「経済人」と「政治人」はいない?

「経済人」としての伝統的な存在は、『ロビンソン・クルーソー』だから、経済学徒の必須として、原著か原著の翻訳をしっかり読めといわれてきた。
それで、下に示した岩波文庫を開いてみたらわかるけど、ぶ厚くて文字がびっしり埋まっているので、「少年少女文学」だと舐めてかかったら撃沈する。

 

無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが、「貸借対照表」をもってして自らの生活行動の「損得勘定」をする場面が、「経済人」だというのである。
しかし、彼が無人島から脱出してからの阿片貿易や日本を目指すなどの行動が、当時の英国人がかんがえた「経済人」ではなかったのか?

つまり、ここでいう「経済人」とは、つねに「合理的な行動をするひと」のことだ、と定義するのを前提としている概念をさすけど、そんな人間は現実に存在するのか?と問えば、「いない」ことは明らかだ。

ひとは、単に経済価値だけを追求して生きてはいない。
むしろ、そんなひとが身近にいたら、友人としてもお断り、になるだろう。

このことは、「経済学批判」の最初にある問題提起なのである。

なぜならば、現代の経済学は、その対象に「経済人」を前提としている学問だからである。
なので、「そのブレ具合」が、経済学での議論になっている。

あたかも、近代経済学は、数学を駆使したポール・サミュエルソン(1970年第2回ノーベル経済学賞受賞)を代表として、「数理モデル」を追及してきたので、「理系」的な学問になったから、大学の受験において「数学」をどうするのか?が問題になった。

わが国の大学では、経済学部は「文系(人文科学)」として扱われることで、数学を不得意とする学生には、専門性が高まるほど歯が立たないことになるのだ。
これは、マルクスの『資本論』を読むことが「経済学だった」時期があるからだけれども、「人間学」の要素がないと、経済活動の把握にはならない。

この意味で、経済学は「人文学」であって、「科学(サイエンス)」でもあって、マルクスはどちらでもない。

7月29日付け、JBPress電子版の、『「統治崩壊」でも勝つ不思議、なぜ日本人は自民党に票を入れ続けるのか?』(白井聡)には、日経ビジネス2021年12月27日号『マーケティング視点の政治学-なぜ自民党は勝ち続けるのか』での調査結果を引用しつつ、次のように記されている。

「この結果は、私を含む政治学者たちの常識を粉々に打ち砕くものです。(中略)「有権者は合理的な判断により投票するものである」という(中略)政治学者が想定する常識的な前提は、現実と大きく乖離していることが明らかになりました。」

「早い話が、日本の多くの有権者は各政党がどんな政策を掲げているのかロクに見ていない、ということをこの調査は明らかにしました。」

「ただなんとなく自民党に入れている」

この記事の「驚き」は、二つあって、一つが政治学者たる著者が告白した、「常識が粉砕された」という点と、「いまさら感」のことだ。

元来、「政治学」なる学問は存在するのか?という批判があった。
なぜならば、ほとんど「データ」を掲げて議論しないからで、この点で経済学とちがって「科学(サイエンス)」とはいえないし、ならば「人文学」としても曖昧模糊としている、という批判だったのだ。

早い話が「評論」か「与太話」だと。

引用元の記事を観てはいないけれど、「マーケティング視点」を、「アメリカの大学で教鞭をとる堀内勇作氏らのチームが『コンジョイント分析』という手法を用いて実施した実験的調査」と紹介しているので、アメリカでは政治のマーケティング視点はふつうにあるのだろう。

それは、政党への「寄付金」を集めるための道具にもなるだろうし、「選挙」の勝敗が「資金額」で決まるともいわれていることからもうかがえる。
実際に、民主党は大富豪からの大金を集めるのが得意で、共和党は小口(10ドルほどから)の寄付が断然目立つのである。

つまり、民主党と共和党の二大政党は、明らかに支持基盤がことなっているから、それぞれのマーケティング戦略が自陣営の票確保と他陣営からの奪取に大きな影響があると想像するのは容易である。

しかしながら、わが国の場合は、まったくちがう「(得票)マーケット」が形成されているので、わが国の「政治学者」として、「驚いた」こと自体に、わたしのような素人が驚くのである。

そして、すぐさま「なにをいまさら」と思ってしまう。

もちろん、これには「マスメディア」も多大なる影響を与えていて、とっくに「情報操作」をしていることでの「部数」や「視聴率」を落したことで、相対的に「政府広報予算」が、あたかも公共事業に依存した、かつての土建業のようになって、スポンサーたる政府の政権批判をしない、ということの問題があることは無視できない。

すると、政治学者が政治「学だけ」をやって、マスコミの世論操作に無頓着でいられたことの告白こそ、政治人としての「たこつぼ(学者世界での政治)」状態を想起させるから、この部分(たこつぼの中)だけの「政治人」はいるのだとわかるのである。

なるほど、それで政治の専門家は、「政治家の世界:略して政界」をしきりに分析するけど、それがどう国民の幸福につながるかを無視するのは、経済学に似て非なるものになっているのだ。
少なくとも、経済学は「国民所得の増減」は議論するからである。

はたしてこれが、日本国内の特殊事情で問題ないのは、アメリカの場合は、厳しい調査結果が容赦なく発表される「マーケティング」があるからで、これをしらない政治学者たちのおかげで、政治家は国民を無視できるのだと、日本国民の方がしっていればよいことだからである。

旧態依然とした「内閣改造」がいまだに行われていても、その浮ついた感が顕著なのは、遅ればせながら日本にもやってきた、政界のマーケティング視線がそうさせている。

トップに無能を求めていたら

1977年(昭和52年)の、いまは亡き西城秀樹のヒット曲が、『ブーメラン・ストリート』(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)で、小学生が「ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン、ブーメラン」と口ずさんでいた。

いまはやりの「ブーメラン」は、ひょっとしてこの歌があったお陰ではないかと思うほどだ。

かくいうわたしも、プラスチック製のブーメランを買ってもらって、公園やら野原の空き地で友人たちと投げていたけど、ぜんぜん戻ってこなかった。
「おとな用」のブーメランを売っているのもみたけれど、それはもう購入意欲をなくすほどの高価だった。

いまからしたら、アボリジニの民具を輸入した「本物」だったにちがいないけど、あれを本当に購入して飛ばしているおとなをみたことはなかった。

投げたブーメランが戻ってくる仕組みは、あんがいとややこしくて、回転運動と歳差運動がトルクに影響している。
経験値から作っていたのだろうけど、どんなに工夫を重ねたものか?

それが、「もの」から「比喩」に変化して、「自業自得」をいう言葉になったのである。

そんなわけで、西城秀樹の歌にも、三木たかしが仕込んだ「深い意味」があったけど、「軽い」という意味での「ポップ」な曲だから、歌詞を読み込むひともいなくなって、それがまた、「大ブーメラン」になって日本人に返ってきているともいえる。

「歌」は、はじめに歌詞があって、それから曲がつくものだ。
だから、作詞家の名前の後に作曲家の名前がくる。
作曲家は、歌詞の意味と発音、とくにイントネーションをかんがえないと、意味不明の歌になってしまう。

「森の熊さん」が、「森の隈さん」になったら、なんだかわからないのに、「くま」のイントネーションのちがいがわからなくなって久しい。
言葉は耳から入る「音」で覚えるものだけど、イントネーションがちがう歌で、言葉がかわってしまうこともある。

あんまりノスタルジックなことをいってもせんないけれど、この意味で昔の童謡は、一流の作詞家と一流の作曲家がコンビを組んでいて、「ただしい」日本語を覚えることができた。

しかしながら、日本語の面倒は、豊富な「方言」にあって、明治の中央集権国家に改造したとき、「標準語」も発明しないといけなくなった。
江戸の言葉が、そのまま標準語になったわけではないし、なぜか「京都弁」も採用されなかった。

学校で習って暗記させられる「和歌」だって、絶対にイントネーションは京都弁で、標準語のはずはないのに、これをいう国語教師がいない。
ネット動画で、『源氏物語』や『枕草子』を京都のイントネーションで朗読しているひとがいて、その味わいは、だんぜん納得できるものである。

生徒にとって、教師は「トップ」にあたるから、こんなことも教えてくれないことに疑問を感じる生徒もいない。
和歌を標準語のイントネーションで教えることに、教師が疑問を感じていないからだ。

ならば、その教師の教師は?と順にさかのぼれば、何代もの教師が存在するし、「学習指導要領」を書く大学教授も、疑問を感じないで「学者」になったにちがいない。

これを、『ピーターの法則』が明快に解説している。
いわゆる、「無能」の再生産の仕組みだ。

すなわち、無能が無能を作り出す。

また、無能の本人の幸せは、自分が無能であることに気づかない無能だからで、そんな無能が社会的地位を上げると、部下にも無能を選ぶのである。
そうやって、無能な部下を、永遠に叱責できるからである。
しかしてその無能な部下は、やっぱり無能な後輩を立てて、無能の連鎖を作り出す。

一方で、有能な部下は、無能な上司が便利なのだ。
適度な手抜きを期待通りに見のがすからである。
したがって、常にマイペースで仕事ができるのだ。
「あくび」がでるような仕事でも、「やっている感」を演出すれば評価される。

それがまた、『パーキンソンの法則』を生みだして、その組織はいつかは破たんする。

すると、無能も有能もなく、組織ごと吹き飛んで身も蓋もないことになるから、我慢できなくなった有能は、無能からみて反乱分子となるために、まっ先に転職を模索する。

それでもって、転職サイトに登録すると「高く買ってくれる」ようなCMがあるけれど、転職先が無能ばかりなら、元も子もないのである。

ブーメランを喰らうことになる。

だから、ほんとうに欲しい情報は、有能なひとたちで運営されているのかどうかの情報なのだけど、自分から無能ですという会社はないから、ない物ねだりになる。

こうした事情を熟知していれば、チェスタトンの『求む、有能でないひと』という募集が、どんなに魅力的なことか。

無能にはできない技なのである。

日経夕刊の「昆虫食特集」

キタ━(・∀・)━!!!!

東京の大手町にそびえ立つビルのなかに、読売新聞社と日本経済新聞社がある。
読売新聞社は、いまも日本で一番読者が多い新聞を発行していて、その「中興の祖」が、正力松太郎である。

このひとは、26歳で東大(旧制)を卒業後、内閣統計局に入って、翌年に高等文官試験に合格している。
それで、内務省から警視庁に入り、1年で「警視」になって警察署長を務めた。

このあたりは、本人よりも組織・上司の都合がどのように作用したのか?興味深い。
それでも大正13年に、警視庁警務部長時の「虎ノ門事件」(摂政宮裕仁殿下暗殺未遂事件)の引責で、懲戒免官となって、経営不信の読売新聞を購入した、とある。

戦中の昭和18年に内閣情報局参与、翌年に貴族院議員となり、同年小磯内閣の顧問となった。
戦後は政府との関係から、「戦犯」になるも「不起訴」で、CIAのコードネームを持つ協力者だったことが、アメリカ公文書の情報公開で明らかになった。

このあたりは、「戦犯」岸信介氏の、「その後」とおなじパターンである。
なお、警察官僚で「実業家」への転身ならば、亀井静香氏の「ファミリー企業」は、見事な政界・官界の同意を得た、「合法」事業として記憶していていい。

しかして、正力松太郎氏の実力は、戦前・戦中期にも発揮されているから、戦後の占領軍にも利用されたのであったとかんがえれば、倒産目前の読売新聞をあっという間に再生させた見事な手腕は、国民のためにどう使われたのか?がこれからも問われるのである。

だれにでもわかる、朝日や毎日といった左翼メディアよりも、一見して保守なのか自由主義なのかをほのめかし、野球人気やプロレス、サッカーなどのスポーツ振興も、「3S政策」の忠実なる実行だと解すれば、まさに、GHQの占領目的をかなえるための情報機関だと定義できる。

そんな「新聞社」が、大手町にそびえ立っているのだ。
この「白い巨塔」こそ、日本国民支配の重要な機関なのである。
なお、隣の赤茶色の「KDDビル」が、以前は大手町で一番高かったんだけどなぁ。

さてそれで、もう一つの「巨塔」が、日本経済新聞社だ。
こちらは、「ガラスの巨塔」といってよく、おなじ「街区」に、日本経団連ビルとJAビルがあるところが、その「性格」をほのめかしている。

それはもちろん、だれが名づけたのか「財界広報紙」という「異名」のことで、まさに「図星」である。
経団連に加盟する企業は、「プレス・リリース」を、その業界担当記者に送りつければ、記事にしてくれる可能性が高いからである。

学生時代からだから、もう40年を超えて「日経新聞」を契約していて、初期の頃からの「電子版」も追加した。
だからといって、いまでは家内が熱心な読者で、たまに「なんだこれ?」というのを聴いて目にする「新聞」になっている。

記事よりも新刊図書の「広告」を買っているつもりでいたが、とうとうほとんど自分から目にしなくなった。
これは、「電子版」でもおなじだけれど、ごく「たまに」証拠保存したいときに便利だというだけでの契約になっている。

集合ポストに入る「夕刊」は、家内よりもだいたい帰宅がはやいわたしが取り上げて、階段を登りながら「1面の大見出しだけ」をみて、家内が座る席横に放り投げてそのままなのが「いつも」なのだ。

だから6日の夕刊も、いつも通りにしていたら、帰宅した家内が「気色悪い」というから、なんのことかと聞き返した。
すると、「昆虫食の特集だ」というのである。

さっそく「電子版」を、証拠保全のために保存しようとしたけど、素直に記事がでてこない。
それで「紙面」の記事自体を確認したいと家内にいったら、「気持ち悪い」といって新聞紙を投げてきた。

べつに「新聞紙」が昆虫でできているものでもないのに。

「世界政府」をいっただけで、陰謀論だというひとがいて、面倒くさいのだけれども、「世界経済フォーラム:ダボス会議」が提言する、様々な「政策」は、しばらくすれば「国連」での議論になって、もっとしばらくすれば、各国政府の施策になる、ということから説明しないといけないから面倒くさいのだ。

この点、日本経済新聞は、国内の「財界広報紙」を超えて、世界一の発行部数を誇る「経済新聞」として、「世界経済フォーラム:ダボス会議」のことは、「ちゃんと」報じてくれるのである。
ただし、日本語メインなので、どれほど世界的に影響があるのかはしらない。

買収した格式ある「フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)」にその役回りがあるとおもわれる。

それで、「世界経済フォーラム:ダボス会議」は、とっくに「昆虫食」を提言していて、「栄養価が高い」と強調し、なおかつ、世界人口の増加を「懸念」して、「食糧危機」の回避策として「激推し」している。

けれども、このフォーラムのメンバーは、個人なら大富豪、法人ならグローバル企業ばかりで、新入社員の30倍の年収を「あたりまえ」とする経営者たちの集まりだ。
そこに、世界の政治家がたむろしている。

このひとたちは、自分たちは「ビーフ・ステーキ」を食べるに「値する」当然があってこれを保持するけれど、そうでない一般人は、昆虫由来の「肉」で十分だと公言してはばからない。

それでも人口増加は「悪」なので、人為による「人口減少」を「提言」しているのである。
なぜか、「お初の病」に、すぐさま百万人単位のワクチンが提供される「妙」もある。

目標は、「世界総人口10億人」だと発表している。
この根本に、「優生思想」があることは明らかだ。

今般の「夕刊特集記事」は、日本経済新聞が「世界経済フォーラム:ダボス会議」の日本語広報紙であることを、あらためて自己紹介した証拠になるから、その「保全」をしたのだった。

立秋を過ぎてもセミの声が聞こえるなか、いつか将来、セミの幼虫を食べさせられることになるやもしれぬ。

「核廃絶」という国家神道

いつまで続けるのかしらないが、今年もまた「原爆の日」がやってきた。

広島型は、通称「リトル・ボーイ」といわれた、ウラン型のもので、積載量は、「ウラン235」を140ポンド(約63.5kg)だったけれど、そのうち、1.38%(約876.3g)が核分裂反応を起こしたと推定されていて、高性能火薬として換算されるTNTで16kt(誤差±2kt:キロトン) という威力だった。

広島から3日後の9日、長崎に落とされたのは、通称「ファットマン」で、いわゆる「マンハッタン計画」によるものがこちらにあたる。
さらに、ウラン235ではなく「プルトニウム239」を用いており、TNT換算で21ktである。

広島型に比べ「出力」は大きいが、山谷が複雑な長崎の地形が「被害を少なく」した、という説がある。

「ファットマン」は、結局120発が生産されているが、「リトル・ボーイ」はほかに製造しないで「廃絶」された。
この理由は、「安全性」にあって、もし海洋に投下されたら、海域ごと
「汚染」されるからである、と。

リトル・ボーイより安全だというけれど、ファットマンのプルトニウムの「半減期」は、24,000年もあるから、とんでもないことにちがいはない。

そんなわけで、わが国は、アメリカ民主党政権から、「猿」扱いされて、非戦闘員を虐殺されるという目にあった。
これは、いわゆる「戦争」ではなくて、「戦争犯罪」なのである。

オバマ氏がノーベル平和賞を受賞したのも、2016年5月27日に安倍総理と広島を訪問した初のアメリカ大統領だっただけでなく、「核廃絶を訴えた功績」とされている。

しかしながら、このひとは、このときの「歴史的演説」の翌週に、アメリカの保有する核を大幅増強する大統領令に署名している御仁なのだ。
まことに、アメリカ民主党の「過去の過ち」を訂正する気なぞ微塵もない、「口だけ男」なのである。

けれども、そんな人物を褒め称えるのが日本のマスコミと政界で、しらぬ者はいないだろう広島平和記念公園にある「広島平和都市記念碑(俗にいう「原爆死没者慰霊碑」)」には、日本語の難解さを表す謎の文言が刻まれている。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

これを、英文にしたものをオバマ氏は読んだのだろうか?
読んでいたら、どんな「解釈」なのか?の前に、どんな英文になっていたかをしりたい。

もちろん、どうして「原爆投下記念公園」とか、「爆心地記念公園」ではなくて、「平和記念」なのか?という問題も、日本語の難解さを表しているし、「碑」の名前にも「平和都市記念」という難解さがあるから、「俗称」がまかり通っているのだろう。

すると、俗称の素直さが、「正式」になく、さらに公園の名称にもないので、なんだか、例の全体主義の常套手段たる「ニュー・スピーク」がふつうに適用されている「格好の事例」になっている。

人類不滅の金字塔小説『1984年』における、ジョージ・オーウェルによる「ニュー・スピークの用法説明」に、たとえば、「戦争とは平和である」がある。
また、政府のプロパガンダ機関を「真理省」という事例もある。

もちろん、「碑文」の後段、「過ちは繰返しませぬから」の主語についての解釈が、「ニュー・スピーク」になっているから、本当の解釈をすべき、「実行犯」たるアメリカ民主党の代表者だった、オバマ大統領の感想を聞きたい、ということをいいたいのである。

端的にいえば、「一言も謝罪をしなかった」からである。
むしろ、オバマ氏が「過ちは繰返しませぬから」と、広島で演説したからニュースになった。
まさに、「ニュー・スピーク」だ。

そのときの主語はだれなのか?
彼は「文明社会」といったのである。

お門違いも甚だしい。

さて、オバマ氏が詐欺師なのは以上からもわかっている。
彼のような人物を育てているのが、アメリカ民主党だ。
問題は、彼がこの演説のなかでいった「科学の進歩による厄災」なのである。

人類は狩猟のために生みだした「武器」を、人間にも使ったと演説のなかで「歴史」を述べた。
アメリカが原子爆弾を生みだしたのも、すでに人類の「歴史」になってしまった。

つまり、「作り方」が「拡散」して、現代文明の一部になっているのが「歴史事実」なのである。
ゆえに、いまさらみんなで核を棄てようとしても、ひとりでも隠し持つ事に成功したら、人類はその所持者(国)に跪くことになる。

だから、良いも悪いもなく、ただ事実として「核はなくならない」のだ。

しかしそんな事実をみないことにして、「核廃絶」を訴えて、これを「信じる」ならば、それはもう「宗教」なのである。

なぜならば、信じることが「良いこと」だからである。
それゆえに、信じない者は「悪い」になって糾弾されるばかりか、「悪魔」として認識されてしまうのである。

それがいま、イランだったり北だったりしている。
これらの国が、「核」を教祖か聖像として崇めるのも、「明・暗」の片方にすぎない。

わが国はいつだって、「明」の方を信じているから、「暗」を嫌ってこれを正義とする。
これぞ、「新しい国家神道」なのである。

その「神殿」が、広島と長崎の「平和公園」なのであり、「神官」が自治体の長なのだった。
外国によくある「戦争記念」とはけっしていわないのは、「言霊」を信じるからである。

これを、「政教分離」の立場から、だれも「憲法違反」だという者もいないのは、十分に「新しい国家神道」が普及しているからである。

山梨の硬い桃

わが国三大桃の産地といえば、岡山、和歌山、山梨と、ぜんぶ「山」がつく県で、関東ならば山梨がいちばん手に入る。
なかでも生産量が一番なのは、一宮町で、中央道釈迦堂PAあたりがその地域にあたる。

山梨県人は、「りんごのように硬い」のが桃のイメージだという。

そんなばかなと思っていたけど、ずいぶん前に近所のショッピングセンターの抽選で、山梨バス旅行が当たって行った先が「桃狩り」だった。
どこの農園だったか忘れたが、食べ放題の桃が堅くてコリコリしながらもしっかり甘くて驚いたものだ。

教わった食べ方は、流水で桃全体のうぶ毛をなでるように洗ってから、皮のついたままかじるのである。
線に沿って包丁を一周させて、実をねじれば片方はきれいに種が外れる。
1個を二人で食べるときには、これでいい。

産地の県民だから、硬くて甘い桃はどこに売っているのかと尋ねても、「ふつうのスーパー」とか、せんない返事がやってきて、おすすめの農園はどこかときいても、あんがいとこたえてくれない。

それで、地元のスーパーで買ってみたら、ふつうに柔らかい桃でガッカリしたことが何度もある。
硬い桃の「品種」がある、ともきいて、「早生」だから出始めのときだといわれたこともある。

なんだか、最初の「山梨県人の硬い桃」という話が、遠くなるのだ。

コロナの営業規制に、田舎ほど忠実なので、この2年ばかりは居酒屋にもいけなかったけど、こないだ久しぶりに「石和温泉駅前」の居酒屋を再訪した。

この店の主は、けっこうな凝り性で、解凍物でない「馬刺し」を出すのが珍しい。
なんでも、長野から馬刺し好きがわざわざやってくるという。

それで、話題を持ちだすもなく、隣の席のひとたちに「桃農園」の紹介をしていた。
今日も買ってきたと、箱に6個入った美味そうな桃を見せていて、ついでに我々にも披露した。

うちの店の名前を出せばいい、というからその気になって、翌日の朝に訪問した。

他の農園が商売熱心な感じで、店のなかに座っているしこちらを見ては合図までしてくれる。
それで到着した目的の場所では、広間で昼寝をしていた。
車の音で気がついて、おもむろに起きてきたのは「お嬢さん」だった。

空き家日本一の山梨県に老後は住もうかと、コロナ前に家を探していたことがあったけど、そこで見つけた第一候補地にはすぐそばに居酒屋があったので、女将さんにいろいろきいたことがある。

すると、どうやらこの女将が地元の「主」らしく、町内会やゴミ出しのルールについて教えてくれて、なんだか面接試験を受けているようだった。
それで二晩通ったら、「合格」をいただいた代わりに、ご主人がやっている桃農園の手伝いもよろしくといわれた。

早朝3時4時から作業をはじめて、9時には終わるという。

そんな話を思い出して、「お嬢さん」を起こしてしまったのが、なんだか悪かったけど、初対面とは思えない気さくさで「お父さん」を電話で呼び出してくれた。

待っている間に、「好み」をきかれたので、「りんごのように硬い」をいったら笑っていた。

お父さんは、日本の農家の平均年齢にあたる70歳代という典型で、いまはなぜか卓球台がある広間では、バーベキューや鍋物を出していたという。
奥さんの生前の仕事で、よく一人で切り回していたものだと、亡くなってから気がついた、と。

娘にいってもできっこない、でこうなったのだと話してくれた。

それでも農園の手伝いはしてくれるから、なんとかなっているという。
今年は梅雨明けが早くて、桃のできはいまいちで、育つ時期に陽に当たって縮んでしまったらしい。

そのかわり、葡萄の方は糖度の上がり方が早いらしく、3日で1度のペースだと解説してくれた。
あと10日もしたら、16度のシャインマスカットになるそうで、同時期に桃が終わる。

硬い桃は農園ならではで、数日もすれば柔らかくなるから、お好みで食べるのがいいらしい。
ただ、柔らかい方が熟れてより甘くなるが、歯ごたえもなくなる。

さいきんは「硬い桃」の注文が増えて、配送時間をかんがえて「早め」に採ったのを送るけど、「硬すぎる」と文句をいってくる客が増えたと愚痴っていた。
ちゃんと、2日ばかり置いてから食べるように案内しているのに、と。

毎年大量に買ってくれるお客が文句をダラダラいってきたから、料金はいらないから文句は聞かないと答えたと嘆いていた。
どうやって美味くなるかかんがえながら作っているのに、それがわからないなら売りたくないけど、そんな客が増えているらしい。

居酒屋の大将が、近所の農家は商売上手だけど、買った側が損するから、といったのがよくわかる話だった。

さてそれで、わが家でも試食したのとおなじく、硬くて甘かった。
できれば来年もまた買いに行きたいものだ。
ようやく、安心の硬くて甘い桃にたどり着いた。

すると、「硬い、美味い、ふくしまの~ 桃」のCMが出てきた。
アルゴリズムが、山梨から福島に飛んでいたのだった。

自己都合のペロシ台湾訪問

2日、歴史が動いた。
もちろん、アメリカ連邦下院議長ペロシ女史の台湾電撃訪問のことだ。

同時進行で、夫のペロシ氏は、自らの飲酒運転に関する裁判を受けていた。
この奇妙なカップルの、奇妙な動きは夫人の行動にだけ注目が集まるようになっている。

ここが、幼稚な日本のマスコミとちがう。

日本の衆議院議長の伴侶が、複数回目(常習)の飲酒運転で裁判を受けてしまうとなれば、一体どんな報道がされるものか?
それで、その夫婦の一方である衆議院議長が、同時期に台湾を訪問したら?

アメリカのマスコミは、飲酒運転よりも重要な印象操作をもって、議長一行の訪台をとにかく「歴史的だ」と伝えているのである。
ところで、ペロシ女史の台湾電撃訪問の「目的」はなにか?を問えば、「よくわからない」のである。

そもそも、「米中国交正常化」のときに、「一つの中国」を押しつけられて、日露戦争以来の大陸利権を欲したアメリカ人は、欲にくらんで鵜呑みにしたことを発端とする、といわれている。

一方で、あたかも台湾が独立国家のように振る舞うことは、中共として「核心的利益」を踏みにじる大問題にしているのは、共産主義・全体主義者の勝手な自己主張に過ぎない。
彼らが他人を批判するときの常套手段、「歴史的事実」を無視するからである。

もちろん、日露戦争で日本が得た利権は、日清戦争にまでさかのぼる「血の報酬」というかんがえが主流で、それが「欧米流の発想」の真似っこだったから、それをそのまま日本が主張して、「生意気いうな」とボコボコにされたのが第二次大戦だった。

この意味で、わが国側の有名なスローガン、「鬼畜米英」はただしいし、先のヨーロッパでの「大戦」が、極東のわが国の産業形成にも役立って、「戦争は儲かる」という非道を日本人が修得してしまった原因にもなった。
そしてこのヨーロッパでの大戦を、「第一次世界大戦」と後にいう。

なお、昨日4日、ガルーシン駐日ロシア大使主催の「原爆投下に関するアメリカのジェノザイド」についての会合があった。
実戦で2回も、しかも実験的に2種類の核を用いたのは、ルーズベルトやトルーマンが日本人を「猿」だと認識していたからで、以降、どの国もつかっていない。

本来であれば、平和時に締結した条約に基づけば、北の「千島樺太交換条約」をもってするから、「北方領土」になるし、「下関条約(台湾割譲条約)」をもってしたのが「台湾領有」だった。

このときの清国政府全権代表は、ずる賢くも調印後のパーティーで台湾を、「化外の地」だと発言したのだった。
つまり、だれの領土かわからない台湾島を、あたかも清国のものとして日本へ「くれてやった」ので、痛くも痒くもない、という意味だ。

日本側は唖然とするような話だけれど、「してやられて」しまったことは間違いない。
この「腐っても中華思想」こそが、世界支配を当然とするおそるべき思想なのである。

その台湾を、敗戦によって失ったことになっているけど、国際法でいえば、蒋介石の国民党に「占有」されたのを、戦勝国たるアメリカ民主党政権が「放置」したので、いまだに「帰属問題」としてはっきりしないままにある。

戦後の日本人も、なんだか蒋介石は「偉人」ということにした。
大陸で帝国陸軍はだれと戦っていたのか?を忘却して、中華民国が日本への戦時賠償請求を「放棄した」ことに、感謝するという倒錯ができたのは、GHQの宣伝工作だといえる。

横浜の一宮、伊勢山皇大神宮の境内にも、蒋介石を顕彰する大きな石碑があるけれど、なんだか穢されているような気がするのはわたしだけか?
ホテル事業に失敗して、神社が破産する事態になったときに、仲間と「厄払い」をしたのだった。

もちろん、蒋介石の国民党は、台湾にあった日本資産(公的資産だけでなく、個人家屋やら民間資産もぜんぶ)を「没収」したから、賠償を放棄するもなにもない濡れ手に粟の利益を得て、これを大陸から引き連れてきた国民党員にだけ分配したのである。

そんな掠奪をやった国民党のなかにあって、臥薪嘗胆を貫いてとうとう「総統」にまでなった、岩里政男(李登輝)氏が、晩年の名著『台湾の主張』(1999年)で、台湾は日本領であると主張したのは、荒唐無稽の与太話ではなくてれっきとした国際法に基づく話なのである。

なお、この書籍の「新版」である文庫本には、櫻井よしこ氏の推薦と門田隆将氏の解説があるけれど、どうしてPHP研究所がこのような「ビジネス保守」のひとたちを必要とするのかがわからない。

岩里政男氏は、一貫して日本人であって、けっして「旧日本人」ではない、と主張されているのに。

そんなわけで、ペロシ女史の台湾電撃訪問は、ホワイトハウスが顔をしかめて、アメリカ(政府)の都合ともいえないし、議会の都合ともいえない。
ならばなんの都合かと問えば、中間選挙のための民主党の都合と、「人権派」を主張したい個人の都合しか当てはまらない。

もちろん、日本の都合は関係なく、その気がぜんぜんない岸田首相はアメリカを訪問中という、中共に忖度する態度を貫いて、どこにも岩里氏が主張した「正論」がないのである。

台湾がよってたかっておもちゃにされている。
これぞ、「台湾の悲哀」の現在の姿なのである。

『新日本紀行』があった時代

1963年10月7日から1982年3月10日まで18年半、794回放送された、長寿番組だった。

わたしが生まれた時(1961年)に、居間で記念に撮った写真には、大きなゲルマニウム・ラジオがあって、その上に真空管ラジオが乗っている。
それから、いつだかしらないうちに、ゲルマニウム・ラジオの位置に「布幕付き」のテレビが鎮座して、真空管ラジオもなくなっていた。

つまり、物心がついたときにあったのは、布幕付きの白黒テレビだったのである。
だけれども、どこかにラジオの音を聴いていたような感覚がある。

祖父がテレビを買ったとき、まだ近所では珍しかったので、人気番組を観に、近所のひとか集まっていたのも、遠くて薄い記憶にある。

なんだか賑やかな家だった。

細かい話だけれど、テレビを観るときには、「布幕」をめくって見終わるとまた布幕を降ろしていたし、大きな「水色レンズ」が画面にかかっていた。
その「初代」がダメになって、二代目になったときには、布幕もなくなっていた。

それで、わが家の三代目はカラーテレビになったのである。

カラーでテレビを観た人生初は、いまでも覚えている。
それは、土曜日の夜8時台の人気時代劇、『素浪人花山大吉』のレギュラー、焼津の半次が履いている股引が、「青かった」衝撃であった。
てっきり「らくだ」の股引だと思いこんでいたからである。

しかし、いまこの時代の番組を観て驚くのは、おおくの場面が「ロケ」による撮影で、道には「わだち」があるものの、よくぞこんな場所があったかと思うほどに、原っぱや電柱のない風景が拡がっている。
子供がやっていた「チャンバラごっこ」を、おとなが仕事でやっていた。

「総務省労働力調査」によると、1960年のわが国の就業人口は、4,436万人で、内訳は以下のとおりだった。
一次産業:1,340万人(30.2%)
二次産業:1,242万人(28.0%)
三次産業:1,854万人(41.8%)

こうしてみると、なかなかに「移動」ができないで、おなじ場所で働いていたと想像できるのである。
一次産業は、農地や山林それに所属する漁港が仕事の基点だし、二次産業だって工場に通っていた。

だから、地方ごとの文化がふつうに保存されていたのである。
これを、『新日本紀行』は記録していたし、「芸能文化の記録」としては、『ふるさとの歌まつり』(1966年~1974年)が人気だったのである。

東京に出てきた当該地方の出身者が観ていたばかりか、毎回紹介される、人生で行ったことがない地方の「祭りの光景」が、珍しかったからである。
これがまた、高度成長期の「旅行ブーム」を呼んだのだった。

「観光客」とは、生活が安定した「労働者階級」なくしては存在しない。
逆に、労働者階級というあたらしい職業人たちのかたまりが、そのときどき、その場所場所に「観光」にやってきたのである。

そうやって、全国各地に点在する「温泉街」が、「物見遊山」の「遊山客」を呼び込んで、これがまた、集団主義の「社員旅行」と融合した。
さらに、「家族サービス」になったのは、社員旅行のやり直しを「家族」でやるのに、父親が牽引したからである。

どこに行っても、「お父さんはよくしっているねぇ」と、専業主婦のお母さんが感心して、これを子供がみていたのであった。
「父権」と「威厳」があった時代の、「ふつう」だった。

それから、旅行会社の窓口に行って、教えてもらった通りに旅程を消化すれば「まちがいない」時代になって、「お父さん」の役割が低下した。
それで、あらかじめ作成されたパッケージ商品を買えば、有名観光地をかんたんに巡れたのである。

つまり、「お父さん」がリーダーだった時代の旅行は、かなりの「冒険」で、下手をすると旅先で詐欺や掠奪にあったのだ。
だから、余計な行動をしないで済む、旅行会社のベテランによる注意喚起の説明自体が「商品」となっていた。

『水戸黄門』だって、「寅さん」だって、あんなに気軽に旅に出られたのは、まったく真逆のキャラクターながら、「特別なひと」という共通がある。
そうやって、「地方」を廻ることが一般人には不可能な憧れであった。

しかして、『新日本紀行』は、もっと突っ込んだ「紀行」だったから、おいそれとは一般人がおなじ行動をできるはずもない「完成度」であった。
それは、「物見遊山」の「まじめ編」で、「地域学習」の教材であった。

ここに、NHKの公共放送たる矜持をみるのである。

『新日本紀行』は、横浜なら「放送ライブラリー」で試聴できる。
そこに現れる映像は、かつての、二度と帰らない日本人の生活の記録であり、これを制作したNHKの、いまはなき「まともさ」の記録なのである。

いまもNHKを信じるひとがいて、たいがいが「高齢者」といわれる理由が、『新日本紀行』やら、その他の「名作番組」を観たひとたちが、裏切ることなく存在しているからである。

なので、こうしたひとたちを裏切っている、いまのNHKの悪辣が、一層に「不道徳」なのだといえるのだった。

EU分裂のよき兆候

ハイエクが予言した「EU分裂の宿命」が、いよいよ起きそうな気配である。

このブログで何度も強調してきたハイエクの思想は、「自由主義」である。
それが、「自由放任」の「古典派」とはちがう、「他人から命令されない自由」のことだから、「新自由主義」になるけれど、これをわざと「グローバル全体主義のこと」と誤解させてきたのが、グローバル全体主義者たちだった。

つまり、自分たちの立場を隠すための、隠れ蓑にした。
もっといえば、グローバル全体主義者たちの行動に大義名分を与えるためにつくった敵を、新自由主義=グローバリストだと偽って宣伝したのである。

しかし、狙いどおり世界がグローバル全体主義におおわれ出したら、いよいよ「新自由主義=グローバリスト」という嘘が通じなくなってきて、ようやく「ナショナリストでかつ新自由主義」の正義に陽があたるようになってきたのは、遅ればせ、とはいえ、当然のことである。

グローバル全体主義の原点は、啓蒙主義にあって、それがフランス革命とロシア(共産)革命になって結実した。
だから、ソ連圏の体制転換は、あたかもグローバル全体主義の終焉にみえたのだった。

しかし、ソ連が成立して間もなく、スターリンとの政争に敗れたトロツキー派がアメリカに逃れ、民主党を乗っ取ったことも何度か書いた通りである。
もちろん、この背景の「資金源」に、大富豪たちがいたのは、ボルシェビキを支援したのとおなじ構造である。

「BRICsの組織化と拡大」でも書いた通りで、グローバル全体主義とナショナリスト・新自由主義の対決が露わになってきている。

そのナショナリストの代表格がロシアのプーチン氏だ。

グローバル全体主義者(アメリカ民主党バイデン政権・EU委員会)が「ウクライナ」を仕掛けて、「漁夫の利」のごとくにロシアのエネルギー資源を横取りしようと目論んだのに、プーチン氏は上手をいったために、今度はEUがエネルギー危機になってしまった。

端からみたら、「大マヌケ」なのだけど、アメリカもEUも生産のためのエネルギー資源の不足で、下手をすると「恐慌」になりかねかい、あぶない「火遊び」をやってくれたものだ。

すでに、日本へやってくる「高級ドイツ車」も、その「装備」の多くが省かれてしまって、中身は日本の高級車に断然劣る「ブランド・マーク」だけをまとっている代物に堕ちている。
材料資源がないために、装備できない事態が起きているのである。

日本では知る人ぞ知るが、ヨーロッパの自動車の9割以上がディーゼル車で、ガソリン車なんてほとんどなかったものを、「ガソリン車製造禁止」をそのまま日本にも輸入しようという「おバカちゃん」が政治家にいる。

故石原慎太郎氏が都知事だったときに、ディーゼル車からでる「煤」のボトルを振りかざして、関東8都県に規制を強化したけれど、ヨーロッパでは、そんな「煤」がでない「ディーゼル燃料」しか販売していなかった。
あの地では、日本の「軽油」は売っていなかったのだ。

それゆえに、日本の自動車会社は、ディーゼルエンジンの新規開発をやめてしまった。
ヨーロッパ市場と日本市場では、「燃料」の品質に雲泥の差があることを、燃料品質を公開していない経産省に遠慮して、ほんとうの理由をいえなかったにちがいない。

これがかえって、欧州の自動車メーカーがこぞって「燃費データの改竄」をやった理由なのではないかと疑っている。

しかし、今回のロシア産天然ガスの供給不足は、もっと「ばかばかしい」グローバル全体主義者による「局地的嫌がらせ」の結果が、大ブーメランになった。

ドイツへ天然ガスを供給するパイプラインの定期メンテで、その心臓部にあたる機械の修理をカナダのメーカーに「いつもどおり」依頼したら、カナダ政府とアメリカ政府から、「ロシア制裁違反」を突きつけられて、にっちもさっちも行かなくなった。

驚いたのはロシアよりも、ガスの供給を受けるドイツで、数ヶ月後にせまった「冬支度」のための、ガス備蓄もできなくなったのである。
家庭での凍死を懸念する前に、産業が凍死してしまう。

これも、世界経済フォーラムがいう、「グレートリセット」だというならば、まさに彼らは人類の敵として、その正体をさらけ出したといえるのである。

そんなわけで、一応まだ民主主義のヨーロッパでは、「背に腹はかえられぬ」状態に追い詰められて、ようやくにして一般人に、「脱炭素」やら「SDGs」やらのバカバカしさが認識されだしたので、「グローバル環境派」たちが、政治的苦境に陥るという、よろこばしい事態になっている。

ハイエクは「統一通貨=ユーロ」の危機が、EU(ヨーロッパ)を分裂に導くと予言したけど、「天然ガス」だった。

すでに、EU委員会という「ミニ世界政府」を無視して、加盟各国の一部がロシアとガス供給についての個別協議に入った。
グローバル全体主義者のEU委員長が、「抜け駆け禁止」を叫んでも、凍死の危険が目の前にせまった国民が納得しない。

グローバル全体主義者がやった、コロナの恐怖をあおって接種させたのとおなじとはいえない、もっと強烈な「冬の恐怖」で、グローバル全体主義が大敗北しそうなのである。

奢る平家ならぬ、奢りきったグローバル全体主義者たちにとって、ナポレオン、ヒトラーに続く、歴史上3度目の「冬将軍」だ。
ただこれも、元は「人災」なのであるから、『旧約聖書・創世記』は、宗教を越えて読んでおくとよい、人間の性としての悲惨がある。

人類は、ぜんぜん進歩なんかしていない。

6年ぶりの新型「ポメラ」

キングジムのヒット商品、『ポメラ』(ポケット メモ ライターの略語)のはなしである。

わたしのポメラの変遷は、折り畳み式だった2009年発売の二代目、DM20を「初代」として、2011年発売で初のストレートタイプ、DM100が「二代目」で、いまだに健在・現役である。

7月29日に新発売となった、DM250は、2016年にでたDM200の「強化版」だとアナウンスされている。
価格は、6万円台。

はっきり書けば、購入するつもりはない。
もう11年前になるDM100の「完成度」に、一定の満足があるからである。

もちろん新型に魅力がぜんぜんない、というわけではないが、現機種に特段の「不満」がないからである。
むしろ、いくつかの点で「退化」していると感じている。

わたしが愛用しているのは、液晶画面である。
それが、次世代のDM200から、「e-ink」になった。
このとき店頭で確認してがっかりしたのは、その表示の「遅さ」であった。

視認性に優れていることは認めるが、いかんせん「文字」になるのに一瞬遅れる。
ならば、旧機種がモノクロ液晶でもバックライト付きなので認識の点では困らないから、あえて「e-ink」である必要はない。

次が、電池だ。
これは、わたしの愛用する機種が、乾電池(アルカリ電池とeneloopに対応で単三型2本)なのであるが、おなじくDM200から、充電式になって今回もかわらない。

充電式の難点は、充電切れ時の対処法が厄介なのと、充電池そのものの寿命があって、交換が面倒なことにある。
「名機」を永く使うには、あんがいと乾電池式がよいのだ。

なお、旧機種は電池交換にあたっても別途ボタン電池がデータ保護用にあるために、うっかりしてデータが消える心配もない。

おまけ的ではあるが、Bluetoothがあるので、ipadなどのタブレットと接続すれば、外部キーボードにもなるので、わざわざ重量が増す「マジック・キーボード」などを装着する必要がない。

ただし、ipadで文章作成をするつもりなら、もっと軽い外付けキーボードか、HHKBを利用している。
さらにipad使用時は、スタンドで目線を高くして、肩こり防止にしているのである。

そんなわけで、この三大要素があるために、旧型なれども使い続けているのである。

もちろん、新型の魅力はないわけではない。
そのなかでも、日本語変換エンジンの内蔵ATOKが進化していて、入力支援機能が「付加」されたことは大きい。

また、画面下の表示部に、「文字数」がでるようになったのは、魅力というよりも「当然」ともいえる。
旧機種では、文書作成中でも、その都度メニューから表示させないといけないからである。

字数制限がある原稿には、必須の機能だ。

キーボード配列については、「US配置」が選べるというものの、ハード的に購入時に選ぶのではなくて、ソフト的対応なのが残念だ。

前に、「日本語配列」について書いたことがあるけれど、「ローマ字入力」を基本とするなら、キーボードもUS配列の方が効率がよい。

日本語配列とは、キーボードにある「ひらがな(入力)」をもって「日本語配列」というからである。
たとえば、「A」キーにある「ち」がそれだ。

日本語配列でローマ字入力をするときの決定的問題点は、「ENTER」キーの位置が、右手小指で遠いことにある。
見た目で「2段」になっているけど。

これが、US配列だと、「1段」なのに「左に長い」ため、小指が簡単に届くのである。
しかも、変換のために親指で押す「スペースキー」の位置が、左右対称になるのである。

どうやらポメラの開発者は、「親指シフト」がお好きのようで、その対応もしているけれど、是非とも「本格的US配列」を採用して、キー表示からひらがなをなくしてもらいたいものだ。

新機種には、縦書き対応の「シナリオモード」もあるというけど、こうした多機能化には魅力を感じない。
むしろ、たとえばWindowsだけに対応の『秀丸エディタ』様のせめて二画面表示をするための、横幅いっぱいの画面採用はできないものか?

これがあれば、本文と見出し、本文と脚注といった同時進行が一目瞭然となる。

はっきりいえば、ポメラは入力マシンであって、編集はPCで行うから、とにかく入力が快適ならばそれでよい。
その意味で、上述のUS配列と入力支援、それに「辞書の充実」が欲しいのである。

DM100には、物理ボタンとして「国語:明鏡」「英和」「和英」は「ジーニアス」の各辞書があるけれど、「類語(シソーラス)」が必須なのではないのか?

これら辞書を、ATOKの辞書として変換時に選べるようにするのかもあっていい。
それと、「エディタ」としての入力マシン特化だ。
本音をいえば、『秀丸エディタ』がそっくりポメラになってほしい。

もっと贅沢をいえば、分厚く重量が増しても、HHKBのような「快適な静電容量式キーボード一体型」あるいは、画面を分離できて長時間入力のための姿勢が楽になるようにならないものか?

それでPCへのデータ連携がシームレスならば、テキスト文章作成のためにPCを持ち歩く必要から解放される。

電池式・液晶で6万円程度なら、文句なしに「買い」なのであるけれど。

BRICsの組織化と拡大

「BRICs」とは、2003年にゴールドマン・サックスのレポートで、B:ブラジル、R:ロシア、I:インド、C:中国、s:南アフリカの5ヵ国を、今後の成長が期待できる「新興国」として、投資家に売り出したことを発端とする。

なかでも、このレポートで「大文字」表記している4ヵ国(つまり「s」の南アフリカを除く)は、広大な「資源国」でもあるために、2050年にはGDPで世界上位6ヵ国に入ると予想されたので、大注目を集めることになった。

現在GDPで世界3位に位置するわが国でいうと、既に中国が2位なので、同時期には、世界上位6ヵ国から「外れる」という予想になっていることに注意したい。

BRICsは当初、勝手につけたグループ名だったので、とくに「機構」というものではなかったけれども、その注目度があがったことから、徐々に「機構らしきもの」になってきている。

既に、「首脳会議」は、今年で14回目となり、この会議の下に「フォーラム組織」を形成していて、まさに「ひょうたんから駒」状態なのである。

今年の外相会議は、5月に中国を議長国として北京で開催されて、習主席がオンライン演説を行ったと、スプートニク社が伝えている。
また、翌6月に開催された首脳会議後の同月27日に、イランとアルゼンチンが、「加盟申請」をしたと、翌日の28日付けロイターが伝えている。

なお、同記事で、アルゼンチンの加盟申請については、ロシア外務省の報道官の発言として伝えているから、リークである。

さらに今月4日には、同フォーラム責任者であるプルニマ・アナンド氏が、「トルコとエジプト、サウジアラビアが速やかにBRICsに参加する可能性がある」と、イズベスチャ紙のインタービューにこたえている。

ちなみに、わが国はウクライナに関係して、ロシア政府から「敵対国認定」を受けているなかで、ロシア国防省は26日、大規模軍事演習「ボストーク2022」が8月30日から9月5日まで行われると発表したことに対して次のようにスプートニク社が伝えている。

日本の磯崎官房副長官は28日、日本政府は外交ルートを通じて、クリル諸島南部(日本側の定義では「北方領土」)を今度の演習から除外するよう「強く求めた」と明らかにした。
対して、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、日本政府は太陽が西から昇ることを要求しているのと同じだと揶揄した。

こうした「動き」を、日本の既存メディアは、ほとんど報じていない。

BRICsの「組織的成長」が意味するのは、対米・対西側における明確な「反対」の表明で、これは一義的には「国連秩序の否定」でもある。
このことは、スプートニク社が6月27日に伝えた、中国外交部国際経済問題課課長の名前も記載した発言として、BRICs拡大の目的は新陣営の形成ではない、にその本意が透けて見える。

なぜなら、前月の5月半ば、王毅外相(外交部長)は、中国側はBRICs拡大プロセスの開始を提案すると発言していて、BRICsの開示性と包括性を誇示し、プレゼンスと影響を高め、全世界の平和と発展へ大きく貢献する一助となるとの考えを示している、からである。 

いつもの「ダブル・スタンダード」であるから、かえって「本音」がわかりやすい。

しかしながら、隠された二義的な「ナショナリズムの台頭」という切り口で見れば、「西側=グローバル全体主義」にすると、その対立構造が明確になるのである。

このブログでも書いてきた、習政権の、共産主義・全体主義のなかにある、「ナショナリズム=毛沢東主義」が、鄧小平以来の改革開放路線(グローバル全体主義)と対抗している複雑さを秘めていることを思い出すとよい。
なので、グローバリズム代表格の、ジョージ・ソロスが習政権を容赦なく批判するのである。

ここで、「C国」以外の立場はどうか?をみておくと、ブラジルとロシアは完全な反グローバリズム、インドは中立、南アフリカもどちらかといえば、反グローバリズムだ。

すると、グローバリズムで稼いでいる、ゴールドマン・サックスの思惑を大きく超えたのが、いまのBRICsだといえる。
これは、グローバリズム勢力=国際金融資本やら軍産複合体、世界経済フォーラムからしたら、育ててみたら「ノーコン」になった、を意味するのである。

彼らからしたら『フランケンシュタイン』をつくってしまった。

伝統的に軍産複合体の「手先」である、アメリカ民主党バイデン政権が、高齢の大統領に頭を下げさせてでも、原油の増産を頼み込んだサウジアラビアをして、BRICs加盟に邁進させた「愚策」は、あえて、アメリカを崩壊させて共産化したい、というなら成功しているが、「な、はずはない」反動が共和党の存在だ。

それで、自暴自棄になったペロシ連邦下院議長が、台湾を訪問するかもしれないところまでやってきている。
そこまでして、大陸を刺戟して武器を消費したいのか?
これはもう、ウクライナが「収まっている」からだろう。

とはいえ、「ガス供給のロシア依存」が決定的のヨーロッパ側は、結局のところBRICsに跪かないわけにはいかない。
これは、サウジ加盟後のわが国もおなじなのである。

わが国に「親ロシア政権=ナショナリズム政権」が誕生する気運がみえないのは、国際情勢を国民に伝えない「効果」だといえる。

この点でも、ゴールドマン・サックスの予想をはるかに超えた「凋落」が、わが国に起きるのだろうけど、それがどんな悲惨になるか?
まことに歯がゆいかぎりなのである。