今年の誕生日で10年の有効期限が切れていたことに、同時期に申請した家内宛の更新案内書類を見て気がついた。
とうに誕生日を超えたので、わたしのマイナンバーカードは自動的に期限切れになった。
考えてみたら、自分宛の更新案内を開封もせずに廃棄していたことを思い出したのである。
横浜市のHPをみたら、マイナンバー専用の問い合わせ電話番号があったので電話すると、最寄りの区役所に行って申請書の再発行を受ければよいという。
結局、役所に出向かないといけないわけだが、家内のように申請書があれば郵送でもQRコードからでも手続きはできる。
それでもあんがいと面倒なのが、写真で、無背景の壁が意外と自宅内にないし、空間を見つけても照明が調整できないので若干の影が写ってしまう。
まぁ、こんなものにカネをかけることもないから、そのまま送信したら一応受理された。
が、どうなるのかは現段階ではまだ不明である。
区役所に出かけるのは何年振りかと思って春の散歩がてらに徒歩で向かったら、思わぬ混雑に驚いた。
春の移動シーズンだからか?
それでも窓口の区分けがよくできていて、マイナンバー専用と見られる順番待ちは三人ほどであった。
わが国における役所の窓口の「待ち行列」の研究とその改善応用をやった初は、70年台の「中野区役所」だと、むかしシステム工学の本で読んだのを思い出した。
その時も、「戸籍係」が対象だった。
いま、不法滞在の移民への支援とかいろいろ外国人絡みの問題が噴出しているが、反日日本政府による戸籍制度潰しの政策が裁判所をつかって実行されているとかんがえれば、多くの出来事の辻褄があう。
それもこれも、副次的に、弁護士を増やしたことの仕事を増やす支援なのだろうか?
さて、どうしてマイナンバーカードの更新手続きをしなかったのか?という係官からの質問に、素直に案内封書をそのまま捨てたことを告げたのだが、次の質問が意外だったのである。
いますぐ何かの手続きでご入用ですか?それとも、お急ぎではないとか特に不要なら、再発行をやめますか?
ぜんぜん急ぎではないけれど、来年の確定申告に要ります。
と答えたら、我が意を得たりとその顔には「、ほらマイナンバーカードって必要でしょ?」という感じの、自分の仕事に対する「役に立っている」確認の満足げな顔を見せたのである。
確かに年に一回の確定申告ぐらいでしか必要がないものを、10年に一回の更新というのは、歳を重ねると困ったになるかもしれないと返したら、急に心配そうな顔をして、まだまだお若いので大丈夫ですよ慰めてくれた。
しかし、この正直なひとは、自分でもかんがえたことがあるようで、最終的には困りますよね、とわずかに同意したのである。
とっくにデジタルに疎い家内は、すでに自分でQRコードからの手続きをやろうともしない音痴である。
こうしたひとの共通は、方法を学ぼうともかんがえようともしない、完全放棄、になるという特徴がある。
駅にある「証明書写真」に、「マイナンバー更新できます」とある意味がわかったが、家内が一人でできるのか?なんだか心配なのである。
高齢者が年配の娘やらと、あれこれ撮影ボックス内の操作をふたりがかりでやっているのも、微笑ましいを通り越して全員がやらされる強制なのである。
それで、申請してから1ヶ月ほどでまた役所からハガキが来て、受け取りのために事前予約してから再度役所に赴き、直接受け取りに行くという手順だそうだから、住人の手間の向こう側の役人の手間も確実に増えているのだろう。
デジタル証明やら、健康保険証やら運転免許証やらと、色々な機能を付加しているが、わたしには必要ないのである。
なぜなら、一度財布を落としたことがあって、インバウンドに伝説の日本だと「返ってくる」もなく、種々の再発行に手間取った苦い経験があるからだ。
常に持ち歩く必要がある運転免許や、保険証をマイナンバーカードにするとかは、再発行に1ヶ月以上を要するので、紛失時のリスクとバランスしない。
だがしかし、日本の役所の窓口業務に携わる人のレベルが、おそらくこの点だけなのだが、世界標準以上の高さだから成立しているのだろう。
いわゆる現場と、身分上の違いがある上の役人のレベルの能力の低さとのバランスが合っていないのだ。
すると、役所における窓口業務以外の業務こそが無駄なのだと感じる昨今なのである。
これを議会で議論しないムダな議員を選ぶというのも、ずいぶんな話で、分かっちゃいるけどやめられない、ということになっている。