寒川町の「健康都市宣言」を嗤う

古すぎていつ創建されたのかよくわからない、「寒川神社」が鎮座する、神奈川県の中央部にあるのが寒川町である。

「平成の大合併」なる愚策は、社会保障費負担を大きな地域で「薄く広く」に変換しようという、算数もできないひとたちがいいだしたか、愚民をごまかすための発明だったかは別にしても、合併しようがしまいが、社会保障費負担はおなじ比率でやってくる。

だから、合併して面積を大きくするムダ仕事に邁進するか、拒否するか?の二択が選択肢になったので、全国から「村」や「町」が、「市」に組み込まれて、「村史」が埋没することになったのである。

わたしは、郷土破壊という、文化革命が「平成の大合併」の正体だとかんがえている。

これは、はるか以前の美濃部都政の時期にあった、「郵便番号」のはじまりにかこつけて、江戸から続く町名を廃統合した、文化革命とよく似ている。
3ケタからいまの7ケタに郵便番号が変更されたときに、元に戻す努力を怠ったので、とうとう江戸の古地図が頭に残るひとが絶滅して、同時に「江戸っ子」が消えたのである。

横浜に住んでいると、基本的に相模川を越えて西側にいく用事はほとんどないのだが、たまたまわが夫婦の趣味に、クレー射撃があるので、あんがいとこの趣味をもってから相模川を越える機会がふつうになった。

それで、「寒川町」を通過する機会もふつうになったのである。

寒川の町域にはいると、すぐに「健康都市宣言」という、大きな看板があって、「核兵器廃絶宣言都市」よりはマシだけど、これはこれで、川端康成の『伊豆の踊子』にある、「物乞い旅芸人村に入るべからず」という看板の伝統が変化したものなのだろう。

だれからも「反対」や「反論」できない、きれい事を看板に書くのはそれが、イデオロギーの表現だからで、「健康」を政治にするのは、きわめて「質が悪い」ことなのである。
たとえば、ナチスは全面的に、「国民の健康」についての政策を実施して、それが被弾圧者を犠牲にした人体実験までになったのだった。

もちろん、こんなこともしらいない寒川の町長や町会議員らは、じぶんたちが「健康」をイデオロギーにしていることすら自覚がないだろうから、あんがいと無邪気で自慢しているのかもしれないし、愚民と化した町民も、とくだんなにもかんがえていないから、こんな看板が何年もずっと設置してあるのだろう。

正直いって、わたしはこの看板をみると気持ち悪くなる。

だから、なるべく寒川町の町域に行きたくないのだが、相模川を渡る橋がないので仕方がないのである。

横浜市には、「横浜ウォーク」なるシステムがあって、市が作らせた特製万歩計を用いて、市内にあるタッチパッドに数秒さらせば、登録者の歩行距離が記録されて、一定レベルに達すると、横浜市からご褒美がもらえるようになっている。

どんなものかと申し込んだが、個人情報が自治体に管理されることの気持ち悪さは、たしかに寒川の看板の比ではないが、町としてきっとなんらかの施策をやっているはずだから、住みたくない町のランキングとしてわたしにはかなり上位ある。

この「偽善的施策」が、わたしにはあわないのだけれど、便利で地元行政が自分の健康まで気遣ってくれることに、かつてのナチス党員のごとく「感謝する」ひともおおいのだろう。
なのでやめなし、やめるとあたかも「寒川町らしさ」がなくなるとおもうひとがたくさんになっているのだろう。

げにおそろしき、なのである。

とはいえ、ロードサイドには、あんがいと「ラーメン屋」が目立つのである。
そのうち。「健康」を謳うラーメン屋に補助金がでるようになったら、いよいよナチス化が本格的になった証拠であるから、たまに寒川町域に入って確認したいと、野次馬根性がムラムラと目を覚ますのである。

もちろん、そんな「町」の補助金の出所は、神奈川県であるし、厚生労働省なのだ。

前にも書いた、「健康日本21」がそれで、もう「第二次」となっている。

ナンのことはない、寒川町がナチス化しているのではなくて、わが国が確実にナチス化しているのである。

大丈夫、国民が負担するから

日本の中心地が東京なのは、首都だから、であるけれど、その首都機能は千代田区の永田町(立法府の国会)と霞ヶ関(行政府の官庁街)、それに三宅坂(司法府の最高裁判所)が固まって近隣地域に集約されてあるからで、もう「皇居がある」を真っ先にいうひとが少なくなっている。

誰が国家元首なのか?が曖昧になって、もうすぐ80年なので、あの吉野家の往年のコマーシャル「牛丼一筋80〜年♩」が思い起こされる。

16日に伸延開業した、北陸新幹線は、横浜市内のどの駅にも祝賀気分満載のポスターが貼られているけど、地震被害の復興と観光の両立がわたしには理解できない。

もともと「全国新幹線計画」は、まだ高度成長期で、後からしたら「全盛期(ピーク)」だった、1970年に制定された「全国新幹線鉄道整備法」によって決定したが、翌年の「ニクソンショック」やら、そのまた2年後の「オイルショック」やらで、1982年に「凍結の閣議決定」(鈴木善幸内閣)がされた。

それから「たった」の4年と4ヶ月ほどした、1987年1月末に、凍結が解除(中曽根内閣)されたけど、スーパー特急方式も混在する、しょぼいものだった。

「財政規律」というよりも、赤字負担をどうするか?が、全線フルスペックとすることを躊躇させたというけど、ビクビクしながらうまいこと誤魔化したといった方が正しいのだろう。

なお、中曽根内閣といえば、1985年8月12日の「日航機墜落」について、いまだに「事件説」が絶えずに論じられているのは、中曽根氏が「墓場に持ち込む」といって、本当に黙して語らなかったことにも原因がある。

これが、ビクビクしながら「解除」したことの真因なのかもしれない。

そんなわけで、東京=上越妙高まではJR東日本、上越妙高から先はJR西日本の管轄になっており、今般開業した敦賀から京都を経由して新大阪までの最終伸延はこれからだ。

国土交通省によれば、金沢=敦賀の建設費は、約1兆1858億円で、敦賀から小浜を経由して新大阪までの試算では、概算で2兆1000億円が見込まれているけど、トンネルばかりの計画ルートでこの概算は「安すぎ」の大甘ではないか?と既に批判されている。

「新幹線」は、外国にも輸出できる「システム込みの商品」だから、国益という巨大な目線でいえば、単純な損益計算では判断を間違えるけど、「リニア」は、ほぼ地球上で輸出できる対象地域がないために、国民負担となるのは決定的なのである。

東京=大阪間という「短距離」でも開通して営業運転を開始すれば、ざっと専用の大型原発2基(200万kW)を要するために、原発がない国でリニアは走行できないし、その高速度を維持しながら安全性を確保するには、全線で、専用線を敷設して動物やらのたち入りも監視しないといけない。

こんな条件をクリアできる国や地域が地球上に存在しないのである。

だから、インドでもアメリカでも、「新幹線」は欲しいが、リニアはいらないといわれてしまった。
国内専用のどうにもならない、将来「遺跡化」する可能性があるのが、リニアなのである。

では、そんな赤字や建設費負担をどうするのか?

国が負担しようが、JRが負担しようが、最終的に支払いをしないといけないのが、国民なのである。

東京の中心にある「国家の建造遺物」には、また、地方の県庁や市役所や公共の建物、例えば学校も、ぜんぶ、火災保険や地震保険に加入していない。

火災や地震で焼失したり、倒壊したりても、「大丈夫、国民が負担するから」という理由で、かえって保険料が無駄になると発想するのが役人の損得勘定なのである。

だから、ケインズが言ったように「有効需要創出のためなら、穴を掘ってまた埋めるだけでいい」ということが一人歩きして、今日も万博会場の建設は進んでいる。

もちろん、万博が中止になろうがどうなろうが、建てる側からしたら、どうでもいいことなのである。

請求書だけが、国民にやってくるのだった。

計画経済の「官製春闘」

ことしの春闘は、大手企業でざっと5%の賃上げとなったけれども、「官製」ということばが飛び交うほどに、政府主導の「賃上げ」がおこなわれた。

政府はさらに、中小零細企業にも、賃上げのために製品原価への「転嫁」を要請して、大手企業への「受入要請=命令」をはじめたようである。
道具は、公正取引委員会による「監視の強化」で、価格転嫁を邪魔したらどんな大手でも告発するぞ、という脅しなのである。

日本の体制が、どんどんソ連化している。

その「ソ連時代」を否定するプーチン氏と敵対しているのは、日本の体制をソ連共産党とおなじにしたいからだから当然だ。
そんなことがみえてきて、なにも、アメリカ民主党(ソ連共産党・トロツキー派)から強制されているものでもなく、あんがい自主的なことがわかる。

もはや「日米同盟(「EU委員会」も含む)」とは、ソ連共産党トロツキー派の同志による同盟になって、「共通の価値観」といってもたしかに矛盾しないのである。

自由経済に政府が介入すれば、たいがいの結果は「失敗する」ということは、とっくに歴史が証明しているのだけれど、いろんな方法で国民生活を追いつめて、政府依存にさせることができれば、国民が政府に援助を求める当然になって、とうとう共産化する。

これを、革命のソフトランディングといいたい。

「ビジネス保守=みかけだけの保守」というひとたちの、質の悪い、仕組まれた宣伝で、あたかもアベノミクスが「よい経済政策」だったごとく書きまくったから、それが「真正保守」たる安倍氏の功績のように取り扱われている誤魔化しがある。

安倍政権から、菅、岸田と政権は代わったが、自公政権であることは変わっていないので、一貫した社会主義化=共産化が実行されているのもぜんぜん変わらない。

菅氏はアイヌ問題で日本人の民族分断政策に成功したし、その道具たる、「ふるさと納税」なる、「ふるさと破壊」も成功している。
このひとの地元・横浜市は、わが国最大の自治体にして、わが国最大の地方税流出が実現したので、「カジノ計画」を立案する羽目になり、これが廃案で青息吐息財政になっている。

岸田氏は、より鈍感に、すなわちかつてなく強力に、わが国を共産化させるアベノミクスの完成を急いでいる。
それで、言いだしっぺだが緩慢な旧安倍派を血祭りに上げたのである。

日本総督府たる、アメリカ大使館の存在が不気味に光る事態だが、だれもいわない。

この30年以上も、「デフレからの脱却」という刷りこみが徹底されたので、こんなインフレ時代になっても、まだデフレだと勘違いしているひとは多数いる。

何度も書くが、デフレとは通貨価値がモノの価値より高くなることで、インフレとは、通貨価値がモノ価値より低くなることをいう。

結果として、デフレだと物価が下がり、インフレだと物価が上がる。

だから、デフレだから物価が下がる、とか、インフレだから物価が上がる、という言い方は、正確ではない。
「だから」を「理由:原因」としていうならまだしも、「イコール」の意味でいうと、間違いとなる。

さて、あたかもデフレからインフレになったので、賃金がこのままだと生活が苦しくなるのは当然だ。
しかし、だからといって、賃金を政府が介入して無理やり上げるとどうなるか?について、あまりにも脳天気なのである。

それは賃金を上昇させると、粘着性のあるインフレになる畏れが高まるからである。

なかなか、コントロールが困難なので、「ベタ付いて取れない」という意味で粘着性という用語をつかうのである。

ここで、円という通貨の価値はどうなっていたかを問えば、いわゆる「デフレ時代」にも一貫して価値は下がっていた。
それが、「金:ゴールド」の取引価格をみれば明らかだ。

ようは、バブル以来、「円」はずっとインフレの状態にあったのである。

にも拘わらず、世界で日本だけがデフレだったのは、「内外価格差」のダムが漏れ出したからだとずいぶん前に書いた。
内外価格差は、世界にない日本独自の「規制」から生じるが、規制緩和の中途半端な状態が、不可思議な物価下落をダラダラと続けていたのである。

そんなわけで、これからインフレが加速することが日銀の方向転換で確実化した。

これを政府が主導するのは、日本経済をいよいよ破壊しようということで、今後注目すべきは、「失業率」と実数の「失業者数」になる。

だから失業者を増やすために、政府が中小零細企業にも賃上げを要求しているのである。

生活苦の失業者たちが、立ち上がるとき、日本でいよいよレジームチェンジが起きるから、日本人は「ウクライナがどうなったか?」を2000年ぐらいにさかのぼって、いまこそ研究して理解すべきときになったのである。

生活の不安定と、政治家や政府役人の腐敗こそが、ウクライナをあんなふうにしたのであるが、仕掛ける側(民主党トロツキー派)のワンパターンは、国を選ばないほどのワンパターンなのである。

ただし、日本がそのパターンにはまっても、今度は阿呆のような援助をする日本に代わる国がないから、アジア最貧国に落とされてもだれも助けてはくれないことぐらいは肝に銘じておくべきなのだ。

もしも「援助を申し出る国」が現れたら、『ゴットファザー』の裏切り者のごとく、いよいよ共産化を完成させるための甘言だといって間違いないのである。

「餅は餅屋」を喪失したら

社会を人為で設計する、という発想は、ミクロでいえば企業経営の日常にも見られることでもある。

この事業をするから、こんな会社にしたい、とかんがえるのは積極的に推奨されるものだ。
なので、株主に、社長が説明するのも義務化されている。

そんなふうになったのは、わが国の「改革」で、政治が役所を使ったのか、役所が政治を使ったのかは横にしても、お国が「株式の持ち合い制度をやめる」ように財界を通じて指示したからであった。

ようは、わが国の経済団体が、政府の軍門に下ったので、かつての「政府と対峙する」という姿勢が吹き飛んだのである。

あたかも「じゃんけん」のように、政府・財界・労働界が、それぞれバランスをとることがひつようなのに、いまは十把一絡げの「翼賛」状態になって、すっかり共産化した。

この意味で、近衛文麿内閣の「夢」が、岸田文雄内閣で実現している。

しかしながら、どうして日本政府がそんな持ち合い解消指示を出したのか?についての議論はあまりなく、「株式会社は株主のもの」という、突如とした企業所有論が先行して、とうとう「株主資本主義」ということばが生まれるに至った。

こんな用語は、学校でも習わなかった。

むしろ、オランダ「東インド会社」がやった、株式会社の発明、こそが、資本主義の誕生だったのではないか?とすれば、あらためて「株主資本主義」なんて言葉はひつようない。
だから、資本主義というのは、定義が曖昧なだけでなく、マルクスが共産主義を説明するために都合よくでっち上げた、ただのアンチテーゼなのだといえる。

なのに日本人が発明した、「株式の持ち合い時代」とは、「株式会社は誰のものなのか?」がはっきりしない、「変な資本主義」だと非難の対象になったのである。
しかし、いわずもがなの、「会社は従業員と経営者のもの」だったから、生活向上と会社の発展がイコールになっていたのである。

貧農から武士になった二宮尊徳が説いたごとく、勤勉さを基礎にして、このイコールが、がむしゃらに働いたことの原動力だった。

身分制がある、ヨーロッパ人には理解できない行動原理がこれだ。

いまからしたら、「陰謀論」であろうがなかろうが、「株主資本主義」がアメリカからの要請=命令だったと気づくのは、いいセンスだといえる。
アメリカ民主党は、肥えらした日本経済という家畜を、とうとう喰らいにきたのである。

「ものをいう株主」がでてきた当初の違和感はもうなく、「ものをいわない株主」こそが権利行使もしない変な株主だということに常識が転換したのは、すさまじきプロパガンダの成果である。

これを日本経済を専門に扱っているといわれている(これ自体もプロパガンダ)新聞社が担っているので、この「新聞」を読むと、経済音痴が伝染するはめになってロクなことにならないと気づいたから購読をやめた。

では、ものをいう株主とは、なにをいっているのか?といえば、企業経営に対する「物言いをつける」ことをいう。
相撲の「物言い」とおなじだが、ときには「いちゃもんをつける」のと同様のこともある。

もちろん、一単位しか所有していない程度では、会社側も相手にしないから、数%以上を保有している「機関投資家」がこの手のものをいう株主なのである。
だから、ものをいうのは、その機関投資家の社員か経営者ということになって、このひとたちは個人的趣味・嗜好で「論破したがる」性質をもっている。

いわゆる、「オラオラ」を大株主の立場でやるのが、優越感となるから、楽しい、という実に下賎なひとがいて、日本人的ではない気持ち悪さがあるのだ。
こんな人物たちが、たいがい高学歴なのは、そういう風になるような教育制度になっているからである。

さてここで、「設計主義」が登場する。

大株主の持ち分が会社の所有権の持ち分とおなじ意味なのだ、というのが、株主資本主義の唯一の主張である。
なので、「いちゃもん」自体も、持ち分の発想からいうだけなので、いわれた会社側はどう解釈したものかなんだかわからないから「いちゃもん」になる。

たとえば、30%の持ち分があれば、その「いちゃもん」の30%分を実現せよ、といちゃもんをつけるのである。
ところが、そのいちゃもんを実行したら、会社はコストが増えるだけで損をして、株価が下がるとまで説明して、ようやくいちゃもんを取り下げるというオチがつくのが関の山なのだ。

そんな説明の筋書きを総務担当者やら企画担当者にやらせるだけで、人材と時間のムダ遣いをさせることになるけど、「いちゃもん」だろうが、「物言い」をやったという実績を残さないと、機関投資家の社員としての仕事をしていないと社内評価されるのが困る、という側面もあることは否定できない。

ようは、人事評価の設計がおかしい会社が投資会社で、ふんだんな資金があるとこうなるのである。

そういった大規模なヘッジ・ファンドなどは、有名な投資家(じつは「投機家=ばくち打ち」)からのし上がったので、ろくな組織マネジメントをしてはいないが、パフォーマンスの高さから、欲深い者たち(おなじムジナ)がカネを出して、合同でばくちをやって荒稼ぎしているのである。

彼らの感覚は、ヨーロッパ中世そのものの時代感覚なのである。

それで、自分たちの都合に有利なように議会や役人の家族を雇うなどして、金銭でコントロールするのは、野蛮な欧米人の発想としては、当然なのである。

これを、「強欲資本主義」というひとがいるが、そうではなく、欧米で一度も資本主義が成立したことなんかない、気分は重商主義とかの中世のままだからである。
彼らには、資本主義とは幻だから、「資本主義成立の歴史的定義」は、いまだに定まらないのは、当たり前のことである。

実態もなく存在しないものの定義なんかあるわけがない。

それでどうして、「株式の持ち合い時代」のわが国企業がいまよりずっと高い成長をしていたかといえば、「餅は餅屋」というわが国伝統の価値観に合致していたからである。

それで、餅屋なのに、餅の品質やらが落ちたら、銀行からカネではなくてひとがやってきて、餅屋らしくなるように指導したものだった。

銀行にも、勤勉の道理があったのである。
それを渋沢栄一は、『論語と算盤』で、ちゃんと説明しているのに、いまでは渋沢が創った銀行さえも、「おとぎ話」にしているにちがいない。

ところが、その銀行が当たり前に疲弊して、あらゆる業界にひとを出しても、ぜんぜん使えないので、なんなんだ?にもなって、とうとう役所の補助金に依存するようになっている。

その原因は、「餅屋らしさ」を追及せずに、損益計算書の数字だけを追及して、へんな設計主義を強制するからである。

残念ながら、銀行も銀行業とはなにか?を金融庁と日銀に破壊されて、自分たちさえ「何屋だか不明」になってしまった。

ために、銀行の指導で、「餅屋」が多核化したりして、「何屋」だか不明になっても、数字さえよければそれでよい、ということに落ちこんだのである。

まったくもって、アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーに転落したごとく、なのである。

企業の社会的責任とか、企業倫理とかが宙に浮き出したのは、国民の道徳がアメリカ民主党(トロツキー派)によって破壊されたからである。

その手先の一派が、「国民の道徳批判」を世に出して、正体を現したのも、トロツキー派の邪悪がダース・ベイダーと同様の使命感に変換されたからだろう。

あなおそろし。

アメリカ・カナダの麻薬解禁

アメリカだと、「先進的」に不法薬物解禁(合法化)をやったのは、『オレゴンから愛』(1984年)で日本人にもしられる「オレゴン州」であった。

カナダだと、「ブリティッシュ・コロンビア州」で、こちらは期間限定(2023年1月31日から2026年1月31日まで)の「社会実験」として、18歳以上の成人は、少量なら所持していても逮捕や告発されることはなくなった。

どうなったか?は、とくだん驚くべきことはなく、予想通りの「廃退」がすすんだ「だけ」であった。

また、麻薬中毒者が、非合法ゆえに犯罪者として扱われ、治療を受けにくいという主張にも疑問が呈されて、むしろ、合法だろうがなんだろうが、彼ら中毒者が麻薬使用をやめて治療を受ける決心をするのは、「手遅れ」になる段階になってからで、その間は、麻薬に浸る喜びしかもたないという実態報告がでてきた。

これ以上いくと命に関わりそうだ、という懸念を中毒者本人が自覚する段階は、とっくに手遅れなのである。
脳だけでなく、全身の神経系が薬物で受けたダメージを再生する方法はないからである。

初めから手を出してはいけない、これがまともな鉄則である。

では、薬物合法化運動の本質とはなにか?
それは、文化破壊の政治運動にすぎないし、中毒者が増加して社会が中毒者によって過半ともなれば、あとは支配と被支配の現実がやってくる、まさに、ディストピアの実現なのである。

およそ100年前に、世界史を、形態、として観察したシュペングラーの名著『西洋の没落』によれば、文化社会 ⇒ 文明化社会 ⇒ 文明社会 となって、没落(滅亡)し、再び、文化社会からスタートして何度もおなじパターンを繰り返すという。

アメリカで、少年少女文学として書かれた、『カッシアの物語:原題は「MATCHED」』(2010年)という、三部作のディストピア小説がある。

温暖化でいったん衰亡した人類は、すべてが政府がコントロールする社会を構築していたことから、この物語ははじまる。

オレゴン州やカナダのブリティッシュ・コロンビア州は、そんな悠長な理由はどうでもよく、いきなり「麻薬合法化による衰亡」を計画したのである。

しかし、前にも書いたように、スイスは80年代のとっくに、「無料・麻薬接種所」を設置して、希望者に専門家が注射をほどこすことを、国民投票で決めている。

クスリ欲しさに犯罪に手を染めて、自由民を傷つけることなく、そのまま薬漬けになって勝手に死になさい、という法律なのだ。
もちろん、本人が希望すれば一生をかけて病院に収容される。
それで、自由民は自分の払った税金からの出費を政府に認めた。

冷酷さがにじみ出るみごとな、合理的「損得勘定」なのでスイスらしい。

こんな先行事例を、これら両州は無視したのである。

しかも、合法化されたとはいえ、入手には二系統を残した。
政府からの少量の支給と、元は闇での格安・大量販売で、中毒者はほぼ後者を選択している。
それで、販売競争となった業者は、フェンタニルを混合させてより「強力=格安化」にしているが、その分、常習者への身体的ダメージも強化されている。

もちろん、取締当局は、取り締まることをしない。

ただし、学校などの敷地内では、薬物の使用は禁止されていたが、どういうわけか公園での使用は規制がなかった。
それで、散乱する使用済み注射器を踏み抜いたら危険だと、小さな子供を持つ親からの苦情で、ようやく公園から「15m以内」が禁止となった。

そんなわけで、まともなひとちは、他州への移転を決断し、ますます加速して衰亡の道をひた走っているから、シュペングラーの予言は現実になっている。

このあと、すっかり廃退して死に絶えた地域として、あとは再生するのか?それとも?が見どころになっているのである。

だんだんと、かつて「アメリカの国民作家」といわれた、新しい自由な国をつくる、アイン・ランドの小説も、現実化している。

想像の世界から、すさまじい、社会実験を、愚かで野蛮なひとたちが自分からすすんでやってくれている。

政府審議会委員がいなくなるカモ

『文藝春秋』といえば、かつてもいまも、わが国を代表する「総合雑誌」という位置づけで、もっといえば、「雑誌界の最高峰」ということになっている。

発行部数がずっと、「100万部」という実力だからであろう。

会社としても、雑誌名とおなじ「文藝春秋社」だから、どっちの話をしているかが若干ややこしくなる。

この雑誌の編集長をやっていた、半藤一利(1977年 ~1979年)は、その後、専務となって退社し、作家業に専念したが、渡辺昇一教授はかれを「一貫した東京裁判史観の持主」と評している。

つまり、反日・左翼である。

それでか2009年に廃刊になった『諸君!』は、ウマが合わなかった前任編集長の田中健五(1972年~1977年の編集長で、1988年~1995年の間は社長だった)が創刊したものだ。

半藤は田中の社長退任とおなじ年に退社した。

『諸君!』は、わたしが学生時代から定期購読していた月刊誌では、最後まで購読したものの、廃刊の数年前にその「左傾化」に気づいて定期購読もやめたので、廃刊のニュースはさもありなんだった。

一雑誌が左傾化したのではなくて、「会社として左傾化した」のである。
その随分と遅い反応の記事が、2017年の『アゴラ 言論プラットフォーム』にある。

それから、『Will』と『HANADA』を購読したことがあるが、長くは続かず、ずっとこの手の月刊誌を手に取ることもなかった。

しかしながら、この「4月号」の特集、『コロナワクチン後遺症の真実』のために、えらく久しぶりに、そして積極的に『文芸春秋』を手にしたのである。

記事は、各位がお読みになられるとして、じっさいに政府は、補正予算で100倍以上も計上しているのは、事実である。

そんなわけで、もしもわが国が民主主義国家であるならば、コロナワクチン接種を推奨したひとたちはもちろん、政府の委員は当然に率先して「逮捕」の対象にならなければならない。

容疑は、「虐殺:ジェノサイド」と、「侵略:経済的被害をもたらした」で、もちろん、「人道に対する罪」があって、2022年に現職首相だったボリス・ジョンソン以下が、国際刑事裁判所に提訴されていることは書いた。

つまるところ、「東京裁判」でいう、「A級と同等」という意味で、求刑されるべきは「死刑」しかしないし、別途、民事での金銭的保障は、末代まで及ぶことになろう。

すると、これ以降も、わが国が民主主義国家であり続けるならば、恐ろしくて政府の各役所における委員になることは、「破滅」を意味するようになるので、なり手がいない、ということになるのではないか?

「御用学者の絶滅」が、起こり得るのである。

しかしながら、現実には、厚労大臣も誰もかも、「政府委員がいっているから」という逃げを国会答弁で述べて、議事録に残していることが、重大な証拠になることに気がついていないという、おぞましいほどの民主主義否定が、ふつうに行われているのが、わが国の実態なのである。

もちろん、国民も、そんな状態になっていることに、興味もないほど「政治不信」という名の無関心がはびこっている。

だが、幸か不幸か、「憎悪の訓練」だけは受けているので、その憎悪の対象が政府や政府委員に向かうとき、きっと怖くなるほど日本人は結束するに違いない。

なにしろ、国民の8割以上が、接種者として、とんでもないことになる可能性があるし、それがまた次世代へ遺伝することもあるばかりか、未接種者も他人事ではないのは、「輸血」を要する事態となったら、接種者提供の血液製剤を体内に入れるしかないからである。

なので、未接種者ばかり、という国会議員すら、安全地帯にいると高をくくっていられるのは、愚か者の証拠なのである。

製薬会社は、75年間の秘密協定があるとしているが、人類が75年後にどうなっているのか?も含めて、製薬会社の経営者も自分や自分の子孫のことを思っていない愚か者だとわかるのである。

「家畜」であって「社畜」ではない

JR品川駅の構内を見下ろす構造になっているカフェが話題のようである。

店内には、駅構内を通行するひとたちへの撮影を禁じる旨の掲示があることが話題のタネのようである。

その心は、社畜観察カフェ、という異名からも明らかで、通勤時の大量なる社畜が足早に出口方向へ通過していく姿が、まさに屠殺場へ向かう動物にみえるからだともいう。

それに、この通路は、「社畜ロード」と名付けられて久しい。

これには、「芝浦と場」として、いまは「東京都食肉市場」となっている施設が、極近所にあるから、という理由がかんがえられるけれど、そもそものはじまりは、「昭和11年12月に、それまで都内各地に点在していたと場を合併し、当時は葦(あし)が茂る埋め立て地に作られました」と解説がある。

もちろん、ここで忘れてはならないのが、「中央卸売市場法」(大正12年3月)の制定である。

どうしてこの法律ができたのか?についての、当時の事情はいまとはぜんぜん違うので、いまさらながらに、どうして21世紀の現在にも、「公設」の中央卸売市場が必要なのか?という議論があるのは、現代の事情がもはやこうした施設を必要としなくなっている点があるからだ。

そうやってかんがえると、「社畜」を品川駅で語ることは、食品供給に対する、冒涜ともなりかねない恥ずべき話なのである。

それならば、新宿駅や東京駅も、社畜であふれている、といえる。

昭和天皇の御大葬で来日した、ブータンの前国王(現国王の御尊父)は、お付きのひとに、東京駅駅頭(丸の内口、東京中央郵便局付近)に向かわせて、日本人の通勤風景を観察させていた。

国王の調査目的は、日本人の幸福さ、であり、報告は、「老若男女のほぼ全員が、無言で怒ったような顔つきで歩いており、とても幸福度に満ちているとは思えなかった」であったのだ。

当時、ブータン王国は世界最貧国レベルの経済統計値であったから、王様が提唱された「国民幸福度で世界一」ということの意味が、当時(昭和の最後)の日本人にどこまで通じたかはわからない。

しかも、このときすでに、「バブル」がはじまっていたのである。

それで、バブルが崩壊すると、このときのエピソードが注目されるようになったから、反応の時間は数年というほどの鈍感さを日本人は示したのである。

品川駅にはソニーの本社があるが、ソニーの半導体工場をヒマラヤの雪解け水に目をつけた計画があったけど、世界で初めてソニーの工場進出に「NO」を突きつけたのも当時の王様だった。

国民の所得が向上しますよ、という経済発展の誘いに、国王は、国民全員が雇用されるわけではないから、格差が生じる」と返したのである。

先々代の急逝のため、わずか16歳で国王に即位した先代は、自身の側近を英米のエリート大学出身者ばかり起用したようにみえたけど、だからといって、英米の経済学をそのまま導入しようとはしなかった。

英米の損得勘定と、国王の損得勘定は、ぜんぜん別の価値観による計算式があるのである。

この当時だって蔵書数で定評のあった、横浜市立図書館で「ブータン」と検索したら、4冊しかヒットしなかったほど、日本人には関心のない国だったのである。

利権政治を金権政治というなら、明治維新からわずか二代50年ほどの後の大正4年からのバブル、「(第一次)大戦景気」では、英米の価値観に染まりきっていたのが日本人で、以来、民間企業も「利権獲得」から「確保」こそが利益の源泉だとしたので、その価値観に盲目的に従う子飼いの政治家を育てた結果が昭和の反動となって、敗戦からいまに続くのである。

あたかも政治家だけが悪いという、憎悪を煽るきれい事で、国民の汚れた本音を隠すから、気がつけば、奴隷国家からとうとう家畜国家になったのだった。

この意味で、日本人は一大プロパガンダ作家、司馬遼太郎から卒業しないといけない時期に来ている。

なんにせよ、自分の頭でかんがえることができなくなったら、それはもう、「家畜になった」としかいいようがないのである。

残念ながら、企業内生活と無意識訓練の「習慣」がそうさせるので、「頭脳の生活習慣病」ともいえるから、自覚症状がないために深刻化する。

そうやって、社内昇格するために、トップ・マネジメント層も家畜化してしまうけど、質が悪いのは「君臨する」という事態に及ぶからである。

それが、いま存在する、経団連やらの財界人の姿なのである。

「当然」のプーチン氏再選

2030年までの、ロシア連邦大統領職の任期延長がきまった。

この国(ロシア)は、伝統的に強力なリーダーを必要とするので、プーチン氏の再選(五期目)は、当然といえば当然だ、という専門家の意見がある。

また、今回のロシア大統領選挙で初めて採用された、電子的な投票方法が、「不正の温床となる」と報じる西側メディアは、郵送と電子的な投票方法をあわせているアメリカの大統領選挙では、完璧な管理下で一切の不正はなかった、ということにしているし、「選挙不正はあった」と発言しようものなら、検察官に起訴される全体主義国家になっていることを非難もしない。

いまや正体(戦争屋の手先)がしれた英国の元首相にして、現外相のキャメロン氏が、どうしようもない呆れた選挙だという最大限の失敬な態度をとるのは、ロシアを分割して旨味を得る(英国の帝国主義を保守する党)ことが不可能になったことへの「地団駄」で、まことに唾棄すべき人物だと、自分から世界に示してしまった愚か者である。

ここでわたしが注目したいのは、投票率が約74%「も」あったことである。

また、日本人は選挙の投票に3日間も要することに怪訝な目でみるひともいるけれど、世界最大の陸上面積がある国だ、ということと、ウラル山脈の東側(一般に「シベリア」と呼ぶ地域)のほとんどは、ツンドラでおそろしく人口密度が低いのである。

そのウラル山脈の東側からの広大なエリアには、多数の少数民族が住んでいて、ロシア連邦の国内言語数は、200を超えていることすら西側メディアは報じない。
このことがまた、強力なリーダーを必要とする要因になっている。

さらにいえば、まだ「春」が遠い気候のなかでの投票には、それなりの苦労があるのは容易に想像できるので、なかなかの関心の高さ、というか、「ロシア国民の民度の高さ」を表しているとかんがえられる。

戦後でもしばらくは日本人も、元気なら選挙には投票するのが当然だったので、国政選挙ではだいたい8割の投票率の「高い民度」だった。
逆に、「反軍演説」で国会を追放された斉藤隆夫議員を、再度国会へ送った「地元民の民度の高さ」は、いまでは真逆になって、お困り国会議員が低い投票率だから連続当選できている。

「反プーチン」だという野党のひとを何が何でも応援する西側メディアの、まったく当てにならない報道がここでも現れて、プーチン氏の予想得票率82%を上回る圧勝という数字を、どのように評価するのか?も言及することはない。

74%×82%=61%

つまり、プーチン氏の国民支持は、6割を超えるのである。

これは、アメリカ共和党内における、トランプ氏の支持率と似ているが、国全体ではトランプ氏の支持率も4割程度となるのが現実である。

これは、プーチン政権が盤石な基盤のうえにあることを意味するので、「もしトラ」となっても、アメリカ人はプーチン氏に一目置かなければならないことを意味する。

それが、民主主義、というものだ。

そこで若干、リーダーについて書けば、リーダーとは、リーダーシップを発揮するひとを指す。

へんてこりんな西側メディアの洗脳で、プーチン=独裁者という刷りこみをされて「反プーチン脳」にされている気の毒だが迷惑なひとたちが多数いる。

だから、「強いリーダー=独裁者」という、深刻な勘違いをしているのである。

これがまた、職場等における、「パワハラ」の要因になっていることを、プーチン=独裁者と洗脳された日本人には、かんがえたこともないだろう浅はかさになるのは、マスコミによるプロパガンダを信じる単純さがそうさせているのである。

それでもって、浅はかな与党政権は、浅はかな勉強エリートの官僚に、「パワハラ防止法」なる浅はかな立法起案の作文をさせて、国家権力でもって「やめさせることができる」のが、あろうことか「法治国家」なのだという、浅はかなことを真面目にかんがえる浅はかさなのである。

これぞ、独裁ではないか!

本物のリーダーシップは、そうではなく、常に国民に問いかけて国民が「自ら」正しい方向へ向かうように導くことなのである。
そこで、プーチン氏の場合は、「ロシア正教」という国民の信仰を基盤にした、ローマカソリックやプロテスタントとは異なる国民共通の価値観をもって、「指導」しているに過ぎない。

それが、タッカー・カールソン氏とのインタビューににじみ出たので、都合が悪い西側マスコミは、この内容ばかりか、そんなインタビューがあったことさえ報じないのだった。

前にも書いたが、「ソ連」と「いまのロシア」の区別がつかないひとたちが多数いるという現実は、報道機関という名の犯罪的かつ意図的なプロパガンダのお陰である。

そんなわけで、こうしたプロパガンダ機関は、日本人の目線を海外に向けさせるのは、本音では応援している岸田政権の悪行である実行力をみせないためであるし、一方で、国内の話題を「裏金問題」にするのは、スケープゴートを絞り込んで、逃げ切りたい勢力を助けるためでもある。

国民や視聴者が俯瞰して全体の構造を把握することができないようにするのは、リーダーシップの真逆の、強制的な情報統制なのだ。

なので、おおくの日本人は、世界との関連性のなかで生きていることをすっかり忘却させられて、江戸時代より酷い「鎖国状態」におかれていても、ぜんぜん気にしないで脳天気に生きている。

初の女性首相候補といわれた、野田聖子総務会長(当時)が、シーレーンにあたる海域に軍事基地人工島を建設しているのを、「わが国からはるか遠いので関係ない」といったのを聞いて、「そりゃそうだ」と骨髄反応したなら、そうとうに「脳がやられている」と自己判定もできなくなっているのである。

さてそれで、「親日」を自称しているプーチン氏は、あたかも座禅における「喝」を入れる警策のごとく、「目覚ましの一発」をそのうち日本人に喰らわすことになるのだろうと予想する。

それが、どんな痛みを伴うのかはわからないが、キリスト教的「愛の鞭」ということが、いまの弛んだ日本人には強すぎて、なんであれ過剰反応になることを懸念しておく。

とっくにこの予測をしているマスコミだから、国民の過剰反応を用意するための狂った大宣伝をいまやっているのだとかんがえれば、辻褄があうのである。

TikTok 「禁止?」の緊急法案

13日、アメリカ連邦下院は、超党派の支持を得て賛成352、反対65で可決し、上院へ送られた。
チャック・シューマー上院多数派(民主党)リーダーが、どう処理するか注目されるが、「超党派での可決」を受けて、あんがいと早く議決すれば、あとは大統領が署名して成立する。

バイデン氏は事前に、可決されれば署名する方針を表明しているから、ほぼ決まったとみてよいのだろう。

もちろん、中国の字節跳動(バイトダンス)側は、可決を阻止するために法的権利を行使すると表明したという。

まず、報道の正確性を欠くので、「TikTok禁止法案」という言い方はまちがいである。

アメリカには、特定企業を名指しした法律を立法することは禁じられているためで、法案の主旨はより「包括的」となっているし、禁止ではなく、アメリカでの活動をやめる「か」、アメリカ企業による強制買収を選択できる、となっている。

しかして、なぜにこんな法案が素早く、しかも超党派という理想的な形で下院を通過したのか?について、日本での腐ったマスコミは解説もしないのである。

第一にあるのは、技術的な問題で、日本における「LINE」と同様に、利用者が投稿した他愛ないものが問題になっているのではなく、スマホなどの端末にある個人情報(行動履歴や支払決済記録などぜんぶ)が数秒でダダ漏れするということが、国家安全保障上の問題となっていたのは、トランプ時代からのことである。

「以前」は、数秒を要していたが、いまの機種では「一瞬」という、高性能化がされているのは、盗む側の技術向上だけでなく、端末自体の高速処理技術が逆手にとられているのである。

それでも、アメリカ人の若者を中心に1.8億人ほどがTikTokの利用者だし、それがほぼ民主党支持者ばかりなので、字節跳動(バイトダンス)側もたかをくくって、禁止法が議案に上程されてもロビー活動によって阻止できるとふんでいたようである。

情勢が変わったのは、「ハマス支援」のために若者たちが立ち上がったことだった。

アメリカ連邦議会は、上・下両院とも、イスラエルロビーが超党派(民主党も共和党の壁もなく)で牛耳っていることはあまりにも有名な話だ。

字節跳動(バイトダンス)という企業は、当然だが中共支配の企業なので、若者の行動の裏に、字節跳動(バイトダンス)による情報収集だけでなく、「宣伝工作」もあることがわかってきた。

アメリカ人の世論全体では、ハマス支持は半数にぜんぜん満たないが、10~20代でデータをとると過半なのもその徴候だというのである。

ここでひとつの事件となったのは、バイデン陣営が大統領選挙キャンペーンにそんな若者たちに受けるよう、「TikTokを公式ツール」としたのである。
よって、字節跳動(バイトダンス)側は、今回ような事態にならないと思ったにちがいない。

ところが一方では、若者たちのハマス支持に危機感を覚えた議員たちが素早く動いていた。

それで、時間がかかるロビー活動では間に合わないことに気づいた字節跳動(バイトダンス)側は、慌てたのか?やっぱり発想が打算的なのか?あろうことか、TikTokそのものをつかって、「国会議員に電話して議員の行動を阻止しよう!」というキャンペーン・コンテンツを加入者全員に送ってしまった。

これに賛同した若者たちが誰だかわからないけど、「電話する」のボタンをクリックして、通話行動にでたために、各州にある国会議員たちのオフィスの電話が次々とパンクしてしまったのだった。

これに、超党派の国会議員が震え上がったのである。

自身の政治活動が、一方的なTikTokのキャンペーンによって阻害される、つまり「実力行使」と認定されることになったのである。

このあたりは、目的に付随するが予測できない、「随伴的結果」そのものとなったのだが、全体主義者がしでかした浅はかなことではある。

それでその随伴的結果の方が議員仲間での大きなうねりとなって、あっという間の可決になったのである。

次の興味は、上院での可決をとっくに飛ばして、だれがTikTokを買収するのか?になっている。

この一連を振り返ると、バイデン側の「罠」にTikTokがかかったといえる。

それで買収するのが、マイクロソフトとか、アルファベット(グーグルの親会社)とか、という巨大な資本力のある企業なら、なんのことはない、外国のグローバル全体主義から、アメリカ国内のグローバル全体主義に引き渡されるだけ、という茶番になるのである。

アメリカは酷い国だといいながら、兆円単位のカネが手に入るから、この売買は双方どちらも笑いが止まらないだろう。

これはこれで、共和党トランプ派にとっての随伴的結果なのである。

ドローンの武器化が歴史の転換点をつくった

「無人・無線操作」による、いわゆる「ドローン」(せいぜい100万円程度)が、数億円以上の従来型兵器を無力化して、過去にない戦果をあげているのが、ロシア軍の実態である一方、ウクライナ側は水中ドローンで巡洋艦クラスを撃沈させている。

さらに、遠方まで移動して確実に当てるため、偵察ドローンも登場して、攻撃ドローンの操縦を援護し、あたかもビデオゲームのような状態をつくりだしている。

もちろん、宇宙からは衛星が戦地を監視していて、偵察ドローンの配置計画を援助しているのは、当事者双方でやっているので、双方から「戦場が公開される」という史上初が起きている。

過去の戦争は、一部が公開されるまでにはなっていたが、いまは、ぜんぶが公開対象になっているし、その情報と、戦場(従軍)記者の報告、あるいは双方の軍当局からの発表とが評価の対象になって、世界に配信されることになったのである。

地上波テレビでは、悲惨な「生」の映像をみせないので、ここにもネット情報を得るひととそうでないひととでの情報格差が生まれる。

よって、当局によるプロパガンダもかつてないレベルで実施されている。
自国民と世界への情報発信で、有利な情報操作を仕掛けるのは当然といえば当然だからだ。

この意味で「軍政」も担当分野にある陸軍では、士官学校で、プロパガンダ専門員の育成をかなり重視しているはずだ。
「軍政」が担当分野にない海軍・空軍に対して、どの国も陸軍が上位なのは伝統的だが、教育内容におおきな隔たりが起きていることだろう。

昨年のウクライナによる「反転大攻勢」では、英国やドイツ、それにアメリカの「最新鋭戦車」やら、戦闘機やらが供与されるから、ロシア軍はひとたまりもない「はずだ」と世界の戦争屋宣伝隊のマスコミ(もちろん日本のNHKも)がはやし立てたが、アメリカはわずかな日数で「エイブラムス戦車」を引き上げてしまった。

ロシア軍のドローンによる攻撃に、歯が立たないことを、世界に宣伝したくないからである。

おかげで、貧困化する英国は、なけなしの戦車を失い、ドイツ自慢のヨーロッパ最強戦車も、ただの鉄くずとなるシーンばかりが配信(「砲塔」が揺らぐ)されて、「カタログ販売」の目論見はあっけなく潰えてしまったのである。

中にいた兵員はどうなったかをいうひとはいない。

ちなみに、進攻開始してすぐにロシア軍がキエフを包囲できたのは、緒戦における制空権を確保したからで、いまでは東側占領地域から西のポーランド領付近までミサイル攻撃の射程としている。

このとき、キエフを占領しなかったのは、「和平交渉」をしていたからだが、戦争屋の代理人、英国のボリス・ジョンソンが和平の阻止をやって、最後のひとりまで闘え、といったのをゼレンスキーが飲んでしまった。

英国は、ウクライナ人が死滅しても武器を売りたいし、あわよくば、ポーランドをからめて、ウクライナ分割統治をしたいのである。
なお、ウクライナの穀倉地帯の農地は、すでに英米の投資家がかなりの面積を購入している。

それでまた、BRICsを中心に、西側やアメリカ製の武器購入が減ってしまったのと、なんと生産能力が間に合わないとの二重苦がある。
後者をもって、日本の最新鋭戦闘機やらを外国に販売できるようにしたのである。

生産が間に合わないのは、西側の工場は、「労働法を遵守」しているからで、対するロシアは「祖国防衛」のための24時間フル稼働(三交代制)を維持しているからである。
しかも、ロシアは新型ドローンの開発にも注力して、戦時下における進化を実現している。

残念ながら、国民のやる気がちがうのである。

その背景に、「ロシア正教」への信仰心で国民が結束しているからである。
ゼレンスキー政権は、ロシア正教徒を虐殺してきた元凶だという認識が共通なのだ。
残念ながら、国民に人気の反プーチン政治運動家の死、というのもプロパガンダで、彼の実態はネオ・ナチなのである。

それに、残念な西側軍事顧問らは、戦闘機ばかりか最新鋭戦車の操縦も、数ヶ月の訓練でできると、阿呆なことをかんがえついた。
最低でも3年はかかるし、戦車隊を成すにはもっと多くの経験値がないと、まともな作戦行動もできないのは常識だろう。

そもそも、指揮官が育たない。

兵器さえ最新・最強なら負けはしない、という発想に、人間が操作することを忘れた暴論だということさえも、プロパガンダされて気がつかない脳天気なひとたちが多数になっている。

さらに、「復興支援」なることが昨年の広島サミットでも議題になったのは、戦時中としてありえず、「ウクライナの敗戦による復興支援」と正確に言葉をつかうこともしない。

さてそれで、わが自衛隊の装備は、ウクライナと同様の旧式アメリカ製ばかりで、ドローンによる多数同時攻撃に対しては無力だし、まっ先にあるはずの、電磁パルス戦(EMP:ElectroMagnetic Pulse)の準備もないのである。

敵によるEMP戦発動で、わが国周辺の米軍も一瞬にして無力になる。
もちろん、民間機も民間船舶も航行不能になる被害となる。

いま、「もしトラ」から「ほぼトラ」になってきてはいるが、トランプ氏が大統領に復活した場合の東アジア情勢の大変化は、もしやアメリカ大統領就任後初の外国訪問がモスクワになるやもしれないことで、明確となる。

米ロの蜜月がはじまる、大転換が用意されている。