トランポノミクスでEU崩壊の期待

二度の大戦で戦場になったヨーロッパは、結局のところ、アメリカの援助で復興することになったので、裏返せば、この時点でアメリカによる支配がはじまったともいえる。

そのひとつの証拠が、1981年にエジプトの国民的歌姫、ダリダが移住先のフランス語で歌ったディスコ曲『Americana』である。
もちろん、この曲は母国エジプトでもヒットしたのは、79年にイスラエルとの平和条約が締結されたからである。

さて、「トランポノミクス2.0」が実行されたら(トランプ氏が大統領に返り咲いたら)、日本だけでなく世界が変わる。

南米では、アルゼンチンのミレー氏が先行して驚異的な実績をあげているし、もうひとつ、エルサルバドルでは、急激に犯罪発生が減っていまでは南米で一番安全といわれている。
ただし、日本の外務省は「レベル2の不要不急の渡航中止」アラートを出している。

あの国への渡航には注意がないけど、逆にあの国の外務省がわが国への渡航に注意喚起した。
日本のインバンド数が心配な業界人がいるのだろうが、わが国には制御不能である。

けれども、わが国が「トランポノミクス2.0」を制御することもできないので、やっぱり影響を受けるしかないという一方通行がある。
これは、アメリカの足元でいえば、左翼政権のブラジルとメキシコもおなじで、どんな制裁をくらうのか?ビビっているはずだ。

また、不法移民を輸出した南米各国や一部のアジアの国も、せっかく棄民(あるいは「スリーパー」を送り込んだ)したのに強制送還で戻ってくる恐怖もあるだろう。
ちなみに、「スリーパー」とは、行動開始の指示・命令を受けるまで「眠って待つ」といういみで、一朝ことあるときには戦士となるものをさす。

当然ながら、「戦後」を引きずるヨーロッパも日本とおなじ境遇だから、「トランポノミクス2.0」は、いまのEU委員会には至極都合が悪い。
とにかくウクライナ(人)がどうなろうとも、戦争を継続あるいは拡大させて、儲けたい、という強い欲求にあふれたひとたちが運営しているからである。

なので、「プーチン氏が率いるロシア」と、「全体主義体制だったソ連」との区別を教えないどころか、「おなじ」だというウソを宣伝するのである。

わが国では、1939年(昭和14年)にソ連軍と満蒙国境のノモンハンで関東軍(=日本軍)が衝突して大敗北を喫したのに、いまだに「ノモンハン事件」といって誤魔化すのとにている。

これを児島襄が小説『天皇』で、あたかも青年の昭和天皇が侍従武官(将官級)に質問攻めして、とうとう論破したのを天皇の優秀性の強調にみえる筆致でえがいているが、地図に時系列で書き込めばその稚拙な戦術の全体像はだれにでもわかるものだし、この衝突に戦略性は皆無なのである。

まことに、わが軍を動かしていた「軍事官僚(一般には「職業軍人」という)」の、学業(陸軍なら士官学校や陸軍大学、海軍なら兵学校と海軍大学)成績(卒業席次)万能主義は、そのままいまのキャリア官僚にも継続させているので、硬直化はまぬがれない。

ようは、職歴上の評価基準がないことの結果であるが、評価基準をつくらないところからすでに硬直化しているのである。
あとは、上司・上官による好き嫌いが人生を左右するので、どうしても「人治」となって、派閥をつくることになっている。

これを、自民党が利用したから、派閥はいつまでも解消できっこない。
根は官僚機構そのものの体質にあるからだ。
ようは、各派閥は官僚によって支えられている「浮き草」なのである。

わが国の官僚制を誤解して、カーター時代のアメリカが「SES」をつくり、これをまたヨーロッパが独自に日米の比較研究をして、EU(官僚)機構の設計図となった。
ゆえに、EU機構の中核にEU委員会という官僚の独壇場があるのは、無能で邪魔な政治家(議会)を排除したヨーロッパ的傲慢(王侯貴族支配)の思想そのものがみえてくるのだ。

トランプ氏はこうした意味で、人工的な理想像の「アメリカ建国思想」を真剣に具現化する、稀にみる存在(理想を棄てて現実の利益しか興味のないワシントンD.C.の住民には異端にみえる)なために、かえって、悲惨な全体主義体制を経験したロシアや東欧のひとたちからの親和性があるのだ。

それをまた、アメリカ民主党とヒラリー・クリントンが、「ロシア疑惑」というカネでつくったデマを拡散させたのだが、けっきょく真実がバレてアメリカ人の口が開いたのである。

さて、自由主義の現代的権化だったハイエクは、EUの登場を予言しつつEUの解体も予言して、1933年11月、「マーストリヒト条約」締結によって結成されたEUをみることなく、前年の1992年に世を去った。

ハイエクがEU解体の理由にあげたのは、ECB(ヨーロッパ中央銀行)の強権的ムリクリによる、「通貨ユーロ」の崩壊予測なのである。
強大な経済のドイツがマルクをやめるのと、弱小な経済の南部ヨーロッパ(たとえばイタリア、スペイン、ギリシャとか)が自国通貨をやめるのとで、実態はドイツの経済支配となる。

これに弱小国が反発するのは道理である。

そのドイツが戦後初ともいえる経済苦境にあって、国内第二位の「コメルツ銀行」をイタリアの「ウニ・クレディト」が買収提案して、阻止に動くドイツ政府とイタリアが大もめしているのである。

ECBは、かつてからヨーロッパ域内商業銀行の、国境を越えた統合を指導していたから、本来ならば「歓迎する」はずが、建前と本音の衝突になったのである。
ナショナリストのメローニ政権が、ウニ・クレディトを後押しするのは、グローバリストへの合気道的順手による投げ技となっている。

さては、まさか弱小のイタリアに買われることが、きれい事で政権をとったシュルツには、よほど嫌らしいのでその介入も露骨なのである。

これが、「蟻の一穴」になるかもしれないのは、トランポノミクス2.0でヨーロッパの全体主義破壊を試みることになるからである。

もちろんそのひとつがの衝突点が、ウクライナ問題である。

アメリカを訪問し、いつものようにおねだりをしているゼレンスキー氏(憲法による大統領任期が切れてもう4ヶ月以上がすぎた)は、ペンシルベニア州の砲弾工場を訪問し、戦争屋の州知事(当然、民主党)とともに、砲弾へ直接「サインする」という異様なことをやった。

自分たちのサインしたこれが炸裂するとどうなるか?のリアル感がぜんぜんない、まさに戦争屋の心理(他人事)が丸出しで、あろうことか、慣例を無視してこの行事に共和党の議員や関係者は誰も招待もされなかったのである。

まったく共和党に有利なことを、全世界に配信した神経が疑われるが、そんなものが初めからないのだと宣伝する愚は、トランプ氏への期待になるだけだったのである。

立憲民主の党首選

マスコミが云々ではなくて、まったく興味もわかないのが立憲民主の党首選であった。

その理由は、この党の「綱領」にまったく賛同できない、というよりもいまどきの世界情勢からして、ぜんぜん時代遅れも甚だしい「敗戦後の昭和」をまだやっているからである。

この意味で、対抗しているはずの自民党もまったくおなじ「敗戦後の昭和」をベースにした、アメリカ民主党の支部に過ぎないこととなんら変わり映えしないし、横にならぶ他の野党もおなじ枠内(立ち位置)にきっかり収まっているのである。

これを「翼賛政治2.0」とすれば、なんのことはない、参政党を除くすべての既存政党や日本保守党という諸派もふくめて、自民党の派閥内にある、といっても過言ではない。

となると、参政党はもっとトランプ派とかフランスのル・ペン、ドイツのAfdとか、はたまた英国のリフォームUKとかとの密接でかつ強力な提携をすべきだ。

さて、党首になった野田佳彦元首相は、公約違反の消費税を増税した張本人であった。
ご本人は、この「落とし前」をつけていないばかりか、党としても無視し続けている。

それに、幹事長になった人物は、消費税率25%以上が必要!を主張した、自民等総裁候補も口にしないことをのたまわる恐怖の増税男である。
すでに「五公五民」を超えているのを知らないのではなく、完全無視しているお方だ。

党勢が伸びないのは、こういった無責任さが嫌気されているからだし、政府優先・国民無視の自公政権よりも国民に過酷なのは、政権交代してより一層ひどくなった絶望の英国労働党と似ている。

このことは、分裂したといえども、国民民主にもいえる。
なのでやはり「綱領」をみても、立憲民主とのちがいがはっきりしない。

ようは、社会党から崩れた、もっといえば「左翼崩れ」のなんともいえない中途半端さが転じて気持ち悪さにもなっているのだ。

すると、いまや風前での灯火ではあるが、社会党の本筋として残っている社民党の綱領をみれば、これまた「敗戦後の昭和」をベースにした、古臭い概念が言葉をかえて縷々綴られている。

なんと、社民党=立憲民主=国民民主という構造で、自公政治を半永久的にしたほどの意味のない分裂=党としての議席数の分散、があるだけなのである。

つまり、やっぱり「旧社会党」が、自公政権継続の基盤となっている。
まさにベクトルが定まらないことでの、自公有利がつくられている。

しかし、国民が支持できない「カビ臭い古さと左翼臭」が鼻について気分が悪くなるのは、まったく自民党総裁選での各候補の主張と似ている。

バカによるバカの支配構造。

野田氏に期待することはなんにもないけど、余計なことはしないでほしい。

やるとすれば、「こなき爺」のように自民党に抱きついて合流し、そのまま選挙で一緒に全滅の討死となれば、世界にも貢献する最後の手段となろう。

イランゲートでカマラ・ハリス失脚?

FBIがアメリカ国民からの信用を失っている。

もっといえば、アメリカ政府がアメリカ国民からの信用を失っているので、「トランポノミクス=小さな政府」への期待がふくらんでいるのである。

ときに、日本で「小さな政府」は、米・英すなわち、レーガン&サッチャーからの圧力と、その日和見的な性格からの中曽根康弘が、土光敏夫の実力と権威にすがってやった、「第二次臨調」による三公社五現業の民営化をもって忘れられたのである。

「郵政民営化」で売国をやった、小泉純一郎・竹中平蔵政権は、けっして「小さな政府」をめざしたのではなかったが、国民の8割を占める「B層=バカたち」をターゲットにして「郵便貯金」と「簡保」の外資への売却に大成功したと書いてきた。

連続して発生しているトランプ暗殺未遂の後始末(=捜査)における不可解が、アメリカ国民の不満を高めているだけでなく、関連する政府機関の内部からの「告発」も相次ぎ、とうとう、連邦下院と連邦上院の共和党有力議員のもとへ直接情報提供するひともあらわれだした。

それでもって、連邦下院司法委員会は、FBI長官への召喚状をだしたので、いよいよトップからの証言を得ることになったのである。

逆に、FBIがここまで追いつめられたのは、「イラン・ゲート」疑惑の筋の悪さ=事実?の疑惑である。

かつての「ロシア疑惑=ロシア・ゲート」は、民主党とヒラリー・クリントンが仕組んだ、「でっち上げ」だということがもう判明していて、わずかだがヒラリー・クリントン自身も選挙違反による罰金を科せられている。

しかし、今回の「イラン」は、民主党とカマラ・ハリス陣営が、本当にやった可能性が高い。

どういうことかといえば、イランのハッカーにカネをわたして、トランプ選挙キャンペーンの内実を取得し、これをもってカマラ・ハリス陣営が対抗策を立てている、というものだ。
もしも事実なら、選挙違反の重罪は当然として、カマラ・ハリス自身が政界から強制退場となるほどの不正になる。

すでに一部の州では、期日前投票がはじまってしまっている大統領選挙だから、これから候補者カマラ・ハリスを新人に交代させることはできないだろう。

そんなわけで、バイデン民主党政権のレームダック化が著しいために、官僚たちが自らの生き残りのために告発する行動が活発化していると推測できる。

これは、兵庫県で起きた、20年も続いた前職政権の尾を引いて、真逆の新任知事を追い出そうと試みた官僚の「心理」とじつはまったくおなじなのである。

ただし、行動は真逆にみえる。
しかしながら、そこにあるのはただひとつ、「保身」だ。

『新約聖書』を読み込んでいるトランプ氏は、ときにイエスのような寛容さをみせるので、『旧約聖書』の神のごとく、ハッキリと糾弾することをしない物足りなさを感じるひとがおおいという。

トランプ氏が最大・最高に重視する「忠誠心」とは、まさにイエスのそれであって、自身へ向けた意味(独裁者が要求する神格化)の忠誠心の要求ではない。
つまり、合衆国=国民への忠誠心の要求なのである。

だから、保身で内部告発をしてもトランプ氏のなかで評価はされない。

これがまた、ふつうの見た目だけの評価基準とちがうから、トランプ氏は嫌われるのだろうし、そうではないひとびとから圧倒的な支持をえるのだ。

日本人でトランプ嫌いがおおいのは、マスコミの宣伝効果もあるが、このようなキリスト教精神が、バタ臭く胡散臭いからではないか?
この意味で、日本人は儒教的な道徳感が韓国人よりも強い。
それがまた、彼の国から嫌われる原因だろうから、水と油なのである。

ちなみに、田中角栄が失脚した「ロッキード事件」は、韓国の朴正熙(高木正雄)政権の不人気からの崩壊を乾坤一擲の他人(日本&田中角栄)のせいにするためにアメリカを引き込んだ謀略だったことがわかっている。
なお、娘の朴槿恵の日本名は、高木桜子である。

日・米・韓の闇は深すぎる。

それでも自身の保身ために、外国(人)を利用するのは、あんがいと常套手段なのだ。
いまでも、ウクライナやイスラエルがやっているではないか。

おそらく、この「イラン・ゲート」問題は、マスコミが意図的に報じないはずだ。

けれども、カマラ・ハリス敗北の決定的失敗として後世にのこるだろう。

トランポノミクス2.0

5日、ニューヨークの経済クラブで財界人を前に直接トランプ氏から発表されたのが、「トランポノミクス2.0」であった。

大項目は5つ。

・エネルギーコスト半減(国内原油生産量を現状の4倍にする)
・環境対策をやめる
・規制撤廃(「前政権の1.0」で成功させた「2対1ルール」を「10対1」にする
・政府効率化委員会の設置(委員長にイーロン・マスク氏が就任予定)
・大減税(法人税率21%を15%にする)

なにに驚くかといえば、こうした政策提案のひとつだけでも真似る自民党総裁候補が誰もいないばかりか、全員が「真逆」だということなのである。

もちろん、「経済」というものは、さまざまな関連をもってつながっているために、上の5つも相互に関係している。

アメリカ政府の優秀性は、政府自体ではなくこれをやらせた政治家の優秀性ともいえる。
「立法」措置をしているからだ。

その肝が、「規制コスト計算」を各省庁に義務づけていることにある。

日本人は、日本政府の官僚が世界一優秀であると、なんの根拠もなく文学的に信じているけれど、わが国の政府は伝統的にも、自身で設けている規制コストを計算する術すら持ちあわせていないのだ。

国家総合職の合格者のほとんどが、法学部の学部生なので、経済計算をやれといわれてもなんのことかわからないだけでなく、経済計算をやれという政治家がそもそもいない。
つまり、日本人はどれほどの負担(コスト)を政府によって強制されているのか?を、政府もしらない、というレベルにあるのである。

ならばせめて、「2対1ルール」でいいからわが国でも導入してほしいものだが、業界のためにある自民党政治家には、このような案をあげることすらしないのである。
宗教団体の一般信者からなる与党の片方すら、自民党に促さないのはまことに不思議で、こんな政党に人生をかけて応援する根拠はなんなのか?がわからない。

ちなみに、「2対1ルール」とは、あらたな規制をするなら過去の規制をふたつ撤廃する、というものだ。
だから、「2.0」でいう、「10対1」ルールの破壊力はすさまじいと予想でき、大減税との相乗効果でアメリカの成長は加速するだろう。

政府効率化委員会がなにをターゲットにするのか?現時点で具体的にはわからないが、共和党大統領予備選挙の対抗馬だった、デサンティス知事とニッキー・ヘイリーの共通には、「連邦教育省の廃止」があった。

トランプ氏も、「1.0」当時、おなじことを発言してはいたが、とうとう実現せずに退任を余儀なくされたから、教育省廃止問題ははならず俎上に載るだろう。

キリスト教(清教徒)を基本とするアメリカでは、「信教の自由」の範疇に、教育の自由も含まれるけど、民主党政権(グローバル全体主義)は、ミッション・スクールにおいても「お祈りの時間」を規制したのが共和党には我慢できないのである。

もちろん、「LGBTQ]なる政治思想も、学校教育(とくに義務教育)で子供に強制することに反対するひとはおおい。

日本の場合なら、文部科学省が独禁法に違反して、教科の設定から学習指導要領まで、ぜんぶを独占しているのは、『共産党宣言』のとおりの政策だと書いてきた。
この意味で、安倍晋三内閣も、共産主義を推進したのである。

人口減少のために、移住者がほしい自治体はたくさんあるが、その「善政競争」に、教育がないのは、文科省の独占が絶対の体制になっているからだ。

カマラ・ハリスは、法人税増税をやると公約しているが、自民党総裁選では、見事に全員が増税派であって、けっして岸田氏の特許ではないのだ。

これが、自民党=アメリカ民主党の子会社、という理由である。

さてそれで、「1.0」で空前の好景気を招いた実績があるのがトランポノミクスだった。

民主党の鉄板支持者たる黒人とヒスパニック層が、急激にトランプ支持に転換しているのは、オバマ・バイデンの両政権とトランプ時代を比較してみたら、大企業にやさしい民主党と、庶民にやさしい共和党トランプ派のちがいが、はっきりわかったきたからである。

トランプ氏は、たった数年で、大金持ち富豪のための共和党を、庶民党に転換させたので、なんと労働組合も民主党離れをするにまでになったのである。

11月に、トランプ勝利ともなれば、日本でも一斉にトランポノミクスについての議論がはじまる。
最初は批判的から、だんだんと自民党批判の役に立つだけの理由から、日本でもやれ、ということになるだろう。

すると、今回デジタル・タトゥーをまき散らした自民党は、党勢立て直しに今回の候補者が全員、コマとして使えないことになる。

さぁたいへん、一大事。

まずは、トランプ氏が生きていてこそ、になっている。

政府によるファクトチェックの恐怖

グローバリズムとは、かつての「国際共産主義運動」が、別のカタカナ単語になっただけの、全体主義体制をめざす政治思想である。

18世紀のフランス革命を皮切りに、20世紀になってロシア革命が起き、それから、イタリアでファシズムが、ドイツでナチズムが、それぞれ「派生変化形」として誕生し、21世紀でもまだ生き残っている。

ロシア革命の複雑さは、あんがいと面倒な話で、それはまたフランス革命のそれと似ているのは、双方ともにおおくの犠牲者を生んだことにある。
もちろん、権力闘争の挙げ句、ということではあるが、そのへんの一般市民も犠牲になったのは、あたかも「魔女狩り」よりも大規模で組織的だったからである。

レーニン亡き後の権力闘争の挙げ句、勝者のスターリンがロシアを独裁支配する。
似たもの同士のヒトラーとスターリンの犬猿の仲は有名だが、スターリンに敗れたトロツキーの執念は、アメリカへとむかう。

そんなわけで、都合よくトロツキー派がアメリカ民主党を乗っ取れたのは、資金源が大富豪たちだったからだ。
ロシア革命の資金も彼らが出して、「冷戦」による武器開発競争で投資回収以上の利益を得たのである。

つまるところ、スターリンとても道具にすぎなかった。
大富豪たちにとって、各国民の不幸はどうでもいいのである。

この「倫理の崩壊」が、日本の自民党や財界を呑み込んだ。

それでもって、トランプ氏が登場したことで、以上の構図があからさまに見えるようになってきた。
あたかも、『プレデター』(1987年)の、光学迷彩装置(Cloaking Device:クローキングデバイス)が機能不全を起こしたごとくである。

むかしでいえば、あぶり出し、だ。

映画の設定でもそうだが、敵から「見えないはず」が見えてしまうことに慌てるのは、グローバリストも同様で、以来、さまざまな不正や嫌がらせをこれ見よがしに行うのは、その思考回路が原始的な凶暴性(=肉食の思想)によってできているからだろう。

バイデンの4年間弱で、トランプ時代4年間の意味に気がつかなかったアメリカ人もおおくが気づき初めて、もはやカマラ・ハリスの敗北も、見えてきてしまった。
CNNがカマラ・ハリスをこき下ろしているのは、欲求不満行動だとおもわれる。

そこで、アメリカ大統領選挙前に、日本でのグローバリズム政権を維持するために、自民党総裁選なる「隠蔽工作」をしようとしてはいるが、どれもこれも相似形のグローバリストばかりなので、国民の関心は低いままだ。

民主党の言いなりで、支持率の低迷が歴史的にもなった岸田氏が、とにかく命じられるままにやったなかでの最高峰は、「政府によるファクトチェック」を行うと決めたことなのである。

それで、地方自治法も変えて、「政府が命令できる」ようにした。

戦前の歴史は、「国民に自由な言論はなかった」と教えられてきたが、これから先は、はるかに不自由な言論空間になろうとしている。
これを、言論人がぜんぜん批判しないのは、日本の言論人がみなグローバル全体主義(共産主義)に染まっているからだとのお里もしれたのである。

文春新書から出ている、『内閣調査室秘録』(2019年)には、冒頭、初代室長の名前があるが、彼はGHQ参謀第2部の傘下にあった、キャノン機関の協力者だったことは、『何も知らなかった日本人』(1976年)をみればわかる。

ようするに、政府がファクトチェックをしても、それをファクトチェックできないようにしたから、もう、ソ連共産党やらナチスが支配するも同然になった。

なるほど、正統ナチスのゼレンスキー政権を全面支援するわが国としては、当然の政策なのである。
それでもって、隣国のロシアから敵国認定されたのは、国際法の適用において先手を打たれたことになったのに、この意味に国民を気づかせない言論統制がはじまっている。

つまり、なんと、わが国与党の本性は、ナチスなのだとバレたのがいまの状況なのである。

さすれば、ハンナ・アーレントの主著『全体主義の起源』こそが、毒抜きのための解毒剤にほかならない日本国民必読の書なのである。

自民党総裁選という用語で誤魔化して、間抜けな顔ぶればかりで誤魔化してはいるが、「総統」を選出するのだと言い換えれば、なんの違和感もないのが現代なのである。

ちなみに、台湾の大統領を「総統」といまでもいうのは、蒋介石とナチスとの関係における伝統だからである。

残念ながら、トランプ政権の再度の誕生で、これらを吹き飛ばしてもらうしか、日本人に選択肢がなくなっている。

野党の酷さを目立たせる「立憲民主の党首選」が、かくも低調なのも、わざとだとしかおもえないのだ。

ただし、次の総選挙でどこまで自民党の議席を減らすことに成功できるか?が、国民の自助努力になっていることだけはまちがいない。

ジョシュ・ホーリーのインテル追いつめ

ときにアメリカが羨ましくなることがあるのは、若き連邦上・下院議員の活躍が報じられたときだ。

一般的に、アメリカのドラマや映画、もちろん小説でも、たいがい「議員は無能」だという設定がされている。
インターネットがなかった時代なら、こうした情報だけがまき散らされて、現実のアメリカ政治の場面をしるのは、国内のテレビや新聞の情報しかなかった。

この意味で、インターネットで情報の開放がされたことは人類史のエポックだ。

噂によると、「Twitter」を買収したイーロン・マスクが、こんどは「YouTube」に買収を仕掛けるという。
成功したら驚きだが、はたしてどうなるのか?

18日、ニューヨーク州ロングアイランドで実施された、「トランプラリー」の動画を観ると、満員の聴衆が沸き返っている。
例によって大手メディアは、「白人至上主義者ばかり」といっているが、よくみれば黒人やヒスパニックの姿が目立つのである。

ニューヨーク州といえば、カリフォルニア州に次ぐ選挙人票の大票田ではあるが、ずっと民主党が勝ち続けていることでも有名だ。
もう投票日まで50日ない状況で、ふつうなら「棄てる」州なのに、どうやら本気で「取りに来ている」のだ。

おそらく、1984年にレーガン氏が全米を制覇(落したのはミシガン州とワシントンD.C.だけ)した歴史を再現させたいのだろう。

そんな中、アメリカ連邦上院国家安全保障・政府問題常設小委員会では、インテルの最高貿易責任者が追いつめられる「事件」があったことを「黒森2」さんが伝えている。
そのきっかけが、バイデン政権による「インテルへの30億ドルの補助金」問題なのである。

補助金そのものの予算については、連邦下院の管轄だが、政府を監視するという意味においては、下院も上院も厳しく追及するものだ。

これが、わが国にはみられなくなった光景として新鮮なのだし、今回の質問者である、弱冠44歳のジョシュ・ホーリー議員の「キレ」の良さなのである。

もちろん、アメリカという国の国家運営における設計は、「建国の父たち」が行って、これをまもる立場が共和党、適宜運用する立場が民主党であった。
残念ながらわが国は、民主党政権下のGHQによって、ぜんぜんアメリカ本筋の民主主義の方法論が導入されることはなかったが、ニセの戦後民主主義が本物だと信じ込まされてきた。

それが、昨今みられる、国会での大臣たちによる答弁拒否が許されることなのである。

もちろん、わが国の場合は、英国風の「議院内閣制」なので、国会議員から大臣が選ばれるために、なんだか同僚から頭ひとつ抜き出た「出世」をしたような感覚になるのだろうが、それは勤め人の感覚であって、議員の感覚としてはそうはいかない。

国会の権限が、大臣たちによって踏みにじられても、議員たちが正面切って文句をいえないのは、内閣(行政)に権限を譲ってしまった、つまり、国権の最高機関が内閣、という憲法違反が日常になったことを意味するのである。

憲法の番人のはずの最高裁もながいこと死んだふりをしていたら、三波伸介のごとく、ほんとうに死んでしまった。

魚は頭から腐る、が転じて、組織は頭から腐るから、国家の頭たる国会がそうなれば、自動的に地方議会もぜんぶが腐って、日本全国どこでも行政権が最高権力になってしまったのだ。

アメリカでは、大統領すら国会議事堂に入るには、連邦下院議長の許可あるいは招待がないと、敷地内に一歩も入れない。

わが国の方式なら、国会議員でも民間人でも、入閣したら、国会に議長の許可なく入れないようにすると、自身の立場が理解できるのではないか?

あたかも、犬にトイレの場所を教えるように、である。

なんにせよ、ホーリー議員が吠えたのは国家安全保障の視点と、常設の政府問題(つまり政府を監視する)からの視点であった。

いま日本のYouTubeでは、政府広報による「拉致」についてのヘンな宣伝が実施されている。
こんなもので誤魔化すのではなくて、全員帰国させる、という実施計画にならないで、家族や本人の寿命が尽きるのを待っているようだ。

それもこれも、アメリカ民主党やRINOの要請なのか?

18日、あたかも1937年の「通州事件」のごとき、日本人学校の子供が死亡する事件が起きていても、なにもしない、のが政府の実態だと明らかになって、世界がみているのである。

それがまた、「満州事変」(1931年9月18日)の記念日だから、という理由なのかも不明だ。

もう腐りはてて、崩壊がはじまっているのに、総裁選挙にうつつを抜かすのは、精神異常の国民集団になったのだという「恐怖」を世界に宣伝しているのである。

棄民が伝統の日本はホラー的に怖い国である。

兵庫県知事不信任案の全会一致可決

19日、兵庫県議会は全会一致で知事への不信任案を決議した。

これより知事は、10日以内に、自らの辞職か県議会の解散の選択をしなければならない。

県庁内部で何があったのか?
2人が亡くなった「パワハラ疑惑」が最大の焦点になっていて、そのほかには、知事の物品おねだりとかが取り沙汰されている。

知事を告発した元県民局長が、100条委員会の直前に亡くなったことも、まったく不可解な出来事であった。

なんにせよ、本件に連なって亡くなられた方々には、まずはご冥福をお祈りする。

これからどうなるのか?もあるけれど、本稿では、邪推を含めたよもやま話をするので、はじめにお断りしておく。

まず、わが国の議会という議会が腐臭をあげて死んでいることは書いてきた。
国会然り、地方議会(都道府県・市町村のぜんぶ)も、行政に乗っ取られた。

しかし、世の中はあんがい複雑で、一筋縄ではいかないものだ。

その典型が、利権構造にある。
政治家がどうして豪邸に住み、運転手つき高級車の後部座席にふんぞりかえっていられるのか?は、メインの活動資金が利権からの収入であるからだ。

なので、富豪になってから政治家を目指したトランプ氏が利権に興味ないことが、もっとも嫌われる理由になっている。
ドブに咲いた一輪の花に例えられる所以であるけど、ドブの住人たちからは嫌忌される当然がある。

さてそれで兵庫県だが、いまの知事だけを見てはいけない。

歴代で、どんな県政が行われたのか?これには当然、議会も責任を持つことになる。
わが国の地方政府は、「二元制(首長と議会の対立的チェック体制)」を根本の建て付けとしているからである。

たとえば、映画『県庁の星』(2006年)では、知事役の酒井和歌子と県議会議長役の石坂浩二の癒着が、物語のベースにあった。
実態として「一元制」になったときのなんでもありが、役人人事に反映もされる恐怖映画でもあった。

この映画の通奏低音にある、酒井と石坂という名優の演技が光るのである。

しかし、事実は小説よりも奇なのは、組織マネジメントの訓練が未熟な人間同士の低次元のドロドロがあるからなのである。
それは、前にも紹介した、昭和の文豪、獅子文六の『箱根山』の題材になった西武と東急の子供じみたケンカが事実としてあったことでもわかる。

むしろ、当時箱根を訪れた観光客たちは、末端の社員たちがいがみ合う姿を見て、「双方企業の組織力」すら感じ取っただろう。
まったくもって、客が目に入らないまでのいがみ合いを全山どこでも目撃できたからだった。

さてそうなると、一人で県庁に乗り込んだ知事と、議会の関係はいかに?から、マスコミの偏向的態度が重なると、たちまちにしてターゲットを「悪魔」のように描くことができるので、事実と噂と無責任な話とが混ざって、何がなんだかわからなくなる。

そこに、「正義感」という感情が移入されたら最後、破局まで突っ走ることになる。

それが、先の大戦における国を挙げての破局ではなかったのか?

港湾利権へのメスを入れようとした知事に、圧倒的な抵抗として追い出しが行われているのかもしれない現実を、もっと観察したかったのは、横浜港を抱える神奈川県の姿が見え隠れするからである。

不幸にも、神奈川県知事は底なしの無能なロボットゆえに、何事も起きていないようにみえる。

ただ、横浜港はもはや国家による運営へと主体が変わってしまっているだけなのである。
その地元の国会議員が、菅義偉という秘書からのして総理にまでなった御仁だ。

兵庫県の皆様には、いったんクールダウンして何がなんだかわかるようにしないと、後悔先に立たずになるだろう。

『マイティジャック』の勧善懲悪

1968年4月6日から6月29日までの短期間、フジテレビで全13話の放送がされた特撮番組である。

この番組は、あの「円谷プロ」が大人向けとしてこだわった、世界にまたをかける悪組織「Q(キュー)」との闘いを社会派的に描いた特別があったのだが、内部崩壊と視聴率低迷のダブルパンチで消えてしまったうらみが残る。

いまさらだが、音楽は巨匠、富田勲だ。
昭和一ケタ、7年生まれ、36歳のバリバリが採用されて、番組製作の意気込みがウソでないのはわかる。

さて、当初のターゲットがおとなであったことから、放送時間は毎週土曜日20時からであった。
すると、わたしの記憶にある『マイティジャック』は、その後子供向けになった『戦え!マイティジャック』の記憶にちがいない。

当時の子供は、8時には寝かしつけられていたからだ。
子供向けになった放送時間は、毎週土曜日の19:00から19:30だった。

ようは、当時のおとなは、世界最高峰の特撮のこだわりよりも、ありえない設定のドラマに「観る価値はない」という判断をしていたわけである。

たとえば、「Q」といえば、『007』における秘密兵器開発部隊の長のことだと連想するのは、第一作『ドクター・ノオ』の1962年から毎年のように制作れたことでの刷り込みがあるからだ。

それでも、戦争体験者が多数だったので、『007』すら「子供だまし」だと嗤っていたおとながたくさんいいた。
なお、おのオバケ番組、『8時だヨ!全員集合』は翌年からTBSでスタートした。

「お笑い」に日本人が逃避したのである。
なるほど、「エロ」「グロ」「ナンセンス」の自暴自棄が流行ったのもわかる。

さて突如、YouTubeでお勧めにでてきたので、わたしはおそらく初めて大人向けの初回から3話を一気に視聴した。

この物語の目玉は、なんといっても「マイティ号」なる、超音速で飛行できる潜水艦の活躍なのである。
どうやら、原点に東宝映画の『海底軍艦』(1963年12月)があるらしい。

しかし、おとなになったどころか、老齢になったわたしから観た、設定の妙が気になるのである。

それは、「マイティ号」とその運用組織「マイティジャック:MJ」を牛耳る人物が、どうやら民間人らしいのである。
この点で、『サンダーバード』と酷似している。

加えて、「マイティジャック」のメンバーたちの異様に高い能力がある。

いったいどうやって、若くしてかくも高い能力を個々人が習得できたのか?についてかんがえたら、絶対に義務教育では到達し得ないものだ。
すると、この組織は、メンバー候補者をどのタイミングでスカウトして教育したのか?

それは、技能にとどまらず、組織の設立者への忠誠も含まれる。

ならば、敵対する「Q」とても同じことがいえる。
たとえば、第3話では、世界各地で偽造紙幣を製造し、各国経済を混乱に貶めようと画策するのである。

これをマイティジャックの活躍で阻止する話は、まさに勧善懲悪そのものではあるけれど、隊長はロンドンに飛んでスターリングポンド防衛に成功する話も入っているのだ。

これは、微妙な問題で、1944年(まだ戦時中)の「ブレトン・ウッズ体制」を、敗戦国日本の民間団体が維持することに貢献した、ともとれるのである。
なにしろ、この体制は連合国の為替相場安定のメカニズムをアメリカ主導で決めたもので、ようは、弱体化した英国ポンドの救済にかこつけた、ドル支配を決定づけたものだったからである。

すると、連合国に対する皮肉を込めたおとな向けドラマだともいえるのだけれども、はたしてどれほどのおとなたちが気づいたものか?

逆に、ロンドンでの失敗が報告されたら、それはそれで痛快だったかもしれない。
「鬼畜米英」は、戦争プロパガンダではなくて、史実からの結論である。

ならば、「Q」は悪だと断定できるのか?
じつに悩ましい、一種のシミュレーション・ドラマともいえる。

「Q」のエージェントとして登場し、偽1万円札を使ったのは、なんと若かりし山東昭子の役で、これより半世紀後の2019年に参議院(上院)議長になろうとは誰が予想できたものか?

やはり、事実は小説よりも奇なのである。

不便な「ゆうちょ銀行」

自民党総裁選で、大手マスコミがなにかと話題にする候補者が信用ならないことは、あたかも民主党候補なら誰でもいいアメリカの大手マスコミとおなじ、まさに「相似形」にある。

日米の政治体制がぜんぜんちがうことを、アメリカ大統領選挙は4年に1回教えてくれているのに、まったく気がつかない日本人は、やっぱり脳(思考力)が破壊された奴隷以下の家畜になっている。

そもそもが、連合国軍(GHQ)の征服によってつくられた制度が戦後の日本、ドイツの政体なのだ。

とはいえ、これら「連合国(軍)」に世界経済フォーラムが上位に君臨しており、そのまた上位に「ビルダーバーグ倶楽部」が君臨している。
世界経済フォーラムの評議員に、日本人として唯一なっているのが、竹中平蔵だから、この一介の経済学者がわが国政界に睨みが利くのである。

しかしながら、ビルダーバーグ倶楽部に日本人会員はいない。

ようは、完全なる「肉食の思想」をもって世界に君臨しているから、堂々と毎年のサミットにあわせて、本当の支配者たる倶楽部の総会(内容不明の秘密会議)を開催しているのである。

つまるところ、竹中はビルダーバーグ倶楽部の「犬」だと解して差し支えないのである。

その竹中が仕切った、小泉純一郎政権の「郵政選挙」は、『B層』をターゲットにした戦略で歴史的大勝を自民党にもたらした。
これに貢献したのが、世耕弘成氏だったが、使い捨てにされたのは見てのとおりである。

郵政選挙こそ、日本人の8割、すなわち大半が、「B層=バカ」だとしれた瞬間であった。

「バカ」の習性として、まったく反省しない、という行動パターンがある。
だから、いまでもB層はわが国で幅をきかせ、マスコミのコントロールに盲従してはばからない。

ゆえに、何度でもおなじパターンで騙されるが、その理由が自分のせいだ、とはぜったいにかんがえないから「バカ」なのだし、これらのバカを利用して利益を得る者たちも彼ら彼女らに自覚を促すようなマネは絶対にしないのである。

それよりも「民主主義」という、魔語をもちいて、「バカ」をおだてるのである。

そんなわけで、めったに「金融機関」として利用しない「ゆうちょ銀行」に振込をしないといけない買い物をしたわたしは、おおいに驚いたのである。
なにせ、支払いのため、銀行で現金を払い戻して郵便局にいったら、通帳かキャッシュ・カードを入れろとメッセージがでた。

窓口で聞いたら、「現金での送金受付はできない!」と、21世紀にして想定外の「不可能」をしった。

地方のひとたちは、地元に銀行や信用金庫などがないから、おおむね「ゆうちょ銀行」を利用するしかない。
だから、通帳とキャッシュ・カードをもっていないのは、逆に「想定外」ということでのサービス設計がされたのだろう。

しかして、「郵便貯金(postal savings)」だったものが、「ゆうちょ銀行(Japan Post Bank)」に用語が変わっただけでなく、「全銀協システム」に加盟することになったのである。

日本語での表記変化よりも、英語表記の方がわかりやすい。

むかしは、「銀行協会」が毎年のように、「民業圧迫」をいって、巨大な郵便貯金(当時は、「世界最大」といわれた)にある資金が民間融資にまわらないことでの経済発展阻害要因だと非難していたものだが、この時代は、金融庁もなく大蔵省銀行局が郵政省と敵対していたというわかりやすさがあった。

いまは、その銀行も、融資先がなくて倒産しそうだから、統合して巨大化しての生き残りをはかる努力がされている。

なんだか、『進撃の巨人』のようだが、「地鳴らし」は外国の銀行にやらせるように、自民党が売国に集中している。

そんなわけで、「郵便貯金」のころは、独自の管理システムだったけど、銀行として「全銀ネット」に接続するために、「支店番号」やらの桁数一致が必要となった。
これに、「日銀ネット」という大問題もあるだろう?

銀行のビジネス・モデルとは、資金の貸し出しによる金利手数料の収入がなくてはならないが、「ゆうちょ銀行」のローン事業がこれまた中途半端なのである。

しかして、こんな郵貯にだれがした?

これをかんがえると、もう、夜も眠れなくなっちゃう、のであった。

日本の中高生がつくるブラウザを使う

Floorp:フループ』のことである。

これは、完全にオープンソースのブラウザ、『Firefox』をベースに作られている、純日本製(中高生でつくる『Ablaze』というコミュニティによる、やはりオープンソース)のブラウザだ。

オープンソースというのは、ソースコードが公開されている、という意味だから、悪意があろうがなかろうが、ヘンな悪さをするコードを書き加えてもだれかに発見されて直されてしまうから、安全だという意味もある。

わたしはこれまで、「Chrome」か、「Edge」をつかっていたが、移行にあたっては自動的に設定もコピーされるので、ぜんぜん遣い勝手にかわりなく利用できる。

「日本製」といえば、世界で利用されている「OS」で、じつは圧倒的なシェアを誇るのが「TRON」だ。
これは、「IoT」に欠かせないから、生活のなかに驚くほど普及している。

発明者の坂村健氏は、慶応ボーイから東大の教員になった。
そのTRONも、著作権フリーにしての「オープンソース」で自己発展させたのである。

今どきの若者は、と若い世代を嘆いてぼやくのは高齢者になった典型で、はるか以前からおなじことがいわれ続けてきたのも、「人類史」なのである。

しかしながら、よくよくかんがえると、生まれてから20年あまりで成人することをおもえば、先に生まれた世代による教育でしか跡から生まれたひとの育成はできないので、若者を嘆くのは、自分の人生の無責任を嘆くのとおなじことになると意識しないといけない。

それがまた企業などの組織でよくいう、人材不足の原因となっていて、ひとが育たない、のではなくて、育てていないから起きる、たんなる結果論である。

1980年から95年ぐらいまでの生まれを、「y世代」という。
「y」の意味は、「ゆとり教育」のローマ字頭文字である。

次の「Z世代」(1996年から2012年に生まれたひとたち)こそが、『Ablaze』のメンバーだ。

ついでに、「y世代の前」が、「X世代」で、「Z世代」の次が、「α世代」だという。
これらは、アメリカのマッキンゼーがいっていることだから、あまり信用はできないが、ひとつの指標として便利ないい訳ができるから普及しているのだろう。

当然だが、あたらしい世代ほど、世界経済フォーラムがいう、邪悪な思想、たとえば、SDGsとか、LGBTQとかの洗脳がすすんでいる。
これは、国家が独占する学校教育が、世界経済フォーラムの傘下にあることからの必然でもある。

ゆえに、家庭教育が重要なのだが、もう家庭がその機能性を失った。

性能がポンコツになった家庭を超越するのが、こうした『Ablaze』のような集団組織のなかで、自主的に育つことになったのである。

これは、ハンナ・アーレントがその主著、『全体主義の起源』で述べた現象と似ている。
個人としてバラバラの頼るところがないアトム化された人間は、誰かを頼って集団の一員になることを望む。

その集団が、望みどおりの目的があればいいけれど、目的自体が歪んでいたら、たちまちのうちに個人が「個」を失って「全体主義」の虜にされてしまうことだってあるのだ。

バカではないナチスの組織化担当者たちは、こうしたアトム化された個人を狙ったのだった。

すると、社会にある様々な団体がどんな素性なのか?をしることばかりか、その素性の適格性を見抜く力が個人に要求されるという、困難な時代になったのである。
途中で退会が簡単にできないような仕組みが用意されていると、個人が勝手に抜けることも困難になる。

これには、たいがい金銭的な縛りよりも、精神的・人間関係的な「情」による縛りの方がより強固で困難なのである。

さても、そうした組織が、バーチャル空間での存在だけともなれば、より一層、選択の難易度は高い。

一般に、「Z世代は優秀だ」という評価は、「ゆとり」の被害者たる「y世代」には気の毒な比較対照にされている。

そうやってかんがえると、「X世代」以前と、「y世代」との境界線である、70年代までが、いわば古き良き時代となるのだが、その後の責任という意味では、70年代までの意志決定が重かったともいえる。

いわゆる責任者としての「爺いたち」とは、政治でも企業でも、だいたい70歳代が実力者として君臨するのがわが国「年功序列」の特徴だ。
すると、1900年(明治33年)生まれ前後のひとたちが、もっとも現代(2000年代)の状況に無責任だったともいえる。

この世代で、人材が途絶えて枯渇するからだ。

前に書いた映画、『1900年』は、イタリア(ポー川流域の農村地帯)を舞台とするから、日本人には馴染みが薄いものの、主人公たちが1900年生まれという「偶然」は、おそらく現代をしるための「意図的」な設定のである。

そんなわけで、『Ablaze』の代表者はいま高校三年生で、名古屋大学を志望していると表明している。

志望がどこであれ「大学」だということに、ガッカリ感があるのは、社会に出てからのことを「志望」してほしいからだが、目先の大学を観ているのが子供らしいといえば子供らしい。

これも、周辺のおとなが、子供ままの発想でぜんぜん社会学習をしていないことの裏返しなのだろう。

となると、やっぱりこの優れたブラウザが、中高生によるものだとの確信になったのである。