「お年頃」という表現は、人生のなかで、「思春期」を迎えて、いよいよおとなの仲間入り間近だということを指したのだろうけど、どんどん広く扱われるようになったのには、ふたつの理由があるように思える。
ひとつは、おとなびた女子が、早くから色気づいて、高校生ならもう化粧をはじめるのがふつうになってきたことがある。
これには、初潮がはやまったことも関係があるはずなので、あんがいと「生理的」な欲求のあらわれなのだろう。
すくなくとも、わたしが高校生のころに、化粧をする同級生の女子はみかけなかった。
それだから、いい歳のジジイになったかつての男子が集まると、「スッピン」だった当時の女子の方がいまよりずっと可愛かったという評価でまとまるのである。
それでもうひとつが、そんなジジイたちの精神年齢が若い(阿呆化)ために、いつまでも子供でいたいという精神病理が作用しているとおもうのである。
これは特に男性にある傾向で、「永遠の青春」とかといって、若者ぶることは昔からあった。
ある意味、「老い」を意識すると、「そんなはずはない」という戸惑いから、だんだんと死への恐怖がつのるからではないのか?
なにしろ、男の構造は、「痛み」に弱いので、陣痛に耐える構造になっている女性とは、比較にならないほどつくりがヤワなのである。
そんなわけで、血液検査をする「お年頃」になると、たいがいのひとは、なんらかの病気にさせられるのである。
医学の進歩とは、一種の「病気の生産」のようなもので、あたらしい病気をつくりだして、その治療法とは、これまた「投薬」という方法をとっている。
国民皆保険の良し悪しで、薬代も保険適用されるから、あたかも支払の場面では、「割引=負担割合」があるように見せて、ほんとうはバカ高い(公的)健康保険料を天引きされている。
アメリカ人にはこれが、「ない」から、ほんとうに必要な薬が高価で買えない、という問題と、余計な薬は買わないということとが並立している。
どっちがいい?ということを、面倒だからとかんがえなくなったのが日本人で、いまや、「タダほどいい」という乞食集団になってしまったのである。
なんやかや「貰える薬」でも、一部、たとえば、「湿布薬」とかは、とうとう除外されることになって、ほしいひとは自腹で購入することになった。
それでどのくらいの、「保険料の節約」になったかはしらないが、どうでもいいはなしだ。
医者が処方する薬を処方薬局で買わないひともいるだろうけど、「処方箋発行」にすら、「医療点数」がつくから、処方箋は強制的に買わされている。
それで、処方された薬とは、ぜんぶが「対処療法」なのが、現代日本の医療制度となっている。
すなわち、根本的に治す薬なんてこの世に存在しない、ということを、患者たる現代人は全員忘れさせられている。
この意味で、かつての人気韓国ドラマ、『宮廷女官チャングムの誓い』(NHK、2004年~2005年)で、「女医」となったチャングムのセリフは正しかった。
「自分の身体を治すのは自分だけです」。
つまり、予防ですらなく、いかにして健康を保つのか?がもっとも重要なのはいうまでもない。
しかしながら、国民皆保険では、国民が健康になると、医師が困る(収入が減る)ので、国民を健康にさせるよりもなるべく病気にさせて、対処療法にだけ集中するのである。
だから、「健康増進法」(2002年)といった、ほんとうは「禁煙法」のウソとか、「健康日本21」とかという国民運動の欺瞞は、国民を不健康にするための活動だとして、冷静に見直すと、変なことをやっているのがわかる。
そんなわけで、とっくに「お年頃」になって久しいので、ずっとあった「高脂血症」なる病に、ふと観たネット情報から、「酒粕」を食べてみることにしたのである。
子供のころ、酒粕を溶かしてつくる「甘酒」はよく飲んでいたけれど、砂糖をいれるのは抵抗がある。
仕方がないので、そのまま「食べる」ことにした。
晩酌で焼酎をたしなんでいたけれど、酒粕自体にアルコールがあるから、「食べる酒」として、アルコール飲料は飲まずに、麦茶などで流し込むことにしたのである。
これでも結構ホロ酔い気分になる。
ひと月やったら、血中脂質にかかわる「数値」が、30代以来はじめて、ぜんぶ「正常値」になった。
酒粕の主成分は、難消化性タンパク質で、米の炭水化物(でんぷん)のおおくは、発酵によってアルコールになって「酒」となるから、そのカスには、麹やらが生きていて、こんにゃくと同様にお腹の掃除をしてくれるという。
こんにゃくやゴボウとかは、水溶性食物繊維だけど、酒粕はタンパク質なので、清掃の仕事としては体内にある余計な脂質をスポンジのように吸い取る働きをするそうな。
おそらく、胃酸で死滅するヨーグルトよりも「お腹にいい」にちがいない。
そこで、にわか酒粕マニアになった。
スーパーはしかりだが、造り酒屋のオリジナルを改めて食べてみると、その風味がちがうのである。
酒の原材料から、25%が酒粕になるというから、じつは酒粕の方が貴重なので、そのうち酒を捨てて、酒粕が欲しくて酒造りをするようになるかもしれない。
酒の味がちがうのだからあたりまえだけど、これは「はまりそう」な予感が、もうはまっているのである。