「ミロ」の販売一時休止

ネスレ(「NESTLÉ」を、むかしは「ネッスル」と自称していた)の商品(麦芽飲料)である。
世界標準の発音にあわせて、「ネスレ」に変更したけど、「ネッスル」の方が落ち着く世代がまだいるのは、この語の脳内浸透が成功していた証でもある。

「強い子のミロ♪」と宣伝されて、牛乳で溶かして飲んでいた。
ココア味で甘かった(麦芽糖なので昔ながらの「飴」とおなじ)から、そのままスプーンでしゃくって「なめる」という食べ方もあった。

あの、『男はつらいよ』シリーズで、小学校から帰ってきた吉岡秀隆演じる「三代目・満男」が、ちゃぶ台の上にある、ふりかけ(たぶん「のりたま」)を手に取ってなめながら、「寅」の話を聞くシーンがあった。
これをやらせた、山田洋次監督の細かさと「あるある」に驚いたものだ。

「栄養機能食品」がまだ珍しかったので、鉄やビタミンD、カルシウムを含むから、なんだかわからないけど「子どもにいい」ということだったのだろう。
食べる方では、「ビスコ」があった。
どちらも、牛乳と一緒、をイメージする「植え付け」があるから、ほんとうは牛乳消費キャンペーンだったかもしれない。

ミロの国内販売は1973年からだ。
この年秋の第四次中東戦争による「オイルショック」の混乱は、翌年の1月からはじまる。つまり、高度成長のピークのころだった
ただし、その2年前、1971年(「大阪万博」の翌年)には、二度の「ニクソン・ショック」があった。

・7月15日の「訪中宣言」
・8月15日の「ドル・ショック(金の兌換停止)」

つまり、万博のお祭り騒ぎから、あっという間に、世界秩序が「流動化」して、これをもって、「激動の70年代」ということになった。
それで、東欧圏の崩壊があった80年代の終わりと日本ではバブルが崩壊した90年代も、どれもが「激動」と呼ぶから、なんだか、「激動慣れ」している。

日本で発売される前、そもそも「ミロ」ができたのは1934年(昭和9年)だ。つまり、「昭和一ケタ」なのだ。
なんでも、世界恐慌による子どもの栄養不足を補うためにオーストラリアで開発されたという。

わが国では、「戦後」を否定した、『経済白書』がでたのが1955年(昭和30年)だったけど、栄養面においてはぜんぜん戦後は終わっていない。
「欠食児童」という言葉ものこっていたし、なにより「青鼻」の「はなたれ小僧」は、ふつうにいた。

「グワシ」の『まことちゃん』だって、りっぱな「はなたれ小僧」なのだ。
この作品は、1971年から途中休憩があるものの、1989年(平成元年)まで連載されている。

青鼻の原因は、栄養失調と感染症だというから、順番は、栄養失調で免疫がさがって感染症にかかり、鼻腔内で膿がたまったのだろう。
だから、「栄養」に敏感になりはじめた時代でもあった。
だれもが食えない食糧不足は改善されていたけれど、「偏り」があったということである。

それで、「栄養機能食品」が注目されたのは、もう一つ、「お手軽さ」があったからだ。
それが嵩じると、「フードファディズム」になると書いた。

興味深いのは、「ミロ販売休止」のニュースが、「新型コロナ」との紐付けをされていることである。
どういうわけか?

通勤も外出機会も減って、家庭での滞在が増えたことが、子どもと一緒に飲むようになったのだ、というし、病気に対する健康志向の高まり、とも分析されている。
ほんとうなのか?

そもそも、わが国はすでに「人類史上」レベルの少子なのだ。
まぁ、もっと深刻なのは、台湾と韓国で、韓国は特殊出生率が「1」に満たない、コンマ・レベルになっているけど。

子どもと関係するというのは、子供用飲料だという「思い込み」からではないのか?
むしろ、SNSに書き込まれた、「ミロを飲んだら体調が改善した」という、個人の感想がえらく拡散したことに原因があるのではないか?

そうでなければ、販売中止になった直接の理由、「通年の7倍」という急激な需要増の説明がつかない。

すなわち、「不安」からでた「噂」の爆発である。
この点で、専門家たちのコロナの対処と似ている。
データを出さずに、噂に対処しているからである。

自分のふだんの栄養摂取が偏向しているとかんがえるひとがたくさんいる、という「不安」の素地があることに注目した方がよさそうだ。
もちろん、これには、栄養士が指摘する、「現代の新・栄養失調」という実態を裏付ける。

すると、裏付けがあるぶん、コロナ対策よりまともではある。

カロリーは十分だけど、栄養素は不十分なことがある。
それは、「手軽さ」と「せせこましい生活」との掛け算で、ついうっかりファストフードを食べてしまう、あるいは、チェーン店での食事やコンビニ依存といった日常がつくる、「漠然とした不安」が、「素地」なのである。

いま、もっとも「不足」が指摘されている栄養素とは、「ミネラル」だ。
「ミロ」にふくまれる、鉄やカルシウムとは、ミネラルを指す。
人間が、大地から生まれた証拠だ。こうした「鉱物」を微量でも摂取しないと生きていけない。

一方で、摂りすぎの問題もある。
カルシウムやナトリウムがその典型で、かえって病気を引き起こす。

すると、生活に必要な知識としての「教育」が、不十分であることに、もっと注目しないといけない。
化学なくして栄養は語れず、理解もできない。
くわえて、情報の偏りが、社会現象になる恐ろしさもある。

「ミロ」の不足は、わが国社会の「不足」と「過剰」のバランスの異常を示しているのである。

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