生命と魂と人生

よくよくかんがえると、「世の中」は、たまたまそのときに生きている人々の「集合体」である、ように見える。

自分が生まれたときに70歳のひとがいれば、年齢差は70年ということになるけど、子供が社会を認識するようになるのに10年かかれば、おなじ年齢差でも80歳になっているひとの人生は70歳のときからさらなる経験を積んだことになる。

むかしは寿命がいまよりもずっと短かったので、「同時代人」の「幅」も少なかった。
しかし、人間という生き物は、社会の中で生きるしかないので、その社会の成り立ちに影響されるのは当然だ。

すると、いまの社会を生きている、といっても、いまの社会がいつから「いま」なのかをかんがえたら、おそろしくゆっくりに見えながら、じつは確実に変化していることに気づくのである。

たとえば、60歳になって、5歳のときやら10歳のときの記憶をたどれば、それはもう「別世界」だったことがわかるし、当時のおとなはすでにほとんど物故していて、この世にいない。

それは、自分がおとなになって就職したときの記憶もおなじで、おなじ会社とはおもえない「変化」を確認することができる。

およそ人間は、自分のことを変わらない自分だと思いこむ習性がある。
しかし、全身の細胞が半年あまりで全部入れ替わることがわかってきて、1年前の自分とは「別」の状態になっている。

このとき、遺伝子の僅かなコピーミスがあることもわかっているので、入れ替わりを何度もやっているうちに、ちがう自分になっているのに、それを本人が自覚しないで生きていることもわかっている。

こんな状態を「生命」といっているのである。

細胞の入れ替わりには、脳細胞も含まれるから、コピーミスは人格への影響も無視できない。
これに、社会自体の状況と変化が加わって、「意識」が形成される。

そしてこの「意識」の深層に、「民族の記憶」という歴史の織りなす感覚があるから、これを、「魂」というのである。
この「魂」を、「霊魂」としたときには、まったく別の最新研究があって、それが「量子力学」の分野での議論になっている。

ニュートン力学やアインシュタインの相対性理論も超越している量子力学では、物質の成り立ちである「素粒子」の振る舞いが、生活感とはぜんぜんちがう。
それで、脳とは量子コンピュータであるとして、「霊魂」の研究になっている。

人間は臨終の際、脳から量子が飛び出して、宇宙へと放出される。
それが、エネルギー体として宇宙空間をさ迷うというのだ。
このエネルギー体を、ふつう「意識」と呼んでいる。

大ベストセラーになった、分子生物学の福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』(2007年)で、生命の定義がされている。
それが、「エネルギーの流れ」であったから、「意識」が生命体として宇宙にあるというのは、奇天烈なことではない。

すると、エネルギー体としての「意識」の、過去から未来への「蓄積」が、「魂」になるとかんがえられているのは、宗教を超越した最新科学が導いた仮説になっていて、一部の科学者はこの研究に没頭している。

先日、小惑星探査機「はやぶさ」が採取した「砂」から、「アミノ酸」が検出されたことがニュースになった。
生命宇宙起源説の証拠として論じられているけれど、意識が宇宙にあるとすれば、「唯物論」として騒ぐ意味もないのである。

個体としての人間には、個体としての人生がある。

しかしそれは、個体として「だけ」ではない「社会」となるから、個体が物質的に社会を造っているのではなくて、「意識」もそこになければならない。

すると、「意識」の集合体ができるはずで、これが、「普遍的価値」をつくりだすのだとかんがえられる。
大正の世に、内村鑑三は『後世への最大遺物』として講演し、これを弟子たちが書きとめて今でも読めるようにした。

この弟子たちの「想い」も、いまでは「遺物」になっている。
テープレコーダーもなかった時代の、一言も漏らすまいと必死に書きとめた気持があふれ出ているからである。

「いまの社会」にある、「気分」がその一つで、ずっと前からある「民族特性」に吸収されるのだろう。
だから、ずっと前からあるのが先にくるのは当然だ。

そしてこれを、「意識的」に「破壊しよう」とする者たちがいる。

本来これを「新人類」と呼ぶべきなのだ。
しかして、多数の「普遍的価値」からしたら「敵」となる。
それがいま「勝負」を仕掛けてきた、「グローバル全体主義」で、あらゆる分野で野心をむき出しにしている。

わかりやすいのが「国連」であり、「WHO」だ。
なんと、ジュネーブ本部にある、「(核)軍縮会議」の議長に、北朝鮮が就任した。
おなじく、「人権委員会」の理事国に中国がなっている。

わが国では、国連憲章に「敵国条項」があるままで、「安保理常任理事国」を目指すという「世迷い言」に、多額の国家予算をつけている。
むしろ、おなじ「敵国」のドイツや意識がある国とはかって、「第二国連」を創設するくらいの意地があっていい。

いまを生きる人生で、そんな「遺産」を残したいものである。

最悪の日露関係で漁業協定停止

「敵国認定」という事態の具体的内容が7日にロシア外務省が発表した、日露漁業協定の「停止」だ。
ロシア側は、わが国が「入漁料などの支払不履行」だとしているから、まだ「穏便」に見える。

また別途、北方領土での軍事訓練が行われていて、釧路市でも「砲弾の音」が聞こえる状態にあるという。
無論、わが国政府は、戦争の反省をしていないので、「大本営発表」状態と同様に、「箝口令をしく」ごとく国民にはなんの説明もない。

それで、官房長官は、指摘された「支払不履行」を認めている。

ロシアへの「制裁」を課したつもりが、逆に制裁されてしまった。
もちろん、わが国の「制裁」は、アメリカ民主党からの指図だろうから、外務省の幹部はエマニュエル大使に泣きついているにちがいない。

泣きつかれた大使とて、「日本の問題」ということで逃げたいだろうけど、それではあんまりだから「本国に打診する」とかなんとか適当に時間稼ぎをしているにちがいない。

困るのは根室の漁民で、「拿捕」なんかされたら大変だけど、『蟹工船』を守ってくれた帝国海軍艦艇は存在しない。
「ことなかれ」が最優先なので、海上保安庁はもちろん、自衛艦もでるはずがなく、ましてや第七艦隊をや。

この無様が、わが国のほんとうの姿なのである。

それでもって、アメリカ民主党のいうとおり、ウクライナ支援したじゃないか?と右往左往している「おじさんたち」が官邸くんだりにたむろしているはずなのである。

外交現場として時系列をたどれば、「ブチャ虐殺」という怪しい「衛星写真」が発表されて、西側各国が足並みを揃えて4月8日に「ロシア外交官を国外退去処分」にしたことが、「応酬」のトリガーであった。
それで、ロシア側もわが国外交官を「同人数国外退去」とした。

これには、「相互主義」という、外交儀礼(「外交官の地位を定めたウィーン条約」)が守られたのだが、ソ連時代を含めて、わが国が「国外退去」をロシアに要求したことはなかった。
スパイ容疑があろうが、「公式措置」する前に自主的に国外退去したからである。

なので、今回の措置は、日露戦争以来の「強硬策」なのだ。

おそらく「有職故実」に通じた外務官僚は、「そんなばかな」という話をしただろう。
なので、外務報道官の対応に手際の悪さまでつつかれることにもなった。

もちろん駐日ロシア大使が弁明した、「フェイクニュース」との主張に、聞き耳を持たない対応をしたのは、わが国の側なのである。
これをやった役回りは、外務次官直々だった。

「法」の執行官としていえば、「根拠」を明確にするのが、国と国との間では当然だけど、「報道」によるしかないのと、アメリカ民主党からの命令ということをもってすれば、日本の正義もないも同然だ。

素人がかんがえても、あんなふうに(民間人の)遺体を放置したままで、正規軍が撤退をしたら、「虐殺」の疑いをかけられてしまうことぐらい、ロシア軍がしらないはずはないと思う。
それに、「衛星写真」であって、いまどきの「動画」ではない。

とっくに、アメリカはホワイトハウスのオフィスでもどこでも、「中継」で観られる状態にあるはずだ。

そんなわけで、ぜんぜん「わからない」状態をもって決めつけたのは、およそ日本人の感性とはちがうものだから、アメリカ民主党からの命令としか思えないのである。

そうやって、一方的にウクライナに肩入れさせられて、とうとうロシアから正式に「敵国認定される」という事態となった。

すなわち、わが国はいま、ロシアと戦争状態にあるのだ。

こんなことがなくても、平和条約がない状態だから、より厳しい現実がそこにある。
つまり、「漁業協定」を云々するような「平時」ではない。

けれども、「平時」を装わないといけないのは、日本政府の勝手な都合なので、国民は唖然とするしかないのである。
ところが、その肝心な国民が、まさかいま、ロシアと戦争状態にあるとは思ってもいない、という暢気さなのである。

まるで、『のんき節』の一節、「ははのんきだね」をそのままいく。

プーチン氏は、アメリカが長距離ミサイルをウクライナに供与したら、「新たな標的を攻撃する」と、6日に表明している。
その「新たな標的」とはどこなのか?
いきなり「わが国」だってありうるのである。

それがもし、このところ頻繁な「北のミサイル発射」をもって、「警告」としている可能性だってある。
なにしろ、北のミサイルとは、ロシア製だからである。

なんだか、「代理戦争」で追いつめられているのは、わが国なのではないのか?

するともう、現政府では日本が危ない。

5月23日付け長周新聞に、日露戦争の「構図」を風刺した絵をもって、ウクライナを解説している記事がある。

確かになんだか「そっくり」なのである。
それで、わが国は英国とアメリカに借金して「戦費」を捻出し、この「返済」に行き詰まって大東亜戦争に突入した。

ちなみに、「相続税」ができたのは、涙ぐましくもこの戦費返済の財源だったのである。

「借金」が、わが国の「英米隷従」を決定づけたのであって、この方法をいま、中国が世界でやっている。

役に立たない「国連安保理」

そもそもが、第二次世界大戦における「戦勝国組合」が「国際連合」という看板をかけているだけのことだから、その「中核」である、安全保障理事会の「常任理事国5ヵ国」こそが、永遠なる勝者としての立ち位置を確保する、という目的で成っている。

この「体制」が、ずっと続いているのは、もう一方の「敗者」の側の都合も合致する皮肉があるからだ。
すなわちそれが、「敗戦利得者」という、ローカルな国内事情で発生した、戦後支配層に都合がいいからである。

敗者とは、ドイツと日本の2ヵ国のことをいう。
三国同盟のひとつだったイタリアは、戦争終結直前の政変で、ドイツに宣戦布告したから、これが功を奏して「戦勝国組合」に参加した。

ちなみに、ドイツとの同盟が残っていたわが国は、「味方の敵」にあたる国々が「自動的に全部敵」になるので、サンフランシスコ講和会議での「敵国」は、ほぼ「当時の」世界中であったのだ。

なお、このときのアジアで「独立国」といえたのは、タイとサウジアラビアだけだったし、ドイツは「滅亡認定」されているから、今のドイツとナチスドイツは「別の国」だ。

これとおなじ仕組みが、「NATO」にある。
加盟国の1ヵ国でも、どこかと戦争をはじめたら、相手国はNATO加盟国全部を敵に回すのである。

プーチンとメドベージェフの両氏は、合計3回、NATO加盟を申請したけど、絶対に加盟させない、という決定を3度も受けた。
しかしながら、一度も「合理的理由説明」は、なかったのである。

それでもって、欧州安全保障協力機構(Organization for Security and Co-operation in Europe:OSCE)が1972年に発足していて、「ソ連」も1973年に「加盟」して今に至っている。
なお、わが国も「協力国」として加盟しているのだ。

現状で、世界最大57ヵ国が加盟する「地域安全保障機構」だから、国際連合総会オブザーバー資格もある。
ちなみに本部はウィーンにある。

ウクライナについて、スイス軍人でOSCE幹部だった元大佐が、ウクライナによる自国民抑圧がロシアの介入を招いた、と「自著」で解説しているので、この情報はOSCE加盟国ならしらないはずはない。

さてそれで、国連の安保理には、常任理事国だけが持つ「特権」の「拒否権」がある。
この「濫用」をさせないため、という「国連の根幹」に触れる「拒否権発動の理由説明」を4月の総会で「決めた」のだった。

「決めた」けれども、「決議」でないのは、各国が一票を投じる方式ではなくて、議場の総意による「採決」だった。

したがって、これに「法的拘束力」はない。

とはいえ、8日に「はじめて」拒否権を発動した常任理事国に対しての説明を求める会合が開かれた。
それが、「北朝鮮のミサイル発射に関する制裁決議」についての、ロシアと中国の拒否権発動についてだった。

つまるところ、わが国にとっての「軍事的やばさ」について、国連は「役に立たない」ことが証明されたのである。

しかも、「ウクライナ」への「軍事的肩入れ」をした、わが国は、ロシアから「敵国認定される」という、戦後初の事態になっているので、この「拒否権発動」のロシア側の意図に、わが国への「攻撃的当てつけ」があるのは明らかである。

対するわが国は、「あくまでも北朝鮮のミサイル発射」に話題を絞っているのは、国家安全保障ではなくて、「外務省の省益優先」が見え見えなのである。

わが国の「ツートップ」である、首相と与党幹事長が、それぞれ直近の「外務大臣」だったことを思えば、ほとんど犯罪的ともいえる「売国行為」なのである。

わが国には最も重い刑罰として、「外患誘致罪」(刑法第81条)があるけれど、これは外国が実際に武力行使したときに適用される。
だから、いまのところ問題ない、といえるのか?

司法の腐敗が、裁判所だけでなく行政としての検察にも及んでいないか?

むかし、自民党の幹事長として権勢を誇った小沢一郎氏は、「国連第一主義」を唱えて、自国の安全を全面的に国連へ委任するかの論を張っていたことがあった。

まったくもって、売国そのものであったのに、岩手県の有権者はいまだにこのひとを国会に送り込んでいる。
似たような主張をしていた、元外務官僚だった故加藤紘一氏も、山形県で圧倒的な安定支持を得ていたものだ。

結局のところ、他人依存ではどうにもならないことが、だんだんわかってきた。

「非武装中立」なる世迷い言が、教師の労働組合を中心に真顔で語られたことの滑稽は、米ソ冷戦の「安定」が、思考停止を誘発してもこれを多数のひとが支持できたのは、それなりに「幸せな時代」だったからでもある。

それゆえに、加藤周一の『フィンランド化』も、強いものには巻かれるのが一番「利口」なのだという、おどろくほどの無責任と無邪気さが、よくも外患誘致罪に問われなかったものだと、感心するのである。
フィンランド人が聞いたら、「侮辱」だと言い張るだろうに。

拒否権の説明義務は、5大国が世界を治めることの「無理」がさせたものだということだから、世界秩序は「不安定化」しているのは明らかで、「従来からのやり方」が通用しないということだ。

もちろん、わが国にとって役に立たないなら、「脱退」をかんがえてもそれが「国益に適う」ことになる状況だ。

否が応でも思考のスイッチを入れ替えないと、「生存」がままならない時代になっている。

ピカソ『ゲルニカ』と日本

349.3x776.6cmもある、巨大な壁画である。

いまはマドリードの「ソフィア王妃芸術センター」に所蔵されているけれど、紆余曲折があっていまの場所に落ち着いた。
「レプリカ」は、徳島県鳴門市の大塚国際美術館にあるし、東京駅丸の内オアゾ1階には、陶板製のものがある。

ずいぶん前だが、マドリードで実物を観た。
遠目からでないと、大きすぎてなにが描いてあるのか、「ピカソ」ゆえになおさらなのだ。

「この一枚」のために、ずいぶんな数のひとたちがいたけれど、その鑑賞には時間をかけていて、なかに、「涙する老婆」がいたことが印象的だった。
おそらく、バスク地方から観に来たか、姻戚関係者だったのかもしれない。

芸術鑑賞の奥深さは、作家の意志や意図をどこまで理解しているかという「予備知識」にかかってくる。
だから、インスピレーションだけに頼るものでもない。
といって、個々人それぞれに「好み」があるから、難しいのである。

1937年(昭和12年)年4月26日は、あんがいと日本人にはノーマークになっている「記念日」である。

この年の出来事一覧を見ると、わが国では悲喜こもごもが混在している。

2月に林銑十郎内閣が成立したかと思えば、6月に近衛文磨内閣が成立して、その中間にあたる4月に、ヘレン・ケラーが来日している。
5月に双葉山が横綱になって、7月には、浅草国際劇場ができて4日後、盧溝橋事件があって、9月に後楽園球場が開場した。

1914年から4年もやった、第一次世界大戦の「大戦景気」を知っている日本人は、いまなら「平成バブル」を思い出すまでの時間とおなじで、「戦争は儲かる」と擦り込まれていた。
これが、国民こぞって「戦争を望んだ」ことの背景である。

しかして、「第一次」世界大戦を「欧州大戦」といったのは、まだ「第二次」大戦が起きる「前」だったからで、はるか世界の裏側でやっている戦に、ほとんど他人事でいられたこともあって、この当時の「スペイン内戦」のことも、日本人が意識するまでもないことだった。

この4月26日が、「記念日」なのは、人類史上初となる「無差別攻撃(爆撃)」が行われた日として、その後の日本人にも多大なる影響があることになったからである。

すなわち、この日を境にして、軍人同士の戦いであるはずの戦争が、一般市民を犠牲にする「虐殺」を内包する事態になったのである。

この「ゲルニカ爆撃」の悲惨を描いたのが、ピカソ渾身の「ゲルニカ」なのだ。

この「空爆」をやったのは、反乱軍のフランコを支援した、ヒトラーのドイツ空軍であった。
これより、後の連合軍は、敵地の無差別攻撃を「戦略爆撃」と名前を変えた。

戦略爆撃とは、地上軍を支援するものでもない。
むしろ、一般人を大量殺戮することで、敵の「戦意喪失させる」ことを目的とする。
要は、「虐殺の方便」なのである。

そしてそれが、行き着いた「究極」が、「核」なのである。

「核」とって「核兵器」とはいわないのは、「兵器」とは「兵」を相手にする「武器」を指すからだ。
この意味でいえば、「戦術核」がギリギリで「兵器」の概念にとどまる。

この意味で、わが国はまさに「無差別攻撃」の前に屈したことになる。
そしてその「被害」の「甚大さ」が、戦争反対の重要な根拠になったのである。

一方で、日本帝国陸海軍による、「重慶爆撃」は、やった側の問題となっている。
当初は、無差別攻撃を避けるための「ピンポイント」を厳命していたものの、爆撃精度が伴わない技術的問題から、一般人に犠牲を出した。

そしてそれが、「絨毯爆撃」へと変容したことは、わが国側の汚点となっている。

そんなわけで、戦時国際法という戦争のルールは、無差別攻撃を禁止できない点で、無力化してしまった。
それはまた、世界が民主主義ではないことを示してもいるし、もし民主主義ならば、国民道徳の堕落が民主主義を無意味にすることの証左となる。

一般人への無差別攻撃こそが、邪悪な態度なのである。

ただし、技術をいったん得た人類は、これを放棄することができないという宿命も持っている。
なので、「核廃絶」とは、不可能なスローガンになることも認めないといけない。

すると、いかに「使わせないか」ということに絞られるのだ。

広島・長崎以来、実戦で使われなかった理由が、フクシマで確認できたのは、「核汚染」の意味を、核のボタンを押す権利をもったひとが理解したからだろう。

いったん核汚染をしたならば、その地を占領しても、なんの価値もないことになるし、それがどんな形で自国への世界からの報復となるかを「計算」すれば、「無価値」という結論に至るからだ。

ゆえに、「脅迫の手段」としてしか機能しない。

さてそれで、ピカソは「鳩」の絵をサイン代わりにしていた。
オリーブの葉を加えた、シンプルそのものの「絵」は、誰にでも描けそうなデザインだ。

ノアの箱舟伝説をモチーフにしたこの「絵」は、みごとなデッサン力を示したピカソらしく、真似して描いたらわかる難しさがある。
ちょっとやそっとの技倆では、決して描けない。
ピカソをして、万回単位の繰り返しの結果なのだ。

そうやって、『ゲルニカ』を眺めたら、涙がこみ上げてくるのである。

骨粗鬆症の「骨太方針」

6日、「経済財政運営と改革の基本方針2022 新しい資本主義へ~課題解決を成長のエンジンに変え、持続可能な経済を実現~」(骨太方針2022)が閣議決定された。

小泉政権時の2001年度にはじまったので、もう22回目となった。

政権の重要課題や翌年度予算編成の方向性を示す「方針」のことで、「官邸主導」だということが、「あたしかった」けど、どこが「骨太」なのか?は、国民にはよくわからないという、特徴もある。

言いだしっぺは、「ダボス会議」で日本人理事である、当時の竹中平蔵慶応義塾大学教授だった。
このひとは、TBSテレビの日曜定番の「政治ショー番組」でレギュラーとなって、「平蔵」ではなく「構造改革」だけを訴えていた。

その舌鋒は鋭くも意味不明という、煙に巻かれたごとくの「後味」の悪さはあったけど、視聴者に出演者の人事権はないから、番組を観るものは彼の論を聞かざるを得ないように仕向けられた。

いまからすれば、典型的プロパガンダであった。

それでか忘れたが、「この手」の番組を視聴することをやめた。
ただ、彼のような経済学者がペテン師だというイメージを、日本でも一般人に植え付けた「功績」だけはあった。

彼以来、「まとも」に経済を語るひとが増えて人気を得たのは、騙されない日本人の視聴者がたくさんいたからでもあった。
その中でも、「的確な解説」をしていた、たとえば植草一秀氏の「冤罪」も、本人がいうまでもなく「怪しい事件」であった。

ちなみに、わが国のテレビ局(戦後すぐのラジオ局も)は、基本的にGHQとその配下にあったCIAのプロパガンダ機関だということは、知っていていい。
もちろん、「親会社」である新聞社は、戦後に「改造」された。

世界に類をみない、新聞社とテレビ・ラジオの「系列化」は、田中角栄がやった「政策」であった。
彼が伸してきたのと失脚したのとの間に、CIAが存在することは陰謀論ではない。

もちろん、A級戦犯で死刑を免れた「岸信介」とは、「コードネーム」があった最高ランクの「要員」だったことは、公開されている「事実」であるし、対するソ連側の最高級「要員」は、瀬島龍三氏で中曽根康弘氏のブレーンでもあった。

さてそれで、先月行われた「ダボス会議」では、「一波乱」があった。

それは、「ウクライナ」をめぐる、ジョージ・ソロス氏の主張とキッシンジャー氏の主張が、「真っ向対立」したことにある。
加えて、ビル・ゲイツ氏の「WHO条約」に関しても「なにかあった」模様だ。

このような、世界との関係から、わが国の「骨太方針」との関連はどうなっているのか?に注目すると、このような「政権と政府運営のやり方」が、とっくに「制度疲労」していることがわかるのである。

「骨太方針」の「骨太」たるゆえんは、「複数年」にわたるものだからだ。
いわゆる、「単年度主義」の転換のことを「骨太」と言い換えたのである。

このこと自体は、政策の連続性という意味で合理的ではあるけれど、政府の予算制度そのものが「単年度主義」だから、わかりにくいし、トップの内閣が交代したら、「複数年」の意味も失せるのである。

すると、ずっと「複数年」にわたって「計画」を「管理」して「実行」するのは、「官僚だけ」になる。
ここに、「与党」が影響力を行使できない構造ができている。

すなわち、竹中氏が小泉政権で導入させた「骨太方針」とは、将来の歴代内閣を縛る「絆(ほだ)し」の機能を持つだけの、官邸ではなく官僚主導の「計画経済」を具現化させる、みごとな「制度設計」であったといえる。

つまるところ、「骨太」とはいいながら、さいしょから「骨粗鬆症」を抱え込んだ、ダブルスタンダードの「ニュースピーク」だったのである。

それでもって、「今年」のは、「増税」を折り込んだことが「骨太」になっている。
財務省の頭文字「Z」をもって、「Z会内閣」といわれるゆえんだ。

自民党も一応「政党政治」をやっている風情を醸し出したい意図はあるから、「政策」については、「政務調査会:略して政調会」での「決定」がないと、「党」としての政策にはならないというルールがある。

だから、政府よりも党が「優先」されるので、絶対安定多数を衆議院(下院)で保持する自民党の決定こそが、政府を動かすことになっている。
それが、「党総裁=首相」としての「立場」をつくる構造だけど、党総裁の意向とは異なる「政策」が党内で決まれば、これを実施せざるをえないのが「首相」の立場になってしまうのだ。

そんなわけで、「Z会」に真っ向対立する「政調会長」を、党総裁が指名して「党内体制」としたから、いまの首相はさいしょから「片肺飛行」を余儀なくされることになった。

こうして、「国民不在」のままで「政策決定」されることも含め、「非近代政党」に政権を委ねること自体が、もはや国民の「不幸の種」どころか、「不幸の果実」になっている。

だから、政府の骨太方針が骨粗鬆症であることは、実行に困難を伴うので、国民の不幸を和らげる効果があるのだ。

この「機能不全」が、戦後政治の「制度疲労」であって、いったん「ご破算」にしたい要望が国民に湧いてきた。
初の国政選挙に臨む、「参政党」が全国45選挙区に候補者を立てるまでの資金を、「個人からの寄付だけ」でやり遂げたエネルギーが「これ」なのだ。

骨太もなにも吹っ飛ばす、マグマが噴火するかもしれない。

中間管理職の悲惨

誰が「中間管理職」なのか?といえば、あんがいと「幅広い層」を指すのだ。

それは、「肩書き」だけで判断する場合もあれば、組織上での「部下」あるいは「下部組織」の有無を問うこともある。
けれども、一般化していえば、経営層以外で「長」などの役職あるいは資格があって、できれば部下がいるひと、のことをいう。

わたしが勤務していた会社の場合、長くその制度上、係長までは労働組合員という位置づけであったために、「新任係長研修」の場で、「管理職昇格おめでとう」と講師がいってもピンとこなかった。

けれども、わが国の「労働組合」が発足した「終戦直後=占領中」の歴史をみれば、「課長級」も労働組合を組織したかあるいは一般組合員になったという事実がある。

このことと、「公職追放」との関係は密接で、国家総動員体制で民間企業もお国に奉仕した「報国思想」から、「職域奉公」というかんがえ方が常識になっていた。
これを、「悪く言う」のは簡単だけど、あえて「良く言えば」、「企業は一家」だったのである。

このとき、経営者は「家長」として振る舞うのが常識でもあったから、奉公先・勤務先の、「職場環境」は、家長の家長たる資質に左右されるのは当然で、それをまたテクノクラートたる「番頭」が支えたのであった。
だから、パターナリズムによる「人治」が優先されていた。

それゆえに、「手に職がある=職人」は、自身の技術力に自信ができる「熟練工」ほど、独立心が強く、勤務先の企業への忠誠心は薄くなるので、気に入らなければ何度でも「転職」したのがふつうであった。

それが、「変化」したのは、経営者の力量が高まったから「ではなく」て、工業機械の性能向上による、「非熟練工」でも十分な時代になったことによる。

それで、職場の原始性が残った「庖丁人=板前」は、ずっと後になっても「包丁1本」あれば、職に困ることがなく、「流れ板」になっても生活ができたのだった。

そんなわけで、大企業の課長職が労働組合員になる、という事態の根源に、公職追放で家長がいなくなって跡をついだ「三等重役=同僚」たちが、大混乱の戦後社会でのビジネスが満足にできないというハンデもあったけど、急速なインフレで「喰えない」という現実を盾に、そのお粗末さに反抗したという意味があった。

その「表層」が、「生活給」という概念として、わが国の賃金制度のもとになったのである。
したがって、戦前の「労働争議」と、戦後の「労働争議」とは、下地となる問題の意味がぜんぜんちがう。

とくに戦後の「労働争議」を、政治思想的に煽ったのはGHQの「本音=日本弱体化」でもあったので、その「サヨク性」が長く日本社会の基礎をなす、いわば「底流:通奏低音」に仕向けて成功したのである。

それが証拠は、1938年(昭和13年)に、アメリカで出版されて、「近代経営学の祖」といわれる、チェスター・バーナードの名著『経営社の役割』における、「付加価値創造」の説明にある。

経営者も労働者も、それぞれ「別の目的」があって企業にある。
しかし、マルクスが「宣伝」したように、これら両者は「対立」するのではなくて、「協働」によって付加価値を高めれば、それぞれの「目的達成が可能になる」と論じたのである。

経営者は企業利潤の最大化が目的で、労働者は賃金取得の最大化が目的だ。
この「別々の目的」が、「付加価値創造」という「一点」だけで「合致する」ということの意味は、あまりにも重要な「発見」だった。

なお、付加価値の計算には、「賃金=人件費」が、「含まれる」ので念のため。

さてそれで、わが国企業の特徴に、「社内昇格」という経営者になるための「制度」がある。
よほどの場合でないと、企業外部から経営の専門家を呼んできて、トップに据えるという「習慣がない」のだ。

ゆえに、将来の経営者層は、いまの労働組合員の中にいる。
すると、労働組合は、付加価値創造についての強い意志を、組織内で浸透させなければならないはずだ。

さすれば、バーナード理論の実現が可能になる。

アメリカの優良企業が、あんがいと(かつての)日本企業の真似をしているのは、労使対決では企業活動が活性化しないから、だけでなくバーナード理論の追及のためである。
それが、「日本的経営システム」の強みだと知っている。

だから、ライバルの日本企業に、ぜんぜんちがう「経営システム」を輸入・導入させたのである。
こうして、日本企業は見事に「弱体化」した。

すると、やっぱり「経営者」の不勉強が目立つだけでなく、その「家長」としての「資質」もないのは、進化の必要がない、という「経営層=勝ち組」の側の「絶望的」な精神の貧困があるからである。

となれば、現場と経営層の「中間」にある、「管理職」の「悲惨」は、まるでかつての「小作人」のような「制度」によると理解できる。

しかして、徳川時代から敗戦まであった、「五公五民」の収奪制度が、いまや「国民負担率」に言葉を変えて、実質「六公四民」の、江戸期なら一揆が起きておかしくないまでになっている。

この「従順さ」こそが、「奴隷化」の国的達成を意味するのである。

崩壊をはじめたアメリカ民主党

邪悪な心で盤石の体制を築いて、それが達成され、世の中を我が物として君臨しようものなら、「盛者必衰の理り」という「大原理」が機能しだして、あれよと「崩壊」してしまう。

これは、「人文科学」の原理なのではなく、むしろ人間の脳にセットされている「自然科学」の原理ではないのか?

おなじパターンを何度も繰り返すから、通して読むと「退屈さ」を感じるのが「中国の歴史」だ。
ゆえに、古代から現代まで、時代感覚がわからなくなる特徴がある。
なぜにかくも、おなじパターンなのか?

これも、人間の脳にセットされているからではないかと疑うのである。

われわれが「アメリカ」をイメージするとき、その「広大さ」もあるけれど、一様に「統一国家」としてのアメリカとアメリカ人をイメージするようになっている。

これは、「日本人」の脳が、統一国家と均一な国民性を当然とするようにできているからではないのか?
「建国神話」を否定しようとも、地上に類がない2千年間も同一王朝が継続していることが、とっくにDNAレベルになっているはずだからである。

しかも、わが国は「自然発生した国」だけど、アメリカ合衆国は、「人為的・人工的設計で創った国」という、その「成り立ち」すらぜんぜんちがう。

なので、「伝統主義」を「保守」というなら、わが国の「保守」とアメリカの「保守」も、意味が異なるのは当然だし、そもそも人為的なアメリカにおける「保守」ということすら、意味不明だという常識があった。

なぜならば、「建国の理念」で創られた国なので、建国の理念が壊れるという「前提」がなかったからである。
すなわち、建国の理念を「保守」するのは、アメリカ人の共通した常識だから、わざわざ「保守」という概念を必要としなかったのである。

しかし、建国からの時間経過のなかで、建国(前)当時からアメリカ人だったひとたちの系統はまだいいけれど、「その後」に移民してきたひとたちのなかに「温度差」があるのは当然だ。

この「温度差」が、だんだんと政治的温度差になるのも当然だから、共和党と民主党の「分立」が起きた。
それで、東西の海岸沿いが新たな移民の受け入れ地になるために、民主党が支持されて、自立できる内陸部が共和党の基盤になったのである。

アメリカ合衆国が、自信のない弱小国だという自意識から抜けたのは、その圧倒的な工業力によるところが大きく、また、独立戦争以来、直接的に外国の軍事力による攻撃を受けたのは、「真珠湾」がはじめてだった。

それで、武器製造と販売による「利権」ができて、民主党と共和党・主流派が、これに乗ったのである。
建国の理念を「保守」するひとたちは、この利権には縁がない農家が中心なので、そのまま「保守派」といわれるようにもなった。

地方の農業県が、「保守王国」というわが国と見た目は似ているけれど、何を保守するかを定義しているアメリカ人の確信は、日本人とは比較にならない。
「人為的な国」と、「自然発生的な国」とのちがいがここにもある。

「アメリカ合衆国憲法に従う」ことを信念にしている、トランプ氏の出現が、どれほどアメリカ人に衝撃的だったかは、そんな「自然発生的」日本人にはわからないほどの強烈さだった。

アメリカ人の「保守派」が熱狂するのと裏腹に、武器やらの様々な「利権」を優先させるひとたちが、かくも「敵視」して「憎む」のは、建国の理念よりも利権をとるひとたちの「不道徳」が暴かれるからでもある。

そのトランプ氏を、なんとしても追い落としたいと図ったのが、「ロシア疑惑」という「でっち上げ」だった。

しかも、そのトリガーとなったのは、最大の政敵ヒラリー・クリントン氏の国務長官時代を通じてやっていた「私的メール問題」を、選挙の論点からはずすためだった。

しかしながら、これらに関する「捜査」と「裁判」で、さまざまな「証拠」が提出されて、オバマ政権での邪悪さが徐々に明らかになってきた。
今般、ふたりの共和党下院議員がそれぞれのルートから得た、民主党顧問弁護士事務所とFBIとの「不適切な関係」は、民主党の崩壊につながる可能性まである。

なんと、この弁護士事務所内に、FBIの特別オフィスが「入居」していて、事務所パートナー弁護士が、FBI機密情報を直接「検索」することが可能になっていたことが発覚したばかりか、この疑惑をあっさりと弁護士事務所が「認めた」のである。

しかも、検索ログから、共和党関係者への検索が全体の8割もあったので、個人情報保護の観点もすっ飛ばす、「監視」だったことがわかる。

弁護士事務所として、自分たちの「生き残り」のために、あっさりと認めたことは明白だけど、FBI側にその責任を転嫁させる作戦でもあろう。
それで、「歴代長官」に疑惑の目が向いていて、その先にオバマ氏が控えている構図になってきた。

つまるところ、民主党顧問弁護士事務所が民主党を裏切る可能性がでてきたのである。

中間選挙まであと5ヶ月。
その前に、アメリカ民主党は持ちこたえるのか?という歴史的事件になるかもしれない。

これは、世界秩序が変わることを意味するのだ。
アメリカ民主党と事実上の「提携」をしている、自民党の崩壊も引き起こす可能性まででてきたのである。

縄文人のアジア展開

GHQによる日本の占領目的については、国立国会図書館HPにある、『日本国憲法の誕生』シリーズにおける、「資料と解説」に、アメリカ国立公文書館所蔵の原資料をマイクロフィルムにコピーして保管してあり、これを「公開」している。

全日本国民は、少なくともこれら一連の資料に目を通すべきだ。

日本人は日本国政府をGHQによって間接支配されたため、マッカーサーが最高司令官だと勘違いしている節がある。
マッカーサーは、単なる「現場指揮官」で、ときの政権のアメリカ民主党が「最高指導部」だったことを忘れている。

具体的にいえば、マッカーサーは、「1945(昭和20)年11月1日に国務・陸・海軍三省調整委員会(SWNCC)が承認し、3日に統合参謀本部が承認した日本占領に関するマッカーサーへの正式指令(JCS1380/15=SWNCC52/7)と、米国政府の対日政策である「降伏後における米国の初期対日方針」(SWNCC150/4)とを実行せよとの命令を受けたひとだったのである。

にもかかわらず、あたかもマッカーサーが神のごとくの存在だと、戦後の日本人が思いこまされたのも、プロパガンダなのである。

「組織人」であれば、こんなプロパガンダに欺されるはずはないけれど、信じ込まされたふりをしないと生きていけないようにもしたのが、「公職追放」だったから、その悪意に満ちた「計画」は、およそ日本人の発想の外にある邪悪に満ちていた。

すまわち、マッカーサーの上位者たちが出した命令と、これを咀嚼してマッカーサーが出した命令との「合作」が、「日本占領」だったのである。

残念なことに、占領時代の日本政府こそ、正しき「行政」をやっていた。
立法府に成り代わって出す、GHQの命令「実行機関に過ぎなかった」からである。

なので、いまのような官僚が政策の企画立案をすることは、できなかったために、正しき行政、というのである。
それでもって、官僚は、GHQとの「窓口」における少数精鋭の「交渉人」となるしかなく、その少数精鋭たちが独立した後の政府を牛耳ったのである。

つまり、占領政策から置いてきぼりのわが国会は、GHQが去ってみたら、国会もそのまま機能不全のままにおかれて今に至っているのである。
国会が機能するのは、内政の小さな分野に限ることで、この「ごっこ状態」を国民から隠したのだった。

GHQの機能は、「日米合同委員会」に移されただけなので、在日米軍からの命令を引き続き窓口の少数精鋭の官僚が聴くことになったのだった。

これを77年間やっている。
その抵抗として、ようやくさまざまな分野からの議論がはじまったのは、コロナについての「変」に、国民が気づいたからである。

万事塞翁が馬、なのだ。

それでもって、「縄文時代」の研究が注目されるのは、もしや「人類最古の文明」かもしれないという説に、遺跡や遺物の発見で、信憑性がでてきたからでもある。

もちろん、GHQが作った「学術会議」は、一向に認めていないけど、その頑なさがまた「信憑性」を裏づけるほどに、ペンキが剥げてきているのも、国民には幸いしている。

縄文時代といえば、考古学と思うけれども、火山学が重大な発見をしている。
それが、7352年前の「鬼界カルデラ大噴火」だ。
これで、九州の生物はいったん絶滅していて、人間も含まれる。

正確に年数をいえるのは、若狭湾に臨む三方五湖の一つである「水月湖」の湖底堆積物が「年輪」のようになっていて、世界が認める「時計」の役割をしていて、この中に、上記噴火の火山灰が含まれることが確認されたからである。

そして、不思議なことに、約7300年前に「忽然と現れた文明」が、世界に二箇所あるのだ。
それが、「長江文明」で、もう一つが、「シュメール文明」である。

ことに、「シュメール人」だけでも、歴史に忽然と現れたひとたちで、どこからやってきたかはわかっていないし、その後も忽然と姿を消しているのだ。
なので、その「文明」もおおくは「謎」とされている。

昨今、これら二つの文明は、縄文人の移動によるもではないか?という説がいわれている。

これが荒唐無稽ではないのは、南北アメリカ大陸、それに南洋諸島、豪州大陸などから発見された「縄文土器」の「土」が、日本のものだと成分分析されているから、縄文人は「大洋航海」が可能だったとしか説明できない。

学術会議が困ったのは、これら縄文土器を各地で発見し、成分分析したのが、オーストラリアの学者だったから、国内「封鎖」ができないし、これが「机上の空論」ではなく、「科学的裏付け」があることだからなのである。

すると、これまでの常識だったことが、ひっくり返ることになる。

なんと、自然科学の分野から、人文学の(戦後の)歴史学者が作りだした物語が書き換えられようとしている。
これを妨害・阻止したいとする、学術会議は学術を無視する「政治団体」であるという本性を浮き彫りにさせている。

少なくとも縄文人は原始人ではない。

また、最新のDNA分析から、縄文人が弥生人に滅亡させられた「形跡がない」ことも分かってきた。
現代日本人までつながる性染色体の「断絶がない」からだ。

同様に、「米の遺伝子」から、稲作は日本から朝鮮半島に伝わったことも「確認」された。
もちろん、「天皇家の騎馬民族説」も、いまでは「完全否定」されている。

それもこれも、外国人学者の「縄文研究」があってのことなので、ひそかな「黒船」が、学術分野にもやってきていて、情報鎖国をつくった「GHQ体制」を壊しはじめているのである。

義経のジンギスカン伝説

「日本史」ではなくて、「国史」という分野がある。

ただしむかしは、「国史」がふつうで、「日本史」はなかった。
戦後のGHQによる「教育改革」で生まれたのが「日本史」で、「国史」は相手にされなくなったのだ。

いわゆる「学歴社会」も、GHQがやった「改革」であった。

これと、「農地改革」で小作がいなくなったのはいいけれど、そもそも小作が借りていた土地自体が狭かったので、「地主」にはなったけど喰えないための口減らしで、相変わらず子供を「奉公へ出した」のが、「金の卵」になって都市部の工場労働者になったのだった。

それで、余裕があろうがなかろうが、なんとか「大学へ」という気運は、「これから学歴社会になる」という宣伝工作のなせる技だった。
しかし、ここでいう「大学」とは、「新制大学」のことだった。

「旧制」と「新制」のちがいを、当時のひとがどこまで知っていたのかはあんがいと疑問がのこる。
それで、旧制中学と高校、新制中学と高校が混乱した。

かんたんにいえば、旧制中学が新制高校。
旧制高校が新制大学で、旧制大学は日本から消えたのだった。
理由は、アメリカ人に対抗する日本人を育成させないためだった。

そんなわけで、GHQによる日本弱体化計画の手先となった日本人たちがいて、これを、「敗戦利得者」というのである。

もちろん、意図的な「分断工作」である。
こうした手法は、典型的な共産主義・全体主義のやり口なので、GHQをコントールした、「本国」のアメリカ民主党の正体がしれるのである。

いまならもっとわかりやすく、スターリンとの権力闘争に敗れたトロツキー派がアメリカに逃げて、民主党を乗っ取ったこともわかっている。
なので、わが国の敵は、いまもむかしも、アメリカ「ではなくて」、民主党なのである。

さてそれで、ジンギスカンである。

義経がジンギスカンだという「説」は、戦前からあって出版もされている。
しかし、最初の言いだしっぺは、なんと「シーボルト」なのだ。

シーボルトといえば、オランダ人だとイメージされるが、彼は神聖ローマ帝国の司教領ヴュルツブルク(現在はバイエルン)の生まれなのである。
本名は、フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトで、名前のなかに「フォン」があるから、ドイツ貴族だとわかる。

しかして彼は、医者だとされているけれど、江戸で面会した渡辺崋山は「プロイセン政府の内偵探査(スパイ)」と言ったと書き残している。
じっさいに彼は、オランダ領インド陸軍の参謀部付「名誉少将」にまでなっている。

彼が出版した、『NIPPON:日本』(1832~1882)は、その後日本語訳も出ているけれど、「内偵探査の成果」となっていることが注目される。

そしてここに、「義経=ジンギスカン説」の記載があるのだ。

田中英道東北大学名誉教授(西洋美術史)が、先月14日に、日本国史学会で講演している動画が公開されている。

田中教授は、パリ大学およびローマ大学などで留学研究された「美術史家」ではあるけれど、ルネサンスの絵画に東洋人が多く描かれていることに注目した最初の研究者だ。

そして、絵画にある「モンゴル文字の発見」は、イタリア人研究者も驚愕させた功績で、バチカン・システィーナ礼拝堂のフレスコ画修復現場での実地研究を許された数少ない学者だ。

モンゴルによって征服されたヨーロッパ側のモンゴル研究は、戦後とまったわが国の研究とはちがって、あらゆる面に及んでいるという。
そこで、田中教授が気づいたのは、モンゴルの「体制づくりの妙」だという。

あたかも世界史に突如あらわれたモンゴル帝国も、初代ジンギスカンの時代は、「内政」のかために忙しい。
それで見つけた資料が、高麗の王が差し出した服従の手紙だという。
そこに、「天皇=朝廷」を彷彿される体制があったことがわかるのだ。

じっさいに、ジンギスカンの幼名、「テムジン」とは、「天神」のことではないのか?
なんと、モンゴル語に「テムジン」という言葉はなく、「名前」としても聴いたことがない珍しさなのだ。

さらに、源義経という漢字を、「じん・義・すかん」と読めるとも。

はたして、シーボルトの「結論」にいたる研究は、ヨーロッパ側でもやっているというから、どんなに「日本史」側から文句がきても止まらない。

このことをわれわれは、「多様性」という言葉を好む「日本史」側が、一方的に無視するか反論するなら、そこにも「二重思考:ダブルスタンダード」があると認識できるから、これがまた「踏み絵」の役割もなすのである。

そんなこんなで、義経=ジンギスカン説は、あたらしい展開を見せている。

マスク氏はWHOを買収する?

国際連盟も、国際連合も、腹黒くて野蛮な欧米人がつくった「隠れ蓑」のシステムである。

日本人は、敗戦での言論統制とその後の洗脳で、これらの「隠れ蓑」を、けっして「隠れ蓑」とは言えずに、「正義のシステム」だと信じ込まされてきた。

しかし、ここにきて世界を支配する「5大国=安保理常任理事国」のバランスが崩れて、ただの「簔」になって見えてきた。

「国際連合」が、安保理常任理事国の中華民国を棄てて、中華人民共和国に乗り換えたのは、1971年10月25日の総会決議2758号で決まった。
これからの「歴史」は、世界がしるところである。

しかし、この「決議」は、当然ながら当時の「共産諸国」と、「非同盟諸国」だけが賛成したのではなくて、常任理事国のイギリスとフランスも賛成したのである。
それで「本命」の、アメリカは翌72年に米中国交正常化をしたのだった。

つまり、露払いでお膳立てをしてから、横綱が土俵に上がるような手順になっていたことは、日本人は覚えておいたほうがいい。
これに慌てたわが国は、田中角栄首相の北京電撃訪問となったのである。
一連の「土俵入り」を、傍観していた外務省がそこにいた。

次の大変化は、「ソ連崩壊」による、「ロシア誕生」での「引き継ぎ」だ。
厳密には、「政権交代」だったので、国連での位置づけはロシアがそのまま正当な政府として引き継いだのだった。

さて、この二大変化についてかんがえれば、共通点がひとつ見えてくる。
それが、西側における「利権の確保」だ。

そもそも、西側が蒋介石・国民党を支援したのは、大陸利権の「独占」を図る日本に対抗するためであったのに、その腐敗ぶりから毛沢東に追い出されてしまったのである。

中華人民共和国建国後、毛沢東がすでに存在しない「日本帝国陸軍」に「感謝」を表明したのは、日本が戦った相手が国民党「だけ」だったことを表したのだった。

その日本帝国・陸海軍は、ベトナムからフランス人を追い出したので、戦勝国のアメリカは、「戦利品」としてのベトナムに触手を伸ばした。
これが、「ベトナム戦争」だった。

フィリピンを支配していたマッカーサーが言った、「アイシャルリターン」は現実にならず、日本軍がいなくなってもフィリピンは独立してしまって、マッカーサーは父が残した広大な農場に帰ることもできず、行き場を失っていたのだ。

ソ連とアメリカが世界を二分したように見えたので、そのソ連と敵対した毛沢東の中華人民共和国とアメリカが手を結んだのは、「敵の敵は味方」という論理からだといわれている。
北ベトナムの後ろ盾が、ソ連だったからでもある。

しかし、蒋介石・国民党のように、南ベトナムの腐敗ぶりから、結局ホー・チ・ミンに全土を取られたのは、まったく中国大陸とおなじパターンなのだ。

すなわち、アメリカはドジッたのである。
もっといえば、欲に駆られて見えなくなる、ということだろう。

それをまたまた繰り返したのが、「ソ連崩壊」のどさくさに紛れてやった「火事場泥棒」で、私欲にかられたエリツィンを騙くらかして、石油やガス利権を貪ったのだ。

これに気づいたプーチン氏が、「国営化」して、資源利権を独り占めしたかに見えたけど、利益を国民に還元したから話がこんがらがるのである。
あきらめきれない強欲なひとたちが、プーチン追い落としを図ってやったのが「ウクライナ」だ。

さてそれで、強欲なひとたちは、知らぬ間にWHOのオーナーになっていた。
アメリカがスポンサーのはずの国際機関であったものが、気がつけば「民間」が拠出する資金によって運営されている。

いまやWHOは、ビル・ゲイツ財団が筆頭の出資者なのである。

それでもって、ビル・ゲイツ氏が、WHOを世界政府にして、各国政府の上に君臨させると言っているから、「ちょっとまった!」となってきた。

「国民の健康」を最大優先政策事項としたのは、政権奪取前のナチスであった。
がん撲滅と禁煙、それに、ドイツ医学への重点的予算配分を謳い、ナチス党員のパン屋は、「黒パン」しか焼かなくなった。

「白いパン」は、食べたひとの健康を害するからである。

この「伝統」を、ビル・ゲイツ氏は、もっと「強権」をもって実現したい、と公言している。
世界人類は、あまねく漏れなく、WHOの命令に従わなければならない、と。

オーナー様のこの発言に、Twitterを買収して、ゲイツ氏と大バトルを展開中のマスク氏に、「あんたがWHOを買収したら?」とつぶやいた、アメリカでは有名という精神科医に、なんとマスク氏が直接につぶやいた。

その意味深な返信に、フォロワーたちが期待感を示している。

国家はどこへ行ったのか?
国家を超える超大富豪によるこうした動きは、完全に「中世」とかわらない。

人類社会は、中世に戻ったのではなくて、はじめから中世のままだったのではないのか?

まったくもって、民主主義もなにもない、お金持ち本人の資質と気分で左右される、「良い独裁」に期待する、すさまじい時代になったのである。