「定年退職」の定義変更

従来の延長線上にあるだけなら、定年退職の定義を変更する必要はないけれど、どうやらそうはいかなくなっているのではないか?
そもそも「定年退職」が日本の雇用制度になったのは、どんな理由からなのか?
切ってもきれないのが「終身雇用」であった。

雇用者の年齢によって、自動的に「解雇」される、という制度を雇用者も受け入れていたのは、「寿命」との関係がそうさせていたのである。
いま、男性の平均寿命が80歳程度だという常識があるが、かつてのわが国はけっして長寿国ではなかった。

1950年(昭和25年)の平均寿命は58歳で、定年は55歳だったから、3年の差しかなかった。
平均だからバラツキがあるのは前提だが、定年退職して隠居すると3年で、お迎えがきたのだ。
すなわち、文字どおりの「終身雇用」だったのだ。

昭和初期までの雇用慣習は、かなり欧米型だったが、国家総動員体制、という事情から、わが国は路線を切りかえた。
しかも、いまのように、大学全入などということもなく、ホワイトカラーのエリートサラリーマンすらごくわずかで、おおくが職人だった。

当時の職人は、どこでも「腕一本」で、自分の技術を発揮できるから、会社や上司が気に入らなければかんたんに転職した。
会社に用意されている機械類も、いまのような独自の専門性を要するものとはちがかったからである。

しかし、国家総動員体制、ではそれができなくなった。
そのかわり、ほとんど死ぬまでの雇用の安定と賃金が保障されたのだ。

そして、敗戦。
旧来のものと占領軍が命じる新規のものとが、強制的に転換させられた。
このなかに、労働運動もあった。
国家総動員体制で封じられていた箱のふたが開いたのである。

年率で600%ほどのひどいインフレの経済状態だったから、賃金をよこせ、という要望は、現場労働者だけではなくエリートサラリーマンもおなじだった。
それで、労働組合は経営に対抗するための手段だけでなく、本人たちの意向もあって、経営に関わる管理職まで組合員になった。

こうして、企業別、という日本独自の労働組合組織ができた。
経営情報にくわしい、あるいは経営陣に企画提案するたちばの管理職が組合員なのだから、はげしい経営側との論争になるのは必定だった。
しかし、一方で、組合内部で管理職が「君臨する」という問題が発生した。

そういうわけで、管理職が組合から脱退するためにも、また、あくまでも会社側に忠誠をつくすためにも、雇用の安定と賃金の自動的な上昇を必要とし、これが全社に拡大したのだった。
それには、日本経済全体の拡大による個々の企業業績の好調があった。
ところが、世の中が安定して、経済が好調になると、「寿命」も伸びてしまったのである。

55歳で定年しても、「老後」をどうするのか?
すぐにお迎えはこなくなった。
これに、「年金制度」という別物がセットになった。
1980年(昭和55年)の平均寿命は、約74歳だったから、定年後20年が「老後」となった。

平成不況の時代になって、平時で経済が「縮小」するという初体験をして、どちらさまも「雇用の安定と賃金の自動的な上昇」を維持できないばかりか、削減が重視されるようになった。
それで、「終身雇用制」がやり玉にあげられ、「年功序列賃金」が「実力主義」というようになったが、本質ではなにもかわってはいない。

定年が法律で定められるようになって、その決めごとまでの期間は、雇用の安定が保障されるし、ほぼ世界標準の体系である「職務給」ではなく、「職能給」と「生活給」のハイブリッド体系だから、「実力」を正当に評価する方法がないからだ。
しかも、景気変動にともなう業務量の変化を、雇用そのものではなく「残業」で調整してきたから、「働きかた改革」が「残業改革」になっているのである。

さらに、定年したひとのおおくが、「雇用延長」という方法で、事実上「再雇用」される仕組みができた。
「年金」という別物が、支給開始年齢の先送りで、定年したら年金がもらえる、ことがなくなった。

ところで、退職金は「給与」あつかいされている。
会社が倒産すると、各種負債の清算がおこなわれるが、税金のつぎに支払義務があるのは「給与」で、これには退職金もふくまれる。

退職金という一時金をもらった、再雇用の条件は、従来のおおむね半額だというから、これは「職能給」と「生活給」のハイブリッドをやめて、「職能給」一本ということなのだろうか?
それとも、突然、世界標準になって「職務給」になるのだろうか?

そんな「定義」はどうでもよく、公務員は7割にして、民間の手本にさせるらしい。
現役に比べて何割ならいいのか?という議論でいいのか?

現役では残業代を請求できなかった「元」管理職が、再雇用されて残業代をちゃんと請求しているのかといえば、たぶんちがうだろう。
本人のプライドがゆるさないかと想像できるが、「雇用条件」の定義が説明されているのか?という疑問がさきにたつ。

再雇用であれ、はたらいていれば「現役」なのだ。
「雇用契約」という、社会で生きていくための基本中の基本が、曖昧な国なのだ。

人口減少で人件費は上昇するトレンドにある。
「定年」と「再雇用」は、安く雇う手段でしかない、で企業は成長できるのか?

高い人件費を飲み込む、高い付加価値の事業モデル構築のためには、かえって障害になることを、みずからに厳しく課して乗り越えることが、将来戦略として強く求められている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください