トランポノミクス2.0

5日、ニューヨークの経済クラブで財界人を前に直接トランプ氏から発表されたのが、「トランポノミクス2.0」であった。

大項目は5つ。

・エネルギーコスト半減(国内原油生産量を現状の4倍にする)
・環境対策をやめる
・規制撤廃(「前政権の1.0」で成功させた「2対1ルール」を「10対1」にする
・政府効率化委員会の設置(委員長にイーロン・マスク氏が就任予定)
・大減税(法人税率21%を15%にする)

なにに驚くかといえば、こうした政策提案のひとつだけでも真似る自民党総裁候補が誰もいないばかりか、全員が「真逆」だということなのである。

もちろん、「経済」というものは、さまざまな関連をもってつながっているために、上の5つも相互に関係している。

アメリカ政府の優秀性は、政府自体ではなくこれをやらせた政治家の優秀性ともいえる。
「立法」措置をしているからだ。

その肝が、「規制コスト計算」を各省庁に義務づけていることにある。

日本人は、日本政府の官僚が世界一優秀であると、なんの根拠もなく文学的に信じているけれど、わが国の政府は伝統的にも、自身で設けている規制コストを計算する術すら持ちあわせていないのだ。

国家総合職の合格者のほとんどが、法学部の学部生なので、経済計算をやれといわれてもなんのことかわからないだけでなく、経済計算をやれという政治家がそもそもいない。
つまり、日本人はどれほどの負担(コスト)を政府によって強制されているのか?を、政府もしらない、というレベルにあるのである。

ならばせめて、「2対1ルール」でいいからわが国でも導入してほしいものだが、業界のためにある自民党政治家には、このような案をあげることすらしないのである。
宗教団体の一般信者からなる与党の片方すら、自民党に促さないのはまことに不思議で、こんな政党に人生をかけて応援する根拠はなんなのか?がわからない。

ちなみに、「2対1ルール」とは、あらたな規制をするなら過去の規制をふたつ撤廃する、というものだ。
だから、「2.0」でいう、「10対1」ルールの破壊力はすさまじいと予想でき、大減税との相乗効果でアメリカの成長は加速するだろう。

政府効率化委員会がなにをターゲットにするのか?現時点で具体的にはわからないが、共和党大統領予備選挙の対抗馬だった、デサンティス知事とニッキー・ヘイリーの共通には、「連邦教育省の廃止」があった。

トランプ氏も、「1.0」当時、おなじことを発言してはいたが、とうとう実現せずに退任を余儀なくされたから、教育省廃止問題ははならず俎上に載るだろう。

キリスト教(清教徒)を基本とするアメリカでは、「信教の自由」の範疇に、教育の自由も含まれるけど、民主党政権(グローバル全体主義)は、ミッション・スクールにおいても「お祈りの時間」を規制したのが共和党には我慢できないのである。

もちろん、「LGBTQ]なる政治思想も、学校教育(とくに義務教育)で子供に強制することに反対するひとはおおい。

日本の場合なら、文部科学省が独禁法に違反して、教科の設定から学習指導要領まで、ぜんぶを独占しているのは、『共産党宣言』のとおりの政策だと書いてきた。
この意味で、安倍晋三内閣も、共産主義を推進したのである。

人口減少のために、移住者がほしい自治体はたくさんあるが、その「善政競争」に、教育がないのは、文科省の独占が絶対の体制になっているからだ。

カマラ・ハリスは、法人税増税をやると公約しているが、自民党総裁選では、見事に全員が増税派であって、けっして岸田氏の特許ではないのだ。

これが、自民党=アメリカ民主党の子会社、という理由である。

さてそれで、「1.0」で空前の好景気を招いた実績があるのがトランポノミクスだった。

民主党の鉄板支持者たる黒人とヒスパニック層が、急激にトランプ支持に転換しているのは、オバマ・バイデンの両政権とトランプ時代を比較してみたら、大企業にやさしい民主党と、庶民にやさしい共和党トランプ派のちがいが、はっきりわかったきたからである。

トランプ氏は、たった数年で、大金持ち富豪のための共和党を、庶民党に転換させたので、なんと労働組合も民主党離れをするにまでになったのである。

11月に、トランプ勝利ともなれば、日本でも一斉にトランポノミクスについての議論がはじまる。
最初は批判的から、だんだんと自民党批判の役に立つだけの理由から、日本でもやれ、ということになるだろう。

すると、今回デジタル・タトゥーをまき散らした自民党は、党勢立て直しに今回の候補者が全員、コマとして使えないことになる。

さぁたいへん、一大事。

まずは、トランプ氏が生きていてこそ、になっている。

政府によるファクトチェックの恐怖

グローバリズムとは、かつての「国際共産主義運動」が、別のカタカナ単語になっただけの、全体主義体制をめざす政治思想である。

18世紀のフランス革命を皮切りに、20世紀になってロシア革命が起き、それから、イタリアでファシズムが、ドイツでナチズムが、それぞれ「派生変化形」として誕生し、21世紀でもまだ生き残っている。

ロシア革命の複雑さは、あんがいと面倒な話で、それはまたフランス革命のそれと似ているのは、双方ともにおおくの犠牲者を生んだことにある。
もちろん、権力闘争の挙げ句、ということではあるが、そのへんの一般市民も犠牲になったのは、あたかも「魔女狩り」よりも大規模で組織的だったからである。

レーニン亡き後の権力闘争の挙げ句、勝者のスターリンがロシアを独裁支配する。
似たもの同士のヒトラーとスターリンの犬猿の仲は有名だが、スターリンに敗れたトロツキーの執念は、アメリカへとむかう。

そんなわけで、都合よくトロツキー派がアメリカ民主党を乗っ取れたのは、資金源が大富豪たちだったからだ。
ロシア革命の資金も彼らが出して、「冷戦」による武器開発競争で投資回収以上の利益を得たのである。

つまるところ、スターリンとても道具にすぎなかった。
大富豪たちにとって、各国民の不幸はどうでもいいのである。

この「倫理の崩壊」が、日本の自民党や財界を呑み込んだ。

それでもって、トランプ氏が登場したことで、以上の構図があからさまに見えるようになってきた。
あたかも、『プレデター』(1987年)の、光学迷彩装置(Cloaking Device:クローキングデバイス)が機能不全を起こしたごとくである。

むかしでいえば、あぶり出し、だ。

映画の設定でもそうだが、敵から「見えないはず」が見えてしまうことに慌てるのは、グローバリストも同様で、以来、さまざまな不正や嫌がらせをこれ見よがしに行うのは、その思考回路が原始的な凶暴性(=肉食の思想)によってできているからだろう。

バイデンの4年間弱で、トランプ時代4年間の意味に気がつかなかったアメリカ人もおおくが気づき初めて、もはやカマラ・ハリスの敗北も、見えてきてしまった。
CNNがカマラ・ハリスをこき下ろしているのは、欲求不満行動だとおもわれる。

そこで、アメリカ大統領選挙前に、日本でのグローバリズム政権を維持するために、自民党総裁選なる「隠蔽工作」をしようとしてはいるが、どれもこれも相似形のグローバリストばかりなので、国民の関心は低いままだ。

民主党の言いなりで、支持率の低迷が歴史的にもなった岸田氏が、とにかく命じられるままにやったなかでの最高峰は、「政府によるファクトチェック」を行うと決めたことなのである。

それで、地方自治法も変えて、「政府が命令できる」ようにした。

戦前の歴史は、「国民に自由な言論はなかった」と教えられてきたが、これから先は、はるかに不自由な言論空間になろうとしている。
これを、言論人がぜんぜん批判しないのは、日本の言論人がみなグローバル全体主義(共産主義)に染まっているからだとのお里もしれたのである。

文春新書から出ている、『内閣調査室秘録』(2019年)には、冒頭、初代室長の名前があるが、彼はGHQ参謀第2部の傘下にあった、キャノン機関の協力者だったことは、『何も知らなかった日本人』(1976年)をみればわかる。

ようするに、政府がファクトチェックをしても、それをファクトチェックできないようにしたから、もう、ソ連共産党やらナチスが支配するも同然になった。

なるほど、正統ナチスのゼレンスキー政権を全面支援するわが国としては、当然の政策なのである。
それでもって、隣国のロシアから敵国認定されたのは、国際法の適用において先手を打たれたことになったのに、この意味に国民を気づかせない言論統制がはじまっている。

つまり、なんと、わが国与党の本性は、ナチスなのだとバレたのがいまの状況なのである。

さすれば、ハンナ・アーレントの主著『全体主義の起源』こそが、毒抜きのための解毒剤にほかならない日本国民必読の書なのである。

自民党総裁選という用語で誤魔化して、間抜けな顔ぶればかりで誤魔化してはいるが、「総統」を選出するのだと言い換えれば、なんの違和感もないのが現代なのである。

ちなみに、台湾の大統領を「総統」といまでもいうのは、蒋介石とナチスとの関係における伝統だからである。

残念ながら、トランプ政権の再度の誕生で、これらを吹き飛ばしてもらうしか、日本人に選択肢がなくなっている。

野党の酷さを目立たせる「立憲民主の党首選」が、かくも低調なのも、わざとだとしかおもえないのだ。

ただし、次の総選挙でどこまで自民党の議席を減らすことに成功できるか?が、国民の自助努力になっていることだけはまちがいない。

ジョシュ・ホーリーのインテル追いつめ

ときにアメリカが羨ましくなることがあるのは、若き連邦上・下院議員の活躍が報じられたときだ。

一般的に、アメリカのドラマや映画、もちろん小説でも、たいがい「議員は無能」だという設定がされている。
インターネットがなかった時代なら、こうした情報だけがまき散らされて、現実のアメリカ政治の場面をしるのは、国内のテレビや新聞の情報しかなかった。

この意味で、インターネットで情報の開放がされたことは人類史のエポックだ。

噂によると、「Twitter」を買収したイーロン・マスクが、こんどは「YouTube」に買収を仕掛けるという。
成功したら驚きだが、はたしてどうなるのか?

18日、ニューヨーク州ロングアイランドで実施された、「トランプラリー」の動画を観ると、満員の聴衆が沸き返っている。
例によって大手メディアは、「白人至上主義者ばかり」といっているが、よくみれば黒人やヒスパニックの姿が目立つのである。

ニューヨーク州といえば、カリフォルニア州に次ぐ選挙人票の大票田ではあるが、ずっと民主党が勝ち続けていることでも有名だ。
もう投票日まで50日ない状況で、ふつうなら「棄てる」州なのに、どうやら本気で「取りに来ている」のだ。

おそらく、1984年にレーガン氏が全米を制覇(落したのはミシガン州とワシントンD.C.だけ)した歴史を再現させたいのだろう。

そんな中、アメリカ連邦上院国家安全保障・政府問題常設小委員会では、インテルの最高貿易責任者が追いつめられる「事件」があったことを「黒森2」さんが伝えている。
そのきっかけが、バイデン政権による「インテルへの30億ドルの補助金」問題なのである。

補助金そのものの予算については、連邦下院の管轄だが、政府を監視するという意味においては、下院も上院も厳しく追及するものだ。

これが、わが国にはみられなくなった光景として新鮮なのだし、今回の質問者である、弱冠44歳のジョシュ・ホーリー議員の「キレ」の良さなのである。

もちろん、アメリカという国の国家運営における設計は、「建国の父たち」が行って、これをまもる立場が共和党、適宜運用する立場が民主党であった。
残念ながらわが国は、民主党政権下のGHQによって、ぜんぜんアメリカ本筋の民主主義の方法論が導入されることはなかったが、ニセの戦後民主主義が本物だと信じ込まされてきた。

それが、昨今みられる、国会での大臣たちによる答弁拒否が許されることなのである。

もちろん、わが国の場合は、英国風の「議院内閣制」なので、国会議員から大臣が選ばれるために、なんだか同僚から頭ひとつ抜き出た「出世」をしたような感覚になるのだろうが、それは勤め人の感覚であって、議員の感覚としてはそうはいかない。

国会の権限が、大臣たちによって踏みにじられても、議員たちが正面切って文句をいえないのは、内閣(行政)に権限を譲ってしまった、つまり、国権の最高機関が内閣、という憲法違反が日常になったことを意味するのである。

憲法の番人のはずの最高裁もながいこと死んだふりをしていたら、三波伸介のごとく、ほんとうに死んでしまった。

魚は頭から腐る、が転じて、組織は頭から腐るから、国家の頭たる国会がそうなれば、自動的に地方議会もぜんぶが腐って、日本全国どこでも行政権が最高権力になってしまったのだ。

アメリカでは、大統領すら国会議事堂に入るには、連邦下院議長の許可あるいは招待がないと、敷地内に一歩も入れない。

わが国の方式なら、国会議員でも民間人でも、入閣したら、国会に議長の許可なく入れないようにすると、自身の立場が理解できるのではないか?

あたかも、犬にトイレの場所を教えるように、である。

なんにせよ、ホーリー議員が吠えたのは国家安全保障の視点と、常設の政府問題(つまり政府を監視する)からの視点であった。

いま日本のYouTubeでは、政府広報による「拉致」についてのヘンな宣伝が実施されている。
こんなもので誤魔化すのではなくて、全員帰国させる、という実施計画にならないで、家族や本人の寿命が尽きるのを待っているようだ。

それもこれも、アメリカ民主党やRINOの要請なのか?

18日、あたかも1937年の「通州事件」のごとき、日本人学校の子供が死亡する事件が起きていても、なにもしない、のが政府の実態だと明らかになって、世界がみているのである。

それがまた、「満州事変」(1931年9月18日)の記念日だから、という理由なのかも不明だ。

もう腐りはてて、崩壊がはじまっているのに、総裁選挙にうつつを抜かすのは、精神異常の国民集団になったのだという「恐怖」を世界に宣伝しているのである。

棄民が伝統の日本はホラー的に怖い国である。

兵庫県知事不信任案の全会一致可決

19日、兵庫県議会は全会一致で知事への不信任案を決議した。

これより知事は、10日以内に、自らの辞職か県議会の解散の選択をしなければならない。

県庁内部で何があったのか?
2人が亡くなった「パワハラ疑惑」が最大の焦点になっていて、そのほかには、知事の物品おねだりとかが取り沙汰されている。

知事を告発した元県民局長が、100条委員会の直前に亡くなったことも、まったく不可解な出来事であった。

なんにせよ、本件に連なって亡くなられた方々には、まずはご冥福をお祈りする。

これからどうなるのか?もあるけれど、本稿では、邪推を含めたよもやま話をするので、はじめにお断りしておく。

まず、わが国の議会という議会が腐臭をあげて死んでいることは書いてきた。
国会然り、地方議会(都道府県・市町村のぜんぶ)も、行政に乗っ取られた。

しかし、世の中はあんがい複雑で、一筋縄ではいかないものだ。

その典型が、利権構造にある。
政治家がどうして豪邸に住み、運転手つき高級車の後部座席にふんぞりかえっていられるのか?は、メインの活動資金が利権からの収入であるからだ。

なので、富豪になってから政治家を目指したトランプ氏が利権に興味ないことが、もっとも嫌われる理由になっている。
ドブに咲いた一輪の花に例えられる所以であるけど、ドブの住人たちからは嫌忌される当然がある。

さてそれで兵庫県だが、いまの知事だけを見てはいけない。

歴代で、どんな県政が行われたのか?これには当然、議会も責任を持つことになる。
わが国の地方政府は、「二元制(首長と議会の対立的チェック体制)」を根本の建て付けとしているからである。

たとえば、映画『県庁の星』(2006年)では、知事役の酒井和歌子と県議会議長役の石坂浩二の癒着が、物語のベースにあった。
実態として「一元制」になったときのなんでもありが、役人人事に反映もされる恐怖映画でもあった。

この映画の通奏低音にある、酒井と石坂という名優の演技が光るのである。

しかし、事実は小説よりも奇なのは、組織マネジメントの訓練が未熟な人間同士の低次元のドロドロがあるからなのである。
それは、前にも紹介した、昭和の文豪、獅子文六の『箱根山』の題材になった西武と東急の子供じみたケンカが事実としてあったことでもわかる。

むしろ、当時箱根を訪れた観光客たちは、末端の社員たちがいがみ合う姿を見て、「双方企業の組織力」すら感じ取っただろう。
まったくもって、客が目に入らないまでのいがみ合いを全山どこでも目撃できたからだった。

さてそうなると、一人で県庁に乗り込んだ知事と、議会の関係はいかに?から、マスコミの偏向的態度が重なると、たちまちにしてターゲットを「悪魔」のように描くことができるので、事実と噂と無責任な話とが混ざって、何がなんだかわからなくなる。

そこに、「正義感」という感情が移入されたら最後、破局まで突っ走ることになる。

それが、先の大戦における国を挙げての破局ではなかったのか?

港湾利権へのメスを入れようとした知事に、圧倒的な抵抗として追い出しが行われているのかもしれない現実を、もっと観察したかったのは、横浜港を抱える神奈川県の姿が見え隠れするからである。

不幸にも、神奈川県知事は底なしの無能なロボットゆえに、何事も起きていないようにみえる。

ただ、横浜港はもはや国家による運営へと主体が変わってしまっているだけなのである。
その地元の国会議員が、菅義偉という秘書からのして総理にまでなった御仁だ。

兵庫県の皆様には、いったんクールダウンして何がなんだかわかるようにしないと、後悔先に立たずになるだろう。

『マイティジャック』の勧善懲悪

1968年4月6日から6月29日までの短期間、フジテレビで全13話の放送がされた特撮番組である。

この番組は、あの「円谷プロ」が大人向けとしてこだわった、世界にまたをかける悪組織「Q(キュー)」との闘いを社会派的に描いた特別があったのだが、内部崩壊と視聴率低迷のダブルパンチで消えてしまったうらみが残る。

いまさらだが、音楽は巨匠、富田勲だ。
昭和一ケタ、7年生まれ、36歳のバリバリが採用されて、番組製作の意気込みがウソでないのはわかる。

さて、当初のターゲットがおとなであったことから、放送時間は毎週土曜日20時からであった。
すると、わたしの記憶にある『マイティジャック』は、その後子供向けになった『戦え!マイティジャック』の記憶にちがいない。

当時の子供は、8時には寝かしつけられていたからだ。
子供向けになった放送時間は、毎週土曜日の19:00から19:30だった。

ようは、当時のおとなは、世界最高峰の特撮のこだわりよりも、ありえない設定のドラマに「観る価値はない」という判断をしていたわけである。

たとえば、「Q」といえば、『007』における秘密兵器開発部隊の長のことだと連想するのは、第一作『ドクター・ノオ』の1962年から毎年のように制作れたことでの刷り込みがあるからだ。

それでも、戦争体験者が多数だったので、『007』すら「子供だまし」だと嗤っていたおとながたくさんいいた。
なお、おのオバケ番組、『8時だヨ!全員集合』は翌年からTBSでスタートした。

「お笑い」に日本人が逃避したのである。
なるほど、「エロ」「グロ」「ナンセンス」の自暴自棄が流行ったのもわかる。

さて突如、YouTubeでお勧めにでてきたので、わたしはおそらく初めて大人向けの初回から3話を一気に視聴した。

この物語の目玉は、なんといっても「マイティ号」なる、超音速で飛行できる潜水艦の活躍なのである。
どうやら、原点に東宝映画の『海底軍艦』(1963年12月)があるらしい。

しかし、おとなになったどころか、老齢になったわたしから観た、設定の妙が気になるのである。

それは、「マイティ号」とその運用組織「マイティジャック:MJ」を牛耳る人物が、どうやら民間人らしいのである。
この点で、『サンダーバード』と酷似している。

加えて、「マイティジャック」のメンバーたちの異様に高い能力がある。

いったいどうやって、若くしてかくも高い能力を個々人が習得できたのか?についてかんがえたら、絶対に義務教育では到達し得ないものだ。
すると、この組織は、メンバー候補者をどのタイミングでスカウトして教育したのか?

それは、技能にとどまらず、組織の設立者への忠誠も含まれる。

ならば、敵対する「Q」とても同じことがいえる。
たとえば、第3話では、世界各地で偽造紙幣を製造し、各国経済を混乱に貶めようと画策するのである。

これをマイティジャックの活躍で阻止する話は、まさに勧善懲悪そのものではあるけれど、隊長はロンドンに飛んでスターリングポンド防衛に成功する話も入っているのだ。

これは、微妙な問題で、1944年(まだ戦時中)の「ブレトン・ウッズ体制」を、敗戦国日本の民間団体が維持することに貢献した、ともとれるのである。
なにしろ、この体制は連合国の為替相場安定のメカニズムをアメリカ主導で決めたもので、ようは、弱体化した英国ポンドの救済にかこつけた、ドル支配を決定づけたものだったからである。

すると、連合国に対する皮肉を込めたおとな向けドラマだともいえるのだけれども、はたしてどれほどのおとなたちが気づいたものか?

逆に、ロンドンでの失敗が報告されたら、それはそれで痛快だったかもしれない。
「鬼畜米英」は、戦争プロパガンダではなくて、史実からの結論である。

ならば、「Q」は悪だと断定できるのか?
じつに悩ましい、一種のシミュレーション・ドラマともいえる。

「Q」のエージェントとして登場し、偽1万円札を使ったのは、なんと若かりし山東昭子の役で、これより半世紀後の2019年に参議院(上院)議長になろうとは誰が予想できたものか?

やはり、事実は小説よりも奇なのである。

不便な「ゆうちょ銀行」

自民党総裁選で、大手マスコミがなにかと話題にする候補者が信用ならないことは、あたかも民主党候補なら誰でもいいアメリカの大手マスコミとおなじ、まさに「相似形」にある。

日米の政治体制がぜんぜんちがうことを、アメリカ大統領選挙は4年に1回教えてくれているのに、まったく気がつかない日本人は、やっぱり脳(思考力)が破壊された奴隷以下の家畜になっている。

そもそもが、連合国軍(GHQ)の征服によってつくられた制度が戦後の日本、ドイツの政体なのだ。

とはいえ、これら「連合国(軍)」に世界経済フォーラムが上位に君臨しており、そのまた上位に「ビルダーバーグ倶楽部」が君臨している。
世界経済フォーラムの評議員に、日本人として唯一なっているのが、竹中平蔵だから、この一介の経済学者がわが国政界に睨みが利くのである。

しかしながら、ビルダーバーグ倶楽部に日本人会員はいない。

ようは、完全なる「肉食の思想」をもって世界に君臨しているから、堂々と毎年のサミットにあわせて、本当の支配者たる倶楽部の総会(内容不明の秘密会議)を開催しているのである。

つまるところ、竹中はビルダーバーグ倶楽部の「犬」だと解して差し支えないのである。

その竹中が仕切った、小泉純一郎政権の「郵政選挙」は、『B層』をターゲットにした戦略で歴史的大勝を自民党にもたらした。
これに貢献したのが、世耕弘成氏だったが、使い捨てにされたのは見てのとおりである。

郵政選挙こそ、日本人の8割、すなわち大半が、「B層=バカ」だとしれた瞬間であった。

「バカ」の習性として、まったく反省しない、という行動パターンがある。
だから、いまでもB層はわが国で幅をきかせ、マスコミのコントロールに盲従してはばからない。

ゆえに、何度でもおなじパターンで騙されるが、その理由が自分のせいだ、とはぜったいにかんがえないから「バカ」なのだし、これらのバカを利用して利益を得る者たちも彼ら彼女らに自覚を促すようなマネは絶対にしないのである。

それよりも「民主主義」という、魔語をもちいて、「バカ」をおだてるのである。

そんなわけで、めったに「金融機関」として利用しない「ゆうちょ銀行」に振込をしないといけない買い物をしたわたしは、おおいに驚いたのである。
なにせ、支払いのため、銀行で現金を払い戻して郵便局にいったら、通帳かキャッシュ・カードを入れろとメッセージがでた。

窓口で聞いたら、「現金での送金受付はできない!」と、21世紀にして想定外の「不可能」をしった。

地方のひとたちは、地元に銀行や信用金庫などがないから、おおむね「ゆうちょ銀行」を利用するしかない。
だから、通帳とキャッシュ・カードをもっていないのは、逆に「想定外」ということでのサービス設計がされたのだろう。

しかして、「郵便貯金(postal savings)」だったものが、「ゆうちょ銀行(Japan Post Bank)」に用語が変わっただけでなく、「全銀協システム」に加盟することになったのである。

日本語での表記変化よりも、英語表記の方がわかりやすい。

むかしは、「銀行協会」が毎年のように、「民業圧迫」をいって、巨大な郵便貯金(当時は、「世界最大」といわれた)にある資金が民間融資にまわらないことでの経済発展阻害要因だと非難していたものだが、この時代は、金融庁もなく大蔵省銀行局が郵政省と敵対していたというわかりやすさがあった。

いまは、その銀行も、融資先がなくて倒産しそうだから、統合して巨大化しての生き残りをはかる努力がされている。

なんだか、『進撃の巨人』のようだが、「地鳴らし」は外国の銀行にやらせるように、自民党が売国に集中している。

そんなわけで、「郵便貯金」のころは、独自の管理システムだったけど、銀行として「全銀ネット」に接続するために、「支店番号」やらの桁数一致が必要となった。
これに、「日銀ネット」という大問題もあるだろう?

銀行のビジネス・モデルとは、資金の貸し出しによる金利手数料の収入がなくてはならないが、「ゆうちょ銀行」のローン事業がこれまた中途半端なのである。

しかして、こんな郵貯にだれがした?

これをかんがえると、もう、夜も眠れなくなっちゃう、のであった。

日本の中高生がつくるブラウザを使う

Floorp:フループ』のことである。

これは、完全にオープンソースのブラウザ、『Firefox』をベースに作られている、純日本製(中高生でつくる『Ablaze』というコミュニティによる、やはりオープンソース)のブラウザだ。

オープンソースというのは、ソースコードが公開されている、という意味だから、悪意があろうがなかろうが、ヘンな悪さをするコードを書き加えてもだれかに発見されて直されてしまうから、安全だという意味もある。

わたしはこれまで、「Chrome」か、「Edge」をつかっていたが、移行にあたっては自動的に設定もコピーされるので、ぜんぜん遣い勝手にかわりなく利用できる。

「日本製」といえば、世界で利用されている「OS」で、じつは圧倒的なシェアを誇るのが「TRON」だ。
これは、「IoT」に欠かせないから、生活のなかに驚くほど普及している。

発明者の坂村健氏は、慶応ボーイから東大の教員になった。
そのTRONも、著作権フリーにしての「オープンソース」で自己発展させたのである。

今どきの若者は、と若い世代を嘆いてぼやくのは高齢者になった典型で、はるか以前からおなじことがいわれ続けてきたのも、「人類史」なのである。

しかしながら、よくよくかんがえると、生まれてから20年あまりで成人することをおもえば、先に生まれた世代による教育でしか跡から生まれたひとの育成はできないので、若者を嘆くのは、自分の人生の無責任を嘆くのとおなじことになると意識しないといけない。

それがまた企業などの組織でよくいう、人材不足の原因となっていて、ひとが育たない、のではなくて、育てていないから起きる、たんなる結果論である。

1980年から95年ぐらいまでの生まれを、「y世代」という。
「y」の意味は、「ゆとり教育」のローマ字頭文字である。

次の「Z世代」(1996年から2012年に生まれたひとたち)こそが、『Ablaze』のメンバーだ。

ついでに、「y世代の前」が、「X世代」で、「Z世代」の次が、「α世代」だという。
これらは、アメリカのマッキンゼーがいっていることだから、あまり信用はできないが、ひとつの指標として便利ないい訳ができるから普及しているのだろう。

当然だが、あたらしい世代ほど、世界経済フォーラムがいう、邪悪な思想、たとえば、SDGsとか、LGBTQとかの洗脳がすすんでいる。
これは、国家が独占する学校教育が、世界経済フォーラムの傘下にあることからの必然でもある。

ゆえに、家庭教育が重要なのだが、もう家庭がその機能性を失った。

性能がポンコツになった家庭を超越するのが、こうした『Ablaze』のような集団組織のなかで、自主的に育つことになったのである。

これは、ハンナ・アーレントがその主著、『全体主義の起源』で述べた現象と似ている。
個人としてバラバラの頼るところがないアトム化された人間は、誰かを頼って集団の一員になることを望む。

その集団が、望みどおりの目的があればいいけれど、目的自体が歪んでいたら、たちまちのうちに個人が「個」を失って「全体主義」の虜にされてしまうことだってあるのだ。

バカではないナチスの組織化担当者たちは、こうしたアトム化された個人を狙ったのだった。

すると、社会にある様々な団体がどんな素性なのか?をしることばかりか、その素性の適格性を見抜く力が個人に要求されるという、困難な時代になったのである。
途中で退会が簡単にできないような仕組みが用意されていると、個人が勝手に抜けることも困難になる。

これには、たいがい金銭的な縛りよりも、精神的・人間関係的な「情」による縛りの方がより強固で困難なのである。

さても、そうした組織が、バーチャル空間での存在だけともなれば、より一層、選択の難易度は高い。

一般に、「Z世代は優秀だ」という評価は、「ゆとり」の被害者たる「y世代」には気の毒な比較対照にされている。

そうやってかんがえると、「X世代」以前と、「y世代」との境界線である、70年代までが、いわば古き良き時代となるのだが、その後の責任という意味では、70年代までの意志決定が重かったともいえる。

いわゆる責任者としての「爺いたち」とは、政治でも企業でも、だいたい70歳代が実力者として君臨するのがわが国「年功序列」の特徴だ。
すると、1900年(明治33年)生まれ前後のひとたちが、もっとも現代(2000年代)の状況に無責任だったともいえる。

この世代で、人材が途絶えて枯渇するからだ。

前に書いた映画、『1900年』は、イタリア(ポー川流域の農村地帯)を舞台とするから、日本人には馴染みが薄いものの、主人公たちが1900年生まれという「偶然」は、おそらく現代をしるための「意図的」な設定のである。

そんなわけで、『Ablaze』の代表者はいま高校三年生で、名古屋大学を志望していると表明している。

志望がどこであれ「大学」だということに、ガッカリ感があるのは、社会に出てからのことを「志望」してほしいからだが、目先の大学を観ているのが子供らしいといえば子供らしい。

これも、周辺のおとなが、子供ままの発想でぜんぜん社会学習をしていないことの裏返しなのだろう。

となると、やっぱりこの優れたブラウザが、中高生によるものだとの確信になったのである。

どうしてもトランプが嫌なひとたち

15日、二度目の暗殺未遂が起きて、トランプ氏はSNSに「0-2」とだけ書いて挙げた。

現場は、フロリダのトランプ邸から近いトランプ氏が所有するゴルフ場敷地境界の外側フェンスから照準器付きのAK47自動小銃ライフルの銃身を編み目から中に入れているのが発見されたのだった。
この銃の有効射程は、300m~400mだが、照準器付きなので1000mまではいけるという。

じっさいに、トランプ氏との距離は400m~500mだった。

車で逃走した犯人はあっけなく逮捕されたが、決め手は近所の住人が撮影した逃走車とそのナンバーだった。
意外なところにカメラがある時代なのである。

だれでももっているスマホのカメラ性能が、コンパクト・カメラを駆逐してしまった。

犯人像が解明されるにつれ、民主党にとって都合の悪いことがでてくるからだろうか?
さっそく、「暴力は敵だ!」と、もっともなことを再び繰り返している。

銃規制に積極的な副大統領のカマラ・ハリスには、その発言の数々がデジタル・タトゥーになって残っているけど、なにも気にしないのはそれが本気の主張だからだとだれもがおもっていた。

しかし、初のトランプ氏との「討論会」で、彼女は「銃規制に反対する!」といいだして、アメリカ人の視聴者を唖然とさせた。

それで、「わたしの自宅にも銃がある」ともいったのは、ジョーク(いわゆる「カマラ構文」)なのだといいたかったのだろうが、ワシントンD.C.は銃の保持が禁止されているから、構文がすぐに理解できるひとはニヤリとしたろうが、言葉だけを聞くおおくのひとには意味不明にうつっただろう。

これを、主宰者ABCニュースのモデレーター(ラテン語の「moderare」が語源で、英語の「moderate」には、「適度の」「穏健な」という意味がある)のふたりは、まったくこの言葉に反応せず、つまりファクトチェックもなしで、視聴者の「疑問:?」の補助をしなかった。

「モデレーター」だと自己主張していたにすぎなかったのである。。

ところで、ABC(American Broadcasting Company)は、1996年に、極左企業ディズニーの傘下になってしまって、以来、偏向報道をもってアメリカ人を洗脳している。

歴史的な大統領候補者討論会の前に、ディズニー買収前の古き良き時代のABCをしっているとおもわれる局内の人物が、「宣誓供述書」をもって、この討論会の裏側にある狡猾な民主党とのやりとりを内部告発していたことがわかった。

また、この供述書は、連邦下院議長宛にも送付されたという。

その内容が、「事実」だったのは、視聴したひとならみな気づくことばかりなので、まったく事前に準備された「カマラ・ハリス応援番組」であったのだ。

もちろん、モデレーターのふたりには、トランプ氏をおとしめ、カマラ・ハリスを持ち上げる指令がでていた。

こんどの銃撃未遂犯は、ウクライナで「外国人兵士を募集する事業」をやっていた。
とにかく、ウクライナを勝利させるのに頑張ったひとではある。
しかし、どこから活動資金と応募したひとたちへの報酬が出ていたのか?

さらに、どうしてこの日のこの時間にトランプ氏がこのゴルフ場にあらわれる情報を得ていたのか?についてはわからない。
FBIやらシークレットサービスが、トランプ氏の行動予定情報を流したのだという「噂」の信憑性が問われている。

なにしろ、トランプ氏がその日ゴルフをひとりでプレーするのは、直前に決まるから、一般人にはしりようもない情報だからである。
しかも、犯人には重犯罪の履歴があるので、全米どこであれ自身の名で銃を購入することはできない。

いったい、誰が用意した銃と弾なのか?

国家機構の闇が深すぎるので、現場を管轄するフロリダ州デサンティス知事は、すぐさま州としての独自捜査を開始すると表明した。

単純に、ウクライナやらの戦争を終わらせたくないビジネスとしての戦争をやりたがるひとたちは、とくかく戦争が嫌いなトランプ氏を排除することに躍起だ。

わかりやすい構図である。

それでも民主党を支持する高額所得者がおおいのは、戦争屋事業には広い裾野があるためで、彼らの収入になるから、トランプが返り咲いたら大損をするような投資リターンを含めた経済構造ができているのである。

この構造に、わが国も加わっている。

それでもって、腐敗しきったNATOは、とうとう西側がウクライナに提供した武器で、ロシア領内への長距離攻撃を画策しだした。

ようは、バイデン民主党政権が、第三次世界大戦をやりたがっている。

まったく、第二次世界大戦における、日本に「ハル・ノート」を突きつけた、民主党フランクリン・ルーズベルト政権のようなワンパターンなのだ。
こうして、わが国は、先に手を出すように仕向けられて、「世界から悪の権化」にさせられた挙げ句、とうとう征服されたまま80年が過ぎようとしている。

近代史、とくに前半の昭和史を学校で絶対に教えない(ついでに戦後の昭和史も教えない)ことで、日本人のおおくが先に手を出したロシアが悪の権化だと信仰させられ、自らの奴隷化を進めたら、とうとう家畜化の段階にまできていることすら気づかない。

だれが自民党総裁になっても、ジョージ・オーウェルの『動物農場』が、そのまま日本の姿になることだけは既定路線なのである。

いまさらの「線形代数」

わたしが現役高校生だった、あらためて思い出すとえらく遠いむかし、「数ⅡB」という教科で悩まされたのは、「微分」と「行列」だった。
入学して早々には、「因数分解」をとにかくひたすら理由も訳もなく、暗算で解答させられたのがトラウマになっている。

いまの高校生は、「行列」を倣わないで卒業するというから、羨ましいような、それでいいのか?という気分になる。
とはいえ、「おっさん」から「爺い」になってしまって、偉そうに孫のような高校生に対して「ずいぶん楽してるじゃん」とはいえない。

「行列」やら「ベクトル」なんて、ぜんぜん覚えていない自分がいるからである。

なんだかんだと、会社員をやっていたときは、「数字」を扱わされた。
だいたい、宿泊業界を希望したのは、数字が嫌だったからだが、ビジネスとして捉えれば、どの業界に行こうと「数字」から逃れられるわけがない。

そうかんがえると、早くから覚悟を決めた方がよほど楽ができるし、周辺が苦手で逃げているばかりなら、えらくチャンスがふえる。

いまの「高等学校」の教育レベルが、かつての「中等レベル」だとしって驚くのは、残念ながら当人たちではなく、上の世代ばかりだろうし、もっといえば、「旧制高校」のレベルの底知れぬ高さに唖然とするのである。

そんなわけで、尋常高等小学校をでて進学した、かつての中学生が習うレベルが、いまでは大学での授業となっている。

この「間延び」は、人生50年からもっと間延びした人生100年なる、ただ生きている状態の間延びになったから、10代から徐々に間延びしていく加速度すら感じるのである。

むかしの悩める10代は、人生論を読みまくっておとなに成長したが、いまはどうやらぜんぜんちがう。

しかして大学では、高校で習ってくるはず、という一方的な教授陣の手抜きがあるので、30年前と換わらぬ講義ノートをもって教壇に立つ大教授がいるらしい。
わからないなら、それはぜんぶ学生のせいだという割り切りは、たしかに社会とはそんな感覚でできているといえなくもない。

もっともそれが、パワハラの原因たる発想だ。

それならば、という商品企画から、中学生向けをいいながら、文科省の指導要領からおおきく逸脱した、「線形代数」のテキストが生まれるのである。
たぶん、こうした本を手に取るのは、ちんぷんかんぷんの果てに追い込まれた、現役大学生にちがいない。

それでもって、「行列」の掛け算の方法を思い出した。

だからこれが一体なにをやっているのか?
高校のとき、それを習わなかったことが、とくに悔やまれる。

ようは、直線式たる方程式の解法でもあるのだが、こうした「直線」で表現できる事象が世の中にあふれかえっているのである。

たとえば、「売上の推移や予測」も、直線上にある、とかんがえれば、イメージがハッキリするだろう。
もし、曲がっていたら、そこは微分の出番なのだし、近似値の直線式を求めることだってできるのが線形代数というものだ。

そうなると、積み上げ計算による方法とあわせて、より明快な予測ができる可能性が高まる。

当然に、これにまた、確率・統計が加わるのである。

観光系では、人数や部屋数、あるいは席数といった「数」がでてくるのは当然だが、これはまた「離散数学」という分野の範囲にあって、ついには「グラフ論」にまでなる。
あたかも「離散家族」のようだが、一般の数学では数は連続していると前提するのとちがって、離散数学では、1個1個別の数として扱うから、人数とか席数と合致するのである。

「ビジネス・専門学校」でこれを教えるといいのに、とおもうのはわたしだけか?

ただし、それで新入社員が先輩に知識をひけらかすと、妙なパワハラを受けることにもなりかねないから、世の中は面倒なのである。

手塚治虫『奇子(あやこ)』とは

漫画界の「巨匠」といえば、誰にでも名前をいう必要もなく通じる。

しかし、彼への叙勲は、亡くなった1989年(平成元年)に贈られた、「勲三等瑞宝章」だけとなっている。
なお、生前、「紫綬褒章」や「国民栄誉賞」の授与に関して、「辞退」されている。

このひとには、「医学博士」の学位があった。

それで、「生命」をさまざまな角度から追求した名作を多く残したのだろうし、たとえば『鉄腕アトム』というロボットの話にさえ、「いのち」が基盤のテーマになっている。

神奈川県が有害図書に指定したのは、『アポロの歌』(1970年)だった。

1972年から翌年にかけて発表された『奇子(あやこ)』は、横溝正史よりもドロドロの家族関係と、GHQの日本支配(征服)の闇を「下山事件」に絡めて暴いた物語を、なんと「背景」にした特異な作品だ。

松本清張の『けものみち』(1962年〜63年連載)をも彷彿させる一大スキャンダルの物語なのに、一人の少女を柱に成しているところが巨匠の巨匠たるところなのである。

しかして、物語でいきなり「CIC」が登場するも、なんの説明もない。
あたかも、「CIA」の誤植かと思わせるが、そうではない。
Counter Intelligence Corps:(アメリカ陸軍)対敵諜報部隊のことで、GHQにあっては「参謀2部:G2」の傘下に当たる。

わが国の戦後史に不可欠な、GHQによる支配の実態がどんなものであったのか?は、じつはいまだによくわかっていない。
有名なのは、ものの一週間で「日本国憲法を起草」した民政局長のホイットニーと、G2部長のウィロビー少将との内部対立があったことだ。

このことも、本作ではサラッと描かれている。

さらに、「キャノン機関」についての闇だ。
この機関は、G2直轄の秘密情報機関で、東京上野池之端にある、「旧岩崎邸」(いまは、東京都公園協会が管理する「旧岩崎庭園」)を接収して、ここを本拠地にし政財界やら何やらの人物を招いての贅沢なパーティーも開催していたのである。

ちなみに、庭園の一角が狭くなっているのは、接収解除後、本館は裁判所職員の研修所となり、庭は最高裁判所職員の「官舎」になったからである。
ただ、元にあった庭木の多くが枯れてしまったのは、キャノン中佐の趣味がピストル射撃で撃ちまくった鉛によるという。

そのキャノン氏は、帰国して晩年、癌を宣告されると自宅で愛銃による自殺をしたというが、真相は不明である。

どこまでも、闇が深いのだ。

この機関の由来は、上に書いたジャック・キャノン中佐(当初は少佐)の名前からだというが、それは「日本での名称」で、GHQ内で正規にはなんと呼ばれていたのか?はわからない。

また、なぜに「日本名」があるかと言えば、この機関には日本人工作員組織を多数傘下に置いていたからである。
その工作員たちが、これまた元軍人や戦犯免除を条件として引き込まれたというから、そのリクルート方法も闇なのである。

なんの落ち度もないのに、題名となっている「奇子」は、20数年間も土蔵の地下の闇に放り込まれて奇跡的に生き残った設定になっている。

彼女の中にある「闇」の意味は、世間と隔離されたが故の安全地帯でもあり、孤独への耐性をもたらした「光明」でもあるというのは、現実世界で跳梁跋扈する闇の者どもとの悲しい対比なのである。

結局のところ、権力のために身を売るはめになる日本人を描きあげた。
大の男や女たちの生きざまを、利用するだけ利用する悪魔がいるのである。

ところで、4日、ベラルーシの国営放送が伝えた、日本人スパイ(ゴメリ国立大日本語教師)のことが気になるのである。
この方、質問に正直に答えているというがほんとうなのか?予定どおりなのか?収集した情報の提供先は、「国家公安委員会」だといっているのである。

その情報提供ルートに、在ベラルーシ日本大使館がある、とも。

気になるのは、国家公安委員会の先のことなのだが、闇が待っているのだろうなぁ。

なにがなんだかわからない。