ただいま「革命」進行中

もっともしられている国語辞書である『広辞苑』をしらべると、漢字でかいた「革命」にはいくつかの意味がある。
そこで、英語の「revolution」を訳して「革命」としたときの意味にしぼると、これも二つに分岐する。

被支配者が支配階級から国家権力をうばう「フランス革命」と、ある状態から急激に変動することを意味する「産業革命」や「技術革命」がそれだ。

では、いま、わが国でおきている社会現象をなんといおうか?
わたしは、素直に「革命」といいたい。
その理由を書いておく。

まず、政府の中核をなす「内閣制」が事実上の機能不全に陥ったことである。
内閣はあっても、なきがごとし。
すなわち、わが国の「行政府」は、完全に「官僚に開放され」た。

決めるのは官僚であって、国会議員たる政治家による「議院内閣制」が死んだ。
議院内閣制は、別名「議会主義」ともいうから、並行して、議会も死んだのである。

これは驚くべきことであって、つまり、わが国は「近代国家」ではない、という状態に陥ったのである。

まるで「清朝末期」、西太后の時代のようだ。
王家内のゴタゴタを仕切るのに、東太后を塩辛にしてしまったとはいえ、政治実務は官僚に丸投げしていたからである。

支配者のはずの政治家が、被支配者である官僚に取って代われるのだから「革命」である。
ところが、「民主主義」をいうなら、ほんとうの支配者は国民であるが、両者からまったく無視されていることも「革命」である。

近代国家の要件には、「政党政治」があるけれど、わが国の政党で「近代政党」とようやくいえるのは、公明党と共産党のふたつしかない。
しかし、これらふたつとも、政党内の人事が不透明なままなので、「ようやくいえる」程度なのである。

じつは、全滅状態なのは、政党内に「シンク・タンク」が存在しないことである。
巨大な第一党の自民党は、歴代、自前のシンク・タンクをつくらずに、役所とその官僚をもってあてていた。

つまり、永久与党としてのおそるべき怠慢があるのである。
それで、すべての政策が、官僚からのご進講を経ないと決まらないことになったので、官僚はじぶんの役所に都合がいいことしか「進言」しなくなった。

ほんらいの議院内閣制ならば、与野党ともに内部にシンク・タンクを抱えているから、官僚に意見を聞くことすらひつようない。
しかし、わが国は、役所の官僚体制そのものが、すべての政党のシンク・タンクなのだから、官僚にとっての都合のよい進言を、だれも見抜けないばかりか、従うことの便利さが先になってしまった。

こうして、社会がめったにない「非常事態」になってみて、ぜんぜん政治がうごかないことで、とうとう「官僚」がすきなことをしている姿だけが見えるようになってきたのである。

なにもこれは、厚生労働省だけでなく、学校を休みにした文部科学省もおなじだし、金融庁は「減損会計」についての「ルール弾力化」という名目のちゃぶ台返しを決め、政策投資銀行は民間銀行を尻目に、1000億円もの「出資」を大企業にするという。

「融資」ではなく「出資」である。
つまり、オーナーになる。
すでに日銀が株式をつうじて大企業の25%を保有することになっているが、こちらのやり方は「裏口」っぽかったけど、こんどは「正面」からやってくる。

こんなことを、だれが決めているのか?
役人である。

なんだか、「基準」が崩れているのである。

そういえば、福島のときの「線量基準」も、ずいぶんと「緩和」されてしまった。

規制緩和はすべてが「よいこと」とはかぎらない。
わが国の規制には、緩和すべきものと強化すべきものが混在しているが、役人は「都合よく」緩め、かつ縛り上げる。
「合理的基準」ではなく、「人為的基準」なのだ。

そんななか、新型コロナウイルスにも「効く」という、本ブログで話題にした、「アビガン」の記事がふえてきた。
最新では、4月1日の製薬会社による「治験開始」だ。
首相は、その前、3月28日に「正式承認」のための「治験」を表明したが、政府は200万人分の「備蓄」もあるとこっそり書いている。

「首相がうごいた」ような記事だが、どこか冷めているのは、重篤者に使える、あるいは現場の判断でつかえるようにする、もっといえば、患者の承諾があればつかえるという、特別な「意思」がどこにもないからである。

RNA阻害薬なので、胎児にはよろしくないから、女性への投与は妊娠中はもちろん、厳密に「妊娠しない」ことも重要なのだ。
それで、「インフルエンザ薬」ではあるが、めったにつかえないとして「備蓄」されている。
しかも、インフルエンザ薬として承認されたのは2014年だ。

はたして、緊急時にはどうするのか?についての対応が、ぜんぜんできない「内閣」どころか「与野党の政治家たち」を見せつけられるのは、国民からの「革命」動悸ともなる事態なのではないか?
にもかかわらず、国民はいまだ「マスク」に頼るままなのである。

すなわち、わが国でいまおきている「革命」とは、官僚による国家権力の簒奪が最終段階にあって、成功しつつあること。
そして、これが、社会変革も起こすから、完璧なる「無血革命」がおきているのだ。

もはや、既存政党では、この革命を止めることはできない。

わが国は、「日本社会主義人民共和国」になる。
ただし、労働者も一般国民の期待も成就するはずのない、役人のための国になるのである。

「官庁産業」による「官庁立国」が、世界史上ではじめて成立する。

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