たまたまだとおもうが、国を離れたふたりの「訃報」がネット上で話題を呼んでいる。
ひとりは、声優の大山のぶ代さんで、もうひとりは、ペルーの元大統領だったアルベルト・フジモリ氏である。
あれ?
このふたり、ずいぶん前に訃報を見聞きしたような?
おなじ「記憶」のあるひたちが、ネット界隈で「?」をコメントしているが、そうでない「反論」もある。
その根拠が、「Chat GPT」とか「ウィッキ」とかという、不正確も甚だしい情報源ばかりを信じるものばかりなので、余計に怪しいのである。
それで、いくいつかみつくろって別のA.I.に質問すると、大山さんは2016年に亡くなっているとかと出てくるし、フジモリ氏も弔い合戦で娘のケイコ氏が大統領選挙にでたのではなかったのか?
だから、感覚的には、こんな時間経過の「感じ」がしっくりすると書き込むひとが多数いる。
「マンデラエフェクト」か?
これは、ネット上の「スラング」といわれ、多数のひとがおなじ勘違いの記憶をもっていることをいい、ひいては量子論と結びつけて説明する者もいる。
いわゆる、「パラレルワールド」のことである。
人間の記憶は、脳がコントロールしている。
その脳とは、生体の量子コンピュータではないか?と唱えたのは、あのニュートンの席にすわっているペンローズ博士である。
だれもが、「思い込み」を経験するが、これは脳が勝手に記憶をつくることから生じることだというのもわかっている。
すると、不特定多数のひとが、ほぼ同時におなじ勘違いをする現象はどうして起きるのか?
おそらく、信じるものが自分だけになっていることが根本原因なのではないか?
とくに、マスコミを信じない、ネット上の検索エンジンを信じない。
これらは、編集されているからである。
マスコミは原始的な方法、すなわち人間の組織のうちで、権限がある者によって編集され、それがその組織内だけでひとり歩きをはじめるものだが、検索エンジンは、人間が意図して書いたプログラムによって編集されているというちがいはあるけど、けっきょくはどちらも人間がしっかり意図的に関与しているという共通がある。
つまり、こうした人為にたいする疑念を、脳がなんとかしようとして物語を書き出すが、そのネタがまたどこかにある共通の記憶を原材料としているのだろう。
すると、おかしいのは、A.I.の回答だ。
ところが、無料で提供されている各種A.I.をためしてみたらわかるが、あんがいとこれらはウソをつく。
勝手に物語をつくりだす、のである。
これはこれで、当然だ。
なにしろ、人間の脳を科学して設計されたのがA.I.だからだ。
すると、A.I.は、大山のぶ代さんの訃報の記録を、なにをもって書きだしたのか?という、あたらしい疑問がわいてくる。
最新の科学によれば、この世の中のすべてはホログラムのような幻想だというし、時間も存在しないならしい。
それがまた、こうした先端科学の研究者を、仏教の信徒にさせるのだ。
開祖、ゴータマ・シッタールタは、キリスト教のイエスとちがって、遺骨が発見されたことから実在の人物であり、誕生がキリストを起点とする紀元前5から6世紀というから、紀元(後)1世紀に書かれた最初の『新訳聖書』よりも、最大で700年早い。
その「宇宙論」が、最新科学と合致することが研究者を引き込むという。
すると、このうつろいゆく世界は、やはり幻なので、「物故する」ことも幻のなかにふくまれて、いつだっておなじなのだという無常そのものなのだ。
『レ・ミゼラブル』とは、「ああ無情」と訳された。
その無情ではなくて、常に存在のない「無常」である。
『ドラえもん』といえば大山さんの声がインプットされているが、最期に「無常」までセットされたのは、ふたりの藤子不二雄と大山さんのおかげだった。
合掌。