自分のなかに、「自浄」する能力をどの程度持っているのかは、生命なら「免疫」とか「再生」とかでしてしられる機能がある。
人間にはさすがに「トカゲ」のような、シッポや手足を失っても再生することはできないけれど、それなりの能力は持っている。
これを、人間がつくる「組織」とか「社会」にあてはめると、「自浄作用」がどれほど機能するかで、その「組織」や「社会」にとっては、継続性において決定的要因にもなるものだ。
そこでたとえば、「組織の設計」をする場合、面倒でも「牽制しあう」ような部署をわざとつくって、組織全体でみたときの「自浄能力」を持てるようにかんがえるのが「ふつう」だった。
もちろん、そんなふうにかんがえることができたのは、「人間洞察」という能力が、「設計者」にあったからである。
しかしながら、「効率化」ということが、あたかも世間の重大問題になって、影響された「株主」からも言われるようになったり、それを横目でみて「先手」を打つことが、まるで優秀な経営者のやるべきこと、になってしまって、「牽制しあう部署」の存在が「ムダ」にみえた。
こうして、いつの間にか(ほんとうは、必然的なのだが)、組織から自浄作用が失われて、いろんな「問題」が顕在化するようになると、今度は、「第三者委員会」とか、「内部監査室」とかという、「これ見よがし」でかつ、二重行政にもなりかねない「ムダ」を正面きってやることで、もう「ムダ」とは思えなくなったのである。
それでたとえば、「専門家」からなる「第三者委員会」から、「組織運営における牽制を意識すべき」とかなんとか指摘されるのである。
これは、「第三者委員会」としては、「当然」の提言だ。
なぜなら、「牽制」を意識した「組織設計」をしなくなったからできた「委員会」だから、自分たちの存在意義を強調しないといけないし、だからといって、「牽制しあう部署」をつくる組織設計をこのようにすべき、と具体的にはいわない。
そんなことを言ったら、「委員会」が「ムダになる」ことがバレて、もっともらしいことを言っていればもらえる高い報酬を得ることができなくなるという、「自己防衛」の作用がはたらくからである。
バブル崩壊期をもって、日本の資本主義も「崩壊した」のは、その後の「欧米」、特にアメリカの民主党や共和党主流派の「金融資本主義」に、染め変えられたことが大変重要なのだ。
もちろん、金融資本主義の本質は、「グローバリズム」にあるけれど、金融業という虚業が実業界を「支配する手段」が、「株主資本主義」として、別の仮面をかぶったのである。
つまるところ、企業が発行する株式をたくさん持ってさえすれば、その企業体のすべてを支配できる、ということの「怪しさ」なのだ。
この「すべて」に、従業員という「人間」も含まれる。
すると、少なくとも日本における「格差社会」の元凶は、グローバリズム=株主資本主義の「蔓延」あるいは、アメリカからの「感染」であるといえる。
それは、「バブル以前」のわが国企業が、「従業員資本主義」だったことを思い出せばすむことだ。
資本主義の勃興期、もっとも盛んになったのが「線維産業」だったのは、資本主義発祥の英国からして、どの国でも「同じパターン」を繰り返したのは、「蒸気機関」と「人間の手」を要しての「大量生産」だったからである。
今様にいえば、「ハイブリッド」だ。
それで、家庭内にいた女性を大量に採用したのは、人件費が男性より「安い」という理由だけでなく、作業自体が「軽微」の坐り仕事だったこともあった。
わが国の「紡績工場」では、たとえば京都府綾部市に発祥の「郡是:グンゼ」にみられるように、あるいは、厳しい「労働争議」となって結局廃業した、「近江繊維」の初期には、社内に学校まで併設したのは、「親から預かった子供を立派に育てて、再びお返しする」という思想があったからである。
蛇足ながら、この当時、女子の教育という発想自体が農家の親には欠けていた、という事情も、十分考慮すべきことである。
こんな、歴史的背景があるから、いまでも日本人経営者の多くは「人材こそすべてにまさる宝」とかなんとか、ふつうに発言するひとはたくさんいるけど、それがなんのことかを「実行して示す」ひとはいなくなって、「社内密告」を奨励するしかないのである。
ほとんどの企業で、従業員から経営者になるのに、いったいこれはどうしたことか?
人間洞察をしないで済む、という過保護な「育ち」が、就職してからも続いたからだ。
むかしは、そんな「欠格者」を、「父っちゃん坊や」といって笑いものにしたけれど、とっくに「死語」になったのがその証拠である。
そんなわけで、「自浄作用」をどうやって組織に「埋めこむ」のか?
「数字に現れない」からやらなくていい、ではなくて、かならず「数字になる」ことでもある。
おそらく今後、個別企業の生産性を吟味する必要から、これを「数字化するための新しい会計」が開発されるはずである。
それがまた、株主資本を増やす要因の分析に必要だからである。