悪政競争

善・悪の定義について、日本人は儒学からの影響を強く受けてきた。

そのエッセンスのひとつである、「経世済民」(世をおさめ、民をすくう)というかんがえが貨幣の流通が浸透した江戸期に流行って、それから「経済」になったのである。

このベースに、幕府が推奨する「朱子学」があった。

もちろん、幕藩体制の維持に都合がよいことに推奨の第一の理由はあったろうが、上からの影響を庶民が無視できるはずもなく、日本社会の「道徳」としての素地ができたことはまちがいない。

それで、幕末や明治のはじめに来日した欧米人を驚嘆させる、「文明人としての日本人」がおおくのエピソードとともに紹介されたのである。
イザベラ・バード『日本紀行』や、シュリーマン『旅行記 清国・日本』が有名どころである。

こうした日本礼賛本を、学校教育では習わないので、戦後のおおくの日本人はしらないままに成人し、物故している。

なぜに教えないのかといえば、GHQが定めたWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)が、相変わらず効いているからである。
つまり、日本人は日本政府による反日教育にサラされている。

文化大革命の嵐では、すさまじい「孔子批判」が巻き起こった。

それで、儒学をふくむ伝統文化破壊こそがただしい革命的態度ということになって、いまでも少しは「漢詩」を暗記させられる日本の高校生とはちがって、ぜんぜん読めないことになったのである。

もちろん、物的な歴史遺物も破壊の対象になった。
このなかに、「漢字」もあって、「簡略字」が記号となって久しいので、台湾で採用され続けている「旧漢字=繁体」をみてもわからないようになっている。

逆に、韓国では「漢字廃止」をやって文体のぜんぶをハングル表記にしたので、漢語由来の同音異義語の区別がつかず、漢字を残している「北」と、論理的な思考での応酬に太刀打ちできないようになった。

こうして、むかしは「善政競争」を促しながらも、それでも最後には滅亡することを繰り返してきたが、いまでは「悪政競争」をもって選挙で勝とうとする倒錯が蔓延している。

むかし、カレル・ヴァン・ウォルフレン著『民は愚かに保て』という本があったけれど、これはなにもわが国のことだけを指すのではなくて、西側社会全体にいえる「論」になったことが注目される。

すると、「愚民化」政策という悪政が、いまや世界共通のスタンダードに見えるのは、前に書いたように『共産党宣言』にある政策を忠実に実行した成果だといえるのである。
つまり、ここから抜け出すには、共産主義からの離脱がひつようであるから、「毒抜き」としての『裸の共産主義者』ぐらいは読んでおこう!ということの主張に変化はない。

19日、参議院東京選挙区から、参政党公認でシンガー&キャスターの「さや」氏が立候補表明したときに、彼女が口にした「政治に無関心でいられても、無関係ではいられない」は、悪政競争からの離脱宣言であった。

けれども、悪政競争をうながすメディアは、無視を決め込むのである。

これはこれで、世界潮流なのではあるが、19日、アメリカではトランプ氏が200億ドルの損害賠償と、放送免許剥奪を訴えていた、CBSテレビのCEOが辞任したことを、20日付けブルームバーグが伝えている。

トランプ氏の訴えは、昨年の大統領選挙期間中に同局が放送した『60Minutes』に出演したカマラ・ハリス候補へのインタビュー内容が、「捏造=選挙介入した」というもので、放送免許剥奪ともなれば親会社=株主の利益が失われるとした、パラマウント・グローバルからの圧力だという。

この件では、すでに4月22日に同番組担当のエグゼクティブ・プロデューサーが辞任しているが、「捏造の証拠」がハッキリしたために、経営陣へ責任問題が波及したのであろう。

なんにせよ、アメリカ人の内共和党支持者は、テレビ報道を信じないと答える者が9割というありさまで、すでにテレビの報道番組は「エンタメ以下」の位置付けにある。
なので、まともな人物は、コメンテーターとして発言することもキャリア上の「リスク」になっているから、出演拒否することが「一流の証」になっている。

日本では、研究費というカネに目がくらんだ「一流大学」の教授職の肩書きをもつ人物たちが、クズな解説を垂れ流しても責任問題にすらならないのは、高校生が志望大学をきめる根拠が「偏差値」だけになって、どんな学問を誰から学びたいとかんがえるのか?が完全欠如しているための「安全地帯」が形成されているからである。

しかし、時差はあっても確実に、アメリカの影響を受けるのが日本という環境なので、これら教授たちの末路もまた、将来の楽しみ(=エンタメ)になっている。

歴史的なトランプ減税法案の下院通過と宇宙論

22日、わずか1票差というギリギリで通過したのが、政権公約のなかでも重要度の高い「減税法案」である。
この法案には、トランプ政権1.0時代の「期限付き減税」を恒久化させる内容も含まれているため、「総仕上げ」的な意味もある。

しかし、タイトルにもつけた「歴史的」だということの意味は、とにかくその減税規模の「巨大さ」だからである。
これまでの「歴史的」は、80年代のレーガン減税のことを指す。

レーガン政権の功績では、「マルコム・ボルドリッジ賞」の創設があった。

ときの商務長官の名前を冠するこの賞は、制度設計の途中で事故死した不幸を慰める意味もあるが、本質は「経営品質」という概念における顕彰を意図したもので、単純に日・独の製造業にかなわないことを嘆くようなヤワな賞ではない。

むしろ、この賞の創設に刺激されて、いまのアップル社からはじまるアメリカ・テック企業の復活があったことに注目したい。
それで、GAFA+M(マイクロソフト)ができたから、日本の「もっぱら作るだけ」の製造業とは別次元を達成したともいえる。

しかし、これら企業の成長・躍進を税制面で支えたのが「レーガン減税」だったのである。

トランプ減税は、より大きく・広く、その恩恵を国民に還元することを目指し、もうとっくに経済成長の要となっている「個人消費」の拡大を意図している。
個人経済を痛めつける消費税をぜったいに減税しないと断言する、与党幹事長とは真逆の発想なのである、

異例なことに、下院議長の許可がないと敷地内にも入れない大統領が、直接に議会共和党の面々と「交渉」して、この法案通過のための努力をしたことだ。
それでも、2名の「造反」があったことは、「財政規律」という枠の思想がいかに強固かを世界にしらしめたのである。

これが日本なら、「党議拘束」という全体主義の発動で、造反しようモノなら即座に党籍を除名され、次期選挙には刺客が擁立されることとなる。
ところが、これを「禁じ手」として我慢するのが、アメリカのやり方なのである。

そんなわけで、この政権の浮沈を決める重要法案は連邦上院へ送付された。

下院より厳しい議席配分なので、はたして無事通過するのか?はアメリカ人ならずとも気になるのは、日本政府の辞書に「減税」なることばがないからである。
少なくとも、「自・公・立憲」政権には、ない。

あるのは、「財政規律」の最優先であって、そのための「増税」なのだ。

しかして、トランプ政権2.0の減税が、どんな効果を経済に及ぼすのか?は、いまのところ「社会実験」に近い状態にある。
主流派経済学者のいう常識では、成り立たない「はず」だからだ。

社会科学の最弱点がこの無闇に「社会実験」ができないことなのである。

一方で、実験そのものが困難な自然科学の分野に、「宇宙」がある。
最新のジェームズ・ウェブ宇宙望遠鏡の観測で、これまでの常識が疑われはじめたけれども、地球から遠い銀河の「赤方偏移」による、宇宙の加速度的拡大についても、最新の学説が発表されて宇宙論に混乱がひろがっている。

それは、なんと、この宇宙全体が自転している可能性で、そのスピードが一回転に5000億年かかるという壮大さなのである。
この理論を用いれば、「ダークマター」や「ダークエネレルギー」といった未知のものを使わずに様々な問題が解けるという。

そして、驚愕すべきは、この宇宙そのものがブラックホールだという論なのである。

ビッグバン理論からすれば、宇宙の誕生からぜんぜん5000億年も経っていないので、まだ一回転もしていない。
しかし、ブラックホールが超巨大星の超新星爆発によってできるなら、この宇宙は、とてつもない超新星爆発で生まれたのかもしれない。

そんな情報と並行して、超大型減税なる議論の小ささをかんがえると、人間というのは、じつに小さな生き物だと改めておもうのである。

トランプ減税が、アメリカに歴史的な経済繁栄をもたらすことになったら、主流派経済学という分野も吹き飛ばし、その恩恵にわが国もあずかることになる。

宇宙がブラックホールだという「論」は、観測不可能=証明できないという致命的な問題があるけれど、トランプ減税の効果は観測可能なのである。

恐慌=パニック・習近平失脚の夏

日本のメディアもとうとう報じ始めたので、書いておく。

きっかけは昨年夏の、北戴河(ほくたいが)会議における、脳卒中を起こしたということになっているけれど、脳卒中を起こしたきっかけが、長老たちによる厳しい突き上げであったのではないか?

習近平は、毛沢東を信奉する人物でしられる。

なので、毛沢東とは何者か?ということになるわけで、いわゆる「親中」の本質そのものにかかわる問題になるのである。

失いつつある権力を再奪取するために仕掛けたのが、あの「文化大革命(「文革」という)」(1966年~1976か7年)であった。
若い紅衛兵たちが、赤い表紙の小冊子『毛沢東語録』を掲げて、「造反有理」を叫びながら、守旧派を次々と人民裁判にかけて暴れまわったものである。

これを、当時のわが国の左翼・マスコミは、やんやの喝さいで書き立てた。

終結した年が、1976年なのは毛沢東が亡くなったからで、77年説はそのあとも1年間は「慣性の法則」がはたらいたとするものである。

なんにせよ、当時の日本の「文化人」たちは、毛沢東を賛美していた。

しかし、その後、「四人組の失脚」から、鄧小平の「改革開放」へと大きく舵を切ってからの「親中」とは、まったく別の意味をもつようになった。
つまるところ、毛沢東は国を貧しく保つことが共産主義(党)発展の条件だと思考したのに対して、カネこそが党人の得るべき最高価値に切り替わったのである。

そこで、共産主義の理想に燃える習近平は、阿呆を装って、鄧小平➡︎江沢民➡︎胡錦濤らからの「後継者」となるまで臥薪嘗胆して、いったんその地位に就くや「独裁体制」を構築しだしたのであった。

ときに、カネに目がくらんでいるアメリカ民主党(=共和党主流派=ネオコン=戦争屋=グローバル全体主義)は、中国市場という伝統的幻想にとらわれて、「所得が増えれば民主化する(はず)」という政治スローガンをあみだし、かつ、永遠の敵国たる日・独の「刈り取り」を国家戦略としたのである。

歴史の「もしも」で、日本が「南満州鉄道(「満鉄」)」の運営利権を、アメリカ大陸横断鉄道で「鉄道王」といわれたハリマンと組んでいたら、第二次大戦の悲劇にならなかったのでは?という論があるけれども、「鉄道利権=沿線開発」とみれば、そんな甘いものではない。

鉄道運送業しかできなかった「国鉄」が、JRになって「鉄道利権の規制撤廃」でどうなったかをみれば一瞬いけそうだが、人口密度に依存する鉄道が、航空機の登場からその後の衰退(アメリカ大陸、北海道・九州・四国)をみればわかるだろう。

トランプ政権2.0が、「テキサス新幹線」への補助金を打ち切ったことがニュースになったが、その前に日本の「官民ファンド」が、撤退しているだけでなくすでに債権回収の動きとなっている。

さて、カネもうけに邁進した彼の国は、「党」が政府を完全支配するために、およそ「国=政府」という見方をしてはならない体制である。
すなわち、1億人あまりの党員が「大富豪」になり、3・4億人の経営層が「富豪」となって、それ以外は「奴隷」のままにおかれている。

「大富豪」は日本人の富豪よりも多くの資産を持ち、「富豪」は、日本人の一般人をとっくに凌駕する資産家である。
つまり、日本人はすでに「奴隷」並という状況にあるのは、「自・公・立憲」政権の「成果」なのである。

しかし、トランプ政権2.0による「関税」と、コロナ禍の原因(巨額の損害賠償請求のほのめかし)とのダブル・パンチで、習政権ではアメリカにやり込められる恐怖が起きたと想像する。
それで、恐慌=パニックに陥ったのは、「大富豪=党幹部」たちなのである。

彼らがなにに怯えているかといえば、おそらく、アメリカに構築した「多大な個人資産」が、トランプ政権2.0によって制裁・凍結される可能性の恐怖=パニックにちがいない。
しかし、だからといって政権交代させても、トランプ政権2.0からのリスクが消えることもないから、恐慌=パニック、なのである。

この集団心理による政変は、はたして成功するのか?

フランクルの名著、『夜と霧』をいかほどの党人が読んでいるのかしらないが、このアウシュビッツの生き残りにして臨床心理学者の発見が、役立っているようにはみえない。

人生の目標はなにか?を、精神の高さ、あるいは、善意といった観点から誤ると、残念が残る、と書いてあるのである。
しかしてこれらを、共産主義(党)という邪悪(自分さえ良ければそれで良い)に染まった者たちに要求すること自体が、矛盾しているのであろう。

トランプ政権2.0の大目標は、ロシアを中共から分離させることにあったが、中共側が勝手に動きだしたので、しばらく放置するのだろう。
それで、国際的な中共への投資を制限すれば、自滅するやもしれない大チャンスが到来した。

一方で、カネに目がくらんだわが国の「自・公・立憲」政権は、こうした大変化の兆しにまったく鈍感な風情なのである。

まずは軍権を失ったとされる習派は、どんな反撃を試みるのか?
あるいは、このまま消えてゆくのか?
毛沢東が、「文革」をはじめたようなエネルギーがまだあるのか?どうか?は、外部からはわからない。

しかして、歴史が繰り返されていることは確かなのである。

最終兵器「小泉進次郎」の登場

21日、無能な江藤拓農林水産大臣が事実上「更迭」されて、まさかの自民党農林部会長経験者の小泉進次郎なる無能が同日、速やかに後任として就任した。

こうしたことだけは手際の良さを示した石破内閣だが、さすが自民党という政党の慣れた手つきをみさせてもらえたのであった。

江藤氏のトンチンカンな発言は、「ヒール役」としてのものだったろうが、いかにも「米を買ったことがない」発言は、阿呆でも気にさわるリング上の暴言なのでタオルが投げ込まれて試合が中断したようになったのである。

けれども、これは「最終兵器」登場のための、仕組まれた「セリフ回し=演出」ではないのか?と疑うのである。

トランプ関税交渉が進まないのは、「消費税=貿易補助金」と定義しているトランプ政権2.0の主張を完全に無視した対応からの当然だから、どうして日本がリングに乗らないで場外乱闘をひとりでやっているのか?トランプ政権2.0からは理解不能かもしれない。

しかし、「売国=国力低下」を徹底して実行する「自・公・立憲」政権は、民主党のアメリカが定めた「グランドストラテジー」に忠実な対応を愚直に推進しているという「健気さ」の自己満足によるだけでなく、アメリカ人の富豪たちを儲けさせるという「エサ」によって、さらなる国力の衰退をやっている努力に気がつかないのか?という焦りを伴う怒りがあるのだろうとおもわれる。

だからなにがあっても「消費税減税はしない」という覚悟の表明を、自民党の幹事長が繰り返すのは、貿易補助金なぞという狭量なことではなくて、「日本経済の貧困化」こそがあなた方アメリカの要求ではないか?その言いつけを遵守しているわれわれの努力をこれでもわからないのか?というイラつきにも聞こえる。

われわれはしっかり、きちんと、抜け目なく、日本人を貧乏にさせているではないか!

それでも政権与党であるのは、これまでのUSAIDやらからの資金によってマスコミを手懐けた成果だし、これからも変わらないから、愚民たちは自民党に政権を与え続ける、という確信があるのである。

もちろん、こうした判断には専門調査会社をつうじた最新の世論動向でも、今夏の参議院選における議席減はわずか「五議席」にすぎないという報告があるし、まだまだプロパガンダの徹底による世論操作をおこなえば、「大敗」なぞはあり得ないとかんがえているのである。

なにしろ、大成功をおさめたのは、あの小泉純一郎政権時の「郵政選挙」であった。

「売国一家」としての小泉家は、初代が東京大空襲やらの責任者だったカーチス・ルメイ空軍大将に日本政府が「勲一等旭日大綬章」を贈ったことからもわかるように、「戦犯」としての犯罪を暴くのではなく、無垢の日本人一般人を焼き殺した張本人を礼賛する神経の持ち主である。

そんな家の二代目は、郵政選挙で愚民大衆(B層)を煽動し、日本国民の「郵便貯金」と「かんぽ」を、アメリカの金融資本に売り渡したのである。
キックバックがどれほどであったかは、寡聞にしてしらないが。

それで、三代目は、ポエムを得意とする「無能」でしられるが、あまりの無能ゆえに自分のかんがえをポエムにして詠むことぐらいしかできないけれども、周辺のいう通りさえすればなんとかなることだけはしっている。

こんど小泉家が売り渡すのは、「農協」だろう。

ただ「農協」といっても、その顔は多面的である。
農産物を作るための機械や肥料・農薬の販売と、米を含むできた農産物の販売は「全農」の基幹だから当然として、じつは収益の大部分は、「金融面」にある。

これを「JAバンク」というが、細かく分ければ「JA共済」、「農林中金」のカネがターゲットとなるはずだ。
ことに、農林中金が数年ごとに兆円単位の損を出すのは、外国の助言者のいうなりだからではあるけれど、一応業界では「世界最大のヘッジファンド」との位置づけがある。

父・純一郎がまんまとやった成功の「二匹目のドジョウ」がこれである。

それで、アメリカから「カリフォルニア米」を大量に買い付けることをやるはずで、トランプ政権2.0に揺さぶりをかける作戦であろう。
民主党の牙城、カリフォルニア州に、共和党の影響力を示す大チャンスなのである。

じつは、70年代までのカリフォルニア州は、圧倒的に共和党の票田だったが、レーガン政権を騙して、移民への選挙権を認めさせたことで逆転しいまに至っている。
大統領選挙における大票田としてのカリフォルニア州が、もしも共和党に戻れば、民主党から大統領が誕生する可能性は未来永劫なくなるのである。

よって、悪魔の子ダミアンのごとく、進次郎のボケをかました顔で誰かに取り憑かれたことをやらかすのだろう。

しかして、トランプ政権2.0は、この悪魔の子とどんなディールを展開するのか?ということになりそうなのである。

それはまた、日本の農業(食糧と食料)生産そのものの滅亡を意味するのだが、小泉家にとってはどうでもいいことなのである。

出勤拒否症の蔓延

文部省と日教組が、戦後GHQの指令とその遺言の着実なる実行で作り上げた、「管理教育」の漏れなき完膚さが、小学生をして登校拒否に追い込む事態を生み出したのは周知の通りである。

60年代の終わりから盛んになった、大学紛争が、高校生にも転移した。
それから、中学生が校内暴力に走って、最後に小学生が登校拒否するという順番になっている。

『3年B組金八先生』は、79年の放送からはじまったので、校内暴力真っ盛りのわたしの時代よりも「新しい」のが特徴である。
それゆえに、個々の事件の背景が、ずっと複雑化している。

この子たちは何に不満で暴れているのか?

思春期のなかの「反抗期」と併せて、まだ対処の方法が教師に見えていたわたしの育った時代とちがって、子供の側の理由も複雑化し、教師の側(教育委員会)の管理も強化=無責任化するという、さらなる複雑化をしながら育った「優秀な」ものたちが、いまは新卒採用で「教師」になっている。

この意味で、わたしは1972年から放送された『中学生日記』の中でドンピシャの中学生時代を経験した世代にあたるが、卒業してからは観なくなったので、2012年までも続いていたことに驚く。

中でも、風間先生役の湯浅実氏が、まさに「担任」だったのだが、それでも口髭があることが、違和感だった時代である。

日曜日の昼下り、どの友人宅に遊びに行ってもこの番組がブラウン管に映っていて、なんだか一緒に観ては現実とのギャップの談義をしていたのが懐かしい。

本物の現役中学生には、子役たちの優秀な演技とは別に、「作り物」感がたっぷりあったのである。
もちろん、演じる中学生俳優たちにも違和感はあったろう。

しかし、そのことで子供同士を談義させるのが、そもそものこの番組制作の意図だから、まったく術中にはまっていたわけである。

「教育番組」としてのドラマと、娯楽番組としてはちがうだろうが、いわゆる「青春モノ」の高校生ドラマでは、たいがい「熱血教師」が登場する決まりがあった。

当時から「ファンタジー」ではあったが、いまなら「鬱陶しい」ことになるのだろうか?
とにかく、基礎単位である「家庭」が一様でなくなったのだが、よくかんがえたら、一様な家庭というものはむかしだって存在しないファンタジーである。

それは、隣の芝生は青い、というはなしがむかしからあることでわかる。
原義は、他人のものならなんでもよく見える、ということではあるが、あんがいと隣近所の各家の事情は複雑だった。

それがまた、『家政婦は見た!』となったのである。

しかし、おおむね父親がいるならば、その稼ぎだけで一家が生活できたのは、いまからしたらファンタジーになるのだろう。
田舎の老婆が「担ぎ屋」とか、都会なら「靴磨き」を路上でやって、小遣いを稼げたのも、とっくにファンタジーである。

学校だけでなく、社会も「管理」されるようになったから、息苦しい。

こうしてみると、昭和の娯楽映画にみる、「適当さ」とか「お気軽さ」の中にある、本気での「なんとかなる」が消滅している。

登校拒否の経験者でない者でも、いまや出勤拒否をしていると社会問題化したのは、90年代だから30年以上も前のことなのである。
それから、正社員と派遣という身分社会に転換した。

これを促進するためのエンジン役を担ったのが、「消費税」だということに、サラリーマンたる大衆が気づいていない。

何度も書くが、冷戦が終結してすぐの92年に、アメリカのグランドストラテジーが書きかわったことに深遠だが原因がある。
いま、トランプ2.0になって、再度の書き換えが行われているけれど、これを拒否する態度でいるのが日本政府なのである。

ついに、日本政府が対アメリカにおいて、出勤拒否をしているのだ。

果たしてそれは、誰のため?何のためなのか?

「脅迫」「暴力煽動」と「言論の自由」

言論の自由は、なんにせよいったん破壊されたら修復がきかない脆さがある。

一方で言ってもやってもいけないのは、脅迫と暴力煽動である。
脅迫も暴力煽動も、言葉での表現なので、言論の自由と対立する。
しかし、そもそも脅迫と暴力煽動は、「言論」ではない。

こんな区別があることを、わざと、しっていながらやって、非難されたら待ってましたとばかりに、「言論の自由に対する攻撃である」とうそぶくことで、言論の自由そのものを攻撃・破壊をこころみるやからが相当数いることも確かなのである。

それもこれも、「区別がつかない」理解力にとぼしいひとが「大衆」のなかに潜んでいるからである。
つまり、言論の自由とは、何を言ってもかまわない、とする論に同調はせずとも、言いくるめられる程度の理解力が破壊を促進させているのである。

トランプ大統領は、世界に向かって「言論の自由を攻撃するモノを何人であっても容赦なく許さない」と発信しているが、そこには、「大衆を煽動するな」という意味が込められているのは当然である。

それで、とうとう「連邦教育省の廃止=各州への移管」のために、世界最大のプロレス団体WWEを創設した、リンダ・マクマホン女史を指名し、上院議会承認を得たのである。
大衆心理の専門家であることに注意がいる。
なお、彼女はトランプ政権1.0で、閣僚級のアメリカ中小企業庁(SBA)長官であった。

「現代の大衆」は、もっといえば、理解力が弱い以前に、自分の頭でかんがえることを拒否する脳にされてしまったからともいえ、それがおおくのばあい、先進国における管理された学校教育における成果となっているからである。

彼女には、この意味でプロレスの大衆性を失う努力をするのか?という矛盾があるが、全米でまったくおなじ教育をすることの矛盾の方が、アメリカという「合州国」には痛いのである。
なお、アメリカ連邦教育省を創設したのは、ジミー・カーター政権であったので、まったく伝統的ではない。

わが国は、明治新政府による「文部省」の発足をもって「教育の統一強制」が実施されたので、おなじようにじつは「伝統的」ではないのである。

こうして人工的に育成された人間を、「人間モドキ」と表現したのは天才的である。
この怪物の初出は、手塚治虫原作の『マグマ大使』であった。

『ウルトラン・シリーズ』やその後の『仮面ライダー・シリーズ』などででてくる「怪獣」よりも、人間モドキのことがずっとわたしの記憶に残っているのは、ふつうの人間の姿をして見分けがつかないことにある。

いまでは、人間モドキ的な有力人間政治家が世界を仕切っているので、「事実は小説よりも奇なり」なのである。
とはいえ、そっちの界隈では、「レプタリアン」とか、「ゴム(仮面)」とかというひともいる。

これが意外なのは、法隆寺に残る「塑像」が、あたかも「トカゲ人間」の様相だからである。
アメリカ人は、テレビドラマシリーズとして、『V』(1983年)を製作した。

この作品がいまでは、ヒラリー・クリントンを彷彿とさせるのは、FBI副長官となった、ダン・ボンジーノ氏が、「彼女ほど邪悪な人物はいない」とはばからずに発言していることも影響している。

彼はそのむかし、ヒラリー・クリントン陣営のスタッフとして勤務経験があり、そこで得た直接経験からの発言なのである。
それでか、ヒラリー・クリントン側は、ダン・ボンジーノを名誉毀損などで訴えることはしていない。

司法長官のパム・ボンディ➡︎FBI長官のカッシュ・パテル➡︎同副長官のダン・ボンジーノというラインに加えて、トゥルシー・ギャバード国家情報長官➡︎ジョン・ラトクリフCIA長官、さらには、国家安全保障省のクリスティ・ノーム長官➡︎シークレットサービス長官のショーン・カランというラインの二重・三重螺旋的なフォーメーションで、オバマ=ヒラリーの周辺が調査されている。

この過程で、FBIとCIA職員の大量解雇という事態が起きたのは、DOGEによる大掃除とは別の意味の、組織体制の再構築だというしかない。

しかしながら、「官僚制」の怖さは、官僚の中に人間モドキが多数混じっていることにある。

ために、さまざまな「踏み絵」を準備して、自然にこれらのチェックポイントを越えさせる「罠」を仕掛けることもひつようであろう。
それには、ホワイトハウスの天才、スティーブン・ミラー氏が指揮をとっている可能性がある。

この「大掃除」は、アメリカ国内優先は当然として、ドイツをはじめとするヨーロッパに日本が続くという順番になっているようである。

わが国では、21日、挙動不審の発言を繰り返してきた「農水相」が交代して、ポエムを発信する変人が就任した。
誰がなろうが破滅的なのは、大衆が政党の高官や大臣になるという無惨な国になったからである。

「脱大衆」が、今後の世界トレンドとなる。

FBIが元FBI長官を捜査する

やらかしてしまったのは、元FBI長官の、ジェームズ・コミー氏だった。

彼は、自身のSNSに、砂浜の貝殻でつくった「86 47」という数字だけの画像を挙げて、大炎上した。
そして、とうとう「謝罪」までしたのだが、トランプ政権2.0は、「大統領暗殺指令」だとして、とうとうトゥルシー・ギャバード国家情報長官までもが「収監されるべき」と発言した。

15日、クリスティ・ノーム国家安全保障省長官は、傘下のシークレットサービス長官に「捜査」を指示したと報道されている。

この数字の意味は、「47」が、第47代合衆国大統領=トランプ大統領のことで、「86」とは、元はサービス業で使われた「符牒=隠語」で、「排除」を意味し、その後マフィア界隈で「消去=暗殺」に変化したことはアメリカ人なら子供でもしっているという。

日本だと、たとえば居酒屋でいう「品切れ」を、「やま」というのとおなじだ。
「山梨県」の略で、「やま+なし」➡︎「なし」という意味となる。

投稿しておいてこれらの数字の意味を「しらなかった」とうそぶきながらも、謝罪したことで、日本人なら許すのが、逆に欧米人ならではの「炎上にガソリンを足した」ようなものとなり、上の政府高官による対応になったのである。

それにつけても、FBI長官だった人物として、まったくあり得ない素人的な対応に、素人でも驚く。

トランプ氏もとうとう、「彼は悪い警察官でした」と、トランプ政権1.0で解任したことを改めて強調したのである。
もちろん、解任されてもコミー氏の「反トランプ」は、とまらなかった。

新FBI長官のカシュ・パテル氏も、上司のパム・ボンディ司法長官と、部下のダン・ボンジーノ副長官とともに、あらゆる証拠集めをして堂々と逮捕・有罪に持ち込もうと努力していることだろう。

つまり、元FBI長官がFBIによって逮捕されるタネを、自分からまいてしまったのである。

これをふつう、「愚か者」という。

けれども、トランプ政権2.0の結束したチーム行動は、民主党を直撃していて、「穏健派」はかなり戦闘力を失っている。
「常識革命」の「常識」に、ようやく気づいてきたのは、おそらく「選挙区」における地殻変動が激しく、有権者の「常識」が圧力をかけているとおもわれる。

なにせ、とっくに「中間選挙」を目指したスケジュール管理がされているからである。

来年の11月までに、どのような「成果」を、どんな「タイミング」で出すのか?は、トランプ政権の浮沈どころか、民主党にとっては次の大統領選挙で政権交代の可能性としての勢力を維持できるかどうかがかかっている背水の陣なのである。

その「焦り」が、こうした軽率さを呼ぶのであろう。

とにかく、民主党には「闇」が深すぎて、なかなか本丸たる、オバマやクリントン夫妻の悪行に到達しない。
それは、裁判官たちの裏切りもふくめて、「一発必勝」をきすための準備に時間がかかっているからだろう。

その意味で、「好餌」としての戦略なのか?それともただの「好餌」になっただけなのか?ということまで一般人に疑わさせるのは、まさに混沌とした世の中になっているからでもある。

悪い警察官は、どの国にもいそうだから、あんがいと他人事でないと震えている人物もいるかもしれない。

『教皇選挙』を観てきた

原題は「CONCLAVE」である。
直近のリアルな出来事と重なって、興行的にもヒットしている映画だ。

監督は、95回アカデミー賞受賞の名作、『西部戦線異状なし』のエドワード・ベルガー。
なお、本作も97回アカデミー賞で、「脚色賞」を受賞しているが、「それだけ」というのも意味深だ。

「コンクラーベ」という発音が、「根比べ」と似ているし、100人以上の枢機卿が投票をして、3分の2以上の得票を得るまで続く。
これが、一日一回の投票規定だから、決まらないとほんとうに「根比べ」になるのである。

過去にバチカンのスキャンダルを扱った映画では、わたしのしるかぎり『バチカンの嵐』(1982年)と、『ゴッドファーザーPART3』(1990年)がある。

バチカンという大権威に「超批判的」な作品でも、一般上映されることに意義があるし、そこに描かれるスキャンダルのドロドロを、「(絶対)神」とはちがう人間の性としてかんがえれば、きれい事な世界なんてないことのリアルな発見がある。

残念ながら、わが国の宗教界ではこのような作品どころか、(学術)研究もない。

たとえば、天台宗の大本山、比叡山延暦寺が信長に焼き討ちされた阿鼻叫喚は伝わっても、そこでなにが日常だったのか?についてのリアルな詳細を表現するのはいまでもタブーであろう。

なぜに、寺院に多数の「女・子供」がいて、殺戮の阿鼻叫喚となったのか?は、「ご想像どおりです」というおとなの対応でとどまるのがわが国の文化ではある。

こんな悲惨は、ツヴァイクの『人類の星の時間』にある、「トルコによるビザンチンの奪取」つまり、コンスタンチノープル陥落(東ローマ帝国滅亡)時の阿鼻叫喚と双肩をなすのではないか?とおもわれるが、ツヴァイクのような一流が書いても、日本ではだれも書かない。

また、江戸初期に、「東叡山」として、上野山に寛永寺ができたころ、本物の「比叡山」との確執も、一般人が詳しくしることはできないし、研究もないと井上章一氏が書いている
なにせ、江戸の寛永寺の管長に「天台座主」がなるほどであったから、この時期の比叡山はどういう存在であったのか?についての宗門内部組織の事情はしるよしもない。

そうやってかんがえると、この映画が表現する「実態」がどこまで本当なのか?とは別に、なかなかにこれでも「オープン」なのである。
むしろ、本物たちの実態は、「こんなものではない」、まさに「事実は小説よりも奇なり」を想像させる。

もちろん、非公開が徹底している「コンクラーベ」であるために、具体的にどんな方法で選挙投票が実施されているかは外部者にはだれにもわからない。
これは、わが国の「大嘗祭」における、「秘事」として、いったいどんなことが行われているのか?は、いまだに一般人のしることではないのと似ている。

さいきんでは、「十字架の形態で寝る」という説もあって、なかなかにキリスト教的な解釈もある。

これはこれで、洋の東西はちがっても、「人間」のやることやかんがえることがおなじという、普遍性にも行き着くので興味深いが、神代から続くというわが国と、ローマ教会が組織されてからという時間差をかんがえると、あんがい日本の「景教(キリスト教ネストリウス派)」の影響というはなしもある。

だが、わが国には、「仏教」なるものが伝来したことになっている。

その「大乗仏教」が、シャカ=仏陀が悟った「仏教」なのか?という、根本的な疑問があるのでなんとも厄介だが、人間が「仏」になるのに億年単位とえらく時間がかかっても、ついには「なれる」と説く仏教とちがって、キリスト教は絶対に人間は神にはなれないところに、キリスト教の本質を教えてくれる映画だと解釈すれば、納得できるものである。

つまり、人類は、共通思想を持つことはできないのである。

さて、本作にある「確信否定」は、相対主義のことだ。
このことが、本作でのできごとを「輪転」させて、観る者の解釈を混乱させ始末におえなくしている「仕掛け」だし、作者は、ニーチェの『アンチクリスト』を意識しているといえる。

すると、ヨーロッパの文化的基礎であったキリスト教の実態(=基盤崩壊状態)こそ、深刻な現状の大本であることがわかるし、信仰深いトランプ政権2.0の時代に、アメリカ人から新教皇が選ばれた現実界の「コンクラーベ」の意味深さがわかるというものだ。

枢機卿たちをしてネイティブな「言葉」で、グループが形成され、もはやバチカン内部でさえ「共通だったはずのラテン語」がない指摘が、「悪役の声」であることに注意がいる。
しかるにこれすら、相対主義のなかにあるのである。

シスター役がイングリッド・バーグマンの娘、イザベラ・ロッセリーニだったことが妙に安心だったが、『不滅の恋 ベートーベン』(1994年)からの時間を経て、ずいぶんとぽっちゃりしてきたのが意外であった。

それにしても、教皇になりたい、なりたくない、という論争は、一種、「使い捨て」という意味であるから、『ルイ14世の死』(2016年)における医師団のセリフ、「次はうまくやろう」が耳に響いた。
この映画の主役が、名優、ジャン=ピエール・レオである。

それで現実の新教皇、「レオ14世」とは、なにかの偶然か?

「アブラハム合意」の拡大

トランプ政権2.0の猛スピード政策実行力に、日本政府はまったくついて行けない。
これはどうやらEUもおなじである。

岸田前首相は、返り咲きを狙っているらしいけれども、この最長記録をもつ「外務大臣」経験者は、「アンチ・トランプ」を隠そうともしないグローバル全体主義者だ。
欧州主流派とウマが合うのも、思想がおなじだからである。

もちろん、自民党自体がグローバル全体主義政党だし、ながく連立相手の公明党は、はじめからグローバル全体主義政党として発足している。
むかしは、「保守」と「革新」の間に、「中道」という三つの区分がされていて、気がつけばこうした「誤魔化し」に騙されてきた。

なにせ、既存政党のすべてが、グローバル全体主義だからである。

おなじ敗戦国のドイツも「しかり」であるけれど、有権者には野蛮人だったゲルマンの血があるために、日本人多数のような完全奴隷化には至っていない。
おそらく、メルツは暗黒卿として、むき出しの邪悪な政策を打ち出すだろうが、それがかえって仇となるのも、ゲルマンなのである。

そうやってAfDを育てている。

振り返ってわが国にはそもそも「選択肢がない」ことになって、シラケた国民は選挙にさえ行かなくなり、ひいては「自・公・立憲」政権が続くことになったのである。

ときに、日本ではぜんぜん評価されていない、トランプ大統領一行の「中東歴訪」(13日から4日間:サウジ、UAE、カタールの三カ国)では、驚異的な経済協定の締結に成功し、アメリカに多大な投資がおこなわれることが決まった。

総額にして、ざっと4兆ドル(600兆円)がこの三国からアメリカに流入する。

さらに、政治的には「シリア制裁中止」を宣言し、アラブ人たちを熱狂させた。
そしてまた、いまの繁栄が各国の努力と実力によるモノで、決してこれまでの上から目線での欧米による成果ではないことも強調した。

まことに見事な演説であった。

わたしは、このブログで、トランプ政権2.0は、「マインドマップ」を使っているはずと書いたが、世界情勢をマインドマップに落とし込んで、スケジュール調整までしているのは確実だとかんがえる。

その成果が、ここにも現れているとしか言いようがない。

4月2日の「トランプ関税」については、そのはるか前の当選後にフロリダの別邸、マー・ア・ラゴにIT長者たちを招待し会食を続けていたときに、A.I.を用いて関税の影響シミュレーションを依頼していたことが判明した。

なんと、株価の動向などの予測は、ドンピシャだったという。

だが、財務長官のベッセント氏を含めて、トランプ政権2.0には、多数の成功した投資家たちが集合している。
市場を知り尽くした彼らが描くシナリオを、マスコミが喧伝するように、あたかも「思いつき」だと強弁するには無理がある。

つまり、思いつきでやっているかにみせて、まったく計画的なのである。

それに、マスコミが強調する「中共の勝利」ではなく、アメリカ側の仕掛けたゲーム(たとえばチェスにしたら)に無理やりのせられて、そのまま「詰んで」しまったのである。
「フェンタニルの製造・密輸」をやめてくれと「お願い」したのを無視した経緯からの「論理」に対抗できないようにした「段取り」の勝利ということだ。

身動きがとれなくなった中協側には、もはや打つ手はない。

だが、ホワイトハウスが正式に発表したように、例のウィルスが漏れたことによる、「損害賠償請求」という「王手・チェックメイト」は、まだかけていない。

ようは、「寸止め」状態で、放置されて固まったままなのである。

トランプ政権2.0は、こうしたプレイ方法をとっているので、ウィトコフ大統領中東特使は、プレイヤーに見せかけてじつはそうではなくて、「駒」に徹している。
その「駒」が、4年以上前のトランプ政権1.0での歴史的成果たる「アブラハム合意の拡大」について、三カ国歴訪前に言及していた。

ちなみに、このウィトコフ氏の経歴も 不動産投資家 、弁護士 、外交官と、まっ先に「投資家」の肩書きがくることに注意したい。
わが国の、新卒採用外交官僚とは、比較対象にすらならない社会経験の持ち主たちが集められている。

さいきんでは、あろうことかバイデン民主党政権の重鎮たちが、トランプ政権に加わって仕事がしたい、と複数人が発言しで民主党支持者たちの間で物議をかもしている。
これぞ「仕事」というものだと、憧れをもって評価されるようになっている「ざまぁ」がある。

さて、そのウィトコフ氏の「言及」とは、なんと、今後2ヶ月以内に、シリア、レバノン、リビア、アルメニア、アゼルバイジャン、サウジアラビアといった6カ国の名前を挙げて「合意に達する最終調整中」と言ったのである。
それでか、マスコミは、イラク首相の発言、「アブラハム合意には参加しない」の方を強調している。

しかし、戦争屋にメチャクチャにされたイラクだから、トランプ政権2.0にどう対処するかは、当然に流動的であろうし、隣国のイランとの関係が安定しているわけでもない。

「アルメニア」と「アゼルバイジャン」はイランに接するが、両国はソ連時代からの紛争を抱えている。
つまり、両国が同時にアブラハム合意に加われば、和平についてもおおきな進展となり、ロシアともどのような水面下での連係をしているのか?とかんがえるのは当然であろう。

ここにも、米・露蜜月の表れがある。

しかも、アメリカはイランと交渉中であることを認め、イランの最高指導者ハメネイ師もこれを追認している。
戦争屋たちが仕込んだ、イランとの戦争も不発に終わる可能性がある。
もちろん、イランの背後にはロシアが控えている。

そんなわけで、中東が不可能といわれた「和平の時代」を迎えようとしている。

これは、長きにわたり紛争の原因を作りつづけた英国の退潮のおかげでもあるし、ピッタリのタイミングでトランプ政権2.0が成立したことの、人類史上と言ってもいいほどの大変化がはじまっていることを意味するのである。

「駒」に正確なセリフ回しとタイミングを指示しているのは誰か?
トランプ大統領ひとりではないことも、確実であろう。

しかし、それは見事なトランプ氏の「マネジメント」なのである。

寿命が縮む

むかしは、びっくりしたときに、「寿命が縮むかとおもった」といって心臓あたりに手を添えたものである。

そんな一瞬の行動をとったひとたちは、たいがい明治生まれだった。

このひとたちが生まれたころの日本人の寿命は、50歳台、だから、いまの「人生百年時代」というだけで2倍、実質的に80歳台であることでいえば、1.6倍の長さになったのである。

そこで、有意義な人生を送る、ということが萎えて、とにかく長生きすること=死なない、が最優先となったのは、戦後の価値観形成に理由があるのだろう。
「命は地球より重い」といって、超法規的措置を実行したのは、1977年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」における犯人側の要求をのんだ福田赳夫首相のことばであった。

「超法規的措置」とは、法(治)を無視する、という意味である。

つまり、福田氏は「独裁者」としての行動を選択したのである。
そこには、「人質」となった一般人の救出・保護という大目的があった。
だが、問題なのは、その後も、このような事態が発生したときの「法」が用意されていないことにある。

つまり、わが国は、一般人が理不尽にも人質とされた場合の緊急事態に、いつでも「超法規的措置」がとれることを、「解釈改憲」したも同然ということになったので、「法治」を放棄した。

それが、2015年にアルカイダに囚われた、フリージャーナリストの救出劇にも発揮されたのである。

こうした日本政府の行為は、国際社会、から大層非難された。
テロに屈する、という解釈となるからである。
だが、戦後のわが国の「(絶対的)平和主義」というイデオロギー下の体制では、テロに屈することが「正義」なのである。

もちろん、日米安全保障条約でいうなら、わが国をそんな国にしたアメリカ(民主党)が、強力なテロ対策(=テロリストの撲滅)をすべきであって、いざとなったときに日本人をアメリカが救出できないのは、十分にアメリカを非難する理由となる。

ところが、そのアメリカがトランプ政権2.0になって、掌を返した。

日本は日本を自分で守れというだけでなく、日米安全保障条約の片務条件に文句をつけて、日本(軍)は、アメリカ(軍)を救助せよともいっているのである。

それで、「自・公・立憲」政権は、あろうことか集団的安全保障を条件とするNATOに接近して、「準」から「正規」加盟を意図しているようにみえる。
軍事同盟そのものであるNATOの事務所が、東京に設置された理由がほかにみつからない。

しかるに、もしもNATO以外の国が、NATOに加盟した日本を攻めることがあれば、一致団結して「戦争状態に突入する」という加盟国義務が、あたかも防衛上の有利とみる外務省高官がいるからだろうし、防衛省の内局官僚も同調しているので、「自・公・立憲」政権も馬車馬のように邁進することが「国家安全保障」だとかんがえているにちがいない。

しかも、それが戦争屋のヨーロッパ主流派にとって、日米分断策となるから、より望ましいのだろう。

けれども、ウクライナをみれば明らかなように、NATOに防衛力なぞ存在しない。
武器すら、もっといえば、弾丸の一発すらも、域内に製造ラインをもっていない。
さらに、最新・最強を自慢した兵器システムが、ロシア軍に打ち負かされて、質と量の両方で圧倒されてしまったのである。

戦争屋にとっては、勝敗はどうでもいいから、とにかくウクライナ人がどれだけ死のうが、武器が売れればいい。
だから、和平を結んではならない、から全力で妨害する。
それで30日間の「停戦」中に、プーチン氏がいうように「塹壕を掘る時間稼ぎ」をしたい。

こんな見え透いたことに、日本政府が加担しているのである。

しかし、政治そのものに興味を失わせる訓練を施された日本人大衆は、興味もないのである。
こうしたことが、日本人の寿命をも縮めることになるとは、夢にも思っていない「お花畑」状態で、ますます確定的になるのである。