念ながら、「脳薬」になるので、あらためて勉強するしかないけれど、自主的にはムリならば、DSの自壊に期待するしかない。

いや、他力本願ではなくて、いまや、「ここ一番」の最後のチャンスなのである。

恐怖を煽る「脅威論」

第二次性徴に伴う、「初恋」の痛さ「pathétique」を、『悲愴』と訳したのは、ベートーヴェンのピアノソナタ第8番の題名で、ベートーヴェン自身が付けたあんがいと少ない事例のひとつだった。

わたしは、上のように勝手にこの曲を、「初恋の痛み」だと解釈しているけれど、それはだいたいが「失恋」で終わるからである。
その失恋の理由がたいてい、「片思い」なのだ。

祖父母もいる親元で育つ幸せな子供は、だいたい自分の主張がとおるものだと勘違いしている。

それが、人生ではじめて、まったく通じないのが、他人に対する初恋というもので、自分の存在への自信が自分のなかで壊れるのである。

しかも、その相手たるひとも、どこかで密かに別のひとに片思いの初恋をしているものだから、だれにとっても「甘酸っぱい思い出」となるようになっているのである。

身体の変化が男子より早い女子は、急激におとなびるものだけど、いつまでも子供から抜け出せない男子は、ゆがんだ発達をとげることになっていて、それが、「嫌い嫌いも好きのうち」とかという屈折した複雑性と、仲間内に見破られたくないという見栄とが生じる。

そうやって、男の嫉妬は、女性のそれよりずっと質(たち)の悪いものとなる。

覚悟を決めることができる女性は一直線なのに対して、覚悟をなかなか決められない男は、逃げ道の確保と、いい子でいたい甘えとで、うじうじとするからである。
これを、「女の腐ったような」というのは、覚悟を決める女が基準にあるからで、女性を蔑視しているのではない。

その典型のひとりが、ローザ・ルクセンブルクだったろう。

この革命の戦士にして理論家は、覚悟を決めた女性の迫力を示すもので、彼女と真逆の立ち位置だったのが、保守革命のマーガレット・サッチャーに相違ない。

世の中に、「ソ連」があった時代には、「ソ連脅威論」が花盛りだった。

そのソ連が経済的に衰退しているのが否定できなくなったら、徹底的に軍事侵攻による脅威がいわれたのである。

しかし、同時に、アメリカでは「日本脅威論」が台頭したのである。

たとえば、C.V.プレストウィッツ.Jr著『日米逆転-成功と衰退の軌跡』(1988年、邦訳はダイヤモンド社、同年)とか、ダニエル・バーンスタイン著『YEN!-円がドルを支配する日』(1988年:邦訳は草思社、1989年)とかがあって、いずれもアメリカではベストセラーになったのである。(『YEN!』の画像左下はドイツ語版)

 

 

そうやってかんがえたら、いまの「中国脅威論」は、かつての「ソ連脅威論」とあまり変わらないようにもおもえる。
ただ、ロシア人よりも中国人のほうがよほどしたたかで、田中角栄からしっかり社会主義の統治方法を学んだのだった。

この意味で、中国共産党の近代化に、わが国の自民党や社会党、それに政府官僚たちが多大な貢献をしたのである。

では、上記の「(日本)脅威論」は、いまでは読むに値しない、噴飯物といえるのか?

アメリカ人(ことに裕福な層)は、これらの読書経験を積んで、どうかんがえたのか?といえば、これらの脅威を「信じた」のである。
一方で、日本人はどうしたのか?といえば、まさかとおもいながらも、悪い気はしなかったのである。

もちろん、アメリカを従えることの妄想を歓んだ。
ヒールレスラーが、「ギブアップ」といって、マットを叩いている姿に、満足するように。

誰がいいだしたのかはしらないが、「アメリカに追いつけ、追い越せ」という、敗戦後の国家スローガンの達成に、おそるおそる自信を深めていたのが当時の日本人だったのだ。

しかして、どうしてアメリカがいつもライバルなのか?

どうして彼我の国力の差を冷静に顧みることをせずに、対等だと思いこんでいられるのか?

これが相手を変えて、英国ともなれば、急に萎えて跪くのである。
どうして弱者の英国だとこうなるのか?

結局は、刷りこみがあるのである。

わたしは、上記二冊を読み込んで、どうしてこうはならずに日本はコケたのか?を問いたいのである。
彼らはちゃんとデータを挙げて論を構成したから、アメリカ人が脅威を信じたのだ。

すると、アメリカ人のその後の「防衛本能」がしたことこそが、「陰謀」ではなかろうか?
日本を追い落とすための諸策である。

たとえそれが、「同盟国」であろうが、アメリカ人は他国に従うことを許さない。
日本を許さないのではなくて、アメリカ人として許さないのである。

つまり、意思(目的や目標)をもって諸策の策定と実施をしたのがアメリカで、流れに任せて意志をもたなかったのが日本という構図になるのである。

戦後の有楽町ガード下を彷彿とさせる、『星の流れに』(1947年:昭和22年10月、テイチク、作詞:清水みのる、作曲:利根一郎)の、「パンパンの歌」の哀愁そのものが、その後のわが国の姿を予言しているのである。

なんと、わが国は、国を挙げて「パンパン」になってしまった。

その途中経過(「売春防止法」制定前後の事情が劇中の背景にある)が、溝口健二監督の遺作となった、『赤線地帯』(1956年:昭和31年、角川映画、出演は、京マチ子 若尾文子 木暮実千代 三益愛子 沢村貞子の女性陣に、進藤英太郎 十朱久雄 加東大介ら)で、本作を観れば、いまよりよほどまともな国会があったこともわかる。

単純に、自虐をいいたいのではない。
国家の意思を持てない国が、国民国家といえるのか?という問題をはらんでいるのだ。

日本よ、日本人よ、どこへいく?

幸せの青い鳥は、すぐそこの目の前にいるのに!
この悲愴な姿は、初恋すらできない、発達遅れなのではないのか?とうたがうばかりなのである。

トランプ弾劾の大ブーメラン

「とにかく(TONIKAKU)」と名乗って、世界標準になったタレント・オーディション番組(Britain’s Got Talent)で、英国人を爆笑の渦に巻きこんだのは、「トニー」こと安村氏の、度胸だけで構成された瞬間芸だった。

「とにかく」、なにがなんでもトランプ氏を排除しなければならない

これが、まさかのヒラリー・クリントンを破った、泡沫候補のはずのトランプ氏への、DS:ディープステート:闇の政府からのミッションだった。
何度も書くが、超高級官僚群のSESに指示を出しているのは、政治家ではなく、軍産複合体(さいきんでは、「ビッグファーマ」も)の企業オーナーたる、大富豪の金融資本家たちだ。

それが、「ビルダーバーグ倶楽部」で、配下のフロント団体が、世界経済フォーラムである。

しかも、このひとたちは、家系における世代を超えて、自分たちが実質支配する「世界」を構築するために、思想的には完全に、「共産主義・グローバル全体主義」に染まっている。
わかりやすいから、いつも例にでてくるのが、ジョージ・ソロスで、彼の「財団」が、「オープンソサイエティー」を名乗っている。

要は、「解放財団」ということで、ついに「引退」を表明しても、とっくに息子へ運営の実権は相続されているのだ。

ソロスの祖国、ハンガリーでは、「反ソロス法」ができて、彼は、国民の敵=犯罪者としての位置付けにある。
アメリカでこんな法律ができないし、逮捕もされないのは、政府を挙げて「親ソロス」だからである。

これに真っ向対抗しているのが、共和党トランプ派だ。

しかし、同盟国の筆頭、日本では、カウンターパートたる政党は、親ソロスがほぼ全部の与野党であって、親トランプ派(反グローバリズム全体主義)はわずか参議院議員1名の参政党しかないという実態になっている。

9日、アメリカ司法省は、連邦レベルで大統領経験者を起訴するという、建国史上初をやった。

その罪状は、37件もある、と報道しているけれど、まともな「法律知識」とまでいわずとも、なんかへん、という感覚にならないとおかしいのではないか?

なぜなら、トランプ氏の罪状が、そのまま、クリントン大統領、クリントン国務長官、ブッシュ(息子)大統領、オバマ大統領、バイデン副大統領といったひとたちも、まったくおなじかそれ以上の「罪」があるのに、一切お構いなしになっていて、これらのひとたちは、当然ながら本件には沈黙を貫いている。

なぜなら、マスコミやらの記者が、彼らに質問をしないからだ。

ではなぜいま?なのか。
これはかんたんで、バイデン大統領一家の犯罪証拠が連邦下院司法委員で暴かれて、どうにもならない事態になっているからである。

つまり、左翼がお家芸とする、「論点ずらし」をやっているのである。

これは、トランプ氏を歴史的に2度も弾劾した、当時の民主党が支配した連邦下院の行動もおなじだった。
オバマ政権下のバイデン副大統領がやった、ウクライナ汚職を隠蔽するために、なんと主語をバイデンからトランプに置換したのが、1回目の弾劾起訴だった。

2回目は、1月6日の議事堂襲撃事件の首謀者としての弾劾起訴だったけど、こちらも、民主党ペロシ下院議長が仕組んだ騒乱だったことが議事堂内監視カメラ映像の公開で判明してしまったし、ずっと大騒ぎをしていた、「ロシア疑惑」も、民主党全国委員会とヒラリー・クリントンがでっち上げた選挙妨害であったことが、公式に認定され、この両者は罰金刑を受けている。

疑惑のなかのひとり、バイデン大統領の次男(長男は他界)、ハンター氏は、薬物中毒だからかなんだか、自身が弁護士のくせして墓穴を掘ることをやっている。
そのひとつが、「地獄のパソコン」と呼ばれる、修理に出したが受け取りにいかなかったPCにあった怪しいデータの数々で、FBIが正式調査をしても意図的に捜査を放置したことも判明した。

今般、彼がいったん認知した子供の養育費の支払い拒否したことから、母親が訴えて、とうとう裁判所から「所得の全面開示」を命令された。
これがまた、外国からの汚職の送金を明かす意味となって、ハンター氏ばかりか大統領自身がした汚職の致命的証拠になりかねない事態になったのである。

あくまでも大統領を守る、という意味で頑張っているから、立派なのは司法省とその長官だが、すでに副大統領時代のウクライナ汚職は、上記の下院司法委員の捜査でほぼ解明されてきている。
それでもって、とうとう、疑惑の目が、「本命」のオバマ氏にも向き始めた矢先の「トランプ起訴」なのである。

これを日本に帰化した、張陽氏は、みごとな東洋哲学をもって解説している。

バイデン氏が上院議員のまま政界を引退していたら、数々の汚職はだれも関心をもたずに闇の中であったものを、大統領職を求めたゆえに、その隠蔽工作が必要となって、それがシッポを晒す原因になった、と。

なんだか、『平家物語』のような展開になっている。

栄枯盛衰とは、古今東西の理(ことわり)で、まさに「驕れるものは久しからず」なのである。
そんななかで、FOXニュースを解雇された、タッカー・カールソン氏が、Twitterに登場した。
再生回数は、数日をまたずに、1億回を突破した。

来月には、トランプ氏とコラボするとも発表している。

日本国内の平穏をよそに、アメリカでの激しい攻防戦は、どんどん加熱しているのである。

しかして、事実が暴かれて、虚偽が窮地にたたされる当然ともなっている。

焦った、世界経済フォーラムやらの勢力が、アメリカを棄てて、日本で強行採決している姿だけが目立つようになってきた。

景気は循環するものか?

経済生活をしているうえで、「景気」について、いまいいのか?わるいのか?が、挨拶代わりだった時代があった。

とくに、「天下の台所」だった大阪は、商人(あきんど)の街だった、というよりも、日本経済の中心地で、政治の中心地、江戸と、京の権威の中心とで、「三都」をなしていた。

なにも「藩」だけではなく、用途的にも分散型社会だったのである。

そんな大阪の典型的な挨拶は、
A「まいど、儲かってまっか?」
B「ぼちぼちでんな」
であった。

これを、無粋にも標準語訳すると、
A「どうもお世話になっています。ご商売の方はいかがですか?」
B「ええ、お陰様でそこそこで暮らしていますよ」
となる。

そもそも、「景気」の気は、気分の「気」だから、心理的な言葉であって、人間の経済社会は集団心理に左右されることの本質をついている。

この意味で、英国発祥の古典派以降の「経済学」は、今に至るまで、「心理」を無視した状態にあるのが、「つかえない」ことの重要な理由になっているのである。
それゆえに、先進企業では、社会心理学やらの学位をもったひとたちが、マーケティング分析をして、かつ、自社の販売戦略を練っているのである。

この意味で、むかしいわれていた、「とりあえず経済学を専攻しておけば、つぶし(おそらく、「応用」のこと)が効く」というのは、ウソであった。
むしろ、人々の心理を無視した、無機質な結果データだけで、「景気循環」なぞというテキトーを擦り込まれてしまうのである。

もちろん、景気はよくもなり悪くもなる。
それを肌で感じたから、商都であった大阪商人の挨拶にもなったのである。

しかし、大阪経済の衰退は、高度経済成長時代には深刻化していて、かつては、大蔵大臣が就任したらすぐさま大阪経済人に挨拶におもむいて、経済政策の本音の要望をインタビューしたものだったが、もう半世紀も、どの大臣もそんなことはしなくなったのである。

新幹線がなかった時代は夜行でも大阪に行って、新幹線ができたらだれもいかない。

しかしながら、これは大阪とか関西経済が衰退した「だけ」が理由か?と問えば、GHQが仕掛けた、社会主義中央集権体制(計画経済体制)の構築と完成時期とに一致していないか?とうたがうのである。

ようは、政都、東京を中心にした、政府主導(日銀も政府に従っていた)の介入こそが、経済政策になった、ということだ。
これぞ、「ソ連型」なのである。

だから、70年代のおわりから、80年代のはじめに、「日本は世界でもっとも成功した共産主義国」と指摘があったのは、正しいものだったけれど、国民がこの指摘を「そんなバカな」といって相手にしなかった。

日本は自由経済圏(西側)だと、だれもうたがわなかったからである。

これが、「とりあえず経済学を専攻しておけば、つぶしが効く」ということの結果なのである。
いわば、猫も杓子も経済学部に、「とりあえず」はいって、まじめな学生ほど洗脳され、あくまでも「とりあえず」を貫いた学生は、テキトーな企業に就職してからまじめに働いたのである。

そんなわけで、経済循環も、政府依存になった。

政府がなにかをしないと、景気が悪くなる、という意味の国民心理になったのである。
だから、景気後退は許されべからずもの、になって、どんどんと予算がついた。

こうして、政府の予算がつけばつくほど、大阪や関西経済が衰退したことに、関西経済人たちが気づかなかったばかりか、もっともっとと要求して自爆したのである。
しかし、こうした「毒」が、中央集権制だから、わが国の津々浦々まで蔓延して、日本経済全体が衰退することになった。

この流れから、かんがえてみれば、バブルをどうして崩壊させたのか?という問題が立ちはだかるのである。

昭和の終わり、平成のはじめのバブル経済とは、空前の好景気だったのだ。

しかして、あの好景気の中身は、潤沢な資金が生産性向上のために投資されるべき「拡大総生産」にではなくて、生産性の向上とは無縁の、「土地投機」と「株式投機」にだけ回ったのである。

だからけしからん、というのではなくて、ちゃんとしたメカニズムを国民におしえないといけないのに、いまだに政府はシラを切っていることが、けしからんのである。

つまり、計画経済体制になっていたことを思い出せば、「官製バブル」だったのである。
それを見事に崩壊させたのも、日本政府の政策だった。

なんと、マッチポンプなのである。

だから、崩壊すべく崩壊した、というのもウソである。
崩壊させたかったから、崩壊したのだ。

けれども、バブル崩壊だけが、その後30年以上にわたる衰退の原因になるのか?

どさくさに紛れて当時のアメリカFRBが仕掛けて実行されたのが、「BIS規制」だったのである。

これで、わが国の銀行経営が立ち行かなくなって、東京を世界の金融中心にするという計画も水泡に帰したのだった。

しかし、順番は逆で、東京を世界の金融中心にするという日本政府の計画を潰すために、FRBが動いたのである。
その証拠は、ボルカー議長(当時)の発言に残っている。

でもそれよりずっと前、つまり、バブル経済になる前の、「プラザ合意」こそ、彼らの日本経済潰しのための長期シナリオの開始スイッチであった。

つくられた、強い円が、世界の経済人に脅威となるように仕向けたのである。

ここに、景気循環なんてだれもかんがえていないことに気づくであろう。

あのケインズは、あの『雇用、利子及び貨幣の一般理論』で、サラッと以下のことを書いている。
「誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。(岩波文庫、下巻、P.194)

「二権分立」の発明

「破壊」をもって宗とする、ヨーロッパ大陸での厳しい生存競争は、「三権分立(立法・行政・司法)」というアイデアをうみだした。

そうやって、支配者たる「王」やらの権利を、貴族たちがよってたかって抑制して、貴族たちの「権利の章典」を王に武力で認めさせ、署名もさせたのである。
だから、本来、ここには、一般人は蚊帳の外で存在せず、あくまでも上からの「統治」の原則にしたのだった。

しかし、「造り変える」ことを宗とする、地球上で一カ所しかない、温帯の島国(=「日本列島」以外で温帯の島国は存在しない)では、協調(=「和」)を根本としたので、「二権分立(権威、権力)」を発明したのであった。

「三権と二権」とをいい比べれば、なんだかひとつ多いか欠けているようにみえるけど、内容のレベルが哲学でみればぜんぜんちがう。
この「二権分立」というものが、世界に類をみないから、自分たちだけが世界標準だと勘違いしてはばからない、傲慢な欧米人には、日本が「不思議の国」に写るのである。

古来、天皇の権威と世俗的政治権力は分立してきたから、歴代の武力でする為政者も自ら天皇になることはひとりもできなかった。

このことだけでも、ヨーロッパ大陸の破壊する力を信奉するひとたちからしたら、きっと「バカ」にみえるのだろう。
彼らがどこまで日本史にくわしいかしらないが、源頼朝も、足利尊氏や絶頂を極めた義満も、徳川家康も、全員が天皇に仕える征夷大将軍の身で納得したのである。

平清盛に織田信長、豊臣秀吉の例外は、清盛の一家の興隆は藤原を真似た一族独占だったし、信長はその野望(「天下布武」)実現の前に倒れたことになり、秀吉はその出自から、関白・太政大臣「止まり」という、変な言い訳でお茶を濁している。

朝廷の序列からしたら、征夷大将軍をずっと超えて、もっとも天皇の地位に近づいたのは、清盛、秀吉だったのに。
秀吉の直属の上司たる、また、鎌倉幕府以来の「弾正」の家柄を自慢した、織田信長でさえ、「右大臣」までだった。

なお、「彈正」とは、律令制でいう「弾正台」の職員のことで、天皇直属の監察官であって、左大臣以下の行政官を監察し、ときに討ち取ることも許された重要職である。

しかしながら、やっぱり天皇にはなれなかったという、結論ではおなじなのである。

日本独自の二権分立の根本にある、ヨーロッパ大陸との決定的ちがいとは、一般人の扱いを「大御宝(おおみたから)」といって、国家の宝と位置付けていることにある。
これをまた、「百姓(ひゃくせい)」とも書いて「おおみたから」と読ませていた。

それは、「米作り」を土台とした生活基盤の、基盤そのものだったからである。

この発想が、日本企業の、従業員との一体感を重視する、どんなに組織人員数が巨大化しても、「家族的経営」が行われたことの背景にある。

なので、「人材の材は財産の財という」ことになっている。

いまでも、日本企業に就職して、「雇用契約書」にサインもしないし、その雇用契約書をみることもないのは、「一家の一員になる」からということで解されている。
これを、書面がなくとも「双方同意による雇用契約の成立」となっているから、日本人同士で問題になることはなかった。

ようは、従業員名簿に記載があれば、「武鑑」のように、身分保障がされたのである。

けれども、グローバル化で、外国人を雇用するばあいに、「誤解」されるようになったのは、ヨーロッパ大陸のやり方が、アジア人も含めて常識化しているからである。

そんなわけで、二権分立とは、ヨーロッパ大陸のひとたちからみたら、自分たちの歴史があまりに残念で否定されたように感じるのである。

なぜならば、大御宝の国民がこぞって、天皇に権威を与えているから、天皇から任命される為政者は、かならず「大御宝のため」になる施策をしないと、権威から叱咤されて大恥となることが、システム化されていることの「先進性」に気づくからである。

しかして、萬世一系の天皇とは、日本人全員の「家長」なのである。

なので、大御宝である国民は、自分の「家」を守ってきたのである。
これが、グローバル全体主義(共産主義)からもっとも初めに攻撃されることの理由である。
「家族の破壊」こそが、人間のアトム化(原子化=浮き草化)のはじめの一歩なのである。

「天皇制」という共産主義用語がここからできて、天皇家を攻撃し、一方で、大御宝たる個人の生活における家の破壊のために、とにかく「LGBT法案」を通すのは、こうした「破壊」の意味でぜんぜんブレずに一貫性があることだ。

ユダヤ人(グローバリスト側の)が書いた、『日本人に謝りたい』は、このことを赤裸々に綴っている。
あの、美濃部達吉の有名な、「天皇機関説」も、初期のグローバル全体主義からの指示による「天皇攻撃」だったけど、「翻訳に失敗した」ので、普及にも失敗したとあるがはたしてそうか?

大正デモクラシーの、怪しさがここにも見え隠れするのである。

芥川龍之介『神神の微笑』の憂鬱

この作品は、大正11年(1922年)に発表された、芥川龍之介30歳のときの作品である。

著作権が切れたので、無料で読めるのはありがたい。

芥川龍之介といえば、一応、「短編の妙手」という見方が一般的だ。
この作品も、すぐに読める短編である。

だからといって、すぐれた短編は、ずっとロングテールのように、あとを引くのである。
それに、時代背景とかもかんがえると、なかなかに作家から投げられたボールのキャッチがむずかしい。

それは、作品のなかの時代背景だけでなく、作家自身が生きた時代の背景もあるからだ。

さいきんでは、「握手の鬼」さんが投降している、『神様の憂鬱』というユーチューブ作品がおもしろい。
動画というよりも、A.I.音声に語らせる、その無機質な「読み上げ」が、練られた内容と合致してあたかも、「短編ラジオ・ドラマ」の様相を醸し出している。

とはいえ、イラストがまた巧妙なので、見入ってしまうのである。

大正期の芥川と、現代の握手の鬼が描く、「神」には、決定的ちがいがあって、それがまた面白いのである。

ひとことでいえば、「日本文化」と「外国文化」のちがい、である。

その話の前に、芥川龍之介がえがく、1924年の『桃太郎』は、帝国主義者として描かれている。
「鬼ヶ島」とは、あたかも日本のことで、桃太郎主従はかつてのモンゴルに服従した元寇のときの高麗連合軍ともいえるし、幕末の米(桃太郎)・英(猿)・仏(犬)・露(雉)をも想像させる。

一方、英国の文豪、サマセット・モームは、『コスモポリタン』誌に、つまり、芥川とほぼ同時代の1924年~29年にかけて、連載したなかに、『イソップ』からパロった、『アリとキリギリス』を発表している。

ちなみに、わが国に『イソップ寓話集』を伝えたのは、ザビエル以降の宣教師たちだったのである。

それで、「天正遺欧少年使節」(1582年に出発し、1590年に帰国した)がヨーロッパから持ち帰った印刷機を使い、イソップ物語などの「天草本」を全国に普及させた経緯がある。

なお、さいきん、「本能寺の変」は、信長、光秀、秀吉の間でした、「密約」で、どうにもこうにもヨーロッパ大陸に行きたくなった御屋形さま:信長の「野望」を実現するための、大芝居ではなかったのか?との説があって、これに家康がどこまで加担したのかはわからない。

少年使節は、2月20日(旧暦1月28日)に長崎を出港しているけれど、本能寺の変も、同年6月2日(旧暦6月21日)で、わずか3ヶ月半の誤差しかない。
マカオあたりで落ち合って、「船団」を組んでいた可能性は、むしろ当時としてはふつうなのである。

『神神の微笑』に話にもどすと、その主人公、オルガンテイノ神父も、イソップの普及につとめたひとりだったにちがいない。

例の、京都大学霊長類研究所が、宮崎県の幸島でニホンザルが「海水でいも洗い」をする行動が、伝播していくことが世界的に有名になった。

なにも、芥川龍之介とサマセット・モームの間で「伝播した」とはいわないが、昔話からあたらしい物語を創作するという意味で、同時期のこの二人の文豪の共通なのが興味深いのである。

モームの話は、よく人生の機微として解釈されているけれど、これを芥川のいう、『神神の微笑』に照らしたら、なるほど「破壊」を旨とする欧米人の神の発想が原点にあることもみえてくる。
その根拠は、なにせ『聖書』にあるからだ。

しかしながら、日本人の神はぜんぜんちがう。

「破壊する力」ではなく、「造り変える力」なのである。
つまり、オリジナルがどんなものであれ、それを造り変えて、「日本的なもの」にしてしまう。
いやむしろ、日本人は、日本的なものにしないと気がすまないのである。

それがまた、日本における「中華料理」であるし、「洋食」なのである。

イタリア人がにわかに信じない、パスタをケチャップで炒めてつくる「ナポリタン」なる料理は、完全に日本料理となっていて、来日したイタリア人は驚愕しながら食し、その美味さにまた驚愕するのである。

しかしもちろんイタリア人は、それがたまたまパスタを使っていても、決してイタリア料理とは認識しないし、日本人がイタリア料理を完全破壊したともおもわないで、「亜流」としてみるだけなのである。

『神神の微笑』を書いた芥川が、その2年後に、『桃太郎』を発表するのは、大正時代という不安定な時代背景を無視しては語れない。

社会主義の幻想が、美しくみえた時代であった。

しかし、芥川が自死してなお後の、戦中から敗戦後にかけて、社会主義国にさせられたわが国で、いま、ユーチューブで『神様の憂鬱』が発表されたのも、いまという時代背景を無視できないのである。
このドラマにある「神」は、日本的「造り変える力」ではなくて、人間に君臨する西洋の神となってしまったことで、「憂鬱」になったのである。

それはまさに、オルガンテイノ神父の憂鬱そのものなのだ。

この日本と西洋の、文明のクロスオーバーが、日本と西洋双方でねじれて、同時に憂鬱になっている現代社会病理の正体なのだ。

日本の西洋化と、西洋の日本化ともいえるのに、そのベクトルが一致しない不幸がある。
日本が日本らしさを発揮すれば、西洋は安心して日本化できるのに、である。

あゝ、「スパゲッティ・ナポリタン」をうみだした日本人のすごさよ。

信長は光秀とともに、バチカンで死んだというのは、たとえ荒唐無稽でも、妙に説得力があり、猿ならぬ秀吉がこの二人の希望を実現するのに奮闘したならば、主従の強固な関係すらも納得の美談となって光り輝くのである。

さすれば、信長・光秀の両名は、バチカンでなにを造り変えたのか?が気になるのである。
もしや、憂鬱のうちに亡くなったのか?

一方、現代の、握手の鬼が描く、ポリコレの『桃太郎』のおぞましさは、破壊神の日本征服が完遂したからだとしたら、もう憂鬱とはいっていられないのである。

だがしかし、芥川の『桃太郎』と、読後の気分が憂鬱になる共通は、「唯ぼんやりした不安」そのものなのである。