行政が住民から乖離する怪奇

夏の定番だった「怪談」も、昨今では人気がないのか話題にも欠くようになった。
そんなときに、突然、横浜市がカジノ誘致に名乗り出たとニュースになった。

市役所のなかでなにがどう話し合われているのかしらないが、もともと市長は誘致に積極的だった。
しかし、市長選挙をはさんで、急にだんまりをきめこんで、「未定」というニュートラルに徹していたのは「港のドン」の態度が選挙前になって180度かわったからである。

横浜港という「かつて」は、世界一を誇った港湾が、運輸省という国家機関の介入で、急速に地位を低下させたのは、まるで我が国の経済力が「国家戦略依存」という勘違いで壊されたパターンとそっくり似ている。

なにが「勘違い」かといえば、需要予測という経営上もっとも重要な判断を民間にゆだねるのではなく、むしろこれを「奪って」、経営に責任のない御用学者と役人が適当に描いた(あるべき)絵図を基礎にすることである。

もはや取り返しがつかなくなった我が国の港湾の位置づけは、とっくに「ハブ」機能を釜山港に奪われたのだが、これは我が国のやりかたをまねっこしたのに、国の役人より財閥を優先させるという韓国の基本政策が、けっきょく民間にただしく委ねることができたという皮肉でもある。

我が国の役人の「優秀さ」こそが、我が国を転落させる原因となるわかりやすい一例である。

いまや横浜港だけでなく川崎港に東京港もあわせて、「京浜三港」が一括して国家管轄になっている。
東京都港湾局も横浜市港湾局も、国家によるしきりに反対しているが、「民間優先」という基本方針がみえないから、国と地方の公務員による縄張り争いにしかみえないのは、たいへん残念なことである。

国際物流という視点からすれば、もはや主流のコンテナ輸送にあって、幹線航路を世界最大級クラスの船が行き来しているが、東アジアにおいては先の釜山港が起点と終点になっている。

たとえば、東京湾は、港が隣接しているから、本来は横浜行きのコンテナでも、千葉行きの船に乗せられるのは、地球儀的視野では「アバウト横浜」だからである。
そんなわけで、千葉港から横浜や東京・川崎港まで、さらにまとめて曳舟で移動する。もちろん、それぞれの行き先を海上移動させているのは、陸上をトレーラーで運ぶより効率が良いからである。

いわゆる入れ子人形のような構造で、海運のルートがなっている。
しかし、いかにコンテナとはいえ、積み替えという手間がそれぞれにかかるから、このコストは誰かが負担していることになる。
それは、最終消費者に転嫁されるのはいうまでもない。
国内の物流コストだけでなく、海外の分も負担があるのだと、あらためて消費者は知っておくべきである。

かつて港湾における「荷役」は、コンテナがなかった時代、ばら積みが主流だったから、人力を必要とした。
これがいわゆる「港湾労働者」ということであって、肉体労働の典型だった。
コンテナはこれを革命的に変えてしまった。

横浜港のドンとは、港湾労働者を仕切ったひとである。
いまでは、各種クレーンのオペレーター会社になっている。
だから、港の隅々まで熟知しているのは、なにも地理だけではない。

横浜「市」が手掛けた巨大事業は、「みなとみらい」である。
三菱重工横浜造船所の跡地開発のことで、大規模な造船所は横浜から消えた。

これは、市役所の都市開発部隊が主導したが、港湾関係者からすれば「担当」がちがう。
「港湾局」だろう、という常識がある。

さらに、以前にも書いたが、横浜には貿易にかかわる多くの上場企業本社があったが、ながかった社会党市長時代に法人住民税を増税したので、ほとんどの企業が東京に本社移転してしまった。
産業がなくなった横浜だが、東京のベッドタウンとして人口は増加したことを文字って「おおいなる田舎」となって現在にいたる。

カジノの予定地は、山下ふ頭という、いわば横浜港の中心地だ。
ここは、戦後史の中での横浜港、という意味があるのである。

横浜商工会議所もカジノ誘致賛成なのは、港湾企業が岩盤規制で新規参入できない特殊性が前提にあるから、港湾関係の加盟企業数が増えることも減ることもない。

市役所同様、商工会も閉塞感があるだろう。

兆円単位の投資がされるカジノが、こうしたひとたちに魅力なのは、自分のおカネではないから余計に金ピカにみえるだろう。
しかし、役人なら仕方がないが経営者なら、「投資回収はどうするのだ?」がなくてはならない。

この議論が「ない」ことで、横浜経済人の底がしれる。
市長は有名民間企業で役員を歴任した「ビジネス・ウーマン」だったはずだが、当時の単なる数における「女性枠」でなれたのではないか?とうたがいたくなる。

それが、横浜のこの夏の「怪奇」なのである。
住民は、住民あっての行政に「回帰」してほしいと冷や汗をかきながら願うしかない。

くわばらくわばら。

4度差が生死をわける

いわゆるエンジンに「ラジエター」がかならず必要なのは、燃料を燃やしてエネルギーを得るからで、燃やしつづければ熱が上昇してエンジン自体を損傷させてしまうからだ。
だから、冷却装置としてのラジエターがなければならない。

ということは、燃料の発するエネルギーを全部利用できるわけではない、ということがわかる。
残念ながら、かなりのエネルギーが使われずに捨てられている。

いまではタバコ飲みは変人あつかいになりつつあるが、ちょっと前なら「おとなのたしなみ」の最たるものの一つだった。
その中でも、「パイプ」は自分で葉のブレンドもできるから、趣味としての深みがあった。

タバコのうまみは、葉の加工・香料の調合だけでなく煙の温度にも左右されて、当然だが温度が低い煙がマイルドで、温度があがると辛くなる。
だから、「クール・スモーキング」が理想的なのである。

そんなわけで、アメリカの飛行機メーカーがつくる「ラジエター・パイプ」は喫煙具製造技術の最先端でもあったが、日本の「キセル」の木部の長さがラジエターとおなじなのだから、人間がかんがえることに大幅なちがいはない。

生きものは体に熱がこもる。
たとえば、血液が体内を循環するだけでも、血管と血液がこすれて摩擦熱が生じるから、厳密にはそれだけでも熱がでるのである。

陸に上がった動物は、高度に進化した。
その中でも人間は、霊長類としても頂点に君臨する動物である。
一般的に、人間の体温は36度ぐらいで個体差がある。
37度だと「微熱」といわれるが、年齢によっても変化する。

今年は例年よりながい梅雨が明けて、急激に気温が上がった。
梅雨の時期に気温が徐々に上がることがなく、梅雨冷えがひどかったから、からだが熱になれる準備ができていない。
それで、いつもより熱中症がふえている。

熱中症になるメカニズムは、体内に蓄積された熱の放熱ができなくなることが原因といわれている。
つまり、人間のからだにあるラジエターの機能と、気温とのバランスが崩れると発症するのである。

もし、人間のからだが単純な構造なら、体温と気温差が4度以内になると「即死する」はなしになる。
90度をこえるサウナ風呂に入っても「即死しない」のは、人間が複雑な構造だからである。

つまり、外の熱を体内にいったん蓄熱する機能があるから、いきなり焼け死ぬことはない。
しかし、長時間いれば、蓄熱する機能がなくなる。
すなわち、体内深くまで温度が上昇するのだ。
おもに蓄熱する場所は「骨」である。

蓄熱する機能があるのも、機能をうしなうのも、「温度差の有無」が原因であり結果となる。

つまり、「温度差」こそが「熱移動」に必要な条件なのである。

自動車のラジエターでかんがえれば、エンジンの温度とラジエターの水の温度差があるから機能するのであって、もしこの温度差がなくなれば、ラジエターの役割・機能はうしなわれたことになる。

そんなわけで、人間のばあい、必要な温度差は「4度以上」といわれている。
つまり、体温が36度のひとなら、気温32度までが許容範囲なのである。

しかしながら、昨今の日本では、40度を記録することも希ではない地域がある。
すなわち、もはや「危険地帯」が現出しているのだ。

誰でも灼熱の砂漠を連想するアラブ諸国では、50度を超えると学校や役所が「休み」となる。
それで、48度という日がならぶことがあって、発表する政府は恣意的であるという批判がある。

しかし、気温と体温の関係だけが問題にならないのは、湿度もあるし、室外なら風速という条件がある。
湿度が低い砂漠では、体温調整のために分泌させる「汗」が、皮膚表面にでた瞬間に乾いてしまう。

このときの「気化熱」と、木陰における気温差が3度あるから、日中のオアシスで木陰にお茶を飲みながらたたずむひとびとは、数メートル先の直射日光の場所からくらべれば、とてつもなく快適な空間に身を寄せている。

もちろん、こんな昼間に労働にはげむひとがいないのは、怠け者ではなく、命にかかわるからである。

ちなみに、井戸からくんだ水を沸騰させていれる「お茶」は、お腹にもやさしいことはいうまでもない。
このような環境で、氷を口にするのは、要求してないことはない時代になったが、旅人の健康は保障できない。

腕の皮膚をなでると「ざらざら」するのを確認でき、「細かい砂」だと勘違いするものだが、じつは自分の汗からでた「塩」である。
このばあい、すみやかに「塩分摂取」がひつようになるが、できれば粉薬のように塩を口にして、味わうことなく水で飲み込むとよい。
なお、ビタミンC系のものは役に立たない。

けれども、日本のように湿度も高いと汗がふきだして、これに風があるとついつい水だけを補給すればよいとかんじてしまう。
かならず塩も補給したいモノだ。
熱中症の予兆に、塩水が甘く感じることもある。

その目安は、体温と気温の差が4度以内は危険、だとくれぐれも注意したい。
体温-気温=4度 であって、この逆ではない。
春や秋の25度ぐらいが快適にかんじるのは、体温が適度に放熱できるからである。

残暑とはいえない猛暑はつづく。
業務上の熱中症は、労災である。
涼しい休憩場所を確保したいが、できないならばできるだけの対策は使用者の義務である。

「しんがり」意識

戦闘において退却をはかるとき、本隊を温存するため最後尾になってこれを防御する部隊を「しんがり(「殿」と書く)」という。
日本史だろうが世界史だろうが、自軍大将から「しんがり」を命ぜられたら、ふつうは生きて帰れないことを意味した。

敗走する自軍にあって、自らも逃げながら敵軍からの追撃を受けとめ、自軍本隊が逃げるための時間稼ぎをするのが役割だ。
したがって、おのずと「援軍」はいっさい期待できないから、全滅を覚悟する。

信長の敗戦として知られる「金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)」は、越前の朝倉義景攻略のはずであったが、義弟で盟友の浅井長政の裏切りで戦況は一変する。
このときの「しんがり」で大活躍し、その後の織田家中で一目おかれる存在になったのが秀吉だったと伝わっている。

アメリカで「サービス革命」を引き起こしたという伝説の図書は『逆さまのピラミッド』(1990年)である。
この年は、サービス業界むけにもう一冊の伝説的著作『真実の瞬間』も出版されているから、めずらしい「当たり年」だった。

 

『逆さまのピラミッド』は、よくある企業の組織構造で、社長をトップにおいたピラミッド型を、そのままひっくり返したのだから「革命的」だったのだ。

すなわち、なぜかサービス提供企業は、顧客接線(現場の最前線)に若いスタッフが配置されていて、ベテランになるにしたがって後方に移り、直接お客様との「接線」どころか「接点」もうしなうようにできている。

経験のうすい若いひとたちが、常に最前線にいるのである。
そして、肩書きがつけば、だんだんと後方に移動するが、なぜか顧客からみえないところで「指示・命令」をくだしている。
その意味で、経営トップである、例えば「社長」は、もっとも顧客から遠いところに座っていることになる。

ところで、サービス提供企業の収入は、すべて利用客から得るという構造だから、もっとも若いスタッフが「もっとも稼いでいる」のにもっとも賃金が安く、もっとも顧客から遠いひとがもっとも高い賃金を得ている、ともいえる。

これはいったいどういうことか?
サービス提供企業は、その組織のすべてのエネルギーを、もっとも若い最前線のひとたちが、もっともうまいやり方で行動できるように使わなければならない、という結論が導かれるのだ。

この意味で、社長はビジネスモデルとして「しんがり」なのである。

ところが、自分が「しんがり」だと自覚している経営者はかなり少数派だ。
おおくのばあい、現場長が「しんがり」になっている。
そして、こういうばあいほど、利益がすくない事業だといえる。

なぜなら、このようなばあい、つまり、ふつうのピラミッド型の組織をそのまま疑念なく信じるひとが社長のばあい、その社長は「お飾り」にすぎないから、とうぜんに組織のパフォーマンスは低下してしまうからだ。

しかし、こうしたパフォーマンスが低い状態が「ふつう」になるので、その組織はいつまでたっても「低い」ことを自覚できない。

これが、わが国サービス業が、先進国でほぼ「ビリ」という低生産性のほんとうの理由である。

そして、このようなばあい、生産性が低い理由を、現場の最前線に問題があると決めつけるのも、とうぜんの帰結である。
トップみずからの生産性がほぼ「ゼロ」あるいは「マイナス」なのに、じぶんからじぶんの生産性が「ゼロ」だと気づくこともできないのである。

現場での問題を解決するためにどんな戦略をめぐらすのか?
これは、そのときその場での戦術しかできない現場にあって、とうぜんだが、ふだんかんがえることではない。

もし、現場に戦略もかんがえろ、と命じるならそれはそれでトップの意志だが、それではやっぱりトップの存在意義がない。
トップみずからの役割は、仕組みをかんがえることであって、そのためには現場最前線での状況をくわしく把握するひつようがある。

だから、社長室に引きこもっているようなトップでは、トップとしての「しんがり」の役割を果たしようがないのである。

そんなわけで、トラブル発生となって、トップ自らが動かなければならなくなったとき、どこか他人ごとになるのは、ふだんから「しんがり」だとおもっていないからである。
そして、このようなトップほど「犯人探し」がだいすきなのだ。

自分の顔に泥を塗ったやつは許せん!

というわけである。

これを第三者の他人は、その無責任さに呆れながら現場の苦悩を想像するのである。
そして、自分の子どもに、こんな会社にはいっちゃダメだよ、と諭せれば、将来その親に感謝することにもなるだろう。

こうして、わが国サービス業界は今日も人手不足にあえいでいるのである。
募集しても募集しても、だれも応募者がいないのは、そんな会社で働きたくないからで、どうしてそう思われてしまうかをかんがえない。

トップこそ「しんがり」なのだとかんがえる癖をつけよう。

マゼラン出航500年

ポルトガルで本名は、フェルナン・デ・マガリャイスと伝わるが、スペインに移ってスペイン語型になり、それをラテン語型にして「マゼラン」となるひとのはなしである。

今日、8月10日は、1519年、マゼランがスペインのセビリアを出航し、世界一周航海に出発してから500年の記念となる日だ。

また「ツヴァイク」に頼ってしまう。
『マゼラン』が出版されたのが1938年(昭和13年)だ。
この年の「こどもの日」に、国家総動員法が施行されているが、「こどもの日」が定められたのは1948年の祝日法なので、最初のこどもの日は1949年の5月5日となる。

おなじ年、アメリカではチェスター・バーナードによって歴史的名著『経営者の役割』が出版された。

バーナード理論を研究する「日本バーナード協会」があるくらい有名なのだが、81年経ったいまも、日本の経営者に『経営者の役割』をはたしているひとが少数派なのはどうしたことか?

ヨーロッパでは小国のポルトガルは、スペインに飲み込まれたりといろいろ苦労した国ではあるが、イベリア半島のはじっこで地中海に面して「いない」ことが絶望だったのである。
なぜなら、当時の「海洋」とは古代から地中海のことであったからだ。

地球がまるい球体であることだって、当時はだれも信じてやいない。
プトレマイオスとローマ教会とが、海の果ては滝のように落ちているときめていたからである。

ところが、「膨張」するという人間の性で、その海の果てを見てみようというひとたちがあらわれたのは、「胡椒」への強烈な欲望からである。
ヨーロッパにインドの胡椒が伝播したのは、紀元前のギリシャに記録があるものの、アラビア人の隊商とオスマン帝国によって「安全」にヨーロッパへ運ばれた。

このときの「安全」だって、いまの「安全」とはまったくちがう。
当時のちょっと前の「危険」が、それでも「安全」になったという意味だ。
旅の途中の掠奪はあたりまえだし、各地の有力者がこぞって「通行税」をまきあげたから、陸路でやってくる胡椒はいちじるしく高価になる。

けれども、胡椒があるとないとでははなしがちがう。
胡椒がない料理と食事をおもえば、せいぜい塩味だけの肉料理を想像するだけで、焼こうが煮ようが、「うまい」というはずがない。

つまり、人類は、というよりヨーロッパ人たちは、アフリカから発生した人類の歴史で、万年単位と千年単位をかさねて、いまのわれわれが「中世」とよぶ時代に、はじめて胡椒の味をしったのだ。
それが、どんなに衝撃的なことだったのか?おおいに想像できる。

これまでとかわらない食材に胡椒をふる「だけ」で、激変してしまう。
そして、いちどおぼえたら、麻薬以上になければならない物資になったのは、必然ということばすらゆるく感じる。

陸がつながっているなら、海もつながっているはずだ。
いまさらながらに、当時の気分になれば、ほとんど根拠のない世迷い言である。
プトレマイオスの地図という不変の常識があれば、いまようの科学的な、あるいは論理的な思考とはまったくいえない。

だから、「冒険」となった。
この冒険を可能にしたのは、陸路でくる胡椒の需要がとうぜんに供給をはるかにうわまっているから、「もしも」「ほんとうに」海路で胡椒がはこべれば、莫大な富を得ることができるという「賭け」、すなわち「リスク」をとる投資家があらわれたからである。

しかも、ひとりの権力者だけの投資から、複数のひとが資金を提供すれば、そのぶんリスクは分散させられる。
地中海貿易を独占していたベネチア商人の複式簿記の知恵が応用される。
『ベニスの商人』のことだ。

じつは、「リスク」こそが、「利益の源泉」なのである。
すべての商売は、リスクを内包している。
町の食堂だっておなじで、お客さんが食あたりになるリスクがある。
このリスク分を利益のなかに取りこんでいるのだ。

さらにわかりやすくいえば、もしものばあいの「保険」をかけるというのも、保険料という料金を利益をけずって負担している。

いつのまにか「リスクは避けるもの」になってしまった日本企業は、本来の「経営者」が不在になって、だれでも経営者になれてしまう。
利益の源泉を「避けるもの」にしてしまうのだから、儲からないのは当然だ。

ローマ教会に忠誠を誓うスペインとポルトガルに、法王は新発見の土地における統治権を独占的にあたえた。両国は、十字軍だったのだ。
他国はこれを傍観するしかなかった。

そして、ポルトガルはときにアフリカ全土を手にし、さらに東のインドにむかう。
コロンブスは西に地球をまわって新大陸をインドだと信じていたが、その報にさっそく西へ艦隊をだしてブラジルを得る。

しかしながら、ポルトガルは小さすぎ(当時の人口150万人)て、アフリカ全土、インド、ブラジルを統治するひとの数がない。
こうして、欲望が強くありすぎたけれど、なんと国力を消耗しつくしてしまうのだ。

マゼランの出航には、どんな意図があったのか?
お盆休みに涼みながらの読書はいかが。

そうめんを料理する

夏の暑さで食欲をうしなうと、それが深刻な夏バテになるから、そんなときは冷たいそうめんがたすけてくれる。
するするとしていて、独特のプツンとした歯ごたえがあるそうめんは、冷たいつゆと生姜という「冷と温」の組合せで、いくらでも腹におさまる。

製造工程で、麺どうしがくっつかないようにごま油や綿実油をぬるので、ああみえてじつはカロリーが高い食品である。
それに、つくりたてではなく箱に詰めて三年熟成させたものが高級といわれるのは他の麺類にはない特徴だ。

以前、小豆島の宿の再生を担当していたときに、つくりたてと熟成ものを比較して食べてみたことがある。
つくりたてはやや粉っぽい感じで、熟成ものはそれがすっかり抜けていたし、食感も微妙だがちがう。

ただ、値段は大違いだ。
地元のひとはつくりたてを毎日のようにたべているので、熟成ものをわざわざ店で注文するという感覚がないそうで、「あんなもんカネになりません」と飲食店でもメニューにない。

だから、観光客向けに「流しそうめん」をやるのだ。

そうめんの名産地は、奈良県の三輪、小豆島、播州、それに島原や熊本が有名で、三輪から小豆島支配にやってきた武将がそうめんをつくらせたのが小豆島そうめんのはじまりだという。
九州の小麦、瀬戸内の塩が大阪への中継地としても入手が容易だったのが理由だ。

それが、逆に伝わったのが島原、熊本らしいが、残念ながらご当地のそうめんを食したことはない。
そうめんのなかの独自進化があるというから、一度はいただいてみたい。

藩の財源として保護・管理されていたのが播州そうめんで、揖保川のほとりが産地だということから「揖保乃糸」という一大ブランドになっている。
わたしの住む横浜のスーパーでも「定番」にあたる商品だ。

その中心地、太子町に現存の「斑鳩寺」には、15世紀の記録に「そうめん」がある。
斑鳩寺とは奈良・法隆寺のことで、なんとこの地は法隆寺の寺領とされていた。町名も聖徳太子に由来する。

この町は姫路とたつの市(旧龍野藩5万3千石)の間にあって、たつの市が旧揖保郡の太子町以外と合併してできているから、町民の気概がしれるものだ。

龍野藩が奨励したそうめんの製造地はそんなわけで、たつの市にある。
ここの「兵庫県手延素麺協同組合」がつくるそうめんこそ「揖保乃糸」ブランドだ。

「そうめんの里」には、製造工程などの博物館もあって、手延べの実演と延ばした麺に触れる体験もできる。
見た目ではわからない微妙な太さのちがいが、触ることで確認できる。

当然にレストランもあって、そうめんのバリエーションが楽しめるようになっている。
なるべく珍しいものをと注文したのが、素揚げそうめんの油抜き野菜あんかけ、だ。

これまで食べたことがないもちもち食感は、揚げてから油抜きをしたからだろうが、まとわりつくような腰の強い麺と野菜あんかけがマッチして、満腹になった。

売店では、オリジナルのレシピ本が販売されていて、帯には「こんな食べ方があったんだ!」とある。

 

揖保乃糸には5段階にもわたるグレードがあって、ブランドとしては「太づくり」をいれた6種類となっている。
よくみかけるものは、最低ランクの「上級品」で赤い帯が特徴だ。
ひと束に「約400本」と説明されている。

最上級の「特級品」は「約480本」だというから、おなじグラム数にして2割も本数がおおい。
食感のちがいはあきらかだろう。
贈答品として人気があるのは、自家用としては高級すぎるからだろうが、もらってうれしい逸品だ。

たかがそうめん、されどそうめん。

ばかにはできない実力があるのは、白米とおなじである。

「藩」の管理という歴史があるからだろうが、「播州小麦」という「約280本」の太めのグレード品は、「兵庫県認証食品ひょうご推奨ブランド」になっていて、「縒りつむぎ」という「約400本」のグレード品は「五つ星ひょうご」に選定されている。

商品の「ブランド価値」と「自治体の認証」は関係ないが、関係ある、という「思い込み」があるのだ。
世界の有名ブランド品で、国家認証つきのものなどほとんどない。

「宮内庁御用達」とか「英国王室御用達」がせいぜいで、たとえあったとしても、たとえば「ソ連国家品質保障局推奨」ということで価値がたかまるとおもうひとはコレクター以外まずいないだろう。

一般消費者にとって、「兵庫県認証食品ひょうご推奨ブランド」と「五つ星ひょうご」のちがいすらわからない。だからといって、兵庫県はもっと広報・宣伝せよといいたいのではない。
わかるのは、食感と味のちがいからくる本人の「好み」であって、それを役所が評価することは余計なお世話である。

そうめんを料理する、という発想はすばらしい。
けれども、せっかくあるグレード別の提案が「ない」のだ。
それでは、つくりたてと熟成もののちがいに価値を感じないことに通じてしまわないか?

役所の「お墨付き」は、いまどきなんの役にもたたない。
じつは、ものがない時代の権威づけであった。
ものがあふれる時代に、役所に依存してもかえって価値を毀損する。
商品を選んでいるのは消費者だけである。

田舎のグルメ

こんな田舎にはなにもない。
地元のひとが口にする、全国共通の自虐用語だ。
田舎だから自然が豊富にある。
地元の観光協会をふくめた公務員系が口にする、全国共通の過大評価だ。

「自然」という概念が、唱歌「ふるさと」と関連付けられて教育された人為的・人工的ないいまわしで、都会への憧れを否定する用語にもなっている。
「自然」は、守備範囲がひろいことばである。

全国に広がる空き家で、とうとう100円均一という販売手法がでてきた。
べつに田舎にいかなくても、都会にも「自然」によって崩壊が懸念される空き家がある。

横浜市神奈川区という神奈川県の名前の由来にもなっている行政区で、JR東海道線にもちかい場所の所有者不明の空き家が、危険度という物差しで行政による取り壊しがおこなわれた第1号になった。
ひとが住まなくなると、家は急速に「自然崩壊」へとむかう。まさに「自然の驚異」がある。

前にも書いたが、よく手入れされた田畑をみると「ゆたかな自然がある」といい、数百年もひとが耕した「棚田」をみると感涙するが、耕作放棄された荒れ放題の元田畑にはなにも感じない。
むしろ、すさんだ自然がただの荒れ地にみえるからだが、どうして耕作放棄になったかをかんがえると、感涙すべきはこちらのほうだ。

都会と田舎のつき合い方が、どうも浅くて哲学ができていない。
経済成長とスーツで仕事をする都会が有利なのは、たんに「稼げる」からであるから、田舎の稼ぎ方に重要なポイントがある。

世界経済の構造変化にもかかわらず、いまだに田舎の役所が「工業団地」を誘致しようとするのは、ないものねだり以外の何ものでもないが、田舎の稼ぎ方をじぶんで稼いだことがない役人に期待すると、過去に他の自治体がやった成功体験である「工業団地」しかでてこないのは、有職故実だからである。

しかし、とはいっても田舎で安定した月給取りという現金収入が保証されているのが公務員と農協職員ぐらいのものだから、親にもっとも人気があるのはこの職種になる。
子どもを都会の大学にいかせる理由でもある。

広い庭に2台以上の自家用車が置けるようになっているのは、こうした職種の家庭なので、カーポートをみればどんな暮らしかがわかる。
だから、ちいさなカーポートしかない家をみると、どんな暮らしなのかがとたんに不明になる。

「名物にうまいものなし」という名言は、「伊勢うどん」が発祥ではないかとの説がある。
伊勢神宮の門前町には、かつておおくの参拝客であふれ、食事の提供がまにあわない。

それで、つゆなしの「タレ」をすっかりのびた腰なしのうどんにかけて出したのが、いつの間にか伊勢名物になったという。
大量にゆでたうどんがのびただけだったろうが、こんどはふにゃふにゃにしたうどんでないと伊勢うどんにはならなくなった。

関西人でなくても、一口食せばおのずと目を張る「まずさ」で、それを臆面もなく「名物」とするところにずる賢さと生活力の強さを感じる。
いわゆる「うどん」としては失敗作なのだが、失敗作を作りつづけることは、それはそれで「技術」になる。

寒天の世界シェア7割をこえる長野県の超優良会社「伊那食品」は、寒天の質的特性の研究でも世界トップランナーで、固まらない寒天を開発した。寒天は固まってこそだという常識がやぶられたのだが、本来からすれば失敗作である。
これが、「10秒チャージ」のアレの原料になっている。

大量に安定して「失敗作を作る」のは、やはり「技術」なのだと元社長の塚越会長が書いている。
製品裏面の表示をみても、寒天とはあるが伊那食品とはない。
おなじく、女性の口紅の色素を寒天分子で包んだ傑作化粧品にも伊那食品の表示はない。

鳥取県人は島根県とどちらが東西にあったかをまちがえられると立腹するのが常であるけど、ひとりあたりカレー消費では日本一という快挙をなしている。

日本人の国民食を代表するカレーを、日本で一番食べているのが鳥取県人だという発見は、なぜかにたどりついていないミステリーである。
ご存じの方にはぜひともご教示いただきたい。

そんなわけで、鳥取でカレーを食べた。
見た目になんの変哲もない色合いのむしろやや黄色がつよい、いつものカレーが特産のらっきょうと一緒にでてきた。
しかしながら、一口食せば「辛い」のである。

えぇって!いう辛さであるが、ただ辛いのではない。
じつに「スパイシー」な辛さで、そのスパイシー感がインドカレー専門店のものともちがう。
うまい。

またかともおもいながら、別の食堂でもカレーを食べた。
やっぱり「辛い」。
こんなカレーを食べたかった、という味である。
しかし、これを子どもに出したら都会ならクレームになるかもしれない。

とまれ、鳥取県人の味覚に万歳。

きっとこのカレーは全国区になれる。
あとは経営力であろう。
失敗のもとは行政が出てくることである。
だから、行政がなにもしない、ことを期待したい。

田舎のグルメは、地元特産品とはちがうものでも成りたつのである。

丸山ダムと大衆食堂

岐阜県八百津町は人口1万人程度のちいさな木曽川沿いの町である。
かつて、くだりは木曽の木材を、のぼりは木曽への生活物資を運送した集積地として栄えたという。八百は「たくさん」、津は「みなと」、という意味だ。
造り酒屋と栗きんとんのお店が繁栄を象徴している。

木曽川流域は、国直轄の河川工事が明治20年からはじまった。
本流最上流には味噌川ダム、恵那峡下流に大井ダム、東海道新幹線と東名阪自動車道のあいだに木曽川大堰があるから、木曽川をつかった水運は堰とダム間にかぎられる。
つまり、丸山ダムだけで八百津の水運が途絶えたわけではない。

伊勢湾にそそぐ濃尾平野の洪水問題や、なによりも深刻だった電力不足という社会問題解決のために、昭和29年に竣工したのが丸山ダムで、当時発電能力は全国二位であった。

ダム管理事務所には資料室があって、そこには自由に視聴できるDVDが二枚用意されていた。
当時の貴重な記録映像が収録されていた。
どちらも40分以上あるため、全編を視聴することができなかったのが心残りである。
それでも、1時間ほどは見入ってしまった。

こういうものをYouTubeに公開できないものか?

興味をひくのはダム建設の映像では、昭和18年に着工されたものの戦争で中断され、たった三年で発電が開始できたのは徹底的な「機械化」の成果であったことだ。
コンクリートにつかう砕石の製造から、石灰が水と反応して熱を発するのを防止するための冷凍機、それに急峻な谷間をたえずわたる資材運搬用ロープウェイ。
戦争に勝ったアメリカ式の建設は、静岡県の佐久間ダムが嚆矢だと解説があった。

しかし、記憶にのこるのは、生活史の映像である。
水没する集落のひとびとの暮らしの記録は、「反対運動」の映像と交差する。
当時の小学生は、まだ何人か生存しているのではあるまいか?
「その後」の人生をしりたいものだ。

移住のため集落を去るひとと見送るひとの映像は、一編の映画のシーンのようだった。
見送る夫人の振る舞いの所作が優美でもあるのは、「ど田舎」にあってなお育ちのよき日本人がいる。
さらに、トラック助手席の見送られる夫人の堅い表情と、手も振れずに別れいくすがたは、どんな演出家にも指導できるはずのない「せつなさ」がにじみでていて、走りだしたトラックを子どもたちがずっと追いかけるのだ。

ダム完成の瞬間は、最深部に鉄板をはめ込むときである。
二枚が一枚ずつはめ込まれ、ここに木曽川の流れがとまり、貯水されていくのである。
水量豊富な川は、見る間に水位をあげて記念式典の場所も水没する。
そして、とうとう集落にも水はやってきて、ひとびとはそれをじっと見つめるだけである。

およそ大陸のダムは、巨大な人工湖をつくりだす。
高低差がないからである。
エジプトのナイル川をせき止めたアスワン・ハイダムは、総延長500キロメートル、最大幅400キロメートルの「ナセル湖」となり、気候をも変えて古代の遺跡が「降雨」によって溶け出す珍事となってあらわれた。
また、肥沃な土の流入がなくなったから、農業に化学肥料を要するようにもなったし、川底が侵蝕されて農地への給水にポンプが必要になった。
ただし、人口1000万人をこえる首都カイロの街のまん中を流れるナイル川の洪水は、なくなった。

わが国の地形はそれをゆるさず、急峻なゆえに大量の土砂でダムが埋まる。
いわゆる「砂防ダム」が、まさに埋まってしまうのとおなじだ。
砂防ダムの機能については、「機能している」というはなしと「ムダ」というはなしがある。

洪水防止と発電、という二大目的の「丸山ダム」に、「新丸山ダム」建設がはじまった。
現在のダム下流47メートル先に、新しいダムをつくって、現在のダムもそのままに20メートル水没させる計画だ。
先につくったアスワンダムの上流にあたらしくアスワン・ハイダムをつくった手順と真逆である。
だから、いまのうちに「丸山ダム」を観ておかないといけないのだ。

はたして、大量のコンクリート資材を必要とするダムは「エコなのか?」という議論はさておき、あいかわらずなにかをつくらずにはいられない。
これも近代日本人の性なのか?

新丸山ダムによって、あらたに湖底に沈む集落がある。
はたして、65年前の優美な所作のご婦人につぐひとが残っているのか?
21世紀になっても、ダムに沈むひとが棲まう地域があることは記憶したい。

地元では「ダム」と「杉原千畝記念館」それに「五宝滝」ハイキングが自慢の観光資源なのだろう。
しかし、街のド真ん中に、これぞ大衆食堂という昭和8年創業の「三勝屋」がある。
お目当ては「パーコー定食」と「中華そば」。 

「パーコー」とは、ほんらい排骨(豚バラ肉)のことをいうが、このお店ではロース肉のカリカリ天ぷらをいう。
これを、餃子のタレにつけて食すのだが、なんともうまい。
「中華そば」は、東京ラーメンともちがって「かつおだし」の醤油ラーメンで、麺は一度冷水で締めたあとに湯がくから、もちもち食感のあっさりした逸品である。

宿での夕食に、お持ち帰りで「チャーハン」と「上カツ丼」を注文した。
「チャーハン」は中華の味ではなく、「焼きめし」。
「カツ丼」は、ふんわり卵が乗っているので、よくある煮カツの卵とじでもない。

なにを食べてもおいしいだけでなく、愛情を感じるのが不思議である。
きっとおそろしく強い愛情で調理してくれているのだろう。
ダムすらリニューアルが必要なのに、このお店には必要ない。

「愛情」は、永遠なのだと教えてもらった。

「道の駅」密集地

松江から鳥取をむすぶ国道9号線は、有料区域のほうが短くて無料区域がバイパスの役目をしている。
島根県から鳥取県にはいると、一般道の9号線にするかバイパスの9号線にするか迷うが、長い道中のためバイパスをえらんだ。
すると、なんだか「道の駅」がやたらに登場する。

国道沿いにラーメン屋が密集していると、それを「ラーメン・ロード」と呼ぶことがよくあるが、まるで「道の駅・ロード」状態で、「道」と「ロード」がかさなって節操がない。
おそらく、村々の行政ごとに補助金がでて、とにかく「道の駅」をつくることが「村おこし」とか「街おこし」になったのだろう。

ラーメン屋なら「味で真っ向勝負」することになるから、ラーメン・ロードに出店するのはそれなりの「自信」がなくてはならないし、出店後に予想外の逆風があったら、必死で味の改善やライバル繁盛店の研究をおこたらないだろう。

もちろん、ライバル繁盛店の研究とは、相手の特徴を分析し、真似ではない自店の特徴をアッピールすることである。
「おなじ」にしてしまっては、元も子もないとかんがえるのが「ふつう」だ。

ところが、行政がからむと途端に「ふつう」がちがった意味の「ふつう」になる。
「競争」という概念が欠落して、施設の「維持」が優先するからである。

一車線ごとの対面通行で法定速度が時速70キロメートルのバイパスに、数分もはしると次の「道の駅」の案内カンバンがみえてくる。
閑にかこつけて全店制覇をこころみたが、数店目であっさり挫折した。
どこに寄っても「おなじ」だからである。

それはそうで、こんなに密集していれば、海産物も農産物も、季節ものなら採れるものがおなじだから売るものもおなじになる。
ほかに特徴のちがいはないかと、客のほうが探す手間をかけなければならないが、よほどの目利きでないかぎり発見するのは困難である。

つまり、ものの数分毎に「おなじ店」が並んでいる。
この季節ならよくある、スイカ農家の直売店がロードサイドに並んでいる状態とそっくりなのだ。
「いつもの店」をしっているなら「いつもの店」に、そうでなければ適当に自動車が駐車しやすそうな店にとめるのとおなじ、つまり運転手の気分に依存しているのである。

日本の「はわい」で有名な、かつての「羽合町」にも道の駅はある。
せっかくだから「はわい」がはいったグッズを「探した」が、全国共通の国道標識キーホルダー類しかなかった。
アロハシャツを売っているのに、どうしたことか?

企画力の欠如というべきか?それともなにか道の駅には「規制」があって、特徴のあるものを販売してはいけないのか?とうたがいたくなる「貧困」がそこにある。
かつての社会主義国のひとたちを招待して、どうすれば特徴ある店づくりができるのかリサーチすればよい。

きっと、「競争だ」とこたえるにちがいない。
なんのことはない、ラーメン・ロードの店主たちの努力のことである。

しかし、そんなことをする必要がないから、こうしているのだ。

この「必要性のなさ」は、消費者にとっての「必要性のなさ」ではない。
あくまでも、関係者という一団だけの論理である。
消費者は仕方がないから立ち寄っている。

まして、はるばるやってきた身からすれば、日持ちのしない品物は購入したくない。
日持ちがする品物ほど、どこでもあるから、とくに触手がのびることもない。

道の駅密集地は、競争がない社会のつまらなさを教えてくれる教材であった。

国宝彦根城の残念

昨年は秀吉の最初の居城がある長浜に立ち寄ったから、今年は彦根にしてみた。
彦根は徳川四天王のひとり、老中大老の家柄である井伊家の居城がある。
幕末、大老井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)は、開国と尊皇攘夷のはざまにあって、とうとう開国を選択せざるをえなかったが、朝廷の許可なし、という状況から、桜田門に散った。

横浜中心部には「掃部山公園」があって、高台には港をみつめているはずの「井伊直弼像」が立っている。
いまは、マンションやみなとみらいの高層建築で、みなとはぜんぜん見渡せないが、杓をもった正装の姿は「開港の恩人」とされている。
おなじ像を、彦根城内にみつけた。

井伊大老の「功績」として、「安政の大獄」がある。
重要人物たちが100人以上ぞくぞくと逮捕・処刑された事件だ。
斬首されたひとのなかでも、吉田松陰が有名だが、もっとも皮肉で惜しい人物だった橋本左内(景岳)の死は、その後の日本の歴史を変えるほどの愚挙であった。

この事件に連座した藩主級のひとたちのなかに、名君の誉れが高い福井藩松平春嶽もいる。
「松平」がつくのだから将軍家ご親戚だが、一橋慶喜、徳川慶篤(水戸藩主)、徳川慶勝(尾張藩主)もふくまれているから、容赦がない。

橋本左内は、福井藩藩医の家系であったが、その秀才・天才ぶりは有名で、家老によって藩主側近・秘書役に抜擢されたのが21歳のときである。はじめ春嶽は「子どもではないか」といぶかるが、すぐさまその才をみとめて、なんと12代将軍家慶に謁見し「献上」されることになる。
そして、幕府危急のときを救う大老人選にあたって、左内は井伊直弼を推したのだ。

その井伊直弼によって処刑されたのは25歳の若さであった。
おなじく29歳で処刑された吉田松陰とともに、東京南千住の回向院にそろって墓がある。

ちなみに、家老がみとめて殿様に紹介され、その殿様がみとめた人物で、「空前」の大出世をしたのは二宮金次郎(尊徳)だろう。農民出身だから、文字どおりの「破格」である。
しかしそれは、小田原城内に二宮神社があることで、破格を通り越した「絶後」がある。

さて、はじめての彦根城は、なんと城内敷地に自動車でいけるようになっていた。
長浜城という地元有志でつくられたコンクリートの城も、はては江戸の千代田城も天下の大阪城もおなじだが、いったいどういう規模だったかの想像をするのが困難なほど「街」になっているのに比べれば、なんとなくだが想像できるのはいいことだ。

「DEJAVU」といえば大げさだが、いまはポーランド・グダンスクの近郊にある、かつて「舌」のようにドイツから伸びた東プロイセンを支配したドイツ騎士団の居城「マルボルク城」をおもいだした。
この城は、ドイツ的質実剛健なつくりで、建物のデザインはあちらのものだが、木造という点で日本の城と共通している。

有名なスイスの観光地も、ゲルマンの気質なのか「合理的な設計」がされていて、その快適な観光システムは、たんなる風光明媚なのではない。
だからかしらないが、マルボルク城の観光も「システム」としてつくられた環境が、快適かつ充実した見学ができるようになっている。

これは、年齢別の想定や国別の想定もされているので、子どもからおとな、よく訪れる外国人に向けてシームレスな案内が用意されていることを意味する。
残念ながら現地に日本語のサービスがないのは、日本人客がすくないからで、文句はいえない。
しかし、いまはインターネットがあるから、日本語での情報はあらかじめ得ることができるので、現地の英語表記でも誤解がない。

彦根城の有料区域には、建物内をふくめてほとんど外国語表記がなかった。
なぜか「ひこにゃん」というゆるキャラがご自慢のようだが、国宝の紹介には意味不明である。
また、当時の城主の生活や家臣たちの活動の様子をしる案内も、日本語ですらないから、ただきつい階段の天守閣にのぼるのがたいへんだった、といういがい、なにが印象に残るのか?

つまり、そこにあるものをただみせる、という「だけ」なのだ。
すなわち、なにをみてもらいたいのか?なにが重要な物語なのか?という「想定」がないのである。
たとえば、天守ちかくの石積みにつかわれている巨石は、どのように運ばれ、どうやって設置したのか?
江戸城二重橋からの石積みは、関西系と東北系の大名によって技術のちがいがわかるが、それとどういう関係があるのか?などなど。

もはや世界標準の「音声ガイド」すらない。
天守閣からみえる景色の解説もない。
地元のひとなら常識であることも、自動車で半日かけてやってきた国内観光客が、どう観ればよいのかにとまどうのだから、ましてや外国人をや、になるのは当然だろう。

そこに登場する「ひこにゃん」は、このフラストレーションにさらなる刺戟をあたえるだけの存在になってしまうから、彦根人のセンスや知能をうたがいたくなる。

役所と切り離した「経営」が必要なのであって、役所のひとではない彦根を愛するひとびとに、ぜひとも「マルボルク城」を見学してほしいと願う。
ついでに、首都ワルシャワにそびえ立つ、スターリンから衛星国への贈り物といわれる「文化科学宮殿」の頂上にある展望台にいけば、彦根城天守閣と同様に、360度どんな景色かも説明しないかつての「社会主義」の素っ気なさを確認できるはずである。

観光やサービスは「設計するもの」という、主催者の義務を忘れてはいけない。

参議院選挙でなにを選択したのか

なんとなく自民党。
これが本音だとすれば、なにも変わらないことを選択したことになる。
残念ながら既存野党も「選択しない」という「選択」なので、なにも変わらないことを選択するように仕向けられた、ともいえる。

新聞などは「争点なき選挙」とか「風なき選挙」と書く。
「なんとはない選挙」だった。
そして、なんとなく与党が勝ったようにみえて、国民は相手にされない疎外感だけがのこった。
この与党との一体感のなさ。

まさに、マーケティングなき日本企業のような、停滞感だけが、梅雨空の霧のように、べったりとしてのこったのだから、いまの日本国のなかのさまざまな組織の集合体としての国の姿としては、そのとおり、の選挙結果なのだ。しかし、これがほんとうの「民意」なのだろうか?

19世紀的統治のわが国が、安定して続く。
昭和のおわりからの三十年にわたる「停滞」が、これからも変わらずに続くから、ふつうは「衰退」するものだ。
すなわち、われわれは、まちがいなく「衰退を選択した」のである。

この「衰退」は、人口減少とは関係のない、人為的なものだ。
もちろん、子どもをつくらないということも、個々の選択の中での「人為」ではあるが、社会的な選択肢が与えられないという意味においてこその、人為的である。

むしろ順番としては、「衰退」が確実ゆえに「子どもをつくらない」選択がおこなわれているのだ。

しかし、社会的な選択肢が与えられない、ということは、健全野党が存在しないということのなので、こうした健全野党を組織できない国民側のエネルギーがすでに「衰退」してしまった。

このブログでいう「健全野党」とは、「自由主義政党」のことである。

わが国の公党で、自由主義を標榜する政党は存在しない。
自民党は綱領にあるように、社会主義政党であることをを公言している。
「自由民主党」というカンバンには、おおいに偽りがある。

すなわち、自民党を基準にすれば、すべての政党が、社会主義方向に列をなしているのである。

これはどうしたことか?
日本をいまも事実上支配するアメリカ合衆国からすれば、自国の「民主党」がずっと日本で政権運営をしているようなものだが、これを許しているのは、都合がいいからだ。

韓国に対する戦略物資の輸出許可を厳密にし、さらに「ホワイト国」からも除外するという「決定」だって、ほんとうはアメリカ政府からの要請にちがいない。

転用していることの証拠を具体的にあげず、「守秘義務がある」という説明に終始しているのは、いったいだれに対しての「守秘義務」なのか?
アメリカ合衆国政府に対しての守秘義務であるとかんがえるのがふつうだろう。

この処置に対する韓国の異様な反発も、韓日関係や韓米関係を破壊して、北との同盟を優先させたい現政権の基本方針からすれば、まったく「異様」ではなく、むしろその「本気度」がわかるというものだ。
もちろん、この政権がかかげる基本方針は、ファンタジーである。

しかし、こうした「反乱」が、止めようもないほどに、米国も「衰退」してしまった。
けれど「反米だけ」では、おなじくファンタジーになってしまうのがリアル世界である。

放置すれば、東アジアの覇権は、北京政府に握られる。
オバマ政権が放置して、シーレーン上の重要海域に軍事基地をつくられてしまったが、ダブルスタンダードを旨とするあちらは、いまだ「軍事基地」だとはいっていない。

イラン危機は、ホルムズ海峡の防衛をどうするかに自動的になるけれど、トランプが明言したように、中東の安全による最大の恩恵は中国と日本が得ているのに、薩摩守「ただ乗り」とはどういうことだ?といわれたから、さぁたいへん、に選挙後のこれからなる。

野党は依然として憲法を持ちだしながら、自衛隊の派遣をやめさせようとして世界の仲間はずれになることを目指すだろうが、ちゃっかり「選挙の争点」にはぜったいにしなかった。
日本での議論を横目に、中国は海軍をホルムズ海峡に送るだろうが、これは米中貿易戦争によるアメリカ擦りよりが理由ではない。

アジアのシーレーンは、従来アメリカによって安全が保持されてきたが、それが中国に転換するという意思表示の意味がある。
まさか、日本は自衛隊をださない代わりに、中国に費用を支払うことで決着をはかるのだろうか?

これは、石油という生命線を中国に委ねることを意味するから、わが国にとっては歴史的転換点になる決定になる。
はたして、こんなことをアメリカは許すのか?
日本のリアルな選択肢は、自衛隊をだすしかない。

トランプ共和党政権は、自国は自国で守れと日本に正面からいいはなった、戦後はじめてのアメリカ合衆国大統領なのだ。
すなわち、日本は真の独立国家たれと。

じつは、ファンタジーを追い求めるのは韓国政府だけでなく、わが日本政府も既存野党も同類なのだ。
韓国人のファンタジー好みは、日本統治時代の悪弊か?

「年金制度」が百年もつといっただけで、「年金だけで暮らせる」とはだれもいっていない。
地球環境にやさしいように「感じる」なら、「科学や化学を無視」してよいので、太陽光発電を推進したり、無料のレジ袋を追放しておなじ素材のゴミ袋を購入させるのが「エコ」だという。すくなくても「エコノミー」ではないし、「エコロジー」でもないことがまかり通る。
一律で食品など生活必需品には消費税は「課税しない」のが世界標準なのに、「軽減税率」という複雑をやりたがって、面倒を個人と民間企業におしつける。確実に民間企業には負担増になるから、これだけで「衰退」する。

「自虐国家」はサディスト官僚によってつくられて、その痛みが「快感」だというマゾヒスト国民が多数いる倒錯の国になった。
ノーマルな国民の感性が、だんだん「異様」になってしまう。

これをもって「ヘイト」はいけないといって川崎市のように罰則を条例でもうけ、とうとう『1984年』の仮想世界が日本にリアルでやってきたのは元の「法」がおかしいからである。
この「法」も、今回改選の与党の参議院議員が主導し、本人は無事当選した。

かつての世界秩序が崩壊にむかっているこの時代、かつてのやり方しかできないで、どうでもいい小さいことにこだわるのは、本筋から目をそらすように国民に仕向ける典型的手法なのだ。

「火山」のエネルギーだけがたまっていく。
はたして、どんな爆発がおきるのか?
「年金よこせ」のエネルギーなら、悲惨な結末になるにちがいない。

日本に「共和党」がひつようになっているのだが、香港と台湾の状況が他人ごとの日本は、独立国としての地位をほんとうに失うだろう。