「ハリネズミ」は、全身の体毛が「針」のように硬く進化した動物だ。
猫や犬もそうだが、いざとなると全身の毛を逆立てるのは、敵とみた相手に自分を大きく見せて「威嚇」するためである。
ハリネズミが全身の毛を逆立てると、生きている「剣山」のようになって、敵は痛くて攻撃できないので、防衛システムとして機能する。
ハリネズミは、このシステムを餌の捕獲のためには使わない。
つまり、「専守防衛システム」なのである。
人間世界のはなしになると、「人類の歴史は戦争の歴史」といわれるように、やたらせめぎ合いをやってきたのである。
だから、ふつう、これらのせめぎ合いは、「これからもずっと続く」とみるのが常識だろう。
もちろん、そのせめぎ合いのやり方も進化してきた。
不朽の名作映画『2001年宇宙の旅』の冒頭、猿がこん棒をつかって仲間とケンカするシーンは印象的だった。
あまりにも有名な映画だけれど、「原作」は「シリーズ」になっていて、全部で4作ある。
1968年から、1977年にかけて出版された。
「道具」としての「武器」が、どんどん進化して、いまやサーバー上でのせめぎ合いもさかんに行われている。
「武器」とはいえそうもない「コンピュータ」端末を駆使して、ネット上で繰り広げられるせめぎ合いによる現実社会の被害は、じつは甚大なのである。
先日、しびれを切らしたオーストラリア首相が、サイバー攻撃をやめるようにメッセージをだした。
相手国や犯人を具体的に特定はしなかったけど、その攻撃規模と被害の大きさから、個人ではありえず、国家並みの組織力がないとできないとしている。
よく引き合いに出される「スイス」の連邦軍は、あの強大を誇ったヒトラーのドイツ軍でさえ、1センチも国境内にいれなかった実績がある。
ドイツに併合された、ちょっと前までの「神聖ローマ帝国」だった、オーストリアから、スイスに亡命をはかる軍人一家を描いたのが『サウンド・オブ・ミュージック』だった。
スイスの防衛体制は、もちろん「防衛」に徹してはいるが、相手が「侵犯」すれば容赦なく実弾を発射して撃退する実戦を想定している。
これをもって、近隣諸国は「ハリネズミ」と呼んでいるのである。
そして、スイス軍は職業軍人といまだに「徴兵」とによって支えられている。
スイスの街を歩けばみつかる仕立屋のショーウィンドウに「軍服」があるのは、徴兵されるひとが自前で注文するからで、アーミー・ナイフや軍仕様の腕時計だって、伊達で販売されてはない。
「本気」なのである。
そんなわけで、「平和国家スイス」の「平和」とは、自国防衛について徹底した「生き残り(サバイバル)」を意味し、妥協しない分、冷徹でもある。
この「思想」が、「平和産業」である、「観光業」を支えている。
「合理」ということに対する、「執念」すら感じるのである。
この意味で、わが国は、「敗戦」という結果、徹底的に「合理」から乖離した。
すなわち、現実離れという「白日夢」に遊ぶ。
先週、防衛大臣によって決定された、「イージス・アショア撤回」とはなにを意味するのか?
ほとんどまともな解説がなされていないのも、白日夢のなかに住んでいるからではないのか?
いわゆる「ミサイル防衛」の、まるで延長線上にあるのが「イージス・アショア」だとされている。
ただし、この用語の使い方に重要なひと文字が欠けている。
「核」である。
つまり、「イージス・アショア」が担保しようとした「防衛力」とは、「核ミサイル攻撃」のことをいう。
わが国の「弾道ミサイル防衛レーダー・システム」は、通称「ガメラ・レーダー」と呼ばれるレーダー・システムによっている。
大映の怪獣映画『ガメラ』の甲羅のような見た目から命名された。
本来は国家機密かもしれない、ガメラ・レーダーの設置場所は、公開されていて、全国に4カ所ある。
えっ?たったの「4カ所」。
これが、わが国「核ミサイル防衛」の「目」なのである。
あなたが敵の弾道ミサイル作戦を命じる将軍ならどうする?
この4カ所のレーダーを潰せばよいと思うだろう。
小学生でもわかる「作戦」にちがいない。
「目」を失えば、そのあとはどうしたものかをかんがえる必要もない。
それで、このレーダーの守りは?というと、「丸裸」なのである。
どうなっている?日本人の「頭」は?
マスク着用や、席数を減らす努力が簡単にすっ飛ぶ。
「やばい状態」が日常になりすぎて、ウィルス対策に奔走しているのである。
とてつもなく重要なレーダーの設置場所とはぜんぜんちがう場所に、イージス・アショアを設置しようとした理由も不明だ。
もちろん、我が迎撃ミサイルのブースターが町に落ちるより、敵核ミサイルが落ちる方がよほどまずい。
弾道ミサイルが飛行するのは、飛行機が飛ぶ10Km上空などという空間ではない。
100km単位の「宇宙空間」を飛行するから、迎撃も「宇宙空間」でする。
そんなロケットのブースターがどうして陸上に落ちるのか?
日本が核攻撃を受けやすいようにするための「暴論」とは、なにを意図しているのか?
いまだにマスクを着けている「宣伝」とおなじ手法がつかわれている。
平和産業の観光従事者こそ、ちょっと待ってくれと声をあげるべきである。