トランプのFRB議長解任のための請願

11日のブルームバーグ報告によると、トランプ大統領は、FRB(連邦準備制度理事会)のパウエル議長解任について許可を求めるために、連邦最高裁へ請願を行ったという。

連日の「関税問題」は、この大問題を隠すための戦略なのか?

FRBは、悪名高きウィルソン大統領時代に、議会の夏期休暇中を狙って成立させた「連邦準備法」に基づく、完全民間企業、である。
アメリカ政府は、この企業へ1セントの出資もしていないばかりか、大統領は議長を任命できるが、「正当な理由」がないかぎり解任できない「特別職」なのである。

このブログでなんども書いてきた、トランプ政権2.0の戦略目標は、「アメリカを再び偉大にする:MAGA:Make America Great Again」のスローガンに集約されている通りで、この戦略目標達成に全政府組織を従わせているのである。

もちろん、行政府だけでなく、連邦上・下両院を共和党が多数をおさえる中でのことだから、「法案成立」という最強手段も、この戦略達成のために行使するように図られている。

いまや「DS:ディープステート」は、アメリカでは陰謀論ではなく、「実体」として広く国民に認識されるようになった。
このDSは、グローバル全体主義という思想背景を持つので、国内ばかりにあるのではない。

それが、「国際金融資本(家)」という実体とつながっている。

FRBを所有するこられの者たちは、上位機関である「IMF」や「世界銀行」、さらに上位にある「BIS」も所有しているのである。
かんたんにいえば、ウィルソン大統領は、アメリカ合衆国を彼らに「売り渡し」てしまった。

ようは、これらから「国民政府に取り戻す」のが、トランプ政権2.0の戦略目標である。
よって、歴史的な「解体」作業に入っているのである。
対する、元IMFトップで、いまのECB総裁の、ラガルド氏は、「EUの米ドルからの脱却」を具体化するための「ユーロ電子通貨」の実現を発表した。

EUは完全にDSの配下にあるし、わが国「自・公・立憲共産」政権もまた配下にあるので、アメリカ=トランプ政権2.0とあからさまな敵対的な行動を取っている。
逆に、主体性のない「自・公・立憲」政権は、DSの命令に従っている、とかんがえれば理解はかんたんなのである。

それが、国内ローカルでいう反DSとしての「財務省解体論」になっている。

しかしながら、上の構図をみれば明らかなように、わが国のDSの司令塔は「日銀」なのである。
その日銀を、FRBのごとく日本政府から「分離独立」させた、「新日銀法」ができたのは、平成9年(1997年)橋本龍太郎内閣でのことである。

しかしながら、日本政府の持ち分は55%のままだから、橋本龍太郎の「抵抗」だったのか?どうなのか?まことに不可思議な「独立」なのだ。

さて、アメリカ連邦最高裁もいまは、共和党系が多数を占めているので、今回の「請願」が通る可能性はある。
だが、トランプ政権1.0で任命された、エイミー・コニー・バレット判事は、あのRINOの重鎮、ミッチ・マコーネルが推した人物で反トランプ一味なのである。

よって、この歴史的請願が通るかどうかは不明だ。

ロシアの中央銀行も、DSが抑えていると、「ロシア在住です」さんが、FRB解体と含めて鳥瞰した秀逸な解説をしている。

おそらく、最高裁で「不発」でも、トランプ政権2.0はあきらめず、議会による「法案成立」へのトリガーとして利用する順に設定しているはずなのだ。

間もなくその歴史的大転換の瞬間がやってくる。

これを、世界のマスコミは「反感」をもって伝えるはずなのは、本稿冒頭のブルームバーグも同様だからである。

孟子の湯武放伐論の対象となった自・公

「四書五経」の四書の最後にあるのが『孟子』である。

残りはちなみに「読む順番」として、『論語』、『大学』、『中庸』であり、五教は、『易経』、『書経』、『詩経』、『礼記』、『春秋』の順をいう。

教科書では、孟子は「性善説」に立つとして暗記させられるが、むかしの大陸の諸家は、日本人が「孟子」をしらないのは、伝えるために船に乗せても嵐(神風)で日本に伝播しないと評されていたとか。

この理由に、日本で決して「易姓革命」が起きないからとされていたという。

彼の大陸における王朝の変更は、必ず「易姓革命」であって、その正統性を論理で示したのが孟子の「湯武(とうぶ)放伐(ほうばつ)論」であった。
しかしてこの話は、大陸側が古来わが国の動静についてレポートして残していることが面白い。

あの『魏志倭人伝』も、そうして見ると、「気になる存在」だったのか?

さて、ここで出てくる「湯」とは、殷王朝の「湯王」のことで、「武」とは、周王朝の「武王」のことである。
湯王は、殷の前の「夏」王朝の桀王を、武王は、周の前の「殷」王朝の紂王をそれぞれ放逐して新王朝を建てた。

ようは「下剋上」であるし、もっといえば「主君殺し」である。

孟子はときの王に、この痛いところを突かれる質問を受けて答えて曰く、
「仁の徳を破壊する人を賊といいますし、正義を破壊する人を残と申します。残・賊の罪を犯した人はもはや君主ではなく、一夫つまりたんなるひとりの民となってしまいます。私は、武王が一夫の紂を討ち殺したと聞いていますが、君主である紂を殺したてまつったとは聞いておりません」(山本七平『日本的革命の哲学』)

孟子をどのように読むか?は、あんがいと変転がある。

徳川家康は孟子好きだったらしいが、それは、豊臣(王朝)を滅亡させたことの正当化でもあったはずで、幕藩体制が安定化すると孟子の扱いは低調になる。

それがまた、幕末には復活するのだが、幕府を滅亡させた薩長は、これを「易姓革命」とせず、「維新」と表現した政治センスは、日本人の特性を熟知していたからだとかんがえることができる。

そこに、松下村塾の吉田松陰の影響があるのは確かだろう。

孟子は、支配者における「仁」「義」特に、「仁」の喪失はどのような形に表れてくるのかについても語っている。

これぞ、現代の自公政権そのもので、まったく道徳がない者どもは滅ぼしてよい「湯武放伐論」が正当化される時代に堕ちている。

アメリカ合衆国憲法の修正第2条には、「武装権」が明記されているし、各州にも同じ定めがある。
政府が人民に「仁政」をなさなくなったとき、アメリカ人は武器をとってそんな政府なら倒してもよい。

なので、規律ある民兵の必要性が担保されていて、個人は武器を所持することが許されているのである。

ときに、民主国家の「憲法」とは、国民から国家・政府への命令書だから、このような条項があっても不思議ではない。

「仁政」を忘れた自公政権の憲法案にあるのは、彼らが支配者としての憲法を定めたい一心の内容だから、まったく話にならないのである。

それに、いまある憲法すら遵守する気がないのだ。

トランプ政権と「関税交渉」をするという愚かさに邁進するのは、戦前の比ではない。
この政権の戦略目標を無視した「交渉」はありえない。

自公のトップがそれぞれ、解体対象の中共と一蓮托生であることを示す訪中行動をとるのは、一体どんな了見なのか?

お仕置きしてください、という祈りにも似たことが、トランプ政権に向かっている。


日本政府の集団処罰の論理

集団を処罰するということを論理として成立させているのは、ユダヤ教(『旧約聖書』)にある、神に従わないイスラエルの民を神が滅ぼすことによって絶対化されている論理である。

ユダヤ教の神の激烈さは、「唯一絶対神、創造主、全知全能」ということの、本気の理解を要することにある。

これを、キリスト教とイスラム教がまたそれぞれの論理で引き継いでいる。

実は、宗教とは論理的でかつ哲学の要素を多分に内包しており、これらがしっかりとあってこその「世界宗教」になり得る要素となっている。
もちろん、神秘性も欠くことはないが。

日本人は、縄文からいままで、何世代もずっと日本列島に住んでいることに疑問を持つことがない。
このことは、案外と世界宗教的に珍しいのだが、それもまず意識することなく生活してきた。

外国人の目線からすると、ユダヤ人と同じで日本人は神からの約束の地に歴代、絶えること無く住んでいるのだ、と言われたら「はてな?」と思うかもしれない。
しかし、ちゃんと「古事記」や「日本書紀」に天照大神の「天孫降臨」としての神話「神勅」が残っている。

なんと、古代ユダヤ人たちがあらゆる艱難と神との契約を経て、ついにカナンの地にたどり着いたのとはぜんぜん違って、最初から日本列島にいる、ことになっている。

これは、完全なる「予定説」であって、「因果律」ではない、と解説したのは、小室直樹『天皇の原理』(1993年)だった。

聖書は神の予定=決定に基づく論理で一貫して記載されている。

しかし、天孫たる天皇は、古代までの「神勅=絶対的=予定説」が、承久の乱(1221年:承久 3年)で「因果律」へと変換されて、明治になって再び「現人神=予定説」へと復活をとげ、昭和の敗戦で再度「因果律」とされていまに至っている。

さて、ユダヤ教とここから生まれたキリスト教徒の決定的なちがいは、救済の対象が「集団」か「個人」かで分離することにある。
ユダヤ教は集団を、キリスト教は個人(しかも「内面」)を対象とする。
そして、ユダヤ教のばあいは、神が集団を処罰するのである。

平安時代の日本人は、「末法思想」にはまりこんでいた。
末法とは、仏教における「逆神化論」で、釈迦入滅後から世の中の人間はどんどん悪くなって、「仏法が滅亡する」ために、救済のための修行をする者すらも絶える時代をさす。

鎌倉仏教とは、この「末法の時代」における、あたらしい「救済」の提案であった。

それが、法然の「浄土宗」だし、親鸞の「一向宗:浄土真宗」あるいは、激烈な日蓮で、まったくもって、彼らの論理は、「パウロ」のそれ、つまり、救済は神(阿弥陀如来)の「念仏」か「法華経」を唱えれば向こうの方からやって来る、というキリスト教徒が驚愕する結論に至ったのである。

そんなわけで、フランス政府の宗教研究所は、浄土宗系の「仏教」を、仏教ではないと定義している。
仏教の本質は、修行による自己の救済にあるから、修行を否定することはあり得ないのだ。

つまるところ、わが国は、「末法の世」になって、1000年余りが経過した。

だが驚くにあたらないのは、釈迦の「次期仏」となるべく、弥勒菩薩がとっくに修行中で、56億7千万年後に世に下降するとの「予言」が仏典にあるからだ。

あと、56億6千999万9千年後にあらたな「正法の世」が来ることになっている。

しかして、わが国の仏教は仏教でもなくなったために、「法の不在」という事態となってとっくに1000年が経過したともいえるのである。

これを、川島武宣博士は、『日本人の法意識』(岩波新書、1967年)で、「明治政府は、ドイツとフランスの法典を模倣して、六つの基礎的法典を作った」けれども、「不平等条約を撤廃するという政治的な目的のために、これらの法典を日本の飾りにするという一面があったことは否定できない」と書いている。

つまり、「六法全書」とは、「鹿鳴館」での連夜の舞踏会とおなじことだった。

そんなわけで、日本人に、基本的な「リーガルマインド」がないのは、根に末法どころか仏教の放棄というすでにして1000年の伝統があるからなのである。

そこで、「末法の世」がさらに逆進化している現在、日本政府が日本国民を集団処罰するという段階に踏み込んだ。

もはや「民主主義」なる方便すら通用しない。

天皇に替わって「神」となった日本政府は、神への冒涜を許さないイスラエルの神とおなじく、政府への冒涜を許さない「集団処罰」をするまでになったのである。

わが国の政府は、古代イスラエルへと遷移した。

似た論理は、英国のスターマー政権である。
この政権も、古代イスラエル化を果たしたが、一方で、イスラム教をおおいに容認している。
しかし、イスラム教は「個人救済」の宗教ゆえに、「集団処罰」とは相容れない。
これが、英国国教会との絡みもあっての、大混乱の元なのである。

つまり、英国は、三大宗教の「るつぼ」に自らすすんでなるという「破滅」となったのである。

では、わが国はどうなるのか?

古来、わが国に取り入れられてきたのは、仏教以外では、儒教とキリスト教(ネストリウス派「景教」)で、イスラム教はない。
しかし、「神勅」の天皇が存在しているのである。

ちなみに、儒教も、救済の対象は個人ではなく集団であり、その方法が「よき政治」なのである。
儒教国家のはずの中国・韓国、ましてや「小中華」を自慢する韓国の政治混乱とは、一体何か?

さて天皇は、幕末・明治に国内では「現人神」への復活を遂げ、敗戦でまた影響力を削がれたが、英国陸軍元帥という序列(「ガーター勲章」が5代連続)に押し込められて150年となる。

わが国の正常化には、仏教の「正法の時代」を待つよりもなによりも「国学」の復活が最重要なのである。

実生活ではまったく「ひとでなし」だった島崎藤村の実父の生涯を赤裸々に描いた、『夜明け前』で、その青山半蔵は平田篤胤の国学に傾倒し、開国とともについに発狂して座敷牢のひととなる。
この悲劇は、まったく現代的なのである。

平田篤胤の国学が何だったのか?やら、水戸学、崎門の学を予備知識に持たないと、この小説の意味が理解できない。
逆に、「当時」の日本人の武士たちはこれらの「学」に精通していたので、現代はまったく退化したといえる。

それが、廃頽の大衆社会=末法の世、なのである。

姪との不適切な事態からフランスに逃げてヨーロッパ文明に冒された藤村は、あたかも暗い日本を「夜明け前」としたが、ほんとうはずっと長い末法の「真っ暗闇の中」のことであった。
混沌の『羅生門』が、いかに現代的であるかを観ればよい。

じつは、日本は、まだ夜は明けていない。

市場の多くが阿呆だと証明された

2日にトランプ関税2.0が発表されてからの「株価などの暴落」が、世界で喧伝された。

しかし、トランプ政権1.0でも、「関税政策」は実施されていたし、2024大統領選挙では、選挙戦ラリー会場でリアルに何度も聴衆に向かって「関税」について「公約」していたのである。

だから、政権発足後の「光速スタート」の実行力をみれば、トランプ政権が絶対に関税策を実行する政権であると普通に認識できるから、何も驚くには値しないのがふつうだろう。
それを、あたかも「寝耳に水」のごとき反応を示す日本政府やマスコミは、「演技している」としか思えない。

ところが、「(株式)市場」やら「(債券)市場」が大きく反応して相場が大幅に動いたので、あたかも連鎖反応のようになったのが印象的である。

とくに、一般人が取引相手ではない、つまり機関投資家というプロ相手の「(日本)国債の長期市場=30年もの」までもが反応して、大幅な価格下落(金利上昇)があった。

まさかの「入札」日と、関税率の発表が重なって、低調なはずの入札に拍車がかかって、落札するはずの安い価格水準の札までもが自動落札し、一部がこれをまた売却して「損」を確定したから、ほかの証券会社は「やめて!」と叫びたくなるほどの評価損を抱えることとなった。

これに、あの農林中金が別に作った損失の補填のために、なんとアメリカ国債を売却するという「暴挙」をやって、アメリカ側が震撼したのである。
すわ、日本政府による関税策への反発の強さよ!と。

ふつうに、わが国はアメリカの属国として、過去からの貿易黒字分を大量に保持させられているアメリカ国債を、所有権の行使として自由に売却することが許されていないことになっていたはずだ。

これを一度口にすれば、橋本龍太郎首相や、中川昭一財務大臣のように、「抹殺される」のが通例であった。

だから、今回の農林中金の売却を、農林省や財務省、それに日銀やらが知らないはずはない。
やれるものならやってみな!と突き放されてやってみたら売却できちゃった!というのが本当のところか?

じつは農林中金は、世界最大のヘッジファンドだと市場から認識されているのだが、それは、ソ連型の政府が仕切る民間ファンドなのだ。

ところで、トランプ政権2.0の「大戦略」は、中共解体とDS:Deep Stateの解体であることも、選挙公約から微塵も変化がない。
そのDSの解体プログラム中に、FRB解体=廃止があると、これまた公言しているのがトランプ氏なのだ。

わが国の場合、今国会で、原口一博議員が歴史的質問をして、「日銀の政府持分は55%」だという答弁を引き出した。
だが、残りの45%の所有者については誰なのか?答弁拒否の憲法違反が通った。

ここでも、憲法が解釈=慣習改憲されたのである。

「党」という組織内での常識に囚われる必然がある組織論の常識が、中共という巨大組織にも作用して、あろうことか「報復関税」で対抗してしまった。
その中共に、この時期に首相親書を持参する敵対行為も、アメリカ側はしらないはずもないが、これができるのも、与党の組織が組織内の都合に支配されているからである。

トランプ政権の見立ては、中共がWTOに加盟した2001年の「完全なる間違い」をもって前提としているのである。
この時のアメリカ大統領は、クリントンから引き継いだRINO=ネオコンの代表、ブッシュ息子であった。

今となっては屁理屈にもならない当時の論理は、「経済的な豊さを得れば共産国も自由化する」という、希望にもならない欺瞞だったのである。
それで、WTO自体が中共によって乗っ取られ、自由貿易体制そのものが歪んだのである。

しかるに、わが国政府は、ことここに至っても、自由貿易体制としてのWTOを堅持するというのは、中共の支配下に入り続ける、という意味に捉えられても仕方がないし、実際にそうなのだろう。

詳細なシナリオを書いているトランプ政権は、株価の一時的暴落も視野に入れていたろうから、なんの驚きもなく、ただ暴落後の「ここからが買いだ!」と思わず言ったトランプ氏の一言の方が、一歩間違うとインサイダーだと認定されかねない失言であった。

そんなわけで、数日で元に戻った相場であるが、数兆円がすっ飛んだことは間違いない。

株投資とは、いつでもどこでも「ゼロサム」なのである。

損をした者の後ろには、必ず得をした者がいる。
それが果たして誰なのか?
トランプ政権は、ちゃっかりウォール街とディールしているとみるべきだろう。

これが、ヘッジファンド創業者のベッセント氏が財務長官をやっている意味で、法学部をでた財務官僚が仕切るわが国が理屈でかなうはずも無い「必敗」の構図なのである。

残念だが、わが国は軍事官僚が仕組んだ大東亜戦争よりもひどい、経済官僚による経済戦争に負ける様相を呈している。

なぜなら、トランプ政権2.0の大戦略をみない振りをしているからである。

発展中止国

むかし、「発展途上国」といういい方がふつうだったが、これでは失礼だといういうことになって、「開発途上国」に変更された。

しかし、言葉には意味があるので、「開発」をドンドンやるために、資金をドンドン入れようということが「善」となったのだが、それがDOGEによって、「巨大マネロン」の仕掛けだったことが判明した。

もっとも、それ以前から、「アフリカ連合」は先進国やらからの資金が汚れていて、ぜんぜんアフリカ人のためになっていないことを主張していた。
とうとう堪忍袋の緒が切れて行動にでたのが、たとえば、西アフリカ・ブルキナファソ(Burkina Faso)の若き(暫定)大統領イブラヒム・トラオレ大尉である。

フランスのアフリカ利権が崩れだして、EU内での独・仏の支配が弛むことをおそれたマクロン政権がヨーロッパでの戦争を欲するのは、まさに第一次大戦前夜と似ているのである。

そのフランスは、10歳で人生が決まる『レ・ミゼラブル』よりもひどい苛酷な選別がある。

この点で、わが国はややマイルドで、中学・高校・大学のおよそ3段階の「選別」があるし、そもそも大学に進学するのに(貴族)身分はいらない。
とはいえ、難関校という人為に合格できるのは(準)貴族的な収入のある家庭に限られてきているので、「身分社会化」しているのが実態だ。

それでも、「四民平等」がほとんど完全実施されているという信仰に篤いわが国の常識が、まずヨーロッパで通じないのは、日本人にヨーロッパがいまでもむかしからの身分社会であることが理解できないからである。

その欧米によって開国させられたとき、領事裁判権と関税自主権がない、「不平等条約」に約半世紀も苦しんだのはわが国の重要な歴史だ。
なのに、アフリカのようにはならなかったのは、日本人の優秀さだということになっているけれど、ほんとうか?

むしろ、腹黒い英国の対露政策の中で、発展させられた、とはいえないか?

それが、戦後には、英・米の対ソ戦略から、ふたたび日本を発展させられたのだとかんがえれば、ソ連崩壊後の「発展中止」も含めて、辻褄があうのである。

ソ連の崩壊は、わが国のバブル崩壊と同時期であったために、日本人は「冷戦の終結」についてピンとこないままに生きている。
むかし活躍した評論家、竹村健一の人気は、いまなら絶対に放送されないことを直言していたことにあった。

そのひとつ、芸能界のスキャンダルをマスコミが大々的にキャンペーンしている裏で、かならず、国民にとって不都合なことが決定されている、というひと言が記憶に残る。

わたしにとっては世代がちがう、広末某の拘留にいたる事件の原因がなんだかに興味もないが、ドンピシャのタイミングにあるのは偶然なのか?

ときに、いまは、「トランプ関税」による、株安と債券安(金利上昇)に、マーケットが(過剰)反応し、それが世界同時の乱高下状態になっている。
トランプ関税の裏に、なにが隠されているのか?を、須田慎一郎氏がYouTubeで解説している。

それによれば、さいきん、影が薄い、「WTO」がWHO同様にC国に乗っ取られていることを前提として、各国がアメリカとの二国間交渉をはじめたのだというのは、説得力がある。
ふつうなら、WTOに提訴すべき話だからだ。

日本政府も、特使をワシントンに派遣すると決めたし、アメリカのベッセント財務長官もこれを認めている。
ただし、日本側の「論法」が相手を論破するはずもないのは、「関税自主権」があるためである。

はっきりと、トランプ大統領は、就任演説以来何度も発言しているとおり、ヨーロッパには「付加価値税」、日本には「消費税」が貿易障壁なのだと指摘しているのだ。

ただし、この就任演説の重要性はもっと巨大な「大戦略」を語っていることにあるし、それがゆえの関税だのといった各種政策と人事になっていることを忘れると、「トランプの異常性」という噴飯論になるから注意がいる。

時間をはるか以前に遡れば、アベノミクスについても、理屈に合わないばかりか、民主党野田氏の消費税増税に加えて、安倍氏も増税したのはトランプ政権1.0には文句のタネだったはずだが、積極財政という点で当時のトランプ大統領は評価していた。

これを方向転換させたのが、菅義偉政権以降なのである。

なんにせよ、30年以上経済成長しない世界的に珍奇な国になってなお、経済官僚は超が付く優秀だというには無理がある。

むしろその無能が、無能として評価されるべきである。

わが国は、「発展中止国」という、世にも珍しい国に成り果てたからである。

スポーツから人型ロボットを作る

むかし、「他流試合」というものがどこかに胡散臭さがあって、「道場破り」が商売になったことを蔑んでいた。

これには、幕府の「藩お取り潰し」による武士の失業の深刻さと、御家人やら大藩の江戸留守居役やらの自身の身分が安全な故の特権意識も関係しているのだろう。

いまようにいえば、正社員が派遣やパート・アルバイトをみる目がそれだ。

停滞した組織では、そんな正社員たちの歪んだ特権気分がはびこると、パート・アルバイトには、「言われたことしかしない」という了解が蔓延して、組織全体のパフォーマンスが見事に低下するものだが、原因の最深部たる奥に、そんな正社員を放置するような経営者がいるので、知らず知らずのうちに企業文化に変容するために誰も気づかないで沈んでいくものだ。

たとえば、スーパーを例にすれば、残念な職場環境の店は、パートさんが自店で毎日の夕飯の買い物をしなくなる。
だから、店長は、買い物客のポイントカードデータによる売り上げ分析よりも、店員たちの買い物実態を調べた方がよほど参考になるものなのだ。

歴史的失敗が予想される「大阪・関西万博」では、未来と称して中国製の「自動運転バス」が営業走行するらしいが、詳しい人によると、とっくに本物の自動走行バスが営業運転をしている中国からすると、地面にガイドを貼り付けるタイプの「古さ」が話題になっているという。

どうしてこうなるのか?はあんがいと簡単に想像できる。
文系の役人が仕切ると、成功している既存の実績のあるものしか採用しないからである。

これを「万博」でもやるのが、お役人様の習性というもので、「何かあったらどうする?」という言い分での「責任放棄」こそが、万国共通だから、「万博」に「出品」される意味があると考えればよい。

万博を主催する「協会」に、大量の役人が幹部として出向してくるのは、予算というカネを出すことの「見返り」だからで、実質「国営」の公共事業なのである。

一方、インフラ整備のための公共事業は、80年代半ばからの「構造改革」で、大幅に削減されたのは90年代のバブルを経て平成不況になってから本格化した。
また、人口減少からの「人手不足経済」という慢性病に陥ることが確実だという恐怖の刷り込みに成功して、外国からの「安い」労働力の輸入を図っているのが令和の日本政府のミッションになった。

要求しているのは、上に書いた正社員の堕落を放置する経営者たちである。

先月、テレビは東大の卒業式に突撃取材して、晴れやかだがどこかノータリンぶりをみせる東大生に、4月からの初任給を質問し「50万円」という回答を全国に放送している。

今どき、それを維持・継続・さらに昇給を得る困難を横にしての話に、全国の親世代を、「これぞ勝ち組」だとして脅迫しているのである。
果たして、先輩たちは今もその会社に在籍しているのだろうか?あるいは、その業界や企業にゴーイングコンサーンの思想はあるのか?に一切触れない怪しさに気づかい視聴者がいつものように洗脳されるのである。

ところで、人手不足を言うときの「人手」とは、一般に単純労働・未熟練労働を指すから、かような東大生が就く職はさぞや複雑で熟練を要するのか?といえばそうではなく、むしろ今後は、「A.I.と競合」する可能性が高いのだ。

それだから、単純労働のために外国人を輸入することになるのだが、困った経営者には、ロボットのことが頭に浮かばない。

今は、伝統武道でも多流派との交流によって、いいとこ取りを研究するのが当然となっている。
その典型が、大正から昭和に完成した「合気道」だ。

人間形ロボットの開発に、人体の動きを細かく分析するための「スポーツ」が深く研究されている。
そのひとつの商品が、テスラの「テスラ・ボット」だ。
価格は、ざっと300万円。

ここで、日本人が考えないといけないのは、テスラにできてなぜ日本のメーカーにはできないのか?なのである。
一方で、テスラ・ボットに対抗する中国製も大量生産の可能性があるのは、アメリカへの留学生やらの「仕事」だという評価から、「留学ビザ」の厳格化をトランプ政権2.0がはじめた。

人間型ロボットの動きが武道の極意から人間とおなじか凌駕することになれば、次が職業における動作解析という段階になって、あらゆる単純労働・未熟練労働への応用が可能なばかりか、熟練労働にも利用できるようになるのだろう。

そもそも、テスラ・ボットは、家事労働を補助するために開発されている。

しかして、日本の税制は家事労働を生産価値なしとしているが、この発想の「古さ」は、時代錯誤というレベルではない。

家事労働が無価値のはずがないからである。

産業立国や貿易立国の国是を捨てている日本政府とその指導者たる「自・公・立憲共産」政権の悪辣さがどこから生じるのかが不明だが、かつての日本だったらこんなロボットを発売するのは、まかしておけ、という気概があった。

それを懐かしむ時代になったのである。

端末普及したのに生産性があがらない

わが国でインターネットが一般に普及をはじめたのは、だいたい1995年(平成7年)頃からだった。
辞書的には、1984年(昭和59年)だとされているけど。

つまり、「昭和時代」に、インターネットは事実上ないも同然だった。

1985年にエジプトから帰国して、大学に4年生で復学し、早々に「卒論」に取り組んだけど、「(爆発的に)普及している」という経済新聞やらの記事に騙されたわたしは、秋葉原で「型落ち」のワープロをなけなしの30万円で買ったのを覚えている。

フロッピーはまだ「5インチ・ディスク」で、付属で「専用」のプリンターはインクがテープ転写式だったために、原稿用紙に印字を合わせる作業だけで、ずいぶんな印刷コストがかかった。
カートリッジ式の印字テープは、一回コッキリの使い捨て方式だったからである。

しかも、このワープロ「端末」には、通信機能がなかった。

逆に、「通信機能」があったところで、それがどんなものか?さえしらない時代だった。
それから翌年、ホテルに入社して、客室勤務になったときに目撃した外国人客は、客室の電話から「音声カプラー」で本国と通信していた時代である。

生まれて初めて買ったパソコンは、モノクロの墓石型、「Macintosh SE30」だった。
それでもまだ、自宅の電話回線(ダイヤル式)に接続することはなかった。

90年代後半にISDN回線が一般家庭に普及してから、ようやく回線接続して、なんとか頑張ったのが「パソコン通信」だったのである。
しかし、アマチュア無線の有線版のような、見知らぬひとと文字でやり取りすることがなんとなく不気味で、熱心さには欠けていた。

「インターネット」で、ブラウザ検索ができてはじめてその便利さを実感した。

そんなわけで、わたしが最初に手にした携帯端末は、10円だった「PHS」で、いわゆる「ガラケー」という言葉さえまだなかった時代のことで、小さくて軽くいのが重宝した。
ちなみに、女子高生の必需品だった「ポケベル」での文字通信は、わたしが高校を卒業してからのことで、就職したホテルでは業務用のローカル端末として使われていた。

ここで素朴な疑問として、昭和時代の生産性の方が今よりも高かったのはなぜか?が気になるのである。

人間の基本的な知識ベースが低下しているからではないのか?という勝手な解釈をしている。

それが「認知能力」につながるとすれば、当然に生産性は低下する。
もちろん、この認知能力を「読解力」と言い換えることもできるだろう。
もっと言えば、日本人間でも日本語が通じない、というコミュニケーションに関わる重大事だ。

細かくいえば、「語彙力」となるのだが、もしや動物のレベルに近づくようなことになっていないか?
普段の会話が、「ゲームプレイ」の状態に落ちているので、長文が理解できない。

受験勉強的になった学校の授業や塾での、「国語」の授業がいまどんな状況なのかしらないが、長文読解の訓練としてなにをやっているのか?
むかしは、難解な「超・悪文」が教科書に載っていた。
暗誦に値する「名文(章)」に、教科書で触れることは滅多になかった。

ハンナ・アーレントがゲーテの『ファウスト』を暗誦していたことは、前に書いた。

日本の武士の子なら、「四書五経」の暗誦は当然だったし、町人だって「論語」の暗誦をしていたのが、完全に退化したのである。
ユダヤ人(「ユダヤ教徒」のこと)が、いまでも子供に「トーラー(『旧約聖書』の「モーゼ五書」のこと)」を暗誦させているし、アラブ人なら「コーラン」を暗誦させている。

これが、どれほどの効果をもたらすか?は、強すぎて紛争の種になっているほどなのだ。

すると、日本の衰退ばかりか、ヨーロッパの衰退は、キリスト教における『新約聖書』のたとえば「黙示録」や「詩篇」の暗誦すら途絶えたことにあるのではないか?
アメリカ共和党トランプ派という、清教徒の流れをくむひとたちの篤い「信仰」は、この意味で興味深い。

トランプ政権2.0が目指す、教育改革は、教育省の廃止が目的なのではなく、各州の権限に教育行政を引き渡す事での、教育水準の底上げにあるという。
アメリカ人の認知レベルの低下に、トランプ政権2.0は危機感を抱いていると説明されるが、ことの根幹にキリスト教(プロテスタント)信仰への回帰があるとかんがえるべきだろう。

一方、わが国は、アメリカ民主党が仕切ったGHQの呪縛から抜ける努力ではなく、文科省の権益と日教組の権益維持とが一致するために、国民の認知力という視点からすれば、「悪化」しかない方策を推進している有様なのである。

いかも、学校はもはや自由設置ができず、文科省の認可を要することは、「加計学園問題」であからさまになったのに、マスコミはこれを別のスキャンダルにすり替えた。

黒柳徹子原作の『窓際のトットちゃん』が、昨年、国際映画賞を受賞して話題になったが、彼女が通った「自由学園」を、いま設立しようとしても認可が降りるはずもないことを、現代日本人はどう考えるのか?が抜け落ちている。

つまり、この物語の舞台である学校は、完全に「ファンタジー」となったのである。

それもこれも、通信端末は普及したが、「考える必要がない」までに飼い慣らされていることを感じもしないことが、重大な事態だと認知が行きつかないし、そんな風に考えることすら「させない工夫」に満ちているのである。

これを、奴隷化という。

そうやって意識を少しだけでも働かせれば、奴隷になるための教育のゴールが「受験」制度であって、「偏差値教育」がそれ、なのである。
「偏差値の高い学校=優秀な生徒が集まる」という仮説を、本当に信じるものがどれほどいるのかしらないが、いまや「信じるもが救われる」とはいえ「邪教」の状態になっている。

その信じ込ませるためのツール(道具)が、スマホなのである。

なるほど、生産性が上がらないばかりか落ちているから、賃金も上がらばかりか落ちているのである。

産業が防衛力

人類世界初の「総力戦」は、1904年から5年の、「日露戦争」だったために、これを「第ゼロ次世界大戦」と評するひともいる。
これには、戦争に明けくれるヨーロッパの事情が背後にある、いわゆるいまのウクライナと似た構造の、英・米によるロシアとの代理戦争に、日本人の血だけが流された意味もある。

ちなみに、この1904年はその前の1901年に暗殺されたマッキンリー大統領の副大統領だったセオドア・ルーズヴェルトが再選された年にもなって、マッチポンプをやったルーズヴェルトによる仲介で「ポーツマス条約」が成ったのだった。

なお、日本人には馴染みのないマッキンリー大統領をトランプ大統領は、最も尊敬する大統領だと公言している。

日露戦争の勃発は、日米修好通商条約(1858年:安政5年)から、わずか46年後のことで、大政奉還(1867年)からすれば、なんとたったの37年後のことなのである。

この37年とは、たとえば、第二次大戦の敗戦時が1945年(昭和20年)だから、1982年(昭和57年)までの時間とおなじ期間なのである。
近しくいえば、1989年(平成元年)から、来年の2026年(令和8年)という期間にあたる。

せいぜい農家の軒先での手工業の時代から、37年で近代工業国家になったというよりも、まだ「養蚕=絹」による紡績業(農業と工業の合体レベル)がわが国の外貨収入を支えていた時期で、本格的に重化学工業化を始めるのは、この後の第一次大戦の頃にまで時間がかかっている。

宇宙の大原則は、「鉄(Fe)」をつくる活動だ。
すべての「恒星」は、太陽もしかりで、核融合によって輝くばかりか、最終的に「鉄」を生成している。

それが、近代の人類社会にとって、「鉄は国家なり」というほど基本の工業製品になった。

たとえば、鉄道大好きの鉄ちゃん国家たるわが国は、世界最高峰の「レール」を作っている。
かんたんにいえば、たとえば新幹線に代表される世界最高峰の鉄道を敷設・運行したいなら、安全上でも日本製のレールしか選択肢にはいらない。

だから、「鉄は国家なり」は、いまでもうそではないし、この言葉は滅びてもいない。

A.I.を含むソフトウェアは、端的にいえば、「最高度の鉄をつくる」ための、「最高度のサブシステム」だといえるのである。
ここから、あらゆる応用がなされるのは、「鉄そのもの」と似ている。

「(国家)安全保障」を議論するとき、かならずでてくる「武器」の生産についてだって、自国で「鉄」が作れなければ、外国に依存するしかなく、その時点で「安全保障」の議論が縮むのである。

けれども、一方で、道具をつかうのはいつでもなんでも人間が必要で、その人間は水と食料がないと動けない。
ここに、「食料安全保障」があるのは当然なのである。

つまるところ、「総力戦」は、むかしより現代ほどあらゆる分野に拡大している。

「(全)産業」そのものが、「防衛力」を形成するからだし、国民という人間の素養もしかり、なのである。

ついては、これを「国力」という。

わが国は、日米修好通商条約の締結以来、「産業優先国家」としてやってきた。
あらゆる政策が、「産業」に向けられていたのが、昭和の末期から変容し始めた。
不労所得の「金融大国」になりたい、というのは、政治家や高級官僚たちが不労所得生活をしたいという意味だった。

こうして国民と政府が分離をはじめて、国民国家の看板が溶け出したのである。

これを一口に「グローバル化」と呼んでいる。

経済原則にだけ囚われれば、リカードの比較優位説を「自由貿易」の名の下に徹底的に押し進めたら、一国内だけでの「安全保障」は、ほとんどの国で成立しないことがわかった。
それは、資源の有無が支配する単純さにあるために、「安全保障」を一国で実現可能なのは、米・露・中の三カ国だけになったのである。

しかし、「中」が強いのは人口だけで、石油がない致命的な問題を一国では解決できない恨みがある。

よって、「米・露」だけの現実をみたくない、愚かな日本政府をして、負けるに決まっている英・EU(委員会)に接近させている。

これを、勘違いの「寄らば大樹の蔭」というのだけれど、英国とEUのどちらも単独で「安全保障」をまかなえるはずのない「マイナスとマイナスの足し算」にすぎないことを、日本の受験エリートたちが気づかない深刻な迷惑がある。

日・英・EUは、米・露に産業力でも勝てっこないのである。

そこで、二股を賭けるという、戦略的な間違いを平気でやるのがこれまた日本政府で、中途半端な大国でしかない「中」に、秋波を送ってはばからない厚顔無恥を世界に晒している。

たしかに、いまや、保有軍艦の艦数でも西太平洋を圧倒しているのが「中」ではある。
しかし、自国に「石油がない」という事実は、何度も書くが致命的なのである。
だからこそ、石油の埋蔵が確認されている「尖閣諸島」をわが物にする、「力での国境線変更」をあからさまにしている。

対して、ロシアへのおなじ理屈を叫ぶ人たちは、なぜかまただんまりを決め込んでいるのだ。

すると、わが国にとって原子力による艦船の建造能力が必要で、やっぱり核燃料をどうするかも現実問題になる。
それに、本来ならば、人手不足は「ロボット開発」で埋め合わせをはかるべきところ、なにもしない、という決定をして「生身の移民」を受け入れているのである。

それが、国民国家から「国民」を取り除く作業にすぎないことを、政治家も政府も認めないのは、抜け殻となった「国家だけ」が維持できればいいという安直でしかない。
しかして、このひとたちの子孫だって、国民がいない国家に棲まうことになるのを想像しもしないのはどんな了見なのか?

国民はこんな政府に、いつまでガマンが効くのか?が問われることになっている。

フェイクニュースをどうするのか?

日本国憲法は、言論の自由を謳っているけれど、憲法とは慣習法である、という大原則にてらせば、国権の最高意思決定機関たる「国会」における「慣習」の変更こそ、日常的におこなわれている事実上の「憲法改正」だと国民がしらない。

たとえば、最近流行っているのが、国会での大臣の答弁拒否の慣習化である。

このあり得ない暴挙に、野党がまったく役に立たないので、ほんとうに「慣習化」してしまった。
つまり、憲法にある、「国権の最高意思決定機関」が、国会から内閣・大臣(行政府)に移転するという「書き換え」が起きているのである。

慣習法だから、憲法にある「条文」よりも、実態が優先されるし、いったん慣習法化したら滅多にもとには戻らないのである。

もちろん、野党は、この暴挙に「条文」をもって「糺す」ことで、この憲法違反状態を正常化すべきであるが、どういうわけかスルーさせることで事実上の憲法改正に加担しているといいたいのである。

だから、ここ一番の質問に、大臣たちが「お答えを控えさせて頂きます」という、あり得ない対応が「流行る」のである。
これぞ、「憲政の常道」破壊のなにものでもない。

かくも国会が蔑まれるとは、ワイマール憲法に手をつけずにヒトラーの独裁を成功させた、「全権委任法成立」よりも酷いことにあたる。
かつてのドイツだって、「法」として明記したものを根拠とした「独裁」なのに、わが国では完全に「ステルス状態」で、日本国憲法の息の根を止めているのである。

ようは、与党による「憲法改正論議」なんていうのは、ただの見せかけのブラフにすぎず、すでに憲法は改正どころか、停止状態にある。

そんなかで、1日、SNSを対象としたデマ防止を理由とした「言論統制」がはじまった。

ネットでは、地上波のフェイクニュースを取り締まらないのか?という荒っぽい意見もあるが、これはいただけない議論だ。

政府による言論統制の問題は、誰が統制の対象を決めるのか?ということに尽きる。

政府=官僚にこれを決める権限を持たせることにあるから、あからさまな地上波のフェイクニュースでも、政府の統制を求めるのは、飛んで火に入る夏の虫のごとくなのである。

せいぜい、裁判官が決める、のがこれまでの常識なのだが、その裁判官が世界的に狂いだしている実態からすると、「どうするのか?」になるのである。

たとえば、アメリカでエルサルバドルに強制送還&刑務所収容された、とある移民の「帰国命令」を、連邦地方裁が出したとのニュースが話題を呼んでいる。
これには、トランプ政権2.0の「謝罪」の事実があるから、そのまま「ニュース」として流れ、トランプ政権2.0の非道さが巷間に広がる期待がこめられている。

しかし、残念ながら酷いのは「判決」の方なのである。

たしかに、行政的な手続ミスはあるが、送還された本人はアメリカ政府が指定した国際テロ組織のメンバーであって、誤認と帰国を裁判で要求した原告(本人の妻)も、また、この組織のメンバーで現役の活動家である事実が隠されている。

ようは、原告に原告としての資格があるのか?ということが無視されているのである。

この「ニュース」は、日本語では、共同通信が配信した。
わが国における「通信社」は、「共同」と「時事」の2社で、ほかに、経済ニュースの「日経」、「朝日」があるし、外国通信社の代表には「ロイター」、「AP」、「AFP」などがある。

建設業でいう「ゼネコン」と似ていて、通信社は新聞社などと「ニュース配信」契約をして、これらはいわば下請的に自身の紙面に記事を掲載することで、紙面の空白を埋めているのである。

ただし、契約上、どこの通信社からの配信かを明記しないといけないし、配信された記事を独自編集できないから、全文をそのまま掲載しないといけないのである。

たとえば、「ワシントン、共同」とあれば、ワシントンの共同通信からの配信記事です、という意味である。
ここに、「特派員」はなにをやっているのか?という疑問につながるのである。

なので、まずは、新聞や地上波などを、みない、聴かない、を実行するのが、なによりも重要で、政府の検閲やらの統制に期待するのはまちがっている。

玉石混淆なのは、ネットの常識なので、そのなかのSNSもしかり、というのは、議論の余地もないことである。
信ずるも信じないも、受け手の自由であるが、個人を攻撃したりするのは、当然ながら感心しない。

子供の狭い世界で、ネット空間での誹謗中傷に耐えきれず自死するような痛ましいことはあってはならいのだが、それならばスマホなどの端末を子供に所持させてはならない、とした方がよほど健全ではないのか?

とりあえず、「選挙情報」に対するフェイクニュースだけを対象にする、という憲法違反だけど、必ずや「拡大解釈」するのが、人類史というものの法則なのである。

これを、「蟻の一穴」という。

戦前ならば、「軍部」がやったことを、いま、「文官」政府がやっているのである。

ひとつだけ、国民には、「あぶり出し」のヒントになっているのが、どの政党が推進し、あるいは黙認し、どの政党が明確に反対しているのか?でふるいにかければ、だいたい正しい選択ができるということである。

「ヘル朝鮮」の韓国ヘル状態

4日、韓国憲法裁判所(わが国の最高裁判所にあたるが、「大法院」とは別)が、8人の裁判官全員一致で、「尹錫悦大統領罷免」の判決を下した。

いまや世界潮流となっている、裁判所=司法が、行政に対しておこす「クーデター」の成功、ともいえる事態だが、当の尹氏は、「皆様の期待に沿えず、とても残念で申し訳ない」とコメントしたと報じられている。

このえらく儒教的なコメントは、韓国人の琴線に触れるのか?

大統領空席の状態は、罷免から60日以内に大統領選挙が実施されることが定められているために、6月3日までに解消される予定となった。
隣国のこの状況は、わが国にも大きな影響があること必定だが、大手マスコミが大騒ぎしないのを、はたして「冷静な対応」というのかどうなのか?

じつは、えらく複雑な経緯からのことなので、「よくわからない」のが本当なのではないか?

「戒厳令」の短い時間に、軍最強部隊は国会ではなく中央選挙管理委員会に突入し、いまは野党の選挙不正の証拠を押収していた、という。
これに、在韓米軍も承知していた「噂」もある。

ときに、トランプ大統領は、現地時間の3日、国家安全保障局(NSA)のホーク局長を解任し、ナンバー2のノーブル副局長も国防総省内の別の部署に配置転換になったと報じられているが、理由は不明である。

このことと韓国情勢は関係するのか?

その韓国は、わが国よりも先を行く、「少子大国」なのである。

平和時の人口減少は、将来不安からという原則がはたらいて、おおくはヘンテコな政府の失敗が積み重なって、それがわざとだと国民が感じると生じるものだ。
これは、わが国特有の事態ではないということだ。

分断国家としての韓国や、日本から強制的に分離させられた台湾や、そもそも一党独裁のシンガポールなどでは、経済発展しているのに少子化が著しいのは経済衰退が著しい日本とは別の理由があるようだ。

2024年の状況(UNFPA:国連人口基金)は次の通り。
・日本:1.3
・韓国:0.9
・台湾:0.87(台湾行政院、22年)なお、中国は1.2
・シンガポール:1.1

ちなみに世界最高の特殊出生率は、ニジェールの6.6であり、わが国の過去最高は昭和22年の4.54である。
「3」を切ったのは、昭和27年で、「2」を切ったのが昭和50年だったから、長く核家族の典型が4人家族だったことの理由がわかる。

ただ、人口を維持するのに「2.1以上」ないといけないのは、単純に「数学」だから、昭和50年の時点から、「人口減少」と「少子化」、そして「超高齢社会」の3セットが確定したも同然なので、いまさら「対策」をいうのは、鈍感ではなく「何もしなかった」ことのいい訳にもならない。

それで、いまは一人っ子がふつうだから、まもなく「いとこ」がいない時代となる。

さて、戒厳令からの混乱が収まらない韓国は、一体どうなっているのか?
そういえば、自虐的な「ヘル朝鮮」が流行った国である。

そして、若年層が「反日教育反対デモ」までやって、「保守派」と対立している。

韓国の「反日(運動)」は、終戦時からアメリカ民主党が仕組んだ、「日・韓分断政策」の効果だといわれてもいる。
徹底的に、アメリカ民主党潰しをやるトランプ政権2.0の影響なのか?も、この混沌からはみえてこない。

しかし、上に挙げた「かつての日本」たる、韓国と台湾の「1.0」を割り込む実態とは、驚くほど早いスピードで人口が減ることを示すのである。

これが、外国からの国境線を動かす誘惑になる、ということもしっていていいのである。