アリバイだけの災害放送

元日の大地震に被災された皆様に、先ずはお悔やみとお見舞いを申し上げます。

これから書くことは、被災者を云々するのではなく、あくまでも情報提供者に対しての文句なので念のため。

2024年1月1日、午後4時10分ごろの地震報道が、とにかく役に立たないので、横浜にいるわたしには、イライラが募るばかりだったのである。

テレビはいったん全局が緊急に地震報道になったようだが、最初に「復旧した」のは、どうやらテレビ東京だった。

この手の事態では、NHKという習性が身についている。

しかし、この膨大な予算をもっているはずの巨大放送局の放送が、笑いたくなるほど稚拙なのである。

地震発生から5時間が経過しても、生の人間アナウンサーの伝えることは、壊れたテープレコーダーのように単調な情報の繰り返しに過ぎず、正月に呼び出された東大教授のネジが外れた解説は、ただの乞食がカネを欲しがるための言い訳を解説しているのであった。

地震予知は難しいから、もっと予算を!だけしか言っていない。

あたかも、地震のメカニズムを解説しているようにみせて、被災者にはぜんぜんどうでもいいことなのだ。
なお念のため、北陸電力は、399.3ガルが観測されたと発表した。
原発の耐震基準は最大で約600~1,000ガルの揺れを前提としている。

ちなみに、一般住宅の耐震基準は、耐震等級1:400ガル、耐震等級2:500ガル、耐震等級3:600ガルとなっているが、「共振」がもっともヤバイことぐらいはしっておきたい。

原発の安全性は、大丈夫なのか?も当然に。

さてわが家にテレビはないので、知人宅で観ていたわけだが、こんなクソ放送のどこが役に立つのか?のわたしの独り言に、この知人は、「NHK信者」として、重要な情報だというから呆れたのである。

さっきから、ずっと同じことしかやっていないことが、重要だからだ、という論法がもう理解できない。

すると、気の毒な被災者を想定して、わたしの「その言い方はないだろう」というから、気の毒な被災者は、こんなゴミのような情報にかじりついてずっと観ているのか?とおもうのである。

こんなやり取りの同じ時刻、21時15分に、総務省は、「第7報」として、そのHPに、石川県能登地方の「通信インフラ被害状況」を公開している。

固定電話での被害は、NTT東日本はなし、NTT西日本の10450回線に影響と、ソフトバンク149回線に支障とある。
携帯電話等では、それぞれが市町村レベルで支障があるとして、その自治体名(七尾市、輪島市、珠洲市など)を挙げている。

さらに、わたしが注目したいのは、「放送関係」に被害情報なしと記載されていることである。

NHKには、「NHK能登報道室」が七尾市にある。

ここがどんな状況におかれているのか?について、わたしが観たかぎりでは、NHKは報道していない。
通信インフラが途絶えたのなら、そう報道すればいいのである。

この総務省の発表だって、ネットがつながっていないなら、被災地では確認できない。

能登半島には行ったことがないから、不明を恥じるが、NTTの東・西がどういう回線を持っているのかわからない。
ただし、固定回線とは、電電公社から引き継いだ国民資産のはずなので、それなりに無傷に近いのはよかったけれど、西日本の回線にNHKも加入しているのか?すらわからない。

東日本大震災のとき、東京圏と関西圏の通信は、東海道から北陸を迂回して確保できたと記憶している。
わたしは、あのとき、会社の通信担当だったから覚えている。

ただ今回は、厄介な「半島」なので、どうなっているかは重要情報である。

一般人が一斉に無線回線に集中したらどうなるかは、過去何度もあった大晦日のパンク経験でしらない者はいないだろうが、いまどき固定回線を契約している一般家庭の方が珍しいのかもしれない。

しかも、この1日より、従来のアナログ固定回線は、インターネット回線を用いたIP網に移行したその日のことなのである。

すると、NTT西日本の10450回線に影響とは、IP網としてどんな状況なのか?は、地域住民にとって、重要な情報ではないか?
総務省のHPでは、このことについて教えてくれていないのである。

水道、電気、ガス、それに通信は、まったくの生活インフラだ。
NHKはこれを伝えないで、いったい災害放送をどのように普段から準備しているのか?

公共放送とは笑止だと、自分から証明しているのである。

この腐った放送局は、民営化だ国営だとの延々とした議論が何十年もあるけれど、「廃止」がもっとも国民の福祉に合致する。

総務省はNHKを監督する立場とはいえ、実態はその逆になっている。
放送内容のチェックを国家行政がやるのはどうかという問題があるけれど、それもこれも、国会が死んでいるからこうなるのである。

それをまた、新年早々から見せつけられた。

プーチンという大戦略家

柔道の達人だから、心・技・体が完成度を上げたのか?それとも性格とか性質がそうなのか?はわからないけど、恐るべき人物が同時代に存在していることぐらい、我々も知っていていい。

オリンピックでメダルを何個とろうが、不敗の記録を持っていようが、柔道の強者がそのまま立派な人間であるとは限らないことは、日本人の元大選手を何人か引き合いに出しただけで納得できるのである。

この点で、彗星のごとく現れて、ずっと留まっているウラジーミル・プーチンという人物は何者なのか?がよくわからないのである。

しかも、彼は笑っている姿を他人に見せないし、休暇で引きこもれば、読書に没頭し外界との接触を拒否する。
その読書の質と量も、世界の世俗的指導者では類をみないレベルというから、どうなっているのか?

対抗するはずのアメリカやヨーロッパが、彼に適わないのは、軍事力の前に、まさに「教養」においてだけでも既に勝負はついているのである。

ここに、わが国を含む「先進国」という自負が、じつは怪しい国家の教育で自滅していることが認められるのである。
古典を重視していはずのヨーロッパの教育は、とっくに自壊し、アメリカに学問の重心も移ったかにみえたが、もはやアメリカの大学も左翼によって全壊した。

驕り高ぶっている戦争屋のアメリカ人は、公開情報をもって宣伝工作をしているけれど、ここで漏らす本音が、プーチン氏のもとに届かないと本気でかんがえているのだろうか?

あたかも、昭和の初めにニューヨーク日本総領事館の窓際にふんぞり返って、解読後の日本語暗号電報を読んでいた高級外交官が、アメリカ人には日本語が読めないと思いこんだごとくである。

反対側のビルから望遠鏡で覗いて、アメリカ側はわが国の最高機密暗号の解読に成功し、それか十数年も知らない振りをして、真珠湾作戦すら解読済みであったのは、もはや歴史の真実である。

アメリカ人は、日本に暗号解読成功の真実がバレるのが困るので、自国軍に被害がでてもこれを容認し、政治的に「リメンバー・パール・ハーバー:だまし討ち」としてプロパガンダに利用されてしまった。

昨年暮れに発表された、「外交評議会」のレポートは、あたかもドイツのメルケルとフランスのオランドの証言、二度の「ミンスク合意」はどちらもロシアを欺く時間稼ぎだった、ことの焼き直しで、早くウクライナは停戦して、その後、国力を回復して後、再びロシアに挑む、という荒唐無稽を書き綴っている。

こんなのが「公開情報」になって、知らないはずのないプーチンは、当然に停戦などに応じるはずもなく、おそらくオデッサを取ってからどうするかになるであろう。
あるいは、西ウクライナだけを「ウクライナ」と名乗らせることで手を打つかもしれぬ。

今年3月のロシア大統領選挙で、併合したドンバス地域四州にも選挙権を与えることに、EUは反発しているというけれど、もうどうすることもEUやNATOにはできない。

さらに、とっくにプーチンは、東西を横に見る伝統的な「ユーラシア大陸」という概念を捨てると発表し、彼が示した、新発想とは、南北にユーラシア大陸を縦に統治するブロック構想なのである。

ロシアと中東・イラン、ロシアとインド、ロシアと中国、というものである。

いまさらながら、マッキンダーの「ハートランドを制するものは世界を制する」を、じっくりと確実に実現させているのがプーチン氏なのである。

そのための原資は、石油やガスを中心とした豊富な資源だ。

結局のところ、石油は燃やしてエネルー源にするだけでなく、プラスチックの原材料なのである。
なので、現代文明にはぜったいに不可欠なのだ。

イスラエルがガザを占領したい本音は、ガザ沖に発見された石油・天然ガスの巨大な海底地下資源の掘削利権の奪取だし、同じことが、南米のベネズエラとガイアナ間で紛争の火種になっている。

ボロボロの貧乏国の英国が、なけなしの海軍をガイアナ支援に向かわせたのは、かつての宗主国としての意地に見せかけたエクソン・モービルなどの掘削利権の確保ではあろうが、だからといって何かの効果があるかはわからない。

あたかも石油から自然発電に切り替えようという、変なキャンペーンでその英国はむちゃくちゃになったけど、英国人の知性がこれほど落ちたのも、サッチャー亡き後に「落とされた」からなのである。

昨年12月、世界をアッと驚かせたのは、モスクワからサウジとUAEを訪問した際、プーチン氏が搭乗した旅客機をずっと警護したロシア製戦闘機が、なんとこの往復で一度も給油をしなかったのであった。

アメリカにはこんなに長い航続距離の戦闘機は存在しない。

「テトリス」を開発したソ連時代、コンピュータの性能に劣っても、ゲームとしての世界的大ヒットになったけど、もはや、世界一のレベルはアメリカではなくなっている。

西側から経済制裁を受けているはずのロシア経済は好調で、逆に自爆的になっている西側とはぜんぜんちがう。

その根拠が、ロシアは自由経済だからである。

体制転換で国名が「ロシア」になったとき、英米資本がロシアの資源企業を好き放題に貪った。
なんとロシアは、平均寿命が10年で10年短くなったのである。

見えない虐殺をやったのが、英米の戦争屋とそのスポンサーたちだった。

プーチンは戦争屋たちを10年かけて排除に成功して、自由経済を「自力で」取り戻したのである。

何度も書くが、わが国も自力で自由経済にしないといけないのだ。

【2024年頭】生き残りの年

新年、明けましておめでとうございます。

この言葉を、さっそく、来年の2025年に言えるのか?が気にかかる年となった。
この意味で、無機質なカレンダーが恨めしい。

1582年10月15日金曜日からはじまる、グレゴリオ暦に世界のカレンダーは統一されているのは、ローマ・カトリック教会とプロテスタントの合意の上のことである。

民主党が支配するアメリカでお盛んな、「ポリコレ」も、まだカレンダーには言及していない。

それもそのはずで、この戦争屋たちは、「ユリウス暦」を使っているのが、ロシア正教だということを知っているからである。
もちろん、わが国が明治5年にやった、旧暦(太陰太陽暦)を棄てたのも、「ポリコレ」のひとたちはなにもいわないのである。

そんなわけで、ロシア正教においてのクリスマスはグレゴリオ暦でいう、1月7日となっている。
わが国の旧暦では、今日は11月20日で、新年(新月)は、新暦の2月10日にあたる。

ちゃんと旧暦も活用すべきなのである。

さて、今年は、選挙の年である。
台湾の総統選からはじまって、11月にはアメリカで来年以降の人類史の決戦がある。
お飾りのEU議会選挙はどうでもいいが、日本の総選挙はどうでもいいとはいかない。

苦戦がわかっている民主党が、どんな汚い手を使うのか?によって決まりそうなのは、日本のマスコミは報道せずに、必死でトランプの落選を外野から応援するのは、自民党の敗北が怖いからである。

ただし、国民には選択肢が与えられないままに、春の「憲法改正国民投票」に突入する可能性が高い。

それもこれも、5月のWHO総会における、世界政府実現のための布石である。

とうとう日本政府は、国連に国権のすべてを引き渡して、EUのような役人支配を永久化したいらしい。

そんなわけで、国民に小難しいことを考えさせないために、なんと、漫才師を不倫だかというどうでもいいことで担ぎ出して、そのスキャンダルをもって、肝心の目くらましをさせようと企んでいる。

1961年はわたしが生まれた年であるが、これから1年間かけて、しつこく3回も国会に提出されて廃案となったのが、「特定産業振興臨時措置法案、通称・特振法案」だった。

時は池田勇人内閣、通産相は佐藤栄作と福田一(後の衆議院議長)にまたがるが、じっさいに法案を立案して成立に奔走したのは、「ミスター通産相」の異名をとった、佐橋滋(後に同期の後を襲う異例の事務次官となる)だった。

法案こそ通らなかったが、佐橋の爪痕は深く、日本経済の国家社会主義化の立役者になった。
「行政指導」やら、日本開発銀行をつかって、民間企業の経営にちょっかいを出し続けて、今に至るからである。

なお、佐橋を主人公に据えた『官僚たちの夏』が、中国語版でも堂々発売されているから、その位置づけが確定している。

美しき「国家社会主義=共産主義」ということだ。

いまだに「御用」を務めて金銭を得ている、作家だか評論家のひとたちは、佐橋を英雄とか官僚の鏡とかと持ち上げるが、本田宗一郎が言った一言がすべてなのである。

わが国のいまの衰退は、発展期にもう仕組みとして準備されていたのが、これほこれで、岸信介が満州で成功させたパターンをそのまま「商工省」に持ち込んで作ったのである。

いま、旧安倍派だけが壊滅的攻撃をされているのは、岸がCIAと結んだ契約を破ったからか?
この意味で、吉田茂がGHQと結んだ約束、アメリカ民主党のポチになる、を厳格に遵守している岸田氏におとがめはない。

「大宏池会」なる先祖帰りは、アメリカ(民主党)様の仲間表明なので、東京地検特捜部なるCIAの下部機関も見のがしてくれるだろう、という希望的メカニズムになっている。

一方で、トランプ氏の立候補すら阻止しようというひとたちは、世の中の「仕組み」を知っているから、その仕組みの一部である、「司法」を「武器化」している。
なぜに彼を政治的に葬ろうとするかは、彼が「仕組み」で戦争屋商売を潰そうとしたし、それが彼の信念であるからである。

あゝ見えて、トランプは戦争(戦争屋=ネオコン=DS)が大嫌いなのだ。

道徳も倫理もなく、ただ私益を貪る姿は、資本主義ではない。
だから、戦争屋たちは、「新しい資本主義」といって誤魔化すのである。

そうやって、ハイエクやフリードマンが主張した、「新自由主義」を、用語として葬った。
本田宗一郎が言う「自由主義」も、この「新自由主義」のことである。

しかし今、にっくき「新自由主義」とは、戦争屋が言う「新しい資本主義」にほかならないから、なにを言っているのか一般人にはわからなくなって、思考停止させられているのである。

全体主義者たちがつかう、二重規範(ダブルスタンダード)に翻弄されてしまっている。
むかしだったら、相手にされないほどの稚拙なのだが、あまりにも人々が稚拙にさせられて、もう気づかなくなって久しい。

そして、稚拙なかんがえしかできないひとは、それを指摘されると怒るのである。

この怒りっぽさを、全体主義者たちは「二分間憎悪」の時間として、テレビに向かって怒るように仕向け、そのテレビからの情報にかじりつくようにしているのは、脳が適度な興奮から醒めたときに快感を得るからである。

そんなこんないろんな邪悪な仕掛けがはびこっている、障害物競争をやられさているけれど、それなりのゴールが見えるのが今年なのである。

一般人には、映画のような、生き残りがかかっている。

今年の反省文を書く

年初に書いたのは、「日本語再考」であった。

再考できたのか?をまず自問すると、それどころではなかったという言い訳がでてくるのである。

ただし、『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『日本を殺すのは誰よ!』という、二冊で、より一層、自分でつくったテーマの重要性だけは理解が深まっている。

もう一つの「発見」は、いまさらながら、「経営学の母」とも、「経営思想家」ともいわれている、メアリ・P・フォレット(1868年~1933年)という、今では古典的な人物の発見である。

この人物をわが国に紹介した功績ある人物は、三戸 公(みと ただし)立教大学・中京大学名誉教授(1921年~2022年)だ。
なお、三戸教授はドラッカー研究の第一人者で、そのドラッカーが高く評価したのがフォレットだというつながりになっている。

アメリカやヨーロッパの「古典的著作」が、わが国でも「有用」とされていた理由は、ついぞ「理系」の研究成果をもっぱらとしていたことでもわかる。
『解体新書』もそうだけど、科学(Science)には、普遍の法則があるからだ。

なので、科学における定説が新しい発見に取って代わるのは、上書きできる法則の発見があるからで、特段の人為による政治的な理由は排除されることになっている。

これをソ連では、しっかり政治利用して、「ソ連邦科学アカデミー」なる政治団体を組織し、その長に、科学者を装った政治化を配置したのであった。
そうやって、特定思想(共産党に都合がいい思想)を、科学の上位に君臨させたのは、ガリレオを有罪にしたローマ・カトリック教会とおなじ論理構造なのである。

こうしたことの不幸を知り尽くしているプーチン氏が、「反共」を掲げる理由は明確で、ためにわが国は、「敵国認定」されるに至ったのである。

ソ連と革命前ロシア・自壊後のロシアとを区別できないのではなくて、区別しないのである。

そのロシアでは来年3月に大統領選挙がある。
すでに10人が立候補しているけれど、プーチン氏はこれから、となっている。

そのプーチン氏を後方支援する「頭脳」は、セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・カラガノフ博士(経済学、政治学:モスクワ大学)で、彼は、日本とドイツがアメリカからの「独立」「自主核武装」をすべきと公言している。
それが、今の混沌世界(戦争屋たちの好き放題)から安定をもたらす、というのである。

民主党のアメリカが戦後の教育を支配した日本やドイツにおいて、人文系(「人文科学」と科学をつけていいものか?)で、その普遍性をいうのは、どういうことか?を突きつめると、結局は、グローバル全体主義に行きつくのである。

当然ながら、カラガノフ博士は、ナショナリストで、反グローバル全体主義だ。

それなのに、岸田政権は、パトリオット・ミサイルをアメリカに「輸出」するとサッサと決めて、これがアメリカを通じてウクライナ戦争に使われたら(おそらくそのため)、ロシア外務省が公式発表している「警告」が発動されて、わが国もロシアと戦争状態になる。

こんな重大なことが、大騒ぎにならない今の日本人は、完全にイカれていないか?
平時ではない、紛争当事国の一方に、武器を供給したら、相手国から「同類」とされて当然ではないか。

ヘルメットや防弾チョッキ、あるいは現金供与までなら、すれすれだったけど、一線を越えてしまったのは、日本側となる。

恐るべき、岸田政権の「実行力」なのだ。
それもこれも、与党が絶対安定多数を持つ、国民のおかげ。なのである。

幕末の日本人たちが、なぜに外国人をかくも毛嫌いしたのか?は、民族としての価値観が水と油だったからに相違ない。

この点で、不可思議なのはアメリカ民主党の子会社、岸田政権がやろうする、日本学術会議の「民営化」だ。
この真の意図はなにか?がよくわからないから、手放しで「ざまぁ」とはいえない。

さていま、訪日外国人たちが、自国との違いに、わが国を「別の惑星」と表現しているのは、よほどの洞察力だと思っていいのである。

自国(文化)とは何か?を彼らはちゃんと定義している。

やや自虐的な共通はあるが、日本文明に対する「全く別」という評価の結論が導きだされるのがあんがいと論理的思考の順番になっている。

なので、外国の社会を探究したひとが書いたものが、そのまま日本で通用するとかんがえるのは、かなりのおっちょこちょいである。
それが典型は、『資本論』なるものに代表される、インチキ思想にはまり込んだおっちょこちょいたちなのだが、このひとたちは暴力的なので始末が悪いのである。

どうして暴力的になるのか?といえば、マルクスが革命を言っているからではなくて、勝手に定義した人文科学としての「解釈」が、ひとそれぞれであるものだから、自分だけが絶対に正しくて、残りはぜんぶ間違っているから、排除するのが社会のためだと、これまた勝手に思いこんでいるからである。

こうして、はじめは徒党を組むが、たいがいが内輪もめしてそれを、これらに与しない外野が、「内ゲバ」と呼んでいたのである。

そんなわけで、フォレットの論文の凄みとは、日本がまさに「欧米化した」ということであって、江戸期の学者ならなんと評価したのかを知りたくなるのである。

ところが、もはや漢籍(「崎門(山崎闇斎が発祥の朱子学派)」とか、「水戸学」とか、橋本左内)に通じたひとを見つけるのが困難だから、あたかも100年前にフォレットが書いたことが、いま、そのまま日本に適応できることが、ヤバイと感じるわたしがヤバいのか?

この意味では、ドラッカーも同様だし、その前のバーナードも同様である。

来年は、三戸教授の、『恥を棄てた日本人』でも読んでみたい。

読者の皆様には、良い新年を!

晦日蕎麦で大晦日は休み

縁起を担ぐ。

日本人がスピリチュアルな民族だった江戸時代から明治までの風習が、いまや尾てい骨のようになって、それがお正月の前後に見られることである。

年越し蕎麦といえば、バレンタインデーのように、本来なら毎月の終わり、晦日に食べるという縁起物であったのが、とうとう年一回の大イベントに変容したものだ。
土用のうなぎもこれに似ている。

もちろん、バレンタインデーは毎月のイベントではないし、暦も今の太陽暦ではなくて、太陰太陽暦という合理性に富んだものだった。

ちなみに、明日の大晦日は旧暦だと、11月19日で、まだまだ「お正月」は遠い。

土用のうなぎも、バレンタインデーも、「業界」の宣伝工作によってつくられた風習だから、社会の怖さがわかるというものにもなっている。
実はなんの脈絡もないものが、社会に定着させられるのは集団心理のおかげなのである。

それでもって、長い物には巻かれよ、となって、民衆から抵抗力を削ぐこともお上から宣伝された。

これが、プロパガンダのプロパガンダたるゆえんである。

しかし、物騒だった日本人の血は、結構「沸騰型」であるから、ついぞ100年程前まで、暴動が絶えなかった。
これを畏れた政府が、治安維持法をつくったのは、民衆弾圧よりも先に恐怖を感じた政府側に先手を打たせるためではなかったか?

結局のところ、新政府も国民のための政府ではなく、政府のための政府だった。

そのひとつの究極が、現在の日本政府であり、地方政府なのである。

そんなわけで、よくいく蕎麦屋に寄ったら、「人手不足のため適切なサービス維持が困難なため、大晦日は休業といたします」との張り紙が店内にあった。
この店は、配膳ロボットも導入している「ハイカラ」だけど、手打ちが廃れ、珍しい機械打ちが断然うまいと評判だった時代とちがって、行列ができるような店でもない。

だったら、セルフサービスの店にした方がよほど説得力があるというものだ。

スーパーやらで販売されている蕎麦には、原料表示の義務があるので、「蕎麦粉、小麦粉」なのか「小麦粉、蕎麦粉」なのかの順番で含有割合がわかるようになっているけど、蕎麦屋の蕎麦にはそれがない。

少なくとも、駅の立ち食い蕎麦は、たいがいが「小麦粉、蕎麦粉」のはずだから、「濃い色がついているうどん」を食べていることになっている。

大晦日に持ち帰りの年越し蕎麦も売るのをやめたのは、ほんとうに人手不足からが原因なのか?
店を休んでも、予約のテイクアウト対応だけでもやらないのは、休みたいからだけではないのかと疑うのは意地悪すぎるか?

わが家では、ちょっと遠方のスーパーに、年末だけ売られる「八割蕎麦」がここ数年の定番となっていて、年末の「みつば」のごとくバカ高くなる天ぷらを入れることはしない。
どうしてこの蕎麦をふだんから売らないのか?がミステリーなのである。

余計なお世話だけど、蕎麦屋が物理的に売っているのは、蕎麦とタネとツユであるが、客が買っているのはこれだけか?

人手不足をかんがえるより、こっちの方を先にかんがえるべきだろう。

世の中の経営者たちが、これをかんがえるのをやめて、目先の人手不足だけをみんなで問題にして、みんなで解決方法がわからないものだから、安い外国人の手をつかえばなんとかなるはずだと、人材輸入業界の宣伝に乗っかった姿となっている。

問われているのは、問題解決、に他ならないが、問題をかんがえないことに慣れすぎてしまったから、脳をつかうと気持ち悪くなるまでに劣化したのである。

しかも、ヘタなかんがえ休むに敷かず、すら忘れてしまったので、下手(上手の逆)しか手を打てなくって衰退している。

ならば、大晦日を休みにする蕎麦屋の判断は、まだ「まし」なのである。

誰と戦っているのか?

世の中では、「イスラエルとハマスの戦争」ということになっているけど、イスラエル警察(内務省)が発表した、10月7日のイスラエルへの「先制攻撃」は、イスラエル軍がやった、という唖然とする内容だった。

ネタニヤフ政権の支持率は急落して、いまや我が岸田政権並みとなっていて、どうやら政権内部の官僚たちも、「反対の意思表明」をしだしたようで、その不満の一発目の炸裂が、この警察発表になったようである。

これが国内報道されるやいなや、イスラエル国民の怒りも爆発しているようで、政権に嫌気がさした急先鋒たちは、国外脱出をはじめたという。
それで、ただでさえ国内人口比率でユダヤ人が47%の小数派なのだから、ネタニヤフ政権はユダヤ人国家の破壊者にもなっている。

風向きを見たのか何なのか?民主党支持一辺倒の広報紙、ニューヨークタイムズ紙が、15日付けでこれまたアッと驚く記事を掲載して、世界に拡散した。
それが、ネタニヤフ氏がハマスを育てた経緯についての詳細な解説であった。

つまり、ネタニヤフ氏がハマスを育成したことは自体は、とっくに既定事実なのである。

また、ハマスへの資金は、カタール政府もからんでいて、送金のための機関は、中国銀行だったことも判明した。

それ以前では、カタールからトランクケースに詰め込んだ現金を、陸路人間が手で運んでいて、ガザ国境においてイスラエル政府の機関に属すひとが、そのまま無傷の通過を支援していたという。

当時、このやり方が問題になったとき、ネタニヤフ氏は、カタールからの資金でハマスがおとなしくなるのだから放置する、といった発言記録が残っている。

そうなると、いま、ガザで起きている「戦闘」とは、イスラエル軍と誰が戦っているのか?ということになって、世界が非難している、「ただの民間人虐殺」だということになる。

これに世界で賛同しているのは、とうとう民主党・バイデン政権だけとなって、圧倒的な小数派になってしまった。

アメリカでは、民主党支持者たちが、崩れはじめている。

鉄板の絶対有利だった有色人種系からの支持も、とうとう共和党トランプ派に逆転され、その差は開くばかりである。
ずっと民主党を支持していた、アラブ系移民団体は、「反民主党」を決定したし、BLMの指導者たちがこぞって共和党トランプ派支持に寝返っている。

我々は、人種差別を誰がしているのかにようやく気がついた、それは民主党だ!というコメントがいまやトレンド入りしている。

それで、改めてトランプ氏のスピーチを冷静に聴いてみたら、キリスト教者として人類の平等をいって、実行しているのがトランプ氏だったことに気づいた、というのである。

ずいぶん前に、「B層」について書いたが、アメリカや世界にも多数いて、彼らがマジョリティーを形成しているのも、どうやら日本と同じらしい。

アメリカ人はこの意味で、気づいた、という点でさすがである。
日本人の大多数は、気づきもしないままなのである。

ジョージ・オーウェルは、『1984年』で、三つ巴の永久戦争を描いた。

各国の国民は、二国を相手に戦争をしていると信じ込まされているが、じつは、この三国のトップがゲームをやっていて、誰かが負けた都度、自国民をランダムに「消去する」ことで、爆撃の被害だと政府発表すればすむことになっているのだった。

いま、これをマスコミは「放送コード」、SNS企業は「ガイドライン」に抵触したと決めたらBANするのとどこがちがうのか?

とうとう、現代人も、誰と戦っているのか?がわからない世界に生きているのである。

決めるのは、マスコミでありSNS企業になっている。

スコッチが安い

日本酒やワインなどの醸造酒を飲まなくなって久しい。

日本酒は美味し過ぎて、ついうっかり飲みすぎるからで、ワインはわが家の食生活とあわないので敬遠している。

それで、蒸留酒に移行した。
かんたんにいえば、焼酎である。

80年代に、「焼酎ブーム」というのがあった。
わたしが、このブームを実感していなかったのはエジプトにいたからで、3週遅れでやって来る週刊誌で、大学生を中心に、「酎ハイ」なるものが「カフェバー」なる場所で好まれていることはしっていた。

それで帰国してみたら、すでにブームは去ってはいたが、すっかり定着していたともいえた。

生まれて初めて焼酎を口にしたのは、社会人になってからで、それまでは専らウイスキーだった。
ただし、エジプトでは高級なブランデーばかりを飲んでいて、おそらく一生分を腹に収めたのだろう。

いまは、断然ブランデーとは縁遠くなっている。

初めての焼酎は、『下町のナポレオン』を自称した「いいちこ」だった。
なんでこんな名前をつけたのか?といぶかったが、驚くほどうまかったのが、ファースト・インプレッションである。

もちろん、ブランデーと比べたのではないが、焼酎=臭い、がなかったのだ。

当時は、「コスパ」なる言葉がなくて、「安くて美味い」といっていた。
そうやって、いつの間にか、ボトルキープの対象がウイスキーから焼酎になったのである。
ただし、「乙類に限る」。

日本での酒類は、完全に「酒税法」に支配されているために、焼酎の「甲類」「乙類」も、酒税法によっている。

順番が、酒の品質ではなくて、課税方法が優先される本末転倒が当たり前の、倒錯した世界で酒をたしなんでいるわけである。

そんなわけで、国産ウイスキーが足りない、という異変があっても、「税」はドカンと腰を降ろして動じない。

おかげで、「本場」のスコッチウイスキーが、妙に安くなっている。
円安なのに、だ。

わたしは、ハイランド系の「ピリッと辛い」ウイスキーよりも、ローランド系の「まったり甘い」ウイスキーが好みである。
とはいえ、嗜好品なので、たまにはガツンとくるハイランド系もやりたくなる。

こうした点では、国産ウイスキーは、みなおとなしい味付けになっている。

野蛮に進化した白人の体格と、繊細に進化した日本人の体格はぜんぜんちがうので、彼らの「生で煽る」飲み方に日本人はついていけず、さらに、安心の軟水が豊富ある自然環境の妙から、日本人は、「水割り」や「ハイボール」を好む。

40度のウイスキーを、水で薄めて、概ね日本酒とおなじアルコール度数にすると、なんだかうまく感じるのは、民族としてのアルコール許容度数が決まっているからだという。

高級なウイスキーを水で薄めてしまうのはもったいないのに、「薄めにね」なんていう紳士がいると、興ざめしてしまうのである。
でも、高級でないウイスキーは、なかなか生で煽る飲み方はできない。
まるでエタノールを煽っている気がするのである。

このところの国産ウイスキーの品薄は、アジアへの輸出が絶好調だかららしい。
別のいい方をすれば、日本人は買い負けているのである。

しかして、ガソリン税と同様に、酒税を課税した価格に消費税がかかる、二重課税問題が残るのである。

外国で日本国産ウイスキーはいくらなのだろうか?

政治音痴が攻撃する恐怖

テレビを観ないので、タレントさんのこととかに詳しいわけではないけれど、ネット界隈でもバズった話題になっているので気がついた。

なんでも、アンミカというひとが出演した、カップ麺のCMが炎上して、出演者への大批判になっているらしい。
そうしたら、韓国からの密入国者ではないかという話にもなっている。

わたしは、このタレントさんがどんな芸能活動をしてきていて、どんなキャラクターなのかもしらないので、これから変なことを書くかもしれないが、それが変に思えることが変ではないか?とも思う。

なぜなら、アンミカというひとのことを直接話題にしないからである。

先ずは、大炎上したというCMだ。

おとななら、CMに登場したタレントさんを批判しないで、これを製作したひとたちを批判しないとおかしいだろう。
演出や台本を書いたのは誰か?

当然ながら、カップ麺メーカーが発注した「作品」なのだから、企画段階からカップ麺メーカーの担当者が同意したうえで放映しているはずでもある。

いいもわるいも、出演するタレントさんには権限はなく、台本通り、意図通りにどうやって自分の演技を完成させるのか?ということでしか仕事ができない。
ひらたくいえば、タレントとは、「お人形さん」なのである。

そうした意味で、このCMは、意図通りの大成功だったと評価できるのではないか?

それで、どういうわけか、コンビニからスーパーまで、対象のカップ麺が箱で山積みされて、大安売りになっているけど、これも最初から企画・意図されたものではないのか?と疑うのである。

CMづくりとは、心理戦を消費者に仕掛けるものだ。

だから、先ず炎上させて、目立ったところに大量の商品をあたかも投げ売りのごとく安売りとして仕掛ければ、それはもう、売れるに決まっている。

しかも、ラーメン系ではない、うどん・蕎麦系の『どん兵衛』なのである。

お正月を目前にして、最大手、日清がやらかした仕掛けである。
そうやっておいて、次は、「CM打ち切り」という話題にまで発展させたが、これもまた最初から企画・意図されていなかったか?と疑う。

ダラダラと年越し放映なんかしないで、暮れの「年越し蕎麦(うどん、もね)」需要のピークに短期決戦を仕込んだとかんがえるのである。

たまたまスーパーのレジで前に並んでいた御仁は、カゴふたつ分の「どん兵衛」を購入していた。
そんなに食べたら、身体に毒だろう、と思ったが、購入者の自由ではある。

わが国が、あたかも自由国家であるように見せかけているのは、利権だらけの政治がそうさせている「現象」にすぎない。
それは、「ぐみん」の歌の歌詞を噛みしめて味わえばよくわかることだ。

国民の健康と、食品の安全を司る役所は、分断していて、厚労省と農水省ということになっている。

あくまでも、業界の支配が役所設置の目的なのであって、本当の国民の健康とか、食品の安全を確保する気は、最初からない。

さらに、「密入国」という話になったら、法務省・入管ということになるけれど、これをアメリカの民主党・バイデン政権ようにあからさまではなくて、もっとずる賢いやり方でゆるゆるにしているのが、自公政権なのである。

その中の期待の星、河野太郎がいう、「新しい日本人」を、見事な実務能力でシラッとどんどん受け入れているのが、岸田政権なのだ。

この半世紀あまりのわが国の政権で、かくも実績を上げている政権はない。

ただし、まったく日本国民のため、とは乖離していることの恐ろしさがあるのに、だれもこれを言わないのも、しっかりつるんでいるからだろう。

そんなわけで、わが家の年越しは、八割蕎麦と決まっていて、カップ麺で済ますということは、夢にもかんがえていないのだった。

「ぐみん」で『打つわ』

A.I.による自動化が、人知を超えて暴走することがある。

ふつうなら、BANされるのではないかと思えるような、「危険」をすり抜けて、どうしてか「お薦め」で登場するのである。

それとも、牧師という職業における布教活動だとして推薦されるのか?

なんであれかんであれ、HEVENESE(天国民)がまじめにパロって演奏している、テーマの「ぐみん」による『打つわ』がユーチューブに登場した。

ただし、天才的な替え歌作詞家はほかにもいて、もう1年も前にアップしていたことにようやく気がついた。
これはこれで、上の「ぐみん」のおかげでもある。

オリジナルが大ヒットすると、たいがいその替え歌も大ヒットした。
まさに、「表・裏」をなしている。

替え歌の歌詞にはかならず「毒」があって、いいにくい世相やらを皮肉っているのも共通なのである。

わたしのお気に入りは、アラブ圏に石油プラントなどを建設にやって来た日本人の悲哀を歌った、『ホルムズ海峡・砂景色』という名曲だ。
もちろん、石川さゆりのこぶしがきいたあの曲、『津軽海峡・冬景色』(1977年、作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)がオリジナルである。

成田発の夜行便を 降りたときから
アブダビ空港は砂の中
西へ帰る人の群れは 誰も無口で
風鳴りだけをきいている
私もひとり 連絡バスに乗り
眠たそうなラクダ見つめ
泣いていました。
ああ ホルムズ海峡砂景色

ごらんあれがオマーン岬 南のはずれと
見知らぬアラブ指をさす
砂でくもる窓のガラス ふいて見たけど 
はるかにかすみ見えません
さよならあなた 私は帰れません 
砂の音が胸をゆする
泣けとばかりに
ああ ホルムズ海峡砂景色

さよならあなた 私は帰れません
砂の音が胸をゆする
泣けとばかりに
ああ ホルムズ海峡砂景色

これを宴会の最後に必ず泣きながら歌っていた。
まさに、当事者たちにとっては笑えない、望郷の歌、だったのである。

しかして、砂漠ばかりで無価値と評価されていた、アブダビやドバイが大発展して、いまでは世界のセレブたちが「息抜き」ばかりかビジネス談義に花を咲かせる場所になっている。

もはやニューヨークでも東京でもない。

この半世紀もない時間でのことだから、『ホルムズ海峡・砂景色』を泣きながら歌っていたひとたちの努力の成果となっているのである。

それに比べて、「ぐみん」の歌の哀しさは、ほんとうに笑えない。

演奏しているHEVENESEは、和楽器もふんだんにあるバンドだが、なにせ本業が牧師なので、プロテスタント(キリスト教原理派でもある)なのである。

カソリックが批判されたのは、その通りのヤバさがあったからではあるが、対するカルヴァン派の過激かつ厳格度がはんぱなくて、脱落者を責め立てたのもずいぶんなことだった。

そんなことから、マックス・ヴェーバーがいう、資本主義の精神が生まれたとは、わたしには思えないし、そもそも資本主義なるものはこの世に存在するのか?という疑問すらある。

中世以来、儲かればよい、だけの世界ではないのか。

これを、「ぐみん」が皮肉っていると、とりあえず解釈することにしたい。

イスラエルの国家的危機

化学の授業で、分子を習うとき、たとえば「アボガドロ定数」とかは、「モル濃度」を勉強するとかならず登場することでしられている。

水の分子一個一個に、例えば、赤い色素でわかるようにしておいた、200mLのコップ一杯を海に流して、人間の力ではできっこない撹拌力で、全世界の深海までまんべんなくかき混ぜたら、ふたたびそのコップで海水をすくい取ると、だいたい赤い水分子は200個入っている計算になる、とむかし教わった。

「200」が単位を変えて登場するので、ちょっとややこしいから覚えている。

イスラエルとハマスの戦闘が、ガザの町を破壊して、えらいことになっていることを、いろいろ説明しているひとがいるけれど、あんがいと意見はハッキリ分かれている。

テレビによくでている有名大学の有名教授とかと、無名な研究者という構図にもなっている。

もちろん、テレビは逆神なので、テレビがないわが家では、すぐさま無名な研究者の方が、おそらく正しいだろう、ということぐらいはわかる。

そうしたら、なんとわが国の超エリート大学教授(なんと「博士号」がない)が、外務省から億単位の補助金をもらって、外務省のプロパガンダをするためのグループを形成していることも発覚した。

外務省の予算をだれがどういう理由で通しているか?は、当然ながら、与党の「外交部会」である。
またまた、与党が日本をおとしめる工作をやっていて、その手先が外交官たちなのである。

そんなわけで、有名大学の有名教授たちがポリコレで、ハマスなるテロリストを応援する立場をとっていて、そうでない側が、イスラエルの側の立場をとっている。
ただし、先に手をだした側が悪い(絶対悪)、というロシア非難とは真逆の構図になっているので、念のため。

じつはイスラエルの警察当局が、ハマスがやったという最初の攻撃が、イスラエル軍による「偽旗作戦」だったと認めてしまった!ので、現地では大々的に報道されている。

どっちもどっちのような話になっているから、中東はめんどい、ということだけが日本国民の頭に刷り込まれている。
ただ、ハマスにしても、どこから大量の武器弾薬を持ち込んでいるのか?という大問題はそのままになっている。

ここにきて、似たような話で、イエメンというマイナーな国の、「フーシ派(指導者の名前がフーシ)」が、イスラエルに肩を持つ国の商船を攻撃して、わが国の日本郵船の船もヘリコプターからの攻撃で拿捕されるにいたった。

フーシ派もイランからの援助を受けているハマスとおなじで、後ろ盾はイランだということになっている。
とはいえ、アフガンにプレゼントしたし、ウクライナでも同様の横流しで、アメリカやEU製の武器が、流れているのだとかんがえるのがふつうだろう。

しかし、この一派は、サウジアラビアと犬猿の仲で、そのサウジはイランと一応の国交は回復している。
ここでも「但し」がつくのは、国交回復といっても、大使館の開設というレベルでもいうから、友好関係になった、とは一概にはいえないので注意がいる。

あたかも、有名大学の有名教授たちが、サウジアラビアとイランとが「なかよし」のようにいうのも、ぜんぜん感心しない。

むしろ、どうしてフーシ派が「親ハマス・反イスラエル」なのか?の方が、よほど唐突なのだが、イランが背景にあるという一点でつながっている。

とはいえ、スエズ運河のそのまた入口を事実上の通せんぼをして、アジアとヨーロッパは、喜望峰周りになって、ヨーロッパや日本の輸送コストが膨らんでいるけれど、最大の被害者はスエズ運河頼みの、エジプトである。

もちろん、我々もこの輸送コストを負担している。

19日、アメリカが主導した、対フーシ派有志連合軍(宣戦布告した)に、なぜかエジプトが参加していない。
参加国はアメリカを含めた10カ国、英国、バーレーン、カナダ、フランス、イタリア、オランダ、ノルウェー、セーシェル、スペインなのだ。

ついでに、日本も中国も外されている。

さてそれで、イスラエルの驚くべき実態は、ユダヤ人国家であるはずのイスラエルで、すでにユダヤ人の人口比率が、47%しかないことだ。

出生率で圧倒する、アラブ系が、とうとう過半となった。

どうやら、ネタニヤフ政権は、アラブ系住民の国内一掃を狙っての「仕掛け」をしたのではないか?と疑われているが、肝心の反ネタニヤフ政権の側のユダヤ人国民たちが、国外脱出を図る事態にもなっている。

もはや、イスラエル=ユダヤ人国家ではない。

イスラエルからユダヤ人分子が薄まっている。

このことの焦りが、かえってユダヤ人の人口を減らす効果をもたらす皮肉となって、もしや、アラブ人政権の国家になったら、国名変更をするかもしれない。

けだし、国内外のシオニストたちが、徹底抗戦をするのか?が問題なのだ。
ために、有名大学の有名教授たちは、アラブ応援団をかってでることになって、世界のユダヤ資本と本気でケンカをするのだろうか?

そうなると、外務省からおカネがもらえなくなるだろうに。

イスラエル国旗の上下にある青い帯を、ユダヤ教高僧のタリート(祈祷用肩掛け)を表すなどというのは、有名大学の有名教授たちで、もう一つの説に、ナイル川とユーフラテス川(約束の地)だ、がある。

あらためて、ハンナ・アーレントのユダヤ同胞から総スカンをくらった一冊、『エルサレムのアイヒマン』でも、年末休暇に読んではいかがか?

彼女が指摘した、「悪の陳腐さ」を嗤えないのは、わが国における悪の陳腐さを嗤えないからである。

たとえイスラエルという国が滅亡しても、世界一歴史の長い日本が滅亡しないということにならない。

むしろ、日本人の、日本はあって当たり前という思い込みこそが、もっとも危険なのである。

国家を失うとはどういうことなのかを、ユダヤ人からちゃんと習わないといけない。