行き先不明の公明党と立憲の新党

戦後の昭和から、わが国では珍しかった「近代政党」の一角をなしたはずの公明党が、大迷走をしているようにみえるので、組織論からの勝手な解釈を書いておく。

なお、近代政党の定義は以下の3点が同時にぜんぶ満たされていることが条件だとあらかじめしっていないといけない。

・「綱領」があること
・「議員」がいること
・「党員組織」で活動していること

近代政党ではない、自民党には、三つ目の「組織がない」点で欠格する。
自民党の組織とは、議員や候補者が独自に運営している「後援会」をさすので、党員による組織とはほど遠いのである。

よって、自民党を別称で「自分党」と呼ぶ根拠となっている。

また、「議員」には、政策スタッフがつくことが必要であるが、それはまた党員であることが望ましく、さらに、党には政策シンクタンクがあって、そこの研究員からスタッフになることが重要である。

ここまで完璧な政党は、大正デモクラシーからこのかた、わが国にいまだ存在しないが、近いところに公明党と共産党があったし、ここ数年で参政党が唯一の「完全型」を目指すと公言・標榜している。

高市政権による、通常国会冒頭解散が確実になるにつけ、15日、公明党と立憲民主党が合併して新党をつくることがニュースになった。
この前に、立憲民主党の原口一博元総務大臣が、「分党宣言」をSNSで発表して、事実上の党分裂がはじまったのである。

ときに、公明党は、なぜに自民党との連立を離脱したのか?

ことの真相は不明だが、支持母体たる宗教団体・創価学会の衰退とこの組織の求心力の弱まりが遠因であることはまちがいなかろう。
カリスマ指導者だった池田大作氏の死去で、中心を失ったことの回復がそう簡単にできないのは、この手の個人崇拝をする組織の「あるある」だからだ。

驚異的な経済成長率達成していても、まだまだ日本が貧しかった昭和30年代から創価学会は成長をとげる。

このときから、池田大作氏が組織の中心を形成するが、その教義は「現世利益」なのだ。

つまり、社会としても現世利益を実現していた時代の大波に「乗った」ともいえて、宗教だけにどんなに現実社会が不況になっても、曲げることができないから「教義」なのである。
その教義=戦略のために、信者のエリートを役所に送り込みながら、野党から与党になることでの「現世利益」追及をやめなかったのは、信心だけでない合理的な行動であった。

ところが、教団組織と政党議員の乖離がはじまったとおもわれる。

これは、連合が支持するのに、民主党が、立憲民主党と国民民主党に分裂し、さらに、それぞれの政党が連合の希望通りにはならないのと似ている。

あたかも、「法皇」にある白河院政で、「ままならぬ」といったこととソックリなのである。

鴨川の水の流れ、すごろくのさいの目、比叡山の山法師。
ことに、法皇に従わない山法師と、連合と政党の関係のことである。

しかして、創価学会と公明党も、おなじ事態になっていないか?

すると、これを組織論で考察すると、組織マネジメントが壊れだしている、と観るしかない。
だとすれば、トップの問題だけではなくて、もっと深刻なのは組織内の「中間層」がバラけてどうかしだしたとかんがえるのが妥当なのである。

おそらく、トップが目指すなにかと、中間層の目指すなにかの齟齬が亀裂となって顕在化しているのだろう。

これを、かつてのカリスマのやり方をそのままに、上から目線で強権的に解決を図れば、亀裂の溝はより深くより広がって、収拾がつかなくなるのも、よくある愚策の例に山ほどある。
つまるところ、この当事者たちは、こうした人類の歴史をしらないし、人間のもつ心理に対する知恵もないことを国民に見せていることにも気づかない。

まことに、安易な時代の、今様、の出現なのである。

「ベーム」が次々とやってくる

YouTubeのアルゴリズムが突如として動きだして、意外な動画が登場するのはいつものことではあるけれど、新年初の三連休にあって、あの往年の巨匠カール・ベーム(1894年〜1981年)の指揮ぶりが連続で現れた。

わたしの記憶では、ベームとウィーンフィルハーモニー管弦楽団のコンビは、当時、世界最高との評価があったけれども、カラヤンとベルリンフィルの人気がすさまじかった。

レコードが高かったので、まだ中学生のわたしの小遣いで好きに買えるようなものではなく、モノクロテレビのモノラルスピーカーからの音声でもテープレコーダーに録音して、NHK教育テレビの演奏を観て満足していたのである。

ベームとカラヤンを比べると、カラヤンは「サウンド」をつくっていたし、それがまた芸大出のソニー大賀社長とのtie-upで大々的に宣伝されていた。
ベルリンフィルの透明な弦楽器の響きもまた、西ドイツのポスト・モダンとマッチしていたようにおもう。

だから、ベームの方は「地味」で、どちらかというと特徴がないという特徴があって、さらに、テンポの遅さがぜんぜんモダンでなく、しかも、ウィーンフィルの弦楽器の響きは、田舎っぽい匂いようにくすんでいる。
しかし、何度も聞くうちに「滋味」があることに気づいたのである。

後年になって、デジタルの時代になると、フルトヴェングラーとベルリンフィル(ナチス時代は「帝国オーケストラ」といった)の録音がデジタルリマスター版として復刻し、伝説の演奏をはじめて耳にして、「これぞ!」とおもったものである。

もしや、ベートーベンもこんなふうな音色をイメージしていたのではないか?

ベームの演奏における、とくにテンポについては、「むかし」ならこんな速度でもじゅうぶんに「速かった」かもしれないとおもった。
たとえば、日本でなら、『ドンパン節』を、明治生まれの祖父が好んで口ずさんでいたのが耳についているが、やたら遅いテンポなのである。

生活のリズムがいまよりもずっと遅かったむかしを偲ぶと、特別に遅いのではなくて、いまが速すぎるのではないか?

70年代のスピード感からしたら、カラヤンの「速さ」がうけたのもわかるが、「古典」ファンとしては、ドイツ伝統の継承者ベームの方に軍配が上がったのは理解できる。

そのカラヤンにウィーン国立歌劇場の芸術監督の地位を奪われたのがベームであった、ともいわれているし、後年、ベームもこれを認めるような発言もしている。
だが、「やった」のは、すでに「帝王」化していたカラヤン本人ではなく、取り巻きの忖度による活動があったのではないか?と疑う。

こうしたばあい、本人は自分のせいだとは気づかずに悪びれないものだし、カラヤンのプライドはそんな姑息を許さなかったろうから、あくまでも「実力」だと信じたはずである。
それに、カラヤンは、けっしてベームを邪険にしたわけもなく、「あなたのような指揮者になりたい」とまでいったのも、本心からだとかんがえたい。

この意味でも、指揮者という職業は組織的ではない、ひとり個人事業主、である。

この後、ベームは特段の劇場やオーケストラとの専属契約はせずに、「フリー」の指揮者として、世界的巨匠の名声を獲得する。
それで、カラヤンが支配したベルリンフィルにも度々客演して、歴史的な録音の数々を残したのだが、よくぞカラヤンがベームの客演を許したものだというのも、上の理由からだろうと想像する。

カラヤンすらベームにはかなわないと認めていた、という。

バーンスタインや、カルロス・クライバーなどの伝説の指揮者が、ベルリンフィルに客演しているのも、カラヤンが背後にいてのことで、カラヤンが君臨していた時期に、その他の指揮者がベルリンフィルを振ることはなかったというのも、「仕切り」があったためだろう。

ときに、ベームは「法学博士」の学位を得たのに、父の後を継いで弁護士にならず、音楽の道に入った。
あのどこか学者風の姿は、「教授」にふさわしいのであるが、ピアニストから指揮者に転向するのに自分で向き不向きに気づいたからだという。

おそらく、ベームが受けた教育は、ドイツ伝統の「スパルタ式」であったとおもわれる。

それがまた当時のドイツ上流の、あたり前の教育方法であった。
家庭教師による強制をともなう厳しい教育法のことである。
しかし、戦後、つまり「ドイツ第三帝国」が滅亡してから、アメリカ式の自由教育が主流となって、かつてのドイツ式が廃れたのである。

これは日本における明治からの「学制」と似ていることであるが、わが国では150年前の大変化に、ドイツではまだ80年という違いがある。
しかし、昨年のショパンコンクールが象徴するように、上位入賞者がアジア系ばかりとなってドイツ系はひとりもいなかったことが注目された。

これも、ドイツ式教育法が廃れたことの残念な一面だと、上流階級のドイツ人がみとめるところのようであるがどんなものなのか?
はなから庶民のドイツ人には興味のない話題なのである。

また、ベームが指揮した当時のウィーンフィルのメンバーに、女性がひとりもいないことがいまさらに目立つのである。

ヨーロッパの由緒あるオーケストラに、女性メンバーが入るのは、ここ半世紀の出来事なのである。

いまや、クラッシック音楽界にも「巨匠不在の時代」といわれて久しいが、それはいい意味でも悪い意味でも、クラッシックな方法が廃れたことの反動なのであろう。

それがまた、ベームのような人物が不世出だといわれる理由だとすれば、日本映画の『国宝』がヨーロッパで絶賛される理由もまた、ヨーロッパが「失ったもの」が、現代日本にあることの憧憬になる理由だとおもわれる。

そうやって、次々とでてくるベームの動画を観ていたら、次はカルロス・クライバーへとつながってきたばかりか、これまたなぜか?優れた時代考証でしられる森薫女史の『エマ』とアニメ版『英國戀物語エマ』が登場した。

これもまた、アルゴリズムのおかげであろう。

キューバの運命はいかに

西半球=南・北アメリカ大陸の支配に徹する。

これが、2025年12月発表「アメリカ合衆国国家安全保障戦略」の核心である。

それゆえの「ベネズエラ」であったし、ブケレのエルサルバドル、ミレイのアルゼンチンから、あたかもオセロゲームのごとく、南米大陸では左翼政権が壊れて、トランプ政権2.0との親和性の高い反グローバリズム政権へと転換がつぎつぎとすすんでいる。

のこる「大物」は、南にあるメキシコとブラジルと、北のカナダとなっていて、その先に、グリーンランドがある。
そのグリーンランド自治政府首相は、新年早々に、本国デンマークの首相との会談で、「現時点では、NATOとセットのデンマークを選ぶ」と発言し、それなりの物議となった。

アメリカがNATOから抜けるかもしれない、「含み」があるいい方だからである。

ようは、アメリカと「領有権」で対峙するデンマーク首相を目の前にして、自治政府の当事者が、アメリカの加入なしに存在できないNATOなのに、アメリカが軍事力で領有しようと圧力をかけていることとの完全矛盾を言い放ったのである。

つまり、この時点でNATOは終わっている。

メキシコの大統領は、アメリカによる麻薬カルテルへの地上攻撃を阻止するのに、あたかも、麻薬カルテルの側にある、と発言して、これまた失笑を買ったのは、政権そのものが麻薬カルテルの支配下にあるという、従来からの「うわさ」を肯定的に確認してしまったからだ。

ところで、ブラジルの極左ルーラ大統領を、わが国は昨年3月に「国賓」として招いた前科がある。
「石破政権下」だから、高市政権とは関係ない、とはいえないのは、「自・公・立憲」政権における暴挙だった。

名目上は日本とブラジルの130年にわたる友好、だったろうが、仕込んだのは岸田政権だ。

おなじ政党内における「政権交代」を、一般的には政権交代とはいわない。
近代における「政党政治」とは、組織で意志決定し、組織で動くものだからである。
なので、もしも国際的な言い訳をするなら、わが国の政権党は、近代政党ではないと、自分から釈明しないといけない。

さてそれで、キューバである。

この国のエネルギー源は、ベネズエラからの石油供給であった。
二番手がロシア産の石油だったが、はなから量が少ない。

ようは、キューバは急激なエネルギー危機にある。

領土面積の規模は違うが、戦前の日本におけるエネルギー危機と似て、どうにもこうにもならない状態になっている。

そこにまた、トランプ大統領は、「トンデモ」発言をして、キューバからの亡命移民であるマルコ・ルビオ国務長官を、キューバ大統領に任命する、といったのだ。

さて、経営戦略のいまでは古典的な教科書となっているのが、アルフレッド・D・チャンドラーJR.ハーバード・ビジネス・スクール教授の名著『組織は戦略に従う』のとおりをやっている。

つまり、「アメリカ合衆国国家安全保障戦略」にトランプ大統領もそ政権組織も愚直に「従う」という教科書通りの実践を世界は見せつけられているところなのである。

すると、アジアやわが国にも、この戦略が及ぶことを意味するばかりか、「いつ」実践されるのか?という時間の問題になっているとしらないといけない。

良くも悪くも、支持しようがしまいが、この戦略が、覇権国家アメリカ政府の「バイブル」となっている。

二元論同士の泥沼

明と暗、正義と悪、人類最古の啓典宗教=ゾロアスター教が生まれたのは、いまのイラン北部の地域であった。

ふたつのうちどちらにつくか?を、宗教として問うたのである。

むろん、明をよしとして、暗と敵対する。
それが、明=正義となれば、暗=悪となって、悪は炎の力で滅ぼさなければならぬ、となるし、暗にはあまねく明=光で照らさねばならぬ。

ゾロアスター教を「国教」としたのが、ササン朝ペルシアである。

ゾロアスター教がギリシアに伝わり、ミトラ教へと変容すると、これがそのままキリスト教にコピーされた。
ために、キリスト教会は、悪魔に堕ちた「魔女」を火刑に処したのである。

それで、ムハンマドがキリスト教を否定的にコピーして、イスラム教がなり、そのムハンマドの血縁からシーア派が生まれたと書いた。
シーア派の血統に、ササン朝ペルシアの王女があるとの伝説で、シーア派はゾロアスター教からの微妙な影響をうけている。

つまるところ、二元論がキリスト教・イスラム教に入り込んでいて、当然ながらユダヤ教にもある。

日本にはおそらく「景教(キリスト教ネストリウス派)」が、8世紀に伝わって、天台と真言の「密教」とつながって「お焚き上げ」になっている。

わたしは、日本における「大乗仏教」の根本思想に景教があると感じている。

それがまた、釈迦如来=キリスト、という感覚になったのではないか?とかんがえるが、その釈迦如来もキリストも、八百万神のなかに取り込んでいるのが日本人の宗教感覚であるので、イランよりもはるかに世界最強の宗教国家といえるのである。

そうやって「イランの混乱」をながめると、外国からの介入もふくめて二元論同士が戦闘態勢にはいっているとしかみえてこない。

やっぱり、ユダヤ、キリスト、イスラムの三つ巴のことである。

おそろしいことに、二元論の狭い地表では、どんなに血みどろになっても絶対に解決はない。
なぜならば、自分の正義と他(宗派)人の正義がちがうから、徹底的な浄化のための焼却が必然となるからで、落とし所がどこにもないからである。

すると、この二元論の地表から別次元に移動させないと、救いがないことになる。

しかしながら、かれらの宗教的地表面では、できない相談なのである。

ときに、昨年暮れにはじまったデモの理由は、インフレに対する不満だという。
いまや、$1=142万リアルとなっている。
$1=142円とすれば、1円の1万倍も安い自国通貨にイラン人の生活が破たんをきたしているのである。

いってみれば、100年程前の日本でもあった、「米騒動の打ち壊し」の状態である。

それであたかも王政復古で解決できるかといえば、そうは簡単ではない。
しかも、元皇太子は政策の発表もしていないのである。
幼少のみぎりから、アメリカに保護されて生きてきたので、そのままアメリカに依存するなら、第一に「核放棄」をして、長く続く経済制裁の解除が必要条件になるだろう。

むろん、早くやらないとユダヤのイスラエルからあからさまな余計なちょっかいが入りかねない。
そのイスラエル国内では、正統派ユダヤのひとたちが、反ネタニヤフを掲げてデモをしているのは、ユダヤ教徒の国ではなくてシオニストに乗っ取られたことの不満である。

それでもって、イランでは石油の輸出をできるようにしないと国家収入がないのである。
これを、ベネズエラ方式にするかどうか?がひとつの見どころである。
つまり、アメリカ・トランプ政権2.0による国家運営という、事実上の経済占領のことだ。

そのイスラエルを訪問中の日本の茂木外務大臣は11日、ネタニヤフ首相と会談し、「ハマスのテロを強く非難しながらもガザの人道状況への深刻な懸念」を表明したという。

もしや、そんなイランへの強制的投資を、あのアメリカとの億ドル単位の約束から日本がやらされる可能性だってあることのイスラエルへの牽制か?
だが、むかし、「イラン石油プロジェクト(IJPC)」をやった経験が、まさかここで復活するのか?とかんがえると、悪い話ではなくむしろわが国にはチャンスである。

こうした視点でみると、トランプ政権2.0のキリスト教的発想は、かつてとちがって二元論から脱しているのは、成功した「経済人」だからであろう。

カネに余裕がないアメリカは、ベネズエラでも「物々交換」をやるし、暫定政権が従うのも、政治的にも経済的にも「損がない」からだといえる。
政治的な損とは、国民への「プライド」のことであるが、背に腹はかえられないのであるし、マドゥーロ夫婦を事実上救助したトランプ政権2.0には逆らえないはずだからだ。

それにしても、ベネズエラの石油を失ったキューバ政権の生存も怪しくなっている。

二元論の地表から別次元へと、トランプ政権2.0が誘導しているのは、賢明なことである。

米・英の歴史的決別

昨年12月の「アメリカ国家安全保障戦略」で、「ヨーロッパとは価値観をおなじくしない」と書き切った、トランプ政権2.0であるが、いちおうヨーロッパに含まれるだろう「英国」のスターマー政権には、「英語の読解力が欠如」していることもわかってきた。

そればかりか、「英連邦」を構成している、カナダとオーストラリアも、同じレベルの英語力だとしれて、それぞれの英語力がある国民には唖然としていることだろう。

これはこれで、アメリカが民主党であれ共和党の政権であれ、自分たちを見棄てることなんかありえない、といった、「超」がつく『甘えの構造』があるからにちがいないために同書の英語版もでているのだろう。

しかし、国際政治のリアルからしたら、本が売れようが売れまいが、深刻な問題を引き起こすのは「政治」だからで、困ったことにグローバル化で当該国民だけでなく世界が迷惑する時代になったのである。

これを、戦後世界を支配してきたグローバル全体主義者たちからしたら、トランプ政権の「迷惑」といいたがるので、あたかもそのように信じ込まされているのだけれど、じつは逆であることに注意がいる。

さてそれで、「ヨーロッパとは価値観をおなじくしない」とはなんのことか?といえば、「言論の自由」について、これをないがしろにしようとすることへの批判がはじまりなのである。

それがいまや、批判だけでなく「制裁」を伴う政治の力がはたらきだしている。

元は、バイデン政権による言論統制の試みであった。
SNSを基軸にしたものではあったが、イーロン・マスク氏が「Twitter社を買収」することで、首の皮一枚でのセーフとなったのは全人類のしるところであろう。

また、はじめは「TikTok」を禁止しようと動いたトランプ氏が一転して、これを大統領選挙でつかうことに決めたのは、「TikTok」を禁止している本家の中共を徹底的に「悪」と定義したことの論理の一貫性を優先させたからであった。

Twitterを買収してから、社内文書やらの公開で、当時の幹部が全員責任をとらされることにもなったし、バイデン・ホワイトハウスからの強力な言論統制アプローチがあったことも宣誓つきの議会証言で判明した。

これらホワイトハウスの犯罪は、「合衆国憲法違反」として、いまもくすぶっている問題なのである。
むろん、憲法を守らなければならない人間とは、一般国民ではなく「公務員」なのだから、当時の責任者追及はかならず実行されるだろう。

そんななか、英国で極左スターマー労働党政権が、Twitterから名称変更した「X」への規制を強化しつつあり、はては「禁止措置」へと、ブラジルのように発展する可能性もおびてきた。
そして、上に挙げたように、カナダとオーストラリアが追従しようとしているのである。

つまり、「脱アメリカ(トランプ政権2.0)」という政治ムーヴメントが「英連邦」でおきつつある。
当然ながら、EUも同じ穴のムジナであるが、こちらは昨年中に5人もの元職をふくむ情報管理責任者が、アメリカ入国禁止措置なる制裁の発動をうけている。

産業が衰退・疲弊したいまの英国では、おそらく、唯一の「産業」といえるロンドン「シティ」の金融市場に対して、ベッセント財務省がどんな締付けを実施するかが今年の注目点になるだろう。

フランスは、マクロンが農民一揆に屈服して、来年の大統領選挙に不出馬を宣言し、みごとなレームダック状態におちいった。
ドイツは、欧州ブラックロックの会長だった、メルツの頭の悪さに唖然とするばかりだが、これにカナダはイケメンだが無能のトルドーから、肩書きはあるがもっと無能のカーニーが首相の座にあるのも不可解なのである。

むろん、オーストラリアも左翼政権(労働党)である。

そこで、これらの国々からの「エクソダス(国外脱出)」が密かに起きていて、その目的地のひとつにわが国がある。

アジアや中東移民の問題がいわれてはいるが、白人系もいるのは、日本がこの世の楽園だと気づいたからだ。

元来、怪しかった「日英同盟」も、英国側(当時は文字どおりの世界覇権国)からみたら、その目的の邪悪さがみえてくる。
そもそも、英国人はいまだに「法の支配」を、自国の法「だけ」だと解釈していて、他国の法を無視する体質がDNAにある野蛮人である。

だから、現代の「日英同盟」の裏にある英国の目的をしっかり探らないと、中共がいうように、何度でも日本人は騙される、ことになるのである。

アメリカのトランプ政権2.0に泣きついたところで、「おとな」のトランプ政権2.0は、自分で決めたことだと突っぱねることになる。

「成人式」がとっくに形骸化して、「元服」のような緊張感もなにもない、お子ちゃまたちの祭典に変容して久しいけれど、グローバル全体主義であろうが、ナショナリズムであろうが、自分で決めたことが取り返しのつかないこととなっても、戦後のアメリカ依存の発想のままでいたら、痛い目を見る時代になっている。

この意味で、米・英の歴史的決別とは、日本へ「成人」になれという当たり前すぎる要請にほかならない。

トランプ四次元パズルで衆議院解散

年の暮れのイランから静かにはじまって新年早々ベネズエラが本格トリガーとなり、とうとう日本に波及した「政変」の連鎖がとまらない。
つぎはグリーンランドなのか?どこなのか?

グリーンランドの人口は 6万人程度だが9割がイヌイットで、じつは縄文人系なのである。

それだから、一部にはデンマークに留まるよりも、ましてやトランプのアメリカに編入されるよりも、「日本になりたい」症候群が炸裂する可能性まである。
静岡県清水港から12日に出港する「ちきゅう」は、南鳥島の沖6000mの海底からレアアースを採掘する実験をおこなうが、グリーランドなら永久凍土の地上から掘れる。

なんにせよ、地球儀で確認すべき「北極」の状態は、海ゆえに沿岸域の陸地がどこが?が問題なのである。
トランプ政権2.0が、グリーンランドとカナダを領有したいというのは、地球儀からみると「なるほど」とわかる。

ベネズエラのマドゥーロ夫婦を保護した最大の目的は、「不正選挙の生き証人」だからだと書いたが、一般的にはアメリカのベネズエラの石油支配が目的だといわれて宣伝されている。
だが、あんがいとカナダの石油もベネズエラとおなじ「重い=純度が低い」ために、プラスチックの材料にはなっても燃料としては二の次の品質なのである。

「心理戦」という別次元でかんがえると、テヘランの商人からはじまったイランの強烈なインフレ不満のデモだとされてはいるが、マイク・ポンペオ元国務長官は「イスラエル諜報機関モサド」の支援あっての延刻規模への拡大だとのいまさらの常識を書いて、地球規模での連動であると示唆している。

むろん、ポンペオ氏はトランプ政権1.0で活躍した人物ではあるが、2020年の大統領選挙でトランプ政権2.0への連続が敗れると手のひら返しをして、政敵どころではない「ネオコンの手先」だとしれて、トランプ氏から追放処分を受けるにいたっている。

トランプ政権2.0によるマドゥーロ夫婦のことがあってから、イランの民衆への支持を表明したことで、秘密警察による恐怖下にあったイラン人たちが勇気づけられたのである。
こうした動きに、3月に訪米予定がある高市には密かに「体制変換」を要求されて、応じるしかないことになったのであろう。

トランプ政権2.0からしたら、グローバル全体主義が半数を占める自民党には用はないのであるが、いかにも「いけず」なのは、高市自身がグローバル全体主義者であることを見抜いているのに、これをやらせても応じるしかない、高市が率先してやった昨年の「蜜月演出」が効いて、日和った高市自身を追いつめているのである。

そんなわけで、自民党のグローバル全体主義勢力を排除することと、立憲共産党の切除的な除去であって、高市の「少数与党」どころではなく、多数党連立時代が到来する。

これに、反日をむきだしにした中共が、実質的な支援をしてくれているのだる。

つまり、低知能でもわかる「悪辣な中共」に対抗することが「正しい選択」となるように、もう国民への刷りこみがはじまっているのである。
つまり、トランプ政権2.0は、キンペイに「ヒール役」を依頼して、これを忠実に実行しているのがいまの追いつめられた中共の姿なのである。

なぜにこうしたことが同時・多発的にできるのかといえば、トランプ政権2.0の中枢に、とてつもない頭脳が複数存在するからである。

まちがいなく、その中心に副主席補佐官のスティーブン・ミラー氏がいる。

イランが「王政復古」して、シーア派色が弱まれば、サウジがイスラエルと和解する、歴史的な「アブラハム合意」に近づくことは確実で、ウクライナの後始末負担で歴史の中心からヨーロッパが消える1500年ぶりの画期がやってくる。

むろん、その後の始末を日本がやらされることになるのではあるが、ここにロシアとの協力関係の発端が見出されれば、わが国の存在感は過去にないことになる。
しかも、プーチン氏がいう東方開発の当事国である「スタン国」では、もう「ひらがな」の普及が止まらない文化的な日本化がはじまっているのである。

そのため、外形的にも、自民党が与党から消える必要があるのだ。

これらはけっして偶然の出来事ではなく、トランプ政権2.0が仕掛ける四次元パズルの表象なのである。

つまり、調子にのった高市は、その薄っぺらな自身の安易さに押しつぶされている。

それもこれも、留学先のアメリカを、もっといえば、彼女の思想とは真反対の側にあるトランプ政権2.0を甘く見ただけでなく、「自分史」すら甘く見た結果だとしかいいようがない。

安倍晋三が生前にこの人物をどう評価していたのかは横にしても、結局、安倍派に入れなかったのだし、高市お膝元の奈良での悲劇になにもしないことで十分に仮面の下がみえるのに、「見ない」、「気づかない振り」のマスコミに踊らされる国民の鈍感さだけが頼りという、ピエロのような哀しい笑いしか残らないのだ。

世界史的転換をやっている、トランプ政権2.0には、政権の外にプーチンの歴史家としての頭脳があって、ある意味、世界の「裏番長=司令塔」がとっくにプーチン氏であることもみえている。

囲碁や将棋でいう、「名人」との複数同時対局を我こそはと素人の集団がそれぞれの盤面で挑んでも、まったく歯が立たないのとソックリな状況にあるばかりか、しらぬうちに悪手を打たせるように仕向けられ、あれよあれよと投了するしかない。

そんなわけで、「ロシア疑惑」は、おどろくほど高度なものであって、スパイ映画のようなものではない。

世界は「腹黒い」という感覚すらなく、「国際法がー!」とかいっていればなんとかなると信じる「お花畑」の発想では、トランプ政権2.0とプーチンのシナリオ舞台にしらないうちに乗らされて、与えられたピエロ役を演じるしかなくなるのである。

「アリストテレス」の『悲劇論(詩学)』でも読んでから出直してこい、というプーチン氏の声が聞こえる。

横浜市の悪政がとまらない

地方自治体の住民サービスの「あり方」についての研究で、かつての中野区がすごかったとすごい人物の唐津一氏が『システム工学』(講談社現代新書、1970年)で書いている

中野区は、コンピュータの導入で、「戸籍課の複数の窓口を『1番』だけにした」。

それで「1番窓口」が複数出来たので、住民の待ち時間は大幅に削減できたのである。
この「システム設計」の根本には、そこになぜ住民がやってくるのか?という命題からの分析をすすめ、「住民がいるから」という答を導きだしたのである。

むろん、横浜市にかぎったことではないが、わが国の地方自治体の統治構造が、「二元制」になっていることの効果がぜんぜんないのは、議会が死んでいるだけでなく、役所の官僚機構が国からのトップダウンによる「シャワー効果」で、ぜんぜん「自治」になっていないからである。

それで、わが国最大の「市」である、横浜市の様子をみることは、わたしが横浜市民であるたまたまを通り越しても興味深いのである。

いわゆる「住民サービス」の最大の発生原因は、上の中野区の例で示したように、「そこに住民がいる」ことに起因する。
この当たり前よりも、「そこに役所がある」ことが起因となる本末転倒のために、住民サービスを縮小する発案をしても市議会はなにもしないのである。

横浜市(行政区として18区ある)は、市内10カ所の駅頭に「行政サービスコーナー」を設けていて、ここで戸籍などの証明書類の発行をしている。
それが、27年度3月から3年かけて8カ所を廃止していくという「決定」がなされたと、昨年12月にニュースになっている。

利用「割合」が、ピーク時から半減していることを理由にしているが、こうした場合には「率」ではなくて、「実数」を示すのが数字をみるうえでの常識というものだ。
二期目現職の市長は、横浜市立大学医学部で「統計学」の教授であったのに、なにをかんがえているのか?といいたい市民は多数いるであろう。

発案は「市民局」で、市議会では「市民・にぎわいスポーツ文化・消防委員会」なる常任委員会(全部で8委員会)が検討したらしい。
委員定数は11人で、委員長は公明党、副委員長は自民党と立憲民主党であるが、11人の選挙区は重複があって8区だけなのである。

なお、明治から数えた歴代議長は55代目が現職であるが、戦後は12代目からはじまった。

ときに、市民生活で横浜市と「ふれあう」のに、交通局がある。
地下鉄が黒字を確保しているものの、「バス」が赤字であることが問題だというが、そもそも「市営バス」なるサービスは、なんのためにあるのか?という問題意識がないので、ひたすら民間事業と比べて「黒字化」を目指すのならば売却したらいい。

そこでかなんだかしらないが、昨、令和7年「第8回 横浜市営交通 経営審議会」なるものが開催されていた。
だが、ここでの議論に、「市営」の意義が話し合われていないのである。

経営をしらない者共が、顔をつきあわせてテキトーな答申をしているのである。

ひさしぶりに実家近くから、横浜駅行きのバスに乗ろうかとおもって停留所の時刻表をみて愕然とした。
主要路線のために、いつでもやってくるイメージがあったのに、1時間に2本の路線が寄せ集まっているだけの状態なのである。

これを「効率化」というのなら、気持ち悪いほど阿呆である。

バスが不便すぎて利用しにくい、という話はきいていたが、自動車がないと郊外で生活できないのは、むかしよりひどくなっている。
それもこれも、バス運転手の大量退職によって、ダイヤ運行ができなくなったためで、なぜにバス運転手の大量退職が起きたのか?の説明はない。

むかしは、民間バス事業者からの転職先としての「あがり」が、待遇が別格の市交通局のバス運転手だったのに、だ。

利用客からすると、ざっと50年前のおとな料金は10円で、いま220円だから、50√22(倍)で計算すると、年率6.4%ほどの値上がりだから、物価上昇率よりも高いのである。
しかも、車掌さんにいえば、市営バスなら路線が交叉する停留所での無料乗換券の発行で、初乗りで市内どこまでもいけたから、完全に退化している。

そのくせ、「脱炭素・GREENxEXPO推進・みどり環境・資源環境委員会」なる余計な仕事(もちろんタップリ予算がつく)があるし、横浜港はとっくに国の直轄運営になっているのに、「国際・経済・港湾委員会」もある。

それで、一台が億円単位の水素バスを運行させているのは、ほとんど分裂症である。

「国際」とか「経済」とかいうのは、ムダの権化たる経産省の傘下になるので、市役所は何もしない方がよい。

市長がダメなら議会がある、はずの機能が、いまや機能不全状態なのだ。

なるほど、江戸時代が恋しくもなるのであった。

対して、トランプ政権2.0は、7日、気候変動うんたらかんたらを含む、66もの国際機関からの脱退をきめた
ホワイトハウスが「税金の無駄遣い」と呼ぶ原因調査の後に署名されたのである。

わが国でも、国がやらないなら横浜市が率先して動くなら、まだ、「特別市」を目指す価値があるというものだ。

国際法というしがらみ

生きにくい世の中のひとつの大元に、「国際法」とか「国際社会」なるものがある。

はっきりさせないといけないのは、「世界はアナーキー」だということである。

それだから、力による均衡=パワーポリティクスで、現代世界の均衡=平和、が維持されているのである。

これを「お花畑」思考なのか?それとも現状秩序の破戒を目論んでいるのか?しらないが、「悪いこと」として骨髄反応するひとたちがいる。
しかし、そうした反応からの活動も、「言論の自由」ですきにしていいのだから、秩序によって守られていることに気づかないのは近視眼過ぎてどうかしているのである。

自由のない国、たとえばいまのイランやらで、デモ隊鎮圧に武力がつかわれ、犠牲者がでていても、おいそれと外国が助けにはきてくれないのも、パワーポリティクスによるバランスが壊れると戦争になるからである。

それだから、他国や国境線を武力で書き換えてはならない、という「国際法」があるから戦争にならないのではなくて、国際法があってもなくても、戦争をしたくないかんがえが強い=責める側にリスクがある、としたら、戦争は起きないのである。

ウクライナでもこれは適用できて、ロシア系ウクライナ人(ロシア語が母語)を、ウクライナ人(ウクライナ語が母語)たちが、自国内で暴力的な弾圧をしていることに、隣国といえどもロシア共和国として看過できない限界を突破したゆえに、国際法を無視してでも「特別軍事作戦」を実行することにしたのである。

しかも、アメリカ民主党バイデン政権とEU=NATOが、積極的にナチスの正統な後継であるゼレンスキー政権をたきつけて、ウクライナとロシアの資源を盗もうと画策したのである。
それで、武力ではどうにもならなくなって、EUは凍結したロシアの金融資産横領を公然といいだしたのだった。

けれども、この企みが「常識」によって頓挫して、とうとうドイツ、フランス、英国の狂人たちが、ウクライナ派兵をいいだしたから、「第三次世界大戦」になりかけている。
NATOの取り決め(加盟国には「国際法」)で、集団的安全保障体制の悪用となるために、アメリカのNATO脱退も近いだろう。

その布石として、トランプ政権2.0は、7日、国連系66もの機関からの脱退を決めてしまった。

これで、次、がNATOになったのである。

しかも、政権発足と同時にできた「DOGE」からはじまる、徹底した「政府の無駄遣い削減」のなかでも、アンタッチャブルだった「国際社会」とのおつき合いのための拠出領域を、「ムダ」だと決めつけたのである。

まことに、歴史的快挙にほかならない。

むろん、ここに欧米では常識の「パーキンソンの法則」が、トランプ政権2.0の面々には共通して認識されていることも基本的な認識だからなのだろう。
各国政府もしかり、だが、国際機関という虚栄にみちた組織は、より野放図で無責任が通る「国際公務員」なる人種によって、とにかく肥大化する運動法則に支配されている。

政治的なムダをまずは切ったのがトランプ政権2.0ではあるが、選挙期間中にも繰り返した、国際金融支配の構造にも手をつけるにちがいない。
そのはじまりはFRBであるし、SWIFTであって、さらに世界銀行&IMF、そしてこれら入れ子人形の頂点に君臨するBISにちがいない。

ちなみに、プーチン氏はウクライナへの特別軍事作戦実施前に、西側からの経済制裁にSWIFTからの締め出しがあると予測して、ロシア国内銀行に準備を命じていたために、西側が決め手としたこの策をみごとにすり抜けてしまった。

つまるところ、「経済制裁」も、ひとつの「国際法的措置」なのである。

そんなわけで、世界は国際法によって国家を超えて支配力が発揮される、という発想自体が噴飯物だと証明されて、多国間の「国際機関」の無力さもおなじく、トランプ政権2.0がいう「二国間の取り決め」だけが有効であるとしれた。

けれども、戦後のアメリカ民主党=GHQによって、国際法と国際社会&国際機関の絶対を信じ込まされた日本の官僚機構(日本国憲法前文に書いてある)は、こうした動きに精神的にもついて行けない状態にあるはずなので、おそらくはパニック状態にあるために、完全無視を決め込んで精神安定をはかる、「ダチョウ」のようになっているだろう。

自国のことは自国で決める。

こんな常識が通じない、他人依存に国家がらみでなったがゆえに、80年経ってみて社会の閉塞感が強まるばかりなのである。

しかして、政権与党が必ず負けるアメリカ中間選挙の歴史をくつがえすべく、今年11月の中間選挙圧勝に向けて、トランプ政権2.0の爆走はとまらないけれど、自民党+維新政権では政治家のみならず官僚機構が対応できないために、にっちもさっちもいかないことになるのは、もはや力学の予測するところなのである。

なにせ、選挙不正の権化だったベネズエラ・マドゥーロ夫婦を暗殺の魔手から救出・保護したことで、投票機「ドミニオン」の不正が完全に暴かれれば、不正しか手段がないアメリカ民主党の選挙敗北は決定的となるからである。

そうやって、世論調査なるデマゴーグを信じて選挙をしない自民党が、選挙を先送りして政権を永遠に失うなら、日本人一般には朗報なのである。

20億人の「薬害」

世界で一躍有名アナリストに躍り出たのは、ピーター・ハリガンという人物である。

彼が計算根拠にしたのは、各国政府発表のワクチン薬害データにほかならないから、一気に話題が世界に拡散しているのだが、わが国の情報統制はしっかりしているために、国民はいつも通りのボンヤリとした安逸の中で暮らしている「幸せ」がある。

詳しくは、16日付け「トッポ」さんの「X」記事を検索・参照されたい。

参政党の公約にあった、「新型コロナ・mRNAワクチン検証委員会設置法」は、昨年12月9日に参議院で発議されている。

ハリガン氏も参政党も、実態把握という、もっとも基本的な行動をとっているに過ぎない。
産業界(製造業)では常識の「科学的アプローチ」でいう、6段階の基礎要素だからである。
1 目的を明らかにする
2 事実をつかむ
3 事実についてかんがえる
4 実施方法を決める
5 実施する
6 確かめる

当然ながら、「目的」は、史上最大にして地球規模の薬害への疑問解消である。

そのために、事実をつかむひつようがある。

だが、これだけでも反発するひとたちがいる。
それは製薬会社の利権云々とは別に、政府の宣伝と世の中の同調圧力とで接種を繰り返してしまったひとたちがいう、「なにをいまさら」なのである。

ここで、事実についてかんがえる、段階で予想されることは、「毒抜き方法」のことであろう。
ようは、ほんとうに「薬害」ならば、その「害毒」をどうしたら体外へ排出できるのか?ということであって、優先順位として次点になるのは、「政府や製薬会社の責任」となろう。

しかし、不思議なことに、「なにをいまさら」と発想するするひとたちは、自分の体内にあるはずの害毒の抜き方や、政府や製薬会社の責任追及にもあまり興味がない。
なにしろ、「いま」が楽しければいい、という犬のような発想をしているのである。

これは、前頭葉の発達がないので思考できない動物としてもっとも身近にいる動物のトップである「犬」が、人間を主人として認識し、その精神状態を本能的に理解する能力とは別のことなのである。

すると、現代人の多数は、犬以下、になっているのではないか?

ハリガン氏は、世界での死者数が2000万人にのぼり、心臓発作、脳卒中、肺塞栓などの事象が約20億件だと推計している。
なお、以上の数値は「起きたこと」であって、将来予測を含んでいない。

政府が、高齢者を最優先にした理由は、「お迎え」が近いひとたちならば寿命だとして薬害に気づきにくいこともあるし、年金支給負担の軽減という理由もあったやもしれぬ。
特筆すべきは、医療関係者に最優先させたことで、わざと医療崩壊を招き、よりいっそうのパニックを演出したかったからかもしれないのである。

それで、「なにをいまさら」なのに、なんで「いまごろ」になっての話題なのか?といえば、RFK.Jr厚生長官の仕事が、就任から1年ほど経って実ってきているからであろう。

そんなアメリカの実態すら、わが国のマスコミで報じられることはない。

たしかに「なにをいまさら」ではあるが、毒抜き方法についても興味がないのは残念なのである。

この世の楽園ニッポン

毎日ボンヤリしていても生きていける。

これぞ「楽園」なのである。

気がつけば、みんなボンヤリしながら生きていて、わたしが孤立無援の孤独になっている気がするのは、楽園を楽園としてみていなかったからではないか?と気がついた。
芥川龍之介が、昭和2年に「ぼんやりとした不安」と表現したことの、真逆なのでカタカナ表記がふさわしい。

いわば、おおくが「一年中こたつのなかで暮らしている」ようなものなのだ。

だから、気を入れて、それこそ発憤しないと、こたつからでることができない。
それだから、ずっとこたつの中にいて、精神も身体も、なにもかもが吸い取られ腐るので、これを「ブラックホール」ともいうのだけれど、そこにいる本人には自分が腐りきっていることも気がつかないのである。

「スマホ歩き」が老若男女を問わないのも、延々と続く快楽の刺激に脳が腐ってしまっているから、中途で目を離すことができないのだと科学の証明がある。
いま、電車のなかでおおくの乗客が読書に没頭している光景をみるのは、モスクワであって、日本ではなくなった。

日本は過去の遺産で食いつなぐ状態になっている。

むろん、こうしたことをまともに指摘したとたんに大衆化した人物からえらく叱られるのだが、興奮して叱った方は、時間差があっても、やっぱりそれが適切な指摘なのだと気づくこともないのである。
それでまた、ボンヤリした快楽の「こたつ=ブラックホール」環境に身を置くことしかかんがえない。

生ける屍か?妖怪か?

いつ放送があったのかもしらぬが、ドリフの集大成番組があって、これを訪ねた先の古い友人が録画しているからと観せてくれた。
生存している加藤茶と高木ブーが、コメンテーター席に、リアルな放送を観たこともないだろう若いタレントたちと一緒に座っている。

この友人は、ずっと前からの一戸建ての家にとうとう一人暮らしとなって久しいのである。

それで、この録画を観ると思わず涙が出てくるというのである。
かつてのこの家の中の賑わいとドリフのお笑いが交叉するからであろうけれども、高齢者がひとりこれを観て泣いている光景を想像して怖くなった。

これはノスタルジーなのではない。

妖怪化しているのである。

それで、「孤独」についてのショーペンハウアーやら空海の話をしたら、興味をひくどころか怒りだしたのである。

そんなものに興味はないと。

しつこくも、なぜかと聞けば、これ以上の(深い=あたらしい)知識は必要ないというから、やっぱり妖怪化しているのである。

クリエーターとしての視点でも分析して鑑賞しているのでもない。
このアドリブのようなコント群が、おそろしくも計算されたリハーサルの結果だとしっていることとは関係ない。

それよりも、半世紀から前のドリフのコントで、いま笑うことがこの人物の「心の糧」になっていることに寒々とした自分がいる。
まともな話し相手を失っている寂しさを感じつつ、静かにお暇したのである。

彼が孤独なのではなく、わたしが孤独なのだ。

しらぬ間に、このニッポンの世は楽園だったのである。

しかして、青山学院大学の福井義高教授は、外国人が殺到しているニッポンがこの世の楽園だと証明していると喝破している。
しかも、本人たちが、ニッポンは楽園だと動画にアップしてくれていると証拠を示す。

教授は、100年後、世界の中で社会秩序が保たれている先進国は日本だけだと断言する。
他国はぜんぶ、ドカンと自滅する、と。
緩やかに衰退する日本が、相対的に、かつ、自覚なく、気がつけば唯一の先進国としての生き残るのだという。

残念ながらヨーロッパはもう間に合わない。

しかし、そうした日本の条件は、鎖国なき江戸時代への回帰だ、と。

なるほど、回帰。

いつの時代も、ニッポンは楽園だったのである。

たしかに、温暖帯に位置する島国は、地球上に日本列島しかない。
地球儀をみれば納得できる。

日本人の精神的余裕は、地上の楽園だからであろう。

だからこそ、いろいろと興味深いことがあるために、わたしはひとりで、むろん、自己満足もあって、図書館に通っているのである。

これも妖怪化しているのであろう。