議席占有率で、衆議院の61%、参議院の約半分を占める与党自民党の議員数は、284名(衆議院)+65名(参議院)=349名 となる。
制度がぜんぜんちがうし、陳腐な比較ではあるが、アメリカの連邦議会は、上院が100名、下院が435名=535名が「議席数」である。
わが国は、衆議院465名+参議院465名=930名 である。
人口は、アメリカ合衆国3,272十万人、わが国1,268十万人だから、ずいぶんと議員数がおおいのはわが国のほうになる。
ただし、上述のように政治制度がぜんぜんちがうのは、「州」というほとんど「国家」といえる地域の「連邦」がアメリカ合衆国だから、単純比較がむずかしいのである。
たとえば、日系移民だけでなく、さいきんのシルバー移民に断然人気である「憧れのハワイ」州をみると、下院51名(任期2年)、上院25名(任期4年)で、人口は13十万人ほどである。
これは、山口県、愛媛県、奈良県、長崎県とほぼおなじ人口数である。
「州」はふつうの「国家」に相当する権限をもっているから、中央政府のいいなりが原則のわが国「都道府県」とは、単純比較はできないことを強調するが、念のため各県議会の議員数をしめす。
山口県:47人
愛媛県:47人
奈良県:44人
長崎県:46人 となっている。
市議会ならどうか?
ニューヨーク市の人口は86十万人だから、わが国最大の横浜市37十万人と比べるべくもなく、しっかり倍以上あって、わが国都道府県3位の大阪府の人口に匹敵する。
ニューヨーク市議会は、定数51名(任期4年)だが連続3選禁止になっているから、2期務めた議員は4年間以上議員をはなれないと再び選出されることはない。
高校生のマーチング・バンドが、コンテストでの「全国大会金賞」受賞校が、3回連続して大会出場できないことにている。
なお、議員の基本給もきまっていて、年給で112,500ドル(約12,375千円)で、委員会の役職などで追加になる。
「市」といっても、やっぱり日本のような「弱い」自治体ではないから、単純比較はできないが、議員数と民主主義の成立には、数がおおければよい、ということではないとおもえる。
大阪府の議員数は、88名、二重行政が話題の大阪市は、86名なので、あわせるとニューヨーク市の3倍以上の議員がいる。
もっとも、議員報酬にかんしてはさまざまで、ヨーロッパにはほとんど「無報酬」ということもある。
これは、議員というものが職業ではななく、職業人が議員になる、という発想があるからである。
働かざる者喰うべからず、を追求したというより、効率に関係なく全員をなんらかの職につけた社会主義国では、職業人が議員になる、のは当然だった。
そんなわけで、むかしは、社会主義国の入国審査(イミグレーション)で、入国審査官から「職業は?」と質問されて、「議員」と胸を張ってこたえたら、入国拒否されたという笑えないはなしがあった。
「議員」は「職業」ではないという「建前」からである。
わが国に議員はたくさんいる。
国会からして、学校なみにいる。
だから、人材がいるのだろうとおもうと、そんなわけではなさそうだ。
「大臣」や「入閣」ということが、こんなにも軽いものになっていいのだろうか?
あるいは、こんなにも緊張感がなくていいのだろうか?
「五輪相」の辞任と就任は、こんな素朴な疑問をつよくする。
世間から、かくも浮き上がったひとが、国民の代表だということのいいようのない閉塞感は、「不安」という感情をよびおこす。
しかして、千葉県の当該選挙区の住人も、選挙で人材を選べない、という閉塞のなかで、だれかに投票せよといわれてしかたなく、があったのかもしれない。
ニューヨーク市のように、多選を禁止するのはよいことだ。
「休職」しているあいだによいひとが立候補してくれるかもしれない。
しかし、個人的希望をかけば、選挙で「不信任」の意志表示をしたいのだ。
信任された数と、不信任の数をくらべればよい。
トップ当選のひとが、不信任になれば、選挙はやりなおし、というルールはできないものか?
次点が当選ではいけない。
こうでもしないと、緊張感がまるでないことがどうしてもつづくだろう。
それは、人材の「枯渇」ではなくて「埋没」を促進させるのである。
企業組織においても同様の現象がある。
ひとがいない、とぼやくなら、「埋没」している人材をさがしだす努力をしなければならない。