きれいな瀬戸内を汚す法律

高度成長期、公害が社会問題になっていた1973年に制定されたのが「瀬戸内海環境保全特別措置法」である。

子どものころ、「赤潮」が大量に発生して、広島の牡蠣の被害がずいぶんとニュースになっていた記憶がある。
流通網がいまのようになっていなかった当時、横浜のわが家では、生牡蠣を食べることなんかほとんどなく、せいぜい鍋やフライだったのは、母が好物ではなかったからだろうか?なぜか記憶に薄い。

「水俣病」や「イタイイタイ病」もあったし、関西では関東で珍しかった「米ぬか油」のPCB汚染もあった。
静岡県の田子の浦のヘドロ問題とかも報じられたけど、わたしの地元に流れる帷子(かたびら)川が「日本一」汚いと認定されて、悪魔的な子どもの間では「自慢」だったこともある。

上流の捺染工場からの色彩豊かな水とか、化学工場の排水やらで、なんともいえない鼻腔にまとわりつくようなケミカルな臭いがあった。
よどんだ流れを眺めれば、あめんぼうが水面を駈けているのかと勘違いするほど、メタンかなにかのガスが湧いていたりもしたものだ。

それから、工場群が移転して、浄化がすすんだ。
しらないうちに魚が棲むようになって、カモメも飛来したし、あの有名なゴマ・アザラシの「タマちゃん」もやってきた。
それでも、人間がこの川で泳ぐまでには至っていないから、適度に汚染されたままでいる。

わたしが初めて瀬戸内海をみたのは、中学校の修学旅行で岡山に行ったときである。
岡山、倉敷、奈良、京都という豪華さで、横浜市の中学校では初めての岡山県入りが記念されて、駅前の空き地(いまはJTBの支店ビル)で、ミス岡山から花束をいただいた。

宿泊したホテルは海に面していて、夜になって窓からは湖とおぼしき静かな波打ちが見えたけど、飛沫がやけに光って見えたのをじっと観察していたら、それが小魚の大群だったので驚いたものだ。
江ノ島の海岸では、こうはいかない。

瀬戸内海にだけ適用する、冒頭の法律があったことはしらなかった。
ところが、こんど、地域を指定して、「汚染させる」ことを狙った法律に改正するというから、驚いた。

きれいになりすぎて、海苔や魚が獲れなくなった、という。
漁業者には深刻な、海水の栄養不足が原因だという。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」とも、「白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき」が妙に連想される、人間のムダあがきがある。

イスラエルとヨルダンの国境に、「死海」がある。
むかし、一人旅してここで泳いだことがある。
泳ぐなら、真水シャワーがある有料の施設にするようにいわれたのは、日本の海とは塩分濃度がちがうから、あがる度にその都度ちゃんと真水で洗い落とさないと全身がヒリヒリすると忠告された。

どんな姿勢でも浮いてしまうのは、強烈な塩分濃度(31.5%で通常の海水の8倍)のために比重が重く浮力が高まるからでもあったが、およそ生物が棲息できる濃度も超えているので、ものすごく透明度が高いのである。
つまり、人間の目にはきれいなのだ。

すると、瀬戸内海は、塩分濃度ではなくて、栄養不足という過剰で「死海」となったのだ。
不足が過剰とは、みごとな「人工」のたまものである。

死海の塩は自然のたまものではあるけれど、近所の地中海の海面から400mほども「低い」ので、この差をつかった「発電計画」があった。
死海が薄まることが、どういう意味をもつのか?という議論もあったけど、入れた水をどうやって排水するのかが問題となってやめたと記憶している。

じつは、死海がある場所は、陸地の「標高」として世界で最低のくぼみなのだ。
東京やオランダのゼロメートル地帯どころではない。

人間のかんがえることは、ことごとく浅はかだ、というのが神をたたえる聖書のいうところであるから、聖書のふるさとでもあるこの地域で、死海の環境破壊になる発電が中止になったのは幸いである。

すると、瀬戸内海で起きたことはなんなのだ?
日本人が日本人として、自然崇拝してきた自然を、日本人が破壊したということである。
いまの、隣の大国を笑えない。

ではいったい「自然」とはなんなのか?

これが難しい。
たとえば、「手つかずの自然」といったとき、それは「原生林」のことなのか?それとも、「耕作放棄地」のことなのか?
「美しい自然」といったとき、「耕作放棄地」を指すことはほとんどない。

ヨーロッパ最大の原生林、「ビャウォヴィエジャの森」では、ヤツバキクイムシの侵入に対抗する名目で、ポーランド政府環境大臣が伐採を許可し、これが環境団体と揉めていて、EUはポーランド政府に罰金を課した。

瀬戸内海に話を戻すと、どんな状態が瀬戸内海の「あるべき自然」なのか?が、自然に任せることではないからややこしい。
ただキレイにしたら、それではすまない。
では、そのキレイとは、誰にとってのキレイだったのか?

なんだか、源平時代のひとたちに、どんな海だったかを聞いてみたくなった。

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