「個体」の意味がちがう

人間には「人格」とか「個性」のうえに、「思考」をするという特徴がある。
これは、特別に前世を覚えているひとは除いて、「物ごころ」がついたときからの、連続した記憶によっても左右される。

つまるところ、死ぬまで「自分は自分」なのである。

だから、若いときの自分と、いまの自分とでの区別はできないから、ちがいはないと錯覚する。
これは、「高等動物」ゆえのことだ。

単純な生きものなら、かならず「生殖能力」と関係する。
この基礎に人間もいるので、本来ならば「寿命」に影響するはずなのだけど、豊富な食物の栄養のおかげやら、医療の高度化のおかげやらで、終わるべき人生が伸びている。

ふつう、生物は生殖能力が尽きたとき、寿命を迎えるからである。
自分の優れた遺伝子を残す、という「継続」が達成されたときに、あたらしい命がえるべき食料やテリトリー確保のために、先の世代がいなくなるのだ。

この意味で、人間という動物がつくった高度な社会システムの最高峰にある、「政治」の世界で、「世襲」が発生するのは、「生きもの」としての「本能」がはたらくからであろう。

これが、世襲ができない状況になれば、たとえば、企業における世代交代のような「血縁」とは関係ない「継投」をしなければならないとき、「好き嫌い」という選択肢が重みを増すのは、「世襲」の次にある、優先順位として当然といえば当然なのであった。

血縁に対してよくいわれる「地縁」は、じつはわが国では薄いのである。
政治家の世襲にあたっていわれるのも、「地盤」であって「地縁」ではない。
幕藩体制における「藩」の地縁を、明治以降の政府は破壊してきたのである。もっとも、「国替え」は、幕府による地縁の断絶が目的だった。

もちろん、その狙いは、二度と幕府をつくらせない、という決心にある。

それから、近代の重化学工業化にあたって、地方から長男以外の労働力を移動させて、「核家族化」を図ったので、「血縁」も薄くなってしまった。
こうして、ジャン・ジャック・ルソーがいう「アトム化」がすすんだ。

さきごろ発表された、テレビをどれほど観ているか?という調査において、10代20代は半数になっていた。
おそらく、いまわたしが10代だったら、体感的には「もっと少ない」とおもうのではないか?

「校内暴力」がさかんだった時代に現役の中学生だったけど、新聞が書いていた「全国調査」に、信じがたいほどのギャップを感じたものだ。
それなのに、おとなたちは「記事の数字に驚愕」していたのを、「?」とおもっていたのである。

さてこの調査結果に、「夕食時の団らん」でテレビを観るくらいではないか?という解説があったけど、ほんとうか?
なにやら、解説者の世代がにじみ出るような気がしてならない。
いまどき、「夕食時の団らん」など、やっている家がどれほどあるのかを調査したくなる。

そもそも、わが国の「平均世帯」は、とっくに「親子3人」になっていて、両親が共働きで当たり前なのだ。
「ウサギ小屋」といわれようが、自分の部屋があるので、子どもはネットの対戦ゲームに熱中して、刺激のないテレビなんか観ないのがふつうだろう。

そんなわけで、日常生活において圧倒的な世代間格差ができあがった。

これは、「親子の断絶」という下から上への方向が、「老人の切り離し」という、「延長」になった「はじめて」なのだ。
つまり、とっくに「敬老」という概念が風化して、たんなる「邪魔者」になりはじめたのである。

すると、けっこう「動物化」しているのである。
まさに、ルソーの理想が現実化してきた。

しかしながら、時間は残酷なので、いまの老人世代もあと20年しないで死に絶える。
いわゆる、巨大な「団塊の世代」(1947年~49年生まれ)という、特異な「市場」も消滅することになっている。

そこで、生殖能力がないひとたちが、ワクチン接種に列をなす、という滑稽が、この世代最後の「すかしっ屁」となっている。
ワクチンの危険性について、ちょうどよい人体実験なので誰も文句をいわず、本人たちもマスコミに先導されて積極的だから、これも「自己責任」とされている。

もうそこに、『楢山節考』のような切羽詰まった家族の姿もないのだ。

 

この映画で「母役」の坂本スミ子は、本業が歌手なのに、あろうことか全部の「歯」を抜いてしまった。
いまの俳優が本業で、こんなことを役のためにするひとがいるものか?
期待する観客もいないだろう。

そんなわけで、「生殖」能力を失った「個体」としての「生存」をもとめるひとたちが列をなすのはいいけれど、「生殖」をする世代とか、「生殖」がまだの世代はどうなのか?という問題は、「区別」しておかないといけない。

つまり、「個体」としても「世代の分離」を推進しているのが、コロナにおけるワクチン問題なのだ。

さてそれで、ちょっと前だけど、元参議院議員で国際政治経済学者の浜田和幸氏による、1月28日付けでの『コロナの真相とその先に潜むデータ覇権争いという新たな脅威』という記事が、データ・マックス NETIB-NEWS にあるので、ご参考にされたい。

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