【900本記念】 建国の賢人たち

本ブログも今回でちょうど「900本」となる。
「時節柄」を含めて、せっかくなので記念になるようなことを書いておく。

国家をどう「デザイン」するのか?
これは、「めったに立ち会えない」ことである。
新規に国をつくる、というような土地も地球にはもうないので、あとは、「体制転換」という変動時しかチャンスはない。

人知のしれぬところなら、ミカンの皮がズルリと回転するような地殻変動でも起きて、南極大陸が南米大陸の位置になったら、氷河が溶けて、温暖化ガスを警告するひとたちがいうよりもっと強烈なスピードで、海水面が上昇して、いまの文明発達地域が水没するやもしれぬ。

でも、これでは「体制転換」どころではない。

「人造国家」とは、歴史の成り行きで出来上がったのとはちがって、人間の思想によってわざわざ建国された国をいう。
たいがいが、「革命」という言葉がついている。
古くていまでは異質なのが、「名誉革命」と「清教徒革命」だ。
どちらも、「専制的な王権」を倒して、「議会」をつくった。

専制的な王権を倒して、専制的な体制にしたのが、「フランス革命」で、これから、「ロシア革命」に発展する。
これらは、社会主義・共産主義という思想でできた「人造国家」である。

一方、清教徒革命の流れから、アメリカ合衆国ができるから、こちらは、「名誉革命」の遺伝子も内包していて、フランス革命とは一線を画す。
だから、米ソ対立というのは、それぞれ出生の系統が異なる「人造国家」同士の戦いだった。

アメリカ合衆国という国は、以上の意味からも「実験国家」だ。
その設計思想は、あんがい深い。
だが、人間のかんがえはたいしたことがない、というピューリタンの信仰を基礎とするので、困った時の神頼みを本気でやることも、設計の内にある。

この国の根幹をなす文章は、『独立宣言』ということになっている。
でも、不思議なことに、独立宣言とは「ちがうこと」がツラツラ書いてある、『合衆国憲法』が別にある。
この中間に、「建国の父」でもある憲法起草者たちが憲法を直接解説した、『ザ・フェデラリスト』がある。

日本語で読める研究成果の多くが、なぜか『独立宣言』ばかりで、『合衆国憲法』の解説書がほとんどないから、『ザ・フェデラリスト』の日本語訳は貴重なのである。
ただし、いかに「憲法」とはいえ、「有効」にして「作動」させる人間の意志がないと単なる作文になる。

もしや、アメリカがつくった、『日本国憲法』と、『合衆国憲法』が、あまりにも「ちがう」ので、これを隠蔽するためか?と疑いたくなる。
『日本国憲法』は、『独立宣言』の思想を基盤にしている、ということで済ませれば、なにかと都合がいいとかんがえるひとたちがいるのだろう、と。

それに、「有効」に「作動」させる意志が本気で、政治家や役人にあるとは思えないこともある。

もっかの重要事は、アメリカ大統領選挙のゆくえだけれど、どうしてこんなに「いい加減な選挙」がおこなわれているのか?と嗤う日本人が大勢いる。
とくに、地上波では、これを喧伝するから、やっぱり観ない方がよい。

日本は極東の小さな島国だという思い込みだって、単なる思い込みなのは、世界共通の認識が、「国連海洋法」という国際法のおかげで一変したからだ。
これは、「条約」なので、国会の批准が必要だ。
わが国は、1996年に批准して、世界第6位の面積となる「大国」になってから、すでに四半世紀がたつ。

小学校で、どんなふうに教えているのだろう?
とっくにわが国は、「お隣の大陸にある大国」よりも、「ずっと広い」のだ。
ただし、ほとんど陸地がない海洋が対象面積なので、「国境警備」は陸地より困難をともなっている。

アメリカ合衆国は、「西部劇」にあるように、原住民の虐殺をしながら、最初の東部13州から拡大した。
最後のハワイ王国をどうやって滅亡させて「領土」にしたかをしれば、ハワイに遊びに行く感覚になれない。

その前のアラスカは、ロシアから金銭で購入したので、まだ「まとも」だ。

13州の面積に比べれば、中西部や南部から西の州が巨大なのは「征服」の歴史からみればよくわかる。
それに、州境が直線で、アフリカや中東の国境に似ているのも、影響する人間がいないから地図に線を引けたのだ。

ほんとうは、「合州国」なのだけど、「衆」なのは、建国思想によるからで、「州」との「連邦」だから、日本的には幕府直轄地がワシントンD.C.だけの各藩に似ている。

アメリカ人の発想が、「性善説」的なのは、いまの日本人にはいい加減にみえる選挙でわかる。
逆にいえば、いまの日本人は、「性悪説」に立っている。
これは、事務はきっちりするという「官僚」の性質によるもので、日本人本来の性質ではない。

手間を惜しまずきっちりするのは、美徳ではあるけれど、行き過ぎると「息苦しくなる」。
これが、経済成長にともなって、カビのように民間部門に浸透しながら、役所仕事が完成されてできた、息苦しさの正体ではないのか?

ほんらい役所仕事が、粗くて適当でもいいのは、「性善説」で成り立つ社会だからである。
つまり、適当ゆえに自由で、それが効率的なのだ。
アメリカ人にはピューリタンの信仰があるから、これができる、ともいえる。

我々日本人にも、性善説の時代があった。
それで成り立ったのは、だれもが「正直」だったからである。
「正直者が馬鹿を見る」は、恥ずかしいことではなかったし、正直者に馬鹿を見させた側が、みんなから白い目で見られて「恥」をかいた。

いまは、正直者が損をする、になって、正直者が馬鹿になった。

アメリカ大統領選挙で起きているのは、建国基盤の宗教を否定できるひとたちが集まって、正直者に損をさせ、嘘つきに得をさせるという価値観が臆面もなく現出したことだ。
つまり、彼らの価値観への「反乱」だ。

これを防ぐ方法を、賢人たちは「制度」の中に仕込んでいる。
はるか以前に、「想定」できたのは、人間理解の哲学があってのことなのだ。
だから、彼らの混乱を、そのまま「嗤ってはいけない」のである。

むしろ、我々日本人が失った哲学が問題なのである。
すると、哲学なき国家という「人造国家」=「枠だけあって中身がない国」に住んでいることになって、人類史では、滅亡が約束されている。

アメリカの危機ではない。
日本人の深刻な危機なのである。

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