「なんでもあり」のようなふりをして、じつは肝心の「特効薬」を使わせず「備蓄」したり、外国に無償でくばるという「愚挙」ばかりをかさねる日本政府という「ならず者集団」が、こんどはありあまる予算をつかって、「押し売り」をはじめる。
いま、「観光需要の喚起」とはなにか?
この新型コロナウイルス禍という「事態」が、収束したら観光需要の喚起を盛り込んだ1兆円の補正予算を組むという。
ということは?
年度内に「収束する」と、「決めた」のだ。
誰が?
官僚たちである。
その根拠は?
「治験」がおわるからである。
すなわち、「治験」なぞ、どうでもいいのだ。
いわば、「安全」なふりができれば、あとは「解禁」するだけだ。
その間に、不運にも亡くなってしまう国民がいるのは「仕方がない」ことにする。
どうせ、自分たちのことではない。
それで、製薬会社に命令して、製造を開始させ、できたら「在庫」を全国の医療機関にくばれるように準備させておけば、だれからも文句はいわれない。
アメリカだったら、死亡したひとの遺族や、感染者から訴えられるところだが、日本人はそんなことをしないように教育しているから大丈夫だし、もしもの訴訟があっても裁判所だっておさえてあるから、めったに政府敗訴の判決などでやしない。
一審でとち狂った判決がでたところで、最高裁までやればいい。
それで、損をするのは原告だということがわかればそれでいい。
この間、役所の担当者は異動で替わって、だれもが他人事になるように人事する。
そんなわけで、収束「したら」半年間、「国内」旅行の代金を半額政府が面倒をみるという。
これに、土産物とかのクーポンもつけるというから、念がはいっている。
これぞ「観光立国」というのだろう。
これが、「政策」か?
前提になるのは「収束」であるから、だれかが「収束宣言」をださないといけない。
「緊急事態宣言」がでることを前提としているのである。
これで急いでインフルエンザ対策法を改正した意味がある。
つまり、総理は、こんな補正予算通過のために「宣言」をださないといけない立場に追いこまれたのだ。
「雪隠詰め」である。
行政権が立法権を支配する。自民党が阿呆の集団にみえる。
こんな状況下だから、観光関連の各企業は暇である。
それで、政府に頼むと給料を保障してくれるから、従業員を強制的に休ませることにした。
通常なら、このときばかりの「研修」など、ふだんの忙しさでできない教育を実施するチャンスなのだが、なにしろひとが集まってはいけない。
ふえる感染者を、宿泊産業に振ることを厚生労働省が都道府県にお達しした。
宿泊産業には、事業免許が二種類ある。
ひとつは、「旅館業法」により、ひとつは、「風営法」による。
いまは、風営法の宿泊事業は、新規に免許をださないから、もっぱら旅館業法の宿泊事業者が大多数となっている。
旅館業法の管轄は、厚生労働省で、窓口は地元の保健所だ。
風営法の管轄は、公安委員会で、窓口は地元の警察署である。
その旅館業法には、宿泊事業者がお客を拒否できる少ない例に「伝染病の感染者」がある。
宿のフロントで、宿泊者名簿に住所と名前を書かされるのは、もしもの「感染源追跡」の意味がある。
この規定はそのままだから、はたして通達の意味は何か?
宿泊事業者に、法を管轄する役所が、暗に命じているのである。
「拒否するなよ」と。
クラクラする事態である。
そして、研修といえば、復活のための準備期間として、激減している外国人旅行者を再び呼び込めるよう、宿泊施設などに「通訳案内士」を講師として派遣して、外国人旅行者の接客方法などをアドバイスするのだと。
いわくつきの「通訳案内士」資格だと前に書いた。
国家資格でありながら、無資格であろうがだれでも料金をとれるようにしたからだ。
ここで、資格保持者にわびを入れるのかなんなのか?
借りを返すような施策をやる。
どんな「需要」が宿泊産業にあるのか?ではないことが重要なのだ。
役人の都合が先だからだ。
こういうのをふつう、「押し売り」といった。
「需要」があろうがなかろうが関係ない。
それでも「予算」がつけばそれでいい。
「ただ」なんだから、講師を受け入れろといえば、なんだか「拒否」できない。
感染者は拒否できても、役所の意向は拒否できない。
それで、どちらも受け入れるしかないとかんがえる「常識」がある。
むしろ、一回見捨てられた、「通訳案内士」が、これを「拒否」したらどうなのか?
また、宿泊産業の経営者たちも、こんなアドバイスではなくて、経営にまつわるアドバイスがほしいといわないのか?
もしや、経営にまつわるアドバイスはどんなものか?をしらないかもしれない、という「まさか」まで、コロナウィルスがあぶり出している。