少年には理解が難しい、大人の「女心」、しかもフランス人という得体の知れないひとの話だから、どうもしっくりこない物語だった。
これを、出版社が自社文庫本の『100冊』に挙げていたので、順番に読破しようと試みて、全体が崩壊したことにつながった。
読者層として、10代前半には、やっぱり難しいけど、しっくりこない理由の大きな前提が、まず「離婚している」ということと、互いに干渉しないという約束の意味が、ほぼ半世紀前の少年には無理だった。
今ならどうか?と問えば、「追いついた」一種の不幸がある。
フランソワーズ・サガンの小説『ブラームスはお好き』のことである。
発表は1959年、日本で文庫になったのは、わたしが生まれた年の1961年である。
なお、同じ61年に映画化されたタイトルは、『さよならをもう一度』。
イングリッド・バーグマン、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンスという顔ぶれもいいけれど、ブラームスの交響曲第3番第3楽章の「甘美な曲想」が、なんとも言えず印象に残る。
ブラームスの四つの交響曲は、奇数が「明」で偶数が「暗」であるけど。
そんなわけで、わたしは、ブラームスはお好きである。
いわゆる、「ドイツの3B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)」は、確かに「安定」の凄みがある。
とはいえ、西洋音楽とはドイツ音楽のことではない、というもっともな主張があるのは、「バランス」という点でもありがたい。
ついでにもう一つ、フランスとドイツの「犬猿の仲」を考えると、妙にストイックなフランス人が、そのストイックさをとんがらせたのは、映画『無伴奏シャコンヌ』(1994年、フランス、ベルギー、ドイツ合作)であった。
なんだか、山本周五郎の『虚空遍歴』のストイックさと似ているから、フランス人はあんがいと日本人に発想が似ているやもしれぬ。
潜水艦が売れないからと大使を召還するのも、気分は戦前の日本人と同じだ。
「英米」との異質感がここにある。
ソ連が崩壊するまでは、「近代経済学(近経)」と「マルクス経済学(マル経)」が、バランスよく「対峙」していた。
わが国の「大学受験」で、経済学部入試に数学がないのも、経済学という業界でマルクス経済学者たちが君臨していた「おかげ」であった。
そんななかで、颯爽と登場した数学の天才、ポール・サミュエルソンは、経済学に「数理モデル」を持ち込んで、数々の理論を打ち立てた。
これで、経済学は一種の「応用数学」ということに陥ったのである。
それで彼の業績は、「新古典派総合」に集約されて、社会主義と資本主義のいいところどり、に行きついてしまった。
「ノーベル経済学賞」という賞はないけれど、サミュエルソンを顕彰したいというひとたちがいて、「スウェーデン国立銀行経済学賞」をつくってこれを「ノーベル経済学賞」と言っている。
そんなわけで、サミュエルソン以降の経済学は、「アメリカ経済分析学」ということのみならず、「数理モデル創作学」になって、アメリカ以外の国の一般人の役に立たないものに変容した。
これを、ストイックにフランスの経済学者トマ・ピケティは皮肉っている。
しかしながら、そのフランスは、若き社会主義者マクロン氏を大統領に選んで、フランス革命の恐怖を再現しているし、庶民はますますフランス革命の間違いに気づき始めた。
翻ってわが国では、「お上」とか「お国」という、江戸時代から敗戦までの感覚がみごとに残存している。
「産業報国」の概念が経済界の正義だから、「滅私奉公」こそ言わないけれど、これを「よし」として企業経営をやっている。
一般人は、「お国」こそ忘却したが、却って「お上」の言うことに従順なのは、経営者の安易を見抜いてその救済を期待するからである。
しかし、「お国」という実態ができることは、「予算配分」でしかない。
つまるところ、おカネの使い方、だけなのだ。
本来ならば、政治家が政治として差配するものではあるけど、日本では優秀な頭脳の役人が緻密な配分を計画するので、政治家の出る幕がなくなった。
ならば、そんな使い方でいいのか?となると、誰にも、どうにも止まらない、山本リンダの歌のようになっている。
そうなると、庶民がこれを制御する方法はただ一点。
「減税要求」に絞られる。
役人が使える予算を、最低でも「税収を減らす」ことで、削減する試みだ。
それでもって、こないだの横浜市長選挙では、8人の候補のうち1人だけが「減税」を公約していた。
しかし、横浜市民は、「減税はお好き」ではなくて、むしろ「増税」を予感させる野党候補を選んだ。
実際に、「減税」を主張した候補の得票は、7位であった。
横浜市で減税とは?というひともいるかもしれないが、当然に地方税のことである。
かつて、社会党飛鳥田市長時代に、「増税」をして、港があったことからの貿易会社などが、本社を東京に一斉移転させて、横浜市の「空洞化」が実行された。
こんなことを知っている横浜市民が小数派になって、東京のベッドタウンとしての、稼ぎは東京人が横浜にたまたま居を構えている状態になった。
では、国税も、「減税はお好き?」と聞いたら、もしや年金のための増税がいい、と言い出しかねない。
その分を、自分で積み立てることを億劫がるのだ。
役人天国になるわけである。