政治家のいうことがほとんど信用できないことになったので、本稿タイトルのこの言葉も、にわかに信じがたい。
もちろん、わたしは川勝氏を評価するものではないと、前にも書いている。
残念ながら、経済学者としてもイマイチ・イマサンなのである。
どうせ「狂信的」というのなら、せめてアルゼンチンの大統領のように熱を入れてほしいのだが、なんだか煮えきらないのである。
ただし、川勝県政は15年も続いていて、選挙のたびに静岡県民は対抗馬をいつも30万票以上の差で落選させている。
残念だが、わが神奈川県も似た状態なのである。
世間(神奈川県知事がその代表的な浅はかという意味で)が、リニアの工事妨害をしている迷惑だとか、外国とのつながりがあるとかと、およそ県知事に対する批判ではなく単なる誹謗中傷に聞こえることも、ビジネス保守は垂れ流すので厄介なのである。
このブログでは、一貫してリニア不要説を書いてきた。
川勝氏とは逆に、リニアを欲しがっているのが、上の神奈川県知事、山梨県知事、愛知県知事という、ポンコツ知事群だから、おいそれとこのひとたちの「必要論」に乗ると、将来に大禍根を残す、という警戒感があるのだ。
だから、静岡県知事のいう「大井川の水脈問題」だけで、この人の応援をしてきたともいえる。
その他の業績やらに興味がないのは、わたしが神奈川県民民にして横浜市民だからである。
神奈川県や横浜市にはいいたいことがありすぎて、どこから話せばいいのかに途方に暮れるが、念のため、知事や市長だけでなく、議会の体たらくをとくに指摘したいのである。
わたしは狩猟をしないが、クレー射撃でもっぱら皿を割っている。
その射撃仲間に多数の「狩人」がいて、ほぼ狩猟禁止地区ばかりの地元神奈川の丹沢には行かず、伊豆半島や山梨県の山に獲物を求めている。
このひとたちが口を揃えてハッキリと、リニアのトンネル工事による「周辺猟場の水源枯渇」があって、野生動物がそのエリアから絶えたことを確認している。
一頭も、一匹も、一羽もいなくなった、と。
いちど枯渇して、工事が終了してよしんば水場が復活したとしても、二度と戻ってはこないのが「野生」の本能なのだという。
それに、強烈な「磁場」が、野生動物を遠ざけるのである。
また枯渇したら、命にかかわるからであるし、磁場を関知する動物たちの「自然」な感覚が狂うのである。
これが山に幸を求める者たちの、証言なのである。
ところが、口では「SDGs」とか「多様性」とか、「持続可能性」とかをいう、上の3ポンコツ知事たちは、こんな「猟場の異変」についての情報を、みごとに無視する全体主義を貫くのである。
「狩猟の許可証」は、その猟場がある県知事が発行するものだから、しらない、とはいわせない。
当然に、地元議員の耳にも入っているはずだけど、なんだかリニアが最優先で、箝口令を敷かれるのだろうか?
きっと、「空気」が議員の口も封じているにちがいない。
しかして、猟場以外でもリニアによって沿線の地元にどんな影響があるか?とか、設置する「駅周辺」の生活環境がどう変化するか?についての念のための研究がなく、ただ開通さえすれば地元が繁栄するものだという、予定調和説だけがこのポンコツたちの心情なのである。
大袈裟ではなく、このような予定調和説だけのポンコツたちが、先の大戦の「真珠湾奇襲」をやったのパターンなのである。
しかも、当の海軍は、なぜか陸軍とちがって、だれひとり「戦犯」にならなかった不思議もあるのだ。
つまるところ、リニアによるなんらかの悪い結果が現れたときにも、これらのポンコツ知事たちが責任を問われない、のが、わが国における恐ろしいほどの構造がある。
いわば、川勝氏はひとりでこの予定調和説が支配する恐怖の「構造」に対抗していた「はず」ではあるが、退任の言葉にはこうしたことをわかりやすく県民に説明するのにひと言もなかったから、まったくもって残念な御仁なのである。
まさか、マッカーサーのごとく、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と気取ったのか?
大阪万博もしかり、で、日本人は敗戦から80年経っても、発想の構造がぜんぜん変わっていない。
一生懸命「目先」の目標(建設)さえやれば、あとはうまく行く(はず)。
こうやって、いかほどの人々が戦地で亡くなり、民間人が焼き殺されたのか?
口で「反省」するだけの「猿回しの猿」同様に、まったく反省などしていないのである。
つまり、50年先か100年先かしらないが、いつかはリニアも「遺跡」になる。
このときとは、どんなときなのか?も一切想定しないのは、過去の「敗戦」ならぬ「廃線」すらかえりみない思考構造によるのである。
川勝氏の意思を継ぐ候補ではなくて、おそらく「リシア推進派」が邪悪なマスコミの協力を得るのだろうが、静岡県民の選択を注視してみたい。