EU三役の阿呆レベルで自滅はあるか?

EU議会選挙が終わって、フォン・デア・ライエンEU委員会委員長の二期目がスタートすることが確実になっている。

各国代表の「極右が台頭」したとはいえ、ライエン氏の再選を阻止するにはいたっていないからだ。

何度も書くが、EUとは、かろうじて「二権」(立法&行政と司法)分立をしている、おかしな国際機構である。
しかしながら、立法と行政がセットになっている、EU委員会という巨大権力機構を牛耳るのは、ひとりの委員長なのである。

もちろん、人間の能力や24時間しかない時間配分のムリから、EUにも委員長を支える「二役」が用意されているので、委員長を加えて「三役」というのである。

この手の情報発信の第一人者、『ニキータ伝』さんが伝えているのを、以下に超要約する。

ひとつが、外務・安全保障政策担当上級代表だ。
いってみれば、外務大臣と国家安全保障会議議長を兼務したような重職である。
現在は、スペイン外務大臣だったジョセップ・ボレル氏がその職にあるが、今年の11月までで、後任にはエストニア首相のカヤ・カラス氏ときまっている。

日本では岸田内閣の支持率が歴史的な低さで話題になっているが、バルト三国の北方にあって、バルト海の香港と呼ばれるほどに経済発展したエストニアを、任期中に失速させたために、不支持率70%という驚異の実績をたたきだしている。

このひとの父親は、ソ連崩壊時に大儲けしたオルガルヒ(新興財閥)で、エストニアにあっては、財務大臣から首相も務めていた。
わたし的には、ニュージーランドの首相で、世界経済フォーラム総ツ者シュワブ氏の秘蔵っ子だった、強権政治をやり抜いたアーダーン元首相を彷彿とさせる人物だ。

そのシュワブ氏も、引退して権力を失ったらいきなりセクハラで複数から訴えられている。

まともなコメントが楽しい、ロシア外務省は、このEU人事に、「狂気の度合いは更に増すだろう」とまともに発表している。

もうひとつが、欧州理事会議長の人事で、こちらは、ポルトガルの元首相、アントニオ/コスタ氏である。
この人事も、フォン・デア・ライエンのご指名らしく、「お仲間」を脇に抱えるのは、盤石に見えるが、じつは脆い体制づくりの悪手である。

ようは、ライエンは両脇に阿呆を配したのである。

ドイツに生まれた、ハンナ・アーレントは、若くして『ファウスト』を暗誦していた。
むかしの武士の子供も、『四書五経』の素読を通じて暗誦することができたのは、子供の脳細胞がインプットに適しているからだ。

なので、子供時分に暗誦できたものは、一生忘れない。

英国の傀儡となった明治政府が推進した、「学制」による学校教育が、素読の伝統を廃止したので、わが国に伝統的な教養人が絶えたのである。

ここであらためて、ウルズラ・ゲルトルート・フォン・デア・ライエンの誕生日をみたら、1958年10月8日生まれという、典型的な「戦後生まれ」なのだ。

すると、あたらしく白紙から建国された「東・西ドイツ」にあって、とくに西ドイツではどんな教育がされたのか?あんがいと日本人はしらない。
むろん、第二次大戦の敗戦国として、アメリカによる制度設計はその国を衰退させることはあっても、発展させるようなことはしない。

この両国の、戦後の経済発展は、日本でいえば明治生まれの頑張りによるし、その後の衰退は、戦後世代によるからわかりやすいのである。
いまのドイツも、わが国同様に「お困りのポリコレ」ばかりなのは、戦後教育の成果にちがいない。

なので、この人物も、与えられた範囲での勉学はできたけど、アーレントのように自分でかんがえることができないのは、「素地」に古典がないからだと推察するのである。

おそらく、『ファウスト』も読破したことがないのではないか?
あるいは、『ローマ帝国衰亡史』も。

わが国の議員でも、こうした古典をしらない人物が入閣して大臣になって権力行使の快感を味わっている。

いまや「G7」が阿呆づらばかりなのは、似たような境遇の人物たちが、真の支配者たちから都合よく利用されているからだろう。

バイデン降ろしが、本当に「予期せざる結果」であったなら、エリートと目されるひとたちの浅はかさだけが目立つのである。

さて、フランスでは「極右」が大勝利し、ソロスから命じられてカネをもらった左翼が大暴れしている。
あたかも、アメリカで「BLM]や「アンティファ」がやったのとおなじパターンである。

かんがえることができないフォン・デア・ライエンのチームは、これからなにをやらかすのであろうか?

もはや「哀愁のNHK」は解散を!

テレビを観なくなって久しいが、外食時に飲食店のテレビを観るとえらく新鮮に感じるのは、正気とは思えない内容をアナウンサーが真顔で、しっかりした日本語で伝えることをやっていることに、単純に呆れるからである。

原稿を読む、という作業を生身の人間がやるのは、あたかも知性ある者が言うのだから「真実だと演出」しているにすぎない。
A.I.にやらせたら、おなじ原稿でも信じる者が減って、プロパガンダ(政治的宣伝)の高価がなくなるとかんがえているからだろう。

民放の場合は、必ずしもNHKのような厳密さを追求しているわけでもなく、さりとて、放送内容の品質が悪いのは昔からだから、ニュースはNHKしか観ないと決めていた昔の自分をいまでも褒めてあげたい。

たとえば、先月28日の大雨に関するニュース報道で、とある民放は静岡県磐田市の河川が増水し、橋の直下まで水位が上がっている映像に、「欄干まで水が迫っている」とナレーションを入れて放送した。

「欄干」とは、橋などに設置する手すりのことで、足元の支えもこれに含まれるので、一概に「間違っている」とは言えないけれど、映像と言葉のイメージが違うことに、調整室にいるひとの誰も気づかなかったのだろうか?

それよりも、この橋を通行止めにするような要請を当局にすべきで、放送中にたまたま通行するものがいなかったのは幸いである。
もしや?ひとが橋ごと流される絵がほしかったわけではあるまい。

さて、「哀愁のNHK」とは、現職のバイデンと前職のトランプ氏の一回目討論会に関する、アメリカのマスコミ評価についての総括的なNHKのコメントをさす。

いまやネットを観る者なら気づく、アメリカの(左派)マスコミの論評は、バイデンを「絶望」とも表現するほどのショックに包まれていて、討論放送直後から始まったCNNの専門家たちのコメントであからさまな候補者(バイデンのこと)を交替させるべき、という発言に各社も同調していることである。

この「同調」が、はじめからこの討論会の目的(バイデン降ろし)だったのではないか?と疑われているのは、これまでのかれらの所業からの延長線における予測である。

ああそれなのに、それなのに、わがNHKは、「アメリカのメディアは、バイデン氏について力強さと安定感、それに精彩を欠いていたと伝えています」とのたまわっているのである。

なるほど、ものはいいようである、と言いたいところだが、これでは「候補者の適格性そのものが疑われている」ことと、こんなしどろもどな人物が、任期途中の現職にあることの重みがぜんぜん伝わってこない。

何度も書くが、アメリカ合衆国大統領は、核のボタンを押せるのである。

そんな中、29日、NHKの「お昼ニュース」には、ロシア外務省が7月19日から25日の間、北海道で航空自衛隊の戦闘機とドイツ、フランス、スペインの空軍との共同訓練実施に関し、容認できない旨の抗議をしたとあっさり伝えた。

まさに、実質的なN A T Oとの訓練といえるし、ロシアが言う「岸田政権の無責任な政策が北東アジアやアジア太平洋地域の緊張を拡大させる」とは、むかし、ソ連が言っていたのとは異なって、えらく説得力があるものだ。

いまや日本国民に敵対しているのが、岸田自公政権だから、我われ国民も重大な関心をもたないといけない。
自民党内で、あたかも「岸田降ろし」がはじまったかのような報道も、そのスピード感から、国民を欺く演技だとわかるものだ。

さらに、小林製薬の紅麹サプリについて、小林製薬を敵対視してはばからない厚労相の発言は、亡くなった被害者のワクチン接種歴については、「調査しない」とも明言している。

自民党は、共産主義のみならず科学を無視するカルト政党の様相も加わった、ナチスと化した。

さて、討論会で大きく揺らいだバイデン政権の生き残り策が、極東の安全を日本側からの挑発という形式で、またもやウクライナ・パターンをやることらしい。
もはや、ウクライナは身分不明なゼレンスキー氏も言いだした「敗北」で、戦争屋たちは場面を極東に切り替え、ついでに「同盟国の危機」として、大統領選挙の中止を狙うのか?

だとすると、ポスト岸田は、菅義偉前首相の返り咲きというシナリオが見えてくる。

なぜならば、このひとが「アイヌ新法」をやった立役者で、そのアイヌは樺太・ロシア系の「先住民族」ということになっている。
これをウクライナに当てはめれば、ロシア語の東ウクライナ人を守るためという、プーチン氏の論法がそのまま通るのである。

さすれば、機を見て沖縄・九州・西日本が中国に与えられ、維新の会がいう、「大阪都構想」は簡単に現実化する。

日本三分割の地獄は、なるほどバイデン・民主党政権の永久化ができるなら、どうでもいいことだと判断されている可能性もある。

その時、NHKはどうなるのか?

なにもかんがえていない人たちが、わが世の春を謳歌していることこそ、「哀愁」なのである。
それで、「解散」となっても、国がないのだ。

皇紀にして2684年のことしが、わが国の最後の年になる可能性が高まっている。

やっぱりトランプ優位の討論会だった

昨日の、直前話から、今回は結果の話である。

結論から先に書けば、予想通り、のトランプ優位で、視聴者へのアンケートでトランプ氏が「まとも」だったとの回答が圧倒的だったと報じられている。

日本ではどう報じられたのか?を少しだけ観察したけれど、あんがいと予想したトランプ批判一辺倒ではないのことに、「行間」として余計に、民主党のパニック状態が伝わっている。

モデレーターをつとめたふたりも、中立的な立場を堅持する努力をしたけれど、これは、反トランプをもって人気があった女性司会者の旦那様が、ハンター・バイデンの「地獄のパソコン」に関する偽情報の作成に直接かかわっていたことが、議会の正式報告書になったことが影響しているのは、誰の目にも明らかだろう。

5日間もキャンプ・デービッドにこもって、この討論会の準備・練習をしていたはずのバイデンだけど、やっぱり精彩を欠くのは隠せなかった。
英語が不得意であっても、何を言っているのか聞き取れないのは、英語が母国語のひとには観るに堪えない状態だったはずである。

合衆国大統領として、また、「核のボタン」を押す権限をもつひととして、これ以上の不適格はないと、逆宣伝になったからである。

これで、民主党が割れた。

主流派(トロツキー派)は、バイデン以外を選ぶことに動きそうだし、バイデン派は、覚悟を持っての「任期延長」を図っているからだ。

なぜに「覚悟」がいるかといえば、これまでにやった司法の武器化による、トランプ狩り&魔女裁判の報復(ブーメラン)を受けることを畏れるからだ。
トランプ勝利とは、彼らが監獄に入ることを意味すると信じているからだろう。

そんなわけで、民主党側の「バイデン押し戦略」は、完全に行き詰まったかにみえる。

しかし、「バイデン押し戦略」には、ウルトラCがあって、それが「緊急事態=戦争など」による、大統領選挙の中止、という手だ。

プーチン氏が先月から波状的な外国訪問をして、その都度、西側を意識した警告を述べている。
また、それには戦術核の使用を含めた、「ロシア核ドクトリン=法的縛り」の存在と、これの改正問題にも言及している。

当然だが、ウクライナへの「特別軍事作戦」における、「目的」については、当初から一文字も変更はない。

何度も書くが、ロシアはウクライナを緩衝地帯とするために、ウクライナ政府の非ナチス化を要求している。
西側は、この「非ナチス化」がのめないのである。

国民にいい訳ができないからである。

それでもって、NATOは50万人もの兵力をすでに集結させて、ウクライナへの直接介入を図ろうとしているが、これはすなわち「第三次世界大戦の開戦」を意味する。

バイデン政権が仕込んだ「NATO首脳会議」は、ワシントンで来月9日から11まで開催の予定で、わが国の岸田首相も参加することが決まっている。

まさか、わが国がNATOに加盟することはないとおもうが、とにかく日本を滅亡させたい自公政権だから、「もしや?」もありうる。
日本の加盟で、ロシアを二正面作戦にさせる、という単純明快な戦略の発動だ。

すると、9月の自民党総裁選も中止になるかもしれない。

バイデンとどこまでも心中したい自民党なら、日本国が露・中の二カ国によってどうなろうと、知ったことじゃないという最悪のシナリオである。

なるほど、それで都知事選を「7日」としたのだ。

TV討論会直前の議会報告

アメリカ大統領選挙における第一回目のテレビ討論会が、27日(日本時間28日)に行われる。

この討論会は、過去から比べると異例の早期実施なのである。

なにせ、民主党も共和党も、正規に候補者を決める全国党大会をまだ開催しておらず、ゆえに、「党として正式な候補者が未確定」なままなのに実施されることが、もう異例だからだ。

トランプ側は、討論会の実施方法についての事前打ち合わせで、討論開始前・後の「薬物検査」を要求したが、バイデン側が即座に拒否したこともアメリカ人の関心を増加させた。
今年3月の「一般教書演説」における、ふだんとは見違えるほどのバイデン氏を観たアメリカ人は、それが覚醒剤の効果にみえたからである。

もちろん、イタリアサミットにおける「徘徊」は、全世界に放送されてしまったことも、一種の刷りこみとなっている。

今回の討論会の主催は、あの左翼偏向報道で倒産危機となった、CNNだ。

4年前の前回、CNNは、モデレーター(司会)に、なぜか保守系の「FOXニュース」キャスターを採用して、あたかも「中立」をふるまったが、じっさいにはトランプ氏に不利な司会進行ぶりで、とうとうこのモデレーターとトランプ氏の応酬の方が、バイデン氏との討論よりも長くなったのだった。

今回のモデレーターは、2名がかりになっていて、どちらもCNNのひとだがキャスターではなく「解説者」である。
ひとりは普段から一貫して「反トランプ」で有名な女性で、もうひとりは、最近になって「トランプは正しい」といいだしたばかりの男性となっている。

しかしながら、CNNがトランプ氏側の要望を案外ときいて、討論のルール自体は、バイデンには厳しいことが決まっている。
なかでも、椅子が用意されないことや、持ち込めるのは白紙のメモとペンだけということが、前回のバイデン氏の耳にあった受信機を認めいないことで、一掃の厳しさがあるという。

さて、前回の討論会は投票日直前だったこともあって、ハンター・バイデンの「地獄のパソコン」が報道された直後でもあった。
このパソコンが本物なのか偽物なのか?の議論から、発見されたデータがロシアによる工作だとの、諜報機関に勤務した60名による署名入り文書が公表されたのだった。

よって、トランプ氏は討論会でこの話題に触れたが、バイデンからのこの文書の指摘によって、せっかくの題材が粉砕されてしまった。

しかして、今回、中間選挙で共和党支配に換わった連邦下院が、いい仕事をしていた。

60名による署名入り文書の作成経過が、下院委員会の調査報告で明らかとなり、ロシアによる工作どころか、現役の政府職員も加わって「捏造した」ことが明らかになったのである。

しかも、その中に、今回「反トランプ」でも、モデレーターを引き受けた女性の旦那様の名前があったのである。

悪いことはできないものだ。

もちろん、「地獄のパソコン」が本物であることも、はるか前からFBIが確認していたことも、正式にこの報告書に記載されている。
もはや、民主党がやった「陰謀」だったことが白日の下にさらされた。

さらに、民主党・ペロシ下院議長が主催した、「1月6日委員会」も、連邦下院法律顧問委員会で正式に「違法」だと決まった。
トランプ氏の顧問だった、ピーター・ナバロ氏はこの委員会によって「収監」されたが、本決議を経て委員会は連邦最高裁判所に「間違い」の申立をした。

最高裁がこれを認めると、過去がひっくり返るし、当然ながら、責任追及がペロシに及ぶ可能性もでてきた。

なんだかんだ、アメリカの国会は仕事をしているのである。

こうした状況をうけて、どんな討論会になるのか?
すでに、CNNがバイデンに厳しいルールにしたことから、民主党が「代替候補」にすり替える準備が進んでいるのだという「うわさ」まである始末である。

アメリカ国内では1億人が視聴するというが、世界に与える影響の大きさはそんな数ではない。

農業をあらゆる方面からイジメる政府

安倍晋三氏が暗殺されて早くも丸2年が経過した。

殺傷力が疑われる手製の鉄パイプ製銃は、火縄銃とおなじ先ゴメ式で入れていたのはパチンコ玉らしき「6粒」だった。
おそらく、これを蝋で固めてあたかも「一発」の塊にしたろうけど、激発の熱で溶けて圧力が足りずに足元あたりにポロッと転がって落ちたのではないか?

もしも、安倍氏にパチンコ玉と思しきタマの一発でも命中して殺人ができたら、その傷は周辺のひとたちに見えないはずはない。
また、それだけのグラム数を火薬の爆発力で飛ばせて人間を殺傷できる銃なら、激発機構にはその圧力に耐えうる機密性と頑丈さが要求される当然がある。

現行犯逮捕された人物は、相変わらず裁判を受けるでもなく「拘置所」に入ったままとなっていて、文句も言わない不思議もある。

もちろん、捜査当局が捜査しないという不思議に、マスコミもタッチしないという連携で、2年が経過した。

さてそれで、この間の岸田政権による売国と国民人口削減のための方策は、大胆にもあらゆる方面から実行されている。
司令塔は、アメリカ大使館で、岸田氏はその指示に従っているだけという指摘も、まんざら陰謀論ではないだろう。

まさに、アメリカ民主党の施策を、忠実に勝、速やかに実行している優秀さは、わが国完了機構の優秀さを示すものである。

ようは、わが国の官僚は、こぞって『エルサレムのアイヒマン』(上からの命令に盲従する小役人)に成り果てたのであった。

そんな中で今国会の最後に通過した「農業

意図せざる結果の恩恵

意図せざる結果のことを、専門用語として「随伴的結果」いう。

自由主義の伝道師、ハイエクは、これぞ人類発展の肝としている最重要な概念なのである。

そして、社会を設計したり、よかれと計画することの無意味ばかりかその害悪を、アリストテレスから引いて説いている。

かのアリストテレスさえも、意図せざる結果を誤解した、と。
もちろん、近代のはじまり、デカルトの間違いは、現代にも及ぶ害悪となっている。

この意味で、われわれ日本人からデカルトのような人物が出現「しなかった」ことは、縄文からの日本文化を背負った日本文明にとって、もっけの幸いなのであった。
しかしながら、幕藩体制を破壊してそれを「正義」とした、明治新政府なる英国の傀儡政権は、デカルトこそが近代文明社会の原点にあると説きまくったのである。

令和の時代に、デマを国民に垂れ流す日本政府の原点は、明治新政府にある。

もちろん、デカルト礼賛はごく狭い範囲で正しいが、近代欧米文明社会が日本文明社会と比べて、けっして「高級」な評価をすることはできないから、あたかも、日本文明によって開眼していた台湾が、ひどく遅れた中華文明の蒋介石率いる中華民国なる後進集団に乗っ取られたごとくに、わが国も先に劣化の先鞭をつけられたのであった。

そしてまた、波状攻撃的にGHQによる深手を負いつつ、今に至るコントロール(隷属・隷従状態)下に置かれたのは、ハイエクの『隷従への道』を逆手に取った高度な作戦の成功だともいえるのである。

このあたり、幾重ものらせん状の複雑さがあるから、一直線のリニア的な歴史発展をするものだと思いこむと、なんだか理解できない。

社会を科学する者は、たとえばアダム・スミスがいった「神の手」のごとく、とっくに気づいていた「意図せざる結果にこそ正義がある」というものを、あたかも誤解して馬鹿にした。
「神は死んだ」といったニーチェの言葉を、ムリクリ適用したのである。

しかし、正義とは意図して実現するものではなく、「発見するものだ」ということの確認が今こそあえて必要なのである。

それで興味深いのは、そんな英国でも、英国の経験主義が伝統主義と結合したことで、「法」もまた広い範囲にある認識から、言語化が困難になったことである。
つまり、いちいち「立法」をして、それを文字に書くことの危険は、はじめから人々の心にある「法」をえらく矮小化することは英国人をして気づかせていたのである。

故に、「コモンロー」を採用したのは、当時の英国人の叡智がさせたというよりも、試行錯誤による意図せざる結果であったことの後付けなのである。

それは、人々の中に培われてきた、DNAにも焼き付けられているので、「新しい法」に人々が違和感や反発を抱くなら、その「立法」は、その設計思想や計画自体の間違いを表しているといえる。

これをハイエクが1970年代に説いたのである。

しかしていま、その英国も違和感ばかりの社会になったのは、あろうことか設計や計画が、「社会の進歩」という名のもとに浸透してしまったことによる。

つまり、典型的な設計と計画の思想、すなわち、社会主義(=福祉国家)を採用したことに現代の悲惨の原因となったのである。

一方で、わが国では、歴史的な不人気となった岸田内閣の支持率の低さとは、まさに「立法」が「設計」や「計画」に陥ったことの結果であって、「閣内不一致」すらないことのおぞましき状態は、閣僚一人一人も、この間違いに陥ったことを示している。

さらに、政権与党ばかりか野党も同じ間違いに陥ったことで、にっちもさっちもいかなくなったのである。

しかして、文字どおりの「先進国」が、先に壊れる過程をわれわれ日本人に見せてくれているのは、「遅れている者」にとっては幸いなのに、である。

傲慢なエリートたちが、神に代わって計画し実行したら、世の中に意図せざる結果が満ち満ちて、エリートたちに制御不能になってきたから、とうとう「強権発動」という手段を用いるしかなくなった。

まったくもって、全体主義の行き先がいつでもどこでも同じことを表している。
『平家物語』の作者は、これを「理(ことわり)」と表現した。

英国の総選挙前に、カナダの国会議員補欠選挙では、ほぼ野党・保守党が勝ったためしがない選挙区で、その保守党が圧倒的な勝利をおさめ、与党トルドー政権に衝撃が走っている。

本国の英国・保守党は、カナダの保守党と党名では同じだが、中身はわが国の自民党=共産党と同じになって、あたかもトルドーの自由党と兄弟党になっているから、「党名」だけでは判断できないので注意がいる。

その意味で、逆神化したマスコミが「極右」という政党が、カナダ保守党で、もはやヨーロッパでの伸張と相似なのであるし、あの南米にしても、アルゼンチンやエル・サルバドルがそうであるように、もはやエリートたちからしたら、悪夢のような意図せざる結果が現実社会で続出しているのである。

この潮流に力ずくで抵抗しているのが、まさに岸田政権であり、その親会社たるバイデン政権の断末魔なのである。

カバン屋が作りたくないカバン

5月に新発売された、iPad Pro(11インチ) を気軽に持ち運ぶために、ちょうどいいサイズのカバンを探すことになった。

わたしの場合、パソコンライクになる一体型のキーボードではなく、分離して使えるキーボードも持ち歩きたいので、iPadのジャスト・サイズでは収納容量が物足りないことになるために、案外と「コレ」というカバンを探すのが厄介なのである。

キーボードは、「US配列」のものが気に入っている。

「ローマ字で入力して日本語変換する」からだ。
いわゆる「日本語配列」のキーボードとは、「かな入力」のためだから、用途としての合理性では、「U S配列」でないといけないからである。

だから、キーに「カナ表記」がない、「スッキリしたキー」と宣伝する、日本語配列キーボードが存在することに、えらく違和感がある。

ところが、なぜか本家筋の「U S配列」のキーボードは、探さないといけない不合理がある。
なぜだかしらないが、「日本語配列」のものが主流になっている。

これに加えて、コンパクトな「US配列有線キーボード」が滅多にないのである。

主流は「Bluetooth接続対応」という、電波を用いるものであるけど、これがまた案外と「混線」して作動しないことがある。
当然だが、キーボードにもバッテリーを搭載する都合から、その分重くなる。

E Uがアップル社に課した、外部インターフェイスの「USB-Cへの統一命令」のおかげで、独自規格だった「Lightning」が事実上廃止になった。

これでiPadに、有線キーボードが接続できるようになったのである。

また、なぜかiPadは、超高価な「Pro」を自称する最新機種でも、「USB-C」の接続口が一個しかないので、有線キーボードを使うなら、iPad本体のバッテリーに依存することになる。

そこで「USB-C対応の給電可能ハブ」を使えば、電源から給電しながら有線キーボードも使えるようになる。
バッテリーに負荷がかかる、という問題はここでは無視する。

そんなわけで、ちょっとしたお出かけ用ではあっても、以上の機材と、ついでに財布やスマホも収納できるポシェット型の肩掛けカバンを求めると、なかなか世の中にない、ということに気がついた。

これは、カバン製作者がわたしのような要望を持たないからなのかと疑うしかない。
しかし、そんなに「特殊な要望なのか?」を問うと、よくわからないのである。

革であろうが布であろうが、カバンの素材にこだわりはない。
そこで、職人さんがいるカバン店に行って、相談してみようと思い立った。

東京なら、浅草あたりでどうか?

みつけたカバン屋さんは「帆布」専門で、わたしの要望にちょっと戸惑っていたが、店内に数ある中で一つの製品だけが、なんとかイケそうなタイプだった。

このタイプはなんと、現行在庫の数点だけしかない、という。

なぜかといえば、見た目のシンプルさと違って内部の遣い勝手のために、あまりにパーツが多く、なお、細かい縫製を要するので、作業の手間の割にあわない、ようは「もう作りたくない」からだという。

なるほど、とわたしが感心したのは、購入側の立場からの「お得感」での納得である。

若干の不満はあるものの、悪くない遣い勝手は、職人さんの想定とわたしの使い方がズレているからだろうけど、おおむね満足している。

しかし、街を歩いていてこれ以上のモノを見つけていないから、かなりのヒット(2塁打ぐらい)に違いない。
それで、夫婦でお揃いになる、色違いを戻って追加購入しようと再入店したら、「お帰りなさい」と迎えられた。

あと、残りは?

職人さんのホッとした笑顔がオマケでついてきた。

「略語」がコミュニケーションを破壊する

本を読まなくなった日本人だが、SNSへの受信と発信で多用される「略語」が、それらを日常で使っている若者たちのコミュニケーション力を破壊している。

要は、発信側も受信側もそれぞれに意図した意味が通じないことがまま起きるということであるけれど、さらにこれらが発展して通じないままに放置することが蔓延しているというのだ。

そのために、もっとも安全な手段が「自己の殻に閉じこもる」こととなった。

すなわち、漫画ではなく現実の人間が「昆虫化」しているのである。

だから、善悪も含めた価値判断が、「本能に応じる」という原始化も当然に起きている。

このときの「本能」とは、「快楽追求だけ」という狭い範囲でのことなので、自身の快楽につながるコミュニケーションには応じるが、そうでないものは(本能的に)「無視(放置)する」のである。

人間同士のリアルな付き合いでは、こうした「放置」を行為として行うことは、極めて困難であった。
目の前の現実に、双方が存在するからである。

したがって、些細な葛藤から対立となり、なんらかの事件にまで発展することも多々あることであった。
もちろん、「人間ドラマ」のあらゆるテーマになりうる事象ならどこにでもあったことだ。

ところが、リアルな空間での人間同士の付き合いが、バーチャル化され、それが日常となったら、たちまちにして従来の「人間ドラマ」とは次元を異にする「ドラマ」が起きている。

それが、コミュニケーションをとらない、という究極の行動なのだ。

すると、これからの人間は、リアルとバーチャル空間でのコミュニケーションを使い分けることが要求されているのだとわかる。

このことは意外な問題の発生も予測させるのだ。

たとえば、「商取引」における、リアルとバーチャルの使い分けにどうやって対応するのか?を問題提起するからである。

従来のルールは、過去からのリアルな商取引をあくまでもベースにして、それにネットでの特性を踏まえて、従来からの商取引との関連でも混乱がないように調整されていた。
商取引自体は、あくまでもリアルだからである。

それが、商法の特別法としての電子商取引に関する各種法令の整備だったのである。

しかし、これからの社会で、バーチャル社会というものがますます認知されるようになれば、商取引上の契約の以前、より個人的である「民法」の世界でのバーチャル対応が求められることになって、それから商法に波及する可能性がある。

すると、普通の個人が、リアルな生活空間とバーチャルな生活空間とを使い分けて人生を送ることになれば、バーチャルな空間でのコミュニケーションの崩壊は、リアルな社会に影響しないはずがないことになる。

なるほど、どこかで聞いたことがある「気持ちの悪い世界」だと想像したら、内閣府が推進研究中の、「ムーンショット計画」が頭をよぎったのである。

知らないでは済まないことだから、全国民はこの「ムーンショット目標」のHPをみておくべきなのである。

このイカれた目標を、いったい誰が推進すべきといったのか?

リアルな世界における、選挙を放置すると、コミュニケーション力を失った政府が、殻に閉じこもってマッドサイエンスの研究に国家予算を投じても、殻に閉じこもった国民が自分の世界に政府が提供する「アバダー」をよろこんで利用するのだろう。

はたしてこれは、「夢の未来」なのか?「地獄の未来」なのか?

英国保守党の壊滅的敗北予想

7月4日、つまりアメリカ合衆国独立記念日(1776年)という英国にとっては、痛い日が、2024年の保守党にとって痛い日になりそうである。

もちろん、報道統制を自主的におこなっているわが国では、この選挙の重大性について日本人に伝えることはないし、7日に実施される東京都知事選への外国からの影響として、情報加工して特定候補のためにするにちがいない。

ざっくり、英国の総選挙は「保守」、「労働党」の二大政党に、ブレグジットに多大なる影響を及ぼした、「極右」ファラージ氏の党との三つ巴となっていると伝えられている。
結論から先に書けば、労働党の圧倒的勝利で、保守党の壊滅的敗北がかなりの確実性を持って予想されている。

よって、この選挙の結果については、次の三点に注目が集まっている。

・保守党の壊滅的敗北とはどこまでの敗北なのか?
・労働党の社会主義政策は、どこまで実行されるのか?
・ファラージ氏の党は、どんな影響を及ぼすのか?

まず、保守党の敗北については、総定数650のうち、保守党の現有議席は365ある。
これが、3分の1以下の115になると19日付けブルームバーグが伝えている。
別の調査では50台との予測もあって、党の存続自体が懸念されているのである。

なお、スナク首相も含む現職閣僚の落選も相次ぐのは確実とされている。
ちなみに、長い議会の歴史がある英国で、過去、現職首相が選挙で落選した例はない。

ようは、有権者の保守党への怒りの爆発表現、という現象が起きると予想されているのである。

しかしながら、労働党の社会主義政策を本当に支持しているのか?となると、あんがいと疑問が残る。
なのに、労働党が圧勝する425議席の予想となっている。

これには、英国という先進国におけるさらなる「近代政党」を完成させた経緯がある。

近代政党の条件は以下の3点だ。
・「綱領」があること
・「組織」があること
・「議員」がいること

ここで、「組織」の形成がもっとも重要な労働党の「勝因」となるはずだし、保守党の敗北もここにある。
さらに、ファラージ氏の政党が伸び悩む予想の理由も、これだ。

そして、政党組織のあり方として、わが国で「近代政党」の上の条件にあてはまるのが、設立順に、日本共産党、公明党、参政党、となっていることは、日本人の有権者ならしっていていい。

わが国を支配する与党の一方たる大政党、自民党、は、上の定義にあてはまらない、という特徴があることも、日本人の有権者ならしっていていい。

自民党が定義する「組織」とは、議員・議員候補が自分で抱える、「後援会」という名の組織であるが、これは近代政党の組織とは別物なのである。

自民党を、「自分党」と揶揄する根拠となっている。

むしろ、言動における支持者あるいは賛同者が多い、ファラージ氏の党は、日本の自民党のような組織にしか成長していないので、他の近代政党に歯が立たないのである。
それなのに、わが国では近代政党ではない自民党が政権を担ってきたのは、世界的にはかなり珍しいことだともいえる。

さてそれで、世の中の見方が、左・右の対立から、グローバル全体主義対反グローバリズムという極になってきた。

保守党の敗北は、グローバル全体主義に与したことによるものだけど、より強固なグローバル全体主義を標榜するのが労働党だ。

ここに、英国民に与えられた選択肢の悲惨がある。

ブレグジットを推進したファラージ氏の党が急遽結成されて、それでもそれなりの影響力がある(「組織」づくりにまで至っていないが)のは、グローバル全体主義の労働党が、「EU再加盟」を画策することに対する支持なのである。

英国はどこへいくのか?

ハイエクを掲げたサッチャー女史を失脚させた時点で、保守党は自身の存在理由を失ってしまい、今日に至った。
わが国は、自民党にサッチャーのような哲学を掲げた人物はとうとうひとりも輩出していない別の事情がある。

しかしながら、英国保守党の壊滅は、わが国の将来も予想させることになるのは確実なのである。

そのキーパーソンが、トランプ氏であることはいうまでもない。

北緯80度に「ぶり」の痕跡

「寒ぶり」と聞けばツバキを飲み込むひともいるだろうから、どうしても冬の魚のイメージがある。

けれども、この魚の生態は、回遊魚ではあるけれど案外と温暖(生息適温は20°C)な海を好むのである。
低温なら9°Cまでが限界とされている。

ここで水温の「温暖」とはどういうことかといえば、海の中・底層を群れてこの層にいる魚類やイカを餌にしているために、人間の棲む地域でいえば、まさに「温暖」な場所で獲れる魚になるからである。

ところで、そんなぶりのDNAが北欧のおよそ9000年前の遺跡から検出された。
日本でいえば、縄文時代である。

それが、北極圏(北緯66度33分以北)の北緯80度付近であるから、騒ぎになっているのである。

つまり、この当時、明らかに地球が「温暖」だったことが証明されたのである。

もちろん、わが国の縄文時代も温暖であったことはわかっている。

だがしかし、この時代の人類は、大量に二酸化炭素を排出していたわけではない。
要は、「自然に温暖化した」としかいえないのであるが、そのレベルがいまよりずっと暖かい、ということなのである。

実際に、今年になって、世界の気候学者たちにノーベル賞受賞者も加わった、数百人が「地球は気候変動なんかしていない」という声明を発している。

この言葉には注意が必要で、(環境ファシズムがいっている意味の)が頭につく。
逆に、彼らは、地球の気候変動は自然の活動としていつでもダイナミックに変化するものだ、としているのである。

ここに、ちっぽけな人類の入り込む余地はない。
そんなに地球環境はナイーブではない。

小学校の理科レベルで気がつきそうなことを、わざわざ世界の心ある学者たちが連名で公表しなければいけないほど、言論統制が厳しい、ともいえる。

これは当然、自然科学ではない。

自然の法則を解明するのが、自然科学であるから、人間の都合による理論では必ず破綻する。
発生する自然現象の法則としての説明がほころぶからで、一旦ほころんだ理論は二度と「理論」とは呼ばれなくなるのも、自然科学者の常識なのである。

これを真似て、研究の対象を「社会」に適用したのが「社会科学」であるし、人間の精神から発する文学に適用を試みたのが、「人文科学」であった。

すると、自然科学の対極に人文科学がある。

人間は感情がある動物なので、自然科学の法則のようなものが、人間精神には当てはまらないからである。

ところが、自然科学の最先端のひとつ、量子力学が、人間の脳は量子によって作動していることに辿り着いた。

すると、人間の精神を支配しているのは、量子の不思議な振る舞い(あるいは「ゆらぎ」)であって、それが個別の人間精神へ自然科学でいう法則の適用ができるのかもしれないことになる。

さて、9000年前のブリが教えてくれることを、我われはちゃんと精神としても理解できるのだろうか?