政府がテロ組織になっている

「マフィア化する政府」について、何度も批判してきたが、過去二回の『肉食の思想』(1966年)と『日本を見なおす』(1964年)から予告された未来、すなわち60年後の現代、もはや政府と国民の乖離による、政府からの「国家テロ」をやられだした必然があるので書いておく。

宗主国というよりは、わが国支配の司令塔といった方が適当なのは、それが「軍産複合体:アメリカ民主党とRINO」だからである。
何度も書くが、このふたつのパーティー(政党)、とくに民主党は、スターリンに追い出されたトロツキー派(国際共産主義運動派)によって、乗っ取られてからしばらくは、「隠れ共産党」であった。

しかし、戸籍制度がないことを利用してか、出生がいまだに不明なオバマの登場で、自信を得たのか、これ以降は隠さずに共産主義をアメリカ社会に蔓延させることをやってきていまにいたっている。

ちなみに、オバマの出自についての疑惑も前に書いた。

ところで、事務能力も統治技術も未熟な「古代」にあって、その政権や政府は、どうやって人々を支配したのか?については、じつは「なにもしていなかった」のでる。
つまり、個人はそれぞれ政府から自由だった。

しかし、個人を括ったのは、部族社会であった。

なので、古代の支配関係とは、中央に対して地方という構図はまるで現代的だが、実態は、部族の管理だったのである。

これは、西ヨーロッパも日本もおなじだ。

双方とも、同系部族が個人生活をまもっていたからである。
それは、日本なら米作りの共同作業から生じたし、西ヨーロッパなら、ワーグナーの『ジークフリート』のごとく、森の中の生活における他部族との遭遇が、危険極まりないものだったからである。

とくに日本において、なぜに中央からの要求にだまって対応していたのか?が不思議だったけれども、米の生産性がやたら高いという事実が、命令に従順であった素地であった。
古代でも一粒の籾から20~30倍の収穫ができた。

しかし、西ヨーロッパの麦は、5倍程度の収穫でしかなく、しかも連作ができないために家畜を放牧して地柄を整える必要があった。
大陸ゆえに、土地はあったし、麦は撒いたら放置して自然に育ったのである。
なぜなら、日本とちがって雑草が育たないからだ。

ゆえに、西ヨーロッパからみたら、日本の狭い土地で丁寧に人手を加えて育てる米の栽培を、「園芸」と呼んで彼ら流の「農業」と区別するのである。
これに、農民は土地とセットの「農奴(serf)」という固定的な身分をつくりだし、屠畜と一緒にした。

日本では、米づくり農業:園芸、にやたら人手を要するので、農奴という発想はないし、屠畜をすることはめったになかったから、農民とは別の身分ができたのである。

さてそれで、明治体制も、西ヨーロッパとは意外な点で異なった構造を示す。

それが「初等教育:義務教育」なのである。
西ヨーロッパでは、庶民とエリート(貴族)は、そもそもおなじ学校へ通うことはなかった。
遅れているはずの日本で、明治の小学校ができたのと、西ヨーロッパで庶民とおなじ初等学校に通わせる時期がほとんどおなじか、日本の方が早いのだ。

なお、英国はいまだに身分によって別々の学校に行く。

そうやって日本では、「国家神道」を子供の心にたたき込んだが、大正デモクラシーという、反動で、エリートのための高等教育では、あたかも「国家神道」を否定した教育、すなわち「科学優先」をやっていた。

ために、高級官僚で国家神道を信じる者はなく、政府と一般人の意識は乖離していたのである。

ちなみに、師範学校で小学校教員を養成したのは、国家神道をたたき込むための、「非高等教育」だったからである。

一方で、軍は徹底的に国家神道をたたき込んで、死闘に耐えるような人材づくりをやっていた。
そうやってかんがえると、もっとも科学的でなければならない「軍」をして、もっとも非科学的な組織環境をつくる努力をしていたともいえる。

これを批判して、山下奉文が、刑執行の直前に口述して残しているから、山下大将といえども、組織にあらがうことは死の直前まで不可能だったということになる。

ここでいいたいのは、軍ではなく、むしろ政府の方である。

国民意識と乖離した政府は、なにをしたかったのか?
奇しくも、戦後、丸山眞男が『現代政治の思想と行動』(90ページ)で、その脆弱性を東京裁判におけるブラナン弁護人の「日本政府を構成したこれら十数代の内閣の成立、瓦解を通じて、十三人の首相。。。」と例をあげている。

戦時というやるからには必勝をきたさねばならぬ事態に、トップが1年ともたない国なのである。

つまり、彼らは自分でかんがえ、行動する能力をもっていなかった。
そうやって、国民を殺したのである。

この遺伝子は、確実に現代に引き継がれ、いま、岸田内閣の元で花開いているけれど、およそ自民党政権とはこういうものであったし、細川護熙内閣も、民主党も内閣もかわりはしない。

政治(国家や世界をかんがえること)に無関心すぎる国民性が原因しているのだけれど、これは古代からの風習なのである。

しかしながら、政府ではなくて、国民が存亡の危機にあるいま、無関心では殺されるのである。

これが、原爆投下から終戦の日までにかんがえるべき、生き残り、なのである。

ひよわな女性としての日本人

昨日の鯖田豊之著、『肉食の思想』のつづきであるが、これより2年前に出版された『日本を見なおす』からの話だ。
民族としての特性を、「女性」と表現できるのが日本人だという。
なるほど、わが国は、「女尊男卑」だという意味でもない。

えらく厚かましくアクがきついと日本人が感じる、西ヨーロッパ人が、「男性」だとしたときの日本人が女性だというのである。

ここでいう西ヨーロッパとは、フランス、ドイツ、オランダ、英国などで、彼らが移民したアメリカも含まれる。
この点でいえば、西ヨーロッパと折り合いをつけるのが上手い中国も、男性だといえる。

ポーラン人で後にカーター政権の国務長官になる、ブレジンスキー博士は、『ひよわな花・日本』(サイマル出版会、1972年)という本を書いている。
まさに、ブレジンスキーという(男)の目からも、日本の弱さが女性のように見えたに違いない。

もちろん、日本人の半分は男性と女性であるが、国民性が女性だという指摘は、あんがいと当たっている。

ここで、あえて「的」という漢字をもちいない。

鯖田氏は、西ヨーロッパと日本の歴史を発展史として比較していて、両者は似ているとしている。
これは、西洋文明に対しての日本文明という見方と一致する。

もちろん、似て異なるものなのは、どこに原因があるかといえば、「肉食」を起点とした「麦食」と「米食」にあると規定している。

この似て異なる両者が、男女の出会いとして最初に失敗したのが、織豊政権を通じて鎖国に至ったことで、二度目の出会いとデートが明治維新からの「文明開化」と「富国強兵」だったけれど、それは第二次世界大戦で破綻した。

それで敗戦が、三度目のデートとなっていまに至っている。

一度目のお相手は、スペイン、ポルトガル、オランダ(元はスペインの飛び地)だった。
二度目の主たるお相手は、英国。
三度目は、アメリカをもっぱら相手にしている。

しかして、相手がかわったのに、はたして日本側はなにか変化したのか?といえば、じつはぜんぜん変化していない。
わたしがいう、日本人は真の反省をしてはいない、ということのもっと分かりやすい説明がここにある。

生娘が乱暴に扱われるのに慣れて、かえって心の深いところで自分を変えることなんかしない臈長けた女性のごとくだ。

この日本という女性は、国家意識も世界意識ももってはいないという、伝統的な特徴がある。

これは、「家族万能意識」が根深くあるからであって、古い日本秩序が嫌いな島崎藤村が、『家』で批判し、『夜明け前』で無意味とした平田(篤胤)国学をベースにしたものである。
むしろ、明治維新こそ「暗闇」とも解釈できるので、『日暮れ』がよかったのかもしれない。

しかしながら、わが国伝統の家族万能意識を利用したのが、明治政府高官たちが発明した、「国家神道」だったし、それが矮小変異した戦後の、「家族的経営」でもあった。
これを労働組合も歓迎したのは、なにより日本文化だからである。

つまり、天皇は全国民の父であったものが、企業は一家、に変化して社長(経営者)は家長と認識されていたことが、あまりにも強力なパワーを生んだために、アメリカが再度悲鳴を上げて壊すように命じたのである。

それで、「小泉・竹中平蔵政権」が軍産複合体のアメリカに盲従して実行したのである。
カウンターパートは、パパ・ブッシュ大統領でその後も政党は違えど軍産複合体のクリントン政権、息子ブッシュ政権と続くのだった。

いまだに国民が誤解するように宣伝(プロパガンダ)される、「終身雇用」や「年功序列」という日本的経営とは、たかが戦後にできたシステムであったのを、いかにも歴史的悪弊として排除の対象としたのは、そうすれば日本企業のパワーが減衰するからである。

これぞ、相手国の文化性を利用した悪意ある外交だといわずしてなんというべきか?
しかし、肉食の男性国家はこれを常識として実行するものなのである。

鯖田氏は、「戦後日本の女性的個体への復帰は、世界や国家に対する無関心とうらはらです。とても開放状況を生き抜けません」と60年前の1964年(昭和39年)に書いている。
ようは、家族万能意識から抜けられない日本人は、狭い範囲としての家族(身近な集団)にしか興味が向かない女性特有の性格をもっているからなのだ。

政治と国民の分離もまた、この女性国家の特徴で、政治はアメリカとの関係維持に汲汲としているが、国民は知ったことじゃないという現状は、まさにここにある通りだ。
ところが、西ヨーロッパ・アメリカ(民主党)が、みずからLGBTQをいいだして、なんと男性から女性になりたがる傾向を示しだしたのだ。

それでか、西ヨーロッパ・アメリカに、神社が建立されて、「信者」を集めている。
なんと、挙式をするひとたちに人気なのだという。

これは、キリスト教(伝統秩序)への絶望からか?
それで置いてきぼりになった(古い)男性の立場から、日本(差別の対象となる人種)が宗教的に世界征服をはじめた、というひとが西ヨーロッパにいるのである。

しかしながら、西ヨーロッパは決して国家意識や世界意識を棄てたわけではないので、元男性としての「元」が残る。
それが、EU議会選挙での「極右」の躍進だったし、西ヨーロッパにおける「極右」の台頭となってあらわれているのに、日本ではそんなムーヴメントはぜんぜんない理由だろう。

英国でさえも、得票率(数)でまさった「極右」が、初めての選挙で5議席を得たのは、まだ「男がいる」証左なのである。

そんなわけで、鯖田氏は「女性-日本らしく、なしくずし的に国家意識や世界意識をもつくふうはないものでしょうか。」としたためて筆を置いたのである。

たしかに、難問である。

それだけに、いまの閉塞感と衰退の原因の深さがわかる。
しかし、鯖田氏が批判する、明治政府が利用して成功した「家族万能意識」を、合気道的に利用する手があるのではないか?

逆手を基本とする「柔道・柔術」は、この意味で男性であって、順手を基本とする「合気道」こそが、日本=女性としての「なしくずし」があるからである。

わかりやすい『肉食の思想』

広島原爆の日を前に、プーチン氏とトランプ氏がそれぞれ別に、コメントを述べていて、ネットで話題になっている。
当然だが、地上波や新聞は、こうしたことを一切報じなくなったので、「情弱」はより情弱へと情報格差が拡大している。

日本人の多くは、いまだに「ソ連」と「ロシア」の区別がついていない。
その理由は、主に北方領土とシベリア抑留、その前の満州へソ連軍の無差別侵攻があったことへのけじめがついていないことがあるのは確かだ。

このなかで、北方四島については、アメリカ軍から連合国(味方)として分け与えられたことが判明したのである。
ようは、アメリカ民主党政権は、勝手に分け前(他人の領土)を分配していた。

そうやってかんがえると、ソ連が崩壊して東欧諸国が「独立」したときが、北方領土問題解決の千載一遇のチャンスだったのを、わが国は見すごしたことになるのだけど、きっとアメリカからなにかをいわれたにちがいない。

つまり、「属国」なのである。

プーチン氏のコメントは、アメリカは軍事的に原爆投下をする必要がなかった、というものだし、前大統領としてのトランプ氏は、「決して良い行為ではなかった」と、アメリカ人を代表して歴史的な発言をしている。

そんなプーチン氏とトランプ氏が、どうして「欧米」において、主流にも本流にもなりきれないのか?についての理由がわかる分析が、鯖田豊之著『肉食の思想』(1966年)である。
もちろん、鯖田氏は、この二人をしらないで書いているのだから抽象的な捉え方にはなる。

これと、映画『1900年』が、見事に重なって納得できたのである。

なお、『肉食の思想』の解析対象は、あくまで「西ヨーロッパ」なので、そこから派生したアメリカは対象として該当するが、辺境のロシアは該当しない。
ロシアは西ヨーロッパから視たら、モスクワも含めてヨーロッパではないのである。

まずこれで、プーチン氏の立ち位置がわかるというものだ。

ここで、いまさらながら、日本列島という「島々」の地球上での特異な位置を確認しておくとより、この本の議論が理解しやすい。
じつは、日本列島は、地上で唯一、大陸近くの温暖帯に位置している島国なのである。
つまり、絶海の孤島ではない。

この限られた島という空間でも、大陸との交わりがあった。
それゆえに、島独特のオリジナル性と外来文化が交差して、それがまたあらたな島の中の文化を育んだのである。

一方で、英国やアイルランドがあるヨーロッパは、地球の緯度でいえばかなり北に位置し、巨大なユーラシア大陸の西の端にある、意外と狭い地域を指す。
ここは、その気候と地質ゆえに、穀物生産には適さない土地柄なのである。

あえていえば、ローマのはじまりが農業国であったように、イタリア半島の一部がまだ「麦」栽培に適するが、水との関係で水田にはならず米は栽培できない。

ただし、著者の鯖田豊之氏がこれより2年前に書いた、『日本を見なおす』(講談社現代新書14,1964年)では、「古代ギリシャ・ローマ」をあえて西ヨーロッパとは「別物」として扱っているところがユニークなのである。

並行世界として西ヨーロッパと日本の歴史を比べると、西ヨーロッパからみた古代ギリシャ・ローマは、あたかも日本から視たら、古代中国・朝鮮にあたる、というわけである。
よって、あくまで日本を中心にしたら、「別物」とするのと同じになる、とは納得させられる。

日本人が肉食に依存しなかったけれども、ヨーロッパではそうはいかなかった。
そして、いまだにヨーロッパ人(アメリカ人も)は、「主食と副菜」という概念がない。
『1900年』は、イタリアが舞台だが、農民の暮らしに焦点をあてると、「肉食」との関係がみえてくる。

なお、横浜の「映像ライブラリー」には、かつて放送されたNHKの教育テレビスペシャル、『人間は何を食べてきたのか』シリーズ第1集『肉』(1985年1月7日放送)に、ドイツ(当時は西ドイツ)における豚(家畜)との暮らしがあって、より鯖田豊之氏の説に説得力がある。

このことが、どんなふうに「思想」に影響するか?がわかるので一読を勧めたいのだ。
しかも、インドのカースト制の説明まである。

地球は広く、地域特性は「別の人間」を育むのである。
この区別は、人種の別ではない。

そうやってついに、わが国が開戦決定し敗れたことの論理までが解説されるのだが、このことは「敗戦」によって分断なんかされていない。

反省なき日本人は、相変わらずの「実験材料」なのであった。

プロパガンダのニュース映像に洗脳されるよりも、よほど重要な情報がこの二冊にある。

イギリスが壊れていく

「日英同盟」の復活をよろこぶ日本の保守系のひとたちを、このブログでは「意味不明」と解してきた。

その英国で、4日(日曜日)、大規模なデモが暴動へと発展し、労働政権スターマー新首相は、「極右による暴動を許さない」と厳しく発言し、すみやかなる逮捕・拘禁、起訴、有罪を行うと公言した。

彼はかつて、司法の場にいたひとで、そのときの経験と実績から「本気」だと言ったのである。

ことの発端は、大量の移民政策の失敗である。

はたして、これが「ブレグジット」の賛成多数になったのではなかったのか?
大陸のEU官僚が割り当てる移民数への反発(国家主権)そのものだったはずだ。

しかして、保守党がからめ捕られたよりも、労働党は、はじめから社会主義政党なので、当然だがグローバル全体主義を標榜・支持している。
つまり、ブレグジットには反対だし、移民の受入には積極的なのである。

ようは、世界経済フォーラムのアジェンダに、保守党政権よりも協力に従って、推進する、という立場の政党を国民は選択させられた。
その理由が、英国の選挙制度は完全小選挙区制であるためだ。

こうしてみると、まだ国民のための政治をやっているようにしていたのは、わが国でも「中選挙区時代」だったことが思い出される。

ひとは目に見えることに反応する。

ゆえに、4日からの「暴動」だけに目がいくが、物事には手順がある。
これからすると、事の発端は、かなり以前にさかのぼるのである。
そして、数々の小さめな事件がミルフィーユのように重なって、ある一点で爆発する。

たとえば、わが国が経験した「上海事変」もしかり、である。

小説やドラマの製作手法にも、「理不尽に耐えに耐えた被害者が、ついには復讐の鬼と化す」というストーリー展開がある。

今回の場合には、子供や女性たちが命を失う被害者で、なかには少女もいたし、それを傍観する政府がいた。
それで、郊外のホテルに税金で移民を収容していることに抗議していたひとたちに、「加勢」したのが暴徒だったのである。

わが国では、埼玉県あたりでみられている光景で、地方行政も警察も、移民を「保護する立場」で、もとの住民を被害者とは認めない、英国の構造と共通がある。
なお、埼玉の当該エリア住民たちが「自警団」を構成したとのニュースもある。

つまり、わが国の未来像が4日からの暴動に揺れるの英国なのだ、ともいえる。
いやいや、我慢強い日本人は、とにかくひたすら耐えるのだ、という意見もあろうけど。

英国保守党政権のグダグダは、サッチャー女史を追い出したところからはじまる。

つまり、これもいま起きていることをみても仕方なく、かなり根が深いのである。
むしろ、サッチャー政権をある意味リスペクトしていたのは、労働党のブレア政権の方だった妙があった。

当時、新首相のサッチャーが掲げたのは、ハイエクの名著、『法と立法と自由』だった。
彼女は、「われわれの政策はここに書いてある」といって、かばんからこの本を取り出した。

いま、ハイエクを語るものが「保守」にもいないのは、ハイエク自身が「保守主義を批判した」からでもあるが、西側世界がグローバル全体主義にからめ捕られてしまったことの方がおおきい。
定義が不明瞭な保守主義は、なんいでも形を変えることができる得体の知れないものだ、と。

そんなわけで、わが国も、もう「保守」を語るのはやめた方がいい。
そうやって誤魔化し、誤魔化されているうちに、結局は、社会主義者や共産主義者やらのグローバル全体主義に乗っ取られるからである。

日本の政界はほぼ乗っ取られたので、これから各地で今回の英国でおきたような、小さな事件が頻発することになるだろう。

それから、どうなるのか?は、英国をウオッチしていればいいのである。

雇用保険法の共産化改悪

5月10日成立し、施行が来年4月1日という「間」があるために、ちょっと油断していたけれど、その実体のおぞましさについて書いておく。

主な改正(改悪)点は以下(施行予定順)のとおり。
・教育訓練やリ・スキリング支援の充実(一部は2024年10月1日、2025年10月1日施行)
・出生後休業支援給付の創設(2025年4月1日)
・育児時短就業給付の創設(2025年4月1日)
・育児休業給付に係る安定的な財政運営の確保(一部は2024年5月17日)
・その他雇用保険制度の見直し(一部は2024年5月17日施行)
・雇用保険の適用拡大(2028年10月1日施行)

一見して、なんだかいろいろと「くれる」から、いまより「お得」にみえる。

いかし、いまや邪悪の権化と化した「厚生労働省」なのである。
大臣は、あのケンカ太郎こと、日本医師会のドン武見太郎の息子で、医師会による厚労省乗っ取りに成功したやからだ。

もはや医師会とは、反社団体ではないか?
ちなみに、大学医学部や大病院勤務医は、医師会に加入していない。
基本的に、医師会に加入するのは開業医(個人事業主)である。

どうして、厚生省と労働省を合併させたのか?
あたかも、2001年に日本人が自主的につくった役所のようだが、ほんとうなのか?

橋本龍太郎内閣で、「行政改革」をやっているさなかに、ときの厚生省では特養ホーム建設に絡む汚職や、大蔵省解体のノーパソしゃぶしゃぶ事件などが相次いだのである。
いまとなっては、これら一連の事件も、「つくられた」感がある怪しさにみちている。

国民世論を盛り上げるための「鬼」づくりたというわけだ。

政府に都合のよいことのために、政府部内に「鬼」を仕立ててこれを退治すれば、すっかり国民はだまされるという仕掛けである。
国民のIQを下げるのが、文部省と放送を司る郵政省(総務省)である。

今回の「改悪」の根底には、「雇用の流動化」というもっともらしい理由がある。
自己都合退職が「有利」になる、という設計になっているからである。

しかしこれは、ある意味で「罠」だ。

消費税もからんだ議論となるのは、それが「人件費」にかかる消費税のことなのである。
そのためには、消費税とはなにか?を問い直さないといけない。

端的にいえば、「付加価値税」なので、付加価値とはなにか?にもなる。

じつは、付加価値に人件費は含まれるが、外注費となった人件費は付加価値ではない。
ここに、企業が正社員ではなくて派遣を好む理由があるのだ。
さらに、輸出企業には消費税は還付される仕組みがある。

そんなわけで、わが国には労働市場がないにもかかわらず、あたかも労働の流動化をするとは、正社員を自己都合退職させて派遣労働者にさせようという魂胆がみえてくる。
そのわずかなご褒美が、以上の手厚い?雇用保険というわけだ。

ほとんどが中小企業のわが国(どこの国も同じ)では、抜けた社員の穴埋めが困難だから、もう一つの目的は、中小企業の廃業を促すことにある。
しかし、ただ廃業させるのではなくて、企業買収させて、(外国の)投資銀行やらに手数料がはいる仕組みも用意している。

いわば、完全「売国政策」なのである。

また、パートタイマーにも「手厚い」という余計なお世話は、本人から「保険料を徴収する」こでのはなしだ。

面倒くさい国になっている。

パリについての文章で旅したつもりに

史上最低だろうが、視聴率がとれなくてテレビ局が赤字になろうが、わたしはパリに行ったことがない。

フランスに入境したのは、約40年前にイタリアからシャモニーに踏み込んだのと、ベルギービールを飲みにベルギーへいくときに、シャルルドゴール空港に降りて、そのまま新幹線でベルギーに入境しようとした。

あいにく、目的地のブリュージュに直行する列車が出発したあとで、リールからローカル線に乗り換えることとなった。

それがまた、東京駅と上野駅とまではいわないが、駅が離れていて、街中を徒歩で通過するはめになった。

このときのリールの街の荒廃ぶりは、なんだか日本の暗い未来感があったのである。
エジプト・カイロの雑踏を思い起こさせたからである。

それで、レンタカーでベルギーとフランスの国境の村(ベルギーでは珍しくブドウ畑があってワインを作っている)に行き、そこの幅1mほどの小川がフランス国境だったので、散策のためのかわいい橋を渡って再度フランスへ入り、ものの数分後にベルギーに戻った。

帰国も、またシャルルドゴール空港からだったので、フランスには都合4度行ったことにはなっている。

いっとき、猫も杓子もおフランスのパリをめざすブームがあった。

パリが、「花の都」といわれた時代だが、いつだって「フランス革命」(1789年から1795年:日本では「寛政の改革時代」)の後のことだから、どうせロクでもないとおもうが、芸術家でパリを知らずにはいられないほど、フランスに余裕があった時期のことではある。

もちろんその余裕は、アフリカ支配からのものだったのは言うまでもない。

そんなわけで、100年ぶり3度目のパリ・オリンピックというものいいから、最初が1900年(明治33年)、2度目が、1924年(大正13年)なので、2度目の3年前から『新小説』に連載された、島崎藤村のパリ滞在記『エトランゼエ』を読んでみることにした。

なお、藤村が神戸発のエルネスト・シモン号に乗船したのは、1913年(大正2年)のことで、御年42歳のことであった。
ちなみに、翌1914年から18年まで、ヨーロッパは、第一次世界大戦となるので、藤村はきな臭い中に飛び込んだことになっている。

わたしにとって、藤村といえば、中学1年のときに読んだ『破戒』が初で、意外にも、『初恋』は暗誦している。

『夜明け前』や『家』といった、暗めの話しは、わたしの中ではなんだかしらないが信州という共通の舞台がある横溝正史のドロドロにつながっていて、その理由が、藤村と姪(こま子)とのドロドロがあったのだとわかったときに妙に納得したのである。

もちろん、戦争の匂いがするのに出国したのは、姪のこま子を妊娠させたことからの逃避だった。

それでも1916年(大正5年)に帰国すると、やけのやんぱちかどうかはしらないが『新生』を書いて、この不倫を自ら暴露する。
はたしてこれが「自然主義文学」なのか?と、批判されるのは、なんでもかんでも赤裸々に描けばいいってものではないだろう、ということである。

わたしには、橋田壽賀子の『おしん』の米問屋を破産させた、「婿」が藤村と重なるけれど、入水して自決した婿の潔癖さも藤村にないから、近くにいたら実に困った御仁だとおもうのである。

この手のドロドロは、あの手塚治虫も得意?としていて、『アポロの歌』(1970年)では、神奈川県が「有害図書指定」するほどで、その後の『奇子』(1972年)は、作家に続編の執筆意欲があってもあまりのことに絶筆となっている。

これは、人間の性なのか?はたまた、縄文以来の日本人特有の「おおらかさ」なのか?
しかしながら、『アポロの歌』をどうして神奈川県が有害図書指定したのか?よくわからない。

ゲノムからクローン、はたまた、「月桂冠」の由来である、ギリシャ神話(アポロとダフネとの悲愛)、それに『火の鳥』をイメージする輪廻転生のなかにあるひとつの「地獄」が、あたかも『ファウスト』のように描かれていて、もしや神奈川県のお役人たちはこの話についていけなかったのではないかとおもわれる。

なんにせよ、そんなグダグダな事情の藤村がパリに暮らした記録は、どんなものか。

当時のパリ自体が語る街の風景と、そんな日本人作家の語ることを交えて、「行ったつもり」になるのである。

映画『チャンス』よりひどい現実

1979年の映画『チャンス:オリジナルタイトルは、Being There』は、奇しくも主演した名優、ピーター・セラーズの遺作になってしまった。

わたしはこの映画をいつどこで観たかをすっかり失念しているけれど、その破天荒なストーリーと深い演出で、それなりに記憶している。

あらすじをこれ以上ないように大雑把にいえば、庭師で知的障害がある主人公のチャンスが、日本のむかしばなし「わらしべ長者(『今昔物語』『宇治拾遺物語』)」に似た展開で、最後に自分の意志とは関係なく大統領候補にされる、というファンタジー・コメディだとおもっていた。

しかし、約半世紀のあとのいま、まったくもってこの映画のような、すなわち「ファンタジー」でもなんでもなくて、どこも「コメディ」だと嗤えない、ただひたすら現実になっていることが信じられないほどひどいのである。

それが、バイデン撤退とカマラ・ハリスの候補者選定の流れに観る、むちゃくちゃだ。

まずはじめのおかしなことは、「大統領免責特権」があるアメリカ(韓国にはこれがない)で、現職大統領だったトランプ氏の「機密ファイル持ち出し問題」が、連邦特別検察官によって事件化され起訴に至ったのである。

先月はじめ、連邦最高裁は、「大統領免責特権」についての画期的解釈を示す判決を出して、トランプ氏の事件は自動的になくなったとみられている。
なお、この余波で、起訴した連邦特別検察官の任命が違法だという指摘もされて、任命した司法長官の責任問題にもなっている。

これに先立ち、オバマ政権の副大統領だったバイデンにも、機密文書持ち出し問題が発覚したが、トランプ氏とは別の連邦特別検察官はバイデン自身から直接に調書(録音も)をとっていたが、なんと大統領免責特権がない副大統領にもかかわらず「不起訴」となった。

理由は、高齢による記憶力の減衰が認められ、この可哀想な老人を起訴したところで陪審員全員から有罪の評決を得ることは困難だ、という勝手な憶測によるものだった。
しかも、「録音」は、司法省によって一切公開を拒否されていて、どの程度の「記憶力の減衰」なのかをアメリカ国民に知らせようとしていない。

この不起訴処分の前段の理由だけで、現職大統領としての職務遂行能力が疑われるのは当然だ。

けれども、アメリカ民主党という全体主義政党は、この段階に至ってもバイデンを引き続き次期大統領候補にすべく、州の伝統的な予備選挙日程やら予備選挙投票結果の無効をいいだすなどの強権で、「圧倒的支持」としてきたのである。

もちろん、有力対抗馬のロバート・ケネディ・Jrに関しては、あらゆる方法で「排除」を決めて、とうとう民主党といえばケネディ家というほどの血統をも、無所属に追いやることに成功し、なお、各州からの候補者資格を得られないような妨害活動もやっている。

ところが、これも本来は民主党が仕込んだ、やたらと早期の「テレビ討論会」(民主・共和料とも全国大会の前=正式に大統領候補に指名されていない状態)での、バイデンの決定的な呆け症状の発露によって、「バイデン降ろし」に火がついたのである。

どうやらこの討論会を主導したのは、腹黒さで当代随一のオバマだったことが判明した。

しかして、オバマが糸を引くなかでの、「選挙撤退」となったのだが、さすれば数千万人が投票した「予備選挙」はなんだったのか?

こうして、いつの間にかカマラ・ハリスがあたかも正規の候補者になったのは、アメリカの選挙法における選挙資金が目当てなのである。
「バイデン」の名で集めた資金を合法的に委譲できるのは、現職の副大統領だけだからである。

アメリカ大統領選挙は、大統領と副大統領、二人の候補がセットになって闘うものだから、前回の選挙が生きていて、選挙法上もこうした扱いになっている。

意図せざる結果として、こうやって、密室で候補者が決まることを全世界にみせてしまった

3日のわが国での報道では、「カマラ・ハリスが正式に大統領候補に決まった」とあるが、民主党全国大会は19日から22日を予定しているから、あくまでも現段階では「事実上」と書かないとルールが不明瞭になる。

こうした「既定」を勝手にマスコミがしたら、全国大会の意義はなにか?になる。

ちなみに、紅麹問題でゆれるように見せかけている小林製薬の役員人事についても、NHKは、小林製薬広報が否定コメントをだしているのに、具体的な「人事」を報道したのは、もはや「誤報」のレベルではなく、ただのインチキである。

まったく、共産党とおなじことをやっているのは、マスコミも同罪なのである。

なぜにバイデン降ろしに本人が同意したかといえば、
・修正憲法の規定から、大統領職を失職させる脅し(不起訴が証拠)というムチ
・次男のハンターをはじめとするバイデン一族による汚職の見逃しというアメ
こんなことも、世界に知らしめた。

ちなみに、バイデンを不起訴にした連邦特別検察官は、不起訴理由の記者会見の直後に辞任し、さっさと逃げだして命の危険からも回避する賢明さを発揮した。

それに加えて、トランプ氏暗殺未遂事件については、共和党連邦下院議員が独自の捜査を開始すると発表している。
とにかく、要人警護の専門部署たるシークレットサービス自体が、民主党によって汚染されているし、捜査を担当するFBIも同様なのだ。

シークレットサービスといえばむかしは、財務省の管轄で、本来業務は偽札捜査だったけれども、「9.11」以降にできた、国土安全保障省の傘下に移行したのである。
ようは、RINO(軍産複合体)のブッシュ(息子)政権時に設立させて、いまでは国防総省と退役軍人省につぐ巨大官庁になっているのが国土安全保障省なのである。

「火事場太り」のごとくまことにみにくい、「パーキンソンの法則」がそのままにあらわれているのである。

こんな状態のアメリカを、冷静にみれば、どこにも「民主主義」はないのだが、これこそが「民主主義」だといいはるアメリカ民主党の腐敗は、もはやジョークの領域にあるけれど、実体は、『ジョーカー』(2019年)のように恐ろしいのである。

全米からはじまって西側世界が、「ゴッサムシティ化」しているのだ。

持続不可能だから公衆トイレ補助金で有料化

なんでも「持続可能性」なる、官庁文学用語が幅をきかせているのは、国民個人の奴隷化に8割ほど達成したから、つぎに「個人事業」や「法人」を狙っているのはまちがいないとおもわれる。

ようは、バラマキによる「国民の総乞食化」なのである。
これを推進する政治家やら役人も、自分たちこそ乞食化していることに気がつかないのは、阿呆をエリートだとする教育の成果となっている。

そんななか、官公庁という余計な組織(ほとんどの政府組織は国民にとって余計な存在である)が、7月19日から11月8日まで、「持続可能な観光の促進に向けた受入環境整備事業」の二次募集をはじめたのである。

この中には、たとえば「トイレの有料化」がある。

その他にも、「入域料」とか「協力金徴収」とかといった、課金化をすすめるのが、「持続可能な観光」になるという。

つまり、「持続可能な観光」の定義が狂っているのだ。

このとき、誰から徴収するのか?ということは書かれていない。
外国人から徴収して、日本人からは徴収しない、ということができるのか?もない。

なんのことはない、「観光の税金化」のことをいっている。

なるほど、たとえば、自動車税の本旨は、贅沢品を所有することの「罰金」である。
鹿児島は島津の殿様の末裔は、国道の道幅拡張に自宅の土地提供を拒んだが、そのときに「庶民が自家用の『籠』を所有し乗ることは、不届きなほどの贅沢だから禁止すべき」とのたまわったのだった。

上皇陛下の妹にして、今上陛下の叔母にあたる島津貴子さんは、夫君のこの発言をどう聞いていたのか?

いまどき、せっかく政府が国民を貧困化させたのに、観光するなどというのは不届きな贅沢である。
ならば、罰金を徴収して、中央やら地方やらの政府が肥えればいいのである。

ここに、愚か者の観光業者を肥らせようという発想はない。

似たようなものに、犯罪者から没収した資産は、「国庫」に入る仕組みだが、この「国庫」から犯罪被害者になにかしらの返金保証があるというものではない。
つまり、国庫が肥るだけなのだ。

日本政府は、徳川幕府よりもはるかにあくどい、政府と国民の区別をして、政府さえ栄えれば国民は貧困に堕ちてもかまわないとする、植民地経営の本質をむき出しにしている。
その宗主国は、英・米の大富豪個人の集団なので、あたかも収容所の囚人が看取補佐になっているのが日本の政治家と役人たちだという構図になっている。

さて、日本からの団体ツアーに加わって、外国で大型バス観光に出かけると、あろうことかトイレ休憩の頻繁さに驚くが、さらに驚くのがいわゆる外国のドライブインのトイレの貧弱さに辟易することになる。

圧倒的にブースの「数」がない。

逆に、外国人が日本のバスに乗るツアーでは、高速道路のサービスエリアにあるトイレがズラッと並ぶ姿に感動して、素直にカメラを向ける者も絶えない。

日本人と外国人とでは、膀胱のサイズがちがうのか?と語られることになるのだが、膀胱ではなくて「保水力」のちがいなのだ。

なんのことかといえば、米やら雑穀やらを主食にしてきた日本人は、飲む水もしかりだが、食事からもあんがい大量の水分を摂取している。
これが数千年間の時間をかけた遺伝から「体質」になっているので、トイレに行く回数がやたら多くなるのだ。

一方で、外国人、とくに白人種(欧州)は、肉食がメインであっただけでなく、水が貴重だったので、飲・食ともに水分を日本人ほどとらないで生きられる体質になっている。
彼らは、乾燥した冷気を肺に直接入れないよう鼻孔空間をたくさんとって、湿気と温度をあたえるために鼻が高くなったのとおなじぐらいの時間をかけた、体質のちがいなのである。

なので、国内であろうが観光地のトイレの利用は、圧倒的に日本人の方が多くなる。

だから、もしも外国人だけ有料、といってはいても、そうはいかない批判が出ることを想定すれば、やっぱり全員有料となって、「税」と同様になるのである。
なお、ヨーロッパのほとんどの公衆トイレは有料で、デジタル通貨が普及しようと小銭がないと慌てることになる。

当然だが、飲食店で湯水が日本のように無料で提供されることもない。
トイレの有料化とは、欧米化そのものなので、そのうち日本でも水をただで提供することにも「罰金」が徴収されることだろう。

大きくいえば、文化破壊なのである。

小さくいえば、役所だけが持続可能になるということで、利用者が貧困化してもかまわない、という見事な支配者からの差別思想がみえてくる。

なお、江戸時代に五公五民であったのは、農業(主たる米生産)の生産性がやたら高かったからだった。
一粒の籾が、秋には100倍になったのは、夏場における農民の草取り作業という献身的努力を伴う重労働の賜だった。

同時期のヨーロッパの麦は、せいぜい5倍の収量なので、パンが贅沢品だったのである。

ほんとうにトランプ政権が発足するのかはしらないが、発足の暁には、「第二次サッチャー政権」同様の、ハイエク型の施策が目白押しになることが確実で、そうなると、日本政府の社会主義政策がふっとぶ。

だから、トランプ政権ができる前のギリギリまでを締切りにしている(アメリカ大統領選挙の投票日は11月5日だ)のではないかと穿った目でみたくなるのである。

ただし、そうなれば本来の民間主導での自由な行動による、持続可能な発展になることはまちがいない。

ゆえに、これを阻止したい全体主義勢力が、何がなんでも無理矢理な理屈を掲げているのである。

郷土の教科書『地球の歩き方 横浜』

わたしの家は、横浜市にあると何度も書いてきた。
小学校の社会科での副読本は、『わたしたちの◯◯区』というもので、行政区ごとにつくられたものを使用していた。

ちなみに、昭和44年9月30日までは「10区」であったが、翌日から「14区」に分区された。
いまは、さらに分区されて、「18区」ある。

『わたしたちの横浜市』という市部全域については、特に習ってはいない。

学校での「君が代」斉唱は、公式行事ごとの儀式にあったが、『横浜市歌』がのしてきて、「国歌」が横に追いやられた感があった。
続いて、「校歌」を歌ったものだ。

それで、森倫太郎・鴎外作詞の『横浜市歌』にある、歌詞から、横浜とはどんな町なのかを習うのである。

ちなみに、『神奈川県歌(県民歌)』というものがあるのかさえしらないで生きてきたけど、ネット検索したら出てきた(『光あらたに』昭和23年)ので驚いた。
県立高校生だったが、一度も聞いたことも歌ったこともない。

わたしは保土ケ谷区に生まれたが、小学校は近所の西区の学校に「越境入学」した。
すでに、ドーナツ化現象がはじまっていて、生徒数を確保するのが学校長の仕事になっていたし、あんがいと「学区」の規定も緩かったのである。
なお、2年ちがう妹が入学したときは、区がちえども近所の人の家に住民票を移している。

そんな事情で、『わたしたちの西区』を学んだので、保土ケ谷区のことをよくしらないまま還暦をこえた。
元来「西区」は横浜駅を含む狭い地域だが、これは戦争末期の1944年に中区からの分区なので、わたしが小学生の頃に新設の旭区と分区された保土ケ谷区とは趣がことなる。

これはこれでおそろしいことである。

地元のことを知っているようで知らないし、それがまたおとなの事情に依存しているからだ。
中学で保土ケ谷区側に合流したわたしは、保土ケ谷区側の小学校では、分区した旭区と一体の保土ケ谷区を習ってはいないはずが、副読本の方が古いままだったと聞いて妙に安心したものだ。

初等教育をバカにできないのは、高等教育よりも人間づくりの基礎になるからである。

だから、小学校教諭になるには、師範学校(教育学部)をでないといけないのに、中学校以上なら一般大学の専門科目をとって、ついでに「教職コース」を履修すればいい。
大学はもっと適当な方法で、教員になれる。

1985年にエジプトから帰国して、なぜか声がかかって『地球の歩き方 エジプト・イスラエル』の初版執筆陣に加わった。
学卒で会社に就職する前に、共著とはいえ自分の「著作」が世にでたのである。

昨1日、その『地球の歩き方』から、「横浜」がでた。
しかも、横浜を代表する大手書店、「有隣堂」で購入すると、「オリジナル表紙」がついてくるというから、久しぶりに足を運んで購入した。

なんとレジ傍に特設コーナーがあって、横浜名物のお菓子『ハーバー』も表紙と同じデザインの箱に入って販売されていた。
けっこうな「プロジェクト」になっている。

たまたまわたしが行ったときには、同書購入者としては先に二人が手に取っていて、あんがいと売れていることがわかった。

ちなみに、「有隣堂」は、郷土の出版社でもあって、神奈川県内の歴史や地理、すなわち「地志」を数多く出しているから、ただの書籍や文具の小売店ではない。

370万人の人口をかかえる「市」としては、わが国差大の横浜市ではあるが、いったい何部が売れるのか?
一種の、横浜市民の民度が問われているともいえる。

なにせ、横浜市が選挙区の菅義偉氏が総務大臣のときにできた、「ふるさと納税」で、日本一市民税収入が減ったのが横浜市なのだ。
横浜市民は地元への市民税を忌避しているけど、苦しくなって企図した「カジノ」も失敗した。

わたしは、菅氏はカジノをやりたくて、ふるさと納税をやったのではないか?と疑っている。

1%(100人にひとり)で、37千部となるから、いまどきなら大ヒットになるけれど、どんなものやら。
わたしがかかわった『エジプト・イスラエル』は初版で三万部だったと記憶している。

それにしても、全18区のすべての「歩き方」だというのは、そんじょそこらの観光客を相手に書かれたものではなく、まさに地元民向けの「全市対象 わたしたちの◯◯区・ガイド」なのだ。

「横浜市」を習う、中学生の社会科の副読本になればいいけれど、ちょうど夏休み中だから、「自由研究」として市内を歩くのも「おつ」なはなしである。

おとなでも熱中症に気をつけて、歩いてみたくなる。


パンがないならお菓子の妙

オリンピック・パリ大会の開会式では、あたかも「フランス革命の断頭台」のイメージまでが演出されて物議を醸した(欧米で珍しいことに主宰者が「謝罪した」)という。

「という」というのは、オリンピックやらにわたしが興味ないから観てないことの聞き伝えだといいたいからである。
まぁ、改善策を一ついえば、国別対抗をやめたがいいのだが、オリンピック委員会なる団体の怪しさが消えるわけでもないからどうでもいい。

「革命」だから、民衆が王様や貴族を殺めるのが正義のようになっている。

これぞ、モーゼの「十戒」のなかにある罪なのにだ。
「汝、殺す勿れ」は、第6番目で、5番目の「父母を敬うこと」と、7番目の「姦淫をしてはいけないこと」の間にある。

1番は、主が唯一の神、2番は、偶像崇拝の禁止、3番は、神の名をみだりに唱えないこと、4番は、安息日を守ること。
8番は、汝盗む勿れ、9番は、隣人について偽証しないこと、そして、10番が、隣人の家や財産をむさぼってはならないこと、である。

こうしてみると、先進国やらの文明社会では、前半の4番までは一旦置いても、それ以外について見事に「十戒」は壊れて(人為で壊した)しまったことがわかる。

まさにいまは、「革命」が実行されて久しい、といえるのだ。

それゆえ、「革命に失敗した」ロシアでは、いかに共産党から弾圧されても、とうとうロシア正教が生き残り敬虔な信者がいまの社会を構成している逆転があって、大多数が「反革命」をいうから西側の革命勢力がロシアを憎んでいるのである。

さてフランス革命で、断頭台の露と消えた人物の最高位にあったのは、ルイ16世だった。
「太陽王」といわれたルイ14世の後継は、曾孫のルイ15世で、その孫がルイ16世である。

王権の後継としては三世代だが、血縁としては間にいろいろとあるのは、わが国の白河天皇からの血のグダグダと似ている。

ちなみに、絶頂期の終わりを象徴させた映画、『ルイ14世の死』は、主治医の立場が際立つ最後のセリフが怖かった。
こんな医者たちにかかりたくないが、国民皆保険が徹底されているいまのわが国では、逃れようがないので厚労大臣が威張っていられる。

さてフランス最後の絶対君主だったルイ16世だが、フランス最初の立憲君主という立場になって、それからは「カペー」という本名の姓で呼び捨てにされる没落を一身で背負った。

王妃マリー・アントワネット・ジョセフ・ジャンヌ・ド・アプスブール・ロレーヌは、神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世の息女(第15子・第11女)にして、母はマリア・テレジア共同統治者(神聖ローマ皇帝カール6世の娘=男系最後の女性君主)である。

男系が女系にかわると、ややこしいことになるのがわかる。
なので、「皇統」を断ちたいと願う革命勢力は、ひとまず「女姓」を君主に推進する戦略をとる必然がある。

それでうまいこと「女系」がはじまれば、「血統」を戻すには遠い親戚まで辿るひつようがある。

さて遊び呆けたマリー・アントワネットを象徴するのが、「パンがなければお菓子を食べたらいい」との発言がいまだに憎悪をあおる宣伝につかわれていることだ。

しかし、ヨーロッパは気候と地質から、穀物が貴重なので、実はパンこそが「贅沢品」だったのである。
地面に勝手に生える草は、日本のように大きく育たないために家畜の放牧に適し、肉の生産に貴重な穀物を用いずに済んでいた。

そんな状況下、太陽王時代から「砂糖」が穀物を凌ぐ重要な商品になっていた。

つまり、アフリカの奴隷によるサトウキビ生産であって、ゆえに、ヨーロッパでチョコレートが大流行したのである。

そんなわけで、貴重な穀物からできるパンがないならアフリカからやってくる砂糖でのカロリー摂取をいったのだとも解されている。

ただし、精製した白い砂糖には「中毒性」があって、インドからヨーロッパに伝わった当初は「薬」として扱われていた。
なお、砂糖の精製方法もインド人が考案したというが、それは、阿片の精製とおなじ方法なのであるから、砂糖の精製は、当初「麻薬製造」をしていたのである。

われわれ日本人には理解し難いのは、コメを中心にした穀物が豊富にとれる多湿・温暖な気候のおかげからの食文化の決定的なちがいからのもので、欧米人には「主食」という概念もなく、日本人がふつうにしている「口中調味」もできない。

そんなわけで、コックは、パン屋とか菓子屋をおなじ「コック」とは認めずに、区別している。
コック服の向こう側は、意外とシビアなのである。

建築でいえば、大工と設備屋の区別に似ている。

麺を、音を出してすすれるか?すすれないか?というマナーの問題ではない。
むしろ、麺をすすって食べることで、一緒に汁を多くとれるメリットがあると気づいた日本人の味覚に対して、欧米人は相当に鈍感なのである。

しかも、たとえばフランス人はついぞこの間まで、正確にはイタリア・フィレンツェの名門、メディチ家から嫁をとるまで手づかみで食べるのがふつうだった。
フォーク・ナイフを嫁入り道具として王宮に持ち込んだからで、庶民に普及するのはずっと後になるのだ。

その極致が、英国人の味覚で、英国料理に美味いものはないとは世界の常識だ。

しかしながら、世界中、どこを征服しても現地の食事を食べることができた味覚がえらく鈍感な英国人だからこそ、七つの海を制覇することができたともいえる。
逆に、味覚が敏感でグルメな日本人に世界征服はできない。

こんなことも、オリンピックを報道するのにマスコミはぜんぜん伝えないのは、それが「3S政策」のイベントにすぎないからである。