困った!AfDの連立相手が左翼

「極右」というレッテル貼りが、世界マスコミの標準=デファクトスタンダードになっているけれど、困ったことに、極左政党から分裂した新興左翼政党がAfD政権樹立(州首相誕生)に協力すると正式発表して、「極右」表記がつかえなくなっている。

連邦制のドイツでは、アメリカとちがって「州知事」ではなく、「州首相」を州議会(一院制)の議員から選出する。
それで、各州の首相と重要な大臣職にあるひとたちが、そのまま連邦議会参議院(上院)議員となるのである。

また、ドイツの連邦議会参議院には、日本やアメリカとちがって、大きな権限がある。
それが、連邦衆議院(下院)の議決に関する拒否権の行使で、これが発動されたら「廃案」となるから、ひじょうに強い権限をもっている。

なぜかといえば、ドイツの歴史の複雑さ(貴族による細かな領地の統治実績)からの知恵だからだ。

ドイツの地は貴族の血縁(政略結婚の繰りかえし)による「血の平和」のために、天下分け目の合戦もなかったのでわが国における徳川家に匹敵する超大大名が存在せず、しかも、ローマ教会からも離れたプロテスタントゆえに、宗教的な権威の集中もなかった。

分断の長い歴史から、いまもしっかり分断されていて、連邦政府の役割は日本のような「中央集権」までとはなっていない。
ようは、「州」がいつでも分離できるような状態のために、「民意」のはずの連邦下院議会よりもっと住民生活に近い「州の統治」の延長が重要視されている、ということだ。

フランスでは、マクロン政権の内閣が崩壊を繰り返したが、そのたびに、マリーヌ・ル・ペンの国民連合を抜きにする「左翼の野合」でパッチワーク内閣を成立させてきた。
AfD排除のために、左派が連合しようにも議席数で同数になって、過半数がとれないために、新興左翼政党が初の5議席をとったことの「ゆくえ」に注目が集まった。

しかして、あろうことか、極左から別れた5議席がAfD支持を表明したのである。

一方、13日投開票のスエーデン総選挙(一院制)では、移民(国籍取得した)票によって政権交代が起きることとなったので、ドイツとは真逆の模様がうまれた。

これは、 アンゲラ・メルケル元ドイツ首相が告白した、有権者の輸入、の成功事例となる。

かんたんにいえば、国家が溶けて流れ出したのである。

いまや、スエーデンの「原住民」となったひとたちは、少数民族としての保護的な権利を要求するに留まる状況となった、といえるが、はたして移民が支える政府は、これまでの「左派」がいう少数派の権利保護を主張し続けるかどうか?さえわからない。

これが、思想と主張の乖離、である。

つまり、「主張」は、たんなる政治的なパフォーマンスにすぎないのであった。

それでもって、沖縄県知事得選挙でも異変がおきて、二期続いた左派政権が接戦にもならず倒されたが、どうやら左派の応援団がかえってマイナスになったと評判なのである。
たとえば、蓮舫や辻元清美らの過激な主張が、有権者にパフォーマンスにすぎないと見破られてしまったようなのである。

ここでも、模様が変化した。

世界は、「まだら模様」に変化している。

名言「文化はコレクションじゃない」

例によって、突如降臨したユーチューブの話である。

主はフランス人さんで、日本人女性との国際結婚。
日本国籍のまだ幼い娘さんに対する「教育論」が降ってきたのである。

むろん、個人の家庭でのことだから、他人があれこれいう話ではないが、なんだか「フランス人的」な内容が気になったので書いておく。

どこが「フランス人的」だとおもったのか?といえば、その文化論の本質的な点である。
たとえば、レヴィ=ストロースを彷彿とさせるのである。

ご本人は、日本文化に惚れ込んだフラン人であり、日本に住み続ける覚悟をもっての結婚だから、フランス語を話さない日本人女性との間に授かった子供には、日本人として育ってほしい、という強い自覚があるのだ。

しかし、一方で、家族の絆としての自分、つまり父方はフランス人なのだから、それを断ち切るというかんがえはない。
母親が日本語で話しかけているのに対して、自分は必ずフランス語で話しかける。

それで、本人が成人の暁に、父方を訪ねてフランスに渡ることも意識しているけれども、「日本人」として渡仏してほしいと願っているのである。

こういうのを、健全なナショナリズムという。

しかしながら、社会の根本基盤単位である家族を解体したい、と願ってやまない社会主義・共産主義=全体主義では、あらゆる屁理屈を駆使してでも実現をはかるので、むかしはちゃんと「危険思想」として区別したいたのに、これが崩されたのもこれらのひとちによる政治活動成果なのである。

自分は除いてすべて「唯物」なので、何年かけてもしつこく活動するのが特性だ。

そのために、多数の人間の心に「スキ」をみつけると、そこに集中的に攻撃・宣伝を実施して、徐々に、しかし確実に破壊する。
つまり、「(社会の)破壊活動」とは、常時おこなわれているのだが、「自由」の建前はこれに弱く、禁じることが緩くなるのである。

まったく、悪魔的な『笑ゥせぇるすまん』以上の悪魔なのである。

「文化」をたくさん身につけることが、あたかも「優位」だとかんがえることは、母国文化の意味をしらないか軽視するかからでてくる発想である。
逆に、母国文化の広さと深さをしらないようして育てると、容易に軽視できる人間となるから、企画者はまったく悪魔同様に意図をもって教育の方向を定めるのである。

GHQの申し子たる自民党と社会党が「やらせ八百長」で教育界を支配した80年で、まったく設計図どおりとなったのである。

だから、冒頭の日本をこよなく愛してくれているフランス人のいい分は、過大評価、にみえるのである。
だが、フランス革命以来「(社会主義)先進国」のフランスでは、日本よりももっと古くから家族破壊がすすんでいて、目も当てられない惨状、なのだといいたいのだろう。

ドイツでAfDが優勢になってきて、既存の左派政党のほとんどが「AfD禁止」をあからさまな要求するまでパニック化している。

そこで、かつて2004年にも2010年にも「多文化主義は完全に失敗した」といっていたアンゲラ・メルケル元首相は、「人道主義」に転換して大量移民の流入をとめなかった。
AfDの大勝利の選挙後であるつい最近、選挙権を得た移民がAfDなどに投票せず、自党が永遠に有利になることを意図していた、と語り出したのである。

ようは、民主党バイデン政権(オバマ政権の延長)がやった、国境破壊の論理とまったくおなじであることに注意がいる。

このひとは、2021年に「2014年のミンスク合意は、ウクライナがロシアとの戦争をはじめる準備のための時間稼ぎだった」とオランド元フランス大統領と揃って自慢したのである。

まんまとプーチンをはめることに成功した、と。

しかして、何度も書くが、オランドはフランス革命に冒されたままの頭脳で、メルケルは旧東ドイツ社会主義の素直な申し子なゆえの勉強エリートなのである。
その愛弟子が、EUの女帝ウルズラ・ゲルトルート・フォン・デア・ライエンなる共産主義=全体主義者だ。

そんなわけで、本稿冒頭のフランス人はすくなくともこの部類ではない。

ときに、日本文化とはなにか?に即答できる日本人がほとんどいないのは、あまりにも広く深いために、説明が難しいからだ。

なんとなくわかっているので日本人をやっていけるが、そのなんとなく、が薄まると、自分が何者なのか?が不明になってしまうのである。

スシローが放つ「チップ文化」破壊

3日、フード&ライフカンパニーズは、10月にニューヨークに傘下の「スシロー」をアメリカ進出第1号店として開業すると発表した。

この発表に沸くニューヨーカーたちの話題に、「チップ不要に歓声」という記事がまぎれている。

飲食店などでの「チップ」は、欧米の文化として定着しているが、近年その批判も高まってきている。
それは、「セルフ」あるいは「ほとんどセルフ」なのに、堂々とチップを要求されるばかりか、自動精算機で料率を強制選択させられる高機能会計機が普及していることもおおいに影響しているからである。

ようは、利用客はチップ支払いを拒否できない。

トランプ政権2.0の選挙公約で、連邦チップ税の廃止、を実行に移したが、それはチップを受け取る側への減税であって、そもそもチップの意義そのものが問われているのである。

わが国で販売価格に革命をもたらしたのは、江戸日本橋の三井越後屋(現三越)が掲げた「現金掛け値なし=定価販売」であったことは小学校の授業で習う。

それまでは、客は気に入った商品価格についての値段交渉をするのがふつうだったので、掛け値なしの安さばかりか、時間と精神的な負担の軽減で大ヒットした。

いまではディスカウント販売がふつうになったばかりか、専門が細かくなったので、定価販売でなんでもござれの「百貨店」が廃れてしまっている。

江戸期にも、宿場の宿では「枕ゼニ」の文化、すなわち「心づけ」としての「チップ制度」はわが国にもあった。
これが、昭和のバブル頃にも残っていたものだ。

しかし、高度成長の東京オリンピックを契機として、大手ホテルが率先してチップ制から「サービス料金制」へと移行したのである。

これは、施設の大型化で、大量採用した従業員個人が得るチップの職場管理が困難となり、従業員間のトラブルにまで発展したことも要因になっている。

しかも、会社は、「サービス料売り上げ」として計上することで、いったんとはいえ、名目上も実質上も、「会社のもの」としたのである。

それで、各従業員には勤務評価としての「再配分」をしているとした。
しかし、この問題は奥が深く、接客現場に関与しない間接部門の従業員給与にも反映される「平等」のために、そもそも論をいえば現場の不満はくすぶったままなのである。

よって、なるたけ会社は話題にしたくない。

こうした日本の事情はさておいて、今回のスシローによる「チップなし宣言」は、アメリカ社会に何をもたらすのか?注目したい。

それには、従来、どのようにしてサービス担当従業員にチップが渡っているのか?と、会社がどこまで関与しているのか?の双方に波紋を生むからで、この点で利用客が負担するチップがなくなる、という単純さではないからである。

つまり、まずはスシローニューヨーク店に就職希望する現地人は、チップ収入をはなから期待できないことが採用条件となることからはじまる。

これをスシロー経営側は、どのように説明し納得を得て雇用するのか?となって、現地の飲食サービス業事業者はしっかり観察していることだろう。

ましてや、現在のニューヨーク市およびニューヨーク州は、民主党政権下にあるので、いかなる行政からの(社会主義・共産主義的)介入があるのか?も予想できない。

こうしたリスクを、フード&ライフカンパニーズはどのようにかんがえているのかも気になるところである。

さては上のような各種問題を突破したとき、アメリカに「チップ不要文化」が形成されることとなり、それは巨大な文化破壊となって世界を覆うことだろう。

イコールアース図法と地球儀

4日、「国連の決議」という怪しさに注意がいる中で、世界地図表記法が、これまでのメルカトル図法からイコールアース図法に変更されることになった。

アメリカが唯一反対する中、わが国は賛成(164カ国)したという。
ちなみに、棄権は6カ国であった。

球体である「地球」を、平面の「地図」にしようとすると、それぞれの特徴からさまざまな「図法」が考案されてきた。

それでもって、「学校教育が変わる」という議論があるらしい。

端的にいえば、教室に大きな「地球儀」を置けばいいのである。

むかし、小学校に入るお祝いに、誰だかに「地球儀」をもらった。
バレーボールほどの大きさだったので、小さめではあるがこれを眺めているのは楽しかった。

しかし、軸が固定されていたので、南半球をみるには台を無視して転がすようにしないといけない難点があった。

なぜか当時のデパートの「おもちゃ売り場」にさまざまな地球儀があって、月とセットになっているタイプもあったのを記憶している。
それで、月と地球の関係も、月の裏側が見えないこともわかったものだったけれども壊れやすい感じがしておねだりはしなかった。

家の建て替え時にこの地球儀を処分の対象にしてしまったのが、いまさらに悔やまれる。

最新のハイテク地球儀は、一家に一つあると便利だろうに、購入のきっかけがないのである。

しかして、いま、「デジタル地球儀」なるアプリがある。

パソコンやタブレットで使えるから、やっぱり国連は怪しいのだ。
しかも、いまの学校は、子供に一台ずつの端末貸与まであるから、何をいまさら「イコールアース図法」なのか?さっぱりわからない。

だが、面積表示がメルカトル図法よりも実際に近くなるので、「日本は極東の小さな島国である」という恣意的な教育はできなくなるし、排他的経済水域も領海に含めると、わが国は世界6位の面積となる「海洋大国」だとしれてしまうのである。

だから、領土、領海をいかにして防衛するのか?という問題がすぐさま出てくるようになるのは、「ふつうの国」として十分意味のある教育となる。

また、「海洋資源」という観点からは、漁業だけでなく海底の鉱物資源についての知識も重要な教育課題となろう。

これらが総合的にわかる地球儀はまだ見たことがない。

その点で、教材企業には重要な商品開発のチャンスとなろう。

なので、子供には地球儀を見せてから各種の地図を参考にさせることが、おとなの務めとなるのであった。

地方が中央を刺す

現代の世界潮流として、地方選挙の結果が中央政府の転覆原因となっていることがある。

盤石な議席を確保し、PSYCHO-PASSの典型であった英国の労働党スターマー政権さえ、地方選挙における大敗北に耐えられなかった。
けれども、PSYCHO-PASSな組織である労働党は、懲りずにもっと過激な人物を首相に据えたから、いったん放出されたマグマが再び煮えくり返っていることだろう。

これよりはやく、2023年、オランダで最長だったルッテ政権(マスコミは「保守」と書く)を倒したのも、やっぱり地方選挙における与党敗北からのことだった。

英国には「保守党」があるが、この国の近代史では、「福祉国家建設競争」という愚策で、労働党と保守党が先を争って、両党がその社会主義性を保守していることが、現代の衰退の原因だとまだ気づかない。

ドイツで6日に決定的な敗北を喫したメルツ(連邦政府)首相は、これまた懲りずに「抜本的な改革が必要」と発言し、AfD排除=抜本的な改革、という、これまた民意をぜんぜん読めないPSYCHO-PASSの自滅をやっている。

もしも、ほんとうにメルツ政権が基本法第21条の発動を裁判所に要請したばあい、ドイツ人たちは蜂起するかもしれない愚策である。

それでか、かの極左マスコミの代表格たるニューヨークタイムズ紙すら、「AfDへの(排除)攻撃は逆効果だ」と主張しはじめて、「極右」なる誤表記もやめるべきだとの論陣をはりだした。

これはこれで、正解、ではある。

だが、愚かなメルツは、20日にある、ベルリン州とメクレンブルク・フォアポンメルン州でのダブル選挙を控えるなかで、有権者に怒りの爆弾を投げてしまった。
なにせ、今回連邦政府与党が大敗北したザクセン・アンハルト州議会選挙の投票率は、統一後初の「高さ」たる、8割弱を記録したのである。

ようは、無党派層が動いた、結果なのである。

この投票率の高さを左翼マスコミは書かない。
「民意」だとしれるのを恐れていることの「編集方針」なのだろう。

それでも過半数に3議席足りないAfDは、政権樹立のためにどうするのか?となっているが、はじめて5議席を得た新興政党が、来月招集の初議会で「AfD首相任命に投じる」と発表し、もはや初のAfD政権誕生が確実となった。

これが、20日の選挙に影響しないわけがない。

わが国では8日、なんだかわからない「中道改革連合」が自滅した。
この一連の騒動の隠れた原因に、政党幹部たちの独りよがり的な、つまり、PSYCHO-PASSな世論を理解できない独善があったといえるだろう。

かつての政権党からの没落を、マスコミが「野党第一党」だとおだてて支えたのも、国民向けのプロパガンダのはずが、政治家へのプロパガンダとなった。

なんだか、メルツ的なのである。

奇しくも、いま、わが国おける地方選挙として、沖縄県知事選がおこなわれている。
そして、来年の春には二期にわたる「統一地方選挙」があるので、これらはまったく、世界規模の「今様」なのである。

むろん、あと二ヶ月ない、アメリカの中間選挙が、さらなるショックを世界に与えることは確実なのである。

ときに、アメリカの大統領選挙も中間選挙も、じつは、大規模な地方選挙だともいえる。
ふつうの国の首相に相当する州知事ばかりか、両院制の州議会選挙だけでなく、もっと小さな自治体の選挙も同時にあるから、あまりの選ぶべき種類のおおさに、有権者は投票に20分ほども要するのである。

わが国のように、数枚の投票(数分で)をすれば済む、というレベルではない。

ために、トランプ氏は「推薦状」を大量にだしているばかりか、「X」にも細かく投稿して、国会ばかりか地方候補の当選を促している。

いったん流動化をはじめた流れを、そうはかんたんに止められない。

物理、だからである。

「全とっかえ」の妄想

熊本(県)や横浜(市)の事例は、おそらく全国に燎原の火の如く広がる可能性がある。
わが国の統治機構設計が全国一律の思想下で行われてきた150年があるからである。

ただし、熊本県では先に議会がやらかし、県職員出身の知事がこれに抗えずにかえって協力した構図であるが、横浜は先に市長がやらかしていたのに議会各党が「相乗り」してこれを支えたら、両者とも手のひら返しの逃げをうっている共通なのである。

なんにせよ、「二元制(首長と議会)」の設計思想は、その対立軸上の相互牽制による統制の修正を目論んだのもであろうけれど、両者がポンコツだとこうなる、という、政治史上の大コケ事例となっているのである。

そこでわが国における「二元制」の発祥は?と問えば、やっぱりGHQが登場してくる。

けれども、民主党が死んでも離さない「民主主義の世界普及」という真性グローバリズムでGHQを動かしたのは、自分たちの国でやっていることのコピーであるので、ぜんぜん違う「憲法」を押し付けたのとはわけが違う。

ただし、アメリカの「州」と日本の「都道府県」とでは、あまりにも役割がちがうので、議会も「二院制」とはしなかった。
この点で、ドイツの方が、「連邦国家」としてアメリカに近いが、歴史的に無理やり統一した経緯からのことである。

ちなみに、ビスマルクによってドイツが建国されたのは、1871年のことで、1776年のアメリカ建国よりざっと100年あたらしい。

この意味で、徳川幕府とは、全国を徳川家も含めた諸侯が治める連邦国家であったし、連邦政府としての朝廷の権力がなかったことの極限的「小さな政府」を実現していたといえる。

すると、権威を持っている朝廷側は、徳川家だけに連邦政府の役割と負担を押し付けた、ともいえるから、「バランスシート」で発想すると、損得のバランスはしっかりとっているのである。

それで、統治される側としての国民は、幕府が「朱子学」を推奨したおかげで、儒教的道徳感の絶対価値が浸透していたから、これまた「真性資本主義」を世界で初めて実現していた。

このバランスを壊したのが、貪欲限りない英国であった。

以上のようにかんがえると、地方統治の二元制は住民全員がもつ道徳感なるベースによって担保されるものなのである。

ために、大英図書館で執筆に専念していたマルクスの『資本論』や『共産党宣言』でいう主旨が、「道徳破壊」にあるのも当然なのである。

だから、本家アメリカも然り、で、地方政治における道徳感についての話が、彼の国における「キリスト教的価値観」と「これの否定」という二項対立となって、まさにマルクスの詭弁たる「階級闘争」を平面上でやっているのである。

このもっと浅はかな形が、福岡と横浜に現出した。

そのとてつもなく大きな原因が、日本人多数の儒教的道徳感の喪失、であるとかんがえる。

むろん、自然に喪失したのではなく、合理的にそうなるようにさせられたことの結果である。

そこにいまもGHQの存在が横たわっている。

てなことで、首長と議会議員の「全とっかえ」が、現実にはもっとも有効な方法なのだと妄想できるのである。

それを、民意、でやれるのか?が、有権者に問われている。

日本は統一国家ではない

わが国は、明治以来、律令時代的「中央集権」とはなったが、「統一国家ではない」ことが福岡県議会の件からみえてきた。

これは江戸期の「藩政」がいまも継続中、ということではないか?

『福岡県の歴史』をみると、いまさらにその土地の「歴史=住民感覚」が当然のように「風土」を形成するとかんがえれば、妙に納得するのである。

関東者のなかでも、生まれも育ちも横浜のわたしは、いわゆる「どこの馬の骨」だかしれない、「流れ者」の子孫(父方の祖父母は川崎の庄屋と武士、母方の祖父は群馬、祖母は茨城の農民)であるために、「藩」のエリアのなかで数世代以上も暮らしてきたひとたちの心情がどんなものかをじつはしらない。

しかも、福岡県は九州なので、まったくわたしの人生においては「化外の地」にひとしく、ビジネス出張以外で何回も訪問した以上の、観光すら、まともにしたことがない「よそ者」である。

だから、福岡県の歴史の話題も、どこか他人事のような気がしながらも、構造的な発想をすれば、「中央集権国家」になっても「統一国家ではない」ようにおもえてならないのである。

これはこれで、わたしのビジネス人生体験からの実感としてある。

それは、たとえば、とある地方の観光ホテル経営再建にあたって体験した、その土地独自の「雇用環境」が、まったく「労基法に抵触している」事実の例があるからである。
社会保険労務士に質問しても、たまたま当該地方の大手企業幹部にあった先輩に尋ねても、答はおなじで、「気にしないこと」だったのである。

ようは、法律が公然としてまもられないことを「ふつう」としている地域が存在する。

しかしながら、わたしが体験したのはなにもこの地域のことだけではなく、東京=中央を離れれば離れるほどに、独特の「法」があることをしった。

それが、狭い地域での「掟」の集合体であることもあるから、全国どこにでもみられることだろう。
だから、地方議員はもとより、国会議員とて、その土地の代表として振る舞うのは、職務上の義務となるのは、これまた当然なのである。

そんなわけで、全国一律金太郎アメのような社会構造は、この国には完成していないし、「風土」があるからずっと「未完」のまま永遠に続くとおもわれる。
さらに昨今、自民党が呼び込んでいる「外国移民の増大」で、「未完」どころか「破壊」が進み、より全国一律金太郎アメとはならないようにしているところがミソである。

福岡県の方には申し訳ないが、まずはザックリと4地域があると認識する。
・福岡藩(黒田藩:外様)
・小倉藩(細川⇒小笠原:譜代)
・久留米藩(有馬:譜代・親藩)
・柳河(川)藩(立花:外様)

かんたんに俯瞰すれば、幕府の分断策がここにもあって、親藩と外様がしっかりからみあっている。
これだけで、遠く横浜からも、4枚のパッチワークとしての印象を得るのである。

ちなみに、東京日比谷の帝国ホテルは黒田藩の上屋敷跡で、正面玄関左手の通路奥に藩邸からの井戸が丁寧に残されている。

建前としての「中央集権国家」ではあるが、その実は無節操な現場任せがある。
この点で、歴史も人間(部族や民族)が複雑なドイツが、連邦制なのは「地域」の方が国家よりも優先されることの潔さともいえる。

つまり、わが国も、実は「国司」の時代が崩れて以来、ずっと連邦制であったことの残滓どころか実態があるのだ。

この点、三多摩地区を東京に引き渡した現在の神奈川県でも、旧藩が三つあった。
・小田原藩
・荻野山中藩(小田原藩の事実上の支藩)
・武蔵金沢藩(いまの横浜市金沢区)

これ以外は天領(旗本知行地含む)か寺社領であったので、実は神奈川県も住民感覚はバラバラなのである。

ゆえに、もっとバラバラなどこぞの馬の骨が集まった横浜市では、明治末期から大正期の「心の絆」として流行った「歌」(「民謡」、「童謡」も「社歌」もこの時期に盛んにつくられた)による市民感覚の統一方法としての「横浜市歌」がもっとも強力な市民団結のしるしとなっている。

これが、目ざとい「DeNA社」の元で、プロ野球「横浜DeNAベイスターズ」の応援歌にも応用されているのである。
だが、元寇の歴史を歌詞にした「福岡市歌」が、福岡ソフトバンクホークスでは採用されないのは、かえって福岡藩以外の旧藩の影響が強い土地柄からだともかんがえられる。

なんにせよ、自民党の党組織自身が全国統制に失敗していることを、自民党福岡県連が示したことは、ひとつの画期ともいえるわが国近代の化けの皮を剥がしたことは確かである。

これと、ほぼ同時期にドイツの地方州における「叛乱的」なAfDの大勝利が、今月20日の次の選挙、ベルリン州とメクレンブルク・フォアポンメルン州でどうなるのか?が世界的な注目を集めているが、あんがいと「福岡の乱」は、日本史的な意味があるとおもわれる。

AfDは「極右」なのか?

ポリコレに走るマスコミは、かつて自制していた「用語の厳格運用」を棄てて、煽動的な用語を勝手に使う政治活動をやっている。

たとえば、「ファシズム」と「ナチズム」とのちがいを述べよ、といわれて即座に回答できるひとはすくないだろう。
どちらも「極右」の範疇にあたると見られているが、わたしは「極左」の変化形だとかんがえている。

「ファシズム生みの親」たるムッソリーニは、共産党より赤いとされたイタリア社会党左派から除名を喰らうほどの極左であった。
一方の盟友、ヒトラーは宿敵スターリンとの支持層争奪戦を行ない、「国民社会主義ドイツ労働者党」を設立した左翼である。

ムッソリーニもヒトラーも、スターリンも毛沢東も、全員が左翼=共産主義=全体主義の共通をもっている。
ようは、個人の自由の制限がこれらの共通なのは、全体に個人が従うことの強制こそが支配のセオリーであるからだ。

だから、AfDだろうが、マリーヌ・ル・ペンの国民連合だろうが、真っ先に見るべきポイントは「全体主義か?否か?」に尽きるのである。

すると、これらにあるのは「個人の自由の尊重」だと気づくから、明らかに「極右」どころか、真の「リベラル(「自由」という意味)」だとわかる。

このことが、「エセ・リベラル」すなわち本当は全体主義の親派たる社会主義者たちをさす「リベラル」の化けの皮が剥がれるので、世界の左翼マスコミ=政治活動家たちは、都合のよい用語としての「リベラル」を死守するためにあえて見当違いの「極右」として宣伝しているのである。

つまり、AfD=極右と書くマスコミは、自分から自分の立場を告白しているのである。
そして、「偏向報道」を厭わない姿を晒しているから、まったくおめでたい。

わが国のマスコミは全部がこれにあたっている。

すると、これは業界内での「カルテル」なのか?と疑いたくなり、誰がその用語の統一を図っているのか?が気になる。

共同通信かNHKを先ず疑いたくなるが、もしや黒幕は自民党が支配し続けている総務省ではないか?ともおもえるのである。
むろん、世界のマスコミが「極右」というのであるから、わが国のマスコミは単に「翻訳」しているだけ、かもしれない。

なんにせよ、AfDはこの度の選挙で「単独過半数」を逃した。

さてどうなるのか?という局面になっている。

AfDの勝利か?敗北か?

EU(選挙で選ばれない官僚たちによるEU委員会)が仕切るヨーロッパでは、「民主主義」の名の下に、さまざまな怪しい政治行動(全体主義)が許される土壌を形成している。

加盟国家における国政選挙で、アメリカ民主党式EU介入の不正が疑われているのは、直近ではハンガリーのオルバン政権が崩壊したこともあるし、スロバキア大統領選挙で一回目投票で最大の得票候補が二回目の出馬を禁止されたり、モルドバの大統領選挙における「疑似バイデンジャンプ」があったこともあるが、それぞれで忘れるように仕向けられている。

フランスでは、マリーヌ・ル・ペンのEU議会議員への支給金に対しての国内流用問題という、じつは制度設計からして運用と解釈の幅に問題が指摘されている「事件」で、政治弾圧として予想通りの有罪となって、第一審では事実上の「(大統領選挙)立候補禁止」の判決をうけたが、二審でこれが緩み、「出馬可能」となった薄氷状態があった。

そのフランスとEU域内二大国として存在しているのが、ドイツだ。

ドイツは、「ナチスへの反省」という戦後政治的な正義から、基本法(「憲法」にあたる)第21条には、「政党違憲(禁止)」の条項がある。
これは、民主主義を守るため、つまり予防的に、民主主義の敵の行動を制限・排除を可能とするものだ。

こんな条項は、困ったことに、ナチスが政権を得たのは、「選挙での勝利」だった歴史的事実があることでの「苦肉の策」なのである。
ようは、ドイツ国民は、民主主義でナチス政権をつくったのだけれども、戦後民主主義は一方の主権者たる国民大衆を免責(被害者)にしたから、責任者不在の矛盾を抱えることになったのである。

この(甘えの)構造は、まったくわが国もおなじである。

悪いのは政府・議会や軍部であって、それらを全面的に支持していた国民は戦災の被害者となって、GHQはあっさり日本国民を免責にしたばかりか、国家管理を強化したNHKに『真相はこうだ』なるプロパガンダ放送をやらせ、被害者気分を完全なものとして今日にいたるのである。

社会現象として、元若手将校や兵隊から転じた「愚連隊」が闊歩したのは、そうした社会的巨大インチキ詐欺に対する、個々人の行き場のない抵抗であったとかんがえる。
それから戦後ヤクザに転じ、ふたたび権力と結託する者たちが仕切る社会となったのは偶然ではない。

そんなわけで、旧東ドイツの統制がとれた見事な社会主義を経験した、真性左翼を熟知したひとたちが暮らす地域から、真逆とみられる「AfD」が誕生したのは、これまた社会的な物理学の必然といえよう。

しかし、彼らAfDは、戦後的なもの、ではない。

よって、未来をみないで、過去をみるものたちには「ナチスの亡霊」がみえるのだろう。
これはこれで、一種の「戦後思想と秩序」に洗脳された挙げ句の「お化けがみえる」現象なので、戦後思想と秩序こそが「カルト」だと証明している。

よって、カルトにはまったドイツ上層階級は、真剣に、民主主義を守る予防的措置としてのAfD排除を要求しているのである。
それは、彼らの絵に描いた餅たる戦後思想と秩序が、鏡像として確認できてしまうことの恐怖にちがいない。

そんなAfDの国民からの支持率が上昇をつづけ、とうとう第一党の地位を盤石にしはじめた。

6日に予定のザクセン・アンハルト州議会選挙では、おそらくAfDの大勝利となり、場合によっては「州首相」が誕生する可能性がある。
ドイツの16ある州で、「州首相」とは、「州大臣」とともにそのまま「連邦参議院議員」となって国会に議席をもつばかりか下院への拒否権さえもっている。

基本法第21条の発動には、連邦最高裁への提訴が必要で、提訴ができるのは政府と議会だけである。
つまり、メルツ政権が渾身斬りの一撃を開始するのか?に注目されるが、比較第一党を「民主主義の敵」として、裁判所が認定するかも疑問なのだ。

まだ本稿執筆時点での選挙結果は不明だが、予想通りAfDの大勝利ともなれば、なりふり構わず「戦後思想と秩序」を振りかざす者共による、大弾圧がはじまって「AfD禁止」なる大敗北にもなりかねないのである。

わが国が福岡県と横浜市から崩れはじめ、沖縄(知事選挙)決戦となっているのに対し、おなじ敗戦国のドイツでは、敗北が先立ったごとく「先行して」民主主義という欺瞞による社会弾圧の危機が迫っている。

はたしてそれは、メルケル長期政権がやった、ドイツ経済破壊の成果でもあるのだ。

自民党長期政権とは、メルケル政権のコピーであった。

地球活動の禍とデジタル・タトゥー

現地時間の8月26日午前8時37分頃、ネパールとチベットの国境にある標高5200メートル付近の斜面が崩壊し、未曾有の土石流による大災害をもたらした。

先ずは犠牲者と関係者の皆様にお悔やみとお見舞いを申し上げたい。

わが国では、骨髄反応的およびポリコレによって、「地球温暖化が原因」との説が流布された。
いま、これが、デジタル・タトゥーとなって、恥ずかしい記録になろうとしているから、書いておく。

なお、1日、ネパールのシシル・カナル外相が、「原因を温暖化だとして、温室効果ガス主要排出国である中国、米国、インドに対して補償を求める」と引き続き読売新聞が懲りずに伝えている。

パキスタン外相としての「政治発言」と、区別がつかない記事とは、いったいなんなのか?
記事を出す元の発想が「政治」だからであろう。

はたして、ヒマラヤ山脈の標高5200メートル付近の気温はいかほどなのか?と素人でもかんがえるポイントである。
小学校で、100m上昇するごとに気温は1度さがると習うから、単純に地上との比較で52度低いはずとなる。

もし、地上が45度の酷暑でも、現地は氷点下7度はあるはずなのだ.

また、海水とちがって、山に積もる雪からなる氷河は、真水、なので、基本的に0度で凍ることも小学校で習う。
なので、まず、どうして標高5200メートル付近の氷河・氷塊が温暖化で「溶ける」ことを原因とする説がでるのか?小学生にわかる説明がほしい。

すると、早速に、衛星からの地形情報分析(アメリカのランドサット衛星の精度は、いま、ミリ単位である)が報じられるようになって、どうやら「地殻」が動いたことが原因のようなのである。

『日本沈没』(1973年12月29日公開)で一躍有名になった、大陸移動説では、元はそれ自体が強大な島だったインド亜大陸がユーラシア大陸にぶつかってできたヒマラヤ山脈は、いまでも年間数ミリ隆起している。
それに、崩落現場付近ではマグニチュード5クラスの地震がよくおきることでもしられている、とのこと。

つまり、氷塊の下にある岩盤が先に壊れて、その上にある氷塊ごと大崩落した、ということになるから、「温暖化説」が吹き飛んだばかりか、デジタル・タトゥーと化したのである。

温暖化を推す学会・学術関係者あるいは知ったかぶりの評論家という「政治家たち」からしたら、これぞ「大崩壊」ではないか?

ときに、世界一隆起しているのは、わが国の南アルプスで、年間3~5ミリのレベルなのである。
これは、南アルプスが伊豆島の本州衝突によってできた、という、過去形ではなくて、まだとまっていないでプレートが押し続けいていることでおきている。

地球内部の対流起でおきるプレート移動は、基本的に「止まらない」のである。

人間の感じる時間と地球活動の時間軸のスケールがちがいすぎる。

中央リニアが、この真下に掘ったトンネルを時速500㎞で疾走することの安全性が心配されている原因だ。

しかして、温暖化説を口にしたひとたちの「恥」とは、勇み足で済む問題ではないけれど、それがこんなにも早く「お笑い種」になるとはまったくの『お富さん』なのである。