アシモフの『停滞空間』

文豪がその実力を発揮するのは、「短編」にあるといわれる。

その究極が、日本の「俳句」だともいえるので、長編小説で売れた夏目漱石が俳人になったのも頷けるのである。

江戸の商人たちが、「連歌」を趣味として夜な夜な会合していたのも、ラジオやテレビがない時代だからこその「教養遊び」で、そこに「狂歌」のエッセンスを加えたら、それこそ即興による粋な楽しさ満開であったろう。

なので、十返舎一九の旅行ガイドにして大ベストセラー『東海道中膝栗毛』でのお決まり、「ここで一句」が挿入されているのは、文化的な高度さの証拠なのである。
いまの旅行ガイドに、「ここで一句」を示しても、読者が理解できない恨みがあるのは、ラジオとテレビに破壊された感性の退化の証拠になっている。

SFの大家のひとりが、アイザック・アシモフである。
このひとはその名前のとおりユダヤ人だが、生まれは「ソ連」で3歳のときにアメリカ・ニューヨークに移住している。

これだけでどんな複雑な人生なのだろうと思わせるが、こんな複雑な経歴のひとが山のようにいるのがあちらだから、海によって隔絶されることができていた日本人の幸せ度は、生まれながらにしてのアドバンテージであることにちがいはない。

長じてその後、生化学者となり、ボストン大学の教授職にもなるが、作家としての名声の方が高くなる。

1958年に発表された『停滞空間』は、短編にして傑作との評価が高い作品である。

その作品集に『最後の質問』という、これまた傑作がある。

これらは是非とも本文を味わってもらうことにして、そのまま題名だけでいまの世界やわが国の状況をいえるのが、後出しじゃんけんにしても偶然なのだろうか?と疑いたくなるのである。

8日の自民党の両院議員総会が、まさに「停滞空間」そのもので、秋の臨時国会までの停滞が決定した。

目を覚ますような「最後の質問」とはなにか?をかんがえたくなる。

底知れぬ社会的なエネルギーの蓄積がはじまっているのは、妙にフランス革命前夜のような気分がする。

そのためか、フランスではふたたび、あの伝説の日本アニメ『ベルサイユのばら』がリバイバル・ヒットしているらしい。

この作品を産んだ戦後急速に経済成長した日本が、黙っていても成長する、という神話が壊れた。
「貧困化」という逆転が、現実になって、中学校の数よりも「子供食堂」が多くなったのである。

さてそれで、子供食堂への直接支援をしようという自民党と、子供が町の食堂で食べられるクーポンを配布すべきという「最後の質問」が議論をよんでいる。

タッカー・カールソンは、そんな日本の凋落原因が、アメリカ(グローバル全体主義)とその僕たる日銀が仕組んだものだとインタビューで証明しているが、その内容が日本で報道されることがない停滞空間をマスコミがつくっている。

参政党の「外交」がはじまった

5日、参議院議員会館に移民排斥の極右政党とマスコミに喧伝されている「ドイツのための選択肢:AfD」の共同代表である、ティノ・クルパラ氏が表敬訪問したとの報道があった。

報道各社は一斉に「極右」と報じて、個人発信の一部には参政党を公安の監視対象にすべきとの主張もあるようだ。

しかし、参政党は1議席時代のはじまり時期に神谷氏がドイツにおもむき、AfD幹部との接触をしていたので、今回の来日は、大躍進の成果を祝いにやってきたのだおもわれる。
このときのAfD側の対応は軽く、まぁお互いにがんばりましょう、程度だったかと記憶している。

神谷氏はすでに今月には、アメリカ共和党幹部を訪問する予定が発表されたが、来月には欧州にむかって、AfD以外の各国保守政党幹部にも面会し、それぞれに協力関係を深める予定だという。

グローバリズムに対抗する反グローバリズムも、じつはグローバリズムの一種なのである。

ときに、参政党の支持拡大法則について、既存マスコミの学習効果がみられない、という皮肉がある。
それは、参政党をディすればディするほどに、支持が拡大するという法則なのである。

こないだの参議院通常選挙における、参政党の得票についての詳細な分析がではじめている。

これによると、地域によるまだら模様があって、どうやら西高東低の傾向がはっきりしている。
とくに、九州における濃さが注目され、東北地方の薄さが目立つのである。

一方のAfDは、ほぼベルリンを除く旧東ドイツだけが濃いという特徴がある。
彼らの党勢拡大には、旧西ドイツでの支持をいかに得るか?が大課題なのだ。
だが、政権与党と他の野党は、「AfD禁止法案」を通そうとしているので、旧東ドイツでは連邦離脱の議論まである。

ここまで分断の谷が深いのは、共産主義を経験した旧東ドイツのひとびとが、自由の価値をしっているからで、一方、貧困からの救済で旧西ドイツが負担した経済的な支援の恩義に報いないことに腹立たしいという感情がある。

この点で、わが国は敗戦してもまだドイツよりは恵まれた環境で生きてきたことがわかる。

今回来日した、ティノ・クルパラ氏は、中卒の職人であった人物である。
学歴という点でも、職業に貴賎があるヨーロッパでの社会環境をおもうと、日本人には想像も出来ない苦労があるはずだ。

ばあいによっては、この人が話すドイツ語が標準ドイツ語とはちがうかもしれない。

隣国のポーランドで自由化後大統領になった、ワレサ氏も、標準ポーランド語を話さずに労働者階級独特のポーランド語話者であったために、来日時の通訳は外務省の貴族階級のポーランド語を修得した役人では役に立たず、『平家物語』のポーランド訳をなしとげたワルシャワ大学教授が、天皇との謁見時に日本側通訳を請け負ったことがあった。

「(職業的)身分」によって、話す言葉もちがう。

これがヨーロッパなのである。
だから、『マイ・フェア・レディ』が成り立った。
オードリー・ヘップバーンの美貌が見どころの映画ではない。

さて、参政党の快進撃は続く。

いまや無敵状態なのは、支持母体が国民にある、というわが国初の本格的近代政党ゆえの必然だからである。

つまり、叩く側とは、民主主義を憎む者たち、という実態をさらすだけのことだから、法則が作動する。
国民を叩いている、という構造に気がつかないか、グローバル全体主義の手先だという化けの皮が剥がれてきたからである。

来週にはプーチン・トランプ会談が予定されているが、互いの経済特使が濃密な予備会談をやっていると欧米メディアは熱気をもって伝えている。

ロシアがとのパイプをどう持つのか?さえも、参政党に期待が集まる。

さては、神谷氏訪問先の日本大使館はどんな待遇をするのか?よりも、岩屋外相が仕切る本省からの訓令で冷遇せざるを得ない状況に困惑しているにちがいない。

昭和の「悪書」を読んでみる

共産思想の啓蒙をやった図書で、あんがいと売れたのが、柳田謙十郎『労働者の哲学』(青春出版社、1962年10月)だ。

手元にあるのは、発刊から3年も経たない1965年7月時点で、「第18刷」となっているから、かなりの売れ行きだったろう。

前書きに「日本でもっともやさしい哲学書」と自負していて、巻末には『共産党宣言』からはじまる、次に読むべき資料のリストが丁寧にある。
懇切丁寧に初心者読者の成長を促す、よき(悪しき)アドバイスをしていることも、売れた理由なのだろう。

かんたんにいえば、ふつうのひとを共産主義者に改造するための啓蒙書であるから、これを読んで感銘などしようものなら、なんだか『マグマ大使』にでてくる「人間モドキ」のようにされてしまうのである。

この番組を観た当時のわたしは、豆腐屋の「がんもどき」と重なって、おでんにでてくるがんもどきはいっさい口にしなかった時期がある。

それにしても、「普茶料理」の数々の「モドキ」は、修行僧たちの異常なまでの食欲の裏返しを見せつけられる逸品たちだ。
京都宇治市の黄檗山・萬福寺でいただくものは、芸術的な「モドキ」である。

がんもどきは、どうやっても「がん(雁)の肉」にはならないが、共産主義に脳を侵された人間もどきには、解毒剤としての読書が効く。

そのひとつが、『学者先生戦前戦後言質集』(全貌社、1944年)である。
ここには31人が実名で挙げられていて、11番目に本書の著者、柳田謙十郎の名前がある。

なお、6番目に清水幾太郎があるが、このひとは最晩年にまた転向して、左右双方からの信用を失った。

清水の戦前と最晩年を「回帰」と評価するひともいれば、これらの中間期を「放蕩」というひともいる。
まるでハンバーガーのような評価だ。

役人の世界では川崎一郎アルゼンチン大使が書いた『素顔の日本』(二見書房、1969年)が「悪書」になっている。
それは、この本の「日本人そのものズバリ」の項冒頭に、「日本人の体型がひどい」と書いたことが原因で、なんと大使を解任されたというからである。

ときの外務大臣とは、愛知揆一(池田派から佐藤派に移る)のことで、佐藤栄作内閣であった。

川崎の本は、原著が英文なので翻訳書を読むことになる。

わたしが邪推するのは、日本人の体型がひどいことが大使解任の理由ではなく、真の理由はGHQを「征服者」だと批判したからであろう。

なお、退官後の著作には、『素顔の日本外交』(新潮社、1970年)、『サヨナラ日本 小説・裸の商社マン』(徳間書店、1973年)、『国際感覚入門 外国との差をつめるセンス』(徳間書店、1974年)などがある。

「悪書のおふれ」が国からあったのか?『素顔の日本外交』は、横浜市立図書館にも、神奈川県立図書館にも蔵書がない。
大手出版社の「新潮社」からの本なのに。

わたしの興味は、悪書の悪書たる所以であって、一世を風靡した柳田を、いまいかほどのひとが記憶しているのか?があるし、役所を追われた元大使の主張の中身を自分なりに評価してみたいのである。

なお、むかしの大使は天皇陛下の名代としての「偉さ」があった。

いまはかんたんに「大使」というが、正式には、特命全権大使(特別職国家公務員)である。
外務大臣が申し出て、内閣が任免し、天皇が認証するので、「認証官」ともいう。

そんなわけで、川崎一郎大使が解任されるには、上の手続きをもう一度踏むことにもなるのである。

いまなら、任命責任が国会で問われることになろう。

この意味で、川崎氏が残した書籍は、「悪書」という名誉がつきまとうのである。

こういった芯のあるひとが絶えたのは、学校教育ではいっさいふれないために、「国家観」を持たない学業エリートたちが国家運営をしていることにある。

それに、60年前にして失業の憂き目をもって、ますます「バカを見ない」ための国家間の欠如を「良」とする社会になったから、加速度が加わったようなものである。

一方の柳田は、1983年に物故した。

ソ連崩壊を見ずに旅立ったのは、本人にはラッキーであろうが、読者に大迷惑だけを残したのは罪深い。

わが国の労働運動が低迷していることには、柳田のような輩が書いたり吹聴した「思想の傷」が深いので、解毒に失敗したひとがたくさんいるからだろう。

新規加入がないのは、そんな毒に冒されたくないという自己防衛があるのだと推測できる。
しかして、これがまた、経営者を増長させる理由になるので、じつは柳田らの言動は、経営者のためになったのであった。

なるほど、ロシア革命の資金スポンサーが、ロスチャイルドやロックフェラーだったことの意味がわかるというものだ。

小沢一郎の立憲消滅予言

2025年参議院通常選挙が終わっても、自民党は「総括」できないままに、1日の臨時国会を迎えた。

しかし、大敗を期したのは自民党だけでなく、野党第一党を自負していた立憲民主党も散々な結果であったのだ。
なんと前回の得票数比較では、自民党よりも減らし、総得票数の実数なら野党で参政党、国民民主に次いで3位に甘んじるという無残であった。

自民党幹事長として、総理候補を自ら面談するという権力の絶頂にあった小沢氏は、衆議院選挙制度改革でいまの「小選挙区・比例代表並立制」を設計した人物としても知られる、選挙(制度)のプロである。

その小沢氏が、此度の参議院選挙の結果を受けて、次期衆議院総選挙で自党である立憲民主党の消滅を予測することを公言するまでの事態になっているから笑えない。

御歳83歳とはいえ、かつて「政局の小沢」といわれたことは、伊達ではない。

果たしてわたしは、この御仁が何をしたかったのか?いまだに理解不明なのであるけれど、それはあくまで「政策」のことで、「政局」のことではない。

なにしろ、「グローバリズム」やら「グローバリスト」という言葉がなかった時代に、自衛隊を国連指揮下に差し出すといいだした、国連信奉主義者=グローバリストのさきがけであった。

この本性が、いまも一切曲がっていないことは、それなりの評価に値するのだろうが、わたしはまったく評価できないただの国家観が欠如した左翼である。

しかし、このひとの動物的ともいえる政局の嗅覚から導かれる「消滅」の懸念は、十分に理屈が立っている。

おそらく、小沢氏も経験したことのない「地殻変動」を今回の参議院選挙で感じたのであろう。
それが、最大の層だった「無党派層」の急速な消滅すなわち「保守回帰」といわれる雪崩をうったような現象なのである。

いわゆる、山が動いた、のである。

もちろんこの現象は、一過性のブームではないことも小沢氏は読み取っていることだろう。
それが、上に挙げた参政党と国民民主への票の流れで理解できる。

つまるところ、戦後政治の終焉を意味する激変が起きているのである。

これまで自・公に対抗するのが立憲民主「だけ」だったというお決まりのパターンから、仕方なく得票することができていたものを、自党の実力だと勘違い(自己欺瞞)してきてはみたが、とうとう全選挙区に参政党が候補を立ったことで、真の選択肢を得た国民は、あっさりと嫌悪する立憲を捨てたのである。

しかも、文学表現ではなくて、本当に共産党と選挙協力するにいたって、名実共に「立憲共産党」になったことの政治判断が、まったくナンセンスと国民は解釈した。

その投票行動が、参政党の大躍進となって、これを国民が「成功体験」として実感したことの学習効果が、次期衆議院総選挙でも繰り返されることは必定なのである。

国民に、「選挙はおもしろい」と体験させたことの意味はおおきい。

しかも、国民は、自民党や公明党よりも、より厳しい忌避行動を立憲民主党に向けたのだった。
もちろん、双生児兄弟党の国民民主も、公認候補の選択に失敗して大ブレーキとなったが、まだマスコミが応援する効果で「躍進」することにはなった。

だが、選挙中にひと言も主張しなかった「選択的夫婦別姓制度=強制的家族別姓=戸籍制度破壊=家族解体」という共産化政策を、国会が開会するやさっそく主張する「だまし」に、国民は再び学習するにいたったのである。

こうして、次期衆議院議員総選挙における国民不満の「マグマだまり」が形成されている。

立憲民主党(国民民主も)はこのような自身の失策を打ち消そうとしようにも、「政策のタマ」がないという薄ら寒い現実が両党のアキレス腱なのだと誰の目にも明らかになったが、だからといってタマになる政策をすぐさま打ち出せるような党組織(共に連合が支持母体)でもない絶望がある。

これをもって、絶滅危惧をいう小沢氏にも起死回生の政策がないのは、あくまでも政局のひとだからである。

参政党の神谷氏が選挙中の街頭演説で繰り返したように、他党が参政党の政策に接近あるいはパクってくるとの予想が、おそらく正解であろう。

それで、参政党が「よし」とするのは、政策の実現が早まるという一点の理由だからだ。

すでに瀕死の石破自公政権が、このとおりのことをはじめている。

海水浴という昔ばなし

夏といえば海水浴だったのは、いまはむかしとなったようである。

かつて1日で100万人が集まった、三浦海岸や湘南江ノ島海岸は、三浦海岸で海の家が営業中止となって、江ノ島では海の家風の海浜バーの風情になっている。

少子化もさることながら、さいきんの若者たちは日焼けや潮水のベタ付きあるいは砂にまみれてスマホが使えないなどの理由で、かなり海水浴を嫌厭し、いるのはかつての若者たる中高年ばかりだという。

それで、4日、この暑い最中に我が家のテリトリーだった片瀬江ノ島西浜に行ってみた。

月曜ということもあるが、まばらな状態が予想通りだったけれど、客引きで声かけしてきた若者との会話で、世代のちがいを実感した。
ここ数年の体験で、「これがふつうの人出」だというのである。

そこで、上の昔ばなしをしたら、逆に驚かれたのである。

一日で100万人!?ありえない、という。
砂浜も海の中も、ひとで埋まっていた光景が想像できないらしい。
まさにイモ洗い状態だった。

いまは、子供がチラホラいるが、母親は波にさらわれるのをおそれて、服を着たまま波打ち際までにしかいかせない。
それに、砂浜で甲羅干しをしているのが、あんがいと白人女性だという発見もあった。
ただ、引き潮ではあったが、なんだか砂浜から海までの距離が縮んだような気がする。

これも相模川のダムの影響か?

もっとも、わたしが子供時分にはなかった、境川沿いに長く堤防が張り出した「片瀬漁港」ができたために、泳いでいけた江の島大橋が遠くなって、もちろんその分砂浜の海岸線も短くなったのである。

片瀬西浜の海の家は、陸側の間口も開かれている構造で、これは昔ながらではあるけれど、江の島大橋の鎌倉側に展開する東浜は、道路とフラットに作った小屋が点在してバーになっているだけでなく、浜に建つ海の家も陸側が閉じられている構造だった。

これは、風が運ぶ砂を入れないための工夫なのか?
海に対しての角度が変わる江の島に近い側のそれは、西浜と同じ構造なのである。

歩きやすい陸側から海の家を覗きながらぶらぶらしていたら、上で書いた若者に声をかけられた。
バーカウンターが空いていたからここでモヒートでもやろうとおもったが、冷房がない空間がむかしとちがって耐えられそうもないことに気づいた。

せいぜい30度から32度だった昔が、40度近くなるとキツい。

なるほど海が嫌われるのは、暑すぎる、という異常が通常になってしまったからか?

それで、せっかく来たからと江の島島内のむかしから世話になっている食堂にむかった。

島の入り口広場はひとでごった返していて、海水浴客ではないひとたちで溢れていたが、その多くは外国人、なかでも中国人が目立った。
大不況というのは嘘なのか?それとも、日本への移住者なのか?判然としないが、食堂の客の半分以上が彼らだった。

これも、昔にはなかった光景である。

しかし、食堂の女将さんやらすっかり高齢になった店員さんたちは、ぜんぜん平常で接客しているから、これもなんだか今様なのである。
写真付きのメニューだから言語対応はできなくとも、おそらく注文はかなり限定されるのだろう。

もちろん、客側がスマホの音声翻訳アプリを駆使して、日本語で話す練習をしてから注文をするという、われわれも外国でやることをしていた。

それにしても、この暑い江の島に、なにを観光しにきているのか?を聴いてみたくなる。

海水浴でないことだけは確かなのであった。

女帝マリア・テレジアの第9子

少子化時代に多産をいうのは、なぜか憚れる時代になった。

マリア・テレジアといえば、オーストリア・ハプスブルク帝国の女帝で有名だが、その第9子こそが、マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュである。

1976年(昭和51年)に世にでた池田理代子の『ベルサイユのばら』は、あまりにも有名で、その多くが史実に基づく(ツヴァイクの『マリー・アントワネット』を参考としたという)とされる歴史絵巻のオリジナルフィクションとの混み合わせが秀逸なのはいうまでもなく、作家はフランス政府から「レジオン・ドヌール勲章(第五等:シュヴァリエ)」が2009年に授与されている。

もちろん、伝記の大家ツヴァイクも、あんがいと「講釈師みてきたような嘘をいい」の記述があるから、別途、最低でももう一冊ぐらいは読んでおいた方がいい。

とくに刺激的な、「パンが無いならお菓子を食べればいい」という歴史的なセリフとされる一言のデマがいまでも信じられている背景に、マリア・テレジアが按じたマリー・アントワネットの「深くかんがえない」性格についての不吉な予感が適中し、フランス宮廷での放蕩・贅沢三昧があったことは確かであるからだ。

原典はジャン・ジャック・ルソーの著述だというが、これが発表されたのはマリー・アントワネットがまだ8歳のウィーン暮らし中だから、誰が言ったのかを書かなかったルソーの創作だったかもしれない。

ときに、高価だったとはいえ、フランスはいまに続くアフリカやらの植民地化で、砂糖が一般化して、たしかに砂糖をふんだんにつかったお菓子が身近になっていた時代背景もある。
その典型が、西アフリカの奴隷労働から得られるカカオをつかったチョコレートだと、何回か書いてきた。

太陽王ルイ14世が絶対王政を築き、ブルボン王朝の最盛期をむかえることとなったが、その死を扱った映画『ルイ14世の死』は、絶頂から次は転落しかないことを暗示する名作だった。
そのルイ14世からルイ15世、それからルイ16世という曾孫と孫への王位継承は、この意味で慣性の法則が作動するだけの歴史なのである。

ここで、『ベルサイユのばら』文庫版第1巻から、その社会的慣性の法則をみてみよう。

P.223 王族にケガをさせて首がとばなかったのはおまえくらいだぞアンドレ むかしならやきごてと煮え湯で拷問のうえ車裂きだからな

P.240 1774年5月10日午後3時15分…ものすごい臨終の苦しみは終わった…… 黒々とふくれあがりくさりはてて顔もみわけがつかぬほどになったフランス国王ルイ15世の逝去であった

P.245 いまや古い時代は去った 若々しい19歳の国王と18歳の王妃……! フランス国民は熱狂し期待に胸をはずませてふたりをむかえた

このふたりが、断頭台の露と消える運命を読者はしっている。

そのフランスで、いま、王党派の復活があり、もしや「王政復古」だって?という状況がうまれているという。
これを、「もぎせかチャンネル」の茂木誠先生が対談動画をアップしている。

お相手は、日・仏(白百合と菊Lys et Chrysanthème)国体研究家にして「王党派」のポール・ド・ラクビビエ先生である。

ここで「国体」とは、日本なら天皇家(菊)、フランスならブルボン王朝(白百合)をいう。

じっさいにブルボン家ゆかりの貴族の血統を多少とも受け継いでいるラクビビエ氏は、フランス革命に逃れた王統がいまもスペインに存在し、数えれば「ルイ20世」になるという。

これが、マリーヌ・ル・ペンの政党との親密性で、「もしや」という。

フランスにおける「保守」とは、「王党派」のことだからで、実の娘たる「国民連合」党首のマリーヌ・ル・ペンに追放された父、ジャン=マリー・ル・ペンが創設した「国民戦線」は、もっとも王党派と親密だったという。

しかし、それでは支持者の範囲がせまく限定的だからとして、政権奪取のために実父を追放したのが娘だった。

これは、日本でぼーっとして生きていたらわからない情報である。

しかして、フランスは王党派が復活するのか?
そこで、どのような王朝が樹立されるのか?

まさか放蕩を繰り返すことにはならないだろうけれども、これを支える「貴族」たちがしっかり生き残っていることも、ヨーロッパなのである。

いまだに名前で身分をわけるのがまたヨーロッパで、ドイツの貴族には、「フォン:Von」または新興のそれには、「ツー:Zu」がつくし、ポーランドなら語尾に「スキー:-ski」がつく。

フランスでは「ド:de」なのだが、名前の管理が甘く庶民が勝手に自分の名前につけたから、やや眉唾の感がある。
本稿冒頭のマリー・アントワネットのオーストリーでの本名にも、「de」がある。

こうして、日本人には想像も出来ない中世以来の身分社会が続いているのである。


好循環の適材適所人事

1日、参議院議員として初登院した後、参政党の神谷代表・参議院議員は、党役員人事と所属議員の各委員会での配属を発表した。

これが、適材適所だとして好評を呼んでいる。

けれども、選挙前に誰を立候補者とするのか?という段階からの準備(党内予備選投票)があってのことだから、この人事はおそらく党内の雰囲気では特段の驚きはなく、むしろ予定通りのことに平常心そのものだとおもわれる。

難しかったのは、幹事長と政調会長という役職に誰を就けるか?であったろうが、参政党の場合、創業者の神谷代表が結党以来、事務局長を兼務しているので、「幹事長」というポストが必要なのか?という疑問がある。

さらにまた、「政調会長」というポストも、ずいぶんと「大政党」の振りをした先を見た感がある。

自民党のコピーということが必要なのか?

むしろコピーするなら、アメリカ型を目指すのかとおもったので、意外な感じがするのである。
この意味で、おなじ創業メンバーの松田学氏が、両院議員総会長と参議院議員会長を兼務することの意味は、アメリカの「院内総務」的な感じがしている。

さらに、アメリカの二大政党には、明確な党首がいないという特殊がある。

基本的に市井・民間からの政治献金をいかに集めるのか?に共和・民主両党の特徴があって、少額・小口の個人献金を中心とする共和党(トランプ派)に、もっとも近いのが参政党なのであり、大口企業献金を中心にする民主党と自民党が本店と支店関係になる道理がカネの面でみることができるのである。

つまり、参政党の場合、事務局長と幹事長の組織分掌のちがいはなにか?が問われるばかりか、政調会長と院内総務のちがいもなにか?となる。
この意味でいえば、アメリカの政党は、「全国委員会」が選挙やら日常の活動面とカネを担当しているから、結党以来の事務局への責任集中もどうするかということになるだろう。

もうひとつ、参政党が公言していないことに、議員への「党議拘束」という制度をもうけるのか?しないのか?という点がある。

アメリカの政治習慣に「党議拘束」はない。

なので、有権者は地元選出の議員に近く、地元選出の議員の窓口(電話やネット)は、常に開かれているし、地元の党支部も同様なのである。
よって、有権者は地元議員に政策面での陳情だけでなく、意見も連絡して議員活動をみているのである。

ようするに、アメリカの議員は党の看板は背負っているが、党議拘束という全体主義に与しないから、いつでも造反できる立場にある。
議員の判断に影響するのは、地元有権者の意向、という原則があるからだ。

この点で今後、参政党が党勢拡大をすればするほど、党本部と党支部の意向と議員・有権者との複雑な確執も顕在化するであろう。
ただし、党本部へは常に党支部からの意見提出の制度があるので、これまでのところ党本部が支部の意向を聞くという体制であった。

ましてや、政権与党となった場合には、衆議院と参議院の議長職の権限をどうするか?も顕在化する。
こちらは、国会法の改正でアメリカ型にするのか?も議論のあるところだし、国会に予算編成権を移行させることも重要な制度上の案件となろう。

はじめて法案提出ができるまでになったばかりだが、従来の大政党同志による野合の慣例をいかに破るのか?も含めて、さまざまな軋轢との戦いが始まった。

今回の人事は、その意味での試金石にちがいない。

関税撤廃のシナリオ

1日、臨時国会が召集されて、あたらしい参議院がはじまった。

参政党の代表、神谷宗幣参議院議員と、この夏の参議院通常選挙で初当選した山中泉参議院議員とが、今月訪米しトランプ政権2.0の要人と面談すると伝えられている。

面談相手の名前が分かっているのは、9月に来日が予定されているチャーリー・カーク氏であるけれど、山中氏は長い在米経験とその人脈(空手の師範としてもウォール街の元トレーダーとしても)を活かして、立候補前の民間人のときにすでにトランプ政権1.0の高官ふたりと面談済みの実績がある。

チャーリー・カーク氏とは、いま31歳の年齢ながら、10代のころから保守運動を起こし、全米4000校の大学・高校の保守学生・生徒を組織化し、若者たちの支持によるトランプ大統領二度目の当選に大きく貢献したことでしられる共和党内でも重要人物なのである。

ちなみに、アメリカにおける「保守」と、日本における「保守」は、意味がちがうので注意がいる。
もちろん、共産国家における「保守」なら、極左のことでもある。

さてカーク氏との会談の名目は、9月の初来日に備えたアメリカ現地打ち合わせであろう。
とはいえチャーリー・カーク氏はトランプ政権2.0に加入しているわけではないので、外務省が嫌う国会議員による独自外交(二重外交)ではないといえるよう先手を打っている。

それゆえに、現地で予定外のサプライズな面談があるのではないか?と期待がふくらむのである。
こちらから働きかけてもいないのに、先方から呼ばれた、となればふつうは断れない。

文書による合意がない状況で、日本政府による「関税交渉」はどうなるのか?を評価しにくいのは、あくまでもトランプ大統領の胸先で決まるという建て付けになっているからだ。
つまり、内容の評価よりも先に、外形的に屈辱的なのは否めない。

だが、日本政府(=外務、財務、経産などの官僚)は、とてつもない勘違いをしている。

それは、トランプ関税を、過去の「経済摩擦(たとえば日米構造協議)」の再来だとかんがえる、「有職故実」の発想のことである。
トランプ政権の「世界戦略」どころか、「思想」としての理解を欠く、たんなる実務協議とか関税だけの交渉だとする発想では、とうてい妥結しないからである。

わが国の勉強エリートたちがかくも情弱なのは、そこにエセ・エリート意識たる傲慢があるからで、結果的に相手の真の意向にぜんぜん気づかないばかりか、そこには相手(トランプ政権2.0)をバカにする本性が見え隠れするのである。

なぜならば、大学で学ぶ経済学のなかの自由貿易論からしたら、トランプ政権2.0の「高関税政策」ほど間違ったものはない、という「理論」しか「正義」だと思わないからでもある。
だから、当初、官僚出身の赤沢大臣が豪語した、「まちがいを正す」という発言も、まんざらウソではなく、むしろ本気で言ったのだとかんがえられるのである。

だが、トランプ政権2.0は、経済学音痴ではない。

この政権のレゾンデートル(存在意義)に立ち返れば、過去からの延長で「改善」する帰納法的な発想なのではなくて、演繹的にあるべき姿(常識)に立ち戻る、常識革命政権であることを完全に忘却している。

これも、わが国官僚が育った左翼教育の強力な成果であって、トランプ政権2.0の常識革命こそ、日本の官僚が嫌悪・唾棄する絶対悪のために、考慮すら拒否することからでてきた結果であろう。

マルクス → ケインズ → サムエルソン(新古典派総合) と続く、主流派経済学の流れは、社会主義経済体制の容認どころか、推進なのである。
だから、まったくの異端、オーストリア(ウィーン)学派の自由主義を、文科省が仕切る日本の大学で無視を決め込むから、アルゼンチンのミレイ政権のことも沈黙したままでいる。

こんな状況で、外務省を通さない対米外交をどうするか?の方策=方便としてのアポを入れ、日本の状況をしる相手からの同意をはじめから得ているとかんがえるのが妥当なのである。

しかし、そんな方法論よりも重要なのは、トランプ政権2.0の常識革命を正面から理解した上での関税交渉を現段階で白紙化し、「プレ」でもいいから積み上げるのは、将来の「撤廃シナリオ」に直結するのは当然だろう。

参政党がトランプ関税撤廃に成功した!とみせるのは、トランプ政権2.0にとっても都合がいいばかりか、そうした絵図がもうできているとみる。

おそらくトランプ政権2.0がやっているマインドマップとスケジュール管理における、日本の総選挙をどこに置いて、参政党にはどのような勝利を予定し、その結果としての貿易条件の変更をするのか?に議論は集中するだろう。

その前段としての「面談=面接試験」が、此度の訪米であることはまちがいない、と思料する。

それには、7月31日までの6倍になる関税の痛みをしることで、ようやく気づく鈍感さがそもそも痛いが、その緩和ケアを実行できるのが参政党だけだという刷りこみが用意されているのである。

旅を楽しむためには教養がいる

文系だと、経済学部や法学部、商学部などが「役に立つ」ばかりか、とくにこれといった学問的興味がないのに大学進学するなら、経済学部が「潰しが効く」といわれた時代があった。

潰しが効く、とは、「万能」という意味でもなくて、学友たちと「広く浅く」つき合えば、そのうちなんとかなるという意味でもある。
つまり、就職のために「大学卒」を欲するなら、とりあえずでもなんとなくでも「経済学部」にでもいっておけ、だったのである。

逆に、嫌われたのが「文学部」だった。

日本文学だろうが英文学だろうが仏文やら独文、なんであろうが、言語以外、「文学」なんて何の役にもたたないからやめておけ、だった。

しかし、文学部は、エリアが広く、歴史・地理、心理・思想などの「人文科学全般」を扱うので、じつは侮れないのである。
むしろ、ビジネスの世界でいえば、「人文科学全般」をしらずして、取引先とのビジネスはもちろん、組織運営すらままならない。

そうやってかんがえると、「潰しが効く」とか、「文学は役に立たない」とかというひとたちの発想の方が、よほど役に立たないのである。

一月ほどまえ、広島県の安芸の宮島で有名な「廿日市(はつかいち)」市で、驚愕の4万2千年前の旧石器(中期)が発見されたことがニュースになった。
地元「広テレ!NEWS」によると、さっそく見学に訪れるひとがでてきたが、いまはソーラーパネルが並ぶ私有地のため、遺跡を自由に見学することはできないという。

発掘調査をしている、奈良文化財研究所の研究員によると、この土地が「残った」のは、地質的に安定したことのおかげでもある、という説明に、理系の「地学」の知識も、歴史や地理の基礎をなすことがわかる。

この発見で、いきなりわが国における「人類史」は、5000年も古くなった。

難しいはなしは横にして、ことしは「紀元=皇紀2685年」なので、ざっと2倍の時間に相当する。
いったい、日本列島には、いつから人類は住んでいたのか?
しかも、「縄文時代」へのつながりが気になるのである。

それでもって、廿日市市の市長は、さっそく「遺跡の観光地化」を画策しているという。

「ジオパーク」でも書いたが、ただある、だけではなんにもならないのである。
これを、「掠奪式」の観光地だといいたいのは、生涯学習の意味を含めた、国民教育の貧困があるからだ。

こないだ書いた、「東国三社を巡ってきた」での「高天原鬼塚」のごとく、一旦整備しようとしてから放置されたままになりかねないのである。

それに、「旧石器の発見」といえば、群馬県みどり市にある「岩宿遺跡」のゴタゴタが有名である。
悪名高き明治大学の杉原荘介と、真の発見者でありながらひどい目にあった相沢忠洋氏のことは、下手なドラマや映画よりずっと興味深い。

ちなみに、明治大学は相沢忠洋氏やその遺族にいまだ公式に謝罪はしていない。

しかし、世はマトリョーシカ人形のような入れ子で、杉原は杉原で、東大からの圧力を受けていた。
だからといって、手柄の横取り、が許されるものではない。

世に「観光」を対象とした学問分野はあるようであるが、「観光地の学習・理解促進」のための教育体系はないようにおもえる。
それだから、提供者の「掠奪」が、いまだに有効な状態になっていて、国の観光政策も、やたら表層だけのアリバイづくりが目立つのである。

産業優先国家として、誰のための観光政策か?といえば、業界・業者のためで、見学者のためではないことが、観光対象の事物が軽く観られる本末転倒が横行するのである。

ならば、見学者の側としての抵抗を示せば、先のような学際的学習が役に立つとしかいえない。

静岡県小山町から山梨県山中湖村に通じる、「籠坂峠」の小山町側道路脇に、「藤原光親卿の墓」があり、その近くにあった「説明文」の表記が間違っていると、同町教育委員会に連絡したことがある。

さいきん、この説明看板はあたらしくなったが、町のHPでの説明は変わっていない。
これぞ、「お役所仕事」というべきか?
いやはや、教育委員会という特別なお役所に依存すると、国民はバカになるのである。

だから、国民は自衛権を行使して、自前で学習しないといけない。

こども家庭庁ができても少子化が促進されるばかりだが、おそらく、文科省の影響がゆるい「学習塾・予備校」の生き残る道は、社会人相手の「観光のための教養講座」であろう。
これに観光業界が気づくのか?は、もっと期待薄ではある。

なにせ、従来からの掠奪式が通用しなくなるからだけれども、これに業界自体が気づいていない。

だから、観光業に忖度して補助金やクーポンを配るようなことではなくて、客側の人材育成にカネをつかう、粋、な自治体がどこからうまれるかしらないが、わけしりの観光客が観光地を救うのは確かなのである。

それには、観光業に従事するひとのための教育ではなくて、観光を楽しむ一般人のために多分野にわたる総合教養学習プログラムの開発が必要なのである。

反政府デモのウクライナ

あたかも自然発生的にみえる大規模デモではあるが、これまでの経験からこれが「人為」であることは明らかである。

こうした「イベント」をかんがえる上でのポイントは、基本にもどっての「5W1H」なのである。

いつ (When): 時間
どこで (Where): 場所
だれが (Who): 人物
何を (What): 事柄
なぜ (Why): 理由
どのように (How): 方法

ブルームバーグによると、「22日夜に発生したデモは、キーウ、リビウ、オデーサで数百人がデモに参加した」とある。

一斉に、同じ時間に複数の都市でおなじ理由で、ということだけでも何者かによる指示・指導があるとみられるのである。

つまり、組織的、なのである。

同記事によれば、ゼレンスキー政権発足後初の反政府デモだということに注目すると、よくこれまでなかったことの方が不思議である。
それで、これまでとなにがちがうのか?をかんがえたら、ロシア軍の東部四州占領の実態が、もはや隠せなくなったばかりか、これを越えての攻勢があるからだ。

もちろん、これまでなかったことの大きな理由に、ゼレンスキー政権の厳しい取締(言論統制)があったからだが、なぜにいま、これをおそれずに立ち上がる人たちがでてきたのか?という疑問が生じるのである。

そもそも、ウクライナ戦争(ロシアは「特別軍事作戦」)の発端は、ロシア軍の侵攻ではなくて、2014年の「マイダン革命」に遡るのは常識である。
この革命によって選挙で選ばれた親露派政権が崩壊し、親米政権が誕生したのは、歴史的事実である。

しかし、その「親米」とは、アメリカ民主党=共和党主流派=ネオコン=戦争屋との「親」であった。
仕掛けたのは、当時のアメリカ国務次官補だったヴィクトリア・ヌラーンド(バイデン政権で国務次官から国務副長官代理にまで昇格)であることは、もはや周知の事実である。

こんどのデモは、この方法そのままのやり方を踏襲している。

つまり、何者かが、ゼレンスキー政権打倒の狼煙をあげたのである。

この何者か?とは、誰なのか?
トランプ政権2.0かもしれないし、EU=NATOかもしれない。

なんにせよ、ウクライナ全土をロシアに占領されたら困る(利権がある)ひとたちが、いよいよゼレンスキー政権に見切りをつけたということだとかんがえられる。

しかし、わが国は岸田政権下で、ウクライナ復興のスポンサーに名乗りを上げているから、戦争が早期に終わるのは結構なことだが、日本人が費用負担する出番がやってくるのである。

すると、いよいよ、反政府デモが東京に出現するかもしれぬ。

その政府とは、当然に「自・公・立憲共産」政権のことだけど、ウクライナ支援に感涙したひとたち自身の反旗となるのではないか?

理由は、「騙された、くやしい」であろうか?

しかし、わが国がより厳しいのは、戦勝国ロシアの「隣国」であることだ。

30日朝のカムチャツカ半島での大地震による津波で、大動脈の東海道本線が運行を停止したのも、リスクを避けることが最優先の弱さの象徴でもある。
結局、1日おいて31日は始発から通常運転なのだ。

ときに、カムチャツカ半島より南の樺太がかつて日本領であったことをしっている日本人も、もういない。