第25回(1951年上半期) 直木賞作家の、源氏鶏太による小説『三等重役』(1951年(昭和26年)8月12日号から52年(昭和27年)4月13日号までの全35話、週刊誌『サンデー毎日』(毎日新聞社)に連載)が、その後一般名詞化して流行したという。
52年に制作・公開(5月29日)された同名の映画(東宝)は、三等重役である社長に翻弄される人事課長役をやった、森繁久彌の出世作となったことは前にも書いた。
原作が発表された、半年あまりで映画化したスピード感こそ、「当たる」チャンスを逃さない意気込みがあったからだと推測できる。
この時代、もちろん、まだテレビ放送はなかった。
「本放送」は、1953年(昭和28年)2月1日からである。
とはいえ、食うや食わずのこの時代、一般家庭に高価なテレビがあるはずもなく、まだまだラジオがふつうだったのである。
ちなみに、ラジオ受信料が廃止されたのは、1968年(昭和43年)4月1日のことだった。
さて、一口に「戦後」といっても、「占領期」と「主権回復期」とに、二分してかんがえないといけない。
うそかまことは別にして、2600年以上「独立」が続くわが国で、「初」の、外国による「統治」を受けたのがこの「占領期」だからである。
敗戦した相手国の人間を奴隷にしてこき使うことが、自らの歴史にあるひとたちである、「欧米人」には、その本性をおもわず「記載」することが無意識で行われる。
これが、「奴隷」という概念のない日本人にはすぐさま「ばれた」のだ。
日本国憲法第十八条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」
原文が英語だから、というよりも、「いかなる奴隷的拘束も受けない」という表現の感覚が、日本人の概念を超えていた。
しかして、「(日本国)憲法学者」という、「戦後」の「業界人」は、これを勝者の立場から「解釈」して国民に拡散した、売国奴であった。
「(明治)憲法学者」は、役立たず、としてとっくに「排除」されていた。
「排除」したのは、もちろん、「占領軍」である。
よって、占領期(講和条約発効前まで)とは、1952年4月28日に発効したから、その前、ということになる。
同時に、日米安全保障条約も発効している。
それでもって、4月28日が「主権回復の日」なのである。
ほんとうにわが国が「主権回復」をしたのか?については、かなりあやしい。
しかし、「国際法」における「形式」においては、「主権回復」したことになっている。
こうしてみると、小説『三等重役』は全話が、占領期に発表されていて、占領軍の検閲を突破している、と解していい。
そして、「映画」は、「主権回復」の後に公開された、という事情があるのだ。
「読み切り連載」という形式の小説なので、短編の集合体である。
それで、記念すべき第1話のタイトルは、「追放解除の施風」である。
ここでいう「追放」とは、いわずもがなの「公職追放」を指す。
『降伏後におけるアメリカの初期対日方針』(昭和20年9月22日発表)の第一部「究極の目的」には、「平和的で責任ある政府の樹立と自由な国民の意思による政治形態の確立」とある。
これを、「根拠」として実行したのが、「公職追放」だったのである。
具体的には、第三部「政治」と、第四部「経済」で、「軍国主義的又は極端な国家主義的指導者の追放」を根拠とした。
こうした文書を、「文字どおり」に読んではいけないのは、外国からの命令だからなので、その「真意はなにか?」という目線で読まないと、意味不明になるのである。
そして、その外国とは、アメリカ合衆国だという認識も間違っている。
20年間も民主党が支配した、アメリカ合衆国「政府」が相手なのだ。
すると、占領目的のなかでも「究極」と表現した中身とは、アメリカのいう通りの「忠犬」に、日本がなること、と解釈できる。
そしてまた、「追放」の対象者とは、「日本の日本人」だということなのである。
これらをベースにして、笑いを誘った源氏鶏太の筆致とは、「自虐」をもって「自虐的な笑い」とした、まさに「本音」が伝わることでの「納得」を読者に与えたにちがいない。
一流の経営者が追放されて、三流社員が「昇格」してなったのが、「三等重役」なのである。
まさに主権回復とおなじく、「形式」だけの「重役」だった。
けれども、全国津々浦々に、三等重役が「君臨する」会社が実態としてできた。
しかしてそれは、占領軍が意図した「三等経営」だったのである。
三等重役には、意志も教養もなく、あるのは「臆病」な小物としての威厳であった。
それで、戦前・戦中に「滅私奉公」した従業員を強権で支配したから、従業員は社内労働組合を設立して対抗したのである。
ついこの前まで「従業員」だった三等重役に、「同格ではない」という、犬の序列を「飴」として仕向け、「身分差」の確認をさせた。
これが、占領軍が意図した、「(民主的な)自由な国民の意思」の発露でもあった。
経営者も「自由」、従業員も「自由」という、「自由による分断」こそが、アメリカ合衆国民主党に逆らわない、従順な奴隷化への一歩だったのである。
計算違いは、明治期に育った「旧日本人」が経営者に復帰して、めざましい発展を遂げたように見えたことだが、ぜんぜん計算違いではなくて、「三等重役」の下で育った「四等」「五等」あるいは「論外」の人物が、「重役」になる必然を埋めこんだのだ。
これが、いま、なのである。