次はスイスの国民投票

アメリカ合衆国大統領選挙は、民主主義の守護神のような国で、ありえない「不正」が横行するのだと世界に知らしめた。
投票率が、「200%」という州がある不思議は、ふつうに理解できる数字ではない。

全体主義の国だって、せいぜい「90%台」で発表する。
やっぱり「100%」はありえない、という「常識」がはたらくからだろう。
もちろん、「100%」を超える投票率を自慢する独裁者もいない。

それに、共和党候補の投票用紙が大量に廃棄されているというから、これらを、「正常」として、「勝利宣言」できる神経は、まともではない。
「潔癖」をもってならす日本人なら、勝利側も「再確認の要請」をしないと、人格が疑われて、当選が無効になると承知するだろう。

つまるところ、「勝てば官軍」の究極であって、日本人でも「なった者勝ち」という社内昇格の理不尽に共通した、「邪悪」がある。

予想通りとはいえ、「世界の趨勢を決める」アメリカ合衆国大統領選挙は、場外乱闘の延長戦に突入することは間違いない。
そして、これは線表(ガントチャート)管理でイメージすれば、複数の「線」が走ることになるから、整理しておかないと複雑にみえてわからなくなる。

◎不正票と正当票
・対象となる「州」の特定
 → 激戦州が対象になるのは当然だが、前回の1州から今回は?
・複数の州となったときの裁判所の対応
 → 州内地方裁判所 → 州高裁 → 連邦最高裁
 → 12月14日の「選挙人投票日」に間に合うのか?
 ※ 内閣参与になった元大蔵官僚の高橋洋一氏は、最高裁の事務能力がパンクするおそれを心配している。
 ※ トランプ政権が滑り込ませた、保守派判事の効果もいかに?
 → 間に合わないと、憲法の規定で下院議長が「大統領代行」となる。

◎下院と上院の選挙結果
・下院は今回も民主党が過半数をおさえた
 → 「大統領代行」となった場合は、民主党の下院議長がなる。
・上院は今回も共和党が過半数を維持した
 → 副大統領は、共和党からとなる。
・「外交」に権限をもつのが上院なので、わが国等の外国にとっては引き続き共和党の影響を受ける。

◎バイデン氏一家への捜査
・誰が、いつ逮捕されるのか?
・逮捕容疑は?
 → 息子ハンター氏には、児童虐待容疑もある。
 → 「一家」とすれば、連座するひとたちが多数の、これだけで大スキャンダルである。
 → 外国との不正取引が「売国」という視点で注目される。
 → また、ジョー・バイデン氏本人逮捕の場合は、大統領候補としての欠格事由になる?
 → 「欠格者」となれば、トランプ政権が継続する。
 ※ 最重要な「マター」だ。

◎ウクライナの容疑者指名(上記捜査が国内なのに対して)
・ジョー・バイデン氏は、投票日前にウクライナの裁判所から刑事事件の容疑者としてリストアップされ、ゼレンスキー大統領は、「反逆罪」と明言している。
 → ウクライナ政府は、アメリカ政府に「容疑者引き渡し」を請求するのか?
 ※ その請求を現政権が「棄却」する可能性は?
・昨年、本件でトランプ氏が下院で「弾劾」されたので、真犯人の登場はアメリカ国内でも、「国家反逆罪」の適用はありうる。

つまり、トランプ氏は選挙に負けても、バイデン氏の過去の所業が欠格事由となればいいのである。
そして、バイデン氏は限りなく黒に近い。

ウクライナ疑惑はもう「疑惑」でなくなって、ウクライナの現政府が、「容疑」にしている。
このほかに、外国がからむ「疑惑」は、なんといっても東洋の大国との取引である。

この「疑惑」は、この大国もかんたんに認めないだろうから、当分は「疑惑」のままなのだろうけど、息子のハンター氏のパソコンと、彼とビジネス・パートナーだった人物が証拠と証人になった。
この件には、その筋のプロである、ジュリアーニ元ニューヨーク市長が、強力に取り組んでいる。

今月29日、スイスで行われる国民投票について前に書いた。
これは、「スイスの多国籍企業」が世界で「人権侵害」や「環境破壊」を引き起こした場合、責任追及できる法律の制定の是非を問うものだ。

いま、世界で注目されている、「人権侵害」や「環境破壊」を引き起こしている国とは、ハンター氏を含むバイデン氏一家全員が関与していると「疑われている」国をいう。

それで、「スイスの多国籍企業」とは、高級時計メーカーを指すとはだれもかんがえない。
ふつうに、「スイス銀行」と思えば、「秘密口座」がどうなっているのか?に興味がわくものだ。

バイデン氏一家をつかって、東洋の大国が意図していることとは、政治的支配ということになるだろうから、この大国は、あらゆる手段を用いると想像できる。

その、源泉は、先立つものであるし、この大国を支配するひとたちの「個人資産」がどうなっているのか?を想像すれば、やっぱり強烈な「打撃」となるだろう。

今月末に、スイス人がどんな意思表示をするものか?
日本人としても、注目したい。

マネジメントで『眼下の敵』を観る

1957年度アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞した作品である。
原作は、英国海軍中佐だった、D・A・レイナーによる同題の小説である。
原作の冒頭に、特に「著者覚え書き」として、「本作は完全な架空」と念押しされている。

第二次大戦を題材にした数ある戦争映画(小説)のなかでも、海戦モノ、しかも、駆逐艦と潜水艦の一騎打ちにおける「知略」を描いた傑作とされ、主役、ロバート・ミッチャムの代表作でもあり、また、ドイツの名優、クルト・ユルゲンスがハリウッドデビューした記念碑的作品でもある。

 

子どものころにテレビの映画劇場番組で、何回か放送された記憶があって映画館で観たことはない。
それが、なぜか突然思い出されたので観直した。

おとなになってこの作品を観る意味は、ストーリーではなく人間心理の「マネジメント」からの視点にある。
戦争における「殺し合い」という、究極の環境にあって、「将」たる人物のとる行動がはっきりと、象徴的に描かれている作品だからである。

勘違いをされては困るのは、「殺し合い」や「戦争」を美化したいのではないことだ。
あくまでも、そのマネジメントの「妙味」をいいたいのである。
こんな上司に出会いたい、こんな上司になってみたい、と思わせる「教科書」でもある。

映画での設定は、原作のイギリス海軍からアメリカ海軍の艦船になっている。
もちろん、「敵」はドイツのUボート。
けれども、よくあるアメリカが正義でドイツが悪だとする「勧善懲悪」の設定になっていない。

海上の米・海中の独どちらも、「板子一枚下は地獄」という、海の常識が前提にあるからリアルなのである。
「将の判断」が間違えば、沈没という全員が戦死の悲惨に見舞われるし、「兵」の担当業務が滞ったり機能不全になっても、それは同じなのである。

これが、「部分」である陸の闘いとはぜんぜんちがう「海」の世界だ。
ビジネスに於いて、会社を船に例えるのが常識なのは、正解である。

ロバート・ミッチャム扮する新米艦長は、自分たちが命を預けるにたる人物なのか?
戦時の人材不足から、なんと彼は商船の三等航海士だった。

対する、クルト・ユルゲンス扮する独軍は、職業軍人とナチスとの軋轢がある。
注目すべきセリフは、第一次大戦の「負けても名誉あり」とする、ドイツ魂の現実との葛藤の告白だ。

これらの条件をもっている両艦長が、どのようにマネジメントし、人心を把握するのか?
そして、人心を掌握した後の両組織が、いかほどの団結をするのか?
もちろん、これが、「戦果」に結集することはいうまでもない。

まったくもって、「現代」の「会社経営」における要諦である。

同じ職場条件で、同じメンバーで、成果が変わる。
これは、冷厳たる事実なのであって、どんな組織でも起きることなのである。

「実話」が元でも「作り話」でも、映画は映画である。
だから、これらの人物たちが、どのような教育を受けて、かくなる人格を得るに至ったのか?については、まったく表現がない。
観客が、想像するしかないのである。

しかし、一方で、そうした説明を要しない、という社会常識が、公開当時の社会にあったとすれば、いかなる変化を社会の方がしたのか?ということになる。

ロンドンの友人からこんな写真が届いた。

わが国なら、東条英機といまの首相を想像すればよいだろう。
いい悪いではなくて、この「軽さ」はなんだ?
ここでなにも懐古趣味をいうつもりはないけれど、大丈夫なのか?ともおもう。

人格を育てる教育が、学校教育に期待できなくなっている「わが国」で、どうするのか?という問題は、けっこう深刻だ。
それは、大学教育にも影響して、経営学が経営をおしえているとはいえない。

「テクニック」に走るからである。
あたかも、会社の数字をよくするには?ということの解答が、「経費削減」で済ませられているように、本質を欠くことにばかり注力して、結果的に目的を果たすことができないがごとくである。

それは、すでに、この映画でのクルト・ユルゲンスのボヤきにも表現されている。
むかしは、潜水艦の艦長は潜望鏡を覗きながら、自らの頭脳で計算し魚雷を発射し獲物を仕留めたものだったが、いまは、潜望鏡のなかの画面に諸元が表示されて、艦長はそれを読み上げるのが仕事になった、と。

第二次大戦中という時代でさえ、これなのだ。

しかし、彼の嘆きは、「マネジメント能力」にはまったく関係なく、むしろ、機械化・自動化の現場だからこそ、より重要度が増しているのである。
これは、現代企業の経営だっておなじである。

沈没直前の艦に残った二人の艦長を、先に退艦した兵がボートで救出する場面では、ドイツ兵と米兵が競って駆け上るのを、引いた画面で写しだしている。
いま、上司や経営者が困難な状況におかれたことをしったとき、自分の部下が命がけで助けてくれるかをかんがえればよい。

人間は、やはり人間なのである。

「ニューヨークの賢人」現る

「スライスされたパンが発明されて以来、トランプ氏は最高の人物だ」

こう発言したのは、ニューヨークで期日前投票を済ませた黒人男性である。
動画投稿されて、570万回再生されているところでトランプ大統領が自らリツイートした。

このひとは、顔を隠さずに発言している。
大丈夫なのか?とおもわず心配せずにいられないのは、トランプ支持を表明したひとが襲われたり、脅迫されたりしているとの報道が相次いでいるからである。

これをもって、「隠れトランプ支持者」という見えない集団の存在が注目され、選挙における伝統的な調査が行き詰まってしまった。
前回の大統領選挙では、投票所での出口調査でも、「隠れトランプ支持者」は、いま自分が投票したひとを明かさないか、「ヒラリー」と答えたから、開票後あっという間に、ヒラリー氏当確のニュースが報道された。

ところが、現実はまったく違う結果となったので、大手左派マスコミはその信頼性に傷がついた。

このときすでに、偏向報道に辟易としていた有権者たちが、報道機関のワンパターン調査に対抗して、間違った報道をするように「誘導していた」というから、大衆はバカではない。

前回、トランプ氏当選を予測した調査会社は、伝統的手法を用いなかったことで有名になった。
選挙人の数までピシャリと当てたのは、トラファルガー・グループが唯一だったといわれている。

彼らは、「隠れトランプ」の比重を重視したけれど、本心を明かさない、というこのひとびとを相手にどうやってこれを明らかにしたのか?
そこで、かんがえた質問が、

「あなたの隣人はだれに投票すると思いますか?」だった。

ふつうの質問、「あなたはだれに投票しますか?」では、「隠れトランプ」をあぶり出せない。
そして、住宅地図上に一軒一軒の回答を書き込んで分析したのだ。
もちろん、彼らは今回もこの方法を用いている。

すると大手メディアが用いる、主たる調査会社の調査結果を単純集計した「平均値」とは、やっぱりぜんぜん違う結果になっている。
よくいわれている、「バイデン氏のリード」とは裏腹に、今回も、「トランプ氏逆転リード」なのである。

これは、個人の「細分化」の結果でもある。
すなわち、大衆という「平均値」が使えなくなったのは、固まった職業(産業)についていて、固まった世論があった時代から、個々人がそれぞれの仕事につく方向へ変化したということだ。

しかも、たいへん重要な、有権者の関心度合いの調査結果がほとんど報道されない、ということも事件的な問題だ。
だれに投票するか?は結果の行動である。
自分に関心があるテーマに適合した人物だと、評価・判断することが、有権者の投票行動になる。

今回の大統領選挙における、アメリカ人が最も重要視している関心事のトップは、「法と秩序」なのである。
次が、「経済」、そして、3番目にすぎないのが「コロナ対策」だ。

このことが、日本における報道でも軽視されているのは、日本の選挙における報道でも、国民の関心事が軽視されるからだろう。
当落と党勢(獲得議席数)にしか話題を振らない。
政策論争なき選挙とは、いったいなにを選ばされているのか?

まさに、全体主義体制における選挙となっていないか?
この体制では、選挙は、「確認」と「権威付け」のためにだけ行われる。
そして、これをもって、「民意だ」と決めつけるのである。

トランプ氏は、黒人とヒスパニックの支持率が、歴代共和党候補で、「最高値」をつけている。過去最高は、12%だった。
いま黒人有権者の支持率は5割弱、これは、前回の8%から5倍以上だし、ヒスパニックの伸び率も著しい。

メキシコの「壁」によって、合法的に移民してきたヒスパニックのひとたちは、生活をささえるいまの職業を、あらたにやってくるだろう不法なひとたちから守られている、とかんがえている。
壁をつくった、トランプ氏は「合法的移民」を否定してはいないのだ。

10月28日、ミシガン州フリント市におけるペンス副大統領の集会で、同市議会副議長が演壇に立ち、自らの経歴を語った。
驚くことに、黒人の彼は、民主党支持を64年間してきたが、今回は共和党を支持すると明言し、会場の喝采を得ていた。

この理由が、暴走するBLMを民主党が支持したことだという。
彼は、BLMとは、ただ暴動を起こしてコミュニティ破壊を目的にしているのだと批難した。
つまり、「法と秩序」が、まっとうな黒人層の支持を得ているのである。

分断を生みだし、分断によって既存秩序を破壊した先にあるものはなにか?

このことに気づいたひとは、賢人である。
「5G」のヤバさとは、あらゆる物品のIT化のことである。
これでいかほどの個人情報が収集でき、それを自由に使える者のメリットとはなにか?

「法と秩序」と、「5G阻止」は連結しており、それは賢者によって見破られたのである。

米大統領選挙調査の重要質問

今日から11月。
アメリカ合衆国大統領選挙の投票日まで、日本時間であと3日になってきた。
今後の世界の趨勢を、いやがおうにも決めるのだから、目が離せない。

前にも書いたが、大統領選挙とは、日本風にいえば、「衆参ダブル総選挙」なのである。
アメリカ連邦下院(=衆議院)は、任期2年で「解散がない」から、大統領選挙と同時に全員が任期切れの改選となるし、上院(=参議院)は、2年ごとに3分の1が改選されるからである。

多くの報道は、誰が大統領になるのか?だけになっている。
これは、あちらは、二大政党制なので、当選する大統領が所属する政党の議員も一緒に有利な得票になるとかんがえられているからだ。

4年前、前回の大統領選挙で、「おおハズレ」をかまして「大恥」をかいた、伝統ある調査会社の、「ギャラップ調査」には、二期目の再選を目指す大統領候補がいるときに、「必ずする質問」がある。
それが、

あなたの生活は4年前に比べてどうなりましたか?

である。
この質問が絶妙なのは、アメリカ合衆国大統は「二期まで最長八年しか職務に就けない」ので、再選を目指す大統領候補がいるというのは、誰も「実績」をしらないでいたときとの比較を促すことにある。そして、大統領を支える議会(政党)の評価も、同時に質問しているのである。

だから、この質問で、「良くなった」という答が多い場合は、再選される可能性が高くなるとかんがえられている。
そのラインはこの40年間で、ざっと「40%」が当確基準のようになっている。
つまり、回答者の4割が、良くなったと思わないと再選されないのだ。

残念ながら、わが国でこの質問ができるのは、衆議院だけになる。
ただし、わが国の衆議院任期は4年だが、この間にいつ「解散」があるかはわからない。
だから、定期的観測はできない。

また、参議院も3年で半数が改選されるので、「ダブル選挙」になるかならないかは微妙だ。
これは、ある意味、議会がブームに流されることを防ぐことにはなるけども、逆にいえば国民の意志が国会で「ぼやける」原因でもある。

安倍内閣が長かったから、前回の選挙がいつだったか記憶がはっきりしない。
前回は、平成29(2017)年9月だった。

さて、この3年あまりで読者のみなさんの暮らしは、「良くなった」でしょうか?

ついでに、民主党から政権を奪回した第二次安倍内閣の発足は、平成24(2012)年12月だった。
この8年あまりを思い出して、暮らしは、「良くなった」でしょうか?

はっきりいって、「はっきりしない」か「そうでもない」を加えて、回答イメージを先鋭化させれば、GDPにあらわれる数字と合致するにちがいない。
世界最小の「伸び」を示すのが、わが国のGDPである。

それに、前にも書いたが「1人あたりのGDP」では、わが国の上位にトルコや韓国がランクされている。
「GDP」とか「1人あたりのGDP」などというと、あたかも暮らしの実感と離れているようにみえるけど、実態は逆で、かなり近いということである。

すると、わが国の政治家にはどんな評価が適当なのか?と問えば、驚くほどに、国民生活の向上に貢献していない、というのが答となる。

30年前のわが国は、1人あたりのGDPでアメリカを追い越した実績をもつ。
これが、「当の」アメリカ人にいかほどの衝撃を与え、怯えさせたか?を想像もしなかったのが、「当の」日本人であった。

まさに、「有頂天」、天狗になって、その長く伸びた鼻を舌で舐めていた。
そして、アメリカを凌駕した満足感にただ浸って、傲慢になっていたのである。
それこそが、「拝金主義の頂点」であって、これを「資本主義」と勘違いした。

アメリカ人の「よいところ」は、ちゃんと反省して合理的な対策を模索することにある。
間違えたひとをグダグダ攻撃する暇も惜しむ。
これは、かつての日本人の得意とするところではなかったのか?

さて、ギャラップ調査によるトランプ政権についての前述の質問の評価は、コロナ禍にあって「56%」が「良くなった」と答えていて、これは過去40年で最高値となっている。
そもそも、5割越えの大統領は過去にいない。

もっと驚くのは、アメリカ商務省が10月30日に発表した、直近の第3四半期のGDP伸び率である。
「7.4%」で、これは、年率に換算すると「驚異的な」33.1%となる。
気が滅入るので、わが国の数字は出したくない。

どうしてこんなことになるのか?
共和党トランプ政権の経済政策は、二本柱からなっている。
・大型減税
・規制緩和(新しく規制を作るなら、古い規制を2つ以上解除せよと命じている)

対してわが国の一貫した経済政策は?
・増税(消費増税はもちろん、レジ袋の有料化も実質増税にあたる)
・規制強化(わが国には1500項目の規制があって10年前より1.5倍になった)

どんな政策を実施すればいいかは、一目瞭然なのである。

日本は分割されるかも

ポーランドはヨーロッパの大国だったけど、当時の「列強」に、3度も勝手に分割されて、国を失う憂き目にあった。

面積ばかりが大きくて、国会には「全会一致」を原則とする厄介なルールがあって、緊急事態なのに「小田原評定」をしていたら、えいっ面倒だといって、ロシア、プロイセン、オーストリア(神聖ローマ帝国)の三国が「談合」して、あっという間に分割された。

ここに、ポーランド人という当事者が介在する「隙」はなかった。
いってみれば、「空中戦」である。
自分たちがそこに呼ばれもしない場所で、国の運命をきめる話がついたから、まったくもっての「あとの祭り」である。

そんなわけで、並の親日国家とは別格のポーランド人のなかには、「小田原評定」の意味だけでなく日本語の発音もしっているひとが、日本人がかんがえる以上にたくさんいる。
小田原北条家の運命と、自分たちの亡国の歴史とがかぶるからである。

では、勝手に分割とは、具体的にどうやるのか?
簡単である。
軍事力にまさる大国たちで決定して、当事国に「通告」すればよい。
もちろん当事国は、「そんなバカな」と抵抗があるのは想定している。

これを、圧倒的な兵力で「ねじ伏せる」のだ。
申し合わせて進駐してきて、抵抗者は容赦しない。
だからこうなる前に、なよりも「やる気」がないといけないのだ。
「桶狭間の戦い」と「小田原征伐」の、敗者と勝者の「覇気」に注目すればわかることである。

米中の闘いが、大統領選挙後にどうなるか?
「冷戦」が、まさかの「熱戦」に発展するのか?
その可能性はいかほどか?
ゼロでないならば、いかなる備えをすべきなのか?

いまやっている臨時国会で、こうした議論がされる可能性すらないのは、国民として安心していられる状況にない、ということだ。
にもかかわらず、平和な日常をすごしているのは、これは、ダチョウの習性に似ている。

敵からの攻撃に、もうだめだと観念したら、ダチョウはすさまじい速さで穴を掘り、あの小さな頭「だけ」を土に埋めて「隠れ」たことにするのである。
すなわち、思考停止である。

しかしながら、同盟国のはずのアメリカででてきた「あたらしいBLM」(バイデン ラップトップ マター)の衝撃的な内容は、従来の国内だけの価値観による、「9条論議」では済まされないことを示唆しているし、従来からある日米安保の履行についての疑念を確信にかえる威力がある。

その事例は、「亡命希望者」の「追い返し」である。
少なくとも、二例が曝露された。
もちろん、オバマ政権による相手国との「取引」であって、ふだんから「人権」を厳しくいう民主党にして、あり得ない「言行不一致」の証拠である。

追い返されたひとりは投獄後行方不明となり、もうひとりは、連邦議会で問題となって、なぜか奇跡的に出国許可がでてアメリカへの亡命が実現した。
これに尽力したのは、共和党の議員団だった。
とはいえ、どんな「取引」があったのか?はわからない。

さて、これらの事例から得られる教訓はなにか?
わが国は、いまだに「亡命希望者」状態ではないのか?という自問である。
片務的安保条約による安全保障のために、「思いやり予算」なる費用負担をしているのだけれども、なんのことはない「用心棒代」なのだ。

なにが「片務」といえば、日本領土の防衛に血の代償を支払うのがアメリカ人になっていて、日本人はこれをカネで買っていることを指す。
一種の「人身売買」をしているのだ。
つまり、あまりにもアメリカの負担が重い。

しかも、「思いやり予算」という、あたかも施しをしてやっている、とする表現は、まったくもって「対等」とはいえない。
この意味で、お歯黒の平安貴族が新興武士集団を蔑んだのに似ている。

トランプ政権による米軍駐留費用の思い切った増額請求は、自主防衛とのコスト計算において、悩ましい状態をつくりだした。
わが国は、それでも自国の防衛に「損得勘定の対象」という倒錯をしているから、彼らからしたら「阿呆」に見えるに違いない。

マンガでありながら、きわめてリアルな一石を投じたのは、かわぐちかいじ作『沈黙の艦隊』であった。
この作品中、在日米軍による、「日本再占領」という概念がでてくる。
これは、「画期」であった。

科学技術の進歩は、兵器の分野でめざましいのは人類史の示すところではあるけれど、日本ではほとんど他人事の、中央アジアはアゼルバイジャンとアルメニアの紛争(実際は戦争)で、新兵器のドローンによる体当たり攻撃が、おそるべき戦果をおさめている。

これによって、戦車がもはや役に立たないことが証明された。
すると、戦車を艦船に置き換えたらどうなるのか?

正規軍の編成を、従来の延長で続けることができなくなったのだ。
すると、従来型の最強軍こそ不利になる。
装備の入れ替えに、膨大なコストを要することになるからである。

さてそれで、わが国周辺とシーレーン上でのきな臭さは、下手をするとアメリカの取引材料にわが国があてられる可能性はないか?
すると、どのように「分割」されてしまうのか?
国があっての生活である。

家族でシミュレーションしておいた方がよいかもしれない。

23区を「特区」にする

バブルのころ、首都移転構想という「無謀」があった。
一極集中の東京を脱して、地方への「遷都」が持つ意味は、西ドイツの首都だったボンのような人工的計画都市を建設して、理想郷を首都としたいというものだった。

簡単にいえば、土建国家の欲望の最終行動、という成り行きの大投資計画のことである。
それで、東北地方の太平洋側が有力候補に残ったのは、雪が少ないという自然環境が有利とされたからである。

しかし、ほぼ同時期に、東西ドイツが統一されて「ドイツ」になったら、ドイツ人はあっさりボンを棄てて、ベルリンを首都に定めた。
果たして、日本人だったらボンを棄てることができたか?
かつて、さまざまな場所に遷都を繰り返した日本人が、とうとう平安京に落ち着いたのは、支配体制の安定による。

鎌倉幕府の成立以来、わが国には二つの中心があって、幕府所在地と平安京が明治天皇のお引っ越しによって東京に統一されるまで続いた。
明治政府は、なぜ平安京を首都にせず江戸にしたのか?
これは、ドイツ人の発想にはない。

ヨーロッパでは、かつての王宮が博物館として一般公開されている「ふつう」がある。
これは、「王政でなくなった証拠」だから、いまでも「王政」の国は、ヨーロッパでも王宮を一般公開などしない。

平安京の紫宸殿や、東京の赤坂離宮も一般公開されるようになったのは、わが国も「天皇家」の存在が縮んだことによる。
いってみれば、「禁裏の喪失」だ。
ひそかに、しかし確実に、人民国家への転換が推進されている。

そんなわけで、首都というのは背景に歴史をかかえているだけでなく、その国民の思想もかかえている。
だから、国によってその表情が違うのである。
区割りや建物がちがう、ということだけではない。

都市の発展に寄与した事例をながめると、共通項が浮かび上がる。
アジアの都市で、圧倒的なのが、「かつての東京」であった。
いまは、シンガポールと香港に代表されるといって、文句をいうひとはいないだろう。

シンガポールの「奇跡」をつくったのは、リー・クワンユーの功績だといって過言ではない。
この都市国家は、ちょうど東京23区ほどの面積に等しい。
政治体制は、しっかりした「独裁」なので、妙な感じがするだろうけど、「独裁政権」が「独裁」によって「自由経済を命令」して成功したという、稀有な例である。

一方香港は、イギリス人総督の独裁で、こちらも「自由を命令」していた。
元がアヘン戦争という、恥ずかしい理由の戦争によって得た領土だったから、恥ずかしくないような「自由」を許して、一種の「混沌」とした社会になった。

この「妖しさ」が、おカネを呼び込んだのである。

この意味で、香港の自由を蹂躙していると批難されているのは、お門違いだとする主張にも一理あるから、ややこしいのである。
いま批難されている国だって、ドイツが統一されるころ、「早く儲けた者勝ち」という大転換を実施した。

要は、国をあげて「自由経済を命令した」のである。
だから、あたかも「シンガポール・モデル」の巨大適用をやってみたら、うそみたいにうまくいった、ということである。
しかし、そのシンガポールは、「日本モデル」をパクったのだった。

このときの「日本」とは、「明治近代化期」のことをいう。
政府主導の、「自由の命令」が、キリスト教が決定的に普及しないわが国では、「現人神」と結合して、近代化成功の特効薬になったからである。
いまの日本人は、これをすっかり忘れてしまって、政府からの「規制の命令」に狂喜している。

上述の明治期ではなく、あたかも、「戦後高度成長期」が、政府の規制(たとえば「傾斜生産方式」とか)のおかげだと勘違いし続けて衰退しているから、シンガポール人からみれば、競争相手という概念すらない国になった。
逆に、彼らはいまの日本を「途上国」として観ているのが実態なのだ。

日本人は、日本が先進国だと信じているけど、とっくにその位置にいない。
シンガポール人の評価は、冷静でかつ正しい。
疑う向きは、国民1人あたりGDPで彼我の差を確認されたい。

香港からの「エクソダス(脱出)」が話題になっているけれど、わが国を希望して目指す香港人も企業もない。
それは、日本が「規制国家」であることを、彼らが熟知しているからである。すなわち、自由がない国、という評価なのだ。

国際的活動をするさまざまな企業、つまり、貿易を中心にすれば、その決済のための金融も、自由あっての利益が確保できる。
不自由(規制)の典型が、「税制」でもある。

せっかくの利益を国家に収奪されるのが、税である。
さらに、その仕組みは単純が望ましいのに、日本の税制は恐ろしく複雑で、ガラパゴス化している。
その他の「規制」は、彼らにはマンガにみえる「国際的非常識」なのだ。

これが、東京をして、せいぜい「拠点」としても、支店レベルの理由だ。
アジア太平洋地区マネジャーが配置される、支社あるいは地区本部が東京から香港やシンガポールにエクソダスした決定的理由なのである。

解決策は、政府が「自由を命令」するしかない。
これが、発展のセオリーというものだ。

アメリカで「赤狩り2.0」がはじまる?

アメリカ民主党の崩壊がはじまった。

各地で猛威をふるった「BLM( Black Lives Matter)」から急転直下、あたらしい「BLM(Biden’s Laptop Matter)」になった。

バイデン氏一家の悪行曝露と思いきや、とんでもない展開になってきたのは、民主党の幹部がことごとく「関与」していたことがわかったからである。
「身から出た錆」では済まされない、大失態。
それも歴史的な崩壊のはじまりだ。

これを暴いているのが、まるで、『バットマン』の「ゴッサム・シティ化」していたニューヨーク市を清浄化させた、ジュリアーニ元市長である。
弁護士でもある彼は、勇気ある「腐敗の洗濯」の経験者であり、第一人者なのである。口先だけのひとではない。
なめてはいけない理由がここにある。

彼は、ネタを小出しにすることでひとびとの目を離さない戦略をとっている。
ただし、有言実行を決して曲げない。
だから、毎日、なにが飛び出すかわからない。

元市長の身の安全が心配されるのは当然だけれど、「バイデン一家」こそ危険なのではないか?それは、PCのなかのデータにあった。
どうやら次男本人が、パソコンショップに持ち込んだことが本当なのは、捜査当局の公式見解があるものの、なにより本人が「返還請求」したことで証明された。
なんだかものすごく「間抜け」なのだ。

しかし、数万通の電子メールの解析から、恐るべきは前大統領、ヒラリー元国務長官、現職州知事、現職市長といったひとたちが、あらゆる悪事に荷担していることがバレだしたことだ。もちろん、ハリス副大統領候補の名前もある。

このバカ息子に、オバマ氏の子女やペロシ下院議長、それにケリー元国務長官の子までが絡んでいることも判明した。
子から親への金の流れは、なにもバイデン一家だけではなさそうだ。

もはや、民主党の崩壊である。

その大元の、バイデン氏一家こそ、もっとも危険ではないのか?
FBIは、バイデン一家の身の安全をはかる措置をしているのかと、海の彼方から心配したくなる。
そのためには、選挙なんかしている場合ではないだろう。

一方、わが国にとってのアメリカ民主党は、疫病神的存在である。
戦前から戦後の占領期を通じ一貫して、わが国にかかわったのはルーズベルトの民主党政権だった。

アメリカ合衆国大統領には、過去ふたりのルーズベルトがいた。
ひとりは、第26代セオドア・ルーズベルトで、このひとは共和党。
テディベアのモデルでもある。
そして、もうひとりが第32代フランクリン・ルーズヴェルト。じつは、セオドアとは血縁になる。

血はつながっていても、思想は別で、大恐慌後の経済無策と評された共和党フーバーの後を襲って就任し、「ニューディール政策」では、「国営企業」による投資を活発化させた。日本ではこの政策をやたら「褒め」て、あたかも大恐慌からの脱却に成功したかのような錯覚を植え込んでいる。

ヒトラーが採用してドイツを再生させたケインズの政策で、政府が有効需要をつくりだすという一種の社会主義政策を推進した。
アメリカの経済統計をみれば、1941年の12月から、V字回復しているのは、アメリカも戦時体制に入ったからである。

つまり、ニューディール政策で究極は、「戦争の有効需要」を創出することであった。

彼は、初代ワシントンが3期目を辞退した「故事」にちなんで、3選しないはずの大統領職に、生きていれば「5期20年」もやることになった、変な記録さえもっている。

ルーズベルトは、戦争末期に死去するけれど、その後の残存任期をトルーマンが引き継ぎ、2発もの原爆を使用した。
広島型はウラン、長崎型はプルトニウムなので種類が違う。
これに、3月10日の「東京大空襲」やら各地の空襲をくわえると、いかほどの市民を焼き殺したのか?

ナチスのホロコーストは糾弾されたけど、アメリカ民主党政権がやった日本人の虐殺はいまだに放置されているのは人種差別か?
その民主党のオバマが、現職ではじめて広島に来たのを大喜びしているナイーブなひとたちが大勢いるけど、このとき彼は、核兵器の大増産を指示していた。

いまの共和党政権や共和党多数の上院がいう、党と国民は別、という論理でいえば、民主党とアメリカ人は別ということになる。
ただし、アメリカ人が選挙で選んでいるから、民主主義の恐ろしさを日本人はもっと警戒していい。

ルーズベルト政権の「邪悪さ」が、いま様々に明らかになってきているなかで、こんどは、「バイデン氏一家」の邪悪さが、党全体へと拡張しはじめた。それは、オバマ政権の邪悪さの糾弾でもある。
いま起きていることは、過去の政治スキャンダルとは比較にならない、おそるべき「腐敗」の曝露である。
しかも、金銭授受だけでなく、諜報員や特殊部隊の全滅など、最高機密情報漏れによるアメリカ国民の生命が失われていることも疑われる。

すると、このひとたちには、「国家反逆罪」が適用されることになる。
これは、連邦法で、最高刑は死刑だ。

もしや、前大統領や副大統領、その政権幹部たちが連座するという事態になれば、民主党の崩壊だけではすまされず、保守派による「赤狩り」がはじまる可能性だってある。
こうなると、アメリカは内乱状態になるかもしれない。
つまり、「南北戦争2.0」ならぬ、「共和党革命」になることも想定できる。

大義を失った民主党支持者は、覚悟できているのだろうか?
トランプ氏は、内乱を回避し、国民融和がはかれるのか?
であれば、彼は、現代のリンカーンになる可能性だってある。

勢いあまって太平洋を越えれば、「赤い自民党」だって平穏ではいられない。
トランプ氏から信頼を得ている日本人は、安倍氏だけだから、まさかの第三次安倍内閣、あるいは血縁からの岸内閣もあり得る。
けれども、そのときは自民党も縮小するかもしれない。

日本版「赤狩り」がはじまるからだ。
石破氏の突如の派閥代表辞任とは、まさかこれか?
「理由」がわからない「理由」かもしれない。
だとすれば、もうはじまっている。

騒然とした時代がやってくる。
アメリカで起きるのだ。
他国の騒乱ではすまされない。

滅亡の所信表明演説なのに

菅新政権の所信表明演説の「肝」は、コロナに立ち向かうやる気のなさをベースにした、亡国の「温暖化ガス2050年ゼロ」である。

やる気のなさは、議場の演壇に立って「演説する」ときもマスクを着用しまま、というお行儀よさに表れている。
少なくても、アメリカ合衆国大統領選挙における両候補と司会者は、討議中にはマスクを外し、ちゃんと顔を見せたのだ。
国民に向かって行う、発足した内閣にとって大事な、「施政方針」をマスク着用のまま行う、というのはコロナとの闘いの気概すらないという「暗黙の表明」であった。
元の生活に戻ることを優先させるトランプ氏の気迫をみた目には、大統領の無策を責める割に、自分の「プラン」は、マスク着用の強制とPCR検査の徹底というバイデン氏のお粗末に、拍子抜けしたのは日本人だっておなじだ。

つまり、管氏の態度はバイデン氏とかわりないのである。
だからか、こんな肝っ玉の小さな人物が掲げたのが、温暖化ガス2050年ゼロという、まったくもってアメリカ民主党のなかの極左と主張が変わらない。
バイデン氏よりも、副大統領候補の、カマラ・ハリス氏とおなじだ。
日本人なら、あの宇宙人、鳩山由紀夫内閣と同等以上の「そっち」への舵を切ったことになる。

トランプ氏と結束しているのは、オーストラリアのモリソン首相である。
このひとは、オーストラリア自由党(Liberal Party of Australia)の党首である。
「リベラル」が、「自由」だとちゃんと党名になっていて、わが国の左翼を指す「リベラル」とは意味が真逆だ。
わが国ではちゃんと、用語として、「社会主義者」と表記すべきである。

さて、モリソン氏は、オーストラリア国会で、温暖化対策に無関心なことを野党から質問されて、以下のようにきっぱりと答えている。
わがオーストラリアが排出している温暖化ガスは、世界の排出量の1%程度である。
もっとも排出している、米中2国で50%を超えるのに、両国ともほとんど対策を立案もしていない。
よって、わが国だけが巨額の対策予算を計上する意味は、効果という意味においてムダである、と。

この論でいけば、残念ながらわが国も、世界の工場の地位を失ったかわりに、温暖化ガス排出量のシェアも落して3%程度なのである。
だから、こんなものに国家予算(=税)をつかう意味はない。
しかも、今回の演説で想定している額は、10兆円にものぼる。
じつは、わが国はすでに温暖化対策費として、200兆円を投じているのだ。

まったく、地球という惑星に対する奢りとしかかんがえられない。
果たして、人類が地球をコントロールできるという、自然への敬意の微塵もない思想なのである。
1個の台風のコントロールすら不可能なのに、なにをかんがえているのか?
ムダな税を投じて、国民を窮乏させ、よって革命に導きたいとする人間の都合を、地球環境という美談で誤魔化しているだけだ。

そんなポンコツな内閣だけど、なぜか「核兵器禁止条約」は、ちゃんと「批准しない」と繰り返し表明して、左翼のひとたちを刺激している。
いったいぜんたい、どういう基準で政権運営するのか?「方針」がさっぱりわからない。

そもそも、核兵器禁止条約のなにが「いけない」のか?
第一に、核保有国がこれに加わらないことである。
第二に、人類は絶対に核兵器の廃絶をしないからである。

つまり、この条約は、「国際法」ではなくて、「文学」なのである。
ジャンルは、ファンタジー小説だ。
ノーベル財団は、国連にノーベル文学賞を差し出すとよい。

なかなか、「絶対」という言葉は使えないものだ。
しかし、人類は絶対に核兵器を廃絶しない。
保有コストから、ロシアのように数を減らすことはある。
でも、ゼロにはしない。だれか独りでも核を持てば、どうなるか?ということである。

70年代だか80年代だったと記憶にあるのは、ひとりのアメリカの大学生が原爆の設計図を独自に書いて、これが大騒ぎになったことだ。
なぜなら、それが「本物」だったからである。
つまり、当時ですら理系大学の一般学生が、授業と図書館にある資料で設計ができてしまうことが証明されたのだ。
ないのは、材料だった。

もちろん、核爆弾の運搬方法がもっとも重要な技術になっている。
当初の飛行機で運ぶ方法から、とっくにロケットエンジンを使うミサイルになった。
いまは、マッハ8という超音速で飛んでくる。
ただし、命中精度はしらない。
目標よりかなりズレても、核なら精度の許容範囲が広くなるので実用にしているのだろう。

ロシアのプーチン氏が、初めて大統領に就任したとき、大変重要な演説をしたのだが、例によってわが国のマスコミはあんまり報道しない。
「外交とは、核保有国が互いに話し合いをすることだ。核をもたない国は核保有国の決定に従うしかないから、これらの国は外交をすることはできない」
核の価値は、抑止力だといわれている。
人口が急激に減少するわが国は、若者の数が減るので通常兵器だけでの防衛は現実的ではない。

ではどうするか?
温暖化が喫緊の脅威ではないことは確かだ。
いったい、わが国はなにをしたいのか?
おそらく、本人もわかってやしないことがわかった。

コロナ全体主義の恐怖

マスク着用の義務という強制は、全体主義の実行である。
これを推進するのは、アメリカ民主党だ。一方で、都議会の独自政党「都民ファースト」も、マスク着用義務を条例化しようとしている。
こうした政党の支持率が高い、というのもあまりにも情けないので書いておこうと思う。

本稿では10月8日に、WHOのコロナ特使であるデビット・ナバロ氏が、「ロックダウンを推奨しない」と述べていることを前提にする。
これは、日本時間で23日(現地では22日)に行われた、最後の大統領候補者による討論会で、トランプ氏も「前提」にしていたからだ。

国内では、さいきん、過剰なコロナ対策による「犠牲者」がふえている。
マスク着用による、「脳障害」が、全世代に警告されているのは、「酸欠」を原因とするからである。
とくに、乳幼児には「危険」なので、日本小児科会は、「子どもにマスクをさせない」ように警告告知した。

この警告から2ヶ月以上して、文科省も通達を出したが、緊急事態宣言以来、中央集権が効かなくなったので、各地の教育委員会は結構無視しているから、学校でのマスク着用が「事実上義務化」されたままでいる。

一方で、ちゃんとしたアルコール消毒剤が世の中から消えたことで、家庭用の漂白剤が代用できるという情報から、「濃度」についての調整を無視して原液やほとんど薄めずに大量使用して、手指の皮膚が荒れるのはもちろん、吸い込んだ体内の細胞も荒れて「肺炎」を誘発している。

コロナで肺炎にならずに、消毒剤で肺炎になる。
マンガのようなはなしだが、まったく笑えない事実である。
1000倍に薄めて使う、という意味がわからないとは、義務教育でどんな授業体験をしてきたのか?さっぱりわからない。

あるサイトでは、999mLの水に1mLの原液を加えれば1000倍になると、驚くことが記載されている。
ネットが玉石混交とは、このことをいう。
1000mLに1mLを入れないといけない。

式にすれば、希釈倍率=水量 ÷ 原液量(1000mL ÷ 1mL)
だから、できあがりは1001mL、になる。
ちなみに、「リットル」の国際記号は、「L」であって、「l」や「ℓ」ではないから、わが国独自の「記号」であると意識しておきたい。

行われた「討論」自体は、変えようのない事実であっても、新聞社やテレビ局、あるいはひとによって、「評価」がぜんぜんちがうから、これを比較するだけで結構な、「エンタメ」になっている。
どうして、そんな「評価」になるのか?という「ズレ」が、ほとんどギャグになっている。

この討論会の直前、会場にむかうトランプ氏の姿がネットでは動画になっていて、なんだか大勢いる支持者たちに向かって「これから不利な闘いに行く」といって、警備で閉鎖された会場の大学の庭から大声で語りかけ、独り歩き始める。
まるで、決闘に向かうヒーローのようなのだ。

どういうわけか、一回目も今回も、司会者は「民主党員」を表明しているひとなのだ。
このような、前条件も日米のメディアは指摘しない。
観る価値なし、を自分たちで強調しているのも、ギャグである。

討論の最初のテーマが「コロナ」だった。

トランプ氏自身があれだけ批判していたWHOではあるものの、冒頭のナバロ氏の発言をしっかり踏まえていた。
初期の頃は、誰にもわからなかった対処法がだんだん明らかになって、いまではこの病気の実態が見えてきている。

少なくても、アメリカでも50代以下のひとは、感染しても99.9%が回復するし、それ以上であっても自分のように元気になれる。
しかも、自分は免疫さえも取得した、と。

さらに、民主党の知事や市長の州や市のおおくが、厳しいロックダウンを実施したのに、被害はこれを「しなかった地域」とは比較にならないほど「大きくなった」という事実も、具体的数字をあげて重ねて指摘した。
そして、元の生活に戻すことが最優先だと主張したのである。

さて国内では、都議会最大会派となった都知事の与党は、東京都自民党よりも「保守」だとして、おなじく「保守」と観られている都知事が主導してできた地域政党だ。あっという間に広がりながら、もう下火のようではある。
とはいえ、選挙結果はジワリと効いてくるのだ。

「コロナ感染対策」として、「マスク着用の強制化」を条例にするという動きは、「保守」かどうかはしらないが、少なくとも「自由主義」ではない。
憲法違反の疑いも議論されているけれど、わが国の憲法解釈は歪んでいるので、盛り上がらない。

ここではっきり明らかになったのは、「保守主義」は、必ずしも「自由主義」ではない、ということである。
そして、もう一度アメリカを向けば、「民主党(Democratic Party)」の掲げる「デモクラシー(民主主義)」も、必ずしも「自由主義」ではない、ということがわかるのである。

そういえば、ヒトラーもスターリンも、毛沢東、金日成も、全員が、「民主主義」を理由に、全体主義を達成した。

なるほど、コロナの毒の下解毒剤は、ただひとつ、「自由主義」という発想なのである。

「ロシア疑惑」と「日本疑惑」

今後の世界情勢が事実上決まる、アメリカ大統領選挙の天王山、投票日前最後の「テレビ討論会」が、昨日終わった。
とはいえ、期日前投票がかつてなく多いという状況もあって、当落予想も過熱している。

大統領選挙も重要だが、アメリカの連邦政治制度で重要なのは、大統領選挙と同時におこなう、上・下両院議員選挙である。
わが国の衆議院にあたる下院は、任期は2年で「解散はない」。
また、わが国の参議院にあたる上院は、任期6年は同じだが、半数改選のわが国と違って、3分の1が2年ごとに改選される。

このブログで何度も書いているように、アメリカはわが国と「違って」三権分立しているから、行政府の長である大統領と、立法府の両院はそれぞれが「独立」している。
法案は、議員立法「しかない」ので、わが国で主流の「内閣立法」とはぜんぜん違う。

つまり、議会の趨勢がどうなるか?によっては、弱小大統領が誕生することだってあり得る。
大統領が、どんなにがんばっても、議会で否決されたらどうにもこうにもならないのがアメリカ合衆国という国なのである。

ソ連が崩壊して、米ソ冷戦が終結したとき、誰もが、アメリカの一人勝ち状態が永続すると思った。
しかし、好敵手たるライバルを失うと、自己評価ができなくなってしまい、結局は衰退がはじまるものだ。
これは、企業にも、個人にもあてはまる。

この法則に、アメリカ自身も逃れることができないでいるのも確かだ。
しかし、そうはいっても、やっぱりアメリカは強大である。
米中の新冷戦とは、アメリカがアメリカ自身を「偉大だ」と、再確認するために必要な、ライバルづくりともいえるのである。

さてそれで、わが国を中心にして考えれば、わが国の繁栄にとって、アメリカがどうあるべきなのか?あるいは、どうあるとわが国の繁栄に都合がいいのか?を想定することは、これ以上ない最重要事項である。
わが国の、全産業が影響を受けるからである。

これは、「親米」とか、「反米」といった感情とは別の、「損得計算」なのである。
しかも、我々には、「投票権がない」という冷然とした条件がある。
ならば、どうするべきなのか?

まずは、現状認識の確認である。
わが国を取り巻く外部環境と、わが国のなかでの資源配分を冷静に分析しなければならない。
これを、「面」としての現状分析とすれば、立体的にする要素は「時間」を加えた分析で、一方は過去の歴史、一方は将来となる。

将来には二通りあって、ひとつが「成り行き」で、ひとつが「あるべき姿」となる。
ついでにいえば、「あるべき姿」とは、不可能を承知で描く「理想像」をいう。それで、成り行きとのギャップを埋める方策をかんがえるのが、「セオリー」というものだ。

そこで、かんがえるにあたってのベースとなる「思想」によって、「理想像」が変わる。
これが、政党でいう「理念」や「綱領」と直結する。
だから、有権者には、理想像がどんな理念で描かれているかを説明する義務が政党にはある。

この義務を、ほとんど果たしたことがない、のがわが国の「政党」であり、わが国の「政党政治」なのである。
すると、わが国には「政党がない」ということになる。

そんな調子なので、わが国の繁栄に必要なことに近い、アメリカの大統領候補になる人物が誰で、どちらの政党だとより有利なのか?についての合意づくりも何もしない。

政権政党の内部だけでなく、官僚機構にも指示をださない。
だから、外務省がなにをしているのかもわからないのだ。
外国の選挙に介入してはいけません、などとお坊ちゃま面をしていられるのは、自分たちの優雅な生活をしたいだけで、国益は考慮しないという伝統的習慣がそうさせるのだろう。

「ロシア疑惑」とか「中国疑惑」が出てくるのは、それだけ普段から「仕事をしている」ということなのだ。
絶対に「日本疑惑」が起きそうもないのは、ただ現地にいるだけでよしとする、本国の生温い政治体制があるからである。

ちなみに、ロシアのGDPは、わが国の3分の1以下である。
外交力を2倍とすれば、6倍も頑張っている換算になる。

少なくとも、マスコミ報道における「左傾化」で、汚職まみれのバイデン氏と、いまや「冤罪」となったトランプ弾劾を強行した民主党へのあからさまな「贔屓」は、わが国の繁栄を下敷きにしたとは思えず、記者や報道機関の「身内の思想」がそのまま反映されていると思われる。

安倍内閣を責め立てた、「疑惑」のスケールと、数千億円単位の収賄をした疑いのバイデン一家を比べれば、潔癖症のわがマスコミが知らんぷりする理由がわからない。
もしや、第三国からの要請があるのだろうかと「疑惑」もうまれる。

理想とした目標に向かって、あらゆる方面に統合された手を尽くす。
これぞ、戦略思想の具現化である。

唐突ではあるけど、「カジノ」を運営するのは、この思想と具現化のノウハウがないと不可能だ。
なるほど、国産カジノが輸出もできない理由がここにある。
法規制のため国内で開業できなかったから、は理由にならない。

少しは見習ったほうがいい国が、わが国周辺にはある。