醤油を買いに大口へ行く

横浜市はいわずとしれたわが国最大の自治体(370万人)だが、中身はかなり薄く、基本的には東京のベッドタウンに成り下がった。

ただそうはいっても、わずか数軒やらのひなびた漁村から、まさかの国際貿易港に成り上がったのだから、歴史もなければなにもないという実情が悔しくて、どうしても東京へのライバル意識が高いという、東京からしたら片思いが転じて勝手にストーカーになった迷惑もあるだろう。

国家総合職が課長級でやってくる、神奈川県警本部長とは別に、ローカルな職員たちは、警視庁への対抗意識が高すぎて、これをまた、恥知らずの知事が真似ているから始末が悪い。
いまの東京都知事に見倣うべき点は、ひとつもないが、PSYCHO-PASSの都知事がどうみているのかは、常人にははかりしれない。

結局こんな連中や自治体とかに任せるのはムダで、自力で智恵を絞って頑張るのが必須なのは、どこに住んでも同じなのである。

そうやってみたら、これだけの人口がいて、市内でちゃんと醸造している醤油屋が一軒しかないことに気がついた。
そのものズバリ、「横浜醤油」という。

ちなみに、神奈川県で調べても醤油屋は造り酒屋より少ない、絶滅危惧種なのである。

なんでこうなったのか?
筆頭の理由が、宅地化で、少量をつくるのでは「割に合わない」という問題である。
いわゆる、大メーカーが、わずか3ヶ月で出荷するのに、ちゃんと発酵させた醤油なら2年や3年はかかる。

日本人が手軽に醤油を食卓において、ふつうに食生活ができるのは、大メーカーさんの提供する、発酵学の成果たる「速成醸造技術」のおかげであるから、いまさら文句をいってもはじまらない。

はたして、大メーカーの醤油が、1Lで数百円程度なのは、どんな「原価」なのか気になるところだが、それで製造できるとは、一体どんな作り方をしているのだろう?

あれもこれも、混ぜているにちがいない。
見た目だけでわかりやすいのは、速成醸造だと「色」がでないから、カラメルを添加して「醤油色」にしているとか、その他もろもろである。

なので、こういった醤油を長期保存すると、カラメルが変性してドロドロになって、苦くなって食べられたものじゃない状態になるのである。

しかし、日本酒とちがって、醤油は「飲み物」ではないから、その品質のちがいについて、消費者はもっと敏感であっていいはずだ。

これは、「食品化学」という、「家政」の分野になるのだろう。

男女の役割を否定するのが、いまのトレンドのようだけど、人間生活の最小単位たる、「家庭=家族」を破壊する必要の意味は、ジャン・ジャック・ルソーがいうところの、「アトム化=個化」を目指せば、ついに「全体主義」が完成するからである。

この意味で、トランスジェンダーに憧れさせるような教育は、全体主義の具現化だし、これに乗らされてしまうひとたちは、全体主義に協力するはめにあっている気の毒がある。
ソ連・スターリン時代に強制をもってやろうとして大失敗したのは、ロシア人が徹底的に抵抗したからであった。

これを、「北風と太陽」の話によって、いまは「暖かく迎える欺瞞」で、人々から警戒心を奪っているのは、なかなかにかんがえられた方法なのである。

それはそれとして、男子高校生も、「家政」のなかにおける、「食品化学」は、その一生の健康維持のためにも、学んでおいていい。
これを、「保健体育」にするかどうかをいいだすのはどうでもよく、どうしても「食品表示法」との関連を学ぶ必要があるから、「家政」の分野だといいたいのである。

さて、無添加を謳う「横浜醤油」の表示には、アルコールの記載がみえる。
これは、発酵が進みすぎないようにするためで、一パックに数滴を充填の最後に加えるという。

自家製の味噌キットを買ってきて、一回の仕込みで10㎏を作っていた時期があったけど、やっぱり最後にラップをする前、焼酎をキャップ一杯分だけ回しがけするように書いてあったのは、カビ防止であったことを思い出した。

醤油も、大豆を主原料とするので、じつは一歩まちがうと「納豆」になってしまう。
納豆菌の活性には、高温がいるために、醤油造りでは発酵温度を低温維持に管理しないといけない。

自然発酵だけにたよると、3年かかる醤油づくりは、仕込みでつかう原材料代の投資回収に3年以上かかるという、えらく投入資金の回収に時間を要する商売なので、金融の知識も要するのである。

500円で入浴できる横浜の銭湯が、2月から30円値上げされて、再び日本一高額な銭湯になるけれど、いま520円の東京の銭湯のサービス品質に追いつかないのは、地域の金融機関の経営力が弱いからだと前に書いた。

どうやら、横浜市から醤油屋が消えたのは、これが最大の理由だろう。

かんたんにいえば、横浜銀行のことである。
歴代頭取が、大蔵省からやってきていたけれど、かつて世界に名を轟かせた、「横浜正金銀行」(本店は「神奈川県立歴史博物館」になっている)とは、縁もゆかりもない銀行である。

醤油ファンドとか、仕込み時にできあがりを全部予約販売してしまうなど、の仕組みを提供したらどうなるのだろうか?

安定した収入のサラリーマンでいたいという子供たちなので、自分の代で終わるという、社長の言葉を聞きながら、まともな醤油を口にできなくなることの恐怖すら感じたのである。

はたして、こういう社会的に重要な事業を維持・拡大するための方策が金融機関から提供されないで、マンション開発の不動産屋を連れてくる銀行とは何者か?

それもこれも、金融庁なる余計な存在が、経済の血液たるおカネの動きを見事に邪魔しているからである。

日本経済の衰退は、日本政府が原因なのだとなぜに日本人は気づかないのか?

劣化して苦くなり喰えなくなったのはこんなことだと、醤油に教わった。

ミレイ大統領の歴史的演説

昨年、12月10日に、アルゼンチン大統領に就任した、経済学者のミレイ氏が、なんと、17日、世界経済フォーラム(ダボス会議)で演説していた。

この演説に日本語字幕をつけてくれたひとがいるので、まずはそちらをご覧になるといい。

わたしの記憶するところでは、プーチン氏を嚆矢として、今回のミレイ演説は2例目で、世界経済フォーラムを大批判する演説を、世界経済フォーラムで披露したことになる。

演説内容は、「(日本も含む)西側」への耳の痛い警告であって、おなじことを、100年前に経験したアルゼンチンだからいえるのだ、という論法は、自虐というよりも事実なのは、大統領自身が示す「データ」でも明らかである。

これは、プーチン氏が挙げた、ロシア人は「ソ連」で経験済み、という論法とおなじだ。

もはや、こんな「経済演説」をする、経済担当大臣も絶えたわが国は、OECD中で最も深刻な経済状態になっているのに、もっと社会主義化をするというのは、ミレイ氏がアルゼンチンの例で示した失敗のシナリオそのものなのである。

これを、貧困へのスパイラルという。

世界トップ10にあって、資源国でもあったアルゼンチンは、社会主義政策へ転換するや、わずかの期間であっという間に転落し、それからずっと低迷したままの状態を強いられてきたのは、一度、社会主義が進むと、なかなか元に戻れない状態に国民がなるからである。

天から降ってくる補助金を、自分にだけは欲しい、という国民の乞食化で、選挙において社会主義政策をいわないと、もはや当選すらも危うくなる。
対立候補が、社会主義を礼賛するからだ。
これぞ、民主主義が社会主義を推進する、悪魔的原動力なのである。

マルクスは、資本主義が格差社会をつくって、やがて社会主義社会をもたらすのが必然だという、虚言を吐いた。

そうではなくて、成功した資本主義がもたらす「富」を、国家が分配するという、一見よいことに見えるが、その配分を誰が決めるのか?についての議論はない。

そうやって、恣意的な配分が、平等を欠く、という不満をつくりだし、なんだか万遍なくくれるようになると、こんどは貧困層に手厚くせよという正論じみたことをいいだすひとがでてくる。

こうやって、公金チューチューのNPOが雨後の筍のごとく現れて、真面目なNPOとの区別すらつかなくなったのである。

まったくもって、ミレイ氏がアルゼンチンの歴史で教えてくれる経験からの、悪夢のような社会を、どうして西側社会は自らつくりだしたいのか?

それは、支配欲なのではないかと、よくこの会場で言い切ったものである。

動画から会場の詳細な様子はわからないが、なんとなくイラついている感じがある。
ただ、席を立つひとはなく、最後までおとなしく聞いてはいるが、熱狂的拍手があるはずもない。

ここで拍手したのは誰か?

と、シュワブ氏が会場の監視カメラを分析させているのではないかと勘ぐるのは、世界経済フォーラムの全体主義がそれを正当化させるだろうからである。

そして、拍手した人物を特定したら、なんらかの制裁を課すにちがいなく、そのなかで、ミレイ氏の演説内容が理解できなかった、という「愚か者」としての評価が、もっとも軽いのではないかとおもうので、続々とわたしは愚か者ですと、自己批判させられるのだろう。

そうして、組織の末端に追いやられても、この組織にいられずにはおかないのは、もうヤクザとおなじだからである。

経済オンチが記事を書いて、日本国中に垂れ流している日本を代表する経済新聞は、さっそくに皮肉を込めて記事を出したようだが、ようは、世界経済フォーラムに日和っているお仲間だと自白しただけだ。

このミレイ氏の快挙を、アルゼンチンではどのように伝わったのか?をしりたいし、ミレイ氏が信奉しているトランプ氏の反応も、よくわからないでいる。

もちろん、正統な自由主義経済学の立場からのコメントも、日本語でみることはないのは、日本の経済学が、政治的に社会主義化を推進するための「学」に成り果てたからである。

それは、上述のリンクを張った「動画」の提供元が、「自由主義を学ぶ会(山本勝市読書会)のチャンネル」とあって、いまや、わが国でも自由主義経済学が抵抗勢力とされているからである。

ハイエクの『隷従への道』と、元自民党衆議院議員にして経済学者だった、山本勝市の『福祉国家亡国論』は、いまこそ日本人が読むべき指標であって、ミレイ氏がこれを後押してくれた。

『隷従への道』の出版元は日経で、この新聞社では、この名著を記者に必読とさせていないか、記者が読んでも理解できないのかのどちらかなのだろうし、大荒れの自民党も、かつて自党に山本勝市なる優れものが在籍していたことも、忘れたか、山本氏の言い分を理解できないかのどちらかなのである。

それでもって、理解できない愚か者です、と自認したほうが、どうやらこれらの組織では生きていけるのだろう。

これを、「隷従」というから、もう「道」の突き当たりにきているのだ。

しかして、懲りないグローバル全体主義たちは、英国政府をして第二次フォークランド戦争を引き起こして、アルゼンチンに報復するかもしれない。

ミレイ氏の覚悟は、この制裁を当然に予想していることだろう。

「民間の知恵」なるウソ

キャリア役人が、「民間の知恵」というときは、たいがいがウソであるけど、なんでそんな見え透いたウソをいうのか?といえば、そういった方が「予算がつく」からである。

すべての役人は、いわゆる「政府部門」という経済分野に棲息している生き物なので、じぶんたちで新しい価値は絶対につくれないのをしっている。
「つくらない」のではなくて、つくれない、のである。

ここでいう「政府部門」というのは、経済主体の議論をするときの用語で、経済主体にはほかに、「企業部門」、「家計部門」、「海外部門」とでできている。

企業部門は、価値(財やサービス)の生産者のことで、行動原理は「利潤の最大化」だ。
家計部門は、価値(財やサービス)の消費者のことで、行動原理は「効用の最大化」だ。
海外部門は、貿易や投資のことで、行動原理は「国際分業による利益を得る」だ。

そこで、政府部門とは、経済の調整役といわれているものの、できるのは「公的需要の充足」でしかない。
ただし、ケインズがいう「有効需要創出」のため、政府はムダを承知であろが財政出動すれば、不景気を好況にさせることができるというので、「ケインズ革命」といったのである。

つまり、企業やら家計やら海外やらの他部門から、どんなに「ムダ」といわれようが、それが有効需要拡大のためという大義を得れば、たちまち「公的需要」という位置づけになるのである。

この意味で、国富を政府が分配する社会主義を完成させたのが、ケインズであった。

しかし、念のためケインズの言い訳を書けば、彼は、この悪魔的方法は、「不況のときだけに用いる」と念押ししている。

しかし、旧約聖書のモーゼ五書を読めばわかるように、民の不平は恒常的にあるものなので、これらぜんぶに対応しようという、「優しい政府」は、常に有効需要を拡大するという言い分で、とにかく国富を分配したがるのは、ほんとうはぜんぜん民に優しいのではなくて、自分たちの利権を貪るのがその動機に変容したのである。

なんといっても、わが国でもっとも難関な就職テスト、「国家総合職」に合格したのだから、少しは「司法試験」や「医師国家試験」にリスペクトする態度は示すが、予算を配分する最高位の立場となれば、司法試験であろうが、医師国家試験であろうが、「くれてやる」ということでの君臨をする精神状態になるのも当然なのである。

つまり、「飼い主」の立場で、しっかり飼い犬をコントロールしているのが、政府部門ということになっている。

なので、そんなやからが、「民間の知恵」を本気であるとかんがえているとかんがえるのがどうかしている。

ありっこない「民間の知恵」をいって、飼い犬たちがシッポをフリフリして喜ぶほどに、「ういやつよのう」といって、さらにナデナデしてくれるのを喜ぶのは、もう自虐を超えて、「奴隷の歓び」というのである。

そうやって、飼い主の役人は、奴隷から集めた資金を、ちょっとだけ奴隷に還元して、残りの多くをピンハネしても、そのちょっとに喜ぶ奴隷たちは、飼い主がピンハネしていることすら気にもとめない。

目の前にある、エサだけが、自分の取り分だとして、まったくもってフードアグレッシブなダメ状態であっても、飼い主はただ黙ってみているだけなのだ。

すると、人間が、犬以下に調教されているとわかる。

これが、どちらの業界(犬種)にも使えることに気づいた飼い主は、さらにカネを得ようとしたのが、観光業界なのである。

なんでも、訪日外国人たちが、たいそうなおカネを落としていくではないか。
これをどうやって横取りするか?

勉強エリートたちは、法改正とかなんとかをやって、懐を暖めるのである。

しかし、観光業が束になっても対抗できない、もっとうまい餌をみつけた。

それが、NTTなのだ。

国民は、NTTが民営化されたと信じているが、とうとう、「NTT法の廃止」を画策している。

兆円単位のカネがうごめきながら、電電公社から引き継いだ国民資産が、外国に売却されようとしているのである。

はたしてこれは、海外部門も、政府部門の軍門に降ったことを意味する。

のこるは、「家計部門」だけになったけど、電子決済を普及させて、征服しようとしているのは目に見えている。

完全なる共産主義社会が、もう目前にあるのである。

派閥解消とは党の解散のこと

波乱の2024年は、「裏金問題」をきっかけに、政界に「大地震」がおきている。

この問題の本質は、「政治資金規正法」という、国会議員たちが「お手盛り」でつくった、へんな法律が、「妙に効いている」ことにある。

要は、「ザル法」のザルに引っかかるという、「間抜け問題」なのである。

これだけの「疑獄」状態でかつ、自民党の議席が、「絶対安定多数」なのに、検察への法務大臣による「指揮権発動」をしていないのも、摩訶不思議ではある。

もちろん、そんなことをしたら、次期総選挙で大敗する、という論があるのだろうけど、現状野党の状況は、かつてのような緊張状態をつくれるようなものではなく、また、自民党がそれなりに「大敗する」ことは確実だから、この議論には重みもない。

ただし、「B層」に狙いを定めるように、大手広告代理店の系統にある調査会社が、統計的手法で小泉政権時の自民党にアドバイスして、郵政民営化選挙で大勝している実績があるから、いまの自民党もなんらかの統計的理由を持っているかもしれない。

それでも、かんたんにいえば、末期症状なのである。

そんな症状を見事に露呈して、国民に披露したのは、二階俊博氏の、「二階派解散の弁」であった。
もう、原稿を読んでいても何を言っているのかわからない、そのお姿は、なんだか気の毒にみえたものだ。

二階派解散ではなくて、議員をお辞めになるべきところ、それはぜったいにないのは、バイデン一家の惨状と似ていて、「やめたら逮捕される」ことへの恐怖なのだろうか?

どちらにせよ、この御仁も死して名を残しながら、それが「汚名」だという決まりごとがあるので、生きているうちに見聞きしないですむ事だけが、お慰みになっている。
子孫がどうなるのかは、師匠、田中角栄の子孫をみればわかるだろうに。

カネでつなげて大勢力になったのが田中派だったので、この二階氏と小沢一郎氏のように、中身のない政局だけの「大物」がはびこることができたのは、政界と地元への予算還元というだけの政治力であった。

彼らのカネ蔓は、基本が特殊法人で、これに息のかかった役人を天下りさせて好きにコントロールする構造を作り上げたのである。
だから、天下りする役人を責めても、役人は自分の意志で天下っているのではなく、「人事」からいわれるままに従っているのである。

そもそも、自由民主党という政党がなぜに「水と油」だった、吉田茂の自由党と、鳩山一郎・岸信介の日本民主党が「合同」して誕生したのか?をかんがえないといけない。

一般的にいわれている「説明」は、その多くがプロパガンダなので信用できない。

念のため書けば、自由民主党ができる前に、社会党の右派と左派が合同していた。
これに、「保守政党が対抗するため」というお話になっている。

しかして、「公職追放」という、大事件がわが国にはあって、主犯はGHQである。
これで、鳩山らが追放されて、徹底的にGHQに従った吉田茂の天下になるのである。

つまり、自民党は、最初から「二大派閥」からできていた。

銀行が対等合併するときは、その後の人事を「対等=順番=輪番」とする。
けれども、権謀術数うずめく政界ともなれば、まずは「政策」である。
それで「政敵」が生まれるが、吉田は追放解除になった鳩山に、当初約束した「順番」を渡さなかったから、「私怨」をも生み、「水と油」になったのである。

「政策」を、「数」に変換して、その財源を「カネ」とした田中角栄が、原初の二大派閥をも、「田中派=金権政治」に染め上げたのである。

そんなわけで、自民党の派閥は、元を辿れば、かならず「自由党(宏池会)」と「日本民主党(清和会)」とに行くつくことになっている。

興味深いのは「安倍派」という、故人の名前をまだつかう「派閥」があることで、安倍氏亡き後、「会長職が不在」という、およそ組織として不思議な状態になっていることだ。
あたかも、「トロイカ体制」ということなのだろうけど、なんのこっちゃ?なのである。

また、派閥を脱退したはずの岸田氏も、「宏池会を解散する」といったけど、これも組織としては、元メンバーが口出しできるはずもない重大決断を、脱退者の指示に従う、という妙ちくりんになっている。
なお、宏池会も岸田氏脱会の後、会長を選出していないで解散を決めた、ことになる。

宏池会の佐藤栄作から別れた田中派は、二階派と茂木派になっていて、二階派解散に茂木氏は維持を画策している。

おなじく、吉田茂の「血脈」をつぐ、あたかもイスラム教シーア派のような麻生派も、維持を画策しつつ、吉田自由党への回帰「大宏池会」を夢見ているらしいが、国民には醒めない夢であってほしい。

そんなわけで、派閥のコングロマリットが自民党という政党だから、国民が党名として比例区に「自民党」と投票しても、「右から左まで」どちら様が当選するかは確率論の世界になってる。

これが、わが国の政治の最大の欺瞞なのである。

すると、派閥解消などと変なことではなくて、派閥ごとに強制独立政党化を促進させるべきであろう。

これで、自民党は解党される。

国民には、わかりやすい選択肢が提示されるから、よきかなよきかな、なのである。
落ち目になったイタリア・モデルとなるのは、小政党が乱立している状態も似てくるからだ。

それでも、メローニ女史のような人物が首相になれるのは、わが国よりよほど柔軟で健全というものだ。

邪悪集団ダボス会議の傲慢

15日から19日の期間で、ことしも邪悪集団「世界経済フォーラム:ダボス会議」の年次総会がはじまった。

開催地のスイスを信用するひとが多数なので、これだけでも困ったものだ。

ならば、スイス軍とかがこの団体の会議参加者一同を、一網打尽にして逮捕すれば、スイスは国としての信用を世界の一般人から得られるだろうにとおもう。

逮捕理由の罪状は、東京裁判で「a級」として、処刑されたひとたちとおなじである。

大勢に日和るひとやら機関は、「世界のエリートが集まる」などという世迷い言を垂れ流して、自身の信用を傷つけていることにも気づかない愚か者であるけれど、ことしは「おやっ?」と思う報道がなされていて、ちょっとは潮目が変わったのかと思わせる。

去年も、ほとんどの参加者がプライベート・ジェットでやってきて、会場前の駐車場にはエンジンを回したまで数時間も待機する乗用車ばかりだと話題にはなったけど、それはあくまで「批判者の立場」からだけのローカルな話題だったが、とうとうメジャーになったのか?

なにしろ、地球温暖化やら脱炭素を推進している「本家本元」が、このザマなのである。

じぶんたちは特別だから、地球温暖化とか脱炭素とは関係ない。
やるべきなのは、知能もない下層民たちのだと決めつけている。

このむき出しの欲望を発揮して、恥とも思わない神経は、主催者シュワブ氏が自分でいった、「神だから」という、もうほとんどアニメの実写版を本気でやっているから、病気なのである。

世界の精神病学会は、この人物をちゃんと診ているのか?

おカネだけでなく、言論統制による報復がこわくて診断を歪めているなら、もう邪悪の仲間である。
そういえば日本でも、投薬を優先して金儲けの医療に走った最初は、精神科であった。

精神安定剤とか、睡眠誘発剤とかという「おクスリ」は、どんな成分で、脳のどこに効くのか?をしらないで服用するのは、患者としても愚かである。

「効く」という意味は、どこかの機能を「止めている」のだ。

そうやって、「痴呆」にさせられて、介護業界も儲かるようにできている。

さらに、わが国は、スイスのように「国民皆兵」ならぬ、「国民皆保険」なので、これを当然とおもわさられているけど、すべての医療行為は、「診療報酬(保険)点数表」による、という、管理システムの完全稼働で、名医も藪医者も駆逐した。

なぜならば、「投薬基準」も、この点数表によるからである。

すなわち、医師国家試験の合格者は、全員が「保険医認定」を受けることになっていて、ここから逃れることができるのは、美容外科とか歯科の世界に限定されている。

逆にいえば、点数表に基づいた医療行為でないと、医師たちは稼ぎの元である、保険金を得ることができないから、じつは日本における医師とは、「点数表実行者」にすぎない。

もう、医師や薬剤師の生活を握っているのは、タクシーと同じ、「公定価格」なのである。

こんな国家管理制度は、ダボス会議のひとたちには、もっとも便利なものだから、日本人が人類のモルモットにされている。

これを強力に推進している政党に、国民は、「選択肢がないから」というだけの理由で、いやいや投票するばかりか、いまや棄権するほうが主流になった。

これもまた、ダボス会議のひとたちには、役に立つ行動だから、もうとっくに「奴隷」にされているのである。

GDPの1%もない外国人観光収入

昨年の訪日インバウンドの「売上」が、過去最高の5兆円だったと報道されたが、浮かれてはいられないのは、わが国のGDPは、4兆2,321億ドルあるのである。

しかも、どんどん減っていて、ヨーロッパ最悪、戦後史最悪のドイツにも抜かれたことも、ニュースになっている。
それでも1%、もないのだ。

ざっと147円/ドルだから、622兆円ほどである。

つまり、訪日インバウンドは、「売上」という下駄を履いても、GDPの0.8%でしかないのだ。
GDPは、「国内でつくられた付加価値の総和」なので、決して「売上高」ではない。

こんな鼻くそのような数字しかないものに、「観光庁」なる管轄官庁をつけているのは、無駄である。

逆に、こんな官庁に(国家予算)依存するから、いつまで経っても自立できない産業として、補助金頼りにならざるを得ず、犯罪者まで生産している。

わが国の産業界は、いつの間にか役人支配に都合がいいように無邪気に誘導されて、そのまま、信じ込まされているのである。
これを、一般的に、「洗脳」という。

さらに、経団連が、政府に左翼的要望を次々と要求するようになって、だれも「おかしい」とは思わないのは、もはや「自由経済」を見切って、ソ連化している張本人が「財界」だという驚きがある。

土光経団連会長が、「金権政治」と、連打するその社会主義政策に呆れて、絶頂にあった田中角栄首相を訪問し、「赤いちゃんちゃんこ」を着させたのは、「引導」を渡したのである。
このときから半世紀で、経団連がこうなるとは誰が予想できたものか。

これを「故事」とするなら、いまの経団連が岸田首相や与党に引導を渡すべきが、強力な応援団に変容している。

なぜにこのような事態となったのか?

それは、まさにエリート教育としての「大学」と、その「大学」の権威づけに失敗したからである。

具体的には、「科学」を間違って、あるいはわざと狭い範囲で解釈したのである。

人類史的に、「科学」を科学として扱ったのは、F・W・テイラーである。
彼は、「科学的管理法」の創始者としてしられており、工業における産業界では、「テイラー・システム」として、まったく実務としての常識となって今に至る。

しかし、テイラーの「科学的管理法」(科学的アプローチ」は、テイラー自身、「精神革命」だと言い切っているのだ。

そのまま書けば、
「科学的管理の本質は、対立から協調へ、と、経験から科学へ、の(ふたつをあわせた)精神革命にあり、単なる能率増進のための技術やその全体を科学的管理とはいわぬ」と断言しているのである。

つまり、テイラーは「科学的管理」とは、哲学の領域に踏み込まねばならぬ、と明言している。

しかして、これをわたしは、マルクス派が勝手に、「唯物論を持ち込んで」、単なる能率増進のための技術やその全体を科学的管理だと決め込んで、「精神革命」を排除してしまったのではないか?と疑うのである。

わざと、本家本元のテイラーの言い分を無視し、曲解するように仕向けたのである。

これが、マルクス派・左翼のいう、「道徳」の排除の根拠にもなるのである。

なぜならば、人間が精神革命の必要性を感じることができるのは、唯一、五感と人生体験からの経験情報、すなわち「価値情報」なくしてインプットされないからで、そのインプットをさせないために、まず、「道徳」を否定する必要があるからである。

しかも、人間という動物の発達過程における「価値情報の形成」には、幼児期・少年期から青年期までの期間にインプットを要するのである。

したがって、いわゆる学校教育(小・中・高)における、カリキュラムに、そもそも国家破壊を目論む文部科学省は、「道徳」を重視してはいないし、直轄の国立小学校において、いっさいの道徳教育をしていなかったことからもわかるように、いま、わが国では「エリート」こそが、道徳教育を体験せずに、すなわち、「価値情報」の不足によって、「経験から科学」の側面だけをもって、「科学」とすることで、組織を崩壊させているのである。

「単なる能率増進のための技術やその全体を科学的管理だ」と信じ込まされた、エリート大学でエリートになったと自認する、わが国のエリート・サラリーマンが、そのままなんの「価値情報」への疑問や軋轢もないままに、青年期から壮年期を過ごし、社内における権力を得たら、「効率化」だけが最高価値になる当然が見えて取れるのである。

たとえば現在進行中の、ダイハツの不正問題の原因が、まさに上の話を絵に描いたような状態にあったのだ。
新車開発の「(時間と人件費の)コスト削減」を貫いた経営(社内エリート)からの命令で、「できっこない」を悟った現場が不正に走ったのだった。

このときの「経営(社内エリート)」を、ふつう、「マネジメント層」といって、経営陣と管理職の双方を含む。

ゆえに、現場では、上長たる管理職に相談しても「やれ」だけとなるので、「不正」に追い込まれたのは、「パワハラ」の成りの果てでもあるが、原因はそこではなく、パワハラとなった哲学的背景にあるのだ。

すでに兆円単位の損害としてみられているのは、自動車産業の「すそ野の広さ」が、仇となっているからである。
今後、雇用への影響となれば、数十万人の家計が崩壊をきたす可能性もあるのは、なにもダイハツ関係者だけでなく、企業城下町の自治体も破綻の憂き目をみる可能性があるからだ。

はたして、親会社のトヨタ自動車は、どのような社会的責任をとるのであろうか?

この意味で、幸か不幸か、「観光業」は、地元にこのような影響力すらもっていない。
しかし、おなじく業界内のエリートたちの多数が、上で述べた「価値情報」を得て育ってきてはいないのは、この国の教育制度の中で、一網打尽にされているからである。

土光敏男氏などが「価値情報」を得て育った環境(時代背景)と、いまの経団連会長や日商などの経営者たちのそれとが、違いすぎる。
もしや、労働組合もか?と疑うのは、批判のレベルが低いままだからで、むしろ財界を応援していないか?

すると、とてつもなく重大で重要なのは、「家庭における育ち方=家庭教育」だということがわかるのである。

生活の中から得る、「豊富な価値情報=道徳」を、いかに子供に擦り込むか?が、その子供の将来を決めるほどの重大事なのであるけれど、これをまた破壊するための活動推進が、ジェンダー問題となっている。

人口減少だから、外国人移民をもって「埋める」という発想の浅はかさの根拠は、これをいってはばからない政治家なりのエリートも、家庭における、「価値情報の形成」に失敗した、たんなる事例に過ぎず、唯物論の中にだけで生きていけると信じる、共産主義者なのである。

ここに、共産主義者に道徳が欠如する、決定的な理由がある。

逮捕と不正の関係

10日、国の新型コロナウイルス対策の補助金約4千万円をだまし取ったとして、岩手県警は雫石町鶯宿の温泉ホテル、長栄館の社長とその他を逮捕したニュースがあった。

昨年の暮れ、12月20日には、ダイハツの不正に関する「調査報告書」が公表され、親会社のトヨタ自動車は、16日に国交省よりの是正命令が出たことに1ヶ月を目処に再発防止策を含めて公表を約束した。

なんだか、トヨタグループの日野自動車のときと似たようなパターンなので、トヨタから派遣されている役員の経営(ガバナンス)方法に、なんらかのマニュアル的な存在があるのではないかと疑うのはわたしだけか?

もしや、トヨタは、テイラーの科学的管理を、致命的に誤解しているかもしれない。
テイラーは、単に技術的な管理をいったのではなくて、哲学的な接近法もあわせているのだ。

そうこうしていたら、17日、こんどは、国立の奈良教育大付属小学校で授業が学習指導要領に沿って行われていなかったことが発覚して、大学の学長と校長が謝罪会見をした。

校長は赴任して1年未満なので、どうやら校長による内部告発の様相がある。
歴代校長はどうしているのだろうか?せっかく、無事に定年をまっとうしたと思っていたら、退職金の返還問題にまでなるかもしれないし、職員会議が「最高意志決定機関」だったとのことから、教職員への事情聴取もあるのだろう。

これを伝えた、関西のテレビ局(YouTubeで配信されていた)は、誰だかしらないがコメンテーターに意見を求めたら、「全国の小学校で監査を行うべき」という、これまたテキトーなことを言い放ったので、こうした発言を「BAN」しないYouTubeには、妙な敬意を感じるのである。

サラリーマンをやっていたとき、不正行為で懲戒免職になった先輩が何人かいた。

それで、事件とは直接の関係はないが、当時の経理部長から、「不正方法を考案して、それが納得できるもの(抜け穴の発見)だったら、御馳走してくれる」という。
それから、どんな方法があるのかをかんがえて、数日後に報告したら、昼食を御馳走してもらったことがある。

そのとき、「管理職になれるぞ」と太鼓判をおされたが、わたしの部署の上司にどのように伝わったのかは関知していない。

ひとりの先輩は、釣り銭元金のごまかしによる不正がばれて、クビになった。
当時の人事部は、あたかも検察官のように「犯人逮捕」を喜んだが、この経理部長は顔をしかめるばかりだった。

おそらく、「現金過不足伝票」を当該の職場が習慣化していなかったことに気づいたからだとおもう。
もちろん、社内ルールでは「ゼロ円伝票」でいいから、レジにさわれる者が交代する都度に現金収納箱とセットで出納部署に引き渡すことになっていた。

つまり、管理職たる職場長も、それを面倒がっていたことが、「不正のスキ」を作ったのである。

だから、当人が処分されるなら、上司たる管理職には、もっと重い責任を負わせるべきところ、それをしないのがなんだかなぁ、だったのである。

すると、温泉宿で補助金の不正受給をうけた社長は、どこまでの重い罪なのか?を問うと、騙された役所側に瑕疵はなかったのか?となるのだろうけど、もっとそもそもをたどれば、パンデミックの定義もない(いまもない)ままに、ただの風邪対策を超大袈裟にやった、非科学にある。

ダイハツの不正は、経営者の不正だが、あたかも現場の不正だけにするのは、日本の道徳も地に落ちたのである。

国立の小学校が、その道徳を授業でやっていなかった。

あたかも、「学習指導要領に従っていない」ことが問題視されて、文部科学省に忖度しているようだけど、この学校は奈良市や奈良県の教育委員会の管轄なのか?といえば、文部科学省なのである。

つまり、文部科学省は、直営校の管理もできないことを、国民にしられてしまった。

そんなグダグダな組織がつくる、「学習指導要領」をなにがなんでも遵守しろとは、信教の自由を謳う、憲法違反ではないか?

あくまで、ガイドラインだろう。

ただ、面倒くさいのが、大学受験の出題範囲が、一応、「学習指導要領の範囲内」という建前になっていて、難関校はこのルールをやんわりとだが確実に破っていることだ。
おかげで、予備校が繁盛することになっている。

あゝ江戸時代の寺子屋の方が、よほどの自由がある。

毛筆の習字の授業を軽視する投稿をコメント欄にするのも呆れるが、残念ながら「書」については、倶楽部活動の方が適しているだろう。
下手な教師に習うより、教え方もしっている上手い人に習うべきだ。

ただ気になるのは、問題の対象が、「教育大学付属」の小学校であることだ。

教員養成校の実験場だという意味が本来の「建学の精神」だから、この学校の生徒は、大学病院に通う患者のごとく、「モルモット」なのである。

その意味で、学習指導要領からどこまで外れていけるのか?も、実験テーマにあったなら、文句はいえないのである。
強度の精神病だったルソーの『エミール』を礼賛しているのは、なぜか世界で日本の教育者だけという非常識も内包しているはずの学校にちがいない。

それを、幼稚園からの「お受験」の対象にするから、阿呆な親が自分の子供を、モルモットにされることにも気づかないのである。

予備選挙がはじまった

日本にはない選挙(制度)である。

本選挙に立候補する候補者を、有権者や党員が選ぶ制度である。
いわゆる、「タイマン(一対一)」の決闘が文化だったからだろう。

日本では、1889年(明示22年)の「決闘罪ニ関スル件」によって禁止されたので、すっかり馴染みが薄くなっているが、わたしが子供だったむかしの小学生は、空き地とかでちゃんと「決闘」をやっていた。

「ちゃんと」というのは、決闘状を書いて相手に渡し、相手も受けて立つことを表明するから、「立会人」も野次馬もいた。
だから、ヘンな武器とかを持っていると、野次馬が騒いで、立会人がこれを許さなかったから、たいしたケガもしなかった。

そもそもへんな武器を持ってきたら、後々まで(たぶん一生)汚いやつだとレッテルが貼られることを子供でもしっていたので、そんなものを持ってくるやつはいなかった。

なので、ピストルをつかう西部劇の決闘を、汚い奴らだとおもっていたのである。

アメリカは州が国だから、予備選挙のやり方も州によってちがう。
日本でいう、選挙管理委員会がやる「予備選挙」もあれば、政党がやる「予備選挙」もある。
どちらも、日本のマスコミは、「予備選挙」としかいわないので、全部の州でおなじやり方の選挙が行われていると勘違いさせられる。

それに、有権者も事前に「選挙登録」しないと、投票所にいっても相手にされない。
しかも、選挙管理委員会がやる予備選挙でも、有権者は「どちらの党員なのか」も登録するのである。

そうやって、民主党とか、共和党、あるいは無党派と登録して、その登録した党派に名前があるひとに投票するのである。

ここがまた、日本的な厳密さに欠けていて、自己申告なのである。

いまや追いつめられた民主党は、「一日だけ共和党員」というキャンペーンを実施中で、選挙登録の際に、ほんとうは民主党員なのに、「共和党」と申告して、共和党予備候補から、トランプ氏以外(ご指名は「ニッキー・ヘイリー」)に投票するように公然と呼びかけている。

アメリカ人も、「決闘のルール」を忘れたようなのだ。

しかも、ニッキー・ヘイリー候補自身も、この民主党のやり方を喜んでいる始末で、共和党有力連邦上院議員のひとり、ランド・ポール氏は、「ニッキー・ヘイリーにだけは投票するな」というキャンペーンを独自に展開している。

もちろん、ニッキー・ヘイリー候補が喜んでいるのは、おカネについても、大口献金をしている民主党支持者(有力財界人)たちが、こぞって彼女に献金しているからである。

とにかく、なにがなんでもトランプ氏をおとしめたい。
なぜなら、自分たちがやったこの3年間の「報復」を、再選された第二次トランプ政権も「やるにちがいない」と思い込んでいて、それに恐怖しているからである。

まさに、自己の穢れた魂の姿が、閻魔大王の憤怒の姿になって映し出され、自分が自分を裁く仏教をしらないひとたちが、「餓鬼」のごとくに陥っている。

おそらく、宗教家であるトランプ氏は、分断ではなく「愛」をもって、融和を図るのだろうに。
それこそが、「MAGA」の真髄だということもわからずに、戦争屋に加担する財界人たちの思いは、狂気へと変容しているのである。

それゆえか、鉄板の民主党支持団体が、とうとう共和党支持に転換を開始している。

英・米とも、議会承認を得ないでやった、イエメン空爆は、バリバリの反戦団体が両国政府を徹底非難している。

人口密度の高いイエメンの首都空爆は、国際法違反(虐殺)にあたるという意見もあるが、その前に、英・米とも国内法に違反しているのである。

フーシ派にとって、願ったり叶ったりの状況が生まれたが、これを「作っている」のが、英・米の戦争屋政権なのである。

それで、アメリカ連邦下院議会は、上院とも歩調をあわせてバイデン政権を非難している。

けれども、こうなることは事前に予測可能だから、むしろ、議会承認を経ないで空爆作戦を急いでやった事情はなんだったのか?を疑うのである。

ようは、戦争屋たちを儲けさせるための、「援軍」であって、現場を混乱させるほどに軍需が高まるのである。

ちなみに、イランの経済大臣だかは、アメリカがアフガンにプレゼントした武器や、ウクライナ支援の武器が、ブラックマーケットで無尽蔵に手に入る状態にある、と発言している。

敵が撃ち込んできたミサイルの断片を確認したら、味方製だったというお笑い種が現実になっている。

15日のアイオワ州の予備選挙は、共和党の党内選挙方式だ。
なんと、民主党は、伝統だったアイオワ州での予備選挙を「やらない」と決めている。

ぜんぜん民主的でなく、党規約も、「大統領候補は民主党幹部だけで決めることができる」と改訂し、共産党とおなじにしている。

それで、民主党の予備選挙がないので、民主党員に一日共和党員になって、ニッキー・ヘイリーに投じろといっている。

ところが蓋を開けたら、ニッキー・ヘイリーは、落ち目のデサンティス知事にも及ばなかったのは、ワシントンの民主党幹部を震撼させているにちがいない。

図書館システムが動かない

わたしが横浜市に住んでいる理由は、基本的に「図書館の充実」だけである。

あとは、空っぽな街になったので、ほとんど魅力はない。

昨年の暮れ、12月22日から休館して、この15日に開館したのは、「システムの入れ替え」を意図したからであった。

旧システムにとくに不満はなかったが、新システムにはいろんな機能がてんこ盛りされるというので嫌な予感がしていたが、やっぱり、初日のアクセスが事実上のサーバー攻撃状態になって、むかしの電話のように「つながりにくい状態になっています」という画面展開になってしまった。

コンピュータ・システムの入れ替えで、大混乱を生じたのは、あのみずほ銀行だった。

合併前の旧三行、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行がそれぞれに開発していたシステムの統合のことであった。

あたかも、みずほ銀行への非難(「このボケナス!」とか)が、その預金者たちの迷惑から自然発生して、こうしたシステム統合の難易度が一般にしらされない不幸もあった。

ただし、行内勢力争いとかもあって、どうしても特定難関大学(東大✕)出身者で固めている「興銀」がチームの統制を邪魔したのは、一般人にも十分に予想できることではあった。

まったく「平家でなければ人に非ず」といって滅亡した平家のようで、東大卒以外を大学出と認めない風潮には呆れたものであった。

これを、合併後もやっていたにちがいないから、人間とは怖い動物なのである。

ちなみに、同じように破綻した「長銀」は、東大に対抗して「京大✕」で、同じように平家状態となっていたけど、長銀は興銀と違って潔く消滅した。

これらの「長期信用銀行」がなくなったことが、日本経済にどんな影響をしたのか?について、あんまり語られていない。
善かれ悪しかれ、世界から「日本型」と呼ばれた経済システムは、そのコアに長期信用銀行の存在があったのが理由だった。

ために、日本では、企業の資金調達が「株式」発行が中心の欧米式ではなくて、「債券」中心だったのである。
もちろん、ここでいう「債券」とは、長期信用銀行が発行した「割引興業債券」(略して「ワリコー」)などのことである。

ここで、陰謀論としてでてくるのは、絶好調の「日本型」をバブルを煽って崩壊させて、欧米型に強制的に切り替えさせるのに、「破綻」という手段を用いた、というものである。

それで、日本人はろくな株式投資の知識がないので、日本が溜めこんだ巨額の金融資産を、たとえば、ゴールドマン・サックスとかが進出して扱えるようにさせた、というシナリオが加わるから、真実味をますのである。

銀行のシステムの話を図書館の話で長々するのは、「貸出」という機能における、似たもの同士であるからだ。

ただし、図書館の場合は、「現物」がメインで、「電子書籍(データだけ)」はまだサブになっている。
銀行のシステムは、「データだけ」が動いて、現金は動かない。

しかして、わが国の公共図書館は、たいがいが「教育委員会」の管轄ということになっている。

すると、横浜市立図書館のシステム入れ替えを企画したのは、教育委員会であるから、こいつらが何を意図していたのか?について、市議会のチェックはどうだったかが怪しまれるのである。

なお、「教育委員会の長」である、「教育委員長」は、2015年(平成27年)4月1日に施行された「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の改正に伴い、教育長に統合されて廃止されている。

つまり、選挙で選ばれた市長とは別にある、役人がなる教育長が、民主主義教育のため、という名目でできた教育委員会を牛耳っているのである。
それが理由は、「党派性の排除」ということになっているが、役人に党派性がない、と誰がわかるものか。

そんなわけで、横浜市教育委員会は、あたらしい図書館システムに、危険極まりない「LINE」とのリンクも画策している。

これぞ、党派性の発揮ではないかと疑うが、いまや教育長を審問できるのは、議会しかないのに、その議会がただの承認機関に成り下がっているので、こうなる、ということなのである。

中部循環新幹線にはしない?

北陸新幹線が延伸して、新大阪までとなるのは、時間の問題になりつつある。

これまでずっと、「整備新幹線」の計画がなされてこなかったのは、建設費に見合う収入が見込めない、という、経済的損得勘定があってのことだったけど、地元の「悲願」という、宗教感情がまさって、全国でどしどし「延伸」がされることになった。

むかしなら、「モラル・ハザード」だといって非難する世論があったけど、とうとうなにがあっても「無関心」が世論になったので、何が何だかわからなくなっている。

こうしたことの象徴が、もうひとつの新幹線、「中央リニア」にもなっている。

こちらは、あっちこっちで建設工事が進んでいるから、静岡県知事の「嫌がらせ」が、かえって非難の的になっている。

「知の巨人」として、文化勲章ももらった、梅棹忠夫氏の代表作、『文明の生態史観』は、古書だと1円で販売されているけれど、日本人なら人生のうちで一回は読んでおいた方がいい、名著にちがいない。

これにあやかって、『文明の海洋史観』を書いたのが、いまの静岡県知事が経済学者だったときのものである。
これを、日本人なら人生のうちで読んでおいた方がいいとはいえないのが、なかなかにこの著者を評価しにくい難しさがある。

とはいえ、静岡県のひとを嗤えないのは、わたしが神奈川県人だからで、恥ずかしい知事を選んでいることに、恥ずかしさを感じているが、わたしの一票を投じたわけではない理不尽を感じる方が強いから、困ったものなのである。

ただ、「中央リニア」がこの知事の判断で止まっていることは、なんだか嬉しいのである。

どうして、最初に開通するという、東京ー名古屋が、いまの新幹線と運賃にして700円しかちがわないのか?をかんがえると、もう我慢できなくなるほどに腹が立つ。
そのうち、飛行機よりも高くする魂胆にちがいないが、東京ー名古屋はとっくに新幹線に敗北して、航空便はない。

それに、どうしたことか、ふだんから「SDGS」とか「脱炭素」とかいっている、意識高い系のひとたちが中央リニアに反対しないのかがわからない。

車体を電磁石の力で浮かせて、なお、時速500㎞とかの速度で動かすのに、専用の大型原発2基を要する、エネルギーの「カオナシ」なのに。
つまり、東京ー大阪まで完成したら、200万キロワットをこの電車だけで消費するのである。

あまりに運用コストがかかるので、地球上でこの電車を走行させるに足る電力と、それに見合う広大な土地がないから、どこにも輸出できない。
とっくに開業した台湾新幹線は別としても、インドの新幹線もテキサス新幹線も、従来型新幹線が対象で、リニアには目もくれない実情がある。

可能性が残るのは、ロシアのシベリア鉄道だけではないのか?

だから、リニアの赤字負担は、あらゆる手段で国民から回収することになる当然があるのに、この推進を喜んで、川勝知事を悪者あつかいするのは、この一点だけだが、きわめて悪質なプロパガンダである。

要するに、火力発電とかではリニアは動かないので、SDGSとかをいうひとには喜ばしいのだろうか?むろん、太陽光発電なんてなんの役にも立たないから、原発推進という電気事業連合会の思惑通りが、リニアなのである。

元日の能登半島地震で、志賀原子力発電所(石川県志賀町)が怪しいことになっているけど、まったくニュースにもならない不思議は、報道しなければ「なかったこと」になるという、もう完全に、『進撃の巨人』における一般人のようなことにされている。

地元だけでなく、西風・北風のいまの時期、関東地方だって、放射線からの避難対象にならないのか?
まことに、不安を煽っているのに、「デマ防止」をいって、「言論統制」しようというのは、政府がSNS企業とおなじ行動をしているのに、憲法違反を指摘する者もいなくなった。

非常時だから、は通じない。
非常時だから、ちゃんとした正確・詳細情報を報道せよ、というのが本来の姿である。

世界最大の隆起をしている、南アルプス(4㎜/年、ヒマラヤは2㎜/年)を貫通させるトンネル内を自動走行することの不安もあるが、さまざまな「水脈」を切りまくっているトンネル工事の被害は、山から動物たちの水場(棲息エリア)を奪って、静岡県知事が関知しない、山梨県側に被害がでているが、財務省主計局がお里のいまの知事は、しらないことにしているようである。

そのリニアが、京都にはこないで、北陸新幹線が京都に寄る。

それで、「京都の地下を掘らないで!」という政治運動になっている。
京都は、鴨川の東側は掘っていいけど、西側の市中は発掘調査をするはめ(義務)になる。
なので、京阪電車は、鴨川の東側を走るのである。

京都市営地下鉄と阪急電車が、市中ド真ん中の地下を走ることができたのは、どんな事情だったのか?
おとなの事情だったにちがいなく、きっと出てきただろう遺跡はどうしたのだろう?と、関東の田舎ものは勘ぐるのである。

市内に高層ビルが建たないのは、アテネもおなじだ。
ぜったいに、古代遺跡が出てくるからで、出たらすぐさま工事は中止となって、発掘調査が行われ、そのまま公園にさせられる。

その割に、大型ホテルが市中にあるのは、やっぱりおとなの事情か?

そのギリシア経済は、いまは絶好調で、国家破綻のおかげでスリムになった国家機構が、効率よく動いている。

そうなると、モラル・ハザードでつくる整備新幹線とか、リニアは、あえて国家破綻させて、日本をギリシアのように立ち直らせようとする、壮大な計画なのか?
なんでも、ギリシア経済の復活は、「観光産業」に依存しているからである。

それなら、ふだんから「愛国」をいうひとたちが、静岡県知事をディするのも理解できるというものだ。
それでもって、わが国を「観光立国」させるのだという、途方もなくバカげたことを妄想しているにちがいない。

しかし、それでは、EU本部があるベルギーのブリュッセル中央駅のとなり、ブリュッセル北駅のエスカレーターが壊れたまま動かないのと同じで、「遺跡化」してしまう心配がある。

いまや歩道橋にもある、エレベーターも、そのうち遺跡化するのだろう。

部品はきっと高く売れるだろうから、だれかが外してどこかで売りさばくという商売ができるかもしれない。

個人的には、北陸新幹線は、やっぱりちゃんと、米原まで行って、そこで東海道新幹線と接続すれば、見事な循環鉄道になるのだが、ネックは東京駅となる。

鉄道事業は、人口密度に比例するので、人口密度が薄い北海道とか四国とか九州に、どうして国鉄を分割して新会社としたのか?がわからないが、最新の国勢調査の結果を受けて作った分析を、日本商工会議所の前会頭の三村明夫氏や、日本郵政社長の増田寛也氏ら有識者のグループが、岸田総理大臣に「提言」として手渡したとニュースになった。

しらないうちに、増田寛也氏が日本郵政の社長になっていたのは横にして、2100年にはおよそ6300万人と、いまの数から半減するという推計は、厚労省の発表だ。

対してこの「提言」で、目標を8000万人としたのは、「新しい日本人」を大量に外国から呼び込むからにちがいない。
4分の1が「移民一世」の国になることを目指すと言っている。

被災地よりも多額の支援をウクライナにする、わが国政府よりも、もっと過激なのが「民間」なのである。

日本人を増やすのを前提にしないなら、せめて、北陸新幹線と東海道新幹線を循環鉄道にするくらい、どうにでもなるのではないか。

もう手遅れだが、絶対黒字の「新幹線会社」をつくって、絶対赤字の鉄道路線の維持を図ればちゃんとした損得勘定ができてよかったかもしれないが、人口密度が鉄道経営の基盤なので、人口が減ることは、鉄道会社を維持できなくなることを意味する。

リニアの赤字は、従来の東海道新幹線の黒字からあてる(しかない)という、JR東海の魂胆は、木を見て森を見ずの通り、まことに浅はかなのであるけれど、すさまじく浅はかなひとたちが、「財界トップ」という、もう、ほとんどホラー映画の感がする。

そうなると、土光臨調での国鉄分割民営化の欺瞞が、いまさらながらに恨めしいのである。