生涯教育と縄文

還暦を過ぎた、という意味には、齢(よわい)を重ねたことだという「だけ」では「浅い」話になる。

だいたい、小学校を卒業して「半世紀」も経った、という意味もある。
たった3年で中学校も卒業するから、ざっと義務教育を終えてから半世紀といえるのである。

分母が10代のときの6年間とか3年間の、あわせたら9年間の「義務教育期間」は、高校を卒業する18歳でも、人生の半分に相当する時間だ。
けれども、人生は「それから」が「本番」だから、気がつけば分母の数が増えていって、この期間の重みが軽くて薄くなるようになっている。

「薄くなる」のは、とくに「習ったこと」の価値をさす。

ほとんど「不変」なのは、「算数」と「数学」だけで、あとの教科は、「学術的発見」に満ちているから、どんどん変わる。
すると、学校で習ったことが、どんどん「陳腐化する」ということなのだ。

これにはちゃんとした「仕組み」もあって、そもそも「教科書」の「改訂」がこの変化についていけないようにできている。
だから、世間が知っているあたらしい発見を、学校でちゃんと教わるかは、担任や担当教師の能力に依存しているのである。

しかし、現実は、教師個々の能力だけでなく、学年主任や教頭・校長の意向もあるし、なによりも教育委員会という、得体の知れない機構が命じることを、校長以下はあがなうことができない仕組みもある。

GHQが、「民主教育」のためにつくったという教育委員会には、日本人から日本人意識を奪う、という「戦争犯罪」があったので、「民主的」という名分でこの「犯罪」を日本人に実行させるという、白人による植民地支配の「セオリー」が適用された。

むかしは、なぜかフォックス型のつり上がったメガネをかけて、「ざぁます言葉」をしゃべるイメージの、「教育ママ」がいて、「PTA」でいろいろ発言していたけれど、最後の駆け込み寺が、教育委員会であったし、「教育委員」になるための行動をしていたひともいた。

どんなふうに教育委員が任命されるのか、いまはほとんどのひとが知らないところで決まっている。
GHQの本国アメリカでは、「公職」なので「選挙」が常識だけど、日本では採用されなかった。

ちなみに、「公安委員」だって、おなじようにどうやって任命されるのか?は、ほとんど誰も知らないのとおなじなのである。

つまり、委員会の委員の選び方が、ぜんぜん民主的ではない。

それに、「事務局長」だったはずの、役人の「教育長」が、これまた知らないうちに、事実上の「教育委員長」になったのは、教育委員から「長」を決めるのをやめて、委員長不在の、「世にも珍しい」委員会機構になったのだった。

そんなわけで、子供たちが習う「算数」と「数学」以外の教科が、どれほど「遅れているか?」がわからないまま、おおくが「暗記問題」になって、とうとう「受験」という人生の分岐点に集約されることになったのである。

すると、受験で優秀な成績をおさめる者は、あたらしい学術的発見の情報すら、「暗記の邪魔になる」ということになる。
それでもって、社会に出たら、あたらしい学術的発見を重視することもないのは、「成功体験」がそうさせるからである。

これが、「硬直社会」をつくる、ひとつの仕組みだとかんがえられる。

さてそれで、近年の日本人にとっての、「画期」は、「縄文時代」の「縄文人」が、どんなひとたちだったかが、DNA解析でわかってきたことにある。

DNA解析には、母系をたどる「ミトコンドリアDNA」と、父系の「核遺伝子:Y染色体」とのふたつがある。
ちなみに、ミトコンドリアは、生命の歴史上の画期のひとつで、オリジナル細胞に入り込んだ「他の」ウィルスだということがわかっている。

われわれは、自分とはちがう他のウィルスも一緒になった、「合成生物」なのである。

縄文人は、3万6千年前から日本列島に住んでいたことが判明した。
それで「母系」を調べると、さまざまな民族(30種類ぐらいで主に中国南部やベトナム)の「混血」だったことがわかり、「父系」を調べると、「断絶がない」こともわかった。

これは、虐殺やジェノサイドがないことを示し、連続性の証拠になっている。

さらに、山に住む縄文人と、沿岸に住む弥生人が、千年単位で交わったこともわかってきたのである。
これは、「山幸彦」と「海幸彦」の伝説と合致している。
皇室は、山幸彦の系統にあるから、縄文人を先祖にしている。

また、現代日本人のDNA解析では、半数のひとが縄文人の譜系にあることもわかった。
はるかに「あたらしくなって」記紀(古事記・日本書紀)の時代の人口は、300万人程度だったと推定されている。

すると、ほんとうに、日本人は全員「親戚」にあたることは、まったくうそではない。

こうしたことが、「生涯教育」の場を必要とする理由にもなっている。

すると、なによりも「暗記」による成功体験が、どれほどの害毒を日本人にもたらすかが、わかるのである。

「課題先進国」というチャンス

日本が、国家として、政府として、あるいは、日本国民の生活として、あらゆる「課題」を抱えているのは、その種類の「多さ」だけでなく、「深さ」についても、「世界一」という状況にある。

これを、「課題先進国」という。

しかし、多くの「課題」は、ずいぶんむかしから「わかっていた」ことだ。

たとえば、「超高齢社会」の文字が新聞の一面大見出しで出たのは、わたしが二十歳のころで、大学の同級生や先輩とこの記事の内容について話したことが記憶にある。

記事には、「40年後」と書いてあって、なんだか他人事のようにおもえたけれど、全員が自分の年齢に40を足して、「おい、俺たちのことだ」といって、顔を見合わせたのだった。
それがまた、全員、眉間に皺を寄せていた。

結局のところ、「人口問題」とは、「数学」なので、40年経ってみて、あの記事に間違いはないことが確認できる。
方程式にする計算の前提条件に、変化が「なかった」からである。
だから、当時の方程式通りの「答え」となっただけなのである。

すると、この前提条件とは、いったいなにか?が、「問題」となって反ってくる。

ことが人口にかかわるのだから、最小単位は「夫婦」とか、「結婚」にまつわることになる。
そこから、「家族」ということになる。
また、これらのことの根源に、「人生観」の集合体というものがある。

つまるところ、日本人の人生観が、40年前の「予想」と変化していない、という驚くべき結果が「数字」になっているのだ。

80年代の日本人は、なにをかんがえていたのか?
このときの「日本人」とは、誰だったのか?

「現役世代」の定義も、いまとはちがう。
「定年退職」で、きっぱり「退職」していた(年金受給の都合で、退職できた)し、その定年時期も、まだ「55歳」の時代だった。
60歳になる、「過渡期」なのである。

すると、たとえば、85年当時なら、1930年(昭和5年)生まれまでが「現役」の最高齢となって、高卒から現役がはじまるとすれば、1967年(昭和42年)生まれからの範囲となる。

爺さんたちが仕切るのが、わが国の政財界の常識なので、この時代の爺さんとは何者か?をみると、70歳で現役経営者・政治家としたら、1915年(大正4年)生まれだ。
80歳まで広げたら、1905年は明治38年となる。

ちなみに、明治38年9月に「ポーツマス条約」で日露戦争が終わったけれども、すぐに「日比谷焼打事件」になって、「戒厳令」がひかれた、いまとはぜんぜんちがう日本社会であった。

だから、わが国80年代の「絶頂」も、20世紀のはじめに生まれたひとたちが「つくった」ともいえる。
すると、バブル経済の後始末は、それから「後」の世代による「判断」となっている。

たとえば、トップが10年若返ったとすれば、1925年(大正14年)生まれとなるけど、時代も進むから、90年代はじめの「交代」なら、10年下でも75歳になっている。
それでやっぱり、70歳を選ぶなら、1930年(昭和5年)生まれぐらになったのである。

努力義務として、60歳定年制がいわれだしたのは、86年からで、「法制化」は、94年のことである。

すると、組織としては、この頃に30年代生まれがどんどん定年退職の対象になって現役を退いたから、企業の部長級幹部は、昭和二ケタ世代に移行することになったし、役員会は30年代のひとが昇格したといえる。

そんなわけで、平成の停滞は、大正末期から昭和生まれの仕業、ともいえるのである。

しかして、わが国の「人事」で最重要な出来事は、GHQによる「公職追放」であった。
これによって「排除」されたのは、20万人以上、という「異常」である。

それで、中堅層からトップに据える人事を余儀無くされることになったので、「三等重役」が世にいわれることになったのである。
それが、源氏鶏太の『三等重役』で、映画化もされ、森繁久彌の出世作となる。

この「三等」ぶりが、経営者となって「威張った」ので、真性の亜流人物たちが社会を牛耳るという、マンガがリアルになって、呆れた「元同僚たち」が、「労働争議」を起こしたのだった。

故渡辺昇一教授は、これを、「敗戦利得者」と呼んだ。

そんなわけで、わが国のエリートたちの「譜系」は、公職追放という「断絶」を無視できない状況にあったものが、「三等重役」によって、「低レベル育成」されて、平成時代を過ごした。

これが過ごせたのは、前の世代がつくった「遺産」の「食い潰し」であったけど、とうとうかじるものがなくなってきたのが、「令和」なのである。

「堕ちよ、堕ちよ」と「底入れ」を意図した、坂口安吾のごとく、いま、「底入れ」なのか「底割れ」なのかの「分岐点」に立っている。

底入れならば、大チャンス到来。

世界の混沌も、底入れをすべく動きだしている。
それが、「ナショナリズム」で、底割れさせて一部が支配する世界をもくろむのが、「グローバリズム」だと、だんだん霧が晴れて明確になってきた。

世界一の課題先進国とは、裏返せば「リーダー国」になることを意味する。

こんどこそ、三等重役ではない「一等」を据えないといけないのである。

「読解力」がないから

もう常識になった、あたらしい表現に「K・Y(空気・読めない)」がある。

その場の「空気」が何事も、「決める」という日本人の特徴を分析したのが、山本七平の名著、『空気の研究』であった。
たしかに、外国人に「空気」は通じないけど、一概に「空気を読める」日本人が劣っているとはいえないこともある。

その外国人たち、とくに「欧米人」が重んじるのは、「論理」だ。
これには、言語的に「そうならざるを得ない」特徴があるために起きることがわかっている。
彼らの言語は、論理構成そのものが「文法」になっているからである。

だから、「空気を読める」ような訓練を幼少時より受けることは、「あり得ない」ので、何が何でも「論理」を追及することになっている。
これが、「個人主義」になるのだけれども、欧米人も「人間」なので、「自己」の都合が強くなると、「利己主義」という別物に「変化(へんげ)」する。

この「変化(へんげ)」は、たとえば、肉を焼くと色が変わって香りがたつ、「メイラード反応」のように、あんがいと「脳内化学変化」でもある。

なので、いったん「利己主義」に堕ちると、焼いた肉が生肉に戻らないように、もとの「個人主義」に戻れなくなる、「一方通行」なのだ。

これを、「せき止める」のは、強い道徳であり倫理で「しか」ない。
ゆえに、悪魔は「甘言」をもって誘惑し、道徳と倫理を貶める。

そうやって、ヨーロッパでは、「強者」は、「弱者」から奪い取ることを、なんと「権利」だという当然の「論理」に行き着いた。
これが、「絶対主義」の時代に、「絶対君主制」になったのだった。

もちろん、「重商主義」だって、なんのことはない、「掠奪」を合理化させたものだから、後に「帝国主義」に「変化(へんげ)」するのも「必然」なのであると、「論理」づけることができる。

そうかんがえると、帝国主義の「首都」だった、ロンドンに留学して、「神経を病んだ」夏目漱石の「まともさ」とは、日本人「ゆえ」の発病であって、当時の英国人が決して「発病」しなかったのは、全員がとっくに利己主義の「中毒状態」だったからである。

それが証拠に、大英帝国を成した最大の「商品」が、アヘンだったことだ。
国家がその危険性を熟知している、「麻薬」を他国人に売って、利益を貪り、被害国政府がこれを排除しようとしたら、武力で対抗した。

まさに「アヘン戦争」の「大義」とは、「利己主義の中毒」に堕ちた国家が編み出した「屁理屈」に過ぎないものだが、その「廃人」状態とは、阿片中毒の比ではない「害毒」を世界にもたらした。

これを、「喧伝」したのが、「共産主義・全体主義者たち」という「害毒」であったので、利己主義の害毒を「濃塩酸として」、共産主義・全体主義の害毒を「濃硝酸として」これらを「混合」させれば、「王水」のように、なんでも「溶かす」液体のごとくに、知識人の脳を溶かしてしまった。

すなわち、「利己主義から資本主義が生まれた」という「デマ」が、「信仰」にまでなってしまったのである。
マックス・ヴェーバーがいう、「激烈なる清貧の信仰」を、みごとに「すり替えた」のである。

ハイエクが指摘した、「資本主義」とは、共産主義・全体主義のアンチテーゼであって、先に共産主義・全体主義をかんがえたひとたちが「つくった架空」のものだ、と。

彼らは、存在していない「資本主義」を、あるものとして「批判」することで、共産主義・全体主義の到来を「歴史の必然」だと勝手に定義した。
このあたらしい「教義」をもって、あたらしい「一神教」を立ち上げたから、既存の宗教を否定して「無宗教」としたのであった。

まったくの「不寛容」なる、絶対的一神教が共産主義・全体主義だ。

これを、自然崇拝という原始が残る「八百万神」のわが国で、「たくさんある=限りなく透明にちかくて薄い=ゼロ」という「変化(へんげ)」をもって、日本人は「無宗教」だと植え付けた。

マックス・ヴェーバーが、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表するはるか「前」に、わが国では「天皇」を、「現人神(あらひとがみ)」だと規定したのは、西洋のあるべき「精神」=「個人主義」を国民に植え付けて、天皇のもとに、「全員平等」を達成させるための「方便」とするのが目的だった。

神世の古くからの天皇をわざわざ、「現人神」だと言葉(言霊)にしたのは、「四民平等の絶対社会」を急いでつくるひつようがあったからだ。
江戸期までの「常識」だった、表面上は身分制の絶対社会を「壊す」ためであるけれど、もう一つの重大事は、「個人主義」の確立だった。

個人を尊重する主義だから、そこでようやく、「お互い様」の概念が生まれる。
これが、「自分だけ」の、利己主義との決定的なちがいだ。

おなじ「身分内」で通用していた日本人の常識、「お互い様」を、身分を超えてもっと強化するためなのである。

「四民平等」が必須だったのは、帝国主義に堕ちた西洋で、「完成するはずのない資本主義」を、世界で唯一完成させることができるのが日本「だけ」であることを、幕末の志士=明治人が、気づいたからである。

日本人にとっての、「アヘン戦争の衝撃」とは、利己主義がなす「弱肉強食」の理不尽がまかり通る、野蛮そのものの世界が「リアル」だったことだ。

これを、「橋本左内」が見抜いて、書き残している。

さては、戦後教育の「反日」は、日本人から「読解力を奪う」ことを目的にした。
それがまた、空気を読めない、劣化という意味の欧米化なのである。

ローマ教皇がゼレンスキー氏との面談を拒否しながらも、ロシア正教会の大主教との歴史的ズーム会談では、一方的に大主教がプーチン氏擁護を語って、「お手上げ」になったけど、なんだかモジモジとロシア擁護(=反NATO=反バイデン民主党政権)を表明している。

バイデン氏が、カソリックだからからなのか?
残念な欧米人たちは、この空気を読める読解力に欠けているのか?

6日、国連安保理事会非公式会合では、フランス人が、ウクライナ人を「人間の盾」にして虐殺しているのは、ウクライナ軍だと「証言」した。
なお、国連はすべての「会議」、「会合」を動画にして、ネット配信している。

9日、「対ドイツ戦の戦勝記念日」に、プーチン氏が何を語ったのか?
それでも、マスコミが「伝えない」から、読解力の範囲を超えている。

「参政党」5000人大会の現場

前に「予告」した、「現場レポート」である。
「野次馬」根性が嵩じてのことだ。
それは、「歴史的転換点の証人」になるかもしれないという、ひそかな人生イベントへの期待でもある。

昨8日は、横浜「参政党・デー」だった。

午前10時~12時までは、桜木町駅前にての街頭演説、それから、午後2時~8時半(なんと6時間半)までは、2万円のチケットを購入したひとが入場できる、パシフィコ横浜での、参議院選挙資金(パーティー)としてのイベントが開催された。

街頭演説から参加したら、丸一日が「政治一色に染まる日」となる。

JR桜木町駅は、改札口が3箇所ある。
横浜市役所の移転にともなってできた、初代横浜駅の入口があった「新・南口」は広場が狭くなったので、面影もなにもないという、JRがやるいつもの「文化破壊」の跡地になっている。

街頭演説の「いつもの場所」は、「南改札」の海側広場(東口)だから、そこを想定して降車したら、横浜駅側の「北改札」側に異様な「ひとだかり」ができていた。

ちなみに、いつもの場所には、立憲民主党と日本維新の会(松沢成文前神奈川県知事)の街宣車とのぼり旗が数本あって、閑散としていたけれども、そのうち「法輪功」の団体がブラスバンド演奏をして、「反中共」をにぎやかにやっていた。

「野次馬」だから、なるべく後方の場所に立って、全体を見ようとしたけれど、時間の経過とともに、通行人が加わるばかりだから、いつの間にかわたしの立ち位置すら、中間よりやや後になっていた。
なので、どのくらいの人数だったかは、はっきりとわからなかった。

正午近く、最後のシメに立った事務局長の神谷氏が、かつて自民党から衆議院選挙に出たときに、小泉進次郎氏とやった街頭演説を、「明らかに上回った、千数百人がここにいる、人生初だ」と発言していたから、おそらく参政党「初」でもあったろう。

「開国の地」である横浜で、再び国が変わるなら、横浜市民としても見逃せないのである。

演説の合間にはいる、「そうだ!」の掛け声は、男女を問わないものだけど、これがまた聴衆の気分を高める効果があって、それがまた、歌舞伎の大向こうからの声を彷彿とさせる。
だから、タイミングと若干の時間のズレが重要だ。

そうやってから、「拍手」となるパターンが繰り返されて、通行人を引きつける「磁力」が生まれている。

正午過ぎに街頭演説は終わったけれど、パシフィコ横浜までは徒歩で15分ほどかかるから、長丁場の「本番」前に、まずは腹ごなしをしないといけない。
それで、桜木町駅の野毛(西口)側にいったんまわった。

すると、なんだか「橙色のTシャツ」を着たひとが、あちこちでウロウロしているのである。
胸には横に「SANSEITO]、背には縦に「おはよう」とある。
いわゆる、「公認シャツ」なのだ。

5000人分のチケットが「完売」したとアナウンスされたのは、数日前のことだった。
ひと月前に1000枚という状況で、会場の予約確認の必要から、3000人収容とするか迷ったそうだ。

だから、ほんとうに「満席」となるのか?は、資金集めの「効率」という観点からは、まったくの「実務」問題である。
当然に、「政治的」にも、広い会場が閑散としていた、と参加者に印象づけることは、「嫌われる努力」となってしまう。

とはいえ、5000人大会だ、となれば、「開演時間」よりも「開場時間」が気になるし、指定席のはずはないから、早い者勝ちになる。
13時10分に会場入口に行って、その列の「長さ」に唖然とした。
ようやく会場内に入れば、もう3分の1以上が「席取り」されていた。

わたしもそうだが、自腹を切って「政党の政治資金集め」に参加するのは、人生で初めてのひとばかりだろうけど、完全に「コンサート・イベント」状態になっていた。

開演前のまだ余裕があるときに、斜め前の席に座った女性が、同行のひとに、関連グッズを見てくると、財布をもって立っていったら、すぐさま戻ってきて、「もうTシャツは全部売り切れた」と言っていった。

よく見たら、同行のひとは、「Tシャツ」ではなく、「公認ポロシャツ」を着てやってきていた。

この「欠品」は、資金集めという目的には、「痛い」から、どんな「反省会」がされるのか?も気になるところである。
このあたりの「ずさんさ」が、党員組織での準備としての合理性を欠いたことになるから、神谷氏が「怒る」というのも無理はない。

わたしの横の席は、親子三代の6人での参加だから、この一家は10万円近くを支出していることになる。
なぜなら、全員が「関連グッズ」に身を包んでいるのだ。

それでか、会場内には小中学生が多数いて、飽きてきた小学生が通路を走りまわっていた。
よくわからないのは、和服姿の女性も目立っていたことだ。
どうして和服なのか?はわたしには不明である。

そんなわけで、アメリカの政党が主催するイベントほどの「豪華さ」はないけれど、こんな大会をとうとう日本でもやるようになったのは、結構なことである。

しかも、多くが「ポケット・マネー」を出した、「個人」が参加者なのである。
もちろん、「領収書」をもらう企業参加者もいるだろうけど、業界が利得を得る話は、この政党にかぎっては「皆無」だと、最初からわかっている。

既存政党が「恐怖」を感じるだろうことが、ほんとうに起きているのは、「自業自得」だけれども、「ざまぁみろ」では満足しないひとたちが集まったことは、確か、であった。

尾崎士郎訳『平家物語』を聴く

何度もおなじ「きっけかけ」で、突如の「動画」についての話題を書いてきた。
今回も、どうしたことかがやっぱり「わからない」ままに、A.I.が紹介してくれた、『平家物語』の話題である。

わたしにとって、『平家物語』といえば、小学5年生のときに観ていた、NHK大河ドラマの『新・平家物語』で、清盛が仲代達矢、妻時子が中村玉緒、これに狂言回しの伴卜(ばんぼく)役が藤田まことだったことが記憶にある。

ただし、この作品「も」、「ホームドラマ」という位置づけなので、脚本は平岩弓枝だった。

それでかどうだか覚えていないけど、高校1年生の春から半年かかって、吉川英治の「原作」全16巻を読破した。
これがきっかけになって、ふつうの文庫本もあるのに、わざわざ高額な「吉川英治文庫」をせっせと読んで、本棚に並べて喜んでいた時期がある。

達成感が、いつでも見えたからである。

ついでに書けば、わたしが観ていた大河ドラマは、歴史的にありえない「価値観」の「現代的ホームドラマ」ばかりなことに呆れて、『おんな太閤記』を最後に、その後現在にいたるまで、まったく関心がない。

かえって大道具・小道具・衣装など、「時代考証」がしっかりしていることに、「うそ」の確信犯としての「だまし」が、映像イメージとして脳に焼き付けられる、「害毒」だとしか思えないのである。

さて、こんな「大作」なのに、「作者不明」ということも、また、「琵琶法師」なる盲目のひとたちが、どこでどうやって琵琶の演奏を「暗譜」して、物語自体の「暗誦」の訓練を受けたのか?詳しい説明はない。

ヨーロッパ的発想をすれば、「琵琶ギルド」があった、ということだろうけど。
ただ、楽器としてはペルシャ起源で、西にいって「リュート」になって、「ギター」になった。

「平曲」を道すがら聞き入るひとたちが、立ち止まって涙した、というから、聴いている側も「体力」がいる。
体力とは、身体のことだけでなく、日がな一日を生産活動なくして「費やす」という経済的意味もある。

じっさいの演奏を聴いたのは、高校の「日本史」の授業であった。
大きなラジカセから出てきた、「祇園精舎」は、テストに出るからと暗唱させられた文章の「スピード」とはぜんぜんちがう、そのあまりもゆったりとした語りに、戸惑うほどだった。

この調子だと、全部を聴き終わるのに、何時間どころか、何日を要するのか?
それは、目読だけでも「半年がかり」だった、『新・平家物語』からの、気の遠くなるようなイメージだったのである。

この「スピード感」の「遅さ」というのは、ドイツ音楽の伝統を体現する「最後の巨匠」と称された大指揮者、カール・ベームの評価にもある。
後進の「帝王」、カラヤンの現代的「サウンド」のテンポとはまるでちがう「遅さ」に、この巨匠の演奏を「嫌う」ひともいる。

おなじような経験は、アンデスの「フォルクローレ」にもいえて、『コンドルは飛んでゆく』のLPを買うのに、レコード屋さんでずいぶんと試聴して、もっとも「遅い」けど、「巨匠」という、アントニオ・パントーハのものを買った記憶がある。

選んだ理由は、素朴さ=リアルさ=遅さ、だったからで、いまも正しい選択だったと思うのは、もうあんな素朴な演奏をするひとがいなくて、聴けない(あらたな録音もない)からでもある。

人類はどちらさまも、いまよりもずっと「遅いテンポ」のなかで生きてきたことがわかるのである。
その生活のテンポが、歌のテンポと同調するのは「道理がある」というものだ。

だから、いまは滅多に聞かなくなった「民謡」が、むかしの生活のテンポを示すことになっている。

80年代、バブルの好景気に、民謡ブームもあったのは、日本が日本でなくなることの「お別れを惜しむ」ことだったろうし、それが、朝ドラの『おしん』大ヒットの原因だったかもしれない。

それから幾星霜、平成がおわって令和になったことの「時代区分」で、突如A.I.が示してきたのが、「盛者必衰」というメッセージなのである。

なんという「意味深」。

現代の「盛者」とは、いまだけ、おカネだけ、自分だけ、に象徴される「価値観」であって、それを代表するのが、「国際金融資本家」といわれる、小数のひとたちだ。

アイン・ランドが、「資本主義」とは、「未完」あるいは、「未来のシステム」と呼んでいたとは、前に書いた。
つまり、彼女の定義によれば、人類は資本主義をいまだ経験していない、と主張していた。

その愛弟子が、FRB議長をながくつとめた、アラン・グリーンスパンだったから、自由主義者はアイン・ランドを無視できないのである。
もちろん、グリーンスパン氏本人も、アイン・ランドへの「最大の敬意」を何度も示している。

すると、われわれ日本人も、「大間違いの洗脳」をされている。
「儲け主義=資本主義」ではないし、そもそも資本主義を経験したことはあるのか?という問いに、どうこたえるのか。

この山本七平の鋭い指摘は、「だから有色人種で初の、明治の産業勃興(資本主義)成功の理由」となっている。
けれども、わたしは江戸期の日本商人の「商業道徳」こそが、世界人類が初めて経験した「資本主義」ではないかと疑っている。

それが、「文明開化」で滅亡し、「和魂洋才」なる言葉でごまかした可能性がある。
つまり、江戸期の日本商人「だけ」が、アイン・ランドがいう「資本主義」を達成していたとかんがえるのである。

だから、「ポスト・資本主義」とは、じつは、「資本主義」のことをいう。
前者の資本主義は、「偽りの資本主義」なのだ。

すなわち、「国際金融資本家たち」とは、「正規」の資本主義者ではないし、まったく資本主義の精神とは関係のない、中世以前の、国家をも買収した「大富豪」にすぎない。

『平家物語』の根幹をなす、「祇園精舎」の思想が、現代でも、新しい時代を切り開くのである。
なにも「国内」には限らない。
「英語版」はもちろん、「ポーランド語訳」だってある。

これを教えてくれたから、ちょっとだけ、A.I.に感謝する。

「超人」集団としての参政党

ニーチェが定義した、「超人」にあたる人物たちからなる「政党」だ。
「超人」とは、『ツァラトゥストラはかく語りき』において、自らの確立した意思でもって行動する「ひと」をいう。

 

この「連休中」、新宿駅西口小田急前で連日の街頭演説をして、4月30日には、1000人以上(駅ビル構内もふくめると1400人程度だったという目撃談もある)を集めた。

これには理由があって、全国比例立候補予定者5人全員の「そろい踏み」という、「珍しさ」もあったからだと解釈されている。
通常は、単独あるいは二人程度での街頭演説を複数の場所でやっている。

全部が全部、ネット動画にあるのではないけれど、YouTuberさんたちがそれぞれに「配信」している。
「現場」の状況は、ときたま「引き撮影」をしてくれて、聴衆の数などがわかるものもある。

とくに「熱弁」で人気を博しているのは、歯科医師にして(自由診療)病院経営者で、自身もYouTuberである、「よしりん」こと、吉野敏明氏と、党創設発起人にして事務局長の、神谷宗幣氏のふたりだ。

吉野氏は銀座に病院があるため、毎週月、水、金曜日の午後、新橋駅SL広場を「聖地」として、定番の街頭演説をやっている。
毎回、質問する「今日初めてのひと?」との問いに、だいたい8割が手を挙げるというから、「経験者」はすさまじい数にのぼるだろう。

しかも、この連休中、すっかり東京の「観光名所」になった。
それは、「全国各地」から、吉野氏の街頭演説を聴きに来ることが、「目的地」にさえなっているのである。

その吉野氏の連休スケジュールは、どうしてそうなる?というほどの、「無茶」で、徳島から大分、博多といった「移動」での強行をやっている。
もう、ほとんど「行」にちかいが、そのエネルギーは「超人」ゆえだ。

博多駅前での街頭演説には、「前座」として、ふたりの女性「党員」がマイクを握っていた。

一人目は、スマホを片手にしていたけれど、おそらく人生で初めての「政治演説」ではなかろうか?
御年22歳の、まだ「女の子」が、泣きながら特攻で散った先人を「先輩」といいながら、訴えていた。

二人目は、若いお母さんで、子供の将来についての不安が、いまの政治のふしだらを正さない限り解消しないと、しごくまっとうな主張であった。

それでもって、参集していた聴衆は400人ぐらいだった。

これを、「麻生事務所」はどう観ているのか?
演説の「主張」ばかりでなく、また、聴衆の数だけでない、その態度を「社会現象」として捉えることが、政治家のセンスだ。

昨日6日は、新橋駅のあと、神谷氏が高崎駅にあらわれて、街頭演説をやっていた。
やはり、400人程が集まっていたとのことだけど、群馬県といえば、福田赳夫、康夫親子、中曽根康弘、それに小渕恵三の4人もの総理を輩出した「保守王国」だ。

この動画のコメント欄には、「もう自民党は保守じゃない」との書き込みが、さりげない光を放っている。

参政党は、わが国で最初の「本格的近代政党」なので、立候補者も、政策も、「党員」による議論と投票で決まる仕組みだ。
なので、「党員」になって「参加」しないと、政策論ができない、という「初めて」がある。

また、街頭演説で、聴衆から「質問」を受け付けるのも特徴のひとつだ。

そこで、聴衆から、たとえば、「こんな政策をしてほしいけど、参政党はやってくれるのか?」という、よくある話に、きっぱりと「やりません」と回答している。

「あなたがいまいった政策は、あなたが党員になって、党内で提案してください。それで、党員が賛同して決めたら、議員はそれを実行にうつすように行動します」と続く。

だから、われわれは、なんとかを無料にします、とか、消費税を減税しますとかといった「エサ」で、有権者を「釣る」ような、いままでの政党とはちがいます、と断言している。

しかして、なんだか「国民民主党の党首」がやっている、「宣伝動画」が、こんなやりとりの合間に、挟み込まれて出てくるのである。
そこで、「児童手当を増やします」とか、「景気回復まで消費税の減税」とかという、エサで釣る典型が放映される。

これは、「AI」による、ネガティブ・キャンペーンなのか?
少なくとも、国民民主党の「党員」は、なんらかの手を打つように、「本部」に進言すべきではなかろうか?

どうみても党首が、「愚か者」とか、「古い」ということの「宣伝」をしているようになっている。

さて高崎での質問に、とうとう小学生がマイクを握った。
選挙期間中は「禁止」されるけど、「いま」なら言論の自由は小学生にもある。

そこでこの子は、「参政党を応援する」といい、「ワクチンを打ちたくないけどどうすればいいですか?」と質問した。
その回答は、「おとなの都合」で、音声カットされたのでわからない。

そんなわけで、明日8日は、「決起集会と政治資金パーティー」が、パシフィコ横浜で開催される。
目標人数は、5000人としていたけれど、なんと「達成」したという。

開催前、午前10時からは、桜木町駅前での街頭演説もあるという。
ここでの目標は、3000人。

これはもう、「日本版無血名誉革命」ではないのか?

「現場レポート」をするので、お楽しみに。

すこやかな子供

「産後の肥立ち」の良し悪しが、母体に直接関係していたのは、「食」と「生活」の「貧困」が、命に関わることだったからである。
それでもって、乳幼児の生存にも影響したのは、母乳の出にも影響するからで、もちろんさまざまな「病気」が子供をおそっても、おいそれと医者にかからせることもできなかった。

たとえ病気になって医者を呼んでも、こんどは処方される「薬」だって、いまとはぜんぜんちがう。
人類初の抗生剤、「ペニシリン」が発見されたのは、1929年のことだったから、まだ100年も経っていない。

つまり、いまからしたら驚くほど「効かない薬」が、ふつうであって、それがまた「高価」であった。
なので、事実上の自然治癒力がないと、生き残れない、ということになっていた。

これがまた、「優生学」を生む土壌でもあった。

さて、ときどき「旧暦」を語ることがあるこのブログだ。
今年は、新暦の6月3日が、旧暦の5月5日「端午の節句」にあたる。
ちなみに、3月3日の「桃の節句」は、新暦の4月3だった。

新暦の3月3日に、桃の花は開花しないが、旧暦の頃には「見頃」となるようになっている。

すると、旧暦の端午の節句は、なんとなく「梅雨」の時期になるから、「五月晴れ」の意味も、ただスカッと晴れた日を指すのとはちがったニュアンスがある。

そこで出てくる、「菖蒲湯」とか「よもぎ餅」、あるいは「柏餅」の意味には、「邪気払い」という共通があることに気づく。
もちろん、「鯉のぼり」もだ。

「邪気」とは、単に病気になることだけではない。
それに、「邪気払い」も、単なる「まじない」ではなかった。
いまでは想像もつかない、「信用度」があったのだ。

ところで、女の子の節句が「桃の節句」で、男の子の節句が「端午の節句」だった。
わが国における「桃の節句」の歴史は、えらく古く、縄文時代に遡るという説もある。

それに比べて、端午の節句は、中国からの輸入で、時期は奈良時代にあたる。
この「時間差」こそ、フェミのひとたちは注目しそうなものだけど、そうではないから、ひとかどではない。

日本をぶっ壊す!ことに躍起だったGHQは、「戦争犯罪」にあたる、敗戦国の「文化破壊」もやって、いまだに知らんぷりをしているし、この「文化破壊」を、よろこばしいもの、とかんがえる「犬たち」も増加した。

この意味で、男女を問わない「こどもの日」が、国民の祝日として「法制化」できたのである。
なお、「子供」と書かず「こども」とすることにも意味がある。
「供」の字が、卑しいとかんがえる犬になった学者がいたからである。

それでもって、「こどもの日」の趣旨は、以下のとおり。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨とした国民の祝日。
制定は、1948年(昭和23年)と、しっかり、占領期なのである。

「母に感謝する」ことは、法律にあるけれど、「父に感謝する」ことは、「ない」というのも、なかなかの「趣旨=意図」に読めるのである。
それに、「こどもの人格を重んじ」が、「こどもの幸福」の「前提」になっているけれど、未発達のこどもの人格とは何か?についての説明はない。

「人権」ならまだしも、なのである。

そんなわけで、「こどもの日」とは、けっこう「政治的」な意図をもって決めた「祝日」だということは、知っていていい。

なので、ずっとさかのぼって、「端午の節句」に戻ると、邪気払いを含めた、すこやかな成長を願ったことの「健全性」と、夭折するふつうからの「切実さ」が、よほど「健全」だということがわかる。

それに、「男」はいずれ成長すれば、さまざなま「闘いの場」に出て、「勝負」しないといけない「運命」があった。
だから、「菖蒲」という植物が「げんかつぎ」にもなって、伝統的なデザインとしても用いられた。

たとえば、山梨県にある伝統的工芸品の「印伝」にそれが残っている。

ちなみに、印伝の模様には、飛鳥時代からの糸で隠して「煙:タール成分」を用いて線型図を描く手法と、漆をインクにした「印刷」手法とがあって、後者には「伊勢型紙」がいまでも用いられている。
だから、三重県鈴鹿市の伊勢型紙が途絶えたら、えらいことになる。

けれども、型紙に掘り出す前の「紙」は、「美濃和紙」なので、美濃和紙がなくなると、えらいことになる。
そのまた、原材料の「こうぞ:楮」を畑で栽培することからしないと、えらいことになるのである。

おとなは子供をみて、「すこやかな成長」を願うのだけど、子供はおとなをみて育つ、ということを同時にいわないから「片手落ち」になっている。
これを言わないでよかったのは、おとながおとなだったからで、「言わずもがな」だったのだ。

いまは、おとなが子供のままに「発達不足」しているから、「子供はおとなをみて育つ」をわざわざ言わないといけなくなった。
すると、「父ちゃん坊や」は、子供にみられている、ことをどうおもうのだろうか?

じつは、こうした「発達不足」になったひとは、個人主義を誤解した親による、「自己中」、「利己主義」の被害者ではある。
「他人の迷惑にならなければ、なにをしてもよい」という、「思想」は、「利己主義」による「ごまかし・まやかし」なのである。

ゆえに、他人がどうおもうのかに「関係なく」、身のこなしからなにからを「しつけた」のである。
それが、おとなになると「育ち」として、わかるひとには評価されることになって、「身を助ける」こともあったのである。

いま街中でそれを確認できるのは、「犬の散歩」だ。
子供のしつけができなかったひとたちが、「飼い犬」のコントールもできないで、犬に散歩をされている人間のかくも大勢いることか。

バカ犬ではなくて、バカが飼い主なのである。

子供が生意気になってくるのは、だいたい小学校の高学年あたりからなので、10年もすれば、なんと「18歳成人」となる。
すると、現在の子供には、絶対に「すこやかな成長」を遂げてもらわないと困るのは、現在のおとなの側なのである。

そしてそれが、「人生100年時代」ともなれば、現在10歳の子供は、あと80年は「おとな」として生きないといけないことになっている。

一歩まちがうと、ずっと悲惨な人生になる。
それでか、わが国は、世界で一番「子供が自殺」して、若年層の死因のトップが、自殺だという「唯一の国」になってしまった。

それがなんだか、芥川龍之介がいった「漠然とした不安」のように、「なんとなく」という「理由」なのである。

すこやかな子供は、ちゃんとしたおとながいないと、すこやかに成長しないのである。
だから、こどもの日ではなくて、おとなが反省する日、が正しい。

道徳的な国の可能性

「うっかり」は、人間につきものだけど、年を取ったせいにしていえば、このところ「携帯電話」を落したり、置き忘れたりして、なんどか「紛失」している。

ちなみに、「またなくしたの」と家人にいわれることも、いつも通りなのである。
そして、ありがたいことに、みつかるのである。

離れたところに保管場所があるので、そこまでとりに行かないといけないけれども、「みつかる」ということの裏には、「だれも触らない」とか、「届け出てくれる」という、「手間」がある。

「触らない」ことが「手間」なのは、他人のものに「触ってはいけない」とかんがえたことについての「手間」として、「触らない」からである。

訪日した外国人YouTuberが、財布やら貴重品を落しても、日本に限っては「みつかる」ことに「感動」する話を通り越して、わざと落してどうなるかを「実験」して動画配信している。

それがまた、気づいたひとが全員、落した本人を走って追いかける、という「手間」をかけて、「落としましたよ」といってニッコリ手渡すのである。

こうした「動画」を観た、外国人のコメントは、一応に、「奇跡の国」という評価になるのである。

「うちの国だったら、走って逃げる」のがあたりまえで、図書館でも喫茶店でもどこでも、席を離れるときに貴重品を置いたままにしても「安全」なことなんて、「ありえない」というコメントが満載になるものだ。

だから、これをついうっかり、外国でやると、たちまちカバンごと紛失の憂き目をみて、パスポートごとなくなって「帰国できない」なんてことにもなるのである。

いわゆる、「置き引き」の被害が、もっとも「ふつう」に発生する。

とくに、人混みの空港ロビーとか、中央駅とかが注意を要する場所になるのは、「お仕事」として、他人の行動を遠目で観察して、虎視眈々と狙っているひとたちがいるからだ。

それでもって、注意が甘い日本人がターゲットになるのだ。

そんなわけで、日本人はどうやら、世界的に「異常」ともいえる、習性を持っていることが、外国人からしたら「奇異」にみえるほどなのである。
しかし、日本人がこれをどこまで「自慢」できるかといえば、ちょっと自信がなくなることもある。

地下鉄サリン事件は、世界的にも珍しいを越して、世界初の化学兵器による無差別テロだった。
これをきっかけに、駅から街中から、「ゴミ箱」が撤去されて、それが現代日本文化にまでなってしまった。

そして、「不審物」には「触らない」ということも、「身の危険」との関係から、あたりまえになったのである。
けれども、これには、「えんがちょ」という、外国人にはほとんど理解不能な「穢れを忌み嫌う文化」があったから、徹底できているともいえる。

しかも、「えんがちょ」は、他人にタッチするだけで、「伝染」する。

これを防止するには、タッチされる前に「えんがちょユビ切った」と言って、指でサインをつくって相手に示さないといけない。
この「防止行為」が、変形したのが「マスク着用」だともかんがえられる。

ゆえに、日本人がマスクをはずさないのは、完全に、科学を上回る「穢れの文化」が、日本人を支配しているからともいえる。
だから、「権威者」が、「えんがちょユビ切った」という意味の、「マスクをはずしましょう」といわないかぎり、日本人はマスクをはずせない。

じぶんが「えんがちょ」の「鬼」になってしまうことが、最大の「リスク」だからである。
もはや、「感染症」の「感染」を怖れているのではないのだ。
完全に、社会的・文化的レベルになっている。

まったくもって、宗教的人間の集団が日本人なのだけど、これをまた、全然意識しないで生きているのも日本人だ。
その宗教が、いつからかわからないほどむかしで、新しい「神道」とは別の、「日本古来」からのものだから、外国人には理解できない。

すると、日本人だって、神道と神社とえんがちょの関係が曖昧模糊としているままなので、なんだかよくわからないでいる。
ヨーロッパ人は、こうした曖昧模糊とした状態に心理的不安を感じるから、絶対に「理論化」する。

しかして、日本人は曖昧模糊を「放置」するのである。
それで平気でいられるのは、そんなことにいちいち興味がないからである。
つまり、完全に「無意識レベル」で、全員一致の境地に達しているのだ。

これが、外国人から日本国を、「日本という惑星」という言い方で表現される理由である。
つまり、別の星に生きていると思えるほどの「ちがい」を認識されている。

その「キーワード」が、「道徳」の根本的なちがいだといえる。

日本人の道徳は、明らかに外国人の道徳と「レベル」がちがう。

これは、アイン・ランドがいう、「資本主義は道徳世界にしか成立しない」ということからしたら、地球で唯一「資本主義成立」の条件を持っているのが、日本人だ、ということになるのである。

世界人類は、いまだにそんな「資本主義」を経験していない、から、資本主義とは「未来のシステム」であると断言したアイン・ランドが正しければ、人類未来は、日本人が握っているのである。

ハイエクは、「資本主義」とは、マルクスが考案した、共産主義のアンチテーゼとしての概念だと指摘した。
つまり、共産主義ありき、から導いた、架空の概念が「資本主義」なるものだ、と。

すると、われわれがいま生きているこの世界はどうかんがえればよいのか?
大塚久雄が説く、中世までの「前資本:詐欺・掠奪・冒険がふつうの経済社会」の状態に、科学と技術が結合した「だけ」だとすれば、納得がいく。

だから、いまでも、詐欺・掠奪・冒険が絶えないのであって、国際金融資本家たちによる一般人からの「掠奪」が、ふつうになっている。

すると、これに対抗する、世界の光は、やっぱり「日本人」しかいないのである。

米独の股裂きにされる

お困りのドイツが、久しぶりに思い出したのが旧同盟国の日本なのであった。

しかし、ヒトラーが「黄色い猿」呼ばわりしていたから、ドイツ人はあんがいと「親日」ではない。
ただし、イタリア人に裏切られて、自分も力尽きたのに、最後まで頑張った日本はなんなんだ、という「思い」だけはあるようだ。

もちろん、戦後の「復興」と、「高度成長」は、日独の独壇場となった共通はある。
「空襲と地上戦」で徹底的に破壊されたドイツと、「大空襲」で焼き尽くされた日本は、「最新鋭の工場」をもって再興したのだった。

ドイツ同様に破壊された東ヨーロッパは、ソ連圏になって「化石化する」ことになったのも、ドイツにはラッキーだった皮肉がある。
わが国は、朝鮮動乱というラッキーで復興するから、両国共に他人の不幸が自分の幸福になったのである。

シュルツ首相を支える、連立する政党はかつてなく「幅広」だ。
ドイツでは昔から「極右」とされた、「自由民主党」と、当然に「極左」に分類される、「緑の党」が、ありえないことにおなじ内閣にはいっている。

ドイツと日本のちがいの決定的な点は、東ドイツと再統合をしたことだ。

「経済だけ」をみれば、あたかも、西ドイツが東ドイツを吸収したように思えるけれど、文化的・政治的には、東ドイツに西ドイツが吸収された。
それが、長期メルケル政権の本質だった。

環境ファシズムに堕ちたメルケル政権は、フクシマ・ショックから、原発廃止を決めた。

代替エネルギーは、ロシア依存だったけど、これを、「持続可能」といって誤魔化したのであった。
しかし、ドイツ人は誤魔化されたとはかんがえずに、「正しい」と決め込んだのである。

それが、「旧東ドイツ」のひとたちだったのではないかと疑う。
エネルギーを大量に必要とする産業は、旧西ドイツの側にあるはずだから、これらの産業にたずさわるひとたちは、「環境左翼」にはなり得ないからである。

それでも、ドイツはエネルギー源をシフトして、電気代が往時の4~6倍になったところでの、ウクライナ危機で、「6割上昇した」とのニュースがあったので、結局のところ「10倍」になったのである。

それを、日本人駐在員たちの「妻」が、「ぼやき」としてつぶやいたら、ヨーロッパ各地での「実態が報告される」に至り、プロの報道機関を、信頼性で凌駕したのであった。

わたしもかつて、35年前のエジプト・カイロにおける、「物価調査」を、日本人婦人会に頼んで調べてもらったことがある。
もちろん、現地人が買う「お店」ではなくて、裕福な外国人が買う「高級店」の実態だ。

しかし、これはこれで「足で稼いだ」数字なので、どこの「調査機関」の調査よりも、「正確さ」では負けなかった。
なお、日本人は「値段交渉」や「値切り」をしない、ということも承知の「数字」だから、現地人の評価として比較したのではないので念のため。

そんなわけで、ドイツはにっちもさっちもいかない状況に自分たちで追いこんでしまった。
ロシアにつきたいのに、アメリカ・バイデン政権がこれを許さない。
トランプ氏の再選を望むは、アメリカ人よりもドイツ人かもしれない。

これをふつう、「失政」というのである。

さらに、世界を「スクラップ・アンド・ビルド」したいひとたちがいる。
ヨーロッパの中心は、何度も書くが、「世界経済フォーラム:ダボス会議」だ。
そのアメリカ支部ともいえるのが、「外交評議会」である。

こちらも、「グレートリセットが目標」だと、公表している。

そして、このひとたちが、バイデン政権の「ブレーン」なのだ。
また、アメリカの有名大学も、ほとんどが「民主党支持」なので、学内における「多様性」は禁じられ、共和党的「異見」は無視されることになった。

すると、バイデン政権のおぞましい「失政」は、われわれがイメージするアメリカの「知性」がしでかしたお粗末だと、改めてわかるのである。
改めて、とは、ソ連が崩壊したときにアメリカのこれら知性たちがやった、ロシアの資源利権を、エリツィン政権と貪った事実があったからである。

その小型コピーが、ウクライナの資源利権なのだ。

さてはドイツは、アメリカからもロシアからも「股裂き」にされて、胴体が縦に割れそうなことになっている。
日本にきて、何をしたいのか知らないが、日本はこれに中国が加わって、三分割の状態だ。

すると、もっと酷い国を視察して、自身の不幸を和らげようとしているのだろう。

なぜならば、岸田文雄政権の「エネルギー戦略」を、国民すら聞いたことがないからである。
この「ノーアイデア」に、シュルツ首相が思うのは、最悪の「メルケルよりまし」という評価なら、それはそれでよかったね「岸田君」といいたい。

しかし、日独共に、国民がかわいそうなのである。

「国民国家」滅亡と再生

「憲法記念日」にあたって

「77年目」という「節目」の年が今年だ。
明治元年(1868年)から77年後の、1945年に「敗戦」した。
その「敗戦」から、77年後が、今年なのである。

言論の自由やら、信教の自由が保障されていて、民主主義を行っている国ならば、基本的にその国は、国民と国家がバランスする「はず」だから、「国民国家」になることになっていた。

ところがこれが、誰の目にも「壊れだした」のである。
すると、「憲法が壊れだした」も同然なのだ。

つまり、国民と国家(=政府)が、「分離」して、「水と油」になってきている。

外国の例をいえば、NHK朝の連続ドラマで、視聴率の記録を樹立した『おしん』(昭和58年4月~59年3月)は、イラン国営放送で視聴率80%以上という「異常」をたたき出したといわれている。

これで、「イラン人親日説」が確定的になっている。

エジプトでは、『おしん』放送中に停電があって、それがきっかけで「暴動」になり、政府は国営放送に「再放送させる」と約束して収束させた。
さらに、エジプトでは、子供の名前を「おしん」にすることが流行したけど、これは女の子にはかぎらない。

むかしは、「ソ連」は怖いけど、個々の「ロシア人」は易しい、といわれてきた。
いまはたとえば、「国民は反中」だけど、「政府は親中」だといえばわかるようになっている。

これらのことを「あてはめれば」、国民感情としての「親日」と、その政府が「親日かどうか」は、一致しないのが、法則のようになっている。
つまり、上述した、「イラン人親日説」は、国民にはあてはまるかもしれないけれど、政府にあてはまるかどうかはわからないことを示す。

実際に、安倍晋三首相(当時)が、アメリカとイランの「仲介」をしに、福田赳夫首相以来41年ぶりにテヘランを訪問(2019年:令和元年、6月12日~14日)したけれど、イラン大統領の対応は冷たく、しかも、訪問「当日」に日本の石油タンカーがイランの革命防衛隊に攻撃される事件があった。

これに、現地の安倍氏は直接抗議することもなく、東京の外務省は「遺憾砲」を撃つだけだったのである。
いまも、外務省のHPには、タンカー攻撃の記載は「一字一句」たりとも「ない」という、「反日」ぶりを示している。

つまるところ、「あんた、どんな立場でなにしにきたの?」という態度であしらわれたばかりで、「独立国」としての待遇すら受けなかったのである。

「どんな立場」とは、アメリカの属国だろ、という断定がふくまれる。

すなわち、国民は「大国」としての日本をイメージしているけれど、実態がちがうから、「どうにもならない」ことになるのである。
ならば、国民に「大国なんかではありません」ともいえない。

この矛盾の根本原因が、「エセ独立国」という立場に甘んじて、77年間を過ごしてきたからだ。

だから、日本国民の多くが、すでに「独立国」とはなんぞや?を知らない。
敗戦までの「独立国」だった状態を知っているひとたちが、とっくに寿命を迎えて死に絶えてしまったからである。

物騒ないいかたをして、思考停止させる作戦が横行しているけれども、あえて誤解をおそれずに直言すれば、「外国と戦争ができる国」が、「独立国」なのだ。

もちろん、「戦争をしたい」という意味ではなくて、権利としての可能性をいうのである。

外交の延長線上に戦争がある、というのは、野蛮なヨーロッパ人の発想だけど、残念ながらこれが、国際ルールとしていまも通用している。
すると、戦争が「できない」国には、「外交」もない。

こうなると、外務省の無意味が鮮明になってきて、「邦人保護」すら形骸化していることの意味がわかるというものだ。
なにもかも、わが国政府にできることなぞ「ない」のである。

従来までの、「ごっこ」が、急速に色あせて、子供なら意味のある「ごっこ」が無意味とわかってきたのは、国民が「成長」してきたからともいえる。
それが、「ネット情報」を源にする、「情報源」の拡大による効果だ。

だから、政府は、国民が賢くなって成長されることを嫌がるのである。
幸か不幸か、最高学府に「入学するまで」猛勉強して、とうとう「エリート国家公務員」になったら、日常業務に忙殺されて過去の知的資産を食い潰すだけになる。

一方で国民は、最高学府に入学するまでの勉強は適当でも、その後も勉強を続けないと、民間では生き残れない。
それで、従前は企業内知識人で終わったけれど、ネット環境がこれを激変させてしまったのである。

これが、国民国家を「いい意味で」壊している。

つまり、本来の国民国家とするための動きが「はじまった」と解することができるのだ。

しかし、国家は「抵抗」する。
アメリカバイデン政権は、なんと「国土安全保障省」のなかに、「誤情報統治委員会」を設立すると発表した。
初代委員長は、これまで「誤情報を発信し続けた専門家」を選んだ。

なんだかよくわからない組織だけど、アメリカ人でも『1984年』を読んだことがあるひとは、「真理省」の創設だと即座に反発する反応を示している。

11月の中間選挙に向けた、バイデン政権の自暴自棄・自爆的な政策ではないのか?とおもえば、選挙によるレームダック政権になることが、いっそう期待されるのである。

わが国は、そこまでの「先進国」ではなくて、「過去の負債」を清算しないと、「次」に進めない。

それが、今年、はじまっているのである。