経営組織論からの参政党最強評価

20日付け「プレジデントオンライン」における、船津昌平東京大学大学院経済学研究科講師による、「どんなスキャンダルも参政党を崩せない」としたタイトルの記事が興味深いので書いておく。

その第一に、この記事ではバーナードの組織成立要件を挙げていることがある。

それは、共通目的、協働意欲、コミュニケーションの3つである。

「協働」であって、「共同」でも「共働」でもないことに注意がいる。
あんがいとこの漢字の組合せを気分で使い分けるひとがいるけれど、意味がぜんぜんちがうので気をつけたい。

船津氏はここで、以上の要件を参政党は満たしていると書いている。

さらに、加えて、参政党は「帰属意識」の醸成にも成功しているようにみえるという。
これは、たんに集団に加わっているということではなくて、心から生活根拠として感じている、という意味でのことであると説明している。

これを、党員が語ったという「大人の部活」を引用して解説していることでも説得力がある。

むかしの「日本的経営」の特徴だった、「メンバーシップ型雇用=終身雇用」が欧米型の「ジョブ型雇用」に移行(させられて)して、「正社員」と「非正規」に分裂する中、参政党のメンバーシップ型が企業組織で達成し得ない機能を見出している、という指摘はおもしろい。

本ブログでは、こうした制度上の移行と変化は、ソ連との冷戦に勝利したアメリカのグランドストラテジーの変更に伴う、日・独経済の「刈り取り」モードに入ったことでの指示だったと論じてきた。

ちなみに、「戦前」のはるか前、明治30年から策定がはじまった、オレンジ計画=日本占領計画、は、アメリカという国の恐るべき戦略性の証拠になっていて、そこにも「日本経済殲滅計画」が含まれていたのである。

まぁ船津氏は東大の教員なので、しっかり自己保身の文章(マスコミがいう参政党批判)もかましていて、教授連からの糾弾を予防していることが目立つのは、それほど左派に乗っ取られたアメリカの大学と東大がそっくりだと読めるのはオマケである。

さて、この文章には意外なポイントがある。

まず、古い価値観とされている「メンバーシップ型雇用」の時代こそが、経済成長期であったという事実である。
逆に、あたらしい「ジョブ型雇用」がはじまると、経済成長がとまって長い衰退の時代にはまり込んだのである。

そのエネルギーの逃げ口が、参政党という「大人の部活」だということだ。

つまり、よく指摘される「参政党現象」とは、あんがいとわかりやすい「物理現象」なのだと解釈できるのである。

もうひとつは、結果論からではなく、計画・設計上の試行錯誤の中で、なぜに参政党だけがバーナードの組織要件を満たすのか?ということである。
既存政党は、その結党時からこれまでの時間のなかで、どうしてこれを実行しなかったのか?ともなる。

すると、そもそも、政党を組織として捉えていないのではないか?という疑問に突き当たるのである。

それがまた、フランス革命におけるジャコバン党の興隆と独裁、挙げ句の崩壊といった歴史からの学習が無いことを意味するので、深刻なのである。
もちろん、その筆頭が自民党の現状における「(小さな)独裁」であろう。

いつ崩壊・辞任するともしれない石破首相が、19日、首相官邸でビル・ゲイツ氏と面談するやいなや彼の財団へ公金810億円の支援を約束したのは、いかなる予算措置があってのことなのか?がわからないのである。

これを、秋の臨時国会で追及するのはどの政党なのか?というリニアな問題になっているのだが、増税派こそここ一番の出番なのになにもしないだろうという暗黙の了解ができている。
横浜で開催の「アフリカ会議」用の予算だといえばその通りだが、ビル・ゲイツ財団を通す必要がどこにあるのか?

また、視点を変えて参政党の政策ではなくて、組織づくりを真似る政党がどこから出てくるのか不明だが、最強の組織づくりをしないで、民主主義ができるのか?という、段階にわが国の政界が入ったことは事実だろう。

逆に、企業が「メンバーシップ型雇用」をやっていた時代に、自民党と社会党の「55年体制」で安定政権が維持可能だったのは、民意を企業が肩替わりできていた良き時代だったともいえる。

これを壊した者共が、好き勝手しようかと目論んだところに「メンバーシップ型」の政党が民意を受けて成立しているので、既得権益者たちのイライラが攻撃的な代行をする組織を通じて、日当なにがしかでの日雇い妨害活動をしているのに、マスコミ以下がこれを批判しないことで答合わせが完了している。

船津氏がここまで書けない事情を隠さずに表現すれば、そういうことなのであろう。

すると、参政党の弱点は、参政党へと向かうエネルギー供給を止められることがもっとも痛手となるのである。

それには、メンバーシップ型雇用=終身雇用への回帰、が重要な施策となる。

少子化で若い労働力不足はいよいよ深刻度を増す中、その若者たちの雇用が非正規がメインとなる現状の構造を、過去のメンバーシップ型雇用=終身雇用にはやく回帰させる経営判断がキーとなるのは当然で、とくに退職者の扱いがどのようなものかを若者は観察していることも、鈍感な経営者に理解できているかどうか?が問われているといえよう。

まさに、マリー・アントワネットが生涯理解できなかったポイントなのである。

『ベルサイユのばら』への念のため

いまさらだが、『ベルサイユのばら』を集英社文庫版で読んだ。

1972年から翌年までの連載が発表の時期だから、半世紀以上遅れてのことである。

最終巻の巻末に「執筆参考資料」として26作が挙げられている。
主たるものは、筆頭にある、ツヴァイク著『マリー・アントワネット』(角川文庫)だというのは、池田理代子氏も執筆動機として告白しているとおりであろう。

しかし、このシュテファン・ツヴァイクという「伝記」の第一人者は、あんがいと観てきたような嘘を書く名手でもあるのだ。
それが、『マリー・アントワネット』でも存分なく発揮されているから、ちょっと司馬遼太郎の作品群のように、歴史捏造の悪さもしていることに注意がいる。

それでも池田氏は、なかには、『世界の軍服』(婦人画報社)や、『軍隊内務班』(東都書房)、あるいは、『馬術入門』(ダヴィド社)など、なるほどとおもわせる資料が挙げられていて、大変興味深い。

そういえば、「日本軍」のしくみや、組織内の基本的な情報を体系的に整理した書籍をみたことがないことに気づいた。

とくに、陸軍と海軍は別組織なので、あっさりと「日本軍」とまとめてしまうこともできないのだが、兵卒の募集から徴兵、訓練と内務までもふくめた仕組みをどこまでいまの日本人が理解しているかといえば、経験者がほとんど物故したいま、直接はなしを聞く機会もないから、文字で読むしかなくなっている。

現代という意味でも、自衛隊のそれをしっている一般人は少数だろう。

そもそも、軍政の陸軍省・海軍省の仕事内容や、作戦の参謀本部・海軍軍令部の区分けすらわからないで、軍を語ることの無責任を問われることもない適当さなのである。
くわえて、将官クラスに昇進した幹部は、「少尉任官」というスタートラインが世界のお決まりであるのは、それが「貴族」ゆえの身分だったことに理由がある。

つまり、四民平等を達成したかにいわれるわが国においても、自由の国アメリカにおいても、士官学校やらを卒業したら、「少尉任官=貴族=管理職」からいきなりの職歴がはじまるので、「兵」で採用される者との身分差は、一生縮まることはないのが、軍という組織の世界共通なのである。

戦争が兵隊同士の闘いだった時代は、ずいぶん前に終わっていて、民間人を巻き込む「無差別攻撃」が行われたのは、あの「ゲルニカ爆撃」(1937年4月26日)をもって初とする。
「ウクライナ」では、ウクライナ軍がウクライナ領土内の一般ロシア語話者たち(=国籍はウクライナ人)を万人単位で無差別攻撃していたのがロシア軍が動いたトリガーとなった。

フランス革命はバスティーユ監獄が陥落したことをもってはじまりとするのが「歴史」の教科書で習う暗記要件であるけれど、架空の主人公オスカルはみずから率いるフランス衛兵隊を市民側に寝返させたことで、監獄守備にあたる国王派ドイツ人騎兵連隊の放った凶弾に倒れる設定となっている。

なぜに、そこにドイツ人騎兵連隊が、また、歴史の事実でスイス人連隊も監獄守備にいたのか?は、あんがいと些事として無視される大事なのである。

けれども、本作では、なぜにオスカルは寝返ったのか?の方に話の重心がある。

それは、ロベスピエールとの出会いの設定や、ジャン・ジャック・ルソーの思想への密かな共感と傾倒があってのことという前提のエピソードがあるからだ。

さらに、オスカルがエリートの近衛連隊からフランス衛兵隊への転属を自ら望みながらも当初、「女」であることを理由に部下たちから集団で拒否され、ために、人心を掌握するための苦労もその思想と結合した結果なのだと、作家は訴えている。

ここに、日本人の琴線に触れる感性がある。

しかして、その日本では教育学の基礎として学生に、ルソーの『エミール』を読ませる、世界に類のない不可思議な慣習がある。
そのルソーは、自らの子供を5人も見棄てているから、有言不実行どころのさわぎではない。

「教科書裁判」でしられる、家永三郎すら、ルソーは強度の精神障がい者であると書いた。

わたしには、印象深い映画として、『子育てごっこ』があった。
この直木賞作品は、反エミールではないのか?

『ベルサイユのばら』における、生と死、は、マリー・アントワネットとの対比を中心に構成されており、オスカルの死はその後のフランス革命のグダグダな殺し合いを知らずに済んだことのラッキーすらあるのだ。

しかし、一方で、ジャン・ジャック・ルソーの思想があたかも崇高なままに固定されていることの恐怖が残る。

文庫版では、「外伝」として、『黒衣の伯爵夫人』が続いている。
この短いエピソードは、終わりに作家のコメントがあり、16世紀末にハンガリアであった実話からヒントを得たとある。

その実話とは、600人以上もの少女を殺した、エルザベート・バートリ伯爵夫人の猟奇的犯罪なのである。

この話を「外伝」としたことで、ルソーかぶれが読者から解ければいいものをとの想いが作家にあったとかんがえたいが、だからといってオスカルがルソーかぶれの挙げ句に亡くなったことが晴れるわけでもない。

もしも、オスカルが実在して、バスティーユで勝利者となって生き残ったら、はたしてどんな罪で断頭台に消えたのか?という想像が容易なのが、フランス革命の恐ろしい本性なのである。

おそらく、ジャコバン党の幹部となって後、ロベスピエールかサン・ジュストによっておとしめられたであろうし、このふたりを断頭台に送り込む側にオスカルが廻るともかんがえにくい。

オスカルは、ホンモノの高貴な精神が宿る貴族だったからであって、ナポレオンの時代にも王政復古の時代にもついていけない予感があるのはそのためだ。

なんにせよ、かくも悲惨な統治とその反動である革命の嵐が、わが国の歴史ではなかったことがもっとも重要なポイントである。
もちろん、「太陽王」の超絶的な頂点からの没落、という長さでみれば、まったくもっていまヨーロッパで流行っている『平家物語』の時代の先端が光る。

つまるところ、日本は欧米に遅れている、というフレーズに明治からずっと振り回されているが、ヨーロッパが900年遅れているのである。

すると、「舶来」の価値の薄っぺらさもここに極めり、なのである。

売国意識でいっぱいの閣議決定

18日、石破内閣は、れいわ新選組の山本太郎代表の質問主意書に対し、日本を「スパイ天国」とみなさない答弁書を閣議決定した。

対して、「スパイ防止法」を唱えた参政党や国民民主党の躍進があった参議院通常選挙で惨敗した後、自民党内では、「スパイ防止法導入へ検討推進を」との提言があったばかりだから、党をも無視した珍しい閣議決定となったのである。

それもこれも、選挙に惨敗しても内閣を刷新することのできない自民党の弱体化が原因であろう。
つまり、追い詰められた「あっち側」の必死の抵抗ともいえるが、国民には大迷惑なはなしなのである。

フランスで、『ベルサイユのばら』がいまも盛り上がっているのは、「革命前夜」的な社会の空気があるからではないのか?とかんがえると、かつて日本で一大ブームにはなったものの、いまのところ一過性にみえたのは、やはり国柄のちがいがあったからだろう。

しかし、ふたたび日本でも「ベルばら」がブームになりそうなのは、とうとう日本がゲスな欧化をして、なんちゃって階級社会になりつつあるからであろう。

それをつくりだしたのが、自公政権の罪である。

詳細に追跡すると、なにがなんだかわからなくなるほど複雑なのが、フランス革命だった。
それぞれのひとが、個人主義のもとに啓蒙されて、それぞれの解釈と行動を起こしたことが原因だが、治世の中心たる宮廷では、残念なレベルの思考しかできないひとびとが王侯貴族として見栄の張り合いをやっていた。

これを、あの大家ゾンバルトが、『恋愛と贅沢と資本主義』(1912年)で大真面目な説明している。
宮廷の無駄遣いが、宝飾品やら衣装やらの周辺の職人と商人を潤わせて、いまでいう兆円単位になる毎年の国家財政赤字=民間黒字が、資本を蓄積させた結果、資本主義に移行したという説である。

なんと、この日本語翻訳がでたのは、円高不況の1987年のことであった。

じつは、資本主義が生まれた原因を、人類はいまだにしらないのである。
だから、わたしは、資本主義はいまだに未来のシステムだとする、アイン・ランドの主張に共感をおぼえるのである。

これが、日本ではヒグマ被害とヒグマ駆除と保護の、それぞれバラバラな議論がおきることでゲスな欧化の度合いの深刻さがわかるのである。
「自然」を侮ったものが、共通の価値判断基準をうしなって、なにがなんだかわからなくなるほどの議論になるのは、まさにフランス革命の構造と類似していないか?

本人へのインタビューがいまさらできるはずもないが、マリー・アントワネットは、ほんとうに生涯で一度も臣民の生活をおもんばかったことはなかったのか?
だとすると、「民のかまどの煙」の逸話が残っているわが国のレベルとは段違いも甚だしいゲスな(治世)文化(選民思想と厳格な身分制)の代表者なのである。

そのゲスな部分だけを学んだひとたちで構成する、石破内閣、は、将来、歴史的な興味の対象になるのではないか?とおもわれる。
すなわち、わが国の戦後教育のとてつもない失敗例としての政権=主に行政府という位置づけが確定するのではないかと、すくなくとも願うものである。

ウクライナ和平に関して、圧倒的な存在が世界に確認されたのは、トランプではなくてプーチンの方である。
ホワイトハウスでの会議中、ヨーロッパの代表を待たせて、トランプがプーチンに40分も電話して討議内容を漏らして確認するということが物語っている。

そのプーチンの思想的背景には、ロシアの哲学があり、その哲学は西欧のもの(個人主義)とはちがう集団主義を基準に置く。

ために、ロシア人という集団は、ある強力なリーダーが号令しないと1ミリも動かない特性を持つ。

このことの日本人との類似性は、まことに興味深い。

日本はスパイ天国とはみなさない、という決定の浅はかさこそ、戦後教育の浅はかさの集大成となったのである。
その理由に政府が挙げたのは、取締・検挙を強化する、という矛盾である。

スパイを取締・検挙する法体系がないから問題提起されているのだ。

これから進学を目指す世代も、いま現役の学生も、とっくに社会人となったかつての学生も、この原文を起案した政府官僚の発想のヤバさに気づけば、なにを学ぶべきかは、学校のカリキュラムにないことがわかるであろうし、各種試験の突破をもっても役立たない。

制度疲労も限界に来たことを示す。

この意味で、まもなく「塾」の時代がやってくるのではないか?教えるのは、儒学である。

いま、算盤塾がブームだというが、朝、学校に行く前に、この塾で30分の四書五経の素読をしてから集団登校したらいいのではないか?
そして、下校したら算盤を習う。

江戸時代の武士の子供は7歳で修得していたのだから、現代人にも無理なことではない。

ただし、それに見合った日本人の先生が見当たらないのである。

観光地の破綻は観光政策の破綻

ここでいう「観光地の破綻」とは、通常の、「客が来ない」ことを理由とする破綻と、「客が来すぎる」ことによる破綻の二種類の意味がある。

ちがう角度からいえば、なにかと話題の静岡県伊東市(温泉観光地だと自認している)の市長選挙での争点は、「図書館建て替え」というワン・イシューであった。
市民は、これに反対する候補を選んだが、その候補の学歴詐称がみつかって混沌としているのである。

地方の図書館には二種類の機能があるとおもわれる。

ひとつは、都会の大図書館に負けない蔵書数をどうするか?で、規模的にも予算的にも無理があるから、どんな図書を揃えるのか?という蔵書選択の難易度が高いことがまずあるだろう。
そして、もうひとつは、地元の郷土史やらをはじめとする、さまざまな地元情報のコレクションであって、これは他の地域では扱わない地場だからのオリジナルあることだ。

しかし、人間には「灯台もと暗し」の習性があって、あんがいと地元民は地元の情報に興味が薄い。

これはこれで、家 → 町内 → 市 → 県 → 国家 といった生存範囲の認識をもたせないという、戦後の日本国家の教育方針もおおいに影響しているとかんがえられる。
つまり、わが国は、GHQの申し送りを律儀に守る「反日国家」として80年間を過ごしてきたのである。

だから、伊東市のこの選挙結果は、政府の方針通りに育った(家畜化した)伊東市民が、図書館の重要性を認識しないまでになったという、文科省からしたら表彰ものの事態が現出したのに、なんと学歴詐称というオマケで、その効果宣伝ができなくなってずっこけたのである。

なぜにこのような話題を「観光」の議論でいうのかといえば、地方の図書館における地場の情報こそが、知的観光のもっとも興味深い資料だからである。
モータリゼーションで自動車が普及する前の時代、いまでは近距離の隣どおしの町や村でも、その暮らしぶりにハッキリとした違いがあったのを探るのは、なかなかにスリリングなのだ。

書店でもおなじだが、アクティブな検索とパッシブな検索の二種類がある。

アクティブな検索とは、アマゾンで書籍を指定して購入するのと同じく、著作者や書名検索で蔵書の有無をしることだ。
パッシブな検索とは、書棚を巡って、どんな書物があるのかを見て回るもので、意外な発見があるのはこちらの方となる。

もちろん、そんな意外があるのは、ジャンルも意外な書棚に区分されていることがあるからである。
この意味で「書誌学」の専門家を図書館に配置することも重要な人事となる。

一般に観光客は、ある地域を選ぶと、基本はパッシブな観光をしながら、スポットでのアクティブな検索先を選んで廻るものだ。
しかし、このとき観光客それぞれの知的水準によって、発見する対象がことなる。

これが、なんとなく国籍別で区分すると、おおくのひとがもつイメージに近接するであろう。

ところで、観光といっても政府の観光政策というものは、バブル前まではあまり話題になることもなかったほどに、たいしたことはなかった。
観光庁が発足したのは2008年(平成20年)のことである。

何度も書くが、この国の政策は「産業優先」という原則をいまだ崩していない。

なので、観光庁が存在するのは、観光客のためではなくて、観光業のためなのである。
ましてや、観光地に住まう住民のためであるはずもない。
本来、住民のためにあるはずの地方自治体も、観光庁という国の機関からでる観光業のためのカネにまみれるので、住民がそっちのけにされるのは仕組み上からも当然なのである。

おそらく、伊東市の敗北した現職市長は、国家的にもっとも低い優先レベルの住民サービス向上のなかにある、さらに優先レベルの低い知的サービス分野における図書館の建て替えをあろうことか争点にしてしまった、のである。

これが、郷土資料収集と研究が知的観光に役立つとアピールしたら、どうなっていたのか?が気になるのである。
それでも、おそらく愚民化した市民の琴線に触れることはなかったのではないか?

文化行政でもっとも重要な施設は、たとえば立派なドイツ製パイプオルガンが鎮座する文化会館ではなくて、蔵書の内容が濃い図書館である。

いまや、このようなことにも気づかない者たちが「市民」といわれている。

かつて『細うで繁盛記』で、一世を風靡した熱川は、伊東市から南の地にあるが、かつての旅館・ホテルの9割が廃墟と化した悲惨な光景が観光資源になるありさまになっている。
この地にある、「東伊豆町立図書館」の郷土史やら地元資料の貧弱は、温泉だけの情報でも満足感をえることはできなかった。

おそらく、東伊豆町は、行政として温泉街のテコ入れに大金をつぎ込んだであろう。

それがどのような逆効果だったかは、いまの無惨をみれば明らかであろうが、予算計上にあたっては、県や国からのカネをあてにするための「専門家」にも、ずいぶんなアドバイスを有料で受けたにちがいない。

すると、これらの専門家とは何者であったのか?が、これから歴史の検証を受けることになるのではないかと疑っている。
ならば、当時の議事録が図書館だか町議会に残っているとおもうので、怖いもの見たさでみにいくのも知的観光なのである。

そんなわけで、公的な観光政策の軽さが、全国各地で観光の失敗を呼んでいる。

「客が来ない」と「客が来すぎる」は、どちらもその安易な観光行政の失敗そのものの結果なのだが、ぜったいに誰も責任をとるものはいないという共通もあるのだった。

「渡来人」とは何人なのか?

縄文から弥生に時代が移ったのは、弥生人たる渡来人が縄文人を追い詰めて人口が逆転したからだ、と説明されてきた。

なので、弥生人は古代からの日本人たる縄文人を虐殺して、日本を乗っ取ったごとくにとらえているおとなも結構な数がいる。

歴史講師の茂木誠先生が、この辺りの事柄について冷静だが熱く語っているので書いておく。

昨今の遺跡の発掘研究やDNA解析から、縄文人と弥生人とはどうやら緩やかな交わり(混血)があったことは事実として、虐殺などの痕跡たる証拠はどこにも発見されていない。

あるとすれば、茨城県にある鹿島神宮の近くに現存する、「高天原鬼塚」を発掘したら出てくるだろう戦闘の痕跡ぐらいだとかんがえられる。

さてそれで、その弥生人の多くが「渡来人」だということになっているのは、縄文人とは明らかに別のDNAだからである。
すると、この「渡来人」とは何人なのか?という問題になる。

およそ2300年前からはじまるとされる弥生時代の、わが国周辺国とは、第一に朝鮮半島が挙げられるが、この時代のこの半島に国家はない。

さらに、縄文時代の後期、いまから7300年前に起きた「鬼界カルデラ噴火」では、南九州が瞬時に全滅し、その後九州全体の全滅となって、中国地方、四国だけでなく近畿・北陸にも多大な影響を与えたことは、火山灰の降灰状況とその地層分析からも異論がない。

当然ながら、気候にも影響して人間どころか植物すら生存できない状況が長期(数百年以上)にわたって継続したとかんがえられている。

それで、避難した縄文人が海をこえて米作を揚子江周辺に伝えたという説があり、弥生時代に逆輸入した可能性が指摘されている。
少なくとも、朝鮮半島から米作が伝わったという痕跡は一切なく、いまや完全否定されている。

また、朝鮮にも呉の国にも、倭人との関係の血統にまつわる伝説が存在しているのも、状況証拠として重視されている。

すると、「渡来人」とは、倭人の血縁的関係者ではないのか?になる。

これが言語学的にも解明されてきていて、日本語の由来、ではなくて、渡来人が話していた言葉が、「和語」だった可能性が高いのである。

その結晶が『万葉集』にあるという。

庶民から貴族・天皇までが寄せている「歌」は、当時のひとびとが同じ言語を用いていた証拠だからである。
しかも、天皇の御製には、庶民の女子を恋に誘うものまであって、身分差があまりなかったこともうかがわせるのである。

このことは、「日本」という概念が、日本列島から離れて、現代人がかんがえるよりかなり広い範囲であることを示唆する。
簡単にいえば、当時の人びとに、現代のような「国境」の概念すらなかったからである。

つまり、いまでいう「グローバリズム」の本筋が、この時代には自然にあったということなのだ。

逆に、いまのグローバリズムのなんと人為的で偽善にみちたものであることかがわかるのである。

売国政治の後始末の難易度

基本的に戦後、アメリカ民主党(窓口はCIA東京支局)によってつくられ、育成されたわが国の自民党は、結党当初から「売国政治」の集団だったが、これをマスコミと御用学者は、「保守」といって持ち上げたり、「保守反動」といって攻撃したりして国民を騙してきた。

あたかも孫悟空がお釈迦様の手のひらの上で活動していたように、自民党から共産党まで、すべての「公党」が、同じ穴のムジナであったのだ。

逆に、これら「公党」の仲間内からはずれた「私党」は、一般人から醒めた目でみられる存在か、あるいは「公党」の応援団としてのビジネスをやっていたにすぎない。
なので、その活動費は、純粋な「私党」なら個人資産に限られ、応援団ならばどこかの公党の意向を汲んだ資金源からのカネで動いてきたのである。

よって、たとえば赤尾敏のような戦前の翼賛会政治の時代にあっても、非推薦で衆議院議員に当選した人物が、戦後、当選することはなかったのである。

ときに、ソ連崩壊=冷戦終結という大激変の時代に、わが国はバブル経済に浮かれ沈没することで、この変化に追いつくこともできなかったことさえも、仕組まれていたとかんがえるべきであろう。

何度も書くがアメリカは90年代にグランドストラテジーを書き換えている。

かんたんにいえば、敗戦国の日・独を経済成長させてソ連に対抗するための資金源としたのを、戦勝国自体への資金源つまり、「刈り取り」を開始したのである。
それが、日本のバブルだったし、ドイツは「統一ドイツ」の熱狂としたのである。

それでもって、この時期に「論客」として登場したのが、竹中平蔵慶應義塾大学経済学部教授であった。
一体この人物を発掘して、経済論壇のスターダムに持ち上げたのは誰だったのか?

わたしは、CIA東京支局ではなかったか?と勝手に睨んでいる。

それはまた、日本開発銀行勤務時にハーバード大学へ留学した際に、協力者リストに載ったのではないかとも妄想するのである。

永久与党に定められた自民党(永久野党には社会党だ定められた)は、近代政党モドキのままいまだに『妖怪人間ベム』のごとく、近代政党になりえていないが、そおもそも自民党は「はやく近代政党になりたい!」と願っているかどうかも怪しい。

近代政党の要件には、「シンクタンク」を傘下に持つ、があるのだが、自民党はこれをケチって、行政官たる官僚組織そのものをシンクタンクとしているので、行政が立法を越えて圧倒的な権力機構と化すことを許してきたのである。

つまり、それがわが国では当然とされる「内閣立法:閣法」となった。
外国とくにアメリカ合衆国では、これはあり得ず、立法府の議員だけしか立法権を保持しないのであって、これがわが国では珍しいとされる「議員立法」のことである。
だから、大統領といえども、各省庁も、法の原案すら議会に提出ことはできない。

そこで、わが国では、なにがしら特定の利益・利権を狙う場合に、議員に直接働きかける方法よりも、行政官僚に働きかける方法の方が、より実現性が高まるし、より潜行型になるので世間にバレるおそれも減るのである。

なので、官僚(組織)が欲しがるエサ=天下り先の提供や事前段階での条件調整が決定的な要素となって、実力議員の元にもキックバックが提供できるスキームとすれば、ほぼ法案が国会やら地方議会を通ることになっている。

こんな構造に、外国勢力が気づかないはずもない。

だから、外国勢力としても、この構図のなかに入り込めば、容易に実現可能な政策はいくらでもある、ということになって、売国政治の背骨が完成する。
あとは、世間を落ち着かせるためのオピニオンリーダー(政治家本人でもいい)を、ハニトラやらマネトラにおとしめれば、「こっちのもの」になるのである。

そうやって、「日本企業の株持ち合い」といった外国資本からしたら強固な石垣があったのを、あっさりと崩して、いまや上場企業発行株式の3分の1以上は外国資本が保有する、事実上の買収が完成するまでになっている。

これが、いまの「経団連」の姿なのである。

しかして、日本企業と目される会社も、組織として日本経済の成長に与するどころか、逆に、「刈り取り」の効率化が要求されて、もはや経営陣は拒否できない状態になったのである。

これが、日本における賃金上昇が止まって、中流の崩壊と貧困化になった原因である。

なので、どのような施策が国民経済に望ましいかをかんがえたときに、その構造的な改善を意識すると、難易度の高さがわかるのである。
複合的な要素を、同時にかつ優先順位付けをしないといけないだけでなく、ここまで破壊されたシステムを元通りにするのは至難の業なのである。

そこで、システムなら「入れ替え」をする選択がでてくる。

これがいま起きている、変革、の本質なのである。

8月15日の盂蘭盆会

わが家が檀家の天台宗寺院では、この新暦8月15日の午後が盂蘭盆会施餓鬼法要の定番行事となっている。

ために、年4回のお布施を差し出すのがしきたりだ。
元旦は新年祝賀、春・秋のお彼岸、そして施餓鬼法要のことである。

いわゆる「お盆」は、この時期という慣習で、そのまま世間には「お盆休み」が普及した。

だが、本来なら旧暦の7月15日(道教では「中元」という)を指すために、宗派によっては新暦の7月15日だったり、8月15日だったりするが、今年なら新暦9月6日が旧暦のその日にあたる。

ちなみに、今年の新暦8月15日は、旧暦で閏6月22日である。

しかして、80年前の8月15日が「停戦日 ➡︎ 終戦」となったことから、本来いつでもいいとされる「施餓鬼法要」と、中元の時期がきまっている「盂蘭盆会」が結合したのである。
ために、わが家では東京九段の靖国神社への参拝をせずに、「仏式」の「施餓鬼」をもって広く先祖・先達を供養しているのである。

ときに、わが国には「靖国問題」という分断がある。

この問題の根源は、明治新政府とは何者か?というあんがいと厄介な疑問へとさかのぼるのである。
なぜなら、戊辰戦争の犠牲者を祀ることからはじまるために、新政府から「賊軍=朝敵」とされた人びとの霊は除外されている。

そこで、2013年にはこれらを「合祀」する案が浮上したものの、いまだに実現されていない。

これは、今年、明治158年になるに及んでいまだに、明治政府とは何者だったのか?が決着していないことの証拠にもなっている。
つまるところ、「賊軍=朝敵」という概念の整理のことであり、ときの政府に与しない者への差別が残っている現実があるのだ。

あくまでも「国内問題」として「靖国問題」を解決しようとするなら、第一の壁がこれである。

いま、ヨーロッパで神社神道への興味と普及が過去になく著しいというが、その根拠に神道の他宗教に対する「寛容さ」が第一と挙げられているそうな。
しかしながら、明治新政府が推進した国家神道は、「廃仏毀釈」の不寛容さをもってあたかもフランス革命のごとく伝統破壊を実行したのである。

なんだかヨーロッパの左翼が、DEI(Diversity、Equity、Inclusion:多様性、公平性、包括性)といった、 ポリコレの材料に神道を持ち上げて利用しているようにしかみえない残念がある。

しかし、わが国の左翼・現政権が続く限り、靖国問題の解決が困難だとおもうのは、明治政府の国民に隠蔽された本来の性格たる、英国の傀儡、という位置づけを、アメリカ民主党(DS)の傀儡たる現政権が正せるはずもないからである。

15日、参政党は党を挙げての集団昇殿参拝を実施した。
国会議員全員と、地方議員のあわせて88人だった。

党代表の神谷宗幣参議院議員は、上で指摘した問題の所在を認識している。

今後、戊辰戦争以前からの「賊軍の合祀問題」をどうするのか?も、あらためて注目されることとなると予想するのは、同党が掲げる「日本人ファースト」との整合性にかかわるからである。

そして、もうひとつ「靖国問題」に横たわるのは、「開戦理由」すなわち「戦争目的」の曖昧さという一大問題の存在である。

いま注目されている資料に、アメリカ人によって告発された『オレンジ計画』がある。
また、出版されては絶版を繰り返した、マッカーサーによる発禁本、『アメリカの鏡・日本』もある。

これらの書籍と、どう向き合うのか?さえも、現代日本人が自ら問うべきものなのである。

すると、「歴史修正主義」とはなにか?に行きあたる。
いわゆる「戦後論壇」の常識を覆す批判としての悪名であるが、そもそも「戦後論壇」こそが歴史修正主義ではなかったか?という逆転にもなるはなしなのである。

その原材料が、トランプ政権2.0によるアメリカ機密文書公開でにじみ出てきている。

日本時間の16日、アラスカでは15日の「対日終戦記念日」に計画的にあわせて実施されたのは、前回からおなじ顔合わせで4年ぶりとなる米・露首脳会談であった。
例によってマスコミが「合意に至らず」とこればかりを宣伝しているが、トランプ氏は「ほんのわずかな違い」と言ったのであって、その違いがなにかまで言っていない。

及川幸久氏が会見の模様をカットなしで全訳をつけてくれている。

なぜに米・露首脳は「対日終戦記念日」をわざと選んだのか?に、ハッキリしたメッセージをみるのは、戦争を仕掛けた側と、仕掛けられた側との軋轢パターンが、現代のウクライナとソックリおなじだからである。

しかもトランプ氏は仕掛けた英・米の戦争屋たち(具体的には、チャーチルとルーズベルト政権のこと)を暗黙の内に非難し、仕掛けられた日本は敗戦の憂き目をみたが、ロシアはなぜに勝利したのか?の奥深い政治的デモンストレーションなのだと、とくに日本人は気づかないといけない。

すなわち、ウクライナの戦後処理問題はすっかり合意済みで、「その先」についてのごくわずかな違いがあったという意味にしかとれないのである。
しかも、プーチン氏から英語で、「次回はモスクワで」と呼びかけたことの意味は、戦争屋たちへの痛烈なパンチとなることを承知の演出であろう。

こうやってみると、日本人の戦後80年の無反省は、まさにポリコレの結果なのだと両首脳が教えてくれているのであって、ここから察するに、「わずかな違い」とは、日本がからむ東アジア戦略のことではないか?ともおもわれるのだった。

カードが欲しくて食品を捨てる文化

11日、日本マクドナルドが「反省」を発表したのは、『ハッピーセット』についてくる「2枚のポケモンカード」を転売目的で購入し、肝心の食品を廃棄するひとへの販売を規制できなかったことに対してだという。

店舗横だかに、袋のままで無惨に廃棄されゴミとなった山の写真がネットに載って、それがまた世界配信され、「日本(人)の食品廃棄実態」として世界で顰蹙を買う事態にもなっているらしい。

しかし、困ったことに、転売目的で購入する者を規制できない。

なぜならば、レジを通過して所有権が移転したら、その後の「処分」は所有者の自由判断に委ねられることになる原則があるからである。
これに反するルールをつくったのは、わが国の財務官僚がやった、店舗内飲食と持ち帰りの消費税率を変えた無謀であった。

さて、こうした「廃棄行動」には既視感がある。

ざっと半世紀前のわたしが小学生だった頃、『仮面ライダースナック』についてきた「カード」の収集のために、スナックの袋を開けてカードを取り出すや、そのまま一口も食べずに捨てていた同級生たちがたくさんいたのである。

わたしがこのコレクション・ブームに与しなかったのは、失礼ながらそのスナックが甘くて口に合わなかったからで、とくにオマケのカードを集めたいとも思わなかったからだ。
一口も食べずに捨ていた友だちに、どうして捨ててしまうのか?と聞いたら、「まずいから」との回答に、妙に納得したものだ。

ちなみに、このスナック一袋の値段は、20円だった。

つまり、子供たちは20円でカードを買っていたのであって、スナックそのものがオマケだったわけである。
集めたカードは、トランプカードのようなぶ厚い束になっていて、その量を自慢していたけれど、だからといってそれでなにかの遊びをかんがえだしていたのではない。

なんでも、いまこのカードは1枚1400円で取引の対象になっているという。

これは50年平均の利回りで、14%ほどになるからずいぶんな投資効率である。
関数電卓に、50年√(1400円÷20円)と打ち込めば一発で計算できる。

だが、当時もスナック菓子なのに食べずに捨てる子供たちの行動が社会問題になっていたと記憶している。
それでも、20円という価格が、あんがいと高度成長下のおとなの財布のひもを締めることにはならなかったのである。

むしろ、終戦直後の飢餓を経験したおとなからしたら、このくらいのムダはどうでもいい、という発想が根底にあったのではないか?
すると、当時も大袋のスナック菓子はあったのに、どうして小さな袋で20円とした価格設定でカルビーは販売したのか?という疑問になるのである。

つまり、家庭内での小遣いのスポンサーたる親世代の心理を、カルビーのマーケッターは読んでいたとかんがえるほかはない。
だが、読み切れなかったのは、20円を握りしめて購入する子供の心理の方で、まさか中身をその辺に捨てるとは思いもよらなかったということだろう。

すなわち、飢餓時代からわずかな時間で、次世代の子供たちには「飽食の文化」が蔓延していたのである。
ちなみに、この世代の子供が、栄養失調からくる「青鼻」の「はなたれ小僧」最後の世代と思われ、その子供がたった数年後にスナック菓子を捨てる側にまわったのである。

さて、『仮面ライダースナック』の発売は1971年であったが、「マクドナルド1号店」の開業もこの年なのである。

開業前の当時、日本人のおとなは、アメリカ人が歩きながらハンバーガーやコーラを飲食する姿に眉をひそめ、日本人はそんな下品なことはしない、といっていた。
だが、歩行者天国の銀座で、孫やら子の世代が歩きながら飲食する行動をとることにショックをかくせなかった。

どこで育て方をまちがえたのか?

しかし、それは家庭教育の場からはなれた、社会教育としてのアメリカ礼賛があったのである。

そんなあたらしい日本人とは、いま70代以上になっている。

今回、日本マクドナルドが反省したのは、一体何に対してなのかを改めてかんがえるに、以上のようなけっして根源的なことではなくて、表層にある「販売管理」だけにあることは明らかなのである。

なにしろ、こうした困った行動をしたのは、『仮面ライダースナック』でやらかした世代に近しい「育ち」からだ、とかんがえられるのであるし、日本マクドナルドという企業の経営陣やら「本社」のスタッフたちの「育ち」もこれに影響されないはずもない。

調べたら、現社長は香港出身でオーストラリア育ちの「国際的視点を持つ経営者」だとあったので、なんだかより納得できるのはわたしだけか?
ここでいう「国際」とは、仮面ライダースナックを捨てていた日本人の世代よりも下劣かもしれないという意味での用法だとおもうからである。

一方で、ファストフードの食品としての価値を深掘りしたら、はたして「食品」に分類していいものか?という疑問すらあるのが、現代の複雑性を象徴する。
ために、「ポケモンカード」の価値が「食べ物」にまさるのは、旨くない「仮面ライダースナック」廃棄の延長にあることはまちがいない、という深さになっている。

ようは、オーガニックをふくめて食品とはなにか?が見直されているなかでの、人工的エセ食品をめぐる行動であると拡大解釈すると、「医食同源」の意味がまた浮かび上がるのであった。

この「医食同源」の思想とは、中華文明の始祖としてしられる伝説の「黄帝」の時代からのものだという定説からしたら、やっぱり「国際的視点」ということがかえって薄まった認識をあらわすと改めて確認できるのである。

「高校野球」という病理

広島の名門、広陵高校(野球部)が夏の甲子園で初戦を突破した後に辞退した、107回のなかで「史上初」となったから世間も一緒に揺れているらしい。

「らしい」というのは、わたしがあまり興味ないだけなのだが、世間では興味が集まっているというから書いておく。
なお、本件は捜査当局による「事件」として受理されている。

念のために、退部どころか転校まで余儀ないこととなった被害者とそのご家族には先にお見舞い申し上げる。

ネットでは、本事件をうけて、島根県の県立高校「女子硬式野球部」でも一年以上先にSNS発信されていたイジメ事案が、ようやく浮かび上がるという余波も起きているから、今後また世間の話題になること必定なのである。

ときに、本件の騒ぎをうけて、高野連は、あっさりと年間1000件に及ぶ同類の報告を受けていると発表して、あたかも「よくあること」として特段の問題視をしていないことを示唆していたことも、歴史的途中辞退「前」でのことであった。

つまり、「余波」が1000件以上でてくる可能性を秘めている、なかなかのスキャンダルなのである。
なので、外国(マレーシアや英「ガーディアン紙」)にも報じられるありさまで、不名誉な国際的知名度があがる事態になっている。

あくまで「国内ローカル」でかつ狭いスポーツ競技の特殊な事象だと信じた関係者(おとなたち)の浅はかこそが致命的なのであるけれど、これぞ精神が堕落した現代日本の「世相」をあらわす「鏡像」なのであろう。

そこで見え隠れするのは、「うち:内」と「そと:外」という結界をともなう概念が強まりすぎた結果だといえる。
いわゆる、節分における「豆まき」でいう、「うち」と「そと」がモンスター化したのは、これらが日本人の特性である概念だと意識しないことの罰を受けることになったのだ。

教育者の集団としての学校におけるおとなのこの実態が、本件の「浅はか」の根源にある。

つまるところ、いまの教育者を子供時分から育てた「教育環境」の浅はかが、数十年の時を経て顕在化した、ともいえる。

それが、「日本人」とか「日本文化」を形成する「共同体」すら一切教えないことの結果なのである。

この意味で、2023年の夏、慶應高校の応援が、もっとも堕落した事象であったにもかかわらず、これを礼賛する世間の浅はかさが、今度は「攻撃」へと転ずる浅はかさになったのである。

少なくとも福沢諭吉の建学精神を慶應義塾が学校として喪失したことを、ときの塾長はじめ高等部校長の嬉しそうな態度が「おバカ」状態であったと誰も批判しないことのおバカがあった。

こんなザマの学校を、わが国を代表するエリート校だという感覚が、はなしにならないだけでなく、そのリニアな延長に今回の事件があるのだとも気づかない。

共同体の「うち」と「そと」という日本人特有の文化的な行動様式(エートス)を、深く理解していかに冷静にコントロールするのか?こそがエリート(指導者)なのだという発想を育てるべきところ、熱狂に飲み込まれることの快感・愉悦にひたる愚かさが、その共同体を破滅に導くのだと、80年前の「敗戦」からも一切学ばないのである。

これぞ、病理、である。

世界の教育現場に類をみない、わが国の「部活」は、子供たちにこうした病理を埋め込む装置に化していないか?
だからこそ、年間1000件にも及ぶ問題がありながら、これを解決すべき問題だと認識もできないおとなをエリートだとする愚が世間に蔓延しているのだろう。

それが、教育委員会にも文科省にも、民間企業にも、あらゆる場面にある事象となってこの国を覆っているのだ。

80年前に皇居前に集まり、うなだれた人びとの精神状態と、じつはなにも変わっていないことが驚異ともいえるのは、それが日本人のエートスだからである。

しかし、この80年間、だれもこのエートスに内包する病理を解剖もしないで放置したことの結果であり、多感な時期の若者を病ませる方向に導くかつての若者(いまのおとな)を累々と製造する教育システムが臆面も無く継続するばかりなのである。

大リーグがあるアメリカ人はなぜに「全米高校野球大会」を開催しないのか?

エートスが異なるからである。

おそらく、高校野球がビジネス化して、近代オリンピックが、ヨーロッパ貴族の暇つぶし興行としてはじまったように、生徒たちをカネづるの芸人としてしかみない特権的おとなの利益の源泉になっていることが直接の原因なのである。

かんたんにいえば、選手の生徒たちが奴隷として働かされているともいえる。

つまり、高校野球をふくめて、実質的な児童労働の強制を、あたかも本人や家族たちの自主的な選択としてやらせる高度な洗脳がある。

さらに、日本にはGHQが命じた「3S政策」という愚民化がある。
これが、いまでは「家畜化」に進化しているのである。

幼稚園から大学までの教育は、国民家畜化にそった方針で一貫しているとかんがえれば、ジャン・バルジャンがパンを盗んだごとく、こっそりカップラーメンを食べたらこうなったことの結末は、はたしてフランス革命にいたるはなしとどうリンクするのか?が気になるのである。

スパイ防止法という踏み絵

むかしから議論はあっても、法案が通ったことがないのがいわゆる「スパイ防止法」である。

それが盛り上がってきたのは、参議院選挙でトップ得票をした北村晴男弁護士の積極姿勢が世論喚起しているためであろう。
参政党の梅村みずほ議員とタッグを組むことが、すでに双方から発信されている。

日本はスパイ天国である、というのは、定番の議論で、オピニオン誌たとえば2009年に休刊になった文藝春秋社が発行していた『諸君!』やらでは、70年代から「対ソ連」を意識してよく記事になっていたのを記憶している。

それには、1982年にアメリカ連邦下院情報特別委員会の秘密公聴会からバレた、「レフチェンコ事件」の衝撃があった。

「ほらね!みたことか!」となったわけである。

レフチェンコというのは、ソ連の悪名高き秘密警察「KGB」の少佐だった人物で、東京に駐在し、その後アメリカに亡命して上述の公聴会の証人になったのである。

当時のわが国の「仮想敵国」は、当然ながら共産ソ連で、中共の脅威は無視されていたのだった。

しかし、各国が警戒する諜報員=スパイとは、あらゆる国の人物であり、公務員でも民間人でもスパイはいくらでもいる。
そもそも公務員のスパイは、その身分を民間人にして活動するのが常套手段である。

もちろん、同盟国のアメリカだって、GHQの支配以来、日本国内で諜報活動をしているのは当然である。

こないだ公開されたケネディ暗殺の機密資料に、CIAから自民党に資金が提供されていたことがあったのがわかりやすい事実となっている。

もちろん、政治情報だけでなく経済情報も探るのが情報機関の仕事で、NASAのスペースシャトルの先端部分を東京・蒲田の町工場の職人が手作りしていたのも、そういった技術・技能を持つ職人が蒲田にいる、というCIA東京支部の経済情報からの発注だったことがわかっている。

おそらく、わが国にどんな技能の職人がどこにいるか?を、経産省のなにもしないでふんぞり返っているだけの役人よりも、CIA東京支部の方が詳しくしっているのだろう。
かれらは、取材と称してしっかり「足」でかせぐからである。

ために、法案におけるさまざまな定義が発表されていない現状で、「スパイ防止法」という題名だけで賛否の議論を呼んでいるのは、なかなかにスパイ側からのセンシティブな反応とみなされているのである。

つまり、反対者をスパイとみなす世論が法案よりも先に形成されているのは、トランプ政権2.0の影響下にあるからか?

なにしろこれすら、過去にはなかった現象だからである。

むかしは、憲法9条のごとく、法案の研究すら反対論(たとえば「言論の自由」を盾にする)で押しつぶされていた。

逆にいまは、政府がSNSに対して言論統制を仕掛ける時代になったから、かえって政府が国民をスパイすることの心配が起きている。

「ビルダーバーグ会議」の創設者、オランダのベルンハルト王配殿下(相手はユリアナ女王)の孫にあたる現ウィレム=アレクサンダー国王のマクシマ王妃が、世界経済フォーラムで「政府が管理するデジタル身分証がなければ生活できなくなる」と監視社会の到来を歓迎するように笑顔で発言をしたと話題になっている。

この元アルゼンチン女性は、南米におけるデジタル監視社会の実態から発言したと観られているが、果たしてそうなのか?
自国は、真っ向逆のオーストリア学派を代表したハイエク的自由主義ミレイ政権になっている。

ヤバイ伝統のオランダといえば、いまNATO事務総長のルッテ氏が「保守」政党を率いて首相でもあったことをおもいだす。
彼はDSの手先でしかないので、「農民一揆」で倒されたも同然の末路だったのが、首相退陣後にNATO事務総長に「昇格」するという不思議な人事が実行されたのだった。

人間を相手にするスパイだけがスパイなのか?という議論も含めて、しっかり中身を練り上げて通してもらいたいものである。