世にいう「ポイント」や「スタンプ」のカードもおなじである。
前に、顧客カードで財布が膨らむのがいやだ、と書いた。
だから、「お得なポイント・カードをお作りしますか?」とお店のひとにいわれたら、断ることにしている。
それで次回から、「カードをお持ちですか?」とレジでいわれて「ありません」といえば、ポイントが付かないことで、妙に損をした気になるのである。
それでもこの手のカードを持ちたくない。
財布以外に、「カード入れ」を買って、そこに様々なカードを入れたら、驚くほど入りきれずに「膨らんだ」ことがある。
多分使わないだろう、と持ち歩かずにカード入れに保管していると、なぜか、財布にない状態で当該店舗にて買い物をしてしまう。
それで、「ポイント・カードをお持ちですか?」といつものように聞かれて、「忘れた」とこたえると、レシートにポイントを書いてくれる店と、その場で権利落ちの店とに分かれる。
レシートにポイントを書いてくれる店は、このレシートとポイント・カードを持ってくればポイントを付与しますというし、場合によっては2週間以内とかの条件が付くこともある。
ポイント付与しか用事がない店にわざわざ行く気がしないから、たいがいは「権利放棄」するのである。
それでまた、思い出しては「損をした気になる」のである。
つまり、「お得なポイント」とは、お店にとっての「お得」ばかりで、客にとっての「お得」はない。
いつ気分で、買い物するかわからないからといって、あのカード入れをふだんから持ち歩くのは、獲得ポイントに見合わないと思うからである。
それでも財布には何枚か入っている。
だから、当該店舗のレジ前で、トランプのカードを自分で引くようなことをするのだ。
家電量販店は、「ポイント・サービス」として、たいがいが「スマホ・アプリ」にもなっている。
それでも「カード」を持ち歩いているのは、スマホを「読み取り機」になるべくかざしたくないからである。
残念ながら、「アプリ」をダウンロードしたときに、認証しないといけない「利用規約」をしっかり読んでいないから、自分がなにを「許可した」のかが自分でわからないままなのである。
これは、「LINEの話」でも書いたけど、利用者はその「リスク」を認識してはいないから、「安心して」利用しているにちがいない。
すると、企業がさまざまなサービスを「LINE」を媒介して行うことの、「社会的責任」をどうかんがえるのか?
LINEユーザーがたくさんいるから、自社のマーケティング上、LINEを介したサービスを提供する、という発想では、「順番」がちがう。
自社の大切な顧客の個人情報が、プラットフォーム提供者にも「抜かれる」ことの重大性を鑑みれば、企業としてそのような手段を選んで、顧客に使わせていいものか?になるからである。
しかし、いまの「法務部」は、企業にしろLINE側にしろ、顧客自身が、「利用規約」を「読んで」から、「許可ボタン」をポチっていることをもって、利用者の「自己責任」としているのである。
これをまた利用者が、「しらない」という「暗黒状態」なのである。
つまるところ、やっぱりぶ厚くなる「紙のカード」同様に、たとえスマホ一台の携行で済むにせよ、客が損をする構造になっている。
支配と被支配の関係が、こんな身近なところにもあるのだけれど、被支配者の「企業への信頼」が、自身を無防備にさせているとは。
しかし、一方で、自分の個人情報なんて「どうでもいい価値なのだ」という割り切りだって、「あり」なのである。
それなので、レジでスマホをいじって「なんとかPAY」を決済手段にしているひとを、わたしは眺めているのである。
確信的か無知かのどちらかだけど、もちろんわたしには関係ない。
ところで、こうした決済手段が「増える」ことは、店舗側にも負担になる。
それでもって、対応機器を設置した店舗側に、どんな情報が提供されるか?が、なぜか無関心のばあいがある。
これは、「満願」となったスタンプ・カードを差し出せば、商品交換できるようになっている「紙のスタンプ・カード」にもいえて、ここに「個人情報の記載」を求めないことが多いのだ。
もちろん、その情報をなにに使うのか?とか、得た情報の管理とか、店側の負担になるような説明表記をしないといけないのが面倒だ、ということもあるだろう。
けれども、せっかくのスタンプ・カードが、商売にとっての「無料券」に転換される「だけ」でいいのか?という疑問もあるのだ。
たとえば、「満願」になるだけ通ってくれたお客様の、せめて「苗字だけでも」欲しくないのか?
あるいは、「市町村までだけ」の住所とか、あるいは、地方や郊外立地ほど、駐車場にとめた自動車のナンバーと「お名前」の情報連携とか。
政府は、「DX:デジタルトランスフォーメーション」なる、横文字をつかいたがって、予算をばらまいて利権化したいのだろうけど、紙のスタンプ・カードの情報利用だって、十分立派な「DX」なのである。
せめて、名前で呼ばれるとうれしい、を実現してほしいものなのだ。