「憶測」しかない韓国情勢

過去最悪という状態の日韓関係になってしまった。
わが家の歴史では、日清日露の戦争で、曾祖父の世代から数人の戦死者をだしている。
このふたつの戦争の意味は、第二次大戦より明確で、朝鮮半島に清とロシアを支配者として受け入れないためだった。

海をこえて移動する手段が、飛行機発明前の船しかない時代に、あの半島がわが国にちかすぎて、わが国の価値感とはことなる、清国とロシアが支配してしまったら、「元寇」以上の脅威となるからだ。

音速をこえるジェット機や、それよりはるかに高速なロケットがある現代で、地図はかわりようがないから、あの半島の情勢は、むかしよりもずっとわが国の安全にとって重要な影響をおよぼすようになっている。

だから、日本側の一貫した「甘やかし」は、うらがわに「恐怖」があるのである。
西郷隆盛の征韓論から、福沢諭吉の「脱亜入欧」も、この重要な半島に住まう、困ったひとたちへの対応を示したもので、伊藤博文が「併合」に反対した理由でもあった。
それで、どうにも偏屈なこの住民たちを、まちがえて支配するようなことがあってはならないと、国際協調派の伊藤はみずから朝鮮統監になった。

日本政府の朝鮮「支配」は、台湾と同様にその全期間をつうじて完全「出超」であった。
つまり、政府税収と予算支出のバランスが、植民地支配中、一貫して支出のほうがおおかったのだ。
よくもこんな政策を日本人の有権者が支持し、しかも維持されたものだ。

いわゆる欧米列強諸国がやった、植民地支配と「真逆」なのである。
日本本土の各県への分配よりも、朝鮮と台湾を優先したことは、特筆にあたいする。
いったいなにをかんがえていたのか?
もちろん、朝鮮や台湾に、中央政府の予算を分捕るための地元選出議員などいないから、あきらかに「国策」であった。

しかも、朝鮮を一等国民とし、台湾を二等国民とした。
この差を台湾人は嘆くが、それは、やはり安全保障上の重要地域、ということが根拠だったろう。
だから、民族の優劣ではなくて、地理上の優劣だった。

日本が敗戦したら、日本だった朝鮮をどうするか?になった。
「ポツダム宣言受諾」によって、無条件降伏したのは日本軍だったが、日本国政府が無条件降伏したようにみせる、まちがえた報道が意図的にされている。
政府と軍と別である、という国際常識が、いまだにない国民にされている。

原爆を二発もうけて、それでも日本政府がグダグダしていたのは、「条件」をどう要求するか?を評定していたのだ。それが「国体護持」だった。
だから、わが国政府は占領下でも存在していたが、総督府という政府をうしなった朝鮮は、米軍の軍政下におかれることになった。

日本の敗戦が、自動的に朝鮮の独立だという主張は、残念だが国際的に通用しない。
日本統治時代という区分でいえば、本土の日本人もおなじだが、当時の国際法を国民(日本人、津朝鮮人、台湾人、それに千島・樺太は、全員「日本人」だった)が理解していなかったということだ。
つまり、これを教えなかったのは、日本政府の責任だ。

いまでも、日本政府は、国民への普及義務が条文にある「ジュネーブ諸条約(4条約)」を、ちゃんと周知させていない。
リンクにあるように、防衛省のHPにあることをもって「周知」とは「笑止」である。
その条文は以下のとおり、防衛省HPに記載があるのだ。

『締約国は、この条約の原則を自国のすべての住民、特に、戦闘部隊、衛生要員及び宗教要員に知らせるため、平時であると戦時であるとを問わず、自国においてこの条約の本文をできる限り普及させること、特に、軍事教育及びできれば非軍事教育の課目中にこの条約の研究を含ませることを約束する。』

スターリンの策謀で、朝鮮戦争がおきて、半島は南北に分断された。
このときの休戦協定は、いまでも有効だが、なんと韓国政府は、協定の当事者ではない。
朝鮮戦争の当事国に韓国はふくまれていない、という重要な事実があるのだ。

この協定の日本語正式名称は、「朝鮮における軍事休戦に関する一方国際連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令員との間の協定」だ。
すなわち、国連軍というほぼ米軍と、北朝鮮・中国の三者による。
だから、「在韓米軍=国連軍」を「在日米軍」とおなじとおもってはいけない。

昨日、木村太郎氏が、FNNPRIMEの記事で、重要な「憶測記事」を書いている。
ふつう、ジャーナリストが「憶測記事」を書くのは御法度である。
しかし,もはや、ベールの北朝鮮とおなじレベルの国になってしまったから、「憶測」しか書けない。

北と一緒になることを最優先課題としたのだ、とすれば、韓国政府の論理のつじつまが合致する。
日米を離反させようと仕組んで、損をする東アジアの国はない。
北は当然、中国も、ロシアも、日米離反はむしろ歓迎すべきことだ。

韓国が北に飲み込まれる、ということが現実味をおびてきた。
これは、元寇以上の危機を意味する。
米中経済戦争が、ラッキーをもたらしたが、ロシアがしっかり動き出した。
状況は、「日清日露前夜」にもどっている。
まさに、地図が変わろうとしている。

戦後最大の、わが国の正念場がやってきている。

厳しい条件をこえる、とは

過去の日本企業成功事例にかならず登場するのが、ホンダ「シビック」である。
「CVCCエンジン」は、当時として達成不可能ともいわれた厳しい排気ガス規制をクリアしたばかりか、驚くほどの「低燃費」まで達成してしまった。

自動車の排気ガスによるスモッグの被害は、呼吸器だけでなく生命にかかわるような状態だったし、二度の石油ショックで、原油価格は驚くほどの高騰だった。
ただし、このときの「高騰」は、バレルあたり100ドルを超えるような、さいきんの相場とは比べられないほどの小ささではあった。

4ドルから20ドルに「高騰」したのである。
しかし、だいたい4ドル程度だった原油が、いっきに5倍にもなると、あたりまえで常態化していた経済基盤が、大きく揺らぐのはとうぜんである。
そのショックを一番にうけたのが日本だったのだ。

ヨーロッパでは、北海原油が発見されて、中東よりもちかい場所からの供給を得ることができた。
さいきんのシェールガスのように、北海油田は海底油田なので採掘コストがかさんで、「通常時」だったらとうてい中東産の原油と価格勝負はできないが、価格高騰によってこの差がなくなってしまった。

アメリカでは、テキサスを中心に、自国内油田の大増産をした。
こうして、世界価格の高騰とは、別世界の安い原油をつかいつづけるようにしていたが、いかんせん埋蔵量に限界があった。

こうして、一番厳しい状況におかれた日本で、必死の開発のすえに完成したのがシビックだったのだ。
もちろん、これは本田技研のちからであって、日本国政府のちからではない。
むしろ、ホンダに開発の嫌がらせとあからさまな邪魔をしたのが、通産省だったのだ。

しかし、蓋を開けたらとんでもないことが起きた。
石油不足になったアメリカで、小型車が爆発的に売れるようになって、なかでもシビックは生産がまにあわなくなるのだ。
ビッグスリーが、あわてて小型車を開発したが、残念ながらノウハウがまったくなかった。

リッターあたりで数キロしか走らない自動車と、30キロ走る自動車では、もじどおりランニングコストがちがいすぎた。
さしものアメリカ人も、小さい車でガマンすることになったが、背に腹はかえられない。
さらに、肝心の排気ガスがクリーンなのだから、意識高い系のひとには大歓迎された。

この教訓は、楽な方向に成功するビジネスは存在しない、ということだ。

それから、約半世紀。
日本には、石油ショックを世界の先進国でもっとも上手に乗り切ったという自信がうぬぼれに変化して、バブル景気という幻想に溺れた。
これが崩壊すると、ほとんどパニックになってしまった。

そして、原因追及を深く議論することなく、つねに目先の危機を回避することしかかんがえなかった。
だから、戦後からバブルまでの、かつて成功したはずの経済政策を、これでもかと繰り出したが、どれもうまくいないまま、とうとう平成という時代の時間をつかいはたした。

東京オリンピックも、大阪万博も、あきれるほどのワンパターン思考の結果としか、おもえないのは、じつにわれわれがエリートたちの浅はかさをみるからである。
かつて、これらが成功したのは、経済成長という基盤の上にあったイベントであったからだ。

それを、ひっくりがえして、これらをやれば経済成長する、というのは、ただ狂人の「倒錯」ではないか。
公共事業こそがすべてという価値感そのもので、そのための消費増税といえば、理屈はとおる。
社会保障のため、というのはもはや方便をとおりこしてウソであろう。

80年代前半に、一瞬だけ、アメリカを追い越した感覚があった。
そのアメリカは、20年かけて復活した。
それはなぜか?どうやったのか?日本となにがちがうのか?を、真剣にかんがえないのは不思議ですらある。

彼らは、民間の個人たちのちからを信じたのだ。
それに投資する、金融を規制などしなかった。
資本主義を資本主義の教科書どおりに運営しただけではないのか?

われわれ日本人は、政府の役人のちからを信じた。
バブルでいたんだ金融機関を、税金で救済し、あげくの見返りに、国民へ奉仕させるのではなく、金融機関を役人がすきなように規制した。
なんのことはない、資本主義を社会主義の教科書どおりに運営しただけではないのか?

それをまだ続けようとしている政府に、期待する財界という存在がもはやどうかしている。

すると、とても単純だが、抜け駆け的成功の道筋がみえてくる。
愚直な「自助努力」だ。
厳しい条件を、素直に受け入れて、自力でどうするかをかんがえるしかない。
しかし、これこそが、成功のカギではないか。

政府から甘言の補助金をたんまりもらっても、成功などしない。
政府から甘言のプロジェクトをもらっても、成功などしない。
東芝しかり、日立しかり、大企業とて、たんなる駒にされるのを、どうして中小企業がまねるのか?

これが、平成という時代がおしえてくれた教訓であり、そもそもホンダシビックの教訓だったのである。

19年新春「おビックリ」三連発

お正月がすっかり「普段化」してしまってきている。
人手不足から、24時間営業を継続できない事態もうまれているけれど、コンビニのトップランナー「セブンイレブン」だって、最初は店名のとおり、朝7時から夜の11時までの営業だった。
スーパーか個人商店しかなかった当時、これでも「画期的」だった。

ヨーロッパなら、おおくの国で日曜日や祝日は商店もスーパーも閉める。
ドイツには「閉店法」という法律があって、日曜日に開店してはならないのだ。
この法律はできてから100年もたつから、ドイツ人には常識になっている。
フランスでは、さいきんちょっと緩んできて、日曜日に開店する店もでてきているが、例外的だ。

だから、ヨーロッパ旅行にはカレンダーで曜日や祝日のチェックは欠かせない。
日曜日や祝日をショッピングの日に割り当てると、ウインドウショッピングだけという目も当てられない事態になる。

目立たない国では、スリランカの「ボーヤデイ」がある。
ヨーロッパは、キリスト教の影響から日曜日や祭日が休みになるけど、スリランカでは仏教の影響で、満月の日は「禁酒」という決めごとがあるのだ。

酒屋もスーパーの酒類コーナーも、高級ホテルをふくめたいかなるレストランでも、この日は一切のアルコール飲料は外国人といえども提供されない。
それで、炭酸水だけで乾杯したことがある。

これは、不便なのか?我慢すべきことなのか?やっぱり、「自由」がいいのか?
ところが、上述の例は自由を標榜する国で実行されている制度であり、社会習慣なのだ。
そうかんがえると、わが国は社会規範が希薄な国なのだ。
あるいは、好き勝手が自由、になっている国ともいえる。

もっというと、貪欲である。
まさに「もっと」便利に、「もっと」ストレスがないのがいい。
それで、持ち帰り弁当チェーンの店名に「もっと」がついている。

こうした「要求」や「欲求」が、ふつうにあって、それをさえぎる社会規範がないから、欲望はとどまるところを知らない。
こうして、セブンイレブンは24時間営業になったのだと、利用者はかんがえる。
閉店・開店の作業が面倒だから、いっそのことずっと開けているほうが合理的だという発想は、本部の計算による。

「一強」といわれてひさしい、現首相にライバルがほんとうにみあたらない。
むかしなら、党内派閥に何人も首相候補がいて、たがいに牽制しあっていた。
野党は、政権を担当する気などはなからなかったから、与党内の派閥が真の野党だった。
善悪をこえて、与党に派閥の論理がうすまって、批判だけの野党という構造が「一強」の原因であり「結果」なのだろう。

そんな状態があって、首相は、「全世代型社会保障制度」という社会主義政策を打ち出した。
かつて、1973年、「福祉元年」といって、バラマキののろしをあげたのが田中角栄首相だった。
日本の高度成長を止めたのは、この年の秋に起きる第四次中東戦争による「石油ショック」ではなく、田中政権のバラマキだったのだ。

このことは、以前も書いたが、証拠は年次ではなく「月次統計」にある。
これをネットの資料でさがすのが難しい。
政府とは、こういう情報統制をするものだ。
国会図書館にあるので、証拠をみたいひとはどうぞご自分で確認されたい。

だからこそ、首相年頭のことばは「おビックリ」だ!
日本経済の息の根をさらに狭めるという発想は、田中角栄からのものなのか?それとも、社会主義思想からのものなのか?そうではなく、福祉に反対できない野党封じ込めの「策」なのか?

「英国病」の原因と治療方法を、いまや断固無視する日本国とは、いったいどんな知見によって運営されているのか?
絶望的な気分になるのだ。

これに、日本旅館協会会長の新春特別インタビュー記事があった。
外国人労働者にかんしてのはなしが、予想どおりとはいえ「おビックリ!」なのである。
業界として「受け入れ体制をしっかりと」の範囲に、賃金支払根拠の問題が欠如しているように読めるのが心配だ。

「賃金などは日本人の従業員と同等として扱わなければならない」と強調されている。
しかし、外国人労働者の常識は、「職務給」文化なのだという日本とのちがいが全然認識されていないように感じるからだ。
「おなじ金額ならいいだろう」では済まないのは、このブログ読者ならわかるだろう。

楽をしたい、安易こそが「欲求」なのだということを、満足させようとすれば、国家も業界団体も「本部」はこうなる、ということなのだ。
しかし、ここに「規範」はない。
すると、これは一種の「社会的麻薬常習者」といえるのではないのか?

いけないこととは知りつつも、どうにもあの快感がわすれられない。
楽ができればそれでよい。
いまがよければそれでよい。

スイスでは犯罪被害者をふやさないように、とっくに、麻薬常習者に無料で麻薬をあたえる場所が日本の交番のようにあちこちに用意されている。
「廃人になって死になさい」という社会規範が、国民投票によってきめられた。

さまよう日本では、昨日、厚労省の勤労統計ミスが放置されていたことが発覚した。
国家の統計資料が信用できない、という事態は深刻な問題である。

中国の国家統計で、信用できるものがないことを、あろうことか首相職の人物が認めてしまったことがあって、みるべきは「電力消費」と「輸入額」しかないことがわかった。
これ以降、中国の経済ニュースで、他の統計をもちいたものはすべてゴミであるから、読む価値がないと断言できる。

だから、彼の国の国家による経済運営は、さいしょからできない。
それが、驚異的な成長の原因とすれば、なんのことはない経済学の教科書どおりなのである。
「党の介入」こそが、ライバル国家をして要望したいことになる。
それが自滅のシナリオになるからだ。

賢い中国の指導者たちは、日本という先行事例から、経済への介入をしているようでやっていないのは、とっくに日本が「反面教師」になっているからだろう。
むしろ、「安全保障」しか年頭にない。それが「HUAWEI問題」の本質だから、あれを「経済問題」だとするのはジャンルをまちがえている。

厚労省の統計のこの一件が、蟻の一穴だとしたら、たいへんな事態になるのだ。
統計こそが政府・民間どちらにとっても、さまざまな計画の基礎・根拠になるからである。
まさに「おビックリ」だ!

日本人は蟻のようにはたらきながら、精神はキリギリスになった「変態」である。
修行にいそしむ僧侶たちが、規範を口にしない国でもある。
そういえば、東西の「真宗」は、「妻帯」どころか修行まで必要なしとしていた。
「南無阿弥陀仏」と唱えればよい。

「福祉」といえばよい国になったのは、このためか?
まったく隣国をわらえない。
自分たちの価値感だけで、「優しさ」をいうのは、残念だが通じないのが世界の常識なのだ。

「定年退職」の定義変更

従来の延長線上にあるだけなら、定年退職の定義を変更する必要はないけれど、どうやらそうはいかなくなっているのではないか?
そもそも「定年退職」が日本の雇用制度になったのは、どんな理由からなのか?
切ってもきれないのが「終身雇用」であった。

雇用者の年齢によって、自動的に「解雇」される、という制度を雇用者も受け入れていたのは、「寿命」との関係がそうさせていたのである。
いま、男性の平均寿命が80歳程度だという常識があるが、かつてのわが国はけっして長寿国ではなかった。

1950年(昭和25年)の平均寿命は58歳で、定年は55歳だったから、3年の差しかなかった。
平均だからバラツキがあるのは前提だが、定年退職して隠居すると3年で、お迎えがきたのだ。
すなわち、文字どおりの「終身雇用」だったのだ。

昭和初期までの雇用慣習は、かなり欧米型だったが、国家総動員体制、という事情から、わが国は路線を切りかえた。
しかも、いまのように、大学全入などということもなく、ホワイトカラーのエリートサラリーマンすらごくわずかで、おおくが職人だった。

当時の職人は、どこでも「腕一本」で、自分の技術を発揮できるから、会社や上司が気に入らなければかんたんに転職した。
会社に用意されている機械類も、いまのような独自の専門性を要するものとはちがかったからである。

しかし、国家総動員体制、ではそれができなくなった。
そのかわり、ほとんど死ぬまでの雇用の安定と賃金が保障されたのだ。

そして、敗戦。
旧来のものと占領軍が命じる新規のものとが、強制的に転換させられた。
このなかに、労働運動もあった。
国家総動員体制で封じられていた箱のふたが開いたのである。

年率で600%ほどのひどいインフレの経済状態だったから、賃金をよこせ、という要望は、現場労働者だけではなくエリートサラリーマンもおなじだった。
それで、労働組合は経営に対抗するための手段だけでなく、本人たちの意向もあって、経営に関わる管理職まで組合員になった。

こうして、企業別、という日本独自の労働組合組織ができた。
経営情報にくわしい、あるいは経営陣に企画提案するたちばの管理職が組合員なのだから、はげしい経営側との論争になるのは必定だった。
しかし、一方で、組合内部で管理職が「君臨する」という問題が発生した。

そういうわけで、管理職が組合から脱退するためにも、また、あくまでも会社側に忠誠をつくすためにも、雇用の安定と賃金の自動的な上昇を必要とし、これが全社に拡大したのだった。
それには、日本経済全体の拡大による個々の企業業績の好調があった。
ところが、世の中が安定して、経済が好調になると、「寿命」も伸びてしまったのである。

55歳で定年しても、「老後」をどうするのか?
すぐにお迎えはこなくなった。
これに、「年金制度」という別物がセットになった。
1980年(昭和55年)の平均寿命は、約74歳だったから、定年後20年が「老後」となった。

平成不況の時代になって、平時で経済が「縮小」するという初体験をして、どちらさまも「雇用の安定と賃金の自動的な上昇」を維持できないばかりか、削減が重視されるようになった。
それで、「終身雇用制」がやり玉にあげられ、「年功序列賃金」が「実力主義」というようになったが、本質ではなにもかわってはいない。

定年が法律で定められるようになって、その決めごとまでの期間は、雇用の安定が保障されるし、ほぼ世界標準の体系である「職務給」ではなく、「職能給」と「生活給」のハイブリッド体系だから、「実力」を正当に評価する方法がないからだ。
しかも、景気変動にともなう業務量の変化を、雇用そのものではなく「残業」で調整してきたから、「働きかた改革」が「残業改革」になっているのである。

さらに、定年したひとのおおくが、「雇用延長」という方法で、事実上「再雇用」される仕組みができた。
「年金」という別物が、支給開始年齢の先送りで、定年したら年金がもらえる、ことがなくなった。

ところで、退職金は「給与」あつかいされている。
会社が倒産すると、各種負債の清算がおこなわれるが、税金のつぎに支払義務があるのは「給与」で、これには退職金もふくまれる。

退職金という一時金をもらった、再雇用の条件は、従来のおおむね半額だというから、これは「職能給」と「生活給」のハイブリッドをやめて、「職能給」一本ということなのだろうか?
それとも、突然、世界標準になって「職務給」になるのだろうか?

そんな「定義」はどうでもよく、公務員は7割にして、民間の手本にさせるらしい。
現役に比べて何割ならいいのか?という議論でいいのか?

現役では残業代を請求できなかった「元」管理職が、再雇用されて残業代をちゃんと請求しているのかといえば、たぶんちがうだろう。
本人のプライドがゆるさないかと想像できるが、「雇用条件」の定義が説明されているのか?という疑問がさきにたつ。

再雇用であれ、はたらいていれば「現役」なのだ。
「雇用契約」という、社会で生きていくための基本中の基本が、曖昧な国なのだ。

人口減少で人件費は上昇するトレンドにある。
「定年」と「再雇用」は、安く雇う手段でしかない、で企業は成長できるのか?

高い人件費を飲み込む、高い付加価値の事業モデル構築のためには、かえって障害になることを、みずからに厳しく課して乗り越えることが、将来戦略として強く求められている。

トラベルクロックの不思議

そのまま、旅行用の時計のはなしである。
携帯電話にはアラーム機能がついているから、いまはむかしほど売れないのかもしれない。
しかし、旅先のホテルなどで仕事をしようとすると,いがいと時計がへんな位置にあって、不便なのだ。

定宿で時計の位置がわかっていても、不便とおもえば持ち歩きたくなるし、はじめての宿ならなおさらだから、わたしの宿泊をともなう出張には、かばんのなかにトラベルクロックがはいっている。

講演会ならデジタル式を講演台におくと便利だから、そのときにはそれ用を持参する。
しかし、そうではないときや海外だと、圧倒的にアナログ式がよい。
時間をあわせるのに苦労がすくないからだ。
それに、海外だとさらに宿の時計の正確さがわからない、という不安もある。

むかし、イスタンブールのホテルで、モーニングコール(「Wake up Call」といわないと通じない)が遅れて、飛行場に駆け込んだことがあるから、海外で時間の正確さを確保するのは、自己責任だと痛感した。
もちろん、この宿の部屋に設置されていた時計は正確にうごいていなかったが、あんがいそれがいまでも「国際標準」なのだ。

さいきんになって、10年以上前に買った、折りたたみのアナログ式トラベルクロックの調子が悪くなってきた。
買い換えを検討していて気がついたのは、どうしたことか「ドンピシャ」にほしいものがみあたらないのである。

10年前とほとんど変わらないモデルが、進化せずに販売されているのはみつけた。
ここで止まっている。
止まっているのは時計ではなく、それを進化させる能力とそれに投じるまさに「時間」ではないか?
これはどうしたことか?

トラベルクロックなんていまさら「売れない」から、適当なものを販売しているのか?
いや、販売のまえに、どういった「設計思想」で設計され製造されているのかがわからないのだ。
いまどき、たかがトラベルクロック、ではあるが、されど「ない」となると黙っていられない。

安ければいい、という思想なのかともおもえるが、ドイツ製の電気ひげそりで有名なメーカーの「逸品」というふれこみの高級トラベルクロックもあるし、だれでもしっているブランドの高額商品もあるようだ。
しかし残念だが、わたしには「ドンピシャ」ではない。

ひげそりメーカーの「逸品」は、手をかざすとセンサーがはたらいてアラームが止まり、その後スヌーズ機能がはたらく、という機能がわたしには余計なのだ。
このセンサーにいったいいくら支払うことになるのか?

わたしにとって、この余計な機能がなければ、「ドンピシャ」にちかくなる。
ちかくなるけど、「ドンピシャ」ではない。
「厚み」も気に入らないからだ。

1000円程度のもので、コンパクトなのになぜか「電波時計」(国内対応)になっているものもある。
国内対応の電波時計を海外に持っていくと、誤作動のリスクがある。
購入者は国内「しか」旅行をしない、という設計思想なのだろうか?
どういうことなのか、わたしにはわからない。

わたしの要望は、折りたたみのアナログ式で、電波時計ではなく、ステップ音のしない「静音」式のもの、それに蓄光できるものがあればよい。これだけだ。
ところが,これが、探してもないのだ。

折りたたみがいいのは、その「薄さ」である。
かばんのなかに滑り込ませることができるのは、たいへん魅力だし、大型のスーツケースでも間仕切りのポケットにはいるから、小さくてもさがす必要がない便利さがある。

アナログ式がいいのは、海外の時間あわせと視認しやすさである。
デジタル式こそ、正確さが本領だから時間あわせはめったにしないくていいという方向だろう。
だから、デジタル式は、時間あわせが面倒でも頻度のなさですくわれている。

電波時計は上述のとおりのリスクがあるし、トラベルクロックで、そこまでの正確さは要求しない。
機械式ではなくて、ふつうのクオーツの精度があればことたりる。

ステップ式の時計は、「チッ、チッ」と、どうしても作動音が気になることがある。
出先でこれが気になりだすと、ねむれなくなる。
作動音が無音なのはデジタル式になるから、ここは妥協がひつようだが、それが「静音」タイプということだ。

暗くなれば自動的に秒針を止める機能の目覚まし時計はあるが、自動であろうが手動であろうがトラベルクロックのサイズでそこまではもとめない。

さいごは、針の視認性で、外国では室内照明が日本のように明るくないから、蓄光できるものがのぞましい。

欲をいえば、時間あわせのダイヤルが極小なのがこまる。
アラーム設定のダイヤルがおおきくつかい勝手がいいのはあるが、これも「国内」を意識しているのかしらないが、時間あわせがちいさすぎて面倒なのだ。
もうすこしおおきいものになればいい。

ついでに、電池も単4だとありがたい。
外国でボタン電池をさがすのは、日本のように容易ではないことがある。

それにしても、以上のようなリサーチは、とっくにできているはずなのに、どうしてかくも「ドンピシャ」な製品がみつからないのか?
単純に、機構や技術的な問題なのか?
それとも、やる気がないのか?

あるいは、価格が高くなって「売れない」という判断をしているのか?
もしそうなら、消費者をバカにしているか、作り手自身が製品をバカにしている。
「トラベルクロックなんて、こんなもんでいいだろう」と。
すると、これは、あいかわらずの「プロダクトアウト」ではないか?

上で紹介した、「逸品」のお値段は税込みで6,000円を超える。
けれども、その能書きは有名デザイナーの秀逸なデザインの説明ばかりだから、「プロダクトアウト」の域をこえているとはおもえない。
それが、わたしに余計なセンサーになっているのだ。

ちゃんとした製品を欲するものは、ちゃんと存在するのである。
それは、「マーケットイン」からうまれる。
わたしの要望する機能を満たすと、いったいおいくらになるのだろうか?
ぜひ、欲しいから、メーカー各位にはおしえてもらいたい。

もしかしたら、外国人観光客の日本土産になるかもしれない。
こういうのが欲しかった、と。
そのときは、ぜひ「MADE IN JAPAN」と刻印があってほしいものである。

安くて(適度に)いいものを大量に、というもう半世紀も前の、70年代の成功体験からの思想から脱却ができていない。
トラベルクロックが、意外なことをおしえてくれた。

ガラパゴス化の「執事」2

金持ちがいないと成り立たない執事にも成長と身分の段階がある。
若くて修行中の見習いなら、「フットマン」という。
食器類やワインセラーの管理などを学ぶのだ。
そして、朝と昼、それに午後の紅茶の時間の用意をする。

これらは、上述のようにいえばかんたんそうだが、そうはいかない。
食器についての要求知識だけでもハンパないし、ワインときけば察しはつくだろう。
食事の用意には、エチケットもともなう。
日本なら、さしづめ「小笠原流作法」のようで、修得はたいへんだ。

日本語での教科書で最高峰に、外交官にして宮内庁式部官、高円宮妃久子さまの祖父にあたる友田二郎『国際儀礼とエチケット』がある。
また、さいきんでは、外務省儀典官だった寺西千代子『国際儀礼の基礎知識』がある。

式部官とは、まさに儀式をしきる役職で、あの「紫式部」の本業で本名ではないだろう。
日本における国際儀礼の最高位は、天皇陛下や皇族方のおでまし、だから、宮内庁の式部官にはおそるべき知識が要求される。
皇族方が関係しないと、外務省儀典官室がしきることになっている。

 

主人が社会的に偉ければえらいほど、こうした場に出ることがふつうになるので、執事として「しらなかった」ではとうていすまされない。
もちろん、一般人とて、正式の席というのはあんがい突然お呼ばれしたりもするから、そのときになって慌てるのである。

それにしても、「職能給」と「生活給」で給料がきまる日本とちがって、「職務給」が実質世界標準になっているから、欧米やアジアでは執事も「職務給」なのだ。
このちがいは、決定的だ。
日本で外国人労働者を雇用すると、かならずこの問題が起きるはずだ。

労働に対する対価の支払い根拠が、ガラパゴス化しているのである。
賃金の支払根拠を示せという要求だから、「職務」を明確にして、「スキル」と「単価」を示さなければならないという「手間」がかかる。
これを、外国人労働者のためだけにおこなうのか?

コンビニや牛丼チェーン店で外国人労働者を見かけるのは、これらの賃金体系が「職務給」になっていたからである。
当然、さいしょから日本人の働き手がこの制度ではたらいていたから、なにも問題にならない。
むしろ、大手牛丼チェーンで、パート・アルバイトの大量退職によって、閉店を余儀なくされた「事件」は、「職務」への不満からであったことを思いだしたい。

これは、残業にも直結する。
中原淳、パーソル総合研究所『残業学』は、おおいに参考になる。

お国のしごとは入国管理庁の入国審査だけだから、民間が強いられる「手間」とはなかみがちがう。
ましてや、入国管理『局』から、『庁』へ昇格し、職員数もふえるのだ。
この人手不足の時代に、役所が職員数をふやすのだから、よくぞ経団連は賛成したものだ。

働きかた改革の「黒船」は、じぶんたちが都合よく取りこんだはずの、外国人労働者そのものになる可能性があるのだ。
連綿とつくりあげてきたわが国独自(世界とはことなる=ガラパゴス化)の労働慣行が、外国人労働者によって破壊されることを意味するのだ。

これは、雇用側だけでなく、労働側にもやってくる。
外国人労働組合だって結成される可能性がある。
すると、かれらは、日本的ユニオンシップ制を受け入れるのか?
はたまた、「産別」に作りかえをするのだろうか?

「国別」はないだろうが、特定の国が「党」の意向でうごくことはありうる。
だから、選挙権をもたないからといって、政治活動とは関係ないともいえない。
変化はいきなりの激震ではなく、ジワジワとやってくるにちがいない。

そうして日本にやってきた働き手は、歳をとっても日本にいるのだろうか?
ちゃんと本国の口座に送金して、日本の相続税を回避するだろう。
しかも、かれらの送金手段はすでに手数料が馬鹿高い銀行間の移動ではない。
そうして、かれらの財産こそが、日本から逃げ出すキャピタル・フライトをしてしまうのだ。

昨日の1月7日から、「出国税」の課税がはじまった。
あたらしい税がくわわった。
国家は、いちどつくった税をやめることはない。
だから、たいへん長いつきあいになる。

しかし、ほんとうの「出国税」(このブログでは「出国税A」と「出国税B」とした)はまだ水面下にある。
キャピタルフライトにも課税するなら、外国人労働者たちも直撃する。

ほんとうに、この国が向いている方向がへんなのだ。
執事や家事サービスの働きてが、外国並みの賃金をえるようになるには、これらを雇用できるひとたちを増やさなければならない。
さぁ、どうする?

これが、わが国の経済問題の本質でもある。

ガラパゴス化の「執事」1

日本にホテル学校はある。
専門学校だけでなく、大学もある。
さいきんでは、カジノ学校が盛況だという。
しかし、執事学校はない。

欧米では、いまでも執事は重要な職業で、そのニーズはたかい。
大邸宅に棲まう主人をささえるのが優秀な執事というのはほんとうで、さらに「従業員(執事)つき住宅」や、プライベート・ジェットの客室乗務員、ヨットの客室係、別荘のコックや従業員といった「細部化」した需要も当然視されている。

国王が棲まう宮殿並みのサービスレベル、あるいは最高級ホテル並のサービスレベルをもとめるなら、主人が支払う賃金も「年20万ドル」と突出する。
「執事」は最低でも年8万ドルが相場だというし、女性の主人に仕える女性の執事である「メイド」なら7万5千ドルからなので、ふつうにホテル従業員になるより、はるかに高額賃金である。

ここで注意したいのは、執事は単純労働の家事スタッフではないことだ。
「プロ」なのである。
それに、清掃だって「邸宅」ともなれば広大だから、素人がかんたんに請け負えるものではない。
だから、執事とはことなる「プロ」として優秀な家事スタッフも、年収では6万ドルから9万ドルが相場だ。

2018年から主婦のパート労働で、税金や社会保障を考慮すると「お得な上限」が年収150万円(約1万5千ドル)に増えたとはいえ、この金額の差はなにか?
国民を貧乏においやる施策のうえで、働けといわれているようなものだ。
ハワイでおきたホテル従業員のストライキは、「この仕事『だけ』で生活できる給料をよこせ」である。

雇用主からすればその負担額は、年間3万5千ドルから100万ドルを超えるひともいるという。
「100万ドル超え!」
自宅やプライベート空間への出費として、人件費だけでかるく1億円超えというのは、いったいどんなひとたちなのだろうか?

アメリカなら事業に成功した大富豪だろうし、ヨーロッパなら土地資産をたっぷり保有する貴族なのだろう。
以前、家内とベルギー旅行をしたときに宿泊した「シャトー・ホテル」は、公爵家の自宅で営業していたが、関東地方ほどの面積の国で、塀で囲われたこの邸宅内を一周する散歩コースは4時間だった。

ユーモア小説の大家ウッドハウスのジーヴス・シリーズは全14冊、英国が舞台という「典型」を世界にひろめた功績がある。その一冊がこれ。

小説にしろドラマにしろ、物語では超優秀な執事が登場して、難問をあっさり解決してしまうが、不思議なのは「労働条件」である。
劇中でこれを話題にしたらシラケるのだろうけど、読み手の「常識」を前提にしているのだろう。

わが国にも戦争に負けるまでは、貴族がいたから、執事もいたろう。
現在唯一というのが、「日本バトラー&コンシェルジュ」で、24時間3交替365日体制だと月額750万円(税別)になるというから、だいたい国際相場とおなじだ。
休日も考慮すると、3人体制ではなく4人でないとまわらない。

経済成長と共に、ほんらいは、日本人でも大富豪がもっといてよいのだが、かつて発表されていた「長者番付」という高額納税者リストには、土地を売った農家の名前がおどっていた。
宅地化のための売却だったから、その年一回だけの登場であった。

これをひとは「土地成金」といって、さげすんだ。
いまは、会社役員の「高額報酬」が怨嗟のネタになっている。
世界には、年収30億円以上のひとが5万人ほどいるのをしらないのだろう。4人家族なら20万人のお金持ちになる。
すると,一億円で高額だと批難されるものなのか?ケチなはなしではないか。

「格差」はいけないこと、という認識が強いのは「平等」意識のなせるわざだが、なにごとも「いきすぎる」と、かえってはなしがゆがむ。
「あるところからとる」のは、徴税役人の発想で、これを国民がすなおにみとめれば、金持ちになると損をする、というゆがみがおきる。

富裕層を「恨む」ようにばかり仕掛けるのは、日本も「恨の国」にしたいのかとうたがう。
そっちの方向ではなくて、どうしたらもっと稼げるのか?にいかないと、社会が二分化して固定してしまう。
「金持ちがいるから、われわれが貧乏なのだ」というのは、古典的革命思想そのものの恐ろしいかんがえかたである。

所得税をはらった後のおカネを原資に、土地と建物を担保に入れて住宅を購入する。
それで、この世を去ると、相続税がやってくるのは「理不尽である」とだれもいわない。
第一段階の所得税をもうはらって購入したのだ。「死亡」という理由で第二段階の税金を払わされる根拠はなにか?

それで、「二重課税」をみとめて相続税を廃止した国があるが、じつは富裕層が国外に逃げるのをふせぐ意味がある。ふつう、金持ちがいない国を「貧乏国」というのだ。
オーストラリア、ニュージーランド、香港、中国、シンガポール、マレーシア、タイ、ロシア、スイス、イタリア、モナコ、スェーデンがあって、金持ちがたくさんいそうな国であることがわかる。

ちなみに、アメリカには相続税の課税制度はあるが、基礎控除が6億円(夫婦で12億円)だから、ふつう一般人には及ばない。
金持ちをいじめるために増税したわが国は、3,000万円 + (600万円 × 法定相続人の数)だから、悲しくなるほどおカネを貯めると損をする。

というより、一般人がふつうに課税されるという「平等」ができた。
おめでとう。

七福神めぐりという観光

お正月の風物詩である「七福神めぐり」は、各地に「コース」が用意されている。
一日で回れるものから、そうはいかないもの、歴史のあるものからあたらしいもの、交通機関を要するものと徒歩ですむものなどと、さまざまなパターンがある。

さいきんは「御朱印帳」を持参するひともいるし、公式の「色紙」を手にめぐるひともいる。
御朱印にはだいたい300円ほどの「初穂料」や「志し」が必要なので、満願には2,100円が必要だ。もちろん、御朱印帳や色紙は別料金だ。
これに、宝船や七福神を一体ごとにあつめてまわることもすると、なかなかのお値段になる。

ただし、ゴム印スタンプなら、無料である。
それで、正規の「色紙」にスタンプを押しているひとをみかけたが、本人はそれでよいのだろうかともおもった。
まぁ、それも「あり」なのだろう。

関東では、冬型の気候になるから、お正月はだいたい晴れる。
適度な距離の七福神めぐりは、都会のなかのハイキングにもなるし、目的地のあるウオーキングでもある。
はじめてのコースなら、地図を片手にあるくから、ついでに頭の体操にもなる。

人気なのは、徒歩で半日程度で一巡できるコースだという。
場所によっては、町内会が用意するのか「道順」の矢印が、まちのところどころにあって、迷わないようになっている。
住人が、道を聞かれて面倒になったのかもしれない。

とにかく満願しようと、躍起になるひともいるだろうが、せっかくのことだから、街の様子やお店をみてあるくと、あんがい時間がかかる。
お昼はどこで食べようか?
こんなところに、こんなお店を発見!

余裕があると、ふだんしらない街の表情もかわってみえる。
それがまた魅力なのだ。
とちゅうで見つけた和菓子屋さんの店先で、熱いお茶と甘いお菓子をいただきながらの一服は、なかなか贅沢な時間であるから、ちゃんと「福」をいただいている。

それにしても、地域の神社やお寺に分散して祀られている「七福神」とは、なんとも日本的混合の世界である。
本殿や拝殿に鎮座ましますこともあれば、境内に別っして祀られていることもある。
この「差」はなにか?

「暗黙知」をもってよしとするのか、くわしい説明がないことがおおい。
それが宗教というものかもしれないが、「いわれ」は重要である。

そうおもうと、チラホラと外国人のすがたがあるものの、外国語表記の案内をみたことがない。
これは、以前にも書いた、奈良や京都の大寺院もおなじだ。

参拝マナーがまもれないような一部の外国人に、正月から不愉快にされるのはごめんだが、日本の「文化」ということでいえば、七福神めぐりは、街中を「めぐる」ということ自体でも立派な観光である。

しかし,「説明」がむずかしい。
日本人でもわからない「暗黙知」を強調されると、外国人には「ミラクル」であることすら伝わらないだろう。
すると、わたしたち自身も、「わかったつもり」で生きていることがわかる。

「観光戦略」というならば、それは、相手に好きになってもらう、ことである.
珍しいとか、神秘的とかとはちがう、もっと心にしみるための援助だ。
だから、日本人向けとか外国人向けというのは,筋違いである。
なに人であろうが、これはなにか?を、どうやって説明するのかが問われるからだ。

観て感じろ、というわけにはいかないのである。
かくかくしかじかをしったうえで、観て感じることと、しらずに放置されて観て感じることはおのずと異なる。

味覚すらかわってしまう。
かくかくしかじかをしったうえで食べるのと、しらずに放置されて食べるのとでは、味さえもかえてしまうだろう。

人間は、脳でたべているからだ。
脳が味を解釈するということだ。
うんちくの有無が、評価をかえるのである。

なんだこの絵は?
じぶんにもかんたんに描けそうだ、とおもう。
しかし、そこに「ピカソ作」の文字を見つけたら、なにをおもうのか?
ただ苦笑いするしかないだろう。

七福神は、宗教的なものだからそこには、はかりしれない「神秘」があっていい。
しかし、それだけ?でいいのかとかんがえるのは、むだではない。
人間の脳がかんがえだしたもの、でもある。

観光にする、のもけっして簡単ではないのである。

「最善」をかんがえよう!

今日は1月4日だから、おおくのひとは「仕事始め」ではなかろうか。
とはいえ、「新年の挨拶の日」でもあるから、さっそく一杯やっている会社もあるだろう。
まじめに新年をかんがえるのは、明日以降になるにせよ、どうせだからひとつこんなことをかんがえてはいかがだろう。

よくいわれるのは「最悪」を予想しておくことだ。

「備えあれば憂いなし」

ところが、いがいにも「最善」をかんがえるひとがすくない。
欲の皮がつっぱって、なにが「最善」なのかがわからなくなるからだろうか?

どういう状態が「最善」なのかをかんがえるにあたって、ぜひ、紙をつかってほしい。
ペンでも、パソコンでもタブレットでも、なんでもいいから「記録」できるようにすることが、「必要」である。
忘れてしまったらなんにもならないからだが、それよりもなによりも、思考の「漏れ」がなくなるというメリットがある。

業績不振企業のトップは、けっして頭脳に問題があるひとではない。
むしろ、明晰なのだが、かんがえるときに紙をつかわない。
暗算のように、頭の中「だけ」でいろいろかんがえる癖がある。
それで、肝心が漏れてしまうか、論考が複雑になると面倒になる。

だから、結果がきまらない。
結果がきまらないから、行動にならない。
それは、部下への指示ができないことを意味して、ダラダラとした経営になってしまう。
部下たちは、ダラダラとした経営が「楽」なので、仲間同士の愚痴はいっても、意見具申はしない。

こうして、しらずしらずのうちに業績は確実に悪くなる。
意志がなく世間に浮いているような会社になるから、「景気」と業績が連動している。
それで、自社の不振の原因を「景気がわるいから」にもとめることになる.
景気をよくすることは自社ではできない。
というわけで、地元の役所や政治家の「対策」に依存するようになる。

効果バツグンにみえるのは、「補助金」だ。
書類をだせば役所からお金がもらえる。
それで、いまどんな補助金があるのかという「情報」がないといけないから、日々役所を巡回する。
課ごと、担当ごとに、情報も縦割りになっているからだ。

こうなると、経営者は多忙である。
市役所と県庁、それに国の出先と、最低三箇所、実質いくつかの建物を巡回しないといけない。
自社が県庁所在地にあっても、ずいぶんな時間を要するから、県庁からはなれていると、地元と県庁のある街との往復だけでもたいへんなのだ。

この多忙さが、経営者をして経営をしている気分にさせる。
まことによくできた「政策」である。
政治家には「票」になるし、役人には「犬」にみえることだろう。

自社をどうしたいか?
自社はいかにあるべきか?
こうしたことを一切かんがえなくてよい。

自主独立の精神をうしなった企業の実態は、「国営企業」になるのである。

これをさげすむ文化があれば、経済はだまっていてもかならず発展する。
しかし、国や自治体は補助金をもっとよこすべきだ、になってしまったら、現状維持がやっとで発展など望むべくもない。
かつての「英国病」がこれだった。

いまから半世紀前、70年代から80年代にかけて、英国と米国はスタグフレーションに悩んでいた。
彼らを尻目に、世界経済をけん引し、西側の優等生だったのはわが日本と西ドイツだった。
なかでも、日本に勢いがあったようにみえたのは、経営者たちに自主独立の精神があったからだ。

傾いた政府を立て直す役目を負ったのが、経団連を率いた土光敏夫氏だった。
いま、経団連は、政府に引率されていないか?
「経済再生」が、政府策定の作文に依存するようになってしまった。

だから、上述した地方の役所廻りをする経営者をわらえない。
中央の、大企業の経営者たちも、おなじ行動をしているのだ。

すると、これは、「抜け駆け」のチャンスでもある。
かれらの卑しい行動は放っておいて、自社の自主独立の精神を発揮させれば、頭一つ以上の成果が出せるのだ。

とかく後ろ向きになる話題にこと欠かない昨今だから、「最善」をかんがえるのは楽しいことだ。
その「最善」を、どうやったら実現できるか?をかんがえ、実行するのが「経営」である。
だから、最初に「最善」がきまっていないと、実現方法がなにもおもいつかない。

年の初めに、最善をかんがえるのは、ちょうどよいタイミングである。
実現方法にかかわる費用を、「年度」でかんがえれば、4月からの新年度予算に計上できる。
ますます実行するしかないようになるのだ。

ぜひいま、最善をかんがえていただきたい。

けっしてかなわぬ願いごと

「いいつづければ夢はかなう」から、決してあきらめてはいけない。
あきらめないことが、重要なのだ。

とはいうものの、お役人さまへのわたしの要望はおそらくかなわない。
いや、けっしてかなわないだろう。
それは、お願いだからなにもしないでほしい、ということなのだ。
「余計なこと」という条件もない。

余計なこととはなにかを議論することすら余計なことである。
だから、シンプルがいい。
なにもしないでほしい、のだ。

それで、荒っぽいのは承知で、あえて一回白紙からかんがえてみる。

国家の最低限の役割とは、古典的なみかただと、外交・安保、警察・消防、それに教育だった。
これらのためにはおカネがいる。
それで、税金を徴収する機能と、予算をつくって分配する機能、これにあまったおカネを運用する機能がつけ加わった。

公共財としては、橋やトンネルをふくめた道路や、災害から住民を守るための土木工事があるし、港湾や空港などといった経済活動をささえるインフラとしての大規模施設も、はじめにする工事は必要だ。

江戸幕府の機能をかんがえると、消防は大名火消しと町火消しにさせたから、幕府は直轄していない。
教育も、幕臣のための教育はあったが、それ以外は自由だ。
税は米という物資を基幹にしたので、現金を基幹とする現代とはことなっている。しかも、米の値段は大阪堂島の米相場できまったから、幕府の軍事的権力をもって決めることもしなかったし、できなかった。
公共工事は、おもに治水だった。

注目すべきは、この時代は「経済学」が存在しなかった。
だから、いまでいう「経済政策」が総じてない。
失敗しかない「改革」も、倹約令ばかりなのである。
そういう意味で,小さな政府だった、のだ。

政府機能があまりないから、ひととひととのつながりが重要だった。
これが、一般人のたすけあい精神を育んだともいえる。

明治時代になって、陸軍の諜報部員だった石光真清の『手記』は、1958年に毎日出版文化賞を受章している。
この『手記』のすごさは、まさに「事実は小説よりも奇なり」であるが、手に汗握るそのスパイ活動をささえた一般人のたすけあい精神が、いまではかんがえられない日本人像の記録になっているのである。

   

いまも「下町人情」とはよくマスコミがいうけれど、あんがいそれは強制をともなう「お節介」である。
伝統的なくらしがのこる京都の中心部では、老舗の子息が所帯を持つと伏見や宇治に新居をもとめるというが、本音は近所との「面倒くささ」からの避難だという。

しらずしらずのうちに、生活風習のいろんなことが強制に変化したのは、政府のお節介と関係があるのではないかと想像している。
生きるための助け合いの精神が、生きるための面倒を政府が肩替わりして、残った精神だけが義務をつくりだしたのではないのか?と。

社会が進歩したら、人間がついていくのに息切れしだした。
ケインズが発明した「有効需要」と「乗数効果」で、政府が経済活動に介入することが「正義」になった。
ところが、ケインズ本人も、「不景気のときの手段だ」と、ただし書きをしているから、恒常的にやっていいとはいっていない。

ここがケインズの悩ましいところで、彼自身がイギリス大蔵省の官僚だったから、役人にこの「ただし書き」が通用すると本気でおもっていたかどうかに疑問がのこる。
役人の本質は、しごとをつくり出すことだけだから、いつでもどこでも「有効需要」と「乗数効果」の計算をして、政府のカネをつぎこめば、もっと経済はよくなるとおもいこんだ。

もちろん、「保守」が国柄の大英帝国で、ケインズのあたらしい経済理論がドンピシャだから、すぐに実行しようという専門家などいるはずがなく、国家財政が破たんするという大合唱だけだっだが、第一次大戦の賠償金ですでに国家財政が破たんしそうなヒトラーのドイツで、どうにでもなれと「無責任」にもこの方法が採用された。

ケインズのいうとおり、ドイツ経済は不景気のどん底だったから、みごとに有効需要と乗数効果がはたらいて、うそみたいに景気がよくなった。
ヒトラーはすばらしいとドイツ国民は歓喜して、とうとう独裁者になることも国民が希望した。
おそらく、ヒトラー本人がいちばん驚いたのではなかったか?

そんなわけで、ヨーロッパでケインズの処方箋がどんどん採用されて、これが英国に逆輸入され、第二次大戦後のイギリスは、ソ連とはちがうけど、すっかり社会主義国になってしまった。
「ゆりかごから墓場まで」(政府が面倒をみますよ)、である。

アメリカも、大恐慌をどうするかで、デフレ策をやって失敗した共和党政権から、ニュー・ディール政策というケインズ政策で、民主党ルーズベルト政権になった。

日本では、ドイツと同盟したのに、どういうわけかスターリンの五ヵ年計画がだいすきで、これを仕切ったのが超優秀な官僚、岸信介である。
コンピューターが存在しなかった時代に、ソロバンと手書きで綿密な国家経済計画書をつくれたのは、当時も日本人以外では不可能だったろう。

戦争に負けて軍人たちが責任をとらされたが、文官たちは無傷で、降格も追放もなかった。
それで、戦後は「経済官僚」による政府になる。
「経済官僚」の政府が、経済官僚だけで運営されることが完成するのが、田中角栄内閣だ。
戦前の近衛文麿内閣と、戦後の田中角栄内閣は、日本人ならわすれてはならない。

このふたつの内閣は、地下水脈で連綿とつながってわが国の基礎をなしている。
こんにちの内閣も、当然にこれらの継続である。
民主党政権というあだ花は、たんなる過激分子であって、継続性の基準をよりつよく打ち出しただけだった。

つまり、おなじ音楽を、民主党の時代は音量をあげすぎただけで、安倍政権は音量をもとにもどしただけであるから、国民はおなじ曲を聴かされている。
それは、「ゆりかごの歌」なのだ。

イギリスは、幸運にもサッチャー女史があらわれて、べつの曲にかけかえた。
同時に、アメリカもレーガンがサッチャーとおなじ曲にかけかえた。
フランスは、ミッテランが「ゆりかごの歌」をかけたままでいたが、途中で耐えられなくなった。
日本は、中曽根康弘が、「ゆりかごの歌」のボリュームを聞こえないほどに下げたが、別の曲にはしなかった。

というわけで、いまさらながら「ゆりかごの歌」が鳴っているのが先進国ではわが国だけになったのだが、国民がすっかり気持ちいいままなので、やめられない。
そうこうしているうちに、「先進国」といえるのか?というはなしになってきている。

もう11年前になる、2008年1月18日、国会本会議における経済演説において、大田弘子経済財政政策担当大臣が「もはや日本は『経済は一流』と呼ばれるような状況ではなくなってしまった」と述べた。
そして、「もう一度、世界に向けて挑戦していく気概を取り戻す」と発言したのだが、政府の政策として「やる」というのがまちがいなのである。

そんな絶望をえがいた、村上龍『希望の国のエクソダス』は、2000年の小説だった。
小説家の想像力が、現実を凌駕するひとつの事例である。

やるのは民間である。
どうか政府はなにもしないでほしい、ということなのだ。