公正さを失った放送局の恥さらし

世界が注目する中、現地時間の1日、アメリカCBSニュースの主催で行われたのが「副」大統領候補討論会だった。

これが投票日までの期間で最後の候補者討論会だというのは、カマラ・ハリスが要求した3度目の大統領候補討論会について、トランプ氏が拒否したからだ。
例によって例のごとく、大手マスコミは、トランプが逃げた!、と宣伝している。

この事情は、1回目が、バイデンを撃沈させたあれだし、2回目ではカマラ・ハリスを沈没させたので、もういいだろう、というべきとろだが、じっさいに、1回目のCNN、2回目のMSNBC、そして今回の初となる副大統領候補者討論会の、CBSと全部の放送局が、親民主党・反トランプの姿勢をあからさまにしているからである。

これは、前回4年前もおなじであったから、変化も進化もしていない。
けれども、ぜんぜん「モデレート」ではないのに「モデレーター」と呼ぶ司会者のあからさまな偏向ぶりは公正さを事前に放棄したとしても、もはや望むべく「討論」にはならない。

アメリカのマスコミは、自社の政治的立場をあらかじめ明確にして、読者や視聴者にも公表するということはやっている。
だから、以前は、気に入らない新聞やらテレビ・ラジオは観ない・聴かないという選択ができたものだった。

しかし、昨今は、ジョージ・ソロスやらの「株主資本主義」という、株式保有率による株式投票権支配=経営(権)乗っ取りが行われて、もはや全マスコミが民主党支持を株主から強制されるまでになってしまったのである。

よって、単なる出演者にすぎないキャスターたちは、経営方針に従って民主党への偏向を行わないと、「上」から解雇されるのだ。

このような強制が白昼堂々おこなわれるのは強欲資本主義を抑制させるための、「独占禁止法」を、行政が民主党政権による政治的に作動できないとこうなる、という見本になっている。

禁欲的道徳が社会に満遍なくあることて初めて存在できる「資本主義」の脆弱性を保護するために、独占禁止法が必要なのだ。

ここで、いったん話を「資本主義」に振り返ると、「株主」とか「強欲」とかをわざわざ「資本主義」に連結させるのは、本来の「資本主義」とはちがいますよ、という意味の表記であると気づかないといけない。

これらは、しっかりと共産主義者が考案した、資本主義に対するイメージ悪化のためのキャンペーン用語なのである。

厳密にいえば、上で書いたように、「資本主義」には社会が道徳に満ちている、という成立条件が必要すなわち、決定的な脆弱性があるために、アイン・ランドがいうように「未来のシステム」であって、人類はいまだ「資本主義」を経験してはいない、という論が成り立つ。

だがしかし、このブログで何度も書いてきたように、わたしは、江戸時代から明治の日露戦争までの時代が、人類史上で初めてにしていまのところ最後の「資本主義の成立した時期」だったとかんがえている。

残念ながら、自民党やこれをシンクタンク機能として支えている官僚機構は、再び日本における資本主義の成立目指すのではなくて、国民を強権的に支配する方向、つまり、グローバル全体主義(共産主義)に向けて疾走しているのである。

アメリカのマスコミの翻訳記事しか送ってこない「特派員」は、東京のデスクが、まともな独自レポートをもっと上の「編集方針」によって没にすることを熟知している。
送信記事の不採用本数だけが、当座における減点主義の社内評価なので、地位と収入の両面から、デスクが気にいる記事しか書けない。

これを、カネを出して読者や視聴者は強制的に買わされているので、もはや買う必要がなくなったのである。
そうやって、無料配信しても収益となる別のビジネス・モデルを構築した「ヤフーニュース」が、わが国におけるニュースシェアのトップになった。

けれども、だからといって信頼できる情報がただで手に入るものでもない。
玉石混交ではあるが、「X(旧ツイッター)」が世界最大ニュースサイトになったのは、もちろん偶然ではなく、おおよそ大卒の一般人が自分でファクトチェックができるくらいの能力があると証明している。

そうやって、有料のマスコミは「貧すれば鈍する」におちいった。

大金を出資してくれる大株主の意向にはまりこんで、ますます本業における客を失っているのだ。
しかして、経営赤字となって株価が無価値となれば、高いカネを出した者たちも困るから、早くマスコミを経営困難にさせることが、いまやまともな一般人の喫緊の課題になっている。

さらに、共和党が、行政=大統領、立法=連邦上・下院を支配できれば、正しく独占禁止法が適用されるような司法省の動きになるだろう。
ただし、SESの資格をもつ高級官僚たちが、いうことをきけば、という条件がついてくる。

大統領選挙後の共和党トランプ政権2.0には、SESたちとの死闘が控えている。
トランプ政権1.0での苦い経験が、どんな手をかんがえついているのか?
それがまた、わが国の官僚機構にも影響することは必至なのである。

アメリカが変わると、日本も変わらざるを得なくなる。

現状では、まずは、この構造変化に期待したい。

「地位協定」に言及しない所信表明演説

ふだんから言っていることと、公式にやっていることが一致しない。

これをふつう、「有言不実行」、「言行不一致」という。

ほとんどなにも期待するところがない、ふだんの石破氏の発言で、唯一の大ポイントは、「日米地位協定の見直し」を口にしていたことであった。

外国との約束事で、もっとも重要なのは「条約」であるけれど、敗戦後の日・米の歪んだ国家間の約束事で、最優先・最上位にあるのが、『日米安全保障条約』のはずがそうではなくて、『日米地位協定』の方なのである。

『日米安全保障条約』は、あたかもアメリカの側に重い「片務条約」だといわれている。

日本の安全をアメリカが保障する、と。

なんだか、か弱い女子を俺が守り切る!といって鼻息を荒くする不良のようなのだ。
しかして、その裏にある欲望とは、「俺のもの」という所有権の発露であって、それこそが「地位協定」なのである。

沖縄やらどこぞで起きる、米兵による暴行事件の後始末は、江戸末期の「不平等条約」とおなじく、犯人が日本の法によって裁かれることはない。
しかし、「地位協定」はそれだけを定めてはおらず、もっと重い。

このところ、SNSを賑わせているひとつに、特定外国人の観光客が、わが国の「運転免許証」を所持して、レンタカーを使って(人身)事故を起こしている不思議が解明されたことがある。

わが国では、当該の外国が、国際運転免許条約に加入していないために、この特定外国人が自国で所持している「国際運転免許証」でも、わが国での自動車運転はできない。

それで、観光ビザがあれば、滞在中のホテルの住所で、なんと運転免許証が交付されていたことが判明したのだ。

もちろん、国土交通省を牛耳る与党の片一方の仕業だとSNSではいうが、運転免許証は公安委員会の管轄だから、国家公安委員長が絡まないとできない。
これが、連立内閣の連立している効果なのである。

トランプ政権「2.0」になれば、もしや地位協定どころか、安保条約だって先様から破棄の提案をされるやもしれないが、今回の有言不実行は、アメリカを相手に怯んだというよりも、特定アジアの外国人への事実上の「地位」を与えていることの矛盾を、内閣官房の事務方から指摘されて引っ込めたのではないか?と疑う。

もうひとつの威勢のいい、「アジア版NATO設立」だって、外務省あたりから、まった、がかかって言えなくなったのではないか?

なにせ、ロシアが北と組んでいるし、西側のウクライナへの肩入れから、あろうことかロシアと中国が手を結んでしまったから、わが国はこれら3カ国から狙われている状況がある。

まことに、バイデン政権の東アジア軽視によって、歴史的窮地にあるのはわが国なのだ。
それを、「台湾有事」なる他人事の幻想で誤魔化している。

結局のところ、「軍事オタク」のままで、ぜんぜん思考力がないことを、世界に向けて発信してしまった。

苦し紛れのアメリカ民主党は、オクトーバー・サプライズとして、この後に及んで「1月6日事件関連でのトランプ起訴」をまたしてもやって、これをオバマが指名した裁判官が受理した。

即日、起訴状まで公開されるという異例だが、前回の裁判で「連邦特別検察官としての身分に疑義あり」と裁判官が認めた、連邦検察官が今回も起訴をしたから「?」になっている。

民主党がアメリカを西部劇のような無法地帯にしている。

起訴のたびにトランプ支持が拡大する法則を、民主党は学習していないのか?
おそらく、不正選挙をやっても勝ち目がない状況で、やることがなくなったのだろう。

そんなわけで、自公政権が追い込まれていながらも、親米・拝米から、親中・拝中にシフトをはじめたのかとおもわれる。

スリランカの左傾化と日本

先月21日の大統領選挙で、左派(マイルドな言い方)の大統領が誕生した。

この国の正式国名は、「スリランカ民主社会主義共和国:Democratic Socialist Republic of Sri Lanka」だから、いまさらの「左傾化」とは、中心の「社会主義」より左という意味なので自動的に「共産化」を意味する。

「民主」がついているのは、おまけであって、あの北にだって「民主」はついている。

この国は、大陸インドに近い島国のために、英国や日本、あるいは台湾と似て、「反大陸」という気分が充ちている。
そうでなければ大陸の大きな国家に、呑み込まれてしまう、からである。

つまり、自己防衛本能が作動するのである。

ゆえに、スリランカ人は総じてインド人を忌み嫌う。
たとえば、われわれから見たらおなじに見える、女性の衣装「サリー」の着付け方法もちがうので、かれらは一目でインド人かスリランカ人かを見分けるのである。

インドでは2%しかいない仏教徒も、スリランカでは国民の8割という比率である。
しかしながら、人数にするとインドの2%の方が、国全体で2000万人のスリランカ人口よりも多いのである。

けれども、当然に構成比で8割ともなれば、国民文化にあたえる影響は2%とはぜんぜんちがう。
混沌のインドに比べて、スリランカの民度の高さのちがいは、台湾人ならよほど骨身にしみるほどの理解をするだろう。

インドもスリランカも、おなじ英国の植民地となったのに、あたかも台湾が日本領となったように、スリランカ人の秩序ある生活ぶりは日本人にも馴染めるものであった。

しかし、以前に大統領を兄弟で輩出した一族が、私腹のために組んだ中国に売国して、一族最後の大統領はとうとう国外逃亡をするまでになったのである。
ところが、それ以降もぜんぜん改善されない混沌のために、とうとうクリーンな「左派」の政権になったという顛末にみえるし、そう解釈されている。

わたしはそうはおもっていない。

むしろ、大親日国家であったことのひとつの結論なのだとかんがえている。
スリランカ人は、小学校から初代大統領の偉大さをたたき込まれているが、このひとがまた、日本大好き人間だったのである。

遺言に、角膜の一方をスリランカ人へ、そしてもう一方を日本人にと残して、遺族によって実行された逸話をしらないスリランカ人はいない。

スリランカと日本の懸け橋になりたい、という生前からの希望の実現であった。

東京裁判で、インドのパール判事が唯一日本無罪論を唱えたことは事実ではあるが、スリランカ人からしたら、インド人のパールにわが大統領の主張が盗まれた、とみているのである。

こうした話のおおくを、現代日本人のほとんどがしらないのは、台湾の歴史事情や果てはポーランドの孤児救済のはなしと同じで、相手方からの熱烈な片思いに、シラッと無視する嫌な奴状態にあるのだが、それが戦後教育のなれの果てだ。
GHQ(民間情報教育局:CIE:Civil Information and Education Section)によって計画されたからなのである。

スリランカは国として、ほんとうは中国でなくて、日本に積極投資して欲しかったのにできなかったのは、アメリカ(民主党=軍産複合体)がインドへの投資を推奨し、あたかもスリランカを見棄てたことにある。

しかし、スリランカ人の親日感での目は、哀しき勘違いとして、日本の自民党の共産化と親中ぶりをみていたのである。

おそらく、これを真似れば、日本のようにうまくいく、とインテリほど思いこんだにちがいない。

いえいえ日本は、うまくなんかありません、衰退がとまらずに加速していることがわかりませんか?とスリランカ人にいってあげたい。

旧宗主国の英国の衰退と、日本の衰退の類似点は、保守の左傾化=共産化にあるのだ。

これを国連が旗を振っていて、アルゼンチンのミレイ大統領が大批判したことは書いた。

スリランカ人は、アルゼンチンのミレイ氏に教えを請えばよかったと残念におもうのである。


総理大臣の代数

1日、「第102代」の内閣総理大臣として、石破茂氏が就任した。

なにも石破氏にだけこの件で文句をつける筋合いではないが、「主権喪失」という厳正なる事実をもってかんがえたら、勘定の方法がおかしくないか?とおもうのである。

あくまでも「数え方」として、初代の伊藤博文(1885年12月22日)に文句はない。
すると、第42代の鈴木貫太郎までで、いったん「終わり」にしないといけなくないか?

この内閣が、『ポツダム宣言』を受諾したからである。
しかして、鈴木貫太郎内閣は、日本の幸福とともに辞職して、「皇族内閣」として、東久邇宮稔彦親王が組閣した。

鈴木内閣が総辞職した同日、1945(昭和20年)年8月17日のことである。

伊藤博文が就任して、60年弱のことであった。

それで、わが国が主権を回復するのは、1952年(昭和27年)4月28日である。

だから、主権がなかった期間=すなわち占領期を、「歴代」として勘定していいものか?という問題がある。
具体的には、東久邇宮内閣 ➡︎ 幣原喜重郎 ➡︎ 吉田茂 ➡︎ 片山哲 ➡︎ 芦田均 ➡︎ (第三次)吉田茂、までで、正確には最後の「第三次吉田改造内閣」が主権回復の日をまたぐのである。

ようはこの期間は国会があってもなくても、「連合国のしもべ」であった。

すると、第三次吉田内閣からそのまま第5次吉田内閣と続くので、独立後の戦後から勘定を始めると、吉田茂がいきなり初代から3代までとなる。
それで、次が、鳩山一郎でこれが第三次まである。

この二人だけで、もう6代を消化して、その次の7代目が短命だった、石橋湛山内閣で、8代目に岸信介が2次までやる。

つまり、通しでいう「歴代」の49代目が吉田茂の戦後初代とすればいい。

なので、石破氏は独立後72年目の、戦後53代目の内閣首班だということになる。

ところで、敗戦でやり手がなくなって不可侵のはずの皇族から首相になった東久邇宮は、たった54日にして辞職したのだが、その理由が、「GHQの指令拒否」という心意気だったことが忘れられている。

その指令とは、「自由の指令」というもので、GHQ民政局のホイットニー少将とケーディス大佐が仕組んだ、「左傾化」案のことである。
浅はかにも、国家主義的思想を社会主義で中和しようとしたものだった。

これが後の巻き戻し、すなわち、「レッドパージ」になって、マッチポンプのような一人相撲からの不可解な事件が相次ぐ。
まさに、権力の横暴による謀略を必要とする事態にまで発展・悪化することになって、罪なき一般の日本人が犠牲になったのである。

こうしたヘンテコな「中和策」の申し子が、石破氏を担ぐ自民党の多数なのである。
つまるところ、GHQによって育てられた、「新しい日本人」なのである。

だから、外国からの移民が「新しい日本人」だというのは、対象範囲が狭すぎる。

東久邇内閣は、昭和天皇の終戦の詔勅(玉音放送)にあった、「平和的新日本を建設して人類の文化に貢献せしむことを欲し」を、国家目標とした。

じつは、9月23日に発表された、「降伏後に於ける米国の初期の対日方針」には、「米国の目的を支持すべき平和的かつ責任ある政府を究極に於いて樹立すること」が示されている。

歴史学者のジョン・ダワーは「傲慢な理想主義を顕著に表している」と評した。

さてはこの「新日本」が、とんでもない解釈になっているのが、現代日本なのであって、いまなお、「米国(民主党)の目的」のためにあるのが自公政権なのだ。

だから、人類文化の破壊に貢献せしむことばかりを、国連の命に従って盲従することができるのである。

納得。

フランス国債金利の上昇

金融面から世界を眺めるのに役立つ「モハPチャンネル」さんが、9月末に公開したのが今日の話題である。

いってみれば、その国の信用度が国債金利になるから、安定していると評価されれば誰もが買いたくなるので、売る側の国家(発行母体はだいたい「財務省」という)は、表面金利(利回り)を低くしても売れる。

なので、買う側が得られる利回りは低くなるので、メリットが減ってしまうからこれを「国債の値上がり」という。

逆に、信用の薄い国が発行する国債は、表面金利を高くしないと売れない。
金利負担は、国債を発行する国の側になるから、国からしたら負担増でも、買う側からしたらメリットが増えて安くなった(値下がり)ということになる。

一般的に、安く買って高く売る、というのが鉄則だから、利回りが低い国債を買っておいて保持していたのに、その後、利回りが高い国債がおなじ国からが発行されたら、もっていた国債の価値がさがってしまう。

それで、この利回りの金利差が大きいと、大暴落とか大暴騰とかになる。

「安く」なっても、満期には約束の利回りがついて償還されるので、そのまま保有するか損を覚悟で売りに出し(損切り)て、現金に換えるかの選択をすることになる。
「社債」でもおなじことがいえるけれども、社債の場合、その企業が倒産したら紙クズになるリスクがある。

めったにないが、国家破綻(デフォルト)してもおなじだ。

デフォルトといえば、2009年のギリシャでおきた。
このトリガーは、政権交代してできた新政権が、財政赤字の統計情報を誤魔化していたことでの信用不安だった。

さてそれで、ヨーロッパでは、フランスのマクロン政権の政治が不安定になって、ル・ペンの国民連合つぶしだけで結束した「左派連合」は、やっぱり結束することができないで、7月の総選挙後2ヵ月も新首相がきまらなかった。

似たことが、オーストリアでも起きている。
かつての二重帝国でいまは隣国のハンガリーのオルバン政権の影響もあるだろう。

ところで、左翼の政策には、一種の共通点があって、それが「プライマリーバランスの黒字化」なのである。
この思想は、国民がどうなろうがかまわず、国とその運営者たちに利益があればいいからだ。
例外は、じゃんじゃん赤字をでかくしているアメリカ民主党政権だ。

ただし、アメリカには世界の基軸通貨=ドル発行の、巨大な通貨発行利益がある。

わが国でも、財務省の「悲願」としているのがこれだ。
しかし、政府が黒字化することと、国民生活が豊かになることは、ぜんぜんイコールではない。

この「プライマリーバランス黒字化」の議論に、国民負担率の議論を加えるか無視するかで、方策がまったくことなるからである。

フランスでも、「増税」が大統領とその与党連合にあるのは、日本の与党とおなじ思想背景(グローバル全体主義)があるからだ。

かんたんにいえば、「減税」をやって「プライマリーバランス黒字化」をはかる、という政策選択がないといけない。
しかしながら、グローバル全体主義者たちには、かんたんな計算もできない(わざとしない)ので、問題をみただけで「不可能」ときめつけて思考停止する(ふりをする)のである。

けれども成功例があって、それが「トランポノミクス1.0」であったし、もっと前の「レーガノミクス」であった。

思い切った減税による経済の活性化で、税収を増やすことができる。

そればかりか、政府の市場介入(規制)を極力減らし、自由取引をさせることで、減税効果と相乗効果が生まれることは、もう実証済みなのだ。

わが国にあてはめると、「規制」のなかに、各種特定団体への補助金も含まれる。
肥大化した国家予算のコントールができないのだ。
それが、バブル以来40年の自民党政権による経済運営の失敗評価の根拠なのである。

しかし、グローバル全体主義者たちはこれを嫌う。

なぜなら、既得権益を失うことがとにかく嫌なのだ。
英国は破滅的な労働制権の登場で、より「底入れ」が早まっているけれど、これにフランスが後追いしていて、わが国も同様の状態にある。

さらに、フランスはアフリカ植民地の利権を失いつつあり、それがロシアの方に傾いているから、ウクライナにフランス軍部隊を派遣するなどという暴論をマクロンがいって、さしものEU首脳たちがドン引きした。

当事者のゼレンスキーが背に腹はかえられず、トランプに平和交渉を直接依頼するにいたって、おそらくフォン・デア・ライエン以下は机を叩いて狂乱しているにちがいない。

そんな愚か者たちの目の前で、金利というベクトル上の力学的結果数値に、フランス経済も混沌とすれば、まさにル・ペンの出番となるのである。
いまや青色吐息のシュルツのドイツも、ECBをつかって救済することもできないのだ。

そんなわけで、17年ぶりにフランスの国債利回りがスペインよりも高くなったのである。

スペインは、成長率でもフランスを越えたが、それが「政策の違い」の結果なのである。

組閣の破綻が示す米国総選挙への期待

石破ショックの続きである。
9月30日、自民党人事と新内閣の顔ぶれがわかった。

新内閣は、10月1日に発足し、9日に解散・総選挙、27日開票、という日程も発表された。
ようは、ボロが出ないうちに解散してしまえ、というご都合が見てとれる。

しかしながら、岸田首相が選挙に踏み切れなかったのは、DSの指示による不人気政策を断固実施する、という見事な「滅私」的政治判断であったことに、反作用としての輿論との断絶ができて、支持率の歴史的な低さからの大敗北への確信があったからである。

だから、国民の意識が切り替わったものではない。

それでもって、総裁選不出馬の判断も、自身への致命的な傷を負わないための逃げ切りをはかるもので、ちょうどいいスケープゴートとして石破氏がそこにいたのである。

こんなことから、わたしは、極左でかつアメリカ民主党のポチの高市を岸田は温存した、とかんがえている。

それだから、他人事としての党組織のけじめだけははっきりつけている。

まず麻生太郎を最高顧問に祭り上げることで、ちゃっかり菅氏を副総裁の席にはめこんだ。
しかし、菅氏にはバイデン以上の認知問題がある。
あとは、岸田自身の論功行賞をどこでどうするか?という、国民からはどうでもいいことが焦点になるのだろう。

つまり、キングメーカーとしてのボクちゃんという自己満足である。

これで石破氏の危険思想と岸田、菅の危険思想が揃って政策になることは必定で、立憲民主が「右」に見えるほどの共産化が止まらない。

「総崩れ」が予想された、英国の総選挙では、現職首相を含めて何人の閣僚が落選するか?が注目された。

これと同じ現象がわが国でも展開するのだろう。

それにしても、井川意高氏がネーミングした「メルカリ内閣」とは見事だと感心する。
「不用品活用」の意味だと本人が解説しているとおりで、日陰にあって主流派になれなかったひとたちで内閣ができている。

それが「初入閣」のオンパレードになった原因だが、経験者も決して過去に褒められたことはないので、自民党の人材枯渇の実態に呆れるばかりなのである。

まさに、本社のアメリカ民主党の人材枯渇をそのまま縮小コピーした感がある。

この顔ぶれで選挙に打って出るというのは、石破氏の勇気なのではなく、国民意識との乖離が決定的なレベルにまで達したという意味に違いない。

すると、上に書いたように、なんだか安心して立憲民主にも投票できるのは、あの「究極の選択=ウンコ味のカレーかカレー味のウンコか?」という恐るべき選択肢を提供してくれたのである。

ちなみに、わが選挙区では、レジぶくろうの推薦人となり、街宣車まで繰り出した人物が、国家公安委員長として大臣になった。
けれども、このポストの先輩、小此木八郎は菅内閣でなった国家公安委員長を辞職して臨んだ、「カジノ選挙」での横浜市長選に敗れて政界引退にまでなったのである。

なんとも、横浜における国家公安委員長は、不吉なのである。

どちらにせよ、やっぱりアメリカ大統領選挙「前」に総選挙をやることになったのは、ギャラップの調査によるこの30年間で初の支持政党で「共和党有利」となったことを、外務省から教えてもらったからだろう。

いまや、注目はほぼ決まった大統領選挙よりも、連邦上院議員の3分の1入れ替え選挙の動向(人事権がある)なのだし、もちろん連邦下院総選挙(予算権がある)の結果なのである。

引退するふたりの民主党上院議員の補欠選ですでに、両議席とも共和党候補が奪取すると予想されていて、はやくも上院は51対49で共和党が過半数をとることが確実視されている。
あと何議席増やすのか?に注目があつまっているのだ。

すると、「日本総督」の交代も確実で、自民党はアメリカ共和党からいじり倒されるシナリオがますます現実味を帯びてきた。
まさかの、トゥルシー・ギャバード女史が日本大使になるかもしれないし、連邦下院選挙の結果次第(大勝利)で、1議席減らしてもマージョリー・テイラー・グリーン女史だってある。

ならば誰が共和党と組める日本の首相をやるのか?

少なくとも石破氏の出番は、あと1ヶ月とかの選挙管理内閣ではないのか?
彼が居残るには、日本の総選挙の結果次第とはいえども、その後のアメリカの総選挙結果の壁が高すぎるのである。

「石破ショック」報道のショッキング

27日の自民党総裁選で選ばれた、石破茂氏に関する外国メディアの報道が、ショッキングなのである。

もちろん、ここでいう外国メディアとは、左翼偏向報道プロパガンダ機関のことだ。

それでなにがショッキングなのかというと、これらの機関が共通して、首相になった石破氏は、「トランプ大統領」がアメリカ政府のカウンターパートだと書きたてているからだ。

どこも、カマラ・ハリスが相手だと書かない。
なんだかわからないけれど、アメリカ大統領選挙はもう終わって決着がついたようだ。

じっさいに、自民党総裁選が行われた同日(といっても時差がある)、トランプ氏はニューヨークのトランプタワーでウクライナのゼレンスキー氏と会談した。
予算を連邦下院で通されないことをしっているバイデンは、またまたウクライナ支援の大盤振る舞いしたかのような発言をして、日本のメディアもたんなる「翻訳」を載せている。

これら現職と前職かつ候補者の対照的なできごとで、世界はすでに実質的な大統領にトランプ氏がなっていると認識しているのである。

ついでに、ほぼ日本語で報道されていないけど、いまさらに、ついこないだ終わった前回の大統領選挙の「再集計」で、逆転のトランプ氏勝利が確定した州があるために、トランプ氏はじっさいの大統領といって差し支えない状況になっている。

それで、一部の民主党員は、あと残りの任期がない、という話まであるのだ。
この11月、トランプ勝利の暁には、すでに「二期やった」ことを理由に、当選無効を民主党はいいだす可能性がある。

共産主義者とはそういうものだ。

対して、もう辞めるのに訪米したキッシーは、バイデンとは真逆に国会で予算を通せる絶対安定多数を背景にして、ほんとうの持ち出しを約束している。
まさに、バイデン政権のATMだし、それがどんなふうにウクライナで使われているのかの監査も日本はできないから、ウクライナ最高勲章を日本人のカネで買ったようなものになった。

こんな戦争当事国の一方にだけ荷担したら、もう一方でしかもわが国とは隣国のロシアがどう出るかはだれにだって予想できる通りで、すでに発動された「敵国認定」が強化されている。
しかし、ロシア報道をしない、ことから日本人に隣国の存在を意識させないことが見事に功を奏している。

だが、ロシアでは戦時中の「731部隊」に関するキャンペーンも行われているのだ。

さて、ゼレンスキー氏が大統領になるはるか前(ようはソ連崩壊時)から、ウクライナは世界最高峰の汚職大国で有名だった。
いまさら「監査」を日本が言っても相手にされるはずはないし、おそらく「監査システム」さえあの国には存在しないだろう。

自公政権の売国の度合いが激しくなって、もう誤魔化せないからあからさまな検事総長人事もやって、アメリカ民主党よりも強固な「司法の武器化」も、わが優秀な官僚機構は徹底的にスキのない構築・完成をさせたのである。

それがまた、民間に波及して、明治製菓ファルマの社長が25日、非科学的な主張を繰り返す医学・薬学の専門家(団体・個人)に対し、「当社は民事・刑事両面での法的措置を含め厳正に対処していく」と表明した自信(なんらかのゴーサインがあった?)になったのだろう。

たしかに、「専門家」が買収されて、非科学的な主張をするとしれたが、それはどちらかというと「政府側」にあるから、社長の主張は言い得て妙ではある。

ついでに、わが国だけでも「薬害の歴史」をみれば、全事例で政府がまちがっていたことの証明となっている。
だから、この社長の発言は、「歴史への宣戦布告」として、当然のデジタル・タトゥーとなって、後世に残るものとなった。

ご自身の子孫にどんな害悪をなすか?すら想像もできない、阿呆の自己紹介を国民は目撃したのだ。

明治のチョコレートを何グラム食べてきたか忘れたが、おそらく残りの人生でお世話にならないと決めたひとがおおいのは、健康面からみても結構なことである。
ちゃんとした「腸活」をすれば、いがいにもそんなものを欲しいともおもわない、生理的食欲自制ができるようになる。

ところで、世にいう「石破ショック」とは、なんでも決戦にのこった高市早苗が負けたことに起因するショックらしい。

何度も書くが、高市早苗は、極左であって、決して保守ではない。

まったくもって、定義が定まらない「保守」という用語を基準にすると、そべての論理が砂上の楼閣になるいい例なのだ。

その高市の敗戦の弁は、「安倍さんに申し訳ない」だった。
地元奈良県での安倍氏暗殺について、なんにもしない、ことで通したひとから出た言葉に唖然とする。

勝った石破氏も自身の8月7日発刊の最新著作『保守政治家 わが政策、わが天命』で、「保守」なる魔語を使用している。
おおげさにいえば、ヒトラーの『わが闘争』の・ようなもの だ。

わたしはどうしたことか、ヒトラーのこの本を高校生のときに読んだ。
途中で気持ち悪くなったのは、ほんとうに吐き気がしたからで、わが読書体験で初のことだった。

聖書を棄てて、これに替えたドイツ人の熱狂のほうが怖かったけど。

しかしながら、石破茂が選ばれて熱狂する日本人が皆無なのは、まだ健全だといえるかもしれないが、もしも高市氏が勝って熱狂したなら、よほどのことだ。
ただし、それからの地獄をみた方が正気に戻るにはよかったかもしれない。

どちらにせよ、神奈川県のおバカ二人が沈んだのはもっともよいことで、河野氏に至っては前回よりも万単位を上回る単位の党員票を失ったのは、衆議院選挙での落選をおおいに期待させるよきことであった。

さて、トランプ氏が共和党の上・下両院をどこまで伸ばすのか?に焦点が移ってきた。

問題は、政府高官人事と外交を司る、上院での獲得議席数なのである。
これで、上・下両院共にトランプ派が抑えれば、わが国の体制転換も現実になる。

自力でできないのがなんとも情けないが、これだけが日本と日本人の生存をかけた運命の選択だから、アメリカ人にはなんとしても発憤してもらいたいものだ。

禁止の国

会田雄次の名著『アーロン収容所』に、日本人には見なれた「禁止」の看板・張り紙のはなしがでてくる。

1916年(大正5年)生まれの会田雄次氏が、徴兵で兵隊になったのは1943年(昭和18年)のことだった。
つまり、27歳で新兵(歩兵一等兵)になったのである。

1942年に京都帝大の副手と龍谷大学の講師になったばかりだから、学徒出陣の「学徒」ではないために、学徒で出陣(「少尉」任官)した年下の者たちが上官だった。

ちなみにその前の1940年に京都帝大を卒業し同年、同大大学院に進学した以降のことである。
なお、「文学博士」の学位を得たのは、戦後、1962年、「新制の京都大学」からの授与で、論文は『ルネサンスの美術と社会』だった。

会田がみて育った「禁止」は、日本の伝統なのかどうかはしらないが、21世紀のいまでもいたるところで目にする。

たとえば、客商売の最高峰と自負する高級ホテルや豪華クルーズ船とかでも見かけると、その組織の語彙力とこれをふつうだとすることの奥にある安易な思考を疑うのだけれども、同時に、豪奢のメッキが剥がれた発見の瞬間として、わたしはなんだか心躍るのである。

この夏に、東京新宿の老舗デパート入口に、中国語だけで表現された「禁止」の張り紙が、特定国人への差別だとして指摘され、このデパートがすぐさま撤去したのが日本語媒体での話題になったのである。

はたして、撮影されてデジタル・タトゥーになっているそのものは、いまようのスマホのカメラアプリで自動翻訳されてはじめて意味が分かる「禁止文」であった。
つまり、一般の日本人には理解不能で、それが禁止文であることすらぱっと見でわからない表示なのだ。

日本人一般からしたらその内容の、注意喚起の正当性から、一部からの批判の声ですぐさま撤去したデパート側の軽さが、かえって批判の対象となる椿事となったのである。
そんなかんたんに撤去するなら、事前にどんな「効果」を考慮したのか?という、予測問題を検討しなかったことが指摘されるはめになってしまった。

やはり、かんがえが薄いことからのメッキが剥がれた発見を多数に体験させたこととなった。

一方で、たとえば、山中の狭い道で、小さな赤い鳥居が並んでいるのは、たいがいが「不法投棄禁止」の意味だとわかるし、繁華街の道端なら、むかし電信柱にたいがい貼られていた「立ち小便するな」の意味がある。

そういえば、「立ち小便」が軽犯罪になったのはわたしが子供の頃だった。

「鳥居」という記号の意味が瞬時に理解できる日本人ばかりならよかったが、さいきんではこれを無視した宗教の外国人がやらかすと話題になっている。
ために、よくされてしまう場所での防止策として、監視カメラとライトの点灯やらの方策があるそうな。

外国では、よく反射する塗装など攻撃的な方法もあるのは、「肉食の思想」だからだろう。

一方で、日本の神社が外国に進出して、神前式かつ和装での結婚式が流行っているとも聞く。
そのために、着物レンタル&着付け、それに日本髪結サービスも用意されているし、参列者には事前にどんな意味の儀式なのかについてのレクチャーがあって、これがまた教養あるひとには特に人気だという。

どこまでの説明かはしらないが、イザナギ・イザナミの話をするのだろうか?

そんなわけで、日本には、「禁止」の文字をあちらこちらでみかける文化がある、すなわち「禁止の国」なのである。

これは、幼年期からの訓練もある、奴隷国家としての日本独特なのだ。
しかしていまでは、家畜国家としての「禁止」を政府が推進する状態になった。

24日、アルゼンチンのミレイ大統領が国連総会で演説した。
それは、22日に採択された「未来契約」に関して、社会主義だという反対・糾弾演説であり、国連総会で堂々と国連という官僚組織を糾弾したのである。

まさに、「王様は裸だ!」との指摘は痛快である。

だが、岸田首相が現地で「美辞麗句」、「巧言令色鮮なし仁」そのもののえらく軽い内容の演説をし、さらに自民党総裁選で候補者のだれもがこの演説と採決を話題にもしないわが国は、やっぱり「禁止の国」だった。

岸田派の投票が決めてになって勝利した石破氏は、すさまじい勢いで過去からの慣習を「禁止の国」に転換させるのは確実だ。
それを「保守」というのは、もう子供でも笑い出す破綻であって、カマラ・ハリスの支離滅裂を嗤えない。

意味がないことに意味がある

電車でテレビが観られると、鉄道会社が車内の液晶テレビでさかんに宣伝していた。

どうせロクなものではないとおもっていたら、観るにたえないくだらなさで目と脳が腐りそうだから、意識して観ないようにしている。
しかし、うっかり観てしまうとその制作の意図する罠にはまって、白痴化の訓練を強制されるのである。

つまり、意味がないことに意味があるのである。

27日、自民党の新総裁がきまった。
これは意味がありそうで意味がないことだ。
いわゆる、操り人形、のキャラクターを選ぶもので、人形を操るひとを選ぶものではない。

なんだか、映画『ゴッドファーザー』のタイトルの実写版を観させられているようで、気持ち悪い。
だが、国民には自民党の終わりの始まりがハッキリと見えたことには意味がある。

問題は政権の「受け皿」なのは、誰にだってわかるのは、どの政党にも投票する気がしない、というものだ。

これは、教科書で習った「大正デモクラシー」の崩壊、すなわち、昭和の初めにあった「政党政治の腐敗」の極致の二度目のピークがきたという意味なのである。
一回目の受け皿になったは、「軍部」だったが、いまは存在しないし、斉藤隆夫などの骨があって知性もある議員がいたから、いまは昭和の初めよりもひどいことになっている。

衆議院議員の任期は、来年の10月30日なので、あと1年間ほどにぜったいに選挙はある。
何度も書くが、アメリカ大統領選挙の影響をモロかぶりする。
ただ、解散総選挙は、解散してから40日以内に選挙をしないといけないので、11月5日の大統領選挙前に日本での選挙は日程的にムリがある。

決選投票に残れず沈んだ、レジぶくろう君が「即解散」といったのは、ムリクリでもアメリカ大統領選挙前にやるという意味だった。
石破氏がどうするかは、わからない。

そのアメリカ大統領選挙は、「ワードサラダ(支離滅裂)」とか「カメレオン(相手にあわせて意見を変える)」とかと酷評されているカマラ・ハリス候補が失速している。

わたしは、トランプ&ヴァンス陣営が、レーガン大統領の記録、49州での地滑り的勝利(負けたのは1州とワシントンD.C.だけだった)を塗り替えるのか?に勝手に期待している。
すなわち、全米での勝利だ。

いま、アメリカ人のなかでずっと民主党支持だったひとたちが、トランプ派の党になった共和党に乗換を急いでいるのである。

そんなわけで、共産化した自民党は、トランプ&ヴァンス陣営に勝ってほしくないのに、こちらかのコントール不能になって、ただハラハラドキドキしながら眺めるだけの「同盟国」であることも国民に晒したのである。

その無様は、トランプ氏にわざわざ面会した麻生氏の顔面蒼白になって、全国に放送された。

現職「副総裁」の権威はみじんもない。
さらに現職「幹事長」の大敗北は、まさに「人徳」の大事さをおしえる道徳の教科書のようなザマだった。

今回総裁選に立候補したひとたちはもちろん、推薦人にだれがなっていたのか?を有権者はチェックして、つぎの選挙で一網打尽に落選させることが選挙の目的だと明確になったのは、意味があることだ。

わたしも、小泉進次郎(レジぶくろう)氏を推薦した、地元議員には投票しないことを心に決めたのである。

では誰に投票するのか?
それはあんがいかんたんで、意識的に入れたくないひと以外であれば、だれでもいい、のである。

なにがどうあろうと、どうせ、アメリカの政権から操られるからである。

トランポノミクスでEU崩壊の期待

二度の大戦で戦場になったヨーロッパは、結局のところ、アメリカの援助で復興することになったので、裏返せば、この時点でアメリカによる支配がはじまったともいえる。

そのひとつの証拠が、1981年にエジプトの国民的歌姫、ダリダが移住先のフランス語で歌ったディスコ曲『Americana』である。
もちろん、この曲は母国エジプトでもヒットしたのは、79年にイスラエルとの平和条約が締結されたからである。

さて、「トランポノミクス2.0」が実行されたら(トランプ氏が大統領に返り咲いたら)、日本だけでなく世界が変わる。

南米では、アルゼンチンのミレー氏が先行して驚異的な実績をあげているし、もうひとつ、エルサルバドルでは、急激に犯罪発生が減っていまでは南米で一番安全といわれている。
ただし、日本の外務省は「レベル2の不要不急の渡航中止」アラートを出している。

あの国への渡航には注意がないけど、逆にあの国の外務省がわが国への渡航に注意喚起した。
日本のインバンド数が心配な業界人がいるのだろうが、わが国には制御不能である。

けれども、わが国が「トランポノミクス2.0」を制御することもできないので、やっぱり影響を受けるしかないという一方通行がある。
これは、アメリカの足元でいえば、左翼政権のブラジルとメキシコもおなじで、どんな制裁をくらうのか?ビビっているはずだ。

また、不法移民を輸出した南米各国や一部のアジアの国も、せっかく棄民(あるいは「スリーパー」を送り込んだ)したのに強制送還で戻ってくる恐怖もあるだろう。
ちなみに、「スリーパー」とは、行動開始の指示・命令を受けるまで「眠って待つ」といういみで、一朝ことあるときには戦士となるものをさす。

当然ながら、「戦後」を引きずるヨーロッパも日本とおなじ境遇だから、「トランポノミクス2.0」は、いまのEU委員会には至極都合が悪い。
とにかくウクライナ(人)がどうなろうとも、戦争を継続あるいは拡大させて、儲けたい、という強い欲求にあふれたひとたちが運営しているからである。

なので、「プーチン氏が率いるロシア」と、「全体主義体制だったソ連」との区別を教えないどころか、「おなじ」だというウソを宣伝するのである。

わが国では、1939年(昭和14年)にソ連軍と満蒙国境のノモンハンで関東軍(=日本軍)が衝突して大敗北を喫したのに、いまだに「ノモンハン事件」といって誤魔化すのとにている。

これを児島襄が小説『天皇』で、あたかも青年の昭和天皇が侍従武官(将官級)に質問攻めして、とうとう論破したのを天皇の優秀性の強調にみえる筆致でえがいているが、地図に時系列で書き込めばその稚拙な戦術の全体像はだれにでもわかるものだし、この衝突に戦略性は皆無なのである。

まことに、わが軍を動かしていた「軍事官僚(一般には「職業軍人」という)」の、学業(陸軍なら士官学校や陸軍大学、海軍なら兵学校と海軍大学)成績(卒業席次)万能主義は、そのままいまのキャリア官僚にも継続させているので、硬直化はまぬがれない。

ようは、職歴上の評価基準がないことの結果であるが、評価基準をつくらないところからすでに硬直化しているのである。
あとは、上司・上官による好き嫌いが人生を左右するので、どうしても「人治」となって、派閥をつくることになっている。

これを、自民党が利用したから、派閥はいつまでも解消できっこない。
根は官僚機構そのものの体質にあるからだ。
ようは、各派閥は官僚によって支えられている「浮き草」なのである。

わが国の官僚制を誤解して、カーター時代のアメリカが「SES」をつくり、これをまたヨーロッパが独自に日米の比較研究をして、EU(官僚)機構の設計図となった。
ゆえに、EU機構の中核にEU委員会という官僚の独壇場があるのは、無能で邪魔な政治家(議会)を排除したヨーロッパ的傲慢(王侯貴族支配)の思想そのものがみえてくるのだ。

トランプ氏はこうした意味で、人工的な理想像の「アメリカ建国思想」を真剣に具現化する、稀にみる存在(理想を棄てて現実の利益しか興味のないワシントンD.C.の住民には異端にみえる)なために、かえって、悲惨な全体主義体制を経験したロシアや東欧のひとたちからの親和性があるのだ。

それをまた、アメリカ民主党とヒラリー・クリントンが、「ロシア疑惑」というカネでつくったデマを拡散させたのだが、けっきょく真実がバレてアメリカ人の口が開いたのである。

さて、自由主義の現代的権化だったハイエクは、EUの登場を予言しつつEUの解体も予言して、1933年11月、「マーストリヒト条約」締結によって結成されたEUをみることなく、前年の1992年に世を去った。

ハイエクがEU解体の理由にあげたのは、ECB(ヨーロッパ中央銀行)の強権的ムリクリによる、「通貨ユーロ」の崩壊予測なのである。
強大な経済のドイツがマルクをやめるのと、弱小な経済の南部ヨーロッパ(たとえばイタリア、スペイン、ギリシャとか)が自国通貨をやめるのとで、実態はドイツの経済支配となる。

これに弱小国が反発するのは道理である。

そのドイツが戦後初ともいえる経済苦境にあって、国内第二位の「コメルツ銀行」をイタリアの「ウニ・クレディト」が買収提案して、阻止に動くドイツ政府とイタリアが大もめしているのである。

ECBは、かつてからヨーロッパ域内商業銀行の、国境を越えた統合を指導していたから、本来ならば「歓迎する」はずが、建前と本音の衝突になったのである。
ナショナリストのメローニ政権が、ウニ・クレディトを後押しするのは、グローバリストへの合気道的順手による投げ技となっている。

さては、まさか弱小のイタリアに買われることが、きれい事で政権をとったシュルツには、よほど嫌らしいのでその介入も露骨なのである。

これが、「蟻の一穴」になるかもしれないのは、トランポノミクス2.0でヨーロッパの全体主義破壊を試みることになるからである。

もちろんそのひとつがの衝突点が、ウクライナ問題である。

アメリカを訪問し、いつものようにおねだりをしているゼレンスキー氏(憲法による大統領任期が切れてもう4ヶ月以上がすぎた)は、ペンシルベニア州の砲弾工場を訪問し、戦争屋の州知事(当然、民主党)とともに、砲弾へ直接「サインする」という異様なことをやった。

自分たちのサインしたこれが炸裂するとどうなるか?のリアル感がぜんぜんない、まさに戦争屋の心理(他人事)が丸出しで、あろうことか、慣例を無視してこの行事に共和党の議員や関係者は誰も招待もされなかったのである。

まったく共和党に有利なことを、全世界に配信した神経が疑われるが、そんなものが初めからないのだと宣伝する愚は、トランプ氏への期待になるだけだったのである。