こういう国なのだから、しかたがない。
だったらちゃんと、「産業優先」であるといってほしいものだが、それも「あうん」の呼吸でわかるだろう?とにやついた笑顔で返されそうだ。
「空気を読め」と。
しかし、そうはいっても、いわれてみないと気がつかないひとはおおい。
「産業優先」のなにがわるい?と開きなおるひともいるだろう。
自分たちが食べていけるのも、会社あってこそのこと。
だから、会社が優先されるのは、当然だし、それこそが効率のよい経済をつくるのだ、と。
昭和の時代はそうだった。
平成の時代は、なんか変だ?と気がついたが、なにが変だかわからずに終わろうとしている。
つぎの時代の、どのへんで気づくのか?あるいは気づかないまま、またつぎの時代を迎えるのか?
「産業優先」が国是の国だから、国家行政の官庁も、「ほぼ」産業優先をむねとしている。
「ほぼ」というのは、消費者庁という「異端」が存在するからである。
これに、資本主義の擁護者「公正取引委員会」がある。
消費者庁ができたのは、2009年のことだから、まだ十年たっていない。
その消費者庁が、日産の燃料不正表示を「景表法」で取り締まり、課徴金をとろうとしたら、産業優先の「総務省」の第三者機関「行政不服審査会」が、厳しすぎるといいだした。
それで、消費者庁が折れた、というはなしである。
「行政不服審査会」の発想は、企業への「公平さ」重視だ。
なんのための、誰のための「不正」だったかにさかのぼれば、自分たちのためであって、消費者のために不正をしたのではない。
その「不正」を「公平さ」で審査する、というから、どうかしている。
企業論理が優先されると、消費者がきらって買わなくなることもある。
産業泰明期のむかしや、ソ連圏なら、一品種一社しかないので、消費者は選択ができなかった。
それで、競争がうまれるか、競争を否定した経済圏では、物がなくなった。
だから、公正取引委員会が、資本主義の擁護者となる。
それを、商品「表示」という分野で見張っているのが消費者庁だ。
どんな事情が企業側にあっても、消費者が「不正な表示」をみて購入したなら、それは「不公正」なことである。
「行政不服審査会」のメンバーは、自分で買い物をしたことがないひとたちではないか?
企業には「厳しすぎる」けれども、それを克服してこその企業活動であって、それこそが「競争」に勝つための原動力ではないか?
もはやとっくに、外国企業との競争をしているのに、国内だけで解決できるとかんがえるのは噴飯物である。
これを「時代錯誤」というのだ。
さいきんのホリエモンこと堀江貴文氏の発言に、「日本政府に税金払うよりアマゾンに払ったほうが生活豊かになる」とあったが、まさにそのとおり。
日本国政府の税収と、日本国民の生活感が乖離している。
政府の税収がふえても、日本国民が豊かさを実感することができないのは、すべてに「公平さ」を追求しようとする、官僚の思考、そのものが原因だ。
ソ連の官僚の努力が、そのまま日本官僚の努力になっている。
「平成時代」とは、ソ連型経済を維持し、崩壊へとすすむ道筋を確固とさせた時代である。
アマゾンが日本国に税金を支払わないことは、もはや国民にとって重要ではなくなった。
むしろ、アマゾンが米国本国や日本以外の国でおこなっているサービスが、わが国のさまざまな規制(もちろん既得権益)にさまたげられて、実行されないことが、日本人を不幸にしている。
たとえば、書籍販売というかれらの「本業」から派生した、電子書籍のダウンロードに「家族登録」が日本ではできない。
実物の書籍であれば、一家で回し読み、はあたりまえなのに、電子媒体となるとそれが規制されるのは、まったく消費者の事情からは不公平である。
友人との本の貸し借りも電子書籍ではできない。
しかし、期限を設けるとか、貸し出したらデータも移転するなりして、貸した側の閲覧ができなくなるなどの「電子的処置」が可能であれば、本物の本なら返却されないというリスクも、電子版ならないだろうから、便利このうえないはずだ。
出版不況の深刻さは、著作権が保護されすぎている、ということにも原因があるのではないか?
「本を読む習慣」すらうしなえば、販売という問題だけではすまされない。
その道の利権擁護に官僚ががんばると、きしんでしまう典型だ。
著作権益はちいさなお金ではないが、もっと大きなお金をうむはなしを自ら放棄していないか?
口では「電子立国」とか、「観光立国」とか、かっこいいことをいうが、実態は「既得権益『保護』」ということしかしないから、いつまでたっても経済はよくならない。
データをはやく転送できる技術「だけ」をもって「電子立国」というから、メモリー事業で失敗するのだ。
この国からデータのつかいかた、利用方法に画期がうせたのは、消費者優先という思想の欠如があまりにもおおきい。
すべての産品は、最終的に消費者が消費する、というあたりまえを忘れたすがただ。
「産業優先」こそが元凶であると、野党に期待したいが、かれらの面々を想像するだに希望がなくなる。
あと数日の今年にはムリでも、せめて来年は話題にだけでもなってほしいものである。